同調行動

 5月8日から新型コロナ感染症は「2類」から「5類感染症」に法律上変更されました。これは新型コロナウイルスがいなくなったわけでも、感染力が無くなったわけでもなく、例えば担悪性腫瘍患者、免疫抑制状態にある移植後患者など、ウイルスへの易感染者が多い病棟や高齢者収容施設などでは、引き続きマスク着用や手洗いなどが推奨されています。ただ、感染した場合の重症化するリスクがかなり低下し、これまでのように社会生活を犠牲にするほど徹底的な予防は必要でない一般的な病気と同じように扱って良くなったということです。しかしながら、いまだに街中ではかなりの人がマスクをしており、街頭インタビューなどを聞くと「とりあえず今まで通りにして、周りの人の動向を見ながら徐々に外すことを検討します」という意見が多いような気がします。また以前のように「自粛警察」など他人には厳しく攻撃するような人に忠告するとの意図もあり「個人の責任にゆだねる」ようになったと思われます。

 以前、このような「同調行動」は「マーマレーション(周囲の仲間の目印やシグナルを受け取ってまとまった集団行動をすること)」と呼ぶと言いました。これは我々人間を含む動物や細胞や遺伝子など、生命現象を司るものに備わっている原始的な行動形態で「コロナ感染におけるマスク非着用者に対する自粛警察」「SNSで広がる誹謗中傷」さらに「ナチスや軍事政権」など、大きな悲劇につながる可能性があるなどと言及したことで、かなりネガティブな印象を持たれたことと思います。また作田忠司リーデンローズ館長が哲学者「ハンナ・アーレント」のことを述べておられ、私も矢野久美子著の伝記を読みましたが、彼女は何故ドイツでナチスのような全体主義が台頭したかについて、詳しく分析されています。つまり「客観的な敵」を規定することが「全体主義」の本質であるとし「客観的な敵は自然や歴史の法則によって体制側の政策のみによって規定され、これらは効果的に人間の自由を奪う」としています。一旦「客観的な敵」が規定されると「望ましからぬもの」「生きる資格の無いもの」という新しい概念、グループが出来上がり、「客観的な敵」に属さない「大多数の人々」はこれに賛同し、また「同調圧力」が加わり「大虐殺」に至ったとしています。「大多数の人々」がこのような「均一性」を自覚することが最も根源的な問題と思われますが、これを阻止するためには個々人の特性を認め多様性を受け入れれることが重要と思われます。

(2023.6)