一体私達が自己の情念を形に表現すると言うのは何処から起こったのであろうか。目に盛り切れない自然の美しさが、自ら絵筆を運ばしめたのであろうか。転転として夜を徹する異性への愛慕が思わず嘆声を発せしめて、凝って章句となったのであろう か。はつ夏の風に流れる新柳の枝が知らず人を舞踊に導いたのであろうか。
歴史の教えてくれるところでは、其の何れでもないようである。人間は本来自分の欲求の中からは何等よりよい高次な形を生まなかったのではないかと疑われるばかり である、と言うよりは原初に人間が目覚めた時、対象に向かう人間の目は我々と著し く異なっていたのではないかと思う。私達が見ている自然は長い歴史によって洗練さ れた眼の対象となっている自然である。画家と材木商が同じ木を見る時、形が同じで あっても其の内容は異なると考えられるであろう。ロダンは前の道を行く少女を眺め乍ら、「此処に全フランスがある。」と言ったという。一人の少女、一本の木の形が定まるまでの永い歴史と風土への洞察を持つ者のみが発し得る言葉である。野卑な者には其処に肉欲の対象があるのみであろう。対象とは主体的深さの体験的全体である。それでは原始人の体験的全体とは如何なるものであったのであろうか。私達は最早原始人に還る事は出来ない。文化的遺産と、現存する原始的生活を営む者から推測するのみである。
夏の夜を賑わす盆踊の由来は地獄の亡者が一日の休みに歓喜する状を現したものと言う。言われて見ると成程と肯ける動作であるように思う。それならば何故に地獄の 亡者の動作を模ねるのであろうか。其処には原始の霊魂の思想があると言われている。それはこの現象界とは別に霊魂が存在し、諸々の現象界の形象は霊魂によって起こるのである。同一の形は同一の霊魂によって起こるのであり、今我々が此処で地獄の所作を持つ時、亡者は地獄に於いて歓喜すると信ずるのである。そしてこの信ずると言うのは、我々が信ずるか、信じないかとの信ずるかではなく 存在其のものなのである。恰も我々が大地を歩むが如く、状態其ものなのである。私達が淡路で見た踊りも、其の動作をなす事によって、蛸の増殖、豊漁を祈ったらしい。人間の骨がな くなったかと思う迫真の技は、同じ神霊によって海中に蛸が生まれると信じたのであ る。獅子舞は悪霊を追払うのであり、田植踊りは稲の豊饒を祈るのである。南方の 土人は戦に出る前に敵を散々やっつける踊りをして勝利を軍神に祈ったと言う。そし て若しも敗北した時は味方の劣勢によってではなくして、軍神の障りによったのである。
亦面は面の持つ威力が其の人にのりうつると信ぜられている。土人が怪奇な面を被 るのは其の目、其の牙、其の角等の破壊力が其の人に備わり、悪霊を退散せしめると信ずる故に他ならない。お多福の面は其の豊満、優美に於いて作られたのではなく、其の多産、其の健康に於いて作られたのである。そしてそれは作物の豊饒に関わる霊の作用の信仰によるものである。舞踊はまさに神霊への一致と其の発現として其の起源を持つと言い得るであろう。
いきいきとした躍動感に於いて発見者を驚かしめたクロマニヨンの絵画は、彼等の生活の記録ではなく、恐らく彼等の狩りようの豊富なる事を祈った祭壇として描かれたものであろうと言われている。其の事は即ち蛸踊りと類型を同じくするものと言わなければならない。即ち描かれた動物の繁殖への呪術だったのである。
弦楽の初まりも、出陣に際して弓の弦を鳴らして戦勝を軍神に祈ったによると言われている。
詩も其の発生を同じくするようである。
最古の詩と言われる、印度のヴェーダを紹介した辻直四郎の初章を借用して、論を進めてゆき度いと思う。『ヴェーダは「知る」を意味する語根から作られた単語で、宗 教的知識を表し、その知識を載せる聖典の総称となった。ヴェーダは本質的に宗教的文献であり、最初から祭式との関連に於いて発達したもので、協同して祭式に参与する祭官の職分に応じて、四種に区別される。神々を祭場に招き、讃踊によって神を称えるホートリ祭官に属するリグ・ヴェーダ、大部分はリグ・ヴェーダに属する詩節を一定の旋律にのせて歌うウドガートリ祭官に属するサーマ・ヴェーダ、祭祀の実務を 担当し、供物を調理して神々に捧げるアドヴァリウ祭官に属するヤジュル・ヴェーダ。 以上は古来三ヴェーダとして絶大の権威を享受した。最後にアタルヴァ・ヴェーダは これ等三ヴェーダと趣を異にする。災禍を払い、福利を招き、仇敵を調伏するなど、 本来主として呪法に関するものであるが、のち適当に補足されて第四ヴェーダの地位を獲得し、祭式全般を総監するブラフマン祭官に属するものとなった』即ち其の根源は神への讃歌なのである。而し多神論の印度に於いては、神とは諸々の現象が持つ霊である。古代に於いては言葉其のものも霊であり、言霊の働きによって讃辞其のものが直に神の威徳として備わると考えたのである。その事は「琉球おもろの研究」の中で鳥越憲二郎氏も言っておられる。天子即位の時、女神官の神迎えの歌によって天子たる徳が備わると考えたのである。古代に於いて詩人は神官であり、宮廷詩人であったのは、詩が斯く神霊との関わりに於いてあったが故と思う。
生命は生存せんと欲する。人類が初めて知恵の目に自己を見出でた時、最も驚いたのは死であったであろう。生きているものが死ぬ、自己の内に存するこの自己矛盾は 大なる恐怖である。私はこの死を外に投げ出した時、即ち霊の存在があったと思う。霊とは人間が生命の自己矛盾に於いて自己を見出でた原初の相であると思う。死を外に投げ出したものとして霊の形相は悪である。霊は其の原型に於いて悪霊である。しかして一瞬の中に生けるものを絶対の無たらしめるものとして、無限大の力である。原始人はおおむね死は死者の霊の誘いによると信じている。暴風雨、地震、悪疫等は偉大なり人間の死霊であると信じている。生存を欲する生者はこれに如何にして 対うのであろうか、アンデス山脈の奥深く未だ原始的呪術社会を営む村落に潜入、生 活体験をした佐藤信行氏の記録を抜粋して見る。
「此処で注目する事は、こうした病を人知れず村境の山頂から村外にむけて追い払う 観念である。アンデスの山道の峠が、山頂は村境、部落境になっている。ここは亦精霊達の住家にもなっている。村の中で起きた災いは全て山頂から捨てられるのである。インディオにとって村境は単なる土地のナワバリだけのものではない。彼等にとって最も恐れられている悪霊ニャーカが死後八日間生前の部落をさまよい、その後、白嶺の頂にいくと信じられている死霊も、すべて村境の山奥にいるのだ。こうした悪霊は 皆、村境の反対側に押し込められてしまうのだ。
こうした観念から、万年雪をいただくアンデスの白峯もインディオにとっては美しい姿として目に映じているのではなく、悪霊の住家として恐れられているのだ。たかが村境ですら悪鬼横行しているのであるから、あの雄大なアンデスの白峯には、ありとあらゆる悪霊の親玉がたむろしていると恐れられているのは無理からぬことである」此処では山頂から捨てる事になっている。「部落境の峠や、村境の山頂は村へわざわいが入り込む危険な場所でもある。アンデス山岳の山道を旅行すれば処々に小石を積んだ塔を見かける。これはアパシマータと言われるもので、峠には必ずと言ってよい程ある。 中略 村境を聖なる場所としているのは、実は村に災いの入るのを、此処で未然に防ぐための村の神、部落の神の奉斎の場であるのだ」此処では奉斎によって、霊を鎮めようとする。
そしてこの村には呪者がいて、秘密に白峯の大悪霊に仕え、交通して、その霊力に よって或者を呪い殺し、或は病者についた小悪霊を追払うのである。
斯くして死霊の絶大な力は生へ転ずる力ともなる。そしてそれは生産力の発展と共に、さまざまな転生の力となるのである。私は荒魂に対して、和魂の顕れたのは農耕 の成立によるのではないかと思う。
絶対的力としての超越者を外に見出したのは、人間の生存意志の自覚としてであり、 生存意志の自覚として、それは転じて生となるべきものである。
私は情念が形を現して来たのは此処にあるのではないかと思う。西田幾多郎先生は、 神は生産に関わると言われる。より大なる生存への意志が神を樹てるのである。そして芸術は、死霊の絶対的力を、人間の自己矛盾の内容として、絶対生への転換を持つ時現われたのであると思う。前述の舞踊、絵画、彫刻等は、神霊に於ける死生転換の自覚的発端としての技術があると思う。
我々の表現への意志は、対象の調和、主体の趣向より起きたのではなく、生死転換 の対抗緊張より生まれたのであると思う。自覚的生命として人間は、神霊的超越者を 持つ事によって、真に偉大なる生の第一歩を踏み出したのである。もとより自覚的と 言う無限に自己否定的と言う事である。形相を持った神霊は否定されなければならない。キリストが「悪鬼よ去れ」と言った如く、近世が神の否定によって成立した如く。而し神霊は個の自覚に対する全の成立の発端だったのである。神の系譜はそのまま人間の自覚的発展の軌跡であったと言う事が出来る。
以上芸術の起源は、美の本質についても種々の事を示していると思う。先ずそれは超越的全体者の形相を個々に於いて見ると言う事である。ヴェーダの序文に「古来印度において、ヴェーダは人間の著作と考えられず、聖仙が神秘的霊感として感得した啓示を認め、これを総括して、天啓文学と呼び」と書かれている如く、霊感的であると言う事である。日本でも佛彫家が一刀三拝して、その顕現を祈った如く、知らざる深奥に誘われるのである。誘なうものは個々人を超えて、個々人を成立せしめる全体者である。西田幾多郎先生は、美は時代の様式的正であると言われる。芸術は何よりも全存在の形相をこの我に於いて明らかにするのであると思う。
つぎにその形相は深く生存的であると言う事である。 死生転換的であると言う事である。
涙を拭うて見る人生は美しいと言われる如く、矛盾の中に無限に形相の襞があると言う事である。ラルコリーニコフが娼婦ソーニャの前に跪いて、「全人類の苦痛の偉大さに跪づく」と言った如く、芸術の深さ、高さは人間矛盾の深さ高さである。勿論時代に於いてその形相は異なる。純粋視覚としての近代絵画は、何処に其の生存の翳があるかと言われるかも知れない。
而し私は純粋視覚は近代的内面的必然と其の軌を同じくするものであると思うもの ある。芸術の永遠は全体者の時間的形相である。
長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」