鳥取大学医学部は終戦の昭和20年に最初「米子医専」として発足、その後昭和23年「米子医科大学」となり、翌24年に「国立鳥取大学医学部」が誕生したのです。こちらに来て不思議に思ったのは、タクシーに乗って「大学病院まで」というと「はい、医大ですね」と返され、理容店に予約をすると「医大の長谷川先生が来なさるよ」と言われます。上記の歴史をみると「米子医大」の名称が使われたのはわずか1年間でしたが、記念式典に同じく来賓された伊木隆司米子市長は幼少時より病院に行くときは「医大に行ってくるけん」と言っておられたくらいで、市民に愛されていた病院だったようです。学内開放として、3000人くらいの市民を病院に招いて無料検診や顕微鏡使用など提供していたらしく、市民に近く寄り添っていたようです。
鳥取大学病院は鳥取県と兵庫県北部、岡山県北部、島根県東部の約100万人対象の医療圏をカバーしており、卒業生は6000人を超えています。ロボット支援手術などの低侵襲外科やドクターヘリを擁して救急医療に力を入れています。最近、上田敬博教授が救急救命センターに来られ、ますます活気づいています。上田先生は2年前の京都アニメーション放火殺人事件で、90%以上の全身火傷を負った犯人に対し「助けないと犠牲者が浮かばれないと」必死で治療し、この結果犯人は助かり徐々に心を開くようになったと言われていました。(2021.7)