脂質代謝

 春はまた、新入社員が入ってくる季節で恒例の健康診断が行われます。健康診断のために1週間くらいお酒を我慢し、甘いものや脂っこいものを控える人がいますが、本来は通常の生活をしているときの状況を把握するのが目的です。図に最近の検査項目別有所見率を示します。何らかの異常所見が見つかった人は半数以上にのぼり、最近微増する傾向にあります。このうち最も多いのは血中脂質異常で約1/3弱の人に見られ、肝機能、血圧、血糖、心電図の異常と続きます。

定期健康診断検査項目別有所見率(森晃爾:産業保健ハンドブックより)

 脂質はエネルギーを貯蔵(中性脂肪)し、細胞膜や脳の構成成分(リン脂質、糖脂質、コレステロール)として、またステロイドホルモンやプロスタグランデインのような生理活性物質など、生体にとって必要な重要な物質です。脂肪(中性脂肪)は、皮下脂肪、内臓脂肪など、健康の大敵のように罵られていますが、これがないと動物は長期の絶食や飢餓に耐えることが出来ません。つまり中性脂肪を蓄えることによって、飢餓に耐える能力を飛躍的に増進したことが、人間を進化させたとも言えます。中世脂肪の化学構造式を見てみますと、グリセロール(グリセリン:3価アルコール)に脂肪酸3分子がそれぞれエステル結合したもので、トリアシルグリセロール(トリグリセリド)とも言います。脂肪酸には飽和脂肪酸と不飽和脂肪酸(炭素同志が二重結合を形成している)があり、二重結合の部分では折れ曲がる性質を持っています。二重結合が複数あるものを多価不飽和脂肪酸と言い、魚の油に含まれ身体に良いといわれるDHA(ドコサヘキサエン酸)やEPA(エイコサペンタエン酸)はこれに含まれます。このうちリノール酸とαリノレン酸は体内では合成されないため、必須脂肪酸と言われます。

中性脂肪(トリアシルグリセロール)の化学構造式(田中文彦:忙しい人のための代謝学)

飽和脂肪酸(左ステアリン酸)と不飽和脂肪酸(田川邦夫:からだの生化学)

 ここで、私の専門に関係ある発生・進化について面白い話を紹介します。かつて大阪大学医学部で生化学の教授をされていた田川邦夫先生には、学生時代再々再追試までお付き合いいただいた(つまり2回試験に不合格になった)のですが、著書「からだの生化学」から興味深いお話を引用します。

 「肉食がサルからヒトを進化させたという説に、生化学的根拠を加えて修正した挿話である」と前置きされたうえで、「動物は必須脂肪酸を合成できないので、直接または間接的にそれを植物から摂取しなければなりません。植物の油脂は種子中に多量に貯蔵されているので、これを摂取すれば必須脂肪酸の欠乏をきたすことはないのですが、サルは草食性なので、全ての必須脂肪酸を植物に依存しています。しかし、サルにとって非常に不都合なことに、多くの種子中にはヒマのリシンや大豆のトリプシンインヒビターのような蛋白性の毒物が含まれております。このためこれを大量に食べることが出来ないので、常に必須脂肪酸が欠乏しがちであります。」

 ここから、サルからヒトへ進化する説が展開されていきます。「しかし、ある時サルの中に肉食をするものが出現しました。このサルは生体膜に富んだ動物の内臓を食べることにより必須脂肪酸を十分摂取することが出来、これが大量のリン脂質を必要とする大脳を発達させる栄養的根拠となった。」というわけです。「大脳の発達した『サル』は火を使うことを知り、種子を熱することにより毒性タンパク質を変性させて無毒化するようになったため、あらゆる種類の種子を食物に出来る」ようになりました。

 サルから突然変異した我々人間は脂肪を取ることにより、大脳が発達してきたようですが、今は逆に生活習慣病で人間が苦しんでおり、この現象は因果応報というか、自然の人間に対するリベンジなのでしょうか。(2021.6)