細胞の死

 今回細胞の死について考えたいと思います。細胞の死にはネクローシス(壊死)とアポトーシス(プログラム死)の2つがあります。まずネクローシスとは外的な要因によって細胞が受動的に崩壊するもので、虚血や低栄養、感染症、外傷、毒素など高度の障害により急激で制御不能な細胞死を指します。広範な部位に生じ最終的には周辺組織に炎症をひき起こします。これに対して、アポトーシスは遺伝子レベルで内在性にプログラムされた自滅命令にもとづくもので、散発的に生じ通常は短時間で終了。細胞内物質を分解する酵素が活性化します。語源は「木の葉が枯れ落ちる」から来ており炎症反応はなく制御された細胞死と言えます。おたまじゃくしの尾が取れて手足が生える、種々の器官の発生(図)、性周期によって子宮内膜が剥がれ落ちるなどもこれに当たります。個体が多数の細胞からなる1つの社会であるという見方をすれば、①細胞分裂とアポトーシスの協調によってバランスのとれた細胞数が維持される、②不要となった細胞を選択的に除去する、③細胞社会にとって好ましくない異常を来たした細胞を抹殺する役割を持っています。アポトーシス細胞などがマクロファージ(貪食細胞)に「私を見つけてください」「私を食べてください」信号(シグナル)を発して「自ら死亡して静かに埋葬される」ことを選択し、個体という細胞社会の秩序の維持に適応するのです。象は死期を感じると自ら死に場所を求めていくと言われますが、細胞死にもこのような機構がもともと備わっているのです。何と「健気(けなげ)な」細胞ではありませんか!(2022.9)

ニワトリ胚発生中の肢芽先端部。胎生初期には手足の先端部は「うちわ」のような形態をしているが(左)、後に指と指の間の部分がアポトーシスによって死滅することにより指が形成される(右)。

私のコロナウイルス水際対策:鼻うがい

 私はコロナウイルス感染がまん延してきた2020年当初より「鼻うがい」による「水際対策」を行って来ました。最初は毎日真面目にしていましたが、状況が緩和するとサボり気味になりました。しかし今年の7月頃から周りの知り合いが多く感染するようになると、最近では勤務中と帰宅後の2回きっちりするように心がけています。結果、今のところは明らかな感染には至っていないようです。我々が呼吸をするとき、激しい運動などで口呼吸に頼る以外、通常外界の空気を鼻から吸って鼻腔、咽頭、喉頭を経て肺に取り込みます。鼻呼吸により吸い込まれる空気にはウイルスや細菌、花粉や塵埃などの異物が多く含まれ、殆どが上咽頭から体内に取り込まれます(図)。上咽頭とはPCR検査の時に鼻の奥に突っ込まれて検体採取される、あの痛い嫌な部分のことです。喀痰などの飛沫、接触感染よりも空気(エアロゾル)感染が主な経路であることが分かってきたコロナウイルスは鼻腔から吸い込まれこの上咽頭での接触が感染のきっかけになります。ただ、たとえ陽性になった時でも上咽頭にウイルスが付着しているだけで、1-14日の間に身体に侵入して初めて発熱や喉の痛みなどの症状が出てきます。これらのことから、咳やくしゃみ、会話や呼吸などで放出される飛沫ではなく、空気に漂う細かい粒子は、容易に鼻腔から上咽頭に至るためこの部分を頻回に洗浄することが重要であると言うことができます。通常の喉のうがいだけでは不十分ということです。但し、実際に鼻に水を入れると、プールで水を吸い込んだ時やワサビや辛子を食したときのように鼻に「ツーン」とくることが想像され皆さん嫌がられるのですが、これは浸透圧の差から来るもので、生理食塩水のような濃い液では殆ど痛みや副作用はありません。私は「ハ〇ノ〇」というのを使っています。(2022.9)

鼻腔の解剖図
鼻うがい専用容器(小林製薬HP) 

三島由紀夫作「葵上」近代演劇 鳥の劇場

 2022年の夏、記録的に暑い日が続きました。ここ米子市は8月1日、これまでに最も暑い38.9℃となり、日本でも2番目の高温となったようです。山陰地方では南からの温かい風が中国山地を越えて吹き降ろす「フェーン現象」を起こし、日本海側の山形や豊岡と同様めちゃくちゃ温度が上がります。

 暑い夏には少しでも涼しい夜を迎えようと昔から「怪談」が好まれますが、先日源氏物語を題材にした三島由紀夫作近代能楽集「葵上」の近代演劇を鳥取県浜村にある「鳥の劇場」という演劇場で観てきました。

鳥の劇場・オーケストラアンサンブル石川共演「葵上」

 「鳥の劇場」芸術監督の中島諒人氏の演出による、オーケストラアンサンブル・金沢のメンバーとの共演で、声楽部の無いミニオペラのような形式です。

 まずハイドンの弦楽、ピアソラタンゴのミニコンサートがあり弦楽器の艶やかな音を楽しみました。話の内容は源氏物語で皆さんよくご存じと思います。葵上は光源氏の最初の正妻(当時は一夫多妻制)でありますが、深窓の姫で身体も弱く懐妊後も酷い悪阻(つわり)や「物の怪」に悩まされて病に臥せがちでした。さらに追い打ちをかけるように光源氏の愛人であった六条御息所(みやすんどころ)が「家来の車争い」や「愛の確執」などから「生霊」となって姿を現し、「物の怪」として葵上を憎み呪い殺すという恐ろしい物語です。難産の末夕霧を生むのですが、結局すぐに死んでしまいます。紫式部はこんなストーリーをよくも思いついたものですね。

 それを三島由紀夫は現代風にアレンジし、舞台を精神分析療法や睡眠療法を行う病院に設定し、六条康子(やすこ)、若林光(ひかる)、葵(あおい)、看護婦の4人が登場します。康子は昔を語りつつ光に復縁を迫りますが光が拒絶。康子は姿を消します。光が康子の家に電話をすると康子は「家で寝ていたわ」と言い、先ほど現れたのが康子の「生霊」であったと知った光は驚愕、呆然とします。

その後葵はベッドから転げ落ち息を引き取るという内容です。

 今回の「鳥の劇場」では千住明氏の作曲と「赤いスイートピー」「北の宿から」などのアレンジも入り素晴らしい演劇でした。「音楽療法」も取り入れ、結構ユーモアもあり「怪談」には程遠いような気もしましたが・・・。(2022.9)

左:「鳥の劇場」のある鳥取県浜村。1800年頃から浜村沖に帆立貝が多く発生し、その捕獲に当たった漁夫達が歌った「貝殻節」という民謡がこの辺りにあります。右は「貝殻節もなか」。

2022年9月1日 | カテゴリー : 歌舞伎・能 | 投稿者 : thth0922