クラシック小噺

 ニューヨークのマンハッタン7番街近くの路上で、ピアニストのアルトウール・ルビンシュタインが道行く人に「カーネギーホールにはどうやって行けば良いのですか」と尋ねられた時こう答えたという。「練習して、練習して、さらに練習してください」。カーネギーホールは言わずと知れたクラシックだけでなくあらゆる演奏家が目指す殿堂ですが、5年くらい前にニューヨークに行った時おのぼりさんの私は「地球の歩き方」に従っていとも簡単に到着できました。(2022.7)

山陰の旅(鳥取県西部~島根県)

トワイライトエクスプレス「瑞風(みずかぜ)」新大阪駅から車中泊を含め山陰、山陽を巡る観光列車。予約がなかなか取れない。
特急「やくも」岡山から伯備線を通り出雲までを結ぶ。
山陰本線の電車に描かれた「名探偵コナン(鳥取県北栄町出身青山剛昌作)」
「天空の城」月山富田城跡。島根県安来市。戦国時代山陰の覇者であった尼子一族の本拠地で最も難攻不落の要塞城と言われた。
「倉吉線鉄道記念館」。旧国鉄倉吉線は1912~1985年まで倉吉と関金温泉の奥まで約20キロを運行していた。
JR米子駅前の「米ッ子合掌像」。合掌は「だんだん」と言い米子辺りの方言で「ありがとう」を意味する。手を合わせて米子への訪問客をおもてなしするモニュメントである。(2022.7)

米子駅前のモニュメント、時計台。さながら「銀河鉄道999」のようです。

皆生温泉
大山ゴルフ場
出雲そば
弓ヶ浜海岸:米子市から北へ境港市方面に長く伸びる半島。ここから大山が望め、サイクリングコースがあり、天気のいい日などには気持ちよく走れます。

初冠雪の大仙

グルック作曲バロックオペラ「オルフェウスとエウリディーチェ」

 2022年6月東京において新国立劇場オペラハウスでグルック作曲バロックオペラ「オルフェウスとエウリディーチェ」を観てきました。2021年11月の時と比べて、新宿初台の辺りにはすっかり日常が戻っていました。相変わらずクロークは閉まっており、マスク着用とブラボー禁止命令は出ており登場人物の1部はマスクをしたまま踊っており興ざめでしたが、ホワイエでのシャンパンサービスは復活し、かなりリラックスした感じは戻っていました。

シャンペンサービスが復活した東京オペラパレス

 このバロックオペラの代表的な作曲家としてイタリアのモンテベルディ、フランスのラモー、ドイツのヘンデルや今回のグルックらが挙げられます。男性の高音域のカストラート(現在ではカウンターテナーや女性のコントラルトやメゾソプラノが歌う)の特徴的な歌い方、ハープや弦楽器による単旋律のような独特の響きで非常に美しい音楽です。指揮はバロック音楽の大家、バッハコレギウムジャパンの鈴木優人氏でした。オペラの内容は言うまでもなく非現実的なもので、ギリシャ神話に登場する吟遊詩人(詩曲を作り竪琴などを持って各地を訪れて歌う)オルフェオが主人公。その妻エウリディーチェが新婚早々に毒蛇に咬まれて死亡し黄泉の国にいるのですが、オルフェオが連れ戻しに行くという奇妙な物語です。オルフェオは黄泉の国、つまり死後の世界にどうやって行ったのが分かりませんが、コーキュートスの川(いわゆる三途の川でしょうか)の向こうに渡って、死霊たちに交渉したところエウリディーチェとの面会が許されます。そして、神々の許可を得て地上に連れ戻すことになり手を取って地上を目指すのですが、その時に振り返ったりしてエウリディーチェの顔を絶対に観てはいけないと約束をさせられます。これは「見るなのタブー」を扱った古今東西に共通したテーマで、日本では民話「鶴の恩返し」を題材にした木下順二による戯曲「夕鶴」が有名です。ところが、この約束のことを知らないエウリディーチェは夫オルフェオのよそよそしい態度に徐々に不信感を抱くようになり「私を愛していないのね!死んだ方がましよ!(既に死んでいるのですが)」と「昼ドラ」で良く聴くセリフを繰り返すと、「昼ドラ」の主人公オルフェオは遂に振り返ってしまうのです。ギリシャ神話の原著ではここでエウリディーチェは死んでしまうのですが、グルックはオルフェオの誠実さが証明されたとして生き返らせ、ハッピーエンドにしています。流石、うまいですね!まあ、話の内容はこんな感じですがオペラ中のアリアや幾つかの音楽は澄み切ったメロディー等感動的ですので「精霊の踊り」なども併せて一度聴いてみてください。YouTubeなどで簡単に視聴できます。この物語は後にフランスのオッフェンバックにより「地獄のオルフェ(別名、天国と地獄)」というオペレッタにパロデイ―化されています。(2022.6)

黄泉の国からエウリディーチェを連れ戻すオルフェオ(ウイキペディア)

オッフェンバック作曲オペレッタ「地獄のオルフェ」(ウイキペディア)

鳥取牛骨ラーメン

:鳥取県中部の琴浦町産の牛骨ラーメン。げんこつ(大腿骨)やあばら(肋骨)から取った出汁を使用。米子市産の白ネギを中細ちじれ麵にトッピング。牛の味が甘く沁みわたり絶妙の味です。血中LDLコレステロール値を気にしながらも最近ドはまりしています。米子市朝日町専門店「たかうな」。(2022.6)

「ホキ美術館」

千葉県にある超写実主義絵画を集めた「ホキ美術館」に5月の連休中に行ってきました。写真以上にRealityが感じられます。

「鷹勇」シリーズ

「男の酒」として有名な「鷹勇」シリーズ。鳥取県琴浦町大谷酒造。

純米吟醸なかだれ
特別純米酒
純米にごり酒

他にも色んな種類がありますが、いずれもすっきりとした辛口です。 (2022.5)

演奏家医学

 クラシック音楽は演奏家によって再現され、我々はその演奏の時間と空間を共有するわけですが(私は一方的に聴いているだけです)、演奏家の抱える様々な身体的、精神的な苦労はあまり理解できていないのが現実と思われます。今回、そのような演奏家を取り巻く医学的な問題を取り上げてみたいと思います。まずピアノや弦楽器を扱う演奏家は手や肩などの運動器に関与する整形外科的、神経学的問題として、手の腱鞘炎、付着部炎、筋肉痛、関節痛、神経障害やフォーカル・ジストニア(意志に反して手が勝手に動いてしまう)が挙げられます。私は大学に入ってからバイオリンを始めたのですがしばらくすると頸椎ヘルニアを患い、神経ブロックや牽引療法などを長年必要とし、その後も長い手術後には首や腕が痛くて困りました。トランペットなどの金管楽器、クラリネット奏者では口唇の損傷や乾燥、歯科的問題が出てきます。声楽では声帯の炎症やポリープ、年令による声域の変化や発声障害が生じます。また全ての音楽家に共通するものにストレスに伴う突発性難聴、メニエール病、過大な音響による耳鼻科的問題や絶対音感のずれ、その他精神的な問題など合併症は数え切れません。ベートーベンが晩年に難聴になったのはおそらく耳硬化症といって鼓膜から伝わった音刺激を伝える内耳にある耳小骨のあぶみ骨と蝸牛管の卵円窓の付着部が骨化して動かなったことによるものですが、音楽との関係や明確な原因は分かりません。また同じ芸術家で画家のゴッホはゴーギャンとの共同生活が破綻し、その結果自分の耳を切り落とす「耳切事件」を起こしていますが、時代の先進をいく激しい芸術家に共通する問題かもしれません。バレエのダンサーはつま先で立って踊るので全体重による負担がピンポイント的に足の指にかかっており、疲労骨折や関節炎、靭帯損傷、アキレス腱の障害などが起こります。以前「ブラックスワン」という映画で主役のナタリー・ポートマン(映画「レオン」でデビューし「スターウオーズ」でアミダラ女王を演じた)がプレッシャーにより徐々に精神が崩壊するバレリーナを演じていましたが、その中でバレエシューズが血に滲んでいくという悲惨なシーンがありました。「1日練習を休めば自分に分かり、2日休めば教師に、3日休めば観衆に分かる」といわれるくらいシビアな世界に身を置いている演奏家は、このような体に不調をきたしても病院にいくと「医師に練習を休めと言われるだけ」と病院にかかりたくなくなり、ますます治療から遠ざかり不調を繰り返す、という悪循環が生まれてしまいます。(202.5)

頸椎に負担がかかるバイオリニスト(ウイキペディア)

つま先立ちで演技するバレリーナたち(「白鳥の湖」ウイキペディア)

 このような演奏家の立場に立った医療が10年以上前から欧米を中心に「演奏家医学Performing Artist Medicine」または「音楽家医学Musician’s Medicine」という学会が開かれており、国際的な医学雑誌「Medical Problems of Performing Artists」も刊行されています。本邦では2004年に「日本演奏家医学シンポジウム」という医療関係者と音楽関係者が一堂に会し演奏者の健康問題を議論する研究会が初めて開かれました。これは日本医事新報(No.4197号:29-31頁、2004年)で詳しく紹介されています(表1)。そして今年の4月から医療関係者と音楽関係者が組織的に議論する場が「日本演奏芸術医学研究会」として発足し、7月に研究会が開かれる予定で興味のある方は参加されたら如何でしょうか(ホームページ参照)。また実際の診療の場として東京女子医大で「音楽家専門外来」が開かれているようです。

ドライブ・マイカー

 今年の3月濱口竜介監督「ドライブ・マイカー」がアカデミー賞国際長編映画賞を受賞しました。私は映画をまだ観てないのですが以前原作の村上春樹著「女のいない男たち」短編集の1つで読んだことがあります。その本のまえがきで村上氏は「その作品を仕上げるにあたって、ささやかな個人的なきっかけがあり、『そうだ、こういうものを書こう』というイメージが自分の中に湧きあがり、殆ど即興的に淀みなく書き上げてしまった。何かが起こり、その一瞬の光がまるで照明弾のように普段は目に見えないまわりの風景を、細部までくっきりと浮かび上がらせる。そこにいる生物、そこにある無生物。そしてその鮮やかな焼き付けを素早くスケッチするべく机に向かい、そのまま一息で骨格になる文章を書き上げてしまう。自分の中に本能的な物語の鉱脈がまだ変わらず存在しており、何かがやってきてそれをうまく掘り起こしてくれたと実感できた、そういう根源的な照射の存在を信じられる、このような体験を持てるのは何より嬉しい」と、述べています(村上春樹「女のいない男たち」文春文庫13頁)。私なりに解釈すると、芸術作品などの創作活動には小説に限らず、本能的な欲求が自身の内部にマグマのように出来てくるのが必要であるということだと思います。(2022.5)

佐渡裕芸術監督「ドンジョバンニ」

 2022年3月に兵庫県立芸術文化センターで行われたオペラ「ドンジョバンニ」(佐渡裕芸中監督、関西二期会主催)。素晴らしい演出でした。5月には3年ぶりとなる「福山国際音楽祭」には是非行きたいと思います。一橋大学管弦楽団の元コンサートマスターの枝廣市長に期待しております(2022.4)

医学小説家「久坂部羊」

 私の知り合いで医学小説を書いている久坂部羊という文筆家を紹介します。私の大学の同級生で同じヒツジ年生まれなので、ペンネームを「羊」にしたようですが、1度福山医療センターに講演に来てもらったことがあります。

 「廃用身」で作家デビュー。代表作品には「破裂」「無痛」などがあり、2014年頃からメキメキと頭角を現わし「悪医」で日本医療小説大賞を受賞。2015年には上記の「破裂」がNHK総合土曜ドラマ枠(椎名桔平、仲代達矢出演)、「無痛-診える眼」がフジテレビ水曜10時枠(西島秀俊、石橋杏奈出演)で放映されました(図)。彼には絵や文章を書く才能があり大学生の時から同級生数人と「フレッシュ・メデイシン」や「Shock(個人作)」を制作し、当時ガリ版で刷った小冊子をみんなに配っていました。ある時医学部図書館で「Shock」という循環器系の雑誌を見つけて、「同じ題名や」と吃驚したらしいですが、この時既に教養部から医学部に上がっていた彼はShockという言葉が急性循環不全などでおこる臓器障害を意味することを知らなかったようです。学生時代の冊子の中でよく覚えているのは「スリラーの現実」という企画に載っていた、透明人間になる薬を発明した博士が自分で服用して確かに体が消えたが、薬の効き目が無くなった時のことを考えてパンツだけをはいて町に出た話。包帯を巻いたミイラ男の包帯が動くたびにほどけて困った。半魚人が陸に上がると呼吸困難になる話。「その後のおとぎ話」シリーズでは、一寸法師が鬼の身体の中に入って剣で刺してやっつけるが、打ち出の小槌で大きくなるとたちまち鬼にやられた話。寝ているウサギを起こさずに先にゴールしたカメはスポーツマンシップに欠けると皆からバッシング(今ならSNSで炎上)。夏中働いていたアリは冬になっても働くことを辞められずに(今なら働き方改革をせずに)1年中遊ぶ暇がない。など。当時は「絵や文章が滅茶苦茶上手い奴やなあ」と感心はしていましたが、ユーモアと皮肉に溢れ、既存の概念や体制に反発するヒューマニズムに裏打ちされた、彼の一貫した哲学がこの頃から萌芽していたのだと思います。私以上に勉強をせずShockの意味を知らなかった彼が各賞を受け今やウイキペディアで検索できるような時代の寵児になるとはこの頃は夢にも思いませんでした。

 その久坂部氏は2016年に「老乱」という認知症を扱った小説を出版しています。以前は「痴呆症」と言われていましたが、近年では「認知症」と命名が変わり、比較的初期の1982年有吉佐和子さんが発表された「恍惚の人」が先駆け的な作品でしょう。これは徘徊老人「茂造」に翻弄される家族、特に同居している息子の嫁「昭子」の視点から描かれたものです。一方「老乱」では認知症になって最終的には介護施設に入る「幸造」の話で、構成やその内容が優れているのは負担をかけられた家族の思いと並行して徐々に病気が進行する「幸造」の心の「機微」を表現しているところです。家族が良かれと思ってやってくれる世話に対していちいち反応して起きる怒りや葛藤、諦めなど、時には意図していても正常には対処できないことへの曖昧模糊とした心の内を認知症患者になったつもりで描かれています。「茂造」は徐々に物忘れや異常行動などが出現する「アルツハイマー型認知症」ですが、「幸造」は調子の良い時と悪い時が交互に繰り返して出現して進行する「レビー小体型認知症」です。それぞれ「アミロイドβ」「レビー小体」という異常蛋白質が脳内から排出されずに蓄積され、神経細胞が死滅して正常の活動ができなくなるものです。「アミロイドβ」は高血圧、肥満、糖尿病などの生活習慣病、過度の飲酒、喫煙、運動不足などにより増加しますが、「レビー小体」は加齢による変化とされています。いずれにしても高齢化が進むと広がるもので、総務省の統計によると65才以上の高齢者は「恍惚の人」が発表された1982年では1100万人であったものが、2020年には3600万人と3倍以上に増えています(図)。有吉佐和子さんは「認知症の予防は長生きしないことです」といみじくも述べておられます。65才以上の認知症人口は2020年時点で600万人と推計され、久坂部氏は身内の介護経験が執筆の基礎となったと言っていました。私は以前身内が介護施設に入るときに見学に行った時に、立派なマンションのある階に「徘徊の廊下」といって、外の景色を見ながらぐるぐると回っていると元の場所に戻ってくるという仕掛けがあり、思う存分いつまでも徘徊出来る設備があり対応は完璧であるという、笑えない説明を聞いたことがあります。我々の世代では親の介護が、近い将来には自身の問題が現実化することになります。(2022.4)

日本の高齢者人口の推移(総務省統計トピックスNo.126より)

ババア

「ババア」とか「ババちゃん」と呼ばれる鳥取県名産の深海魚「タナカゲンゲ」。名前はイマイチですが上品で淡白、コラーゲンが多いと評判です。鍋料理や天ぷらに最高で、寒い時期「生きのいいババア」が市場を席巻します。(2022.3)

おにえび

頭部や腹部に鬼の角のようなトゲがあり境港で捕獲されます。甘エビの3-5倍くらいの大きさで、甘く濃厚な味です (2022.3)

留学中の病気

    NIH(米国国立衛生研究所)に留学中の福山医療センター消化器外科加藤卓也先生が、米国の医療事情で困った経験を述べられていたので、私も辛かった経験をお話します。私が留学していたピッツバーグは加藤先生がおられる東海岸のメリーランド州ベセスダからシカゴ方向の内陸部に少し入ったところにあります。先生の手記を読むと私が留学していた30年前と事情はそれほど変わっていないことに今さらながら驚きます。1例を挙げますと、私の長男が当時1才ちょっとでやっと歩き始めた頃に、手足口病にかかってしまったのです。この年代に多く、コクサッキーウイルスなどによる水疱の多発する感染症です。喉や口腔内の炎症がひどくかなり痛く、ミルクは勿論、ご飯(といってもパン食)が食べれないのです。私が勤めていたピッツバーグ小児病院に最初連れて行って知り合いの感染症小児科の医師に診てもらったのですが、キシロカインゼリーのような局所麻酔剤を投与するだけでした。なかなか飲み食いできるようにならず、1-2日後には脱水のため眼球が陥凹し、皮膚もかさかさし始めたのです。それで私が当直している夜に病棟に来させ、看護師さん達に抑えつけてもらってNGチューブ(鼻から胃の中まで通す栄養カテーテル)を入れて、リンゴジュースやミルクなどを注入しやっと改善しました。この時は正規のルートを通さず、勝手に病棟の処置室でチューブや注射器などを使い、看護師さん達に相談すると「Toshi。Never Mind。We saved your kid。(トシさん。気にせんでええよ。赤ちゃんが助かったから、それでええやん)」と言ってくれ、医療費を払わずにヤミ診療をしたというものです。というか、看護師さん達の精算など手続きが邪魔くさかっただけのようでしたが(笑笑)。 加藤先生は同じアパートに耳鼻科の日本人医師が耳鏡を持っておられ助かったと書いておられますが、私は向こうのライセンス番号を持っていたので、病院のPriscription(処方箋)に薬の名前(例えばTylenol:解熱鎮痛薬アセトアミノフェン)とサインをして家で発行していました。ピッツバーグに住んでいる日本人の駐在員さん(SONYやSharpなど)や子供たちが日本人学校で知り合ったご家族の方がひっきりなしに、夜や休日には私のところに来ておられました。病院であればひょっとしたら処方作成料がもらえたかもしれませんが、代りに鹿児島の芋焼酎や青森の地酒、手作りのお寿司を頂き今となってはその方が数段良かったと思います。ある時名前は言えませんが有名な彫刻家が夜中に急にお腹が痛くなってのたうち回っていると電話があり、駆け付けてみると腹部全体が板状に硬く反跳痛があり(腹膜刺激症状)、急いで大学病院のERで知り合いのレジデントにレントゲンを撮ってもらうと、フリーエアーがあり十二指腸潰瘍の穿孔で緊急手術をしてもらったこともあります。個展の前でストレスが高じておられたようですが、ご自慢の彫刻作品を頂き今も大阪の家に置いております。(2022.3)

玉鋼(たまはがね)

当鳥大消化器小児外科の大学院生から頂いた純米大吟醸酒。玉鋼(たまはがね)。日本刀の原料を名に冠している。ほどよい辛さの中に味の厚みがある。奥出雲簸上(ひかみ)酒造。(

2022.2)

2022年の大学入試共通テスト

 2022年1月に全国で大学入試共通テストが行われ、鳥取大学でも雪の中試験監督に教官が何人か借りだされていました。東京大学の試験会場では名古屋の私立T高校2年生が、他の人を切りつけるという事件が起こりましたが、犯人は医学部を目指しているとのことです。翌日試験速報が新聞掲載されており、実際に出題された生物基礎の試験問題を見て吃驚しました。図のように光学式血中酸素飽和度計(コロナ肺炎で最近有名になったパルスオキシメーター)や酸素解離曲線を扱った問題が出ていたのです。その他、植物からのDNAやRNA量の測定、地球温暖化、細菌感染の防御や皮膚移植の拒絶反応など多岐にわたり、実際の実験方法を問う問題も出ていました。医学部の学生でも解けないと思われるものもみられます。多くの医学部入試の理科では、物理、化学、生物の中から2科目を選択しますが、生物は高得点を狙えないので、かなりの受験生は選択しません。私も実は物理や化学を選んだのですが、理由として解答をシンプルに割り出すことが出来るため勉強し易かった印象があります。物理学や数学ではまず基本的な理論と法則があり、それにのっとって色んな事象を解決するというものですが、生物学は「生命現象」を研究する分野で、まず詳細な観察に基づいて基礎となる事象を明らかにすることが求められます。実際私たちは医学部では「発生学」「解剖学」「病理学」などの基礎医学分野で人体の発生現象や細胞の形態などを勉強し、臨床医学では病気の診断法や治療など膨大な情報を吸収して「医学体系」を構築することになっています。ところが、受験勉強でゼロかイチかをきっちり判別する方法に慣れていた私たちは最初曖昧とも思われる「生物学」には大きな違和感を覚えたものです。確か大学医学部1年生の時に「生物学序説」という授業があり、最初の試験で「体内環境のホメオスタシス(恒常性)」や「生態系」等に関する問いでしたが、私も含めて同級生の成績は惨憺たるものでした。進化論の権威、分子古生物学者更科功氏は、東京大学教養学部に在籍中同級生が「数学や物理は良いけど、生物学ってアホみたいだな」と言っていたことを著書で書いておられます。我々の頃は高校授業で理科には物理、化学、生物、地学全てが必修でしたが現在では必須ではない高校もあります。私の大学の同級生で現在大阪大学医学部病理学教授をしている仲野徹先生は著書の中で「一部の超エリート進学校では生物の授業を受けない生徒もいるとのことで、生物学は医学の基本でありますがこのような状況で医学部を目指して来る学生が多いのはこれで良いのでしょうか。このような学生が医学部に入って興味が持てるのでしょうか。」と嘆いています。

2022年度大学入試共通テスト生物基礎から

 また、先の事件に関して思うことですが、実際の医療現場では多職種の人とのチーム医療が大きなウエイトを占め、医師の資質形成に関して人とのコミュニケーション能力を学生生活で養うことが重要となります。大学医学部に入る前の高校生活や入学してからの「人との付き合い」が大事であったと今さらながらに感じています。大学受験時代に私が神戸の予備校に通っていたころは、予備校で知り合ったN高校やK学院高校の気の合う5人の友人達と模擬試験の後食事に行って、将来の夢や現在の悩みなど語ったもので、うち3人は医師になっておりいまだに交流があります。大学に入ってもクラブや実習仲間との交流が良かったと思います。ところが今や高校生活はコロナ対策で人間関係が分断され、授業はWEBを通して行われ直接の友達との触れ合いは出来ない状況です。もっと初期に人格形成を行うべき小学校や幼稚園では「おしゃべりはダメ」など、あまりにも非生物のウイルスを攻略することのみを重視し、現在は人との交流を摘み取るような対策が公然と受け入れられています。このような人的な交流の無い社会で個々人は試験の成績、偏差値のみを重視し、偏差値が将来の全てを支配すると考えるようになり、絶望につながる衝動と自分を抑えきれなかった上記の高校2年生も、ある意味コロナ禍の犠牲者といえます。(2022.2)

医学生物学研究の手法

 医学研究の手法について簡単に触れます。薬の効果や治療の結果が有意であるかどうか、信頼するに足りるかどうかの「テスト」方法です。図は「究極の食事」の著者カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)内科学助教授の津川友介先生によるエビデンス(科学的根拠)のレベルを示すものです。最も信頼度が高いのはメタアナリシスという文献のシステマティックレビューにて解析したものです。この手法は最近の薬剤師国家試験にも出題されており、「ある患者さんに薬剤を投与するのに、どれが最も有効かを論文検索によって調査する」のに応用することへの出題です(図)。この解析法の元となるデータは、研究方法の正確さや妥当性など、何人かの専門家によって査読された医学系雑誌に掲載された論文を多数集積して取りまとめ、特殊な統計的手法を使った研究内容になります。これに対し最も信頼性の薄いのが個人の体験談や専門家であっても患者さんのデータの統計学的解析に基づかない意見で客観的な研究ではないものです。一般に臨床試験ではまず仮説を立て、データを集積して統計学的に有意差を検定します。例えば「県境を越えた人の移動はコロナ感染のリスクとなる」という仮説を証明するためにはある一定期間内に十分な人数を集め①県境を越えて移動した群と②越えていない群に分けて、感染発症や検査陽性率の差を検定して行われます。2群をくじ引きなどによりあらかじめランダムに割り当てるのが「ランダム化試験」で、ある治療をしているグループを沢山集め、その結果を論じるだけの「観察研究」では他の因子が一定にそろっていないため患者さんのデータに偏りが生じ本当の効果が分かりにくいのです。特定の国や集団による偏りを削除するために複数個の研究結果をまとめたメタアナリシスが最も信頼度が高くなります。また比較試験では比較する元のデータ(対照群)が直近のものやかなり以前のものでは、例えば「水曜日としては過去最高である」とか、ピーク時を超えた時点と比べ「感染者数が10倍以上になっている」など正確な変動が分かりにくいものがあります。さらに得られたデータを故意に操作する「恣意性」なども気を付けなくてはいけなく、街頭インタビューなどで極端な例だけをピックアップしたり順番を変えたりなど、やろうと思えば簡単に操作できるところに落とし穴があります。 最後に、「新型コロナウイルス感染力の強さと毒性」について、ウイルスは自分の遺伝子を残す(細胞や核を持つ生物である細菌と異なりウイルスはDNAかRNAのみを持つ原始的な非生物)ことが最大の使命であります。そのために毒性を下げて感染力を高めて世界中に広がることを目論んでいるというのが本当のところかなという気がしますが、感染力が高いからと言って毒性が弱いとも言えないようです。絵の具の一滴を水に落とすと、勢いよく分散していきますが、最後は薄くなって分からなくなるように、コロナの脅威も消えていくことを祈りたいです。(2022.2)

津川友介氏による「エビデンスの階層」

第99回薬剤師国家試験問題:メタアナリシスの結果を示すフォレストプロットに関する出題

瀬戸内寂聴さん逝く

 2021年11月女性小説家で天台宗の尼僧であった瀬戸内寂聴が亡くなられました。

 亡くなる直前まで文章を書き続けられたということですが、このような時世であるからこそ、自分のアイデンティティーを貫かれた寂聴さんの生き方は立派であやかりたいものです。個人的には日本の伝統芸術の「能」を大成させた「世阿弥」の波乱の生涯を描いた「秘花」(秘すれば花)が面白かったですが、最も大きな仕事は紫式部の「源氏物語」の口語訳でしょう。「源氏物語」については私もかなりハマっております。

 世界で最も長い小説の1つで、最初は「はいからさんが通る」で有名な漫画家大和和紀の「あさきゆめみし」で全体像を把握し、次に読みやすい田辺聖子訳「新源氏物語上中下、霧深き宇治の恋」に移りました。田辺さんは福山市出身のお父さんをもつ、面白い「大阪のおばちゃん」ですが、原文を簡略化し構成も変えているので物足りなさを感じ、円地文子訳(桐壺から明石まで)、谷崎潤一郎訳(澪標のみ)に挑戦しましたが途中で読む気が無くなり、与謝野晶子訳に至っては最初の1頁で断念しました。

 ところが、瀬戸内寂聴訳は現代風で、歯切れも良く明快な文章で桐壺から夢の浮橋まで全巻2回通読しました。これを機に最終的には原語(古文)で「関弘子」の朗読を聞きながら遂に最後まで読み切りました。

 仕事の合間に少しずつ読むので、原文を読破するのに1年以上はかかったと記憶しています。また寂聴さんは「源氏」を題材にした小説や随筆、講演なども多く、他の古典作品にも造詣が深く時間が出来たらもう一度「寂聴ワールド」にどっぷりと漬かってみたいです。(2022.1)