カレイ、白いか、猛者エビ、ハマチ (2021.7)
7月 2021のアーカイブ
河童たち
酒か煙草か三密(さんみつ)か
鳥取県の平井知事や鳥取大学医学部のウイルス学教室、感染治療部の努力により、鳥取県の陽性者は低く抑えられていますが、全国的にはまだまだ多く発生し、政府や自治体は酒を提供する飲食店に休業要請しております。お酒に酔って声が大きくなって唾液などの飛沫感染が増えることが根拠とされていますが、一人で黙って飲む人、泣き上戸の人や酒を全く受け付けない人もおられますし、逆にコーヒー一杯で、延々としゃべる人の方がリスクは高いと思われ、個人の意識により三密や飛沫感染を避けることが出来ると思います。一般に口から飲んだアルコールは口腔や食道の粘膜からごく一部、胃粘膜で20%、小腸の入り口の空腸で大部分の80%が吸収され、ここから肝臓に入って代謝されます。その他、肺から吸収(奈良漬の匂いを嗅いで酔っ払うこともある)され、たぶんあまり経験ないと思いますが、直腸や膀胱からも吸収されます。肝臓に入ってからは脱水素酵素により分解されていきますが、この酵素の強さによって酒に強い、弱い、全く受け付けないなどが決まります。酒に酔う酩酊の段階には個人差がありますが、血中アルコール濃度によって爽快期、ほろ酔い期、酩酊前期くらいまでは、大脳皮質からの理性の抑制が取れ、判断力が鈍り、気が大きくなり、この辺りが要注意の時期と思われます。以前、東北地方の某大学の医師が、学会発表の時に「あがり症」であったため、落ち着くために登壇前にお酒を飲んだらしく、発表が進むにつれしどろもどろになり遂には「俺はこんな発表、ほんどはしたくなかったんだよ」と、管を巻かれたと聞いたことがあります。しかしながら、適当な量のお酒は身体によく、1日当たりの飲酒量2単位(ビール大瓶なら1本、日本酒なら1合)以下なら死亡率の相対危険度は最も低くなるというデータがあります。ただし、過量な飲酒はウイルスへの免疫力を下げる危険性があるため、注意しましょう。
これに対し、煙草の方がコロナ感染にはずっと弊害が強いことをご存じでしょうか。
コロナウイルスは呼吸器などの細胞表面にあるアンギオテンシン変換酵素2(ACE2)受容体という、もともとは血圧をコントロールする蛋白質に結合して、咽頭粘膜や肺などの細胞に侵入して増殖します。煙草に含まれるニコチンはこのACE2受容体を増加させる働きがあるため、習慣性喫煙者ではコロナウイルスにかかりやすくまた重症化しやすいのです。さらに煙草に含まれる有害物質が気管支の粘膜上皮を損傷し、COPD(慢性閉塞性肺疾患)を引き起こすことは広く知られておりますが、細菌やウイルスに対する抵抗が弱くなり肺炎などを起こしやすくしているのです。いくつかの論文では、喫煙者の重症化するリスクは非喫煙者の3-4倍とされています。実際には煙草税による収益が大きいため、なかなか煙草の弊害は言いにくいのでしょうが、このような危険性があることは知っておいていただきたいと思います。また、このACE2受容体は嗅覚ニューロンや舌にある味蕾細胞にも存在し、コロナウイルスにより嗅覚や味覚の障害が起こることが説明出来ます。
以上から、飲酒は個人の意識により必ずしも三密にはつながらないこと、喫煙所は狭くて換気が悪く三密も来たしやすいのですが、煙草は三密以前に身体のウイルスに対する抵抗力そのものが障害されるため、もっともリスクが高いと思われ、以下のようなリスク順位が考えられます。如何でしょうか。(2021.7)
コロナウイルスに対するリスク
高 煙草>>三密>>酒 低
鳥取大学医学部の歴史
鳥取大学医学部は終戦の昭和20年に最初「米子医専」として発足、その後昭和23年「米子医科大学」となり、翌24年に「国立鳥取大学医学部」が誕生したのです。こちらに来て不思議に思ったのは、タクシーに乗って「大学病院まで」というと「はい、医大ですね」と返され、理容店に予約をすると「医大の長谷川先生が来なさるよ」と言われます。上記の歴史をみると「米子医大」の名称が使われたのはわずか1年間でしたが、記念式典に同じく来賓された伊木隆司米子市長は幼少時より病院に行くときは「医大に行ってくるけん」と言っておられたくらいで、市民に愛されていた病院だったようです。学内開放として、3000人くらいの市民を病院に招いて無料検診や顕微鏡使用など提供していたらしく、市民に近く寄り添っていたようです。
鳥取大学病院は鳥取県と兵庫県北部、岡山県北部、島根県東部の約100万人対象の医療圏をカバーしており、卒業生は6000人を超えています。ロボット支援手術などの低侵襲外科やドクターヘリを擁して救急医療に力を入れています。最近、上田敬博教授が救急救命センターに来られ、ますます活気づいています。上田先生は2年前の京都アニメーション放火殺人事件で、90%以上の全身火傷を負った犯人に対し「助けないと犠牲者が浮かばれないと」必死で治療し、この結果犯人は助かり徐々に心を開くようになったと言われていました。(2021.7)