音楽紀行:ライプチッヒ

2019年5月の10連休を利用して、ドイツのライプチッヒに行ってきました。

目的は勿論オペラ鑑賞で、ワーグナーの「ニュールンベルグの指輪」4部作を聴いてきました。「前夜:ラインの黄金」「第1夜:ワルキューレ」「第2夜:ジークフリート」「第3夜:神々の黄昏」と、それぞれ2時間半、5時間、5時間、6時間かかるものです。

ライプチッヒは旧東ドイツに属し、ミュンヘンやフランクフルトなど西ドイツに比べ、素朴で飾り気のない街で人々も純朴な感じを受けました。ライプチッヒはワーグナーやシューマンの妻クララ・ヴィークが生まれた町で、バッハがカントル(教会音楽家)として雇われた聖トーマス教会があります。メンデルスゾーンが活躍し指揮をしていたライプチッヒゲヴァントハウス管弦楽団は世界最古のオーケストラです。

バッハ像


音楽の街:ベルリン

2018年12月に、寒い中ベルリンに行って来ました。

ベルリンには有名なベルリンフィルハーモニー管弦楽団やベルリン国立歌劇場、ドイチェオーパーがあります。ベルリンフィルのジルベスターコンサートには残念ながら行けなかったのですが、ドイチェオーパーではドミンゴの「ナブッコ」、ベルリン歌劇は「ファルスタッフ」を観てきました。やはり水準が高く迫力がありました。

ベルリンフィルハーモニー
ベルリン国立歌劇場

メトロポリタン歌劇場

ヨーロッパのヨーロッパの歌劇場は最近とみに演出がクレージーになっていますが、ニューヨークにあるメトロポリタン歌劇場は正統派を保っています。市街の北の方のリンカーン地区(近くにカーネギーホールがある)に移ってからは、ゲルブ総裁が全世界の映画館でライブビューイングを行う(近くでは大阪、神戸、広島等で観られます)など、精力的に活動しています。

2016年にレヴァイン指揮、ドミンゴがタイトルロールの「ナブッコ」と「魔笛」を観ました。歌劇場のオーケストラは専属で、レヴァインなどといつも演奏しているので、息がぴったり合い、しかも情熱的な演奏でした。



正岡昭先生のこと

正岡昭先生のこと

 私の母校である大阪大学医学部の先輩、正岡昭先生のことを紹介します。阪大の学生オーケストラの指揮者をしておられ、昭和29年卒で私が学生の頃は第一外科助教授(呼吸器グループライター)をされていました。その頃、正岡先生に連れられて「Poco a Poco」というクラブでオペラの稽古に行ったりしました。

昼からビールを飲んで練習するのですが、「蝶々夫人」の静かな場面で、ゲップをこらえきれないクラリネット奏者が、ゲップとともに急にフォルテを出して、台無しになったことがありました。その後名古屋市立大学の教授で赴任されたのですが、定年退官後医学書はすべて処分し医学者としての生活に区切りをつけ、大阪に戻り音楽大学で聴講生となり、残る人生を音楽家として過ごすことを決意されました。

その結果、多数のオーケストラ曲とともに、3つのオペラ「信玄」「「祖国」「世阿弥」を作曲され、自らの指揮で初演を行われました。残念ながら2014年11月に亡くなられ、追悼会では先生の作曲されたオペラがDVDで流され溌剌と指揮をされていた往年の姿を偲ぶ会になりました。

医療センター消化器内科の村上敬子先生は、「音楽は、私の中では息抜きや気分転換ではなく挑戦です。・・・仕事もピアノも時々の初心を忘れず羊が草を食むが如く焦らず諦めずに回り道の人生を歩んでいこうと思っています」と述べておられます。

私は正岡先生のように医学と完全に切り離すことも村上先生のように実学と純粋な芸術を融合するような高度なことはできませんが、私なりに新しいもの、夢に常にチャレンジする精神を忘れないようにしたいです。そして質の高い芸術に接することによって、良いストレスを受け、Physical、Mental、SocialにWell-beingを保ち、残る人生を豊かにしていきたいです。

学生時代に神戸フロイデというアマチュアの合唱団に入って、外山雄三指揮大阪フィルと年末の「第九」でバスを歌ったことがあるので、いつかオペラアリアの1節でも歌えるようになれればと思います。

「芸術は長し。されど人生は短し。」

クラシックソムリエ検定

クラシックソムリエ検定という音楽の知識を試す試験があります。就職などに何の役にも立たないのですが、人前で堂々と「蘊蓄を垂れることができる」という資格が得られます。

先日エントリークラスを受けてきました。100問を60分で4者択1で答えるマルチョイ方式です。

1問10点で1000点満点。900点を取りました。さらにシルバー、ゴールド、プラチナクラスがあり、少しずつ挑戦していこうと思います。

英国ロイヤルオペラハウス

ロンドンのコヴェントガーデンにある、格式高い歌劇場です。

所属が同じであるロイヤルバレエの方が有名かも知れません。

かつて日本人の吉田都や熊川哲也がプリンシパルとしておられ、今は高田茜や平野亮一がプリンシパルとして活躍しています。
私は2013年にパッパーノ指揮ハンプソンがタイトルロールの「シモンボッカネグラ」を観ました。

いぶし銀のように洗練され、特にピアニッシモをチェロやオーボエが奏でる音色に感動しました。

ロイヤルオペラ、バレエともに世界の映画館でライブビューイングが観られるので、興味のある方は是非どうぞ

ザルツブルグ音楽祭

ザルツブルグはオーストリアの西部に位置しモーツアルトが生まれた町で、ミュンヘンからすぐに行けます。音楽祭は年に2回行われ、夏はウイーンフィルが春のイースターはベルリンフィルという、中部ヨーロッパ、いや世界を2分する最高峰のオーケストラがしのぎを削っています。2018年の夏にバイロイトとはしごしたときは「スペードの女王」「アルジェのイタリア女」「サロメ」を観ました。特に「サロメ」はメスト指揮で、ソプラノ歌手グリゴリアンは官能的なタイトルルールを見事に演じ、地元でかなり話題になっていました。

小澤征爾が村上春樹との対話で「音楽を聴きこむ」「総譜を読み込む」ことで、作曲者の真髄に迫ることが重要だと言っていました。歌劇場の豪華さや音響効果、演出などは追加的なことに思われ、音楽を理解することで作曲者の思いに触れることが重要なのです。このような自分発見の旅を重ねることで、これからの課題、目標が見えてくるように思われます。

バイエルン州立歌劇場

 ドイツの中でも裕福なバイエルン州の都ミュン・ヘンにあり、豪華な雰囲気が漂っています(図9)。サバリッシュやクライバー、日系アメリカ人のケントナガノが音楽監督をしたことがあり、洗練された歌劇場です。毎年夏にオペラフェスタを開催していますが、私は2018の冬に後述するウイーンとはしごして、「こうもり」と「ボエーム」を観ました。前者はオペレッタですので、終始おどけた演出でしたが、後者は正統的な演奏で歌手が上手く感動しました。また、2017日本に公演に来た時の「タンホイザー」も良かったです。

 

ウイーン国立歌劇場とフォルクスオーパー

その昔、新婚旅行でウイーンに行ったときに国立歌劇場で「ワルキューレ」を観ました。

ウイーンフィルの本拠地で時に繊細、時に勇壮な演奏でしたが、長旅の疲れで、第3幕でワルキューレたちが岩山の上で奇声を上げるところ以外は、爆睡していて全く記憶にないのです。いびきもかいていたらしく、結婚後初の夫婦喧嘩になりましたが(というより私が一方的に怒られていました)、今となってはオペラが観られなかったことも残念な思い出です。

2018年にはウイーンの中心よりちょっと離れたところにあるフォルクスオーパーで「フィガロの結婚」を観ました。日本のちょっと大きい映画館のような造りで、歌劇場としては物足りなかったです。余談として、冬のヨーロッパは半端なく寒く、あまりお勧めできませんが、ジルベスターやニューイヤーコンサートはこの時期ですから仕方ありませんね。

音楽の聖地:バイロイト音楽祭

2017年の夏リフレッシュ休暇と年休を併せて利用し、遂にクラッシック音楽の聖地「バイロイト音楽祭」に行ってきました。

バイロイトは南ドイツ、ミュンヘンのやや北東部に位置し、ニュールンベルグより電車で1時間くらいのところです。

ニュールンベルグ駅

ドイツの国有鉄道

ここには作曲家ワーグナーが自分の音楽(楽劇という独特のオペラ)を演奏するためだけに、当時のバイエルン国王で恋人であったルードヴィッヒ2世をたぶらかして建てさせた祝祭劇場があります。

バイロイト祝祭劇場

この祝祭劇場ではワーグナーの楽劇のみを夏の期間行うバイロイト音楽祭が開催されます。チケット入手は極めて困難で抽選などを待っていると殆ど不可能ですが、「地獄の沙汰も金次第」で、お金さえ出せば何とかなるものです。2017年に私は現地で5公演を聴いてきました。

世界中から集まるセレブ達

ホテルから劇場まで通う車

各幕の始まりを知らせるファンファーレ

出番を待つファンファーレ奏者たち

「ニーベルングの指輪」という4日にもわたる長大な楽劇と、「パルシファル」というワーグナーが死ぬ直前に書いた荘厳な祝祭祭典劇で、合計演奏時間は19時間近く、幕間の休憩時間や待ち時間を入れると、実に32時間(1日平均6時間)この劇場にいたことになります。

幕間のひととき

またこの公演に魅せられ、2018年には「さ迷えるオランダ人」「トリスタンとイゾルデ」を堪能しました。「トリスタン」第3幕で出てくるイングリッシュホルンの哀愁のあるソロは特に感動的でした。

普通のオペラ劇場はオーケストラピットが観客から見える位置にあるのですが、音が拡散しないようにピットに天井を付けて客席からは見えないようになっています。

オーケストラピット

また音が変な風に響かないように客席はすべて木製で、狭くクッションも無い最低・最悪の客席です。

劇場内客席

座ると前を通るスペースが無いため、全員着席するまで立って待っていないとだめで、お年寄りの急病人が出た時も、みんな一旦場外に出てから救急隊が入り搬送して行きました。

バイロイト音楽祭では近隣のオーケストラの精鋭が夏期間のみ演奏に来るので、音は抜群に良かったですが、演出がますます奇抜になっており、設定が、モーテルであったり、マルクス、レーニン、スターリン、毛沢東のデスマスクやワニが登場したりで、ついていくのに大変でした。

ニーベルングの指輪:ラインの黄金のカーテンコール

(図11)。街のパブで飲んでる時に隣に居合わせたイギリスから来た男性は「Music is good, singing is good, but act is challenging or CRAZY」と言っていました。

劇場にはワーグナーと妻コジマ(作曲家リストの娘)の胸像があり、少し離れたところにワーグナーが晩年暮らしたというヴァンフリート邸があり、リストやブルックナーが訪れていたということです

ワーグナーの胸像

ワーグナーの妻コジマ(リストの娘)

ワーグナーが晩年住んだヴァンフリート邸 手前の胸像はバイエルン国王ルードヴィッヒ2世

劇場の一角に、モニュメントが沢山作られており、見るとこれまでにバイロイト音楽祭に出演、関与していたが、ナチスに殺害されたユダヤ人演奏家が1人1人、その人物の歴史が紹介されていました。

ナチスに殺害されたユダヤ人音楽家たちのモニュメント

当時のヒットラー・ナチスはアーリア人の優秀性を強調し、ユダヤ人を迫害しましたが(実際はユダヤ人の方が優秀な人が明らかに遥かに多く、アーリア人の劣等感の裏返しによると思われます。またワーグナー自身も大のユダヤ人嫌い)、多くの貴重な能力・財産を失いましたが、このような閉鎖的・民族的な偏見から大きな悲劇が生まれることを歴史が物語っています。ドイツ人は過去の過ちを認め、それを謝罪する意味でルーマニアやイスラムの難民を受けて世界に示威しているのだと、ミュンヘンで会った20代の女性が言っておりました。

最後に劇場であった興味深い人たちを紹介します。ワシントンDCから来た、毎日ドレスを着替える老夫妻。

ワシントンDCから来た夫妻

指先までTatooを入れている音楽大学の学生。

ロックシンガーのような謎のモヒカン男。

ワシントン・ナショナルオペラ

桜並木で有名なポトマック河のほとりのケネディーセンターにある歌劇場で、あまり知られてないですが、ワシントン市民には人気があるようです。

ドミンゴが音楽監督を務めていることもあり、2011年に「トスカ」を観てきました。結構優れた演奏でした。

最近印象の強かった演奏

辻井伸行というピアニストをご存知でしょうか。生まれつきの全視覚障害を持った彼は、おもちゃのピアノを与えられた幼児期から、聴覚だけで音楽を理解かつ演奏し、昨年若干20才の若さで世界的なクライバーンコンクールで優勝をしたのです。スコアを眼で読めないだけでなく、指揮者や他の演奏家とのアンサンブルも聴覚のみで完璧に行ったことは驚異としか言いようがありません。

これに関し思うことがあります。200年に小腸不全の患児に小腸移植を行いましたが、患児は生後より16年間経口摂取がほとんどできなかったため味覚が十分発達していなく、甘い、辛い、酸っぱい などの感覚を獲得するまで約半年かかり、グラフトは十分機能していたのに拘わらず、経口摂取を進めるのに難渋しました。小児期におけるこのような機能の一部が欠損した場合に、その獲得・補充にはかなりの時間と労力を要しますが、反面これまでにそれを補うためにつちかった他の機能は甚大なる力を発揮することとなり、これを伸ばすためには親や医療従事者を含め周囲の人の援助が重要な役割を果たすと思われます。

臨床生活におけるクラッシック音楽の楽しみ方

私は学生時代には大阪、神戸、京都を駆け巡り、週に1回以上はコンサートに行っていました。当時お金もなく仕事をして稼げるようになればMcintoshのレコードプレイヤーとアンプを買いTannoyのスピーカーを部屋に揃えるのが夢でした。しかしながら、実際に仕事をし出してからは予定を立てて演奏会に行くのが難しく、特に小児外科医になってからは、録音したカセットテープなどを行き帰りの車の中や医局でひっそりと聴く以外、クラッシックに触れる機会はほぼ完全に奪われてしまいました。それでも最近では、NHK BS などで留守録した演奏を、夜にゆっくり聴くことを楽しみにしています。特に古典の文学作品などを読みながらこれらを聴くことは、優れた芸術品に触れることができ、お金もかけずに高い精神生活を送れるので、生涯の趣味にしたいと思ってきました。

内容は中世音楽から現代音楽まで、あらゆるジャンルに及び、特にモーツアルトやブラームスなど妥当な路線をきましたが、最近はフォーレなどの印象派、マーラーやショスタコービッチなどが好きになっています。もちろん歌謡曲もジャズも聴きますが、私にとって何回聴いても飽きないのはやはりクラッシック音楽です。中でもバイオリンやチェロなど弦楽器が好きで、これらを聴きながら論文を書くと頭の中がすっきり整理され、すごくはかどりました。

日本の小児外科医は仕事熱心で、夜昼なく患者さんのために身を削って働いてこられていますが、その中でも「私の趣味」的な話は多くの方が紹介され、ハードな仕事から解放されて自分らしい時間を持ち、忙しい臨床生活の一方でQOLを高める努力をされておられ、逆にそれが立派な仕事、業績につながっていく話が見受けられます。臨床医の皆さんは登山、サイクリング、写真、釣り、囲碁など、様々な趣味をお持ちのことと思いますが、私は小さい頃からクラッシック音楽が好きで、臨床生活の中でも手軽に、比較的安上がりで親しむことができるため、小児外科の臨床を行いながらこの「ささやかな楽しみ」を取り入れております。

クラッシック音楽が好きで臨床の合間に気晴らしで聴いてきましたが、これからもデスクワーク時等のBGMとして、このスタンスは変わりません(ただし手術中には嫌いな人がおられるかも知れず聴いていません)。またスコアの分析とともに、作曲家のおかれた立場などから曲にこめられた深い感情というものが聴き取れるように解釈をして、器楽曲や交響曲だけでなく、ワーグナーやベルデイの楽劇・オペラ、シェークスピア悲劇やゲーテの戯曲を題材にしたもの等、人生の悲喜劇などを考えながら味わっていきたいです。さらに、シェークスピア劇の歌舞伎仕立てなど斬新な試みにも触れ、また日本の古典「能」などにも西洋クラッシック音楽に共通したものが感じられるので、色々な分野における優れた芸術作品を、これからも貪欲に味わって、末永く楽しんで行けるように努力を続けたいと思います。

クラッシック音楽との出会い

私は小学6年生の時、年末も押し迫った頃に穿孔性虫垂炎で緊急手術を受けました。

当時は抗生剤も良い物が無く、術後1ヶ月あまりも入院をしておりました。
その時ちょうど衆議院選挙の前で、「選挙に行きましょう」というキャンペーンがテレビでやっており、そのバックでNHK交響楽団による「新世界より」の第一楽章フィナーレで トロンボーン、トランペットとシンバルが全開で鳴り響く音に魅せられて以来、クラシック音楽にはまっております。

中学に入りブラスバンドでチューバ、トランペットを、大阪大学ではオーケストラでバイオリンを始めました。
当時の鬼インストラクターから受けた屈辱に私の技術とプライドは木っ端みじんにされましたが、クラシック音楽に対する愛着は日に日に増しており、バイオリンを無理な体勢で弾くため頸椎ヘルニアが後遺症として残っただけでなく、「音楽を聴く耳」がある程度養えたかなと思います。

当時はレコードしかなく1000枚くらい集め、FM音楽をカセットテープに録音して、また大阪、神戸、京都を駆け回り、コンサートに通いました。関西に来た海外演奏家(オペラ以外)はほとんど聴いたと思います。

就職してからは、自分の時間は全くとれず、通勤の車の中でカセットテープと出だしたCDを大音量で聴くしかなかったです。青年時代はバッハ、モーツアルト、中年になるとマーラー、ブルックナー、ショスタコーヴィッチと趣味も徐々に変化しました。

これまでCD 2000枚DVD 2000枚以上収集しました。学生の時にはお金がなく行けなかったオペラに最近はまり、ヴェルデイ、ワーグナーなどの重厚な音楽と歌詞、演劇を伴う総合芸術が、人生の円熟期を迎えた今一番好きなジャンルです。
コンサートも結構良い席で観れるようになりました。

少子高齢化における小児医療

   ハイリスク妊娠が増加している現状において周産期母子医療センターの担う使命

                         副院長 長谷川利路

 

働く女性の増加、核家族化、女性の無理なダイエット等、女性を取り巻く最近の社会構造の変化によって、高齢妊娠・高齢出産が増加傾向にあります。それに伴い、ハイリスク妊娠(早産等の合併症)も増えています。ご存知のように、日本の出生率(数)は、現在、減少傾向にありますが、前記の理由から、低出生体重児は逆に増加しているのです。結果として、外科手術を受ける患児は増加しています。核家族化と出産後も仕事を継続する女性が多いことから、少ない子どもを、健全かつ安全に育てていくという意識傾向の変化が見られます(グラフ、FMC11月号使用と同じもの)。

 

低出生体重児には臓器の未熟性による様々なリスク因子があります。胎児期からの循環動態が残っている動脈管開存症は心不全を来し、発達障害につながる水頭症、失明リスクがある網膜症は主要なリスクです。これらに加え、肺組織の未熟性による呼吸不全も低出生体重児には認められ、呼吸不全による低酸素血症に対する、酸素投与自体の医療行為も、網膜症を増悪する要因となります。

 

低出生体重児に多く、小児外科医が関わる病気として、壊死性腸炎があります。これは胎児・新生児仮死による低酸素血症や循環不全が大きく関わっており、上記の疾患も含め、ハイリスク妊娠・出産にはMFICU(母体胎児集中治療部)を有する、総合周産期母子医療センター等での適切な周産期管理が必要です。もし消化管の穿孔や壊死が疑われれば腸を切除する手術が必要となり、時に多くの腸が失われることになります。

 

また新生児外科疾患の多くは、胎児超音波検査などで出生前に診断可能です。これによりハイリスク症例は母体搬送され、分娩時期や方法、出生した新生児の蘇生、手術が必要かどうかや時期、方法などをあらかじめ計画できるメリットがあります。重症の新生児外科疾患としては、胎児期からの肺圧迫による呼吸障害を来す先天性横隔膜ヘルニアや嚢胞性肺疾患があります。重症が予測されれば胎児が発育した週数で予定分娩や帝王切開で娩出した後、数分以内に気管内挿管、呼吸循環管理を行った後、安定した時期に根治手術を行います。これは産科、新生児科、麻酔科、小児外科、等で手順を確認し協力体制を組むことが最も重要です。

 

先天的に腹壁が閉じないで腸が体外に飛び出ている腹壁破裂という病気があります。他の合併奇形が少なく、本来予後の良い疾患なのですが、時に胎児期に腸が飛び出た状態で、腹壁が閉じてしまい、腸が短くなることがあります。これは胎児期に頻回にモニターして、閉鎖傾向がみられれば分娩時期を早めると防ぐことが出来ます。この状況や上記の壊死性腸炎では短腸症候群となり、経口摂取が進まないため、長期に静脈からの栄養補給が必要となります。新生児、特に低出生体重児では、高カロリーなどで肝障害を来しやすく静脈栄養から離脱できない場合には小腸移植が適応となり、時に肝移植を同時に行うこともあります。

 

最後に、日本と諸外国における周産期医療の現状を比較してみたいと思います。周産期死亡の指標のうち、乳児死亡率を挙げてみると、新生児、乳児の健康指標であるとともに、地域社会の健康水準を示す重要な指標とされています。2007-8年における乳児死亡率は1000出生あたりアメリカ6.9、イギリス4.8、オランダ4.1、ドイツ3.9、フランス3.6、イタリア3.5と欧米諸国に比べ、日本は2.4と世界トップクラスを誇っており、スエーデン2.5、シンガポール2.6がこれに続きます。さらに上述した小腸移植の適応となる短腸症候群の原疾患は欧米では腹壁破裂が上位を占めますが、日本では腹壁破裂で小腸移植に至った症例は皆無です。また静脈栄養関連肝疾患の発症率も極めて低く、これらは日本における周産期医療の質の高さを示すものと言えます。

今後とも増え続けると予想されるハイリスク妊娠に対し、総合周産期母子医療センターなどに集約した診療体制が望まれると思われます。