「鷹勇」シリーズ

「男の酒」として有名な「鷹勇」シリーズ。鳥取県琴浦町大谷酒造。

純米吟醸なかだれ
特別純米酒
純米にごり酒

他にも色んな種類がありますが、いずれもすっきりとした辛口です。 (2022.5)

演奏家医学

 クラシック音楽は演奏家によって再現され、我々はその演奏の時間と空間を共有するわけですが(私は一方的に聴いているだけです)、演奏家の抱える様々な身体的、精神的な苦労はあまり理解できていないのが現実と思われます。今回、そのような演奏家を取り巻く医学的な問題を取り上げてみたいと思います。まずピアノや弦楽器を扱う演奏家は手や肩などの運動器に関与する整形外科的、神経学的問題として、手の腱鞘炎、付着部炎、筋肉痛、関節痛、神経障害やフォーカル・ジストニア(意志に反して手が勝手に動いてしまう)が挙げられます。私は大学に入ってからバイオリンを始めたのですがしばらくすると頸椎ヘルニアを患い、神経ブロックや牽引療法などを長年必要とし、その後も長い手術後には首や腕が痛くて困りました。トランペットなどの金管楽器、クラリネット奏者では口唇の損傷や乾燥、歯科的問題が出てきます。声楽では声帯の炎症やポリープ、年令による声域の変化や発声障害が生じます。また全ての音楽家に共通するものにストレスに伴う突発性難聴、メニエール病、過大な音響による耳鼻科的問題や絶対音感のずれ、その他精神的な問題など合併症は数え切れません。ベートーベンが晩年に難聴になったのはおそらく耳硬化症といって鼓膜から伝わった音刺激を伝える内耳にある耳小骨のあぶみ骨と蝸牛管の卵円窓の付着部が骨化して動かなったことによるものですが、音楽との関係や明確な原因は分かりません。また同じ芸術家で画家のゴッホはゴーギャンとの共同生活が破綻し、その結果自分の耳を切り落とす「耳切事件」を起こしていますが、時代の先進をいく激しい芸術家に共通する問題かもしれません。バレエのダンサーはつま先で立って踊るので全体重による負担がピンポイント的に足の指にかかっており、疲労骨折や関節炎、靭帯損傷、アキレス腱の障害などが起こります。以前「ブラックスワン」という映画で主役のナタリー・ポートマン(映画「レオン」でデビューし「スターウオーズ」でアミダラ女王を演じた)がプレッシャーにより徐々に精神が崩壊するバレリーナを演じていましたが、その中でバレエシューズが血に滲んでいくという悲惨なシーンがありました。「1日練習を休めば自分に分かり、2日休めば教師に、3日休めば観衆に分かる」といわれるくらいシビアな世界に身を置いている演奏家は、このような体に不調をきたしても病院にいくと「医師に練習を休めと言われるだけ」と病院にかかりたくなくなり、ますます治療から遠ざかり不調を繰り返す、という悪循環が生まれてしまいます。(202.5)

頸椎に負担がかかるバイオリニスト(ウイキペディア)

つま先立ちで演技するバレリーナたち(「白鳥の湖」ウイキペディア)

 このような演奏家の立場に立った医療が10年以上前から欧米を中心に「演奏家医学Performing Artist Medicine」または「音楽家医学Musician’s Medicine」という学会が開かれており、国際的な医学雑誌「Medical Problems of Performing Artists」も刊行されています。本邦では2004年に「日本演奏家医学シンポジウム」という医療関係者と音楽関係者が一堂に会し演奏者の健康問題を議論する研究会が初めて開かれました。これは日本医事新報(No.4197号:29-31頁、2004年)で詳しく紹介されています(表1)。そして今年の4月から医療関係者と音楽関係者が組織的に議論する場が「日本演奏芸術医学研究会」として発足し、7月に研究会が開かれる予定で興味のある方は参加されたら如何でしょうか(ホームページ参照)。また実際の診療の場として東京女子医大で「音楽家専門外来」が開かれているようです。

ドライブ・マイカー

 今年の3月濱口竜介監督「ドライブ・マイカー」がアカデミー賞国際長編映画賞を受賞しました。私は映画をまだ観てないのですが以前原作の村上春樹著「女のいない男たち」短編集の1つで読んだことがあります。その本のまえがきで村上氏は「その作品を仕上げるにあたって、ささやかな個人的なきっかけがあり、『そうだ、こういうものを書こう』というイメージが自分の中に湧きあがり、殆ど即興的に淀みなく書き上げてしまった。何かが起こり、その一瞬の光がまるで照明弾のように普段は目に見えないまわりの風景を、細部までくっきりと浮かび上がらせる。そこにいる生物、そこにある無生物。そしてその鮮やかな焼き付けを素早くスケッチするべく机に向かい、そのまま一息で骨格になる文章を書き上げてしまう。自分の中に本能的な物語の鉱脈がまだ変わらず存在しており、何かがやってきてそれをうまく掘り起こしてくれたと実感できた、そういう根源的な照射の存在を信じられる、このような体験を持てるのは何より嬉しい」と、述べています(村上春樹「女のいない男たち」文春文庫13頁)。私なりに解釈すると、芸術作品などの創作活動には小説に限らず、本能的な欲求が自身の内部にマグマのように出来てくるのが必要であるということだと思います。(2022.5)