記憶

 私は書店に寄るのが好きである。別に何うゆう本が読みたいとか、何という本が欲しい訳ではない。並んでいる本の表題を見ていると、何となく世界の動き、日本の動きが感じられ、或は諸学の尖端的な動向が感じられるように思うのである。ときどきふいっと手が出るときがある。そしてそれは思いがけない題名の場合が多い。勿論思いがけないと言っても関心がなかったということではない。関心事に対してこういう面からの捉え方もあったのかと思われる本である。こういう本に出会ったとき、私の目は本の方から開かされるのだとおもう。目が開かされたということは、本の内容に我々の明光があり、我々の奥底があるということである。私は記憶をそのようなものを基礎に置いて考えて見た。

 記憶というのは身体に刻みつけられた過去の持続である。記憶をもつということはそれを言葉に於てもつということである。言葉に於てもつとは如何なることであろうか、言葉を作った人はないと言われる。言葉は人ともの、人と人との関り合いの中より生れ来ったのである。世界がより明らかな自己を形作るべく見出した手段である。言葉を作った人はないとは、言葉は個々の人間より生れるべきものではなかったということである。人と物、人と人とが相対立し、相否定するものの統一として世界が世界自身を作るところより生れたものである。記憶が言葉によってあるとは、記憶は人と物、人と人との否定と肯定、対立と同一より生れたということである。思い出は自己と物、自己と他者に関るのである。孤独の思い出であっても、孤独ということが自己と他者の関りとしてあるべきものが他者が欠除しているということである。我々の記憶は世界が自己自身を見、自己自身を維持してゆくものとして歴史の内容としてあるのである。

 言葉によって記憶があるものとして、我々の記憶は単に身体の履歴にかかるもののみではない。昔語部が言葉によって過去の事歴を語り継いだと言われる如く、言葉ははるかな過去の歴史を記憶するのである。作った人が無いところより生れたものとして、全ての人がそれによって自己を見てゆくものとして、個々の人を超えて、個々の人々が関り合うものを言葉は記憶としてもつのである。そこに歴史が成立するということが出来る。われわれが他者に関り、物に関ることによってもつ記憶も断る全人類の記憶の内容として、これを分有することによってあるのであるとおもう。

 記憶を我々は脳朧にもつ、脳朧は感覚をとうして受入れる。語部は口と耳を必要とし、物は目を必要とする。身体をとうすことなくして記憶はあり得ない。記憶は体験の記録である。斯る体験の内容が個々の人間を超えるとは、個々としての人間は自己を超えたところに自己をもつということである。我ともの我と汝が働き合うところに我があるということである。斯る我と他者の交叉が身体の生死を超えて無限の過去に関り、無限の時間に自己を映すところに言葉によって体験を記録するということがあるのである。

 人は物を作ることによって人になったと言われる。物を作るということも経験の蓄積によってあるのである。言葉の中に生死の転換が蓄積されることによってあるのである。無限の過去が現在にはたらくところに製作はあるのである。

 私達は書店に行くとその膨大な本に驚く。汗牛充棟という言葉があったが、現在では一軒の書店に何百頭の汗牛を要するか判らない位である。図書は全て形作られたものとして過去に属する、過去として、記録として記憶の内容である。併しそれは単に過去に属するのではない、来ている人は子供の将来のためにとか、職場で用立てる為とか言って買っている。過去を過去たらしめる為に買っている人はない、自己の未来を形造るために買っている。そのことは過去は未来を孕むものとして過去であるということである。買った人が本を読むということは、本の内容はその人の行為の中に消化され、新たな姿に生れ変るということである。記憶は死して希望に生れ変るということである。

 生命は自己の中に自己を見ることによって形成してゆくものである。否定が肯定として変化が同一とてはたらくものである。初めが終りを孕み、終りが初めを蔵するものである。それは現在より現在へとして動いてゆくものである。記憶は現在にはたらくものとして記億である。大なる記憶をもつものは大なる未来をもつものである。記憶の深さを知るものは全時間の深さを知るものである。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

庭前の柏樹子

 禅家の問答に、祖師西来意という問いに対して、庭前の柏樹子と答えたというのを読んだことがある。祖師というのは古代の中国に禅を持込んだ達磨大師のことらしい。西来意というのは、西方の印度から苦難の道を経て中国へはるばるとやって来た志は何であったかということらしい。それに対して庭前に生えている柏の樹とは、われわれより見れば全く意表を衝かれた答である。一体これで答になっているのかとおもう。併し更に考えて見れば、その中には深い意味が含まれているようにおもう。

 庭前に生えている柏の樹はわれわれの対象としてあるものである。この我が見ることによって、この我の認識の内容となることによってあるものである。この我が見も、触れもしないものであったら何うして柏の樹はわれわれに存在することが出来るであろうか、ここに認識論に於ける独我論の基盤があった。

 併し飜って考えれば、対象なくして何処にこの我があるのであるか、庭前の柏の樹に面する自己なくして、何処に今のこの我があるのか。我によって柏の樹があるとは、柏の樹によって我があるということである。其処に於てあるとは、我でもない、柏の樹でもない、我と柏の木を超えたものによって、この我があるのであり、柏の樹があるのでなければならない。自己と対象が其処より生れるところがあるのでなければならない。斯かるものの内容となることによって、自己に柏の樹を見、柏の樹に自己を見ることが出来るのである。自己があり、柏の樹があるとは、斯るものが自己自身を見るところより生れるのでなければならない。自己は自己を超えたものによって自己を見るのでなければならない。

 デカルトは疑って疑うことの出来ない自己を、疑う自己に見た、そして全てのものの成 立をその基礎の上に見ようとした。私は斯る立場に立つ限りあるものは全て自己の内容とならなければならないとおもう。自己が自己の中に自己を見たものが内容とならなければならないとおもう。庭前の柏樹子は、この我が見たものとして、この我の対象となり、この我の知識の内容となるということは、この我が自己自身を見たものとして、この我の意味を宿すのでなければならないとおもう。

 併し柏樹子はこの我ではない、何処迄も対象としてこの我に対するものである。見るとは我ならざるものを見るのである。而して我ならざるものが見ることによって我の内容となり、内容とすることによって我があるとは、我と柏樹子を統一するものがあり、我と柏樹子はその統一するものの内容として無限に動的なることによって一であるということでなければならない。自己の中に自己を見るとは、無限に動的である。動的に一であるとは、この我が柏樹子を見るということは柏樹子と我の一なるものが自己自身を見ているということである。

 私は真に実在するものを求めるとき、デカルトの如く疑って疑い得ないもの、直接に与えられたものから出発しなければならないとおもう。斯くして自己に直接与えられたものは自己であり、あるものは全て自己が自己の中に自己を見出でたものであると言わざるを得ないとおもう。而して今見た如く、見るものは全て我ならざるもの、他なるものである。それを我々は見ることによって自己の内容とし、自己が自己となるものである。私はここで自己ならざるものであり、自己ならざるものであり乍らそれを内容とすることによってわれわれの自己が自己となり得る他とは何かということを問わなければならないとおもう。

 われわれの内容となるものは全てこの我の恣意を超えたものである。恣意を超えたものとはそれ自身に存在し、それ自身の法則をもつものである。例えば物理学は物自身の存在の法則であって、われわれの認識の法則ではない、われわれがそれを知るのは、われわれの意志によって決定するのではなくして、何処迄も物の動きの中に入ってゆかねばならないのである。如何なる恣意をも捨てて物に自己を消してゆかなければならないのである。そこに物が露わとなるのである。自己を消すとは何処迄も自己が無くならなければならない、何処迄も自己を消して物が露わになるとは物が物を見てゆくということである。物が物自身の内面的発展をもつということである。私は科学体系とは斯る形相として成立するのであるとおもう。

 併し斯く新たな物が生れるということは、新たな自己が生れるということでなければな らない。消すことによって現われるとは、我がそこに転生したということである。矛盾として動的なるものがそこに一つの完結を持ったということである。それは自己の相を見たということである。消すことが見ることであり、はたらくことであるとして、物が物自身を見、内面的発展をもつことが、この我が自己を見、自己を実現することであるとするより大なる生命の中心へ歩を進めたことであるとおもう。この我は自己を消す我として、物の中に入ってゆく我として、物を実現してゆく我となるのである。

 物に自己を消すことは、物を自己に消すことである。物に自己を消すとは物を作ると いうことである。物を作るとは対象に自己を見るということである。そこに消すというこ とがあるのである。自己が物になるということが消すということである。而して物とは自 己が対象の中に消える、対象に自己の形をもつということなくしてあり得ないものである。対象の中に消えるとは、自己が対象の中に形として現われることである。物の中に現れるとは、物が物自身を見ることが、われわれがわれわれ自身を見るということでなければならない。私は生命が無限に動的であるとは、物に自己を見、自己に物を見る無限に形成的なるものであるとおもうものである。物の中に自己が消え、自己の中に物が消えるものとして自覚的創造的である。

 仏教の中に草木瓦礫悉皆成仏という言葉がある。物の中に自己を見、自己の中に物を見ることによって自己があるとき、われわれの真実とは世界にあるもの悉くが自己を見るというところにあるのでなければならない。草が草を見、瓦が瓦を見るのである。色が色を見、力が力を見るのである。勿論草や瓦や、色や力がわれわれの如く意識的存在であるというのではない、意識的存在は何処迄もこの我である。併し前にも書いた如くわれわれの恣意によって見ることにあるのではない、われわれが其の中に入り、その中に消えることによって現われたものとしての自覚である。それはよく言われる大我というものではない、何処迄も自己が消えてゆかなければならないものである。草や瓦や、色や力が無限の内面的発展を有し、その力によってこの我があるものである。

 私は斯る考えからわれわれの自覚を宇宙の自覚として捉えんとするものである。近代科学の教えるところによれば、われわれは海の中より誕生した生物の一分化として発展したようである。そして人間の身体は其の発展線上に形成されたようである。人類の誇る言語中枢も斯る線上に見られるようである。生命は全て内外相互転換的である。内外の絶対矛盾の否定的転換に於て形成してゆくのである。私は内外相互転換とは宇宙が動的形成的であることであるとおもう。生命は斯る動的形成の一つの形態として生れてきたものであるとおもう。 動的形成とは対立するものであり、対立するものは否定し合うものであることである。われわれの身体はウミサソリに食われ、恐竜に食われることによって現在の形を持ったと言われる如く、否定と否定を媒介しての肯定が動的形成的であるということである。

 否定として迫ってくるものは他者である。死をもって迫ってくるものとして、絶対の他者として否定はあるのである。殺されたものとして、殺したものの力を上廻る能力に於て 新しく生れるのが否定の肯定である。生命は常に否定するもの、殺すものをもつものであり、否定するもの、殺すものとの対抗緊張の中より、より大なる生命の形相を形作ってゆくのである。斯く我を否定するもの、我を殺すものは我より出でたものではない。他者があるとは我ならざるもの、この我を絶対に超えたものがあるということである。その他者を媒介することによって我がより大なる我となるとは、他者と我との対抗緊張は超越者が自己を見ることでなければならない。斯る超越者はこの我を超えて、この我がそれによってあるものとして全存在であり、全存在を宇宙と名付けるのである。他者との対抗緊張より新たな我が生れるとは、新たな我の形相は宇宙が見出た宇宙の形相でなければならない。われわれは単なる自己より、より大なる自己に至ることは出来ない。それはわれわれを超えた生命が自己自身を見ることが、この我が否定的転換をもつということでなければならない。

 否定を媒介することによって新たな肯定をもつとは、否定するものを否定することであ り、死として迫ってくるものの力を自己の内容とすることである。私は曽って山中に於て樹上より舞い降りてくる蝶が、大きな目の紋様の翅をもっているのを見かけたことがある。その目の紋様は鮮かな円を描いていた。その形から言って鳥の目であるとおもった。そしてその目は襲ってくる鳥を威嚇する為に出来上ったのであろうと思った。恐らく限り無い年月の間襲われ食われ続けた恐怖がこの紋様を生んだのであろうとおもった。そしてわれわれの生命細胞は、死を媒介することによって他者を自己の内容とし、より大なる力をもつものとしての形相を実現してゆくものであるとおもった。

 人間生命は言語中枢をもつものとして自覚的である。自覚的とは瞬々の内外相互転換を記憶として、言語に於て蓄積するものである。そこに無限の過去の行動の蓄積は習性としてではなくして操作となる。物を製作するものとなるのである、否定即肯定としての一瞬一瞬の内外相互転換が、生命細胞の中に一つの力として潜在するのではなく、言葉として多様に蓄積する記憶の中から自由に撰択し結合するのである。そこに物を見、物を作るということがあるのである。斯る自覚というのは突如として空中に楼閣が現われたのではない、生物的生命の否定即肯定として、継絶と発展として現われたものである。生命の無限に動的な延長線上に見られるものである。生物的生命を基盤として、その上に見出されたのである。

 斯るものとして自覚的生命が製作するということも外を内とすることである。そこは何 処迄も生物的生命の拡大としてあるものである。私は蝶が襲われ食われることによって翅に鳥の目の紋様をもった、それと同じものがわれわれの物を作る底にはたらくのであるとおもう。蝶の紋様は作ろうとして作ったものではなかった。それは生命の運びとして成ったものであった。私は自覚的生命の製作が外を内としてある限り、作るということの根底に成るということがなければならないとおもう。製作と言えば内なるものを外に表わすこととおもう。それではその内とは何かと問うとき、外に否定されることによって見出でたものと答えざるを得ない。そのことは内外相互転換の根底に、内外を超えたものが自己を運ぶということでなければならない。成るとは矛盾としてあるものが、矛盾的に自己を見るということである。その一々の実現した形である。内と外、物と我を対立せしめそれを動因として動いてゆくものは、社会であり、世界である。われわれが物を作り、物を作るものとしてこの我の自覚があるとすれば、われわれの自覚は深く世界が世界を見るということに背負われているのでなければならない。そして私はその根底に蝶の翅に目の紋様を成らしたと同じ生命がはたらくとおもうものである。

 物と我を内にもつものとしての世界が世界を見るところに自覚があるとは、自覚はこの我にあるのではなくして、物と我との否定的転換にあるのでなければならない。自己を否定して物となり、物を否定して自己となるところにあるのでなければならない。即ちわれわれの自覚は働くものとしての自覚である。この我は自己否定を通じて世界を実現することによって自己を見るのである。働くとは世界の内容となり、宇宙の内容となることである。世界の内容となり、世界を実現することは世界を内にもつことである。世界の中にあるものが世界を内にもつということが自己があるということである。

 自己が物となり、物が自己となって世界を形成するとは、物は物の方向に無限の内面的発展をもち、自己は自己の方向に無限の内面的発展をもつということである。われわれが働くとは斯る相反する展開が一つであるということである。相反する展開が一つであることは、更に大なる相反する方向への展開をもつことである。

 斯かるものとして私は、この我があるとは限りない時間に於て宇宙が自己を見て来た形相としてあるのであるとおもう。生命は物質より生れたという、その可否は暫くおくとして単細胞より多細胞へ、両棲類より哺乳類を経て人類へ、それは宇宙の構成要素がそのあるべき相を露わにしたものであるとおもう。宇宙は広大である、それはわれわれを一塵の微小となさしめるものである、併しこの一塵は宇宙を知る一塵である、全宇宙を知る一塵である。

 私達はみみずの宇宙を知らない、併しその動きから見て身体が土に触れる世界を持つのみであろう。特に宇宙と言われるものがあるのではない、行動としての感官が拓いた感覚の対象があるのみである。この行動が宇宙が動的であるとしての行動であり、感覚が宇宙が自己を見るものとしての感覚である。宇宙が自己形成的として、自己矛盾的に形作って来たものである。この我は斯る形成の一中心として一要素たるのである。初めと終りを内にもつものとして宇宙を知るのである。われわれがもつ自己への確信は、宇宙の一微塵として、百年足らずの生死するものとしてもつのではない。宇宙の自己形成として、無辺の空間と、無限の時間を内包する自己信頼としてもつのである。庭前の柏樹子に対するこの我は斯る我として、宇宙の自己形成に於て今此処に出会うのである。祖師達磨は一微塵としてのこの我、生死する我より脱却せしめんとして来たのである。それは今此処の皮相を超えて底に徹することであり、この我と柏樹子の出会に徹見することである。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

再び記憶について

 散歩に出るついでと言って妻に買物を頼まれた。油揚と刻昆布は買ったが後一つが何うしても思い出されない。それでも品物を見たら思い出すだろうと思って店内を一巡したが判らない。帰って出直そうとおもって外に出た。田舎のこととて村中が知人である。歩 いていると「まあ寄らんかい。という声が聞えた。「よう。と言って入ると、奥に向って「おういわしも飲むさかいにコーヒー二杯入れてくれ。といっている。私はそのとき「ああそうだ、頼まれたのは角砂糖だったんだ」と思い出した。私はコーヒーを飲み乍ら記憶について考えた。

 記憶は通常頭の中にあると考えられている。併し頭の中にあるのであれば思い出せない筈はない訳である。それでは物の中にあるのであるか、思い起そうとして店内を一巡したということは、或る意味に於て物が記憶を秘めていることであろう。それなれば物は何処に如何にして記憶をもつのであるか、私達は物が記憶をもつと考えることが出来ない。われわれが記憶をもつとは、脳細胞が記憶をもつことである。脳細胞が記憶をもつとは、物を記憶するということである、私はここに頭が記憶をもつのでもなければ、物が記憶をもつものでもない所以があるとおもう。物事は脳細胞ならざるものであり、脳細胞は物事ならざるものである。而して物事なくして脳のはたらきはなく、脳のはたらきなくして物事はあり得ないものである。私は記憶は、物事は脳のはたらきによってあり、脳のはたらきは物事によってあるところに自己を維持してゆくのであるとおもう。

 生命の世界は記憶の世界であると書いてあるのを読んだことがある。記憶を過去の持続であるとし、過去のはたらきが現在のわれわれを形作ってゆくのである。生命細胞は同じものを無限に生んでゆくと言われる、一日に数千億の細胞が死滅する身体は、転写に於て賦活すると言われる。そこにあるのは生滅しつつ、同じ運動であり、同じ感覚である。私は生命の時の統一は身体の斯る構造の上に成立するとおもう。斯るものの核をなすものが遺伝子であるとおもう。遺伝子は転写に於て死滅を超えるものとして個体を超えるのである。われわれが脳細胞が記憶をもつとおもうのは、脳は身体の統合機関として、身体の動きはここに集り、ここより出でてゆくが故に外ならないとおもう。内に同一を形成しつつ、外の無限の変化に対応するところに記憶があるとおもう。記憶とは形成としての一瞬一瞬の内外相互転換の蓄積である。身体の同一に於て蓄積されるのである。

 私は人間生命を自覚的生命として捉えんとするものである。自覚的生命とは内外相互転換として、動的に一なる生命が内と外に分れることである。内を自己とし、外を物として対立し、対立が相互否定的に一を成就してゆくことである。相互否定的に一を成就するとは、自己が物となり、物が自己となることである。物の中に自己を消すことによって新たな物が生れ、自己の中に物を消すことによって新たな自己が生れるのである。物を作ることによって、物に作られるのである。斯る自己と物との無限の交叉が社会であり、その全体像が世界である。

 相互否定的に一とは、対抗緊張的に世界が世界を維持してゆくことである。物と我とは世界の対抗緊張による自己形成の内容としてあるのである。私はわれわれの意識はここに成立し、記憶はここに持つことが出来るのであるとおもう。物にあるのでもなければ、我にあるのでもない。記憶は世界が世界を維持するところにあるのである。そこに忘れるということがあると同時に、物事によって思い出すということがあるのである。

 我と物がその中に見られるものとして世界が世界を維持するとは、世界は我と物を超えたものである。我と物が世界の内容であるとは、物が我を宿し、我が物を宿すことによって世界を形作ってゆくことである。そこに記憶があるとは、記憶は我と物を超えて、我と物を内容とするものでなければならない。記憶はこの我の生死を超えた深さに於て成立するものでなければならない。生命が内外相互転換的として、発生の初めに既に世界形成の萌芽をもっていたとすれば、私は記憶の淵源は生命の発生に遡らなければならないとおもう。脱糞摂食も生体の記憶であるとおもう。

 曽って何かの本で「われわれが狩猟に出て興奮するのは縄文時代を血が記憶するのである」と書いてあるのを読んだことがある。血が記憶するとは如何なることであろうか、私はそこに親の血の騒ぎが子に伝わり、代を累ねて行ったとおもわざるを得ない。われわれも亦先人と共に山野を歩くとき、先人と共に足を速め、先人と共に目が動くのである。連綿として世界が維持するのである。一々の生死を超えて、記憶が記憶を維持するのである。記憶が記憶を維持することが、世界が世界を維持することである。

 自覚的生命としてわれわれは記憶を言葉に於てもつ、言葉とは他者との対話に於てあるものである。対話に於てあるとは、自己と他者を超えた世界に於て自己と他者が関るということである。生物的生命に於ては未だ真に自他の区別はない、自己と他者が成立するためには、個の成立がなければならない。我が個性に於て世界を内包し、他者が個性に於て世界を内包するということがなければならない。内包する世界と世界に於て対話があり得るのである。そこに世界はより大なる世界形成をもつのである。

 言葉を記憶に於てもつとは、記憶は最早生物的身体を離れることであるとおもう。勿論言語中枢も身体の中にあり、身体を離れるといっても身体でなくなることではない。これ迄の身体によって見ることの出来なかった身体を展くということである。内と外とが相分れ、相互否定的に世界を形成するとは技術的ということである。物を製作し、製作することによって世界を形成してゆくということである。斯るものとして自覚的生命に於ては、過去がはたらくとは生体的形成として現われるのではなく、社会として実現してゆくのであるとおもう。われわれの身体は社会的として学ぶものとなるのである。言葉は物の生産によって発達したと言われる。そのことは言葉の発達によって物の生産は増大したということである。言葉と物が生産を発展させるということが伝統であり、世界は伝統によって自己を維持してゆくのである。而して伝統は学ぶことによって維持してゆくのである。私はここに自覚的生命の記憶があるとおもう。言葉によって記憶をもつとは、われわれの生命形成が生体的なるものから社会的なるものに転じたということであるとおもう。

 伝統的、生産的ということは歴史的ということである。社会を時間の相に捉えたのが歴史である。時間の相で捉えるとは、現在が過去を負い、未来を孕んでいるということである。過去と未来をもつということは、過去と未来が対立するものとして相互否定的に転換するということである。歴史的現在とは斯る転換点ということである。歴史とは斯る転換点に於ける過去として未来を否定するとともに、未来に否定されることによって未来に転ずるものである。

 例えば私が鋸は確に納屋の棚の上に置いた筈だと記憶を呼び起すのは、樹が茂って車の通行に邪魔になるからである。樹を剪るというのは過去を否定して未来の空間を作るということである。労力を費すということが対抗緊張の否定的転換ということである。斯る否定的転換が歴史的行為ということである。斯る歴史的現在の相互否定が無かったら私達は記憶を呼び起すということが無いであろう。呼び起さない記憶はいつか忘れてしまうものである。呼び起すことによって維持するとは世界がその動転に於て維持することであり、世界が記憶を維持することは、記憶が世界を維持することである。

 自覚的生命とは自己が自己を見る生命である。世界が自覚的生命の自己限定であるとき過去と未来の相互否定的転換ということも世界が自己の中に自己を見てゆくことでなければならない。自己の中に自己を見てゆくことは蓄積することであり、蓄積が記憶である。斯る蓄積はその相互否定に於て限り無く累積してゆく、そこは文字が必要欠くべからざる世界である。歴史は一面何処迄も生死の否定的転換である。未来と過去も生死の翳を宿すところより来る、それと同時に歴史は形成作用として何処迄も蓄積的である。文化的に自己を現わしてゆくのである。記憶は蓄積として文化的方向を指向するものであるとおもう。

 文字とは如何なるものであるか、私は前に言葉は語部によって先祖の事歴が語り継がれた如く、個々の生死を超えて、個々の生死を包むものであると言った。言葉は対話として個々の生命の超える、併し言葉は何処迄も今此処に於けるこの我の発するものである。現在の自他相互転換の内容となるものである。私は文字は今とかこことかこの我という瞬間性を極小として、超越性・永遠性を更に露わにしたものとおもう。 我と汝に関るよりは、更に多数に人間に関るのである。言葉が多く現在に関るのに対して、過去・現在・未来に関るのである。

 印刷術の発明は多くの人の言える如く文化を飛躍的に高めたとおもう。近代の成立は印刷術に負うところ大であるとおもう。そしてそれは人類の記憶の飛躍的な増大である。私達は忘れた文字を、辞書を開くことによって思い出す。辞書はこの私の、そして人類の文字の記憶の貯蔵庫である。全て文字は過去が現在に、現在が未来に語りかけるものである。近代社会はその記憶を文字に於てもつということが出来る。図書館は人類の記憶の集積であり、それは記憶の所在の那辺なるかを示すものであるとおもう。われわれの記憶はこの人類の記憶を分有することによって記憶であるとおもう。勿論記憶は対抗緊張の時に現われるものとして、この我の記憶なくして記憶はあり得ない。唯対抗緊張そのものが世界の自己限定として、この我が世界の自己限定の内容としてあるのである。

 私は記憶を更に明らかにするために記憶としての蓄積とは如何なるものによって成立するかを考えなければならないとおもう。私は記憶が過去が現在にはたらくものであるとき過去と現在の同一がなければならないとおもう。同一とは繰り返すということである。過去と現在が全然異なったものであるとき、私達はそこに過去が現在にはたらく余地を見ることが出来ない。過去と現在は連続に於て過去と現在であり、連続をあらしめるものが意識である。併し亦単なる繰り返しにも過去が現在にはたらくということはない。少なくとも蓄積として、記憶としてはたらくということを見ることは出来ない。単なる繰り返しは反射運動として無意識の中に埋没してゆくものである。変ずるものが不変なるものであり不変なるものが変ずるものであることによって、記憶があるのである。

 私は斯かるものとして内に生命細胞を、外に天地の運行を見ることが出来るとおもう。生命細胞は形成作用をもつものとして変化してゆくものである。単細胞より多細胞へ、両棲類より哺乳類へと変化してゆく、併しそれは何処迄も自己の中に自己を見てゆくものとして変化してゆくのである。無限に内包的なるものの分岐とし変化してゆくのである。形成作用として無限の形を生みつつ、形を生むものとして、形を超えて形を包むものとして、無の統一として不変なるものである。私は斯る不変なるものが自己の中に自己を変ぜしめるものとして、内外相互転換の外に天地の運行があるとおもう。天地の運行は繰り返しである。一日が、一年が繰り返されるのである。一日とは明暗としての昼夜であり、一年とは四季である。その繰り返しが食物連鎖の基盤として植物の消長を決定するのである。生命は内外相互転換的として食物を外とし、食物としての外を、内としての生命細胞に転換せしめるものである。そこにわれわれは運命を植物の消長に托さなければならない所以があるとおもう。

 斯かるものとして人間の生産の初まりは食物としての植物の栽培であった。そして栽培の必要として暦が作られた。暦は天地の運行が植物の消長に関るものである。それは記録に於て過去の記憶を現在にはたらかすものである。天地の運行を不変として、有機質の生命を変ずるものとして、過去が現在を限定してくるのである。運行の反覆が内外相互転換の反覆であり、反覆によって外としての物の形が整って来、内としての行為する身体の動作が定まってくるのである。そこに時の統一があり、記憶が生れるのであるとおもう。

 変ずるものが不変なるとは、変ずるものは不変なるものが自己の中に自己を見てゆくことでなければならない。私は斯く自己の中に自己を見てゆくことが行為の反覆であるとおもう。そして斯る行為の反覆は天地の運行より来るのであり、天地の運行より来るとは、古人の言える如くわれわれは天地の間にあるのであり、天地の形相を実現するところに生命形成をもつのであるとおもう。生命の形は風土的である。そこに天地の形があるのである。記憶は深く宇宙の人間による自己形成の内容であるとおもう。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

陶芸の美

 腕時計の刻む秒針を時折り見乍らバス停への足を速めていると、一台の自動車がすうっと横に止まった。見ると従妹のえみちゃんがにこにこと笑っている。そして間を置かず窓ガラスが下って、「小野へ行っきよりいのん」と言う。「おう暑いのう、今からやがい」と言うと、「私ねえちゃんとこへ行っきょんねん、乗りいか」と言う。勿論渡りに舟「すまんのう」と言って乗り込んだ。

 着くと茶を一杯飲んで行けという、流石旅館だけに何時も茶を接待する準備が調っているのであろう。待つ間もなく菓子が運ばれて来た。私は甘いものは余り好きではない、それで眺めていると、「その焼物素敵でしょう」という。見るともなしに見ていたのを、私が焼物を鑑賞していると思ったらしい。見ると一糎位な厚さの葉の形をして、葉脈のようなものが稚拙な線で刻んであり、沈んだ淡い緑と、僅に濃淡をもった茶色の、少しばかり反りをもった陶片とでも言うべきようなものの上に、白い小さな万頭が載せられている。とりあえず「うん」と肯いてみたものの何のようによいのか判らない。

 魯山人は自分の作った料理を載せるべく、自分で器を焼いたというのを読んだことがある。足立美術館で氏の作品というのを見たことがあるが、私には普通の皿のようにおもえた。折角入場料を払ったんだから、その価値に触れたいと思ったが判らなかった。その後美術年鑑で評価額の高いのに一驚した記憶だけが鮮明である。併し氏が自分の料理を載せるべく作ったということは、料理と器が感覚に於て一つなることへの要求があったということであろう。昔から支那料理は舌で味わい、西洋料理は鼻で味わい、日本料理は目で味わうと言われている。目で味わうとは味覚が視覚の内容となることである。味覚は視覚を加えることによって完成されるのである。視覚の内容となるとは、庭園が借景によって、深い自然の表現となるが如きである。器は料理の借景となるのである。そこにあるのは最早料理を食べるとか、器を見るというものではないであろう。味覚と視覚を通じて日本的心情を見出すという如きものであろう。そしてその見出でた心情によって、味覚と視覚はより深大なものをもつのである。通とか言われる人は、斯る心情的世界の渾然たるものに遊ぶことの出来る人であろう。魯山人は斯る世界よりの呼び声を内深くもった人であろうとおもう。

 全てものの価値というのは、形が内面的発展をもったということである。私が陶片の菓子器が判らないというは、そのもつ内面的発展の体験をもたないによるとおもう。「素敵でしょう」と言った京子、ひとみ姉妹は永い陶芸への研鑽があるらしい。内面的発展とは、作ることによって見、見ることによって作ることである。作ったものを見ると何処かに不満がある。出来たときに満足しても、やがて不満が湧き出てくる。そこで新しい形への努力をする。斯くして人間の生涯は限りない努力である。繰り返すことによっての蓄積が人生である。内面的発展が洗練であり、われわれは全て洗練によって見る目をもつのである。おそらくこの菓子器は二人の洗練の目を超えた形象をもつのであろう。見るものの目を何かの世界に引き込むものをもっているのであろう。私は無雑作に万頭を取ってぱくついただけであるが。

 私は陶芸の美について考えた。美について第一に考えられるのはその造型である。陶磁器は彫刻と異って、形自身が意味を担うものではない。それは器具である。生活の手段としての使用目的をもったものである。それは相対する価値である。魯山人の場合の如く、それは料理との調和に於て価値をもつものであり、奥の間の床に置いて価値をもつものであり、食卓に置いて価値をもつものである。相対する価値とは、調和の価値である。料理と器が一つとなって心情的世界を創出したるが如く、雰囲気を演出するものである。奥の間の森厳を、食卓の団らんを作り出すものである。置かれている他の器具、そこにある人との心情との調和である。併し私はその故に陶磁器は彫刻に対して次元が低いと考えることは出来ないとおもう。一方は局限的場所の調和としてあり、一方は人格内容の表現としての意味をもつ、併し調和は世界形成として、人格がそこにあるべき処として無限の奥行きをもつのである。斯く言えば魯山人の作品は、魯山人の人格の表れであるという人があるかも知れない、私もそうであろうとおもう、唯私はロダンは人格の内面を追求したのに対して、魯山人は料理を盛ることを追求したと言うのである。ロダンが直接語りかけるのに対して、魯山人は自分の料理との調和を通じて語りかけるというのである。ロダンの意識的に対して魯山人は無意識的である。

 私の知人は絵画や彫刻より陶器を愛する人が多い。それは私には陶磁器が日常の用具として身辺にあり、手に触れることによって関りをもつが故であるようにおもわれる。絵画や彫刻がそれ自体の価値をもつものとして、視覚の対象として距離をもって見られるのに対して、身体に直接するところにあるように思われる。その意味に於て陶芸の美には触覚が欠かせない要素をもつようにおもう。触れて直に感じるのは重さであり、冷たさ、温かさであり、手ざわりの粗密である。重さは関節覚、筋肉覚に関るものであり、信頼感や安定感を与えるものである。安定は身体が健かに生きてゆく最も重大なものであり、安らぎや憩いはそこより生れるのである。冷温は情緒に関るものである。冷たい人、温い人というように、そこに感じるのは親疎である。磁器の薄い純白より、陶器をコレクションする人の多いのは、その感じの冷温に関るように思われる。情緒は一つを求め、一つは温さによるのである。手ざわりの粗密は作品との関りである。密なるは招かれたように思われ、粗なるは拒まれたようにおもう。但し粗なるものには力感があるのではないかとおもう。全て感覚は対象を受容すると同時に、対象に自己を表出するのである。人間は個として対立するものである。そして対立することが同一なるものである。そこに冷温、粗密は生れる。故に冷と温は同一の価値であり、粗と密は同一の価値である。その按配が表現の深みを作るようにおもう。併し斯くいう私は作ることも見ることも出来ない。唯人性の必然か斯く言うのみである。

 陶芸展の広告などによく土と炎の芸術という文字を見受ける。土も火も共に人間ならざるものである。それは人間にとって不可知者である。近代美術の製作は純粋視覚の発展の上に成立すると言われる、純粋視覚とは視覚の内面的発展である。今此処に視覚への深入は避けなければならないが簡単に言うと、生命が内外相互転換に於て外を切り拓いて行った痕跡である。鯛は深海にあって人間の五千倍もの明らかさで物を見ることが出来るという、併し見るのは敵と餌だけだそうである。禿鷹は三千米の上空から地上をありありと見ることが出来るそうである、併し見るのは野鼠だけだそうである。内の欲求が外を見るのである。人間は言葉をもつものとして歴史的形成的であり、表出は深い歴史の底流がもつのである。それは単にわれわれの目に映るものと異なったものでなければならない。私は私達が見て怪奇極りないとおもう近代芸術家の表現は、歴史の流れの現時点を直観に於て捕捉したものであるとおもう。

 表現は形より形への無限の内面的発展である。歴史は無限の否定的動転である。そ こに芸術家は鋭敏なる目をもって、新たなる形象へと移らなければならない所以があるのである。新たなる形のために渾身の努力を傾けなければならないのである。ミケランジェ口は「私の目はのみの尖にある」と言ったそうである。そこに形相の実現を求めて一打が一打を呼ぶ必然がある。

 それに対して陶芸が土と炎というとき、断る形の内面的発展というのは截断されなければならない。土を練り、ろくろを廻す間は成程指の先に目があり、ろくろの中に目があると言えるかも知れない。併し窯の中に入れてしまうと最早目も手も届かない世界である。恐らく大体の予測はついているのであろう。併し目と手のはたらかない世界は多くの偶然的要素をもつとおもう。斯る意味に於て陶芸は世界の視覚的尖端を切り拓いてゆく芸術ではないようにおもう。勿論近代人の表現として、歴史的現在の感覚から逸れることは出来ない。併しそれは画家などの驥尾に付くことによって得なければならないのではないかとおもう。私は陶芸の美は別の角度から見たところに求めら ければならないのではないかとおもう。土も火も人ならざるものであるとは、自然であるということである。人間の内面発展の必然を求めるのではなくして、自然と歴史の交叉、偶然と必然の交叉の形の実現に美を見るのではないかとおもう。

 偶然は生命にとって豊饒の海である。偶然とは内外相互転換としての生命の外である。人類がその初期に於て海や山に獲物を求めたとき、魚介に出合い、木の実やけものに出会うのは全く偶然であった。人間は言葉をもつことによって偶然を必然に変えていったのである。経験が蓄積をもつことが技術であり、技術によって内外相互転換をもつことが製作であり、蓄積の増大による発展が必然である。故に必然は内として、何処迄も外としての偶然に対するのである。斯かるものとして偶然は無限の多である。草の緑、すみれの紫、たんぽぽの黄、鶏頭の赤などの偶然の出合いを言葉が統一することによって、色の体系を構成し、必然の内容とするのである。巨大な土木建築も物理学も、挺子やころの偶然の言葉による体系化より生れるのである。私は現在われわれが文明と呼ぶ全ては偶然の必然への転換によると言って過言ではないとおもう。自然とは歴史的必然の目より見て全て偶然である。

 私は窯より取り出す陶器の色は、作者も取り出すことによって初めて知るものであるとおもう。そして取り出す全てがその微妙なる変化に於て、今迄にあり得なかった色であるとおもう。予知を超えた色、初めて接する色、それは無限に豊饒なる色の内容であり、眼前に具現することによって、視覚の体系の中に組込まれるものである。斯る意味に於て私は陶芸の美とは、造型の原質の美であるとおもう。

 陶芸教室に行くと他の教室より熱気があるようにおもう。土を練る者、形作るもの各々 が没頭しているようにおもう。そしてそれは他の教室が不熱心なのではなく、他に較べて技術形成の過程が単純なのであるとおもう。私の認識不足かも知れないが、同じ室にある絵画教室の素描、着色と幾度も書いては消し、塗り直しては眺めているのに較べると、土を練り、ろくろを廻しているのは直線的であり、曲折を持たないように思われる。言わば幼児の砂遊びの延長線上にあるようにおもわれるのである。砂遊びのようなものが直に造型に結びついたようにおもわれるのである。併し私はその故にそれは生の原本に結びつくようにおもうのである。教室の熱気は単純である故の没入であるようにおもう。生に直接するということは素質的要素が少なくても参加出来ることであり、広い共感をもち得ることである。

 以上挙げた諸点から私は陶芸は研ぎ澄まされた形象の創造の方向ではなくして、造型の初めに帰ってゆく芸術のように思われる。全ての創造は進歩が回帰であり、回帰が進歩である。形象の純化は、形象の故に生命を見失い易い。その回帰の方向を担うのである。創作は必然の追求であり、その完成への希求である。併し偶然の拒否は必然の枯死に外ならない。歴史は自然の拒否であるとともに自然の上に立つのである。創造の初めへの回帰として求められるのは素朴の美であり、稚拙の調和である。幼児の目と手に帰ることが求められるのである。併し初めであるということと、初めに帰るということは無限の距離、次元の差をもつのである。初めであるとは現在への到達の出発点となったものである。初めに帰るとは、現在の到達点を出発点とすることである。幼児に帰るとは、歴史的現在の壮大なる形象と意識を幼児の目となることによって再創造することである。勿論私は陶芸がそれを担うとおもうものではない、唯陶芸の現在の盛行は斯る歴史意識の背景の上にあると思うのである。文明への疲労に慰籍を求めるところに、初めへの回帰があるとおもうのである。

 素朴とか稚拙とかいうことは単純化ということである。それだけに変化の余地は乏しいと言わなければならない。印象画家や、前衛彫刻のような変化は求むべくもない。併し近代人の洗練された目は、単なる素朴や稚拙によって充たすべくもないとおもう。色や形は単純でありつつ近代視覚の尖端に立つものでなければならない、墨絵が一色よく万色を蔵するといったごときでなければならない。「素敵でしょう」と言った菓子皿は、私には判らないが斯る要素を充たすものであるとおもう。それは亦大なる才能と潜心が要求されるのであるとおもう。変化の余地の乏しいものとして、それは微妙な差が心の陰翳を表わしたり、消したりするのであろう。そのためには微妙なる神経が要求されるのである。

 私は表現愛の根底には無限に動的なるがあるようにおもう。土と生命が一つとして 動いてゆくのである。人類が最初に土を握った時に造型への呼びかけがあったのであるとおもう。土と一つとは、土に働きかけることは土が呼び声をもつということである。生命が動くとはそのようなものによって動くのである。関りとして世界が動くのである。土と我はその動きの中に見られるのである。我があって土があるのでもなければ、土があって我があるのでもない。もし我があって土があるのであり、土があって我があるのであれば、私達は創作としての造型をもつことが出来ないとおもう。形の中から形が生れて不思 議を見ることが出来ないとおもう。私達は製作によって自分を見る。土によって形を表わすことは自分が現れてくることである。私達は私達の所在を知らない、唯現れることによって知るのである。そして現われて知るとは、無限に動的なる世界が自己実現に働くということである。私達は知らない奥底から衝き動かされて働くのである。創造的世界は不尽根的に形より形へと動いてゆくのである。ゲーテの言える如く「永遠に女性的なるものわれを招く」のである。

 以上陶片の菓子皿から思いつくままに書いてみた。盲の垣覗きにも等しい私が予備知識もないままに書いたものとして、或は見当外れの譏りを免れ難いであろう。唯私が斯るものの美のよって立つところを明らかにしたいと思っていたのはたしかである。書き乍ら陶芸には相反する二つの流れにあるのに気が付いた。一つは色鍋島、九谷といわれる系統であり、一つは立杭、備前と言われる系統である。本文は菓子皿が後者に関るものであったので後者に関るものとなった。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

風流の一考察

 一月二十一日万勝寺で護摩供養が行われるというので行って見た。恥かし乍ら私は護摩を焚くのを見るのは初めてだったのである。時間が少しあったので境内をぶらぶらしていると「よう長谷川」という声がする。声の方に目を向けると「近頃永沢寺へよう行っきょって」と言う、顔に見覚えがない。五十数年の風雪は一人の人間の顔をすっかり刻り変えたのであろうか、これ程親しそうに言うからには大分親しかったに違いないとおもう。それが何うしても記憶の中の顔に繋って来ないのである。私は苗字を呼び返したかったが諦めて「いや長いこと行かずや」と答えた。それから彼は永沢寺の近況を教えてくれた。別れてから若かった当時の出会いの数々を思い出していた。その内に不意に土地の素封家吉田氏の顔が浮んで来て、氏が「風流とは何ういうことですか」と問われたのを思い出した。丁度氏が禅宗の血脈を受けられるとかで、多くの僧が盛装して名僧知識然と並んで居られたところであった。そのとき誰もが「さあ」と言って答えることが出来なかった。私も名差しされたが言うことが出来なかった。風流という言葉は最早博物館の隅に投げ込まれた遺物となったようである。現在の少年少女の半ばはそんな言葉を耳にしたことがないのではないかとおもう。併し少くとも終戦迄は風流を解するとは教養の最たるものであり、人々は風流人と言われることを望んだのである。私は思い出し乍ら風流といった如きものが日本の生命形成の形の根源をなすのではないかと思った、そして風流とは何かと考えた。併し雲を掴むようで一向に進展しない。これは迎も此処で考えられる問題ではない、家に帰って考えようと思った。

 風流とは字の通りに解すれば風が流れるである。併し風流とは人間の日常を超えたものであり、風流人とは和歌、俳諧等に関る人であった、風が流れるといった自然現象ではなくして、人間の表現に関るものである。風流とは風に托した人間の心である。風流の外に風俗とか、風土とか種々のものがある。私は人間に関るものとしての風の字が何のように使われているかを見るべく辞書を開いた。そして私は其の数の多いのに驚いた。曽って魚の鰤には生れてから成長する迄に幾つかの名前がある、それは日本人がその味覚を尊んだからだというのを読んだことがある。私は日本人が風に托した方向に如何に自己を見出だし、掘り下げて行った証でないかと思った。全部挙げることは大変面倒なので重だったものを列挙して見る。先ず生活に関るものとして、風土、風習、風俗、風説、風聞、風評、風紀、風潮等があり、個人に関るものとしては、風格、風采があり、日常を超えたものとしては、風流、風雅、風光、風趣、風韻、風物、風味等がある。読み乍ら私が第一に感じたのは、人間の意志のはたらきが見られないということである。宣長がさかしらといったものがないということである。

 生命は形成作用である、形成することによって生命である。人間は自覚的として形成は意志的である。それが意志が見られないとは何ういうことなのであろうか。私は生命の形成作用に二つの方向があるとおもう。それは時間の形相と歩調を合わして、一つは過去からであり、一つは未来からである。過去からとは、初めにあったものがこれを成じてゆくものである。おのずから成る方向である。未来からとは成ったものが形をもつ物として、物が物を呼ぶ方向である。欲求を底にもつものとして、無限に形が呼ばれるものとして未来がはたらくのである。前者の方向に自然があり、後者の方向に歴史がある。人間は物を作る生命であり、物を作るには意志がはたらかなければならない。併し意志をもつものは身体であり、身体は生れたものとして自然に成るものである われわれ人間は歴史的自然として物を作るのである。私は歴史も亦成るものとして、初めが成じてゆくもの、おのずからなるものが、みずからとしての意志を包む方行に生命形成があるとき、そこに意志が見られないということが成立するのであるとおもう。意志がはたらくということも身体がはたらくことをとうして、自然が自然を見るものとなるのである。そこに意志が括弧されるのである。

 意志は人間がはたらくことである、それに対して自然が成るとは万物が成るのである。人間もその中の一として成るのである。成るとは形を変じてゆくことである。私達はコスモスが繁って無数の花を咲かせているのを見るとき、種子の内に既に斯る形の潜んでいたのを知る。併し種子が一定の形を潜ませていたのではない、更に肥沃な土地に芽生えておれば、更に大なる繁茂をもち得たし、乾燥の土地に芽生えておれば数枚の葉と一輪の花しか持たなかったかも知れないのである。然も双葉の何処を探しても花はない、而して忽然として咲き出ずるのである。それは無にして現われるのである。

 われわれは自己の何処より来り、何処へ去りゆくか知らない、禅家でよく父母未生以前の己の所在を問う、それは無より来り、無に去りゆくと言うより他ないものである。私はそこに風に見出した日本の生命形成があるとおもう。空気も今は物質である、併し昔時に於て虚空は無であった、風は無にして現われるのである。私は風流はそこに基盤をもつとおもうのである。そこに徹せんとするのである。

 ここに無というのは何もないということではない、変化によって自己を見てゆくもので ある。消えることによって現われるものであり、死することによって生れるものである。 全ての形がそこより生れるものであり、その中に死んでゆくものである。全てがそこより現われるものとして全有であり、そこに死んでゆくものとして絶対の無である。われわれは万物の一として、そこに現れ、そこに消えてゆくのである。消えてゆく面より見るとき絶対の無への沈没であり、現われた面より見るとき絶対の有の顕現である。それは生死が一つということである。生死を超えた生命が自己を表わしてゆくということである。今のこの我は生死に自己を運ぶ生命が有の相をもったということである。

 生死一なるとき、生と死を距てて相対立する万物は対立がそのまま大なる調和となる。闘かう生はそのまま照し合う生となるのである。風流はそこより生れたとおもうのである。而して相対立する生をそのまゝ大なる調和とするのは宗教の世界である。風流の世界は身体を相対立する相互否定の世界より離して調和の風光に遊ぶのである。死の断崖に身を絶して絶後に蘇るといった痛切なる体験を経るのではなくして、その余光に浴するのである。死をもって迫ってくるものより身を避けて万物と生を照し合うのである。併しそれは風流の道が安易であったということではない、余光といえども相対の世界を超えることは新たに生れることである。自己の中に自己を見ることである。目は生命の奥底へと繋らざるを得ないものである。風流人と言われた俳人、茶人はそこに心血を絞らなければならないものがあったのである。

 斯かるものとして風流人が見出そうとしたものはおもむきと言われるものであったとおもう。おもむきとは面を向けることであると言われる。そしてそれに対する言葉が背向くであると言われる。おもむくとは生の方向、肯定の方向にあり、そむくとは死の方向、否定の方向に見られるようにおもう。私はそこに同じ生命として出現した万物が、その形に於て照し合う処におもむきがあるようにおもう。同じ生命がさまざまの形をもつ不思議に生命の拡がりを見るのである。それを逆に言えば、さまざまの形の根底に流れる同一の生命を見るのである。そこに驚きがある、驚きとはわれを包む生命の大に接見することである。さまざまの異なるものが大なる一の生命の現われであると知るのが調和である。和の光りに照らしてさまざまの異る形が、大なる生命の陰翳を宿すのを知るのが面白いということである。斯くして風流の道は調和を求めて、一瞬一瞬の変化におもむきを見出す無限の努力となったのであるとおもう。

 よく床の間や、鴨居の上に雪月花という字の掲げられているのを見る、私はそれは風流人の賞すべきものの象徴ではないかとおもう。日本は世界でも四季の移り変りの最も鮮明な国のようである。万物が一の生命の出現であるとすれば、変化の最も鮮明なるものは、調和の最も鮮明なるべきものである。雪は冬を、花は春を、月は秋を象徴するのではないかとおもう。そして移り消えゆくものにもののあわれを、化し現れ来るものに充足のよろこびを見たのであるとおもう。そこにあるのは対立するよろこびとかなしみではない、移るものとして同根のよろこびかなしみである。よろこびかなしみは胸底をしずかに流れる のである。一葉の落ちるのにかなしみ、一草の芽生えるによろこぶのである。 人の生死も 移るものとして同根のよろこびかなしみとなるのである。そこに風流人は日常を超えた 観照者となるのである。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

明明徳

 禅道と儒道という本をふと開いてみると、盤珪禅師の名が見え、播州網干の生れであると書いてあったので興味を起した。書によると師は十五才の時に「大学」を学び、冒頭の明明徳の一句に大なる疑を起したそうである。「己に明徳である。なぜ之を明にするというのか。明徳とは全体何か」と問うた。いろいろ考えたが、どうしても解決がつかず。後に実地の修業にとりかかっても、矢張りこの大疑団をもっていたそうである。常に屈せず撓まず工夫し、三十才に至る迄刻苦精進したそうである。余りに長く坐って時の経つのを忘れる程であったので、とうとう臀肉が爛れてそこから膿血が流れるようになったが、紙を貼って屈せず坐り、遂に重い病に罹って食欲も進まず、とうとう死は時間の問題となったが、「如何に、如何に」と究明し続けた。そして或日豁然として明徳を徹見した。そして見性の喜びにさしもの病気も一日一日と快方に向ったという。道元禅師の本来仏性の究明と軌を一にするものである。私は全て生命の形は斯る出現の仕方をすると思う。

 私は碁を好むものであるが、碁に定石というのがある。この定石というのは永い打碁の裡におのずから形が定って来たものらしい。形が現われた以上現われる所以のものがなければならない。この形は何処にあったのか、それは十九路面の碁盤と三百八十一個の石が作られた時に、既にその中にあったということが出来る。無ければ現われるということはない。併しそれは長い打碁の末に見出されたのである。見出されることによってあるものとなったのである。

 仏家に「狗子に仏性ありや」と言う問いがある。それは恰も双葉の草に花はあるかと問うようなものである。あると言えばある、無いといえばない。生命は時を孕んだものである。無限の過去と未来を内にもつものである。双葉に今は花がない、併し葉が茂りやがて花をもつのである。狗子に今は仏性はない。併し生と生が相対し相呼ぶとき、そこに仏子の胚種は潜むのである。

 明徳とは何か、徳とは生命が形を得たことである。明とは光りによって照されることで あり、分別をもつことである。意識的生命としての人間に於て光りをもつとは、言葉をもち、言葉に於て分別をもつことである。私は明徳を明らかにするとは、言葉によって生命の形を具現してゆくことであるとおもう。生命の形が言葉によって純化してゆくことであるとおもう。

 言葉は我の言葉であり、汝の言葉でありつつ、我にあるのでもなければ汝にあるのでもない。我と汝が呼び交すところにあるのである。それは世界形成的である。世界を形作るものとして我と汝は呼び交すのである。世界を形作るとは、我と汝の内なるものが現われることである。内なるものが現われるとはもともと我と汝は世界としてあったのである。物を作るということは呼び交す生命によってあるのであり、呼び交すことによって物を作るのである。物を作るということは世界を作るということである。

 言葉によって純化してゆくとは、生命が物と成り、物が生命となり動いて一髪も容れざることである。聖書にある如く全てのものが言葉によって成ることである。全てのものが言葉によってなるとは身体も言葉になることである。明徳を明らかにするとは、本来世界としてあるものが、世界としての己を具現することであるとおもう。

 身体が言葉になるとは、身体が世界実現的にはたらく身体となることである。世界と化する身体となることである。そのためには世界と化さざる身体を殺さなければならない。欲求的として自己中心的身体を殺さなければならない。世界に化するとはこれ迄の身体が死することである。盤珪の苦行は、斯る身体の声に呼ばれた必然であったということが出来る。禅家では大死一番といい、死の断崖に身を絶して絶後に蘇るという。キェルケゴー ルは絶望するのが健康な精神であるという。膿汁の流れる身体となることによって、盤珪の肉体は否定的転換をもったのである。欲望のはたらく身体を殺して、言葉のはたらく身体に生きたのである。

 欲求的生命を殺すとは、欲求的なるものがなくなるのではない。生命は欲求的であり、欲求的なるものがなくなるとは生命がなくなることである。欲望を殺して言葉に生きるとは、欲望が言葉の内容となることである。世界形成の内容となることである。世界は我・ 汝・彼の無数の人々が働くところである。この我とは世界形成的に、世界の中にはたらくことによって、世界を自分の中に見ることによってこの我となるのである。汝・彼と働くとは、汝・彼が世界を内にもつものとなることであり、世界を内にもつものの交叉に於て世界は作られるのである。食欲は相互の慰楽となり、異性は対話にいろどりを添えるのである。永遠より招く微笑となるのである。世界を内に見るということが、言葉がはたらく生命となることである。我と汝はそこより生れ、そこに分たれて世界が世界自身を形成してゆく、私はそこに明徳を明らかにする所以があると思う。我々が自己を明らかにすると ころは、世界が世界自身を明らかにしてゆくところである。世界と我とが作り作られて明らかになるのである。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

平常底

 通された茶室に「平常心是道」の条幅が掛っている。掃き清められた畳目がすがすがしい。私は主人の居ない間を、平常心とは何かと考えた。平常とは喫茶喫飯であり、一挙手一投足である。日々の営為である。心とは何か、何事かがあったときに平常の挙惜動作をもち、取乱すことがないということであろうか、それもあるようにおもう、併し平常心是道は禅家の至り着いた最も深い境地であると聞いている。唯取乱さないということのみに道元が危険を冒して入唐し、盤珪が尻の肉が腐る迄結伽佚坐を組んだのであろうか。私はわれわれの行々歩々の底には生死を賭けて求めなければならない深いものがあると思わざるを得ない。平常の底には死を透過してのみ見得る、深いものがあると思わざるを得ない。われわれの一挙手一投足は如何なるものの上にあるのであろうか。

 行々歩々は生命が身体的であることによってもつものである。われわれの身体は生命が想像を絶する長い時間と、形態の変化によって形作って来たものである。人間は六十兆の細胞と百四十億の脳細胞より成るという。この複雑な有機的統一態は、三十八億年前の生命細胞の発生より、十八億年前の真核細胞の誕生、更に六億年前の多細胞生命への進化、海生類、両棲類、爬虫類、哺乳類を経て人類へと形成し来ったのである。われわれが今あるとは三十八億年の時間の集積としてあるのであり、更に生れ来る子孫の無限の未来を宿すものとしてあるのである。

 人間は物を作り、言葉をもつ、物を作り言葉をもつとは、無限の過去と未来が現在の意識としてはたらくということである。内によって外を作り、外によって内を作り、作られたものが作るものとなることである。内によって外を作るとは、内が死することによって外となることであり、外によって内が作られるとは、外を殺して内とすることである。作られたものが作るものとなるとは、内外相互転換が相即的に創造的発展であることである。我々の祖先は汗と血によって自然と闘い、死を生へと転換していったのである。時間の蓄積とは斯る力の表出の蓄積である。

 斯かる世界形成の一要素として我々は歴史的形成的にあり、身体は世界形成的として、歴史的現在としてはたらくのである。歴史的現在としてはたらくとは、世界の現在に面し、世界の現在を作るものとして、蓄積された世界の現在の富、社会機構、芸術、道徳等を何等かの意味に於て内包し、生きてゆくものであることである。

 私達は今三度の飯を美味いとか、まずいとか言って潤沢に食っている。併し日本の長い歴史に於て米が潤沢に食えたのは極く最近のことである。私の幼時はまだ学校へ辨当をもって行けないものが多く居た。だから感謝せよと私は言うのではない。喫茶喫飯にも無限の営為の重なりがあり、我々はそれを受取って渡すものとして最善をつくした営為をもたなければならないとおもうものである。

 営為は一瞬一瞬である。併しその一瞬一瞬は無限の時間に於て成立するのである。過去未来を結ぶ永遠の時に於て成立するのである。私は平常とは一瞬一瞬が宿す永遠なるものの自覚に生きることであるとおもう。

 最近寿命が伸びたと言っても私達は百年足らずで死ぬ。而して我々は永遠の時を宿すものであり、無限の時を知るものである。而して我々は形成的生命として、この矛盾によってのみ動いてゆくものである。この矛盾の喪失は死である。何うすることも出来ない死をもつものとして身体はある。私はこの岩頭に立って、生死を截断せんとするところに聖者の苦悩があったとおもう。

 人間が意識的生命があるとは、その行為に於て一瞬間の方向か、永遠の方向か何れか一を撰択するものであることである。本能的欲求は現われて消えゆくものとして瞬間的方向に成立し、言葉を媒介とする自覚的欲求は、蓄積することによって形成するものとして永遠の方向をもつ、この場合意識が要求するものは何れが根源的であるかということである。禅家に自己本来の面目という言葉がある。一瞬を知り、官能を知るのは言葉であり、生命の有限に悩むとは否定せんとすることである。そこに人生に真ならんとすとき、現在を汚 濁として、永遠を愛慕して止まない所以がある。肉体を本能の根源として徹底的に否定し なければならない所以がある。大死一番とは意識の転換を行うことである。身体の統帥としての意識の転換は亦身体の転換である。私はそこに先人の苦行があったとおもう。

 瞬間が永遠であり、永遠が瞬間である生命に於て一方の否定は全体の死である。瞬間なき永遠は単なる空虚に外ならない。意識の転換とは本能的欲求の一々が永遠の内容となることである。無限の時間の陰翳をもつものとなることである。前に書いた如く一腕の飯に先人の無限の労を見ることである。自覚的生命としての人間は、単に飲食するということにも、無限の時を孕む全人類一なるものがはたらくのである。一挙手一投足を我を超えた全生命の我への具現とするのである。私は喫茶喫飯、一挙手一投足の底には達すべからざる深さがあるとおもう。平常心是道とは斯る深さに生きること とおもう。よく言われる日々是好日という言葉も、全人類一なる目より生れてくるものとおもう。一期一会も 自覚的生命の今として出合うということである。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

小児外科医のモチベーション

 先日、鳥取大学医学部学生に対して消化器・小児外科の医局説明会が行われ、私も「小児外科医のモチベーション」について話しました。外科が扱う病気で大部分を占める成人領域の多くの疾患は悪性腫瘍ですが、これとは異なり小児外科疾患の殆どは胎児期における器官形成過程の異常により起こります。つまり最初唯一つの受精卵が分化し各器官に形成されますが、その時の異常が原因で例えば先天性食道閉鎖症は食道と気管の分離不全により起こります。この食道閉鎖症といえば、歌手の椎名林檎さんは生まれてすぐにこの病気と診断され慶応大学病院で手術を受けています。慶応大学に小児外科医がいてすぐに手術したため、命が助かっただけでなく、現在のシンガーソングライターとしての椎名林檎さんがあるわけです。食道の手術後によくある声帯を動かす反回神経の麻痺によって声がかれることもなく、歌手として活動出来ているのです。慶応大学主催の学会の時にゲストとして来られましたが、慶応の小児外科医たちはみんな口々に「私が手術を担当しました」「術後をずっと私がみていたのです」と言うのです。これはすなわち椎名さんの手術に対して自負心や誇りを持っているということだと思います。このように小児外科医はこどもの病気を治すことはこどもの未来をつくる」という重要な使命を持っているのです。身近な例では医学部5年の学生が昔、私が阪大病院にいた時に、動脈管開存症の手術を受けたようで、これがきっかけで医学部を選択したといっています。もう1人の医学生はp63遺伝子(細胞周期やアポトーシスを制御し形態形成に関与する)の欠損による外胚葉系の異形成を主とするEEC症候群を合併し、先天的に両手の第3指が欠損、両足の第2,3趾が欠損、口唇口蓋裂があり、全身麻酔だけでも10回以上手術したようです。彼は幼少時代にいじめにあっていたようですが、「それが何やねん。お前らを見返したるわい」と頑張り現役で鳥取大学医学部に入学され、また高校からバスケットやゴルフをされてきました。小児外科医を目指してくれるようです。

 手術を受けた後成人ならぐったりしてなかなか起きれない、歩けない状態が長く続きますが、小児は大きな手術を受けても術後早期から病棟内をウロウロ動き回ったり、テレビゲームをピコピコやりだしたりして、また成人のように糖尿や高血圧などの他の合併症も少ないため、回復力は極めて強いのです。このような強大な小児の生命力と成長や発達能力の凄まじさに目を見張るものがあり、逆に彼らから『元気』をもらいこれが小児外科医のモチベーションになります。2021年東京パラリンピックにて水泳部門でいくつかのメダルを獲得した先天性四肢欠損症の鈴木孝幸さん、先天性小眼球症による視覚障害のために楽譜を全て聴覚でのみ理解、暗譜し、若干20才にてアメリカ・クライバーンピアノコンクールで優勝した辻井伸行さんなど、「失った機能を他の器官・臓器で代償する人間の能力には計り知れない」ものがあり、若い程その効果がよく発揮されます。さらに上記医学部学生のようにハンデイをはね返し、むしろポジティブに捉えて頑張る「若い力」を育成し、その成長を見届けるのは楽しいし嬉しいものです。

(2023.6)

見逃し配信

コロナ対策として、他人と接しないようにという政策がとられて来ましたが、ある番組で「ヒトがヒトと群れる時には脳の報酬系が働き快楽物質であるドーパミンが出て幸福な気持ちになるが、長期にヒトから離れ孤立するとこの報酬系が低下し、対人恐怖が増加する。情報だけを共有しても感情の共有が出来ない」という趣旨のことを言っていました。このことが動物においても実験で証明されたというのです。確かに人間関係を築く上では弊害ばかりのような気がしますが、一方でテクノロジーの発達により極めて便利になったなあと思うことがあります。

その1つが各種学会などにおけるWEB会議と、私にとってはこの上なく嬉しい企画、ラジオやテレビの「見逃し配信」が大きく発展したことです。私はオペラやクラシック音楽ファンなので、これまでは聴けない観れない放送はオーデイオ機器を駆使して「留守録(1週間丸ごと収録する録画機なども出ていました)」に依存していましたが、時に「留守録忘れ」、「放送予定に気が付かない」ことが重なり忸怩(じくじ)たる思いをしたものです。それがこの「見逃し配信」では放送後1週間はいつでも聴けるわけです。例えば音楽番組は「NHKラジオ、らじる★らじる」では無料で1週間のほぼすべての番組が聴け、スマホでアプリを取れば大阪の地下鉄でも山陰本線の鈍行列車の中でいつでも好きな時間に楽しめるという、極めて有意義なものです。他にもNHKプラスではテレビドラマ、植物学者牧野富太郎を扱った「らんまん」「どうする家康」田中みな実主演の「悪女について」(有吉佐和子の原作は読んだことあります)など、どこでも無料で見れるし、他局やBS、WOWOWの番組もOKのようです。

(2023.7)

リズムについて 其の2

 私達は何故リズムを尚び、リズムを問うのであるか、それは我々の生命がリズム的であり、リズム的に表われるからである。リズム的であり、リズム的に表われるとは如何なることであろうか、私はそれは我々の生命が身体をもつところにあるとおもう。身体は内外相互転換を行動に於てもつものである。行動によって、はたらくことによって物を作り、生活の糧を得るものである。

 水は高きより低きに流れる、物の動くのは重力による、それに対して身体は自発的な力をもつものである。身体が行動的であるとは重力を越えた力を持つことである。重力を否定して独自の力学体系をもつことである。自己の行動力学をもつのである。而して否定するとはその中にあるものがそれを超えることである。重力を否定するものは、重力の作用をもつ物としての性質をもつものである。重力の作用をもち、作用を受けるものとして初めて重力を否定することが出来るのである。身体の行動は斯る物としての重力と、自発的な力の対抗緊張としてもつのである。その最も端的な現れが歩くことであるとおもう。歩くには足を挙げなければならない。足を挙げることは地球の重力に抗することである。欲求とか、意志とかの内発的な力がはたらくことである。挙げた足を下ろすことは地球の重力に即することである。歩くとは相否定する力がはたらくことである。これを自発的な力をもつものとしての我々の側より言えば飛躍と断絶をもつことである。この飛躍と断絶の連続が生命の表れとしてリズムの感覚となるのである。リズムとは身体の力の表出の感覚であり、時間の形相である。

 生命は全て形成的であり、特に動物は力の表出なくして生存はあり得ない。動物の行動は全てリズムをもつということが出来る。木を登るリス、野を駆ける馬、銀鱗をひらめかして泳ぐ魚、それ等に感ずる躍動感はリズムの感覚である。併し魚や馬は本能のままに走るのである。そこに快適な感覚はあるのかも知れない、併しリズムとしての感覚の把握をもつことはないであろうとおもう。事実私達も亦所用で道を歩くとき、水は何かの機会で駆けるとき、力の表出の感覚はあってもリズムの感覚はもっていないとおもう。リズムの感覚が生れるには更に高次なる意識への到達がなければならないとおもう。

 身体の行動にはおのずから情緒を伴う。行動は情緒であり、情緒は行動である。私達が日常買物に行くときでも強制された場合は足取りが重く、自分の欲しいものを買いに行くときは急ぎ足となる。身体は情緒的に自己を表出するのである。併し日常の行動は欲求にしたがい、情緒は欲求の陰翳である。私は我々の意識がリズムを捉えるには、情緒が欲求より独立して、情緒が行動を構成することがなければならないとおもう。よろこびがさまざまのよろこびの動作を構成することによって自己を表現するのである。かなしみがさまざまのかなしみの動作を構成することによって、人間の行動の深奥を露わにするのである。それは自己の所在を自己が把握することによって、より豊潤なる世界を展開し、より多様 なる行動をもち得る高次なる世界への到達である。私はそこに舞踊を見、音楽、絵画等の 表現を見ることが出来るとおもう。私は斯る表現の、表われた形の方向にではなく、表わす生命の方向にリズムが見られるのであり、表わすものとして、表わす動きにリズムの感覚をもち得るのであるとおもう。それでは斯る高次なる感覚は如何にして持ち得るのであろうか。

 芸術は神に祈り、神の形を表さんとするところにその始原をもつと言われる。生命は瞬間的なるものが永遠なるものとしてある。我々が記憶をもつということも、過去となった一瞬一瞬が保持されているということである。過去が保持されているということは、現在に於てはたらいているということである。人間は一瞬一瞬を統一する大なる生命であることによって記憶をもつのである。過去が現在にはたらくとは、この大なる生命を実現せんとすることである。一瞬一瞬が大なる生命の内容として、大なる生命を実現せんとするとき、瞬間的なるものは瞬間に止まることは出来ない。大なる生命を実現するものとして、一瞬一瞬は構成されるのである。構成されるとき、構成するものは一瞬一瞬の支配者となるのである。永遠なるものは一瞬一瞬を構成することによって自己の姿を見てゆくのである。我々が神を表わさんとすることは、神が自己自身を見てゆくことである。リズムは神の創造の波動として我々は感覚にもち得るのであるとおもう。

 われわれの身体が一面物として地球の重力にしたがう方向と、内発する力によって重力を否定する方向をもつとき、積極的なる力の表出を動として、力の収まる方向を静としてさまざまのリズムの姿が見られるとおもう。身体に直接するものとして舞踊がある。舞踊を基準として身体を超えた動的なものの方向の極に音楽がある。それは象に表わすことなきが故に純なる韻律の流れである。情感の直接なるあらわれである。重力の作用の最もはたらく表現として、建築は静的なるものの極にあるとおもう。ショペンホウエルは建築は 剛性と蓋性の対抗の美であると言っている。陶器の如きもあの土で作られた重量感と安定感は静的なるものであるとおもう。そしてその鑑賞は建築も陶器も皮膚感覚が重大な要素をもつようにおもう。

 身体を軸として動と静を分つとは形を二分することである。一つは動が静を包むのであり、一つは静が動を包むのである。動が静を包むとは、転ずるものがそのままに形である。転ずるものは形なきものである。それが形をもつとは、形作られたものを表わすのではなくして、形作るものが自己をあらわすのである、よろこびかなしみのリズムに於て形作られるものを宿すのである。私は音楽は斯かるものであるとおもう。

 静が動を包むとは、作られたものとしての形を写すことである。絵画、彫刻等はその中に入るとおもう。それはよろこびかなしみを孕む形を固定化さすことによって、対象として自己を離れて自己を見るのである。鑑賞の時間を介在さすことによって、反芻することによってよろこびかなしみを深めてゆくのである。深められた情感に於てより大なる次の製作へと移りゆくのである。私は舞踊や音楽のリズムが、共に動きを要請するリズムであるのに対して、絵画や彫刻は人生の内奥への呼びかけをもつリズムであるとおもう。

 私達は草や木や、雲や水にもリズムを感じる。私はこのリズムを感じる草や雲は自然科学的認識としての対象の自然ではないとおもう。そこに観察されるのは物の組成である。花が開くのはその充足に於て、よろこびの目をもって見、雲の流れを自在として、解放されたものの豊かに於て見るのである。私達に呼びかける生命として対するのである。私達は創造的生命として身体を外に見る。斯く外に見られた身体として我々は雲や草木に対するのである。

 私は日本的生命の根底には豊かなリズム感があるようにおもう。田植に歌、漁には船乗り歌、酒作りの歌等々私はそれは労働の苦しさを癒やす為の手段のみではなかったとおもう。田植の動作が歌のリズムを生み、歌のリズムが田植の動作を呼ぶのである。自然と人間が作業に於て一である。一であるとは充足でありよろこびである。近頃よく日本人の働き過ぎが言われる。私は日本人の働きの根底にはリズム的な同一があるのではないかとおもう。休息は呼吸を入れるのであって、西洋的な労働と遊びを截然と分つのは体質に押染まないのではないかとおもう。日本人の遊びは古代の道に遊ぶと言った如きであると思う。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

表現としての感動について

 抒情詩は共感の芸術であり、共感を呼ぶものは感動である。短歌も日本的抒情詩として、その内容は感動でなければならない。私は斯かるものとして短歌は何かと問うとき、感動とは何かを先ず明らかにしなければならないとおもう。

 辞書によると感動は深く物に感じて心を動かすことと書いてある。私はこの深く物に感 じることに二つの場合があるとおもう。一つは物が強くはたらくことであり、一つは心が 強くはたらくことである。物が強くはたらくとは、困っている時に予想以上の支援を受けたような時である。心が強くはたらくとは、物の質量によらずして心がそこに自分の姿を見出したようなときである。一つは受動的であり、一つは能動的である。一つは日常生活に於て、一つは表現的努力に於て見られるものである。今私が問わんとしているのは勿論後者である。

 私は表現としての感動は、我があり、我が生きているということが世界に関っているこ とにあるとおもう。私達は朝目が覚めると、まだ暗いとおもい、もう明るいとおもう。ま だ暗いとおもうのは人々はまだ眠っているであろう、もう少し眠っていようかということ であり、もう明るいとおもうのは、多くの人が起きている頃になった、私も起きて今日の はたらきをしなければならないということであろう。思いは人との関りの中から生れてく るのである。起きて洗面をするということは社会が営んで来た習慣に従うことであり、 歯を磨くということは、歯刷子を使い歯磨粉を使うことである。喫茶喫飯、一挙手一投足ことごとく世界に関るのであり、世界に関ることによって我々は生きてゆくのである。裸で坐って何もしていないときでも、裸であるとおもうことが既に、人の目を潜在的に意識しているのであり、着衣を反極にもっているのである。

 世界に関るとは、私達の心は常に対象に向って動いているということである。対象とは世界の内容であり、それに向って心が動くとは、われわれの自己は対象によって実現されるということである。対象を見るとは自己を実現するということである。そしてわれわれが世界の内容としての対象を見たということが、世界が世界を実現したということなのである。

 世界とはこの我を超えたものである。この我を超えるとはこの我の生死を超えるということである。生死を超えるとは生死を包むことである。生死はその中にあり、生死をそこに写して見ることである。そこに映して見るとは世界は無数の生死によって形作られたということである。無数の生死によって形作られた内に写すとは、無数の生死は一つということであり、世界は創造的形成であるということである。無数の生死を介して世界は大なる創造線をもつということである。対象が世界の内容であるとは、対象は無数の生命の生死を介して見出されたものである。

 私は対象は斯るものとして、われわれの心は常に対象に向って動いてゆくのであるとおもう。生命は内外相互転換的である。内外相互転換的とは内を外とし、外を内とすることである。その原型的なものが食物を摂って身体と化することである。外を内とし、内を外とすることは技術的である。技術的として身体は機構的である。われわれの身体は機構的として技術の集積である。その身体の技術は無数の生死によって集積されたのである。更にわれわれの身体は表現的身体である。表現的身体とは、外が内に対立するのではなく、内として外を転換するものとなることである。手の延長として道具をもち、声の延長として言葉をもつことである。われわれのもつ内外相互転換とは、無限の生命の内外相互転換の蓄積として、外を内に写し、その内を外に写して形作られてきたものである。私達は同じ生命であっても犬の目が向く処に私達の目は向かない。それは蓄積の系譜を異にするからである。ペルーの山深く今尚原始生活を営む人々は、輝くアンデス山頂の荘麗な雪嶺を悪魔の姿として怖れるそうである。我々が雪嶺を美しいと仰ぎ見るのは、私達の目の中に幾多の先人の目の努力がはたらいているのである。

 歴史は大なる内面的発展の流れである。内面的発展の流れとは、先人の目がわれの目の中にはたらき、先人の手がわれの手となってはたらくことである。私達は毛筆の字を習うときに王義之の手本を見る、それは王義之の目と手がこの我の目と手の中にはたらくということである。物の生産而り、芸術、道徳而り、我々の日常全ては全人類を一ならしめる時の統一に於てあるのである。私達が生きるとは斯る大なる創造線に添うということである。

 私は感動とは斯る大なる創造線に添うことによって真個の自己に触れた感情であるとおもう。併し王義之に習い、丸山応挙に学ぶことは未だ真に創造線に添うことではない。われわれは生命としてはたらくものである。王義之がはたらくことによって見出したこの手と目は、その極王義之を殺すことによって自己の目と手として生かすのでなければならない。自己の個性による新たな形が生れるのでなければならない。そこに生命が新たなる生命を生んで死んでゆく所以があるのである。創造線とは無数の生命が生死によって描く曲線である。

 日常の全てが歴史の内面的発展としてあるものとして、一挙手一投足全てが真個の自己を表すものとなるのでなければならない。唯前に書いた如く習性の中に狎れたときに真の自己を自出し得ないのであるとおもう。通常われわれが日常というとき、日常とは習慣の中に埋没した営みであるとおもう。それが真個を表わすものとなるためには外に創造的生命の表出とならしめるものが無ければならないと思う。創造的生命の表出とならしめるとは動いてゆく今を捉えることである。言葉あるいは物によって形に現前せしめることである。形に現前するとは最早ときの流れの中に埋没したものではない。時を内に包むことによって形は現前するのである。大地を踏んだ、空を仰いだということを言葉に表わすとき、言葉は無限の過去を潜め、無限の未来を孕むものとして出で来るのである。唯大地を踏んだ、空を仰いだと言う如きは身体に即して外ならざるものである。見るべからざるものである。それを言葉として、物として見るということは大なる力の表出である。表現は自覚的生命の生む苦しみである。而して形に見るということが創造線に添うということである。私は感動とは努力によって、力の表出によって自己を形に実現し、大なる世界の創造線に自己を見出たことであるとおもう。力の表出によって形を見出すとは、創造的世界を自己の内に見ることである。創造線に添うということは全人類の形成作用を自己に見るということである。そこにわれわれは生死する自己を超えるのである。一瞬が永遠を包むものとなるのである。斯るものとして私は感動は力の表出によって現われてくる新たな自己の感情であるとおもう。努力の止むとき感動は淡き残像となるのである。偉大なる作品は感動の持続の影であり、感動の持続は止むことなき努力であるとおもう。自覚的形成的に働く生命が、働く自己を表現に証するのが感動であるとおもう。

 心が対象に向って動くということは、生命形成的に外に関るということである。生命形 成的に外に関るとは、作ることが作られることであり、作られることが作ることである。 そこに生命の創造的形成があるのである。創造的形成として、心が対象に向くということ は、心が対象から招かれるということでなければならない。招かれるとは対象はわれわれを呼ぶものとして、対象と我は対話的にあるということである。

 創造的形成に於て対象が呼びかけるとは如何なることであるか、前にも書いた如く創造は内を外とし、外を内とする限りない営為である。内が外を宿し、外が内を宿すのが世界の形象である。それは作られたものが作るものとなり、作るものが作られたも のとなることである。内は製作者となり、外は物として製品となるのである。われわれの心の向く対象は製品となるのである。そして製品は生命の形への表れとして、形成としての技術によって作られ、技術を内蔵するものとして次の形を呼ぶのである。芸術的表現の世界に於ては、ゲーテやロダンがその作品に於てわれを招き呼ぶのである。自然に対かうと思うときでも れわれは単なる自然に対うのではない。アンデスの例に述べたごとく、われわれの内に先人の詩的表現の言葉がはたらき、言葉が目となってはたらくのである。ここに月に喜びを見、かなしみを見るのである。その底には先人との対話があるのである。

 内外相互転換は単なる連続ではない、外を物として、内を生命としての相互否定である。生命の否定は死である。ゲーテがわれわれを招くとは、われわれよりも偉大なるものとしてあるということである。重力に於てより大なるものが引く如く、表現に於てより偉大なるものが招くのである。而してわれわれが対うとは、対うものを転じて我の内容とし、われの働く力となさんとすることである。転じ得ざることは死である。招くとは亦一面死を以って迫ってくることである。招く力は大なる力である、そこに我々は死ななければならない、死して生れなければならない所以がある。斯るものとして表現は苦痛であり、力の表出を伴わなければならないのである。そして言葉をもつ自覚的生命としての人間は断る苦痛を介してのみ喜びをもつことが出来るのである。私はゲーテやロダンを例に引くことによって稍大袈裟にしすぎたようである。併し私は日常の喫茶喫飯といえども表現するというには呼び声があるのであり、呼び声の根底には人類の形成があるとおもうのる。連綿としてわれわれの目、われわれの言葉を養って来たものがあるとおもうのである。如何なる表現も苦しみであり、努力であるとおもうのである。

 身体は情緒的である。情緒的であるとは身体の動きは情緒の表出を伴なうということである。生死は身体の最大事である。そこには最も大なる感情の起伏が見られるとおもう。自覚としての表現的世界に死ぬとは絶望することである。それは肉体の死以上の苦しみである。生きるとはそれを超えた歓喜である。私は歴史的世界は数え切れない人々が斯る絶望と歓喜に生き、呼び応えた所として感情の海であるとおもう。芸術的表現の世界は共感の世界である。斯く共感をもち得るの全歴史が喜び悲しみの場として、感情の海の意味をもたなければならないとおもう。感情の海とは一つのものとして直に繋がるということである。静御前の涙が直に我々の目より流れることである。荊軻の怒りが我々の唇を引き緊めることである。聖母に抱かれた幼児のほほえみが、われわれの頬をゆるませることである。判断を超えて全時間を唯一現在としてあらしめることである。私は感動とはわれわれの感情が斯る海に流れ入ることであるとおもう。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

書店の時間的考察

 田村さんが活字浴と称して、書店に行くのが私の贅沢であるという歌を作っていた。私も活字中毒というのであろうか、書店を見るとふらふらと入ってしまう。別に何を買うというのでもない、強いて言えば未知なる内の欲求に出合いたいということなのであろうか、自分の知らない自分の内奥の姿が映し出されているものがあるような気がするのである。ささやかなロマンとでも言うものであろうか。それと書店は知の凝縮である。知は物を写す。並んでいる本の表題を見ていると、世界の動き、現代の心の動きに触れたような気がする。勿論気がするだけである。併し今書こうとするのはそのようなことではない。ふと垣間に見た時間空間についてである。

 若い母親らしき女が絵本を買っている。差出された本を見て、女店員が愛想のつもりであろうか、「おいくつになられたんですか」と尋ねている。すると若い女は長い間絵本の並んでいる棚の前に立って、片っ端から開けて見ていたくせに「四才になったんですが、こんな本でよいのでしょうか」と尋ね返している。そして「そうですねえ、皆さんこの本はよく買って帰られますよ、それにあの本もよく売れています」の答に、もう一冊の本を取って来て二冊を包んでもらい安心したような足どりで帰って行った。私はそこに子供のすこやかな成長を祈っている母親の姿を見ると共に、ふと本が内蔵している時間の相に思いを馳せた。

 本は既にあるもの、形作られてあるものとして過去の内容である。併し彼の女が子供に読ませることによって、子供の成長をはかるということは未来に関り、未来を拓くものであることである。そう思って見ると犇(ひし)めいて本棚に向っている人全てが、明日の自分を形造るためのようである。八割を占める学生は、受験のためか知識欲のためか知らない、併しその何れも成人の日に用立てんがためである。料理の本の前に立っている女性は明日の家庭の団らんのためであろう。小説を買っている人は、情感のみずみずしさを保つためであろう。よきにせよ悪しきにせよ、本は明日の自分を作るために読むようである。

 本という既成のものによって、読むものが自己の未来を作るとは、形作られたものは形作るものであるということである。過ぎ去ったものははたらくものであるということである。過ぎ去ったものが働くことによって未来が形作られるとは、未来は過去の投げた影であるということが出来る。併しそのことは過去は未来によってあることである。そこに撰択がある。私は前に母親らしき女が片っ端から絵本を開いていたと書いた。彼女はその時子供の未来像を描いていたのであろう。彼女は子供の未来像と結びつけ得る絵本を買ったのであるとおもう。撰択は未来が自己に結びつく過去の撰択である。未来の要請として過去はあるのである。未来の要請によって過去があるとは、未来ははたらくものとして未来であるということである。

 一冊の本はそれ自身の内容をもつものとして分つべからざるものである。それに対して過去と未来は相対するものである。未来は過去によってあり、過去は未来によってあるとは、過去と未来は相互否定的に結ばれているということである。未来は過去の否定として未来であり、過去は未来の否定として過去である。分つべからざるものは道元禅師の言う同時である。一冊の本は一つの時として存在する。分つべからざるものとして一である。それが過去と未来として相対立するものを含むとは、形が形を生み、形が形を作る創造的なるものの一点としてあるということである。無限に対立するものを含む同時とは、時を 超えて時をあらしむる永遠ということである。一冊の本は時を含む永遠なるもののあらわれとして、内に過去と未来をもつことが出来るのである。

 創造とは作られたものが作るものとなることである。私達がドストエフスキーの小説を読んで感動したとき、その感動がものを見るときにはたらくのである。私は短歌を作るものであるが、斉藤茂吉の「赤茄子の腐れていたるところよりいく程もなき歩みなりけり」 に心うたれて以来、そのように感じ、そのように表現しようと心に掛っていたのを思い出す。私達が書店に見る膨大な文字の氾濫は、形が形を生み、文字が文字を生む人類創生以来の作られたものが作るものとなってきた結果である。分つべからざる本の内容とは、この創造線の一点としてあるということであり、内に相分つものをもつとは、この形成作用を背負うことによってあるということである。

 背負うことによってあるとは、本が創造をもつということではない。創造するものが本 に自己を表わし、表わすことによって自己を見てゆくということである。創造をもつも は、買った母親であり、読む子であり、更に著わした作者である。生死する生命である。生死する生命が自覚的形成的である時、創造があるのである。生れてくる子が未来となるのであり、死んで行った者が過去となるのである。死んで行った者より生れた我々が、死んで行った者等が作った世界を否し、我々の世界を作ったところに死者は過去となるのであり、生れてくる子が我々の作った世界を否定して、彼等の世界を作るところに未来があるのである。而してそれが作られたものより作るものへとして、一つの連続をもつところに時の成立があり、創造があるのである。一ころ時代が違うと言う言葉が流行ったことがある。親乃至は先輩の思考方法を否定する言葉であり、行動の断絶を宣言する言葉であった。生命が自覚的形成的として創造的となればなる程斯る断絶は避け得ないものとなる。斯かる断絶が作られたものより作るものへとして一なるところに創造があるのである。

 作られたものより作るものへとして、否定を超えて生命が一であるとは、生命の創生以来、作られたもの作るものへとなった作るものが今もはたらいているということである。死者が過去となり、生れてくる子が未来となるとき、現在とは生命と生命が呼び交すことである。多くの人が関り合って一つの世界を形作っていることである。最初の生命が今にはたらいているとは、自覚的形成としての最初の表現物が、我々に呼びかけるものをもっているということである。クロマニョンの絵が、 印度のボェウダが、エヂプトのピラミッドが我々に呼びかけをもつということである。書店の棚よりゲーテやミケランジェロを取り出すことは、われわれがその呼びかけに応答するということである。呼び応えるところに現在があるとすれば、創生以来の全生命は大なる現在にあるということが出来る。断絶は斯る世界に於て連続し、一なるものの内容となるのである。

 本が過去を蔵し、未来をはぐくむものでありつつ分つべからざるものであるとは、斯る ものの表れとしてあるということである。分つべからざるものとは直に一であるというこ とである。過去と未来が現在に於てあるということである。呼び応えるという一つのはたらきの中にあるということである。過去と未来が現在に於て一つであるとは、呼び応えるということは、初めと終りを結ぶいのちがはたらくということである。初めと終りを結ぶものは、内に否定と断絶を含むものとして永遠なるものである。否定と断絶に於て呼びかけと応答があるのであり、呼びかけと応答に於て現在があるのであり、現在が成立することによって時の統一、変化の統一があるのである。一冊の本は永遠なるものがはたらくものとしてあるのであり、全てあるものは永遠なるものの形としてあるのである。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

奉仕の原点について

 お馴染みの一休物語である。併しここに御登場いただくのは一休さんではない、一休禅師である。

 ある日の夕方一休禅師が門前に立っていると、一人乞食がやって来て、横柄に手を出し「物をくれ」と言う。手許に持合せのなかった禅師がとって返し、幾何かを与えると、乞食は袋に入れてすたすたと歩き出した。流石の禅師もいささかむっとして、「おい」と呼び止め、「お前は他人に物をもらって有難いと思わないのか」と言った。すると振り返った乞食は、「お前は他人に物を与えて有難いと思わないのか」と言って、後も見ずに去って行った。はっと心を打たれた禅師は、乞食の姿が見えなくなる迄手を合せて拝んでいた。以上の話は恐らく作り話であろう。併し実際の有無に関らず、私はこの中に深い真実があると思わざるを得ない。

 物は労苦の結晶である。殊に古代に於ては、努力なくして一物もあり得なかったと言い得ると思う。その物を無償で他人の所有とするのである。流した汗を思えば、もらう方は感謝して当然である。それによってもらった者は、自己の生命をつないでいるのである。与えるものは、与えようと与えまいと本人の気持次第である。双方に権利・義務の関係が生じているのではない、任意である。そこには優越、劣後の感情さえ生れて当然であると思う。

 併しそれは人と人、我と汝の関係に於てである。若し人類普遍の目をもって見れば何うであろうか。全てのものがそれによってあり、それによって有ると言われる神の前に立つと考えた時に何うであろうか。もてる者ともたざる者、与え得る者と、与えらるる者、何れが神に感謝すべきであろうか。

 大歴史家ランケは、如何なる歴史も世界史につながると言っている。我々は全人類一としてあり、我々の行為は全人類一なる声に呼ばれてあるのである。私有財産の発生は、我々を自己と他者に引き裂いていった。併し引き裂かれたところに生はない。自己と他者は世界を造るものとして、対立しつつ一なるところに生はあるのである。全人類一なるものに回帰するところに、我々の行為はあるのである。

 私は奉仕とは、人と人との対立を超えて、全人類一としての、神の前に立たんとする行為であると思う。奉仕の精神とは、与えられる者はもとより感謝すべきである。併し与えるものはより大なる感謝をもつところにあると思う。そこには最早与えるものと、与えられるものがあるのではない、全存在の深みへと入ってゆくのである。我々の生を与えたも のを表わしてゆくのである。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

木蔭に寝乍ら

 私は夏になるとよく好古館の東の公園に本を携えて行く、そこにはたくさん植えられた 楠の木があって、その中に特に大きなのが一本ある。丁度午后の二時頃になると下に置かれたベンチが翳ってくるので、私は仰向けに寝転んで本を読むのである。濃緑の葉が内部見えない位繁っているのを見ると、その一樹は葉に満ちているようにおもう。併し寝転んで下から見上げると、見えるのは複雑に伸びて組合う枝が殆んどである。それは丁度傘を拡げたようである。骨組の上に布を張ったようにして葉がついているのである。私は曽って樹木は葉を光合成が最も効率的に出来るように拡げるというのを読んだことがある。成程とおもう、そして何時もこれが太陽光線を最もよく受ける為に自然が作った形なのだなあとおもう。よく見ると重なり合っているように見える葉の一枚一枚が、自分の太陽光線を享受出来る面をちゃんと持っている。而してそのことは、下に寝転ぶ私にとって大変快適な空間を作ってくれるのである。全てが太陽光線を最大限に受けようとすることは太陽光線の少ない所は陶汰されてゆくということである。上に伸びた枝が繁って、曽って葉をもった、下になった枝は枯れてゆくということである。見上げる私は高い木の一番上の方迄自由に視線を遊ばすことが出来るのである。

 高く大きく拡げた木蔭を通う風は涼しい。木蔭を区切って外は照りつける日差しに暑い風が吹いている。その風が蔭に入るととたんに涼しくなる。私はそれが何時も不思議で仕方がない。そして未だそれを解明した本に出会ったことがない。併し私は不思議なものに身を委ねているのも楽しいことのようにおもう。標とした無限なものの上に漂うているような気がするからである。

 本を読んでいると時折り、大きな目の紋様を持った蝶が降りてくる。降りてくるのが殆 んど何時もその蝶であることをおもうと、恐らくこの楠の何処かに棲んでいるのであろうか、私にはこの目の紋様が翅にどうして出来たのであろうかということも不思議の一つである。第一に考えられることは敵を威嚇するためである。これは誰も思うことであり、恐らく正しいのであろうとおもう。不思議は次の問いからである。何うしてそれを蝶が知っているかであり、何うして翅に紋様として現れたかである。外に現われるためには何か内にはたらくものがなければならない。如何なるものがはたらいたのであろうか、そこで考えられるのは、蝶は度々斯る目を持ったものに襲われ、殺されたということである。この丸いのは恐らく鳥の目であろう。そしてこの様な目に出会った時、蝶は本能的に逃走の飛翔をもつのであろう。併しそれが何うして翅に巨大なる目の紋様となって現われたのか。

 私はここで更に細胞の不思議へと思考を進めなければならないようである。鳥の目に恐怖するとすれば、同じ形相の更に大なるものは、より大なる力をもつ筈である。大なる力は小なる力を圧伏する筈である。逃げ出さなければならない目は、更に大なる目によって追い払える筈である。私は恐怖によって紋様が出現したとすれば、蝶の内部に斯る生命の論理が働いたとおもわざるを得ない、測り知ることの出来ない時間の中に、限り無く襲われ、食われることによって、生命細胞は斯る形を現わし来ったとおもわざるを得ない。如何にしてという問いを超えて、生命細胞は保護色虫が自在に色を変えるごとく、生存に最も適する形を実現するものとおもわざるを得ない。

 近頃は余り見かけないが、一時よく原始社会の彫刻が公園などで並べられたものである。直線の輪郭の顔、逆立つ眉、大きく剥いた眼、張り出た鼻、分厚い唇、そして犬のような牙、それらは全てわれわれを威圧し、恐怖に導くものであったようにおもう。それ等は原始人が魔除けに作った形であるという。それ等は全て悪魔の形相である。悪魔を払うために更に大なる悪魔の形相を見出たのである。勿論それは生命細胞が自己を具現したのではない、自覚的生命として外に、木や石に表わしたものである。併し私はそこに生命細胞と人間の表現の接続を見ることが出来るように思う。生命細胞の中に人間の表現の原質を見ることが出来るようにおもう。

 形は内なるものの表れであり、内なるものの表れとしての形が美であるとすれば、私は芸術の淵源はここにあるようにおもう。原始表現は、更に生命細胞に潜むものの中にあるようにおもう。勿論蝶の紋様が芸術とは言えないし、原始的表現も芸術とは言えないものであろうとおもう。人間は自覚的として外に物を作り、内に愛を創った。そこに人間は無限の多様なる形をもったのである。言葉を介して形が形を生んでゆくのである。価値はそこより生れる。美も美的価値として内面的発展をもつものであり、芸術とは形の内面的発展に付けられた名であるとおもう。併しての形が形を生んでゆく内面的発展の力は、蝶が襲われ食われた限り無い時間の中に見出して来た、目の紋様の出現と同じ力がはたらいていると思わざるを得ない。生命細胞が目の紋様をもったということは思議すべからざるものである。私はそれと共に芸術家の手を動かす形の出現も思議すべからざるものであるとおもう。芸術家は作ることが呼ばれることであるとおもう、知らざる手が導くのである。私は私達の背後に全生命を一とした、大なる生命の運びがあるようにおもう。我々の思議は不思議の上にあるのである。不思議が思義するのである。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

色 即 是 空

 以前に読んだ生物学の本には、人間の細胞は三十兆、脳細胞は百二十億と書いてあったと記憶する。それが今度の本には細胞が六十兆、脳細胞が百四十億と書いてある。短期間にそんなに増える筈がないから測定の方法が精密化したのであろう。前に読んだ本では脳のはたらき得る可能性は、百二十億の百二十億乗、全宇宙の電子の数に匹敵すると書いてあった。そうとすると現在は更に増えていることになる。但し人間が生涯に使うのは十数%にすぎないと書いてあった。それにしても人間の想像を絶する深大さには、驚異とも畏敬ともつかないものをもつばかりである。

 生命は三十八億年程前に誕生したらしい。その生命が単細胞生物から、多細胞生物となったのは六億年程前らしい。それから陸棲動物となり、両棲類、爬虫類、哺乳類より人類へと進化したらしい。即ち六十兆の細胞と百四十億の脳細胞は、人類が三十八億年の生死の陶汰を繰り返して形作ってきたものである。二十億年の無核生物、十二億年の単細胞生物、六億年の海中、陸棲を積重ねてきた生命の構造物である。多彩なる機能は長い間の、生死の中より獲得してきた形質である。

 この頃テレビできんさんぎんさんというのが評判になっている。双生児の姉妹で共に百才であるらしい。評判の原因はその長生にあやかりたいということらしい。この頃の平均寿命は男七十六才位女八十一才位と新聞に書いてある。私達の若い頃の人生五十年に較べれば長生きになったものである。併し死は幾つになっても悲しいものである。

 般若心経は五蘊(ごうん)は皆空なりと照見して一切苦厄をし給うと説き、色即是空と説く。五蘊は五官であり、感覚であり欲求である。欲求の対象は物である。物は全て対立をもつものであり、対立は相互否定的である。否定すると共に否定されることによって物はあるのである。否定すると共に否定されるとは形が変ずることである。物は必ず壊れるものである。身体も亦形あるものとして、必ず死にゆくのである。物の壊れてゆくのは所有するものにとって苦しみであり、死ぬことは生きるものにとって苦しみである。生を死に映すとき、見るもの聞くもの全て苦しみたらざるはない。斯る苦しみは皆空なりと観ずることによって救済されると説くのである。

 何故死ぬことは悲しく苦しいのであるか、犬は老いの来るのを悩まない、唯食物を探すだけである。鯉は背を包丁で割かれても静かである。死に面せずして死に苦悩するのは人間だけである。他の動物は健康であるのに悩むことはない、そこに人間の知があるのである。人は他者の死を見て自己に来る死を知る。他者の死を知るということは、自己ならざるもの、自己を超えたものを知ることである。それは無数の生死を知ることである。人は必ず死ぬという命題は、唯一人や二人の死を見ることによって生れたのではない。病・老・死を無数に見ることによって来ったのである。自己を超えた無数の生死を見ることは、無限の時を見ることである。生死を超えた時間を見ることである。死のかなしみは、生死を超えた無限の時間の中に、自己の有限を見るが故にかなしいのである。無限の時間の中に映すとき、有限なるものは何れも儚きものとして、泡沫と生れて消えゆくもののかなしみを持たざるを得ないのである。

 如何にして人間は無限の時間を見、自己を有限と見るのであるか、私はそこに三十八億年の生命形成を見ることが出来るとおもう。私達の生命は一瞬一瞬の内外相互転換に於て自己を維持してゆく、呼吸をし、食物を摂り、ニュースを聞き、他者と語らって生きている。併しその一瞬一瞬は六十兆の細胞を作り、百四十億の脳細胞を作った、三十八億年の時間を孕むものの一瞬である。我々の身体は生れて死ぬ、併しこの泡沫とも言うべき八十年は、過去の無数の生死の集積としての身体である。無数の生死の集積とは、生死を超え生死を内に包むということである。私達は歩き乍ら様々のものを見る、一歩一歩異ったものを見る、而して其の一々は脳細胞の測り得ないはたらきを背後にもつ目によって見るのである。一瞬一瞬は意識の達すべからざる時間をもつのである。達すべからざるものとして、過ぎゆく一瞬一瞬がそれによってあり、その中にあるものとしてそれは永遠なるものである。生命が動的として無限にはたらくとは身体的に自己を形成することであり、身体は永遠なるものが瞬間的であり、瞬間的なるものが永遠なるものとして自己を形成するのである。動的であるとは矛盾の統一ということであり、永遠なるものに瞬間的なるものを映し、瞬間的なるものに永遠を映すことによって自己を形成してゆくのである。矛盾の統一として、永遠なるものと瞬間的なるものが相互限定的に自己を形成してゆくとは、生命は自己の中に自己を見てゆくことであり、身体は生命の具現としてあることである。身体は身体の中に自己を見てゆくのである。

 人間は言葉をもつものとして自覚的に自己を限定する。自覚的とは外に表現的に自己を見てゆくことである。瞬間に永遠を映し、永遠に瞬間を映すということは表現的に自己を見てゆくことである。見るものの方向に三十八億年の生命を宿す永遠なるものがあり、見られたものの方向に現在の形として、形より形へと移りゆくものがあるのである。無限なるものの前に立つ有限なるものの悲しみはここにあるのである。身体は見られたものであると同時に見るものである。悲しみ苦しみは動的なるものとしての、身体がもつ矛盾乖離にあるのである。苦悩は無限と有限、永遠と瞬間が対立することにあるのではない。自己が自己ならざるところにあるのである。対立するとは自己が自己ならざることである。自己ならざる自己が、自己ならんと努力するのが苦悩である。それは苦悩せんとして苦悩するのではない、矛盾はそれ自身が一なることを要求するものであり、人間に於ては自覚と して、言葉に露わならんとするのである。真に生きんとすればする程、生の根源として湧き来るのである。

 この我とは今此処にせんべいを嚙り、原稿紙にペンを走らせている我である。それ以外に我があるのではない。それは他者に罵られて腹を立て、病みては床に呻吟するわれである。やがて死して焼場に送られる我である。何処迄も色身としての我である。色身を離れて我はない。而して色身の世界は対立矛盾の世界であり、苦悩の世界である。空なりと観ずるとは如何なることであろうか。色身は現実に於て如何にして救済されるのであろうか。離れてあり得ないものを離れる観とは如何なるものであろうか。

 今囓っているせんべいは、人類が長い歴史の中に経験の蓄積としての技術による世界形の内容としてあるのである。私は今身の養いとしてせんべいを食っている、それは外を内とする行為である。この一瞬の内外相互転換は無限の時間を背後にもつ一瞬である。このせんべいが世界形成の内容としてあるということは、このせんべいを作った人が技術をもつものとして、無限の時間を内にもつものでなければならない。世界とは無限に多様なる技術の集積が形成的に一として動くところである。即ちせんべいを作ったものも、せんべいも、せんべいを食うものも無限の時をもつものとしてこの一瞬があるのである。無限の時間の蓄積は技術的形成として歴史的創造の世界である。我々は創造的世界の一要素としてあるのである。ここに於て我々は更に深き自己に面するのである。罵られて腹を立てる自己は、罵るものに対する自己であり、罵られることによって失われる自己である。創造的世界の要素となるとは、無限の時間を内にもつものとして、斯かるものを超えて中に見るものとなるのである。それは自己の生死をも裡に見るものである。人類の形成し来った全時間に目を置くものとなるのである。全時間の現在としてはたらくものとなるのである。はたらくものは永遠の今としてはたらくのであり、我々がはたらくとは永遠の今として自己があることであり、そこに真の自己を見るのが観である。

 色即是空とは一瞬一瞬が永遠の具現であり、現身の生死が創造であることである。そこより蓄積が生れ形成があることである。一瞬が永遠に転じ、永遠が一瞬に転ずるのである。生死するものが、生死が直に永遠であることを覚ることである。対立するものは対立なきものの対立であり、一者は対立するものの一者である。斯る動転が形成するはたらきということである。対立するものは一者に消え、一者は対立するものに消えるのである。消えることは亦出現することである。より大なる形へと歩を進めることである。生死するものは永遠の中に消えることによって真に生死を現し、永遠なるものは生死の中に消えることによって真に永遠を現すのである。

 我々は形をもつ対立するものとして、生死するものとして、永遠の中に消えゆくことに よって真に自己を現わすことが出来るのである。消えてゆくとは相対を滅して永遠即自となることである。全てが永遠の相貌となることである。欲求的自己を殺すのである。絶対に死ぬのである。それは勿論肉体の死ではない、世界形成としての我よりを捨てるのである。我よりを捨てるとは、我のはたらきに世界のはたらきを見るのである。我の一挙手一投足を世界の一挙手一投足とするのである。我のはからいを世界のはからいとして、生滅を包むものに目をおいて生滅を見るのである。肉体のあるところに官能はある、官能が死すとは、一瞬としての欲求が永遠の陰翳を帯びるということである。言葉の内容となることである。

 禅家に大死一番という言葉がある。死とは無に帰することである。大死とは積極的に自己を殺すことである。自己否定に徹することである。生命形成が瞬間に永遠を映し、永遠に瞬間を映すものであるとき、大死とは永遠に瞬間を映すことであり、そのことは亦同時に瞬間に永遠を映すことである。我々が永遠の中に消えたということは、我々に永遠を現わしたことである。

 生死するこの我が永遠の中に死して甦り、永遠が生死す我に消えて形を現わすとは、生命形成とは絶対の無として動いてゆくことである。三十八億年の生命は刹那生滅的に形成し来ったということである。絶対の有は絶対の無である。そこに色身に対する空の救済があるのである。色があるのでもなければ、空があるのでもない。永遠と瞬間が純一として現在より現在へとこの我がはたらくとき、有限と無限に乖離したこの我は真個の我の具現を見るのである。それが色即是空であり、そこに救済があるのである。斯かるものとして色身を離れるというは更に大なる光りを色身に受けるということである。救済とは現実に生きることであり、日常に生きることである。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

夢想

 昔はよく技術の練達を願って二十一日の断食をし、水垢離をとって神に祈ったようである。神陰流とか、夢想剣とか言われるものは満願の日に現われた神が示した技から編み出したものであるらしい。剣のみではない、仏像を彫り、天女や竜を描くにも同様の祈願をこめて、形の啓示を祈ったとは書物に見るところである。

 一日中で私達の創造的思考の最も働くときは、午前五時頃であると書いてあるのを読んだことがある。人類の偉大なる発想は多くこの時に生れたとあったようにおもう。午前五時と言えば瞼はまだ閉じたままで、頭脳のみがはたらくときである。断食と水垢離、夜明け前の目にまだ眠りの残るときに、私達は創造的発想をもつとは如何なるはたらきによるのであろうか。

 この二つに共通する条件は何であろうか、私はそこに意識が身体を放れると共に、身体が対する現実より放れるのを見ることが出来るとおもう。二十一日の断食と水垢離は疲労と衰弱の故に、午前五時頃は横臥と、目覚めた身体が未だ活動の準備が整っていないが故に、意識は現実としての身体や対象に面していないとおもう。意識が現実に面していないとは如何なることであるか。

 生命は内外相互転換的にある。内外相互転換的にあるとは、内が外を否定し、外が内を否定することである。外を否定して内とし、内を否定して外とすることである。生命が動的であるとは、斯る転換として動的であるのである。対象は単に我々に見られたものとしてあるのではない。生死を距てる対抗緊張に於てあるのである。斯る転換が我々の日々の営為であり、現実とは斯る日々の転換の営為である。

 意識とは斯る転換より生れると共に、斯る転換を映すものである。映すというは其の中に見るものとしてより大なる立場に立つのである。我々は経験を蓄積するものとして物を作る。経験を蓄積するとは一瞬一瞬の転換がはたらくものとなることである。昨日の営為が今日の営為となることである。意識とは断る経験の蓄積である。昨日の営為と今日の営為を統一するものである。無限の過去の死を生に転じた一瞬一瞬を、現在の死生転換の参考としてはたらかしめるものである。生命形成の初めと終りを結ぶものとして、永遠の相下に一瞬一瞬を成立せしめるものが意識である。

 一瞬一瞬の内外相互転換がはたらくもの、見るものとなるとは生命は形成的であるということである。それは外を作ることによって内を作り、内を作ることによって外を作ることである。内とは無限の過去としての外を現在に於てもつものであり、外とは無限の過去としての内を現在にもつものである。我々が今もつ営みとは斯る生命の無限のはたらきである。

 意識は身体の意識であり、身体を離れて意識はない。それが身体を離れるとは転換としての対立緊張を失なうことである。対立緊張を失なうとは、外よりの否定としての圧迫をもたないということである。内としての外を形成するはたらきが、現実としての外の圧力を極小として、自由に形を見ることである。そこに夢想がある。夢想とは内を外とする形成作用が、外の抵抗を失なって、内よりの形成を何処迄も肥大させてゆくことである。身体を離れるとは、外の抵抗を極小とする故に力の表出が最小限にとゞまることである。そこに夢想の非現実性がある。夢想は多く欲求が表象的に肥大して、外として、物として実現することの出来ないものである。それが創造的内容となって、大なる形相を生むとは如何なることであろうか。

 私はこの問題に迫る前に、内外相互転換について少し突込んだ考察を加えなければならない。外は物として我々を取り巻くものである。それは形あるものとして対立するものであり、対立するものとして多なるものである。形あるものとして既に作られたものであり、 既に作られたものとして過去に属するものである。外を内にするとは、過去としての多が現在の中に消えてゆくことである。現在の生命形成の中に形を失なってゆくことである。人間は自覚的生命として物を製作する。製作するとは過去が消えて、未来が現われることである。過去としての多が消えてゆくところとして、外が内となるとは、多が一となることである。

 私は夢想が偉大なる形相を生むには、既に全心身を投げ込んだ問題意識があったとおもう。問題意識は常に多の矛盾対立である。多は一への回帰に於て多である。問題は多が自己を一として見ることが出来ないことより起きるのである。矛盾は多が一ならんとするが故に矛盾である。外を内ならしめんとする生命形成に於て矛盾である。対立は何処迄行っても対立である。それは一となることの出来ないものである。それが極小となるとは、対立が極小となることである。そこに突然内が現われるのである。一が出現するのである。この現われた一が偉大なる形相である。それは全心身を領じたが故に、極小としつつ底深く外につながっていたのである。

 外を内とするとは、世界の秩序を身体の秩序に於て見ることである。内外相互転換として物は身体の外化である。世界は身体の延長として世界である。物と化した身体がその対 立に於て、再び身体に還るのが外を内に見ることである。矛盾対立は身体の生死にある。 物と身体は相互否定的に形相形成的である。世界の矛盾対立が統一に於て捉えられるとは、 身体的一に於て捉えられることである。夢想に於て外としての物の圧力が消えるとき、突如として身体の秩序が物の形に現われるのである。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

幼心

 幼心と言っても、本文は幼児の心理を書こうというのではない、唯ゲーテの幼時の思い出というのを考えているとき、不意に孟子の「長じて幼心を失わざる、是を大人という」言葉が浮んで来たので、ゲーテから孟子を捉えて見ようと思った迄である。故に本書の幼心とは孟子の言葉の幼心である。

 ゲーテは幼時バラの花を見ていると、はなびらの中よりはなびらが出て来て室に溢れたという。勿論本当にはなびらが出てきたのではない、想像の中に溢れ出たのである。併しそれは単に想像の産物ではない、現実のバラのはなびらがはなびらを産んだのである。現実のはなびらが想像の中に自己増殖をもったのである。

 生命は無限に動的である 動的であるとははたらくものであることである。はたらくと は形に自己を見てゆくことである。人間は自覚的生命として外に自己を見てゆく、物を作る青年の情熱、壮年の実践、老年の英知とよく言われる。何によって斯る変化を遂げてゆくのであるか、私はそこに身体の熟成を見ることが出来るとおもう。青年は身体躍動して血気旺に循るときである。それは自己を捨てて、世界を自己に見ようとする意志がおのずから働くときである。情熱とは全身全霊を挙げて、世界と結合し世界を実現せんとすることである。壮年は心身充実し、世界という茫漠たる理念から、世界を構成する物と自己の個性が結合し、世界を実現してゆくものとなることである。青年が理想に面するに対し、現実に面するのである。老年の英知とは、身心鎮静して活動力を失い、青年の情熱と壮年の実践、理想と現実を統一した相に於て観照することである。青年の非現実性、壮年の理想喪失を世界形成の立場から適切な言葉を見出してゆくことである。

 それでは幼時とは何であろうか、私はそこに成長を見ることが出来るとおもう。僅な日 時の間に見違へるばかりである。成長は細胞増殖である。私は細胞増殖に幼時の身体を見ることが出来るようにおもう。成長し増殖してゆく身体には常に新しい機能の統一がなければならない。匍匐(ほふく)より直立歩行し、直立歩行より走り出し、言葉を覚える、それは常に新しいものに面する飛躍である。私はそこに幼心があるとおもう。匍匐より歩行し更に言葉をもつということは、その一々が新しい対象面を拓くということである。対象面を拓く ということは自己の外への投げかけをもつということである。

 幼時の感情、行動、表現は自由であり飛躍である。泣いていたと思っていたのが笑い、直ぐく走っていたのがくるりと向きを変え、字も知らないのに絵本に向って声を挙げている。そこにはいささかの渋滞もない、対象と自己は行動的空間として、純一より純一へと移ってゆく、私はそこに幼時の細胞の生長増殖を見ることが出来るとおもう、それは新陳代謝と質を異にしているようである。生長増殖は形成であり、飛躍である。無よりの創造である。

 長じて幼心を失わざるとは如何なることであろうか。長じるとは身体が完成することで ある。身体の完成は対象の形相が固定をもつことである。併し生命は内外相互転換として常に新しい状況に接する。固定は生命の死である。そこに無心に還り、既成の形を超え現在の形をもつ、そこに幼心があるとおもう。転換は否定的転換である。外を否定して内となし、内を否定して外となるのが転換である。そこには常に変化がなければならない、形の飛躍がなければならない。

 私は大人と小人を分つものは目を転じ得るか否かにあるとおもう。内を否定して外とすることは自己を対象化することである。物になるということである。このとき物は自己を映した物である。目を転じるとは映された物に目を置くことである。我々は物を製作することによって世界を形成する。この世界から逆に自己を見るのである。見出た世界を自己の形相として、形相の底からはたらくものとなるのである。形作った世界が世界自身の内面的発展をもつのである。そこに創造があり、対象を知り、自己を知ることが出来るのである。目を映された物に転じるとは、世界となってはたらくものとなることである。欲求としての自己よりの目をもつ自己を殺すことである。

 否定的転換は死生転換である。我々が生きているとは一瞬一瞬生死相分つ峰を歩いているのである。働かざるものを待つのは死である、働くとは死を生に転ずる行である。一々に死に一々に生きる生命形成は飛躍である。それは過去がそこに死に、未来がそこに死ぬことによって出現するものとして、絶対現在として生命はあるのである。過去と未来は現在に死ぬことによって、現在に生れるのである。そこに死して生れるものとして現在は絶対の無である。

 私は大人とは自己を殺して世界として甦った人であるとおもう。自己は斯くあるという のではない、現在を自己の初まりとして、現在に死に、現在に生れるのである。過去と未来を截断して、今に生きるのである。そこは自由であり絶対の無である。大人とは絶対の無にして、無なるが故に過去と未来を真に生かす人であるとおもう。世界の創造的形成の創造線に沿う人である。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

日本的時間:春期研修旅行参加の記

 奈良に入って気のつくことは重厚な邸宅の多いことである。以前に何かの本で紀伊路から大和路に入ると、家並みが立派になるのでよく解ると書かれていたのを思い出す。其の本によると大和は天領で租税が四公六民であり、役人の数も少なくて悪辣な行為もなかったらしい。それに対し紀州徳川家では、耕地の少ない領土の上に、御三家の体面を保つために、非道いときでは八公二民という誅求を行ったらしい。そこには役人と住民の争いのあったのは当然である。家並みの差は三百年の蓄積の差であったのである。

 途中車が道を間違えて進めなくなってしまった。近所の人が出て来て手を振ったり、口々に何か喋っている。私の坐っている窓の正面には四十才位の女性が、自分の家の窓から隣のコンクリートブロックの塀に足を掛けて見ている。私はそのざっくばらんな庶民性に思わずほゝえみが浮んで顔を見た。この辺の距てのない生活のありさまが見えるようである。気兼ねなく暮せるということは美徳の一つに数えてよいであろう。車は二度三度右に向きを変えようとするが曲れない、止むなく千米程歩いて行くことになった。雨が止んでさわやかであるが歩くとさすがに暑い。途中新築の豪壮な家があった。誰かが「寺よりあの家が見たい」と言っていた。登り坂の千米はややきつい。

 一万株と案内に記された牡丹は大方散りはてて厚い葉が風にそよいでいた。牡丹の花は美しい丈に崩れた姿は無残である、反り返った花びらが二片三片、突き落とされるようになって下を向いている。しべは伸びて細くなり、輝くような金色は疾うの昔に忘れてしまったようである。散った花は土に埋く積っている。花体を成さない花びらは何となく疎ましいものである。その代り芍薬(しゃくやく)の花が満開であった。炎え立つような真紅の花が多かった。併しそれも広い牡丹園の一隅をのみ占めるとき、却って寂莫の感を深めるものであった。或はそれは期待に対する失望感であり、老いの深まる私の感情移入であったかも知れない。当麻寺に入って先ず目についたのは、境内に渡された長さ六七十米、巾二米ばかりの木の組橋であった。それは本日の御練りに、中将姫が西方浄土へ渡御すべく作られたものであると思わせた。私は見ながらこのような説話を作った時代的土壌に思いを馳せた。平安時代に於ける浄土欣求穢土遠離の思想は凄まじいものであったらしい。輪廻転生を信じた人々は極楽に生れんことを希い、地獄に生れることを非常に恐怖したらしい。罪を逃れんが為に当時の王侯貴族は、財と時間のゆるす限りを吉野・熊野に詣ぜたと記されている。名を忘れたが或天皇の如きは十数回も熊野行幸をされ、その内幾回かは険難な道を撰んで 御自身難路を徒歩で行かれたというのを読んだことがある。その為に朝廷の財政の逼迫もかえり見られなかったようである。

 一見華かに見える平安朝の宮廷は、陰謀と奸計の渦巻く所であったらしい。父子相背き、兄弟相食むというのは常のことであったらしい。虚言と殺戮は自分が生きるための欠くべからざるものであったようである。そして彼等はその自分の罪に怖れおののいたようである。それ程怖ろしければ為なかったらよいように思う。併し当時の氏族制度に於ては、自己の意志は氏族の意志によって決定されるものではなかったかとおもう。個人を超えた大きな意志が否応なく押し流し、駆り立ててゆくのである。一族が意志としての行動単位であり、その頂点として一族の栄枯を担うものとして、罪へと入ってゆかなければならないのである。

 中将姫は二十九才で夭折したと誰かが教えてくれた、小さいときは継母に非常に虐げられたらしい。それが蓮糸で曼荼羅を織る仏への帰依によって、極楽浄土へ行けることが出来たらしい。それはその時代の上下挙げての一つの救いであったであろう。上は身を苦しませ、仏への帰依によって極楽に行けるという希望をもたせ、下は今はこんなに虐げられている。併し帰依によって来世は楽が出来るんだという希望である。そして多くの人々は自分を中将姫に化して、荘厳な儀式に自分が極楽に行く幻想をもったのであろう。

 おそくなった昼食を伝えてくる、奥の院の隣の中の坊へ入るようにとのことであった。 中に入ると大きな玄関の中の薄暗い所で、幾人かの僧が物を並べて売っていた。それは実に殺風景であった。併し上り所はこちらと言われて、向きを転じたときに見えた堂の桧葺きは見事であった。時代に錆びた黒褐色の重厚な屋根はよく、堂内の荘厳を閑寂に包んでいる。立札があって奈良三名園の一つと記されている。それよりも腹の虫に餌をやるのが大切である。下駄を脱ぐと立っていた女の人が「一番奥の室に行って下さい」と言った。曲った廊下を人の後についてゆくと既に半分位席がふさがっている。蓋をとると寺院の常とする精進料理である。誰かが「こんなん食どったら健康によいやろなあ」と言った。きっと糖尿病か高血圧に悩まされているのであろう、同病相憐む、同感の思いで食べる。後人々が上を向いているので見ると、天井絵が一杯貼ってある。つまらん絵だろうと思って案内を見ると、私ももっている著名な仏画家木村武山の名があり、其の他幾人か私の知っている画家の名が出ている。私達門外漢が知っているというのは、その世界に入って見ると大概大したものである。私は名前によって評価を変えてゆく自分の眼を嘲笑しながら再び見上げた。

 外に出て引卒されて二、三拝観に廻った後は、時間があるので自由に行動せよとのことであった。皆はさすが歴史を知る会の会員、旺盛な学究心はたちまち四方へ散って行った。私は本日の観覧の為に、特に用意された中の坊の門上の二階へと登った。ここは普段は使わないのであろうか、莚の敷いてないところは白い乾いた埃が堆く積んでいた。窓から見下すと見物は大分増えたようである。並んだ露店商の前を往来しながら、たこやきを頬張り、焼とうもろこしを嚙っている。私は子供の頃の祭を思い出していた。服装こそ変れ同じような情景であった。私はその昔も、その昔も同じような情景が連綿として続いたのではないかと思った。人々はこの行事のもつ近代的意義を求めようとしない、繰り返されることを当然としている。それではこのような行事の意義は何なのであろうか、私はそれを過去への結びつきに求めることが出来るようにおもう。現代でもよくコミュニケーションの場として祭りが催されている。併し現代のそれは近代的生産によって引き裂かれた人々の結合の意味である。農耕を中心とした昔に於ては生産が協同体的であった。古代の祭は超越者とのコミュニケーションだったのである。過去を現在の根源として、過去への結びつきに現在を超えた大なる生命を見たのである。

 日本人は歴史書に大鏡とか、増鏡とかいって鏡の字をつけたと言われる。鏡は写して自己を見るものである。日本人は理想とか、夢に自己を見ようとしたのではなく、過去に映して自己を見ようとしたのである。私達の小さい時でも一番大切なことはしきたりを守ることであった。昔の日本人はしきたりを守ることによって、社会秩序を守ってきたということが出来るとおもう。その必然として故事とか由緒とか言うことが大事がられた。浅野内匠守が殿中で刃傷の沙汰に及んだのも故事にまつわるものであった。手の引き様、足の出し様の一つ位何うだってよいと我々はおもう。併し昔時に於ては大名家断絶の一大事を孕むものであったのである。村の寄合一つにしても定められた席順というのがあった。そしてその一つを破ることも社会秩序を乱すことであった。人間陶治も亦忠孝貞信といった既成観念に素直になることであった。

 人間は物を作ることによって人間になったと言われる。社会とは物の生産と配分の機構であるということが出来る。物を作るに技術が必要である。技術は歴史的に形成されてきたものである。歴史的に形成されたとは伝統的であるということである。伝統とは未来へ伝えるべきものである。新しい生命が受け継いでくれ、より合理的な新しい形が生れるのが歴史的形成ということである。伝統は未来をはぐくむものをもつことによって伝統である。技術は自覚的生命の内容として無限の発展を内にもつものである。発展とは否定が肯定であることである。今の形が否定されて、より大なる能力をもつ新しい形が生れるのが発展である。物の製作に於て過去が未来を呼び、未来が過去を呼ぶのである。技術は未来に過去を映し、過去に未来を映すことによって進歩してゆくのである。

 天照大神と豊受大神を床に祀り、飯篠長威斎を剣聖とし、芭蕉を俳聖とし、柿本人麿を歌聖とした日本人は、何処迄も技術を過去への深化に求めたとおもう。過去に未来を映すのである。それに対して神の創造を終末観に捉えた西洋的生命は、未来に過去を映す方向に歩んだとおもう。日本的社会が因習に停滞したのに対して、進歩と発展の方向である。私はそれは歴史的形成の大なる流れの撰択であって、何方が善いとか悪いとかは言うことが出来ないとおもう。進歩には時の分断がある。そこに永遠の相は失われなければならない。現在問題となっている抽象的個人の、刹那的退廃の因子をそこに含んでいるとおもう。過去に映す方向は停滞の反対給付として、即天去私とか、わびさび、平常底、自然法爾に自己を見出して行った。

 今や世界は一つである。そして一つの世界は進歩と発展の方向を撰択している。歴史の流れは生命の大なる自己形成の流れである。流れを決定するものは流れ自身である。個人の恣意によって流れを変えることが出来るものでない。唯われわれも意志を有する歴史形成の個として、形成の課題を洞察し、より大なる世界への誘導をもたんとするのみである。斯る意味に於て歴史的現在が持つ課題は、私はよく言われる人間喪失と人間回復にあるとおもう。喪失とは進歩による分断である。回復とは全生命への共感である。

 前にも書いた如く自覚的生命の表現としての具体的なはたらきは、過去に未来を映し、未来に過去すことである。併しこの二つは相反する概念である。相反するものは同時に現れ得ないものである。歴史は何れかを優勢として動かなければならないのである。併し一方の行き過ぎは、一方の反撥として均衡をとってゆくものである。私は現在人間喪失を最も感じているのは日本人ではないかと思う。そして新しい世界観を確立するものも日本人ではないかと思う。勿論因習や停滞は許されない、進歩の分断を包むものとしてある。包むことによって真に進歩と個があるものとしてである。

 私は今少し紙面を借りて私の時間についての考えを暦によって検証したいとおもう。人間は暦を作ることによって初めて時間をもったと言われる。暦とは過去を参考として一年間の予定を作るものである。暦は経験の集積であると共に、来年の必要によって作られたのである。暦は過去と未来と統一としてあるのである。去年の中に来年があるのであり、来年の中に去年があるのである。私が過去に未来を映し、未来に過去を映すというのはそうゆうことなのである。そして過去と未来が出合うということが作るということである。私達が行為する今というのは、何時も過去と未来が出合うところである。われわれは記憶と願望が結びつくことによって物を作るのである。そのことは物を作るということは、過去と未来の延長をもつということである。時間の初まるところは過去でも未来でもなくして現在であると言われる所以はここにあるのである。

 訳の解らぬことを思ったり、考えたりしている内にお練りの時間が迫ったようである。 散らばっていた人々が橋のめぐりに集り、緊張に動きが止まって来たようである。四五人しかいなかった観覧席は人で溢れ、井上秀雄さんは「撮してくる」と言って出てゆかれた。「来た、来た」という声に目を凝して見ると、葉蔭の間に何か面のようなものが見える。やがて面を被った二人が現れ、其の後にやぐらのようなものを担いだ四人が過ぎ、稚児行列がすんで、仏面を被り、異様な衣裳を着けた十数人重々しい足取りで歩み去った。その後二人の仏面を被った男二人が、手を差し出し、足を踏みしめる勇壮な舞を踊って過ぎ去った。唯その一々が何を象徴しているのか知らない浅学な私は充分な鑑賞の出来ないのが残念であった。それでも日本の古代に触れ、古代の心を考え、我々の内奥に流れるものに思いを致し、思想を豊潤になし得た有意義な一日であったとおもう。

 小野に着いたときは大分暗くなっていた。 どうして帰ろうかと思っていたら内藤会長さんが送って下さった。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

東大寺サミット‘92参加と見学の記

 帰りの汽車の中で井上秀雄さんより、今回参加の記事を書いてくれと言われた。少々酔っていた私は即座に肯いた。そして一夜明けた今日、今度は少々後悔している。実はこの旅行は学究心といった大それたものではなかったのである。商売の出張で散々旅に出た私は、廃業してから三年半宿泊する旅行をしたことがなかった。それで一度外に泊った旅行がしたかったのである。

 併し全然興味がなかった訳ではない。私は私なりに東大寺建立に対して解くべき一つの課題をもっている。それは大なる失費による国力の疲弊と、人民の困苦である。その反対給付としての、飛躍的な技術の発展であり、偉大なる理念の表現である。曽って流浪者巷に溢れ、弱きは餓死し、強きは盗賊となって掠奪を事としたというのを読んだことがある。死者道辺に累ったと書いてあったようにおもう。而して斯る悲惨に顔を覆わない強靭な意志があって初めて、斯る大事業の完遂は可能であろう。それは個的感情を超えた世界意志といったものがはたらくのであろうか。例えば乃木大将が悲傷を胸にかくして、「進め、進め」と号令した如きである。そして斯る世界実現の意志を、如何に個的感情に感応させ個的意志に結びつけるかが統卒者の素質であろう。強靭な意志は世界意志の権化となるところより生れるのであろう。個と全の矛盾対立は流血流汗の残酷がつなぐのである。而してこの大事業のもたらしたものは実に大である。第一に用材の伐採、搬出の技術、河川、道路の整備、輸送用具の工夫、航路の開拓、石刻、鋳造の技術、更には大なる建築、装飾の技術、それ等は未来に限り無い可能性の展望を与えるものである。仏心の形相化は民衆の心の拠り処として心を一ならしめるものである。併し私にはまだこれ等を統一する論理体系をもっていないのである。

 電車の中で配られたパンフレットには、参加都市の名が載っていた。それは宮城県より山口県迄、日本本土を縦断するものであった。披いた私は当時既に強大な統一国家の実現していたことを感じた。勿論その中には第一次創建に関るものと、第二次創建に関るものがある。併し最北の宮城県の涌谷金山と、最南の山口県の長登銅山は第一次に関ることは、この憶測を否定するものでないとおもった。聖武天皇の夢を開いたのはこの強大な国家の成立であったのであろう。

 防府駅に降りた私達に近寄って丁寧に頭を下げた方がおられた。市の観光課の方が待って下さっていたのである。会長や飯尾さんと暫く話をされて、準備されたバスに案内して下さった。実に周到であり、其の態度は誠心を感じさせるものであって、私達を愉しくさせるものであった。そしてそれは町が変り、人が変っても、二日間を通じて変ることのないものであった。

 その日は防府の名所廻りとして、阿弥陀寺、防府天満宮、毛利公邸等を観光した。その内阿弥陀寺は重源上人の創建として、天満宮は日本三大天神の一つとしてという外は特に記すべきものが無かったようにおもう。唯阿弥陀寺は僧侶が、天満宮は神官が石段の下迄迎えに来ておられた。それは初めての経験であり、貴賓に接するものの如くであった。私はそれがサミットの重大によるものか、この辺りの恒例とするのか知らない。

 毛利公邸は明治の元勲井上馨が、建築技術の粋をあつめて造営しただけあって、その宏壮目を瞠るばかりであった。門に至る迄、及び門に入ってから玄関迄の道には両側に、剪栽の手の行届いた松が並んでいる。玄関の前は広くなり、右手に庭園に入る門が開かれている。靴を脱いで上ってゆくと、天皇宿泊の間というのが続いてあり、数奇を極めた格子天井は、今日の職人の日当を以って算えれば量り知れないものであるとおもわれた。一番奥の室に竹で囲いがしてあって大名火鉢が置かれていた。精緻を極めた金蒔絵は、千回もうるしを塗り重ねたであろう厚さをもっていた。恐らく豪家一軒に価する値打ちをもつものであろう。出ると女の人が居て二階へ上るように言われた。そこは庭園が一望に見下せるところであった。上る途中この階段の板は何とか言う木であると教えてくれたが忘れた。床に法眼栄川の落款の絵が掛っていた。眺めていると、横の人が「いい画ですか」と尋ねられた。私は栄川の名に記憶がなかったので「法眼は技芸の最高の者に与えられたものですから、幕府の絵所預りかはそれに準ずるもので悪くはないのでしょう。私はよく知らないのです」と答えた。その後その人は助役の山本さんではなかったかという気がしている。若しそうであればもっと礼をつくすべきであった。私はどうも粗忽でいけない。降りると博物館と記した板が立ててあった。入ると流石毛利家の宝物は凄い。入口から栄川のものがずらりと並んでいるのを見ると、恐らく毛利藩お抱え絵師であったのであろう。見てゆく内に梅花を描いた青緑山水があった。古木特有の枝の曲線が田能村竹田に似ている。唯竹田よりも稍繁雑である、近寄って見ると直入と書いてあった。名前を言うと二、三の 人が「わしも持っとる」「わしも持っとる」と言った。加西に二年程滞在していたと聞い たことがあるので、小野近在には所有者が多いようである。克明な父竹田の画風の継承は氏の誠実を思わせる。時間の制約があるので何うしても見るのは私も所有する作者のものになり勝ちである。そうゆう意味で記憶に残っているのは長沢芦雪の虎の対幅と、丸山応挙の鯉の三幅対である。芦雪の虎は他の絵に較べて略された線で書かれていた。一見粗雑なように見えたがその目はらんらんとしていた。私は日本画程眼睛を尊んだ絵はないとおもう。そこには感覚の快よりは、生命の気韻を尊んだのではないかとおもう。芦雪はこの眼が描きたかったのではないだろうかとおもう。応挙の鯉は彼の最も得意とするところであると幾度も聞いた。併し私の今迄見て来たのは残念乍ら複製ばかりであった。それだけに念入りに眺めた。精緻を極めた写生はさながら泳いでいるようであった。併しそれ以上は私には解らなかった。内藤さんが「一幅壱千万円なら買う」と言われた。私は内心「私なら二百万だ」とおもった。出口に雪舟等揚の水墨山水があった。読むと模写と書いてあった。恐らく蔵の奥深く秘されているのであろう。それにしても雪舟はこの近くに住んでいた筈である。それにしては作品が少ないように思われた。博物館を出てから玄関迄行く途中、建物の間に十数坪程の空間があった。そしてそこにもちゃんと石と木の配置があった。流石に違ったものである。玄関を出てから庭園を少時逍遥した。一万五千坪の庭は広大である。石木池水の配置は目を飽きさせないものであった。唯庭園の知識の乏しい私はそれを表わすべき言葉を知らない。

 夕飯のたのしみは今回の旅行の目的の一つである。日本料理双鶴と書かれた室内の一隅に腰を下した一行は、膳の来るや遅しとビールで乾杯をした。私はその後日本酒二本を註文した。歓談と昼の観光の疲れに、酒は快く体内を廻り、千金とも言うべき陶然とした気分になる。広瀬さんが女性二人と宗教論義を初められ、真言宗から空海へと移っていた。そこへ私が「空海の根本的な誤りは即身成仏をしたことにある」と口を挟んだ。そこで広瀬さんの猛反撃を受けた。論争を記述することは本文の目的より外れるので、一寸紙面を 借りて私の論旨の要点だけ書かせていただきたいとおもう。

 私達の身体は生死する身体である。しかし身体の内にある言語中枢は生死を超えたものである。昔語り部によって祖先の事歴を語り継いだと言われる如く、言葉は人間の始めと終りを結ぶものである。単細胞として発生した生命は、人間に於て六十兆の細胞と、百四十億の脳細胞の構造を形成したのである。我々の身体は三十八億年の生命形成の統一としてあるのである。われわれの一瞬一瞬の行為は斯かる統一をもつものとしてはたらくのである。而して斯る統一は一瞬一瞬の営みが形成してきたものである。瞬間が永遠であり永遠が瞬間である。われわれの身体は永遠と瞬間の相として生の相を実現してゆくのである。死と不死の矛盾の統一として生きているのである。

 般若心経の色即是空というのは、瞬間的なものが永遠の相としての形相を見出すことであり、空即是色というのは、時の統一として永遠なるものが瞬間の行為に表われることである。瞬間的なるものが永遠の相を見るとは、死して生きるということである。消えて現われるということである。死して生れないところに生命の動きはない。単細胞動物から大日如来の世界の実現を説明することが出来ない。空海が岩蔭に今以って食事をし、衣更えするというとき、曼陀羅は唯凝固した形骸として、現実を動かす力を失なったと言わざるを得ない。人類は空海の残飯に生きるのではない、はたらいて食うのである。

 サミットは三日の朝九時から初まった。主題は重源上人を語るであった。小野からは坂田大爾氏が発表者として高座の席に並ばれた。ライトに照し出された坂田氏は、その白哲の美貌に於て群を抜いていた。背すじを伸ばした姿勢は自信に溢れているようであった。三重県の大山田其の他の方が各地域に於ける上人の事蹟について語られた。その一々の詳細は書き切れるものでもないし、亦知っても仕方のないことと思うので心に残って、感慨を湧かせられたことだけ書きたいとおもう。その一つは上人が東大寺の僧ではないのに、多くの僧を置いて大勧進に後白河法皇によって推挙されたということであった。私はこれ程上人の力量、人間的魅力を語るものはないとおもう。該博なる知識、高潔なる人格、強固なる意志は勿論として、何よりも出会ったときにその人との一体感を覚えさせるものがなければならない。昔坂上田村麿は、怒れば髭が針金の如く逆立ち虎も恐れたが、笑えば幼児も寄ってきたというのを読んだことがある。命の次に大切であるといわれる金を出させるのである。暴力的強請によるのでなければ、その人に包まれるような力を感じなければならないとおもう。後白河法皇は上人に、世界意志と個人感情を結びつける力のあることを直観されたのではあるまいか。白皙の美丈夫坂田氏の発表も勝れていた。それは他の発表者が個々の事柄に着いたのに対して、上人の一々の事業を瀬戸内航路重視に結びつけたことである。一般論として重源上人を語るサミットとしては、事業家上人を語ること多くして、人間上人を語ることが少なかったことが不満であった。司会の女子大教授はそれに気付かれたのであろうか、時間を延長してエピソードを尋ねられたが不発に終った。

 その後で小学生の男女十四、五人による重源太鼓の披露があった。それは会の緊張をほぐしてくれて、まことにたのしいものであった。余程練習しているのであろう、幕が開いてライトに照し出された有様は、見事に並べられた人形館を見るようであった。大太鼓が一つ、後は酒用に使う四斗樽である。重源は酒呑みであったのであろうか、その一つ一つに小さな少年少女が微動はおろか、またたきもせずに立っている。やがて小さな口から切口上で、交る交るに由来を語り、琴が弾かれて、太鼓が打鳴らされた。

 この町の町おこしのキャッチフレーズは重源上人の町である。曽っては町おこしといえば殖産興業であった。重源と殖産興業は私には何うも繋りを見ることが出来ないようにおもう。或は日本は物質的なものよりは、時間の深さ、心の豊かさを求める時代となったのであり、その表れとしてこのような言葉が見出されたのであろうか。

 慌しく昼食を摂り、バスは佐波川の上流へと向った。上人が東大寺用材を調達したというところである。川幅はいよいよ狭くなってゆく。私は東大寺のあの太い柱となる材木を何うしてこの川から運んだのであろうかとおもった。聞くところによると、この流れのままではとても運べるものではないのだそうである。それで海迄の短い間に百八十もの堰を作ったのだそうである。そして水を貯めて流したのだそうである。私は技術の生れるところを教えられるように聞いた。

 バスの駐車した処に案内板があった。それによると伐り出した用材の巨きなのは、直径一、八米長さ三十米にも及んだらしい。伐採道具、搬出用具、搬出方法、人員の調達等は何したのだろうかと思った。書物によると上人は現在の山口県の支配を委されていたらしい。それにしてもこの峻険な山からの伐採、搬出は、現在の我々でさえ途方に暮れさせ るものである。

 聞くところによると上人は協力を拒む人々を詢々と説いて廻ったらしい。さもあろうと おもう、今次大戦に於けるわれわれの協力とは状況が違う。二次大戦は帝国主義的国権拡張の最後の時であり、世界中の書棚に愛国の文字が並んだ時期である。唯さえ貧しかった無知なる人々が何うして協力し得ようか、恐らく上人の魅力と、不退転の意志が成就せしめたのであろう、今でも協力した村落と協力しなかった村落に草がどうとかの言い伝えが残っているそうである。

 月輪寺の前に立ったとき、私は目が拭われたように思った。実にいい、厚い藁葺きの屋 根がやや白さびて、最も単純な三角の線をひいている。その下に柱と扉が簡素に並んでいる。今迄複雑な組木や、反り返った屋根の作りが棟を重ねているのを見て来ただけに、心の故郷といった思いを懐かざるを得なかった。それは他の寺院が目に荘麗なのに対して、住いを移してしずかに生を養いたいとおもわせるものであった。

 岸見の石風呂というのは、月輪寺を出たバスが、いくつかの山間を縫った山裾にあった。説明によると、佐波川上流から用材を運んだとき、非常な難事業で病人やけが人が続出、こうした人々を救うために石風呂を方々に造らせたそうである。それは小舎の中に炭焼かまどのようなものが築いてあった。中を覗くと両側に席のようなものが敷いてある。使用法は薪を燃して内部を熱した後、焚殻を掻出してから室内に入り、内部の熱気に浴したものとおもわれる。と書いてある。現在のサウナ風呂と軌を一にするものである。

 サウナ風呂といえばソ聯が米国と対立し、世界史のヘゲモニーを握っていた頃、中央アジアの世界の長寿地、飯尾さんによればウクライナとのことであるが、其処を調査研究したところ、健康の原因はサウナ風呂と乳酸菌であると発表してたちまち世界中に普及したものである。上人は斯る知識を何処から得て来たのであろうか。それとも炭焼きや、陶器作りから創出されたものがあったのであろうか、ともあれ重源は風呂作りが好きである。浄土寺にも湯屋跡があるそうであるが、到る処に作っている。それは恐らく愛情より出たものであると同時に、人心収攬術の一つであったのであろう。光明皇后の湯屋施療の逸話が残っている如く、それは広く行われたものであり、民心に大なるものを与えたのかも知れない。

 長登銅山跡は深い山中にあった。説明によれば本邦銅精練に画期的な変革があった証拠が学術的に発見されているらしい。併しそれは専門家の問題であって、われわれは唯鉱滓の埋った丘と暗い坑道を見るだけである。それよりも感心したのは、この深い山中迄観光課の方が来て、パンフレットを持って待っていて下さっていたことである。何の寺でも茶と菓子の接待を受け、心温るおもいに二日間を過せたのはこの誠意によるとおもう。

 それにしても歴史を知る会の旅行は、何時も内容が充実していて有難い。単に見るだけでなく掘り下げて考えられるものがある。会長、副会長、井上秀雄さん、原田さんに御礼を申し上げる。

 尚短歌百首作る予定であったが目まぐるしい行程で半分も出来なかった。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

具象と心象について

 短歌雑誌を読んでいるとよく具象・心象とか、写実・象徴とかリアリズム・ロマンチズ ムという字に出合う。そしてそれは相反し、相否定する概念であるらしい。何れが詩的表現の立脚的として根源的であるか、丁々発止とした論戦の見られるのも度々である。併しその論戦は何時も空転の感が免れ難いように思う。それは何れの側も自己主張のみがあって、相手の論点を自己の論点の中に包摂することが出来ないことに起因するとおもう。そこには不毛の平行があるのみである。そしてそれは写実なら写実、象徴なら象徴の出で来った本来への省察の欠除によるとおもう。相反するものがその根源性を争うということは相反するものは根源的一より出で来ったということである。斯るものに対して少し立入った考察を加えて見たいとおもう。その為に私は見るということは何かということから入ってゆきたいとおもう。

 鯛は深海にあっては人間の五千倍の明らかでものを見ることが出来るといわれる。併し見るのは敵と餌だけだそうである。禿鷹は三千米の上空より地上をありありと見ることが出来るそうである。これも見るのは餌となる野ねずみだけだそうである。物があって目が見るのではない。内外相互転換的にある生命が、内外相互転換的に生きるところに見るということがあるのである。動物にとって外は食物的である。食物を摂って身体と化せんとするところに見るはたらきがあるのである。動物は行動的である。行動には力の表出が伴う、そこに外は対立するものとなる。行動的として外に対立をもつとは、空間的な生命圏を形作ることである。見るとは内と外とが生命圏に於て一としてはたらくことである。外を摂取する行動圏が生命圏である。生命圏とは餌を獲る行動範囲であり、そこは生命の形相を実現してゆく世界である。摂取の行動を起すのは欲求であり、欲求は身体の飢渇より来るのである。見るというのは外に物があって目が見るのではない。生命としての身体の欠乏の充実として見るのである。生きんとする意志が見るのである。目とは身体が行動体として、生命圏の形成に身体を切り開いて流れ出る生命の機構である。視覚の発展は生命圏の創造的発展である。

 人間とは斯る生命が自覚的であるのである。人間のみにあって他の動物にないものは言語中枢であると言われる。人間は言葉をもつ動物であり、人間の身体は言葉によって動く身体である。欲求は言葉をとおした欲求であり、我々が見るとは言葉をとおした欲求に於て見るのである。言葉をとおした欲求とは、一瞬一瞬の内外相互転換を統一する、大なる生命の欲求となることである。言葉は昨日の我と明日の我を今に於て把持せしめるのである。昔語り部が個の生死を超えた歴史を語り継いだと言われる如く、過去をあらしめ、未来をあらしめるものとして、無限の生死の断絶を一つならしめるものである。無限の時が一であるとは、生命の一瞬一瞬の内外相互転換は技術的であり、経験は技術的形成として蓄積されるということである。斯る蓄積としての技術的形成が記憶である。蓄積が記憶であるとは蓄積をあらしめるものは言葉であり、言葉は蓄積として生命の初めが働くことであり、終りがはたらくことである。

 人間のみにあると考えられる文化はここより来るのである。初めと終りを結ぶ生命が蓄積として今内外相互転換的に行為していることが文化的営為である。経験を蓄積するとは昨日の経験が今日働く力となるということである。昨日の失敗が今日生かされるということである。過去として消え去ったものが現在を動かしているということである。斯る意味に於て蓄積は亦創造である。私はよく用があって書道塾に行くのであるが、古代中国の手本を傍に置いて熱心に筆を動かしている。古代中国の手本で習字するということは、習うものの中に古代書家がはたらくということである。

 経験の蓄積が技術的であるとは、内外相互転換が物の製作となることである。経験として過去がはたらくとは外を変革することであり、外を変革するとは、形作られた身体を内として、その秩序に外を構成することである。技術的形成として内が外となり、外が内となる内ははたらくものであり、外は物である。生命は何処迄も内外相互転換として、自覚的生命としての人間は物を作ることによって生活してゆくのである。

 経験を蓄積し、物を作るということは生得的な生命圏を超えて、生命圏を拡大し多様化することである。私は其処に人間の視覚があるとおもう。鯛や禿鷹より遥に劣る視覚をもつ人間は、望遠鏡や顕微鏡をもつことによって驚異的に視野を拡大することが出来た。私達の少年の頃は肉眼で見える星は南北半球合せて六千、それが望遠鏡では十万もあると言われたものである。それが今では百億とか言われる。単に望遠鏡のみではない、見えない黒い星とか、百数十億光年とか、宇宙の塵の存在の如きは、思惟として数理の如きが視覚の内容として働いているようである。微に入っては最小単位と見られていた分子が原子の構成よりなるものであり、原子は素粒子によって構成されているという。そこも亦理論が発見よりも先行しているようである。宇宙や原子の世界は、自覚的生命の欲求の形相であり、視覚の内容である。物を作る生命が拓いて行った生命圏である。

 以上いくらか私達の目というものを明かにすることが出来たとおもう。勿論短歌を作る 目は器械を介して見るのではない。直接この目で見るのである、持って生れた目で見るのである。併し単に生得的な目で見るのではない、言葉を介して見るのである。そこに私は物を介して物を見る目と同じはたらきがあるとおもう。

 生命が内外相互転換的であるとは、外が内となり、内が外となることである。外の拡大は内の拡大である。外に物を知ることは内に自己を知ることである。外としての物の形相に対するものは、転換としての一瞬一瞬の喜び悲しみである。言葉を介して見るとは、言葉が物の翳を背負うことによって一瞬一瞬を凝固させ、喜び悲しみに多様なる陰翳をもたすことである。言葉に凝固したものが一瞬一瞬に溶解し、更に凝固する。そこに喜び悲しみの展開があるのである。私は斯る展開の把握が詩であり、日本的形成の把握が短歌であるとおもうものである。それは喜び悲しみとしての言葉による蓄積である。蓄積は前にも言った如く初めと終りを結ぶもの、永遠なるものの具現である。蓄積が永遠であるとは世界を作るということである。ホメロスが、ダンテが、ゲーテが、人磨が我々に呼びかけ我々に応ふるものとなることである。過去、現在、未来の一々の人々が喜び悲しみに於て応答するものとなるのである。無数の人々の心の襞が自己の心の中に陰翳を作り、当面するよろこび悲しみに形を与えてくれるのが表現である。

 勿論我々の喜び悲しみの依って来るところはゲーテや人麿ではない、人と物、人と人との生きてゆく対立の矛盾である。人と物、人と人との対立そのことが世界形成であり、歴史的事件である。通常よろこび悲しみは私の中より起ると思われている。勿論私の中より起るのには違いない。併しその私は歴史的軋轢によってある私なのである。世界が自己自身を形作ってゆく一要素としての私である。そこに我々の表現衝動があるのである。我々の一挙手一投足は世界の自己具現である。世界の具現なるが故に一挙手一投足に世界を見ようとするのが表現である。

 世界として物と我とが相対し、それがはたらく現在の熔鉱炉の中に投げ入れられることによって製作があるとは、それが言葉によって把握されるとき、二つの立場があるということが出来る。一つは物からの方向であり、一つは人からの方向である。一つは作られたものからであり、一つは作るものからである。製作に於て人と物、過去と未来がそこに消えるとは無にして成ることである。無にして成るとは単になくなることではない。人と物とが相互否定的に格闘することである。人と物が愈々鮮明となりつゝ転換的に一ということである。無とか消えるというのは斯る転換が世界の自己実現であり、人も物も世界の内容として対立するということである。二つの方向よりの立場が成立するとは、否定的対立として、格闘することによってあるものとして、相互転換的に対手を帯びることによって全体を把持するものとなるが故である。物よりの立場も全体の相貌を帯び、人よりの立場も全体の相貌を帯びるのである。二つの立場は相反するものとして、全体の相貌に於て激突するのである。

 斯る立場から先ず具象について考えて見たいとおもう。具象とは字の如く象を具えたものであり、対象となるものである。対象とは見られたものであり、見られたものとは前に言った如く、欲求が外に象となって現われたものである。それは自覚的生命に於て物として我に対立するものである。具象とはその本質に於て物である。物は人間が製作すること によって実現するものである。人間が作るとは、内として形のなかったものが露わとなる ことである。無限に動的として形のなかった生命が、自覚的として自己自身を見たのが象であり、物である。無限に動的なる生命が自己自身を見たものとして、物は単に形として静止としてあるのではない。物は自己自身を超えて、呼声をもつものとして物である。勿論物はそれ自身に声を持たない、対象として主体としての人間に対するとき、その宿した時の深さ、技術の高さに於て見る人々に製作を呼びかけるのである。見る人々は其処に生命の大なる創造的発展を見、これも亦その創造線に参与せんと欲するのである。私はそこに写生とか、写実というのが主唱せられる論拠があるとおもう。

 人と物、過去と未来が相互否定的に一であるところは、物の生れるところであり、物の生れるところが事実の世界である。自覚的形成的世界は、事実より事実へと転じてゆくのである。物の無いことは死を意味し、物を作ることは力の表出を要する。物と人が相対するとは、物は死をもって我々に迫ってくることである。我々の喜び悲しみが生死の翳を帯びるものであるとき、喜び悲しみは物が担い、物によって見られるものである。アララギの観照としての写生が、生活詠に至り着かなければならなかった所以がここにあるとおもう。

 心象は具象が物に即したのに対して、言葉に即する方向である。物の象に対して、言葉は象なきものである。而して物の象は言葉によってあるのである。物は名付けられることによって自他相分ち、自他相分つことによって存在するものとなるのである。名の無き物の世界は渾沌に過ぎない。名付けられることによって自他相分ち、自他相分つことによって物があるとは、物の製作は言葉がはたらかなければならないということである。名付けられるとは一瞬一瞬の内外相互転換を超えるということである。時を超えて時を包む普遍者となるということである。時を超えて時を包むとは蓄積の内容となったということである。経験の蓄積は言葉に於て蓄積されるのである。そこに物は作られるのである。

 言葉によって経験が蓄積され、経験の蓄積が物の製作であるとは、物は言葉を宿すことによって物であり、物が言葉を宿すことによって物であるとは、言葉は物を宿すことによって言葉であることである。言葉と物は互がそれによってあるものとして対立するのである。自覚的生命は斯る対立を媒介として自己自身を形成するのである。対立を媒介とするということは、自覚が深くなることは対立が鮮明となることである。物が物自身の方に内面的発展をもち、言葉が言葉自身の内面的発展をもつということである。そこに物の方向に現実の意識が生れ、言葉の方向に想像の意識が生れるのである。

 想像は言葉が、内外相互転換としての情緒に結びついたものである。外としての物ではなく、内としての生命の方向に内面的発展をもったものである。私は心象をここに求めたいとおもう。よろこびかなしみは何処より来り、何処に去りゆくかを知らない。それは物の如く象をもたない、其処に言葉の自由なる飛翔がある。勿論それは物と断絶したものでない。言葉も情緒も形成作用の一面として反極に物を宿すのである。それは幻覚に過ぎない、否幻覚といえどもそれが身体より出ずるものとして物に関るのである。

 情緒や言葉に宿された物は質量をもたない、或は質量をもつとしても極少にされたものである。質量をもたないということはその可塑性に於て抵抗をもたないということである。言葉はその宿す物の形象の構成に於て、空中に楼閣を築くことも可能である。言葉が情緒と結合するという意味に於て、情緒の高揚と共に拡大してゆくのである。否想像が情緒を高揚させ、情緒の高揚が想像を拡大させるのである。

 自覚的生命が形成的であるとは、相反するものが何処迄も相反する方向に自己を限定してゆくことである。反極をもつことである。内外相互転換的である生命は自覚的となることによって、何処迄も内が内の方向に発展し、外は外の方向に発展するのである。そこに内外相互転換的に一であった生命は、絶対否定を媒介する一となるのである。一方向への展開は具体的な生命を失うものとして死への道を歩むのである。物はその象の固定化に於て、想像は根なき草として果てに滅亡をもつものである。死を救済し、生に転ずるのが否定的一である。想像は固定する物の象に流動を与え、生の流れに復帰を与えるものであり、物はその形の対立に於て、想像を誘発して止まざるものである。物の対立矛盾なくして想像はあり得ず、想像なくして物の新たな象はあり得ないのである。矛盾の果ての想像に理想があり、理想より見て現実があるのである。理想が大となることは、現実が愈々はたらくものとなることであり、現実が愈々はたらくことは、理想が愈々大となることである。而してこのことは理想と現実が愈々乖離することである。

 勿論芸術としての、短歌表現の具象と心象は現実と理想と同一ではない。併し私は多くの点で相似をもつとおもう。現実の方向に具象があり、理想の方向に心象があるのである。具象の方向は物であり、心象の方向は想像である。異なるところは現実と理想は生活そのものにつながるのに対し、心象と具象は生活の表象の意味を有することである。現実と理想が身体の存亡に関るのに対して、具象と心象は、生命形成の真実を何れがより深く言葉に捉え得るかである。

 前にも言った如く、自覚的生命の生命形成は否定を媒介する。否定を媒介するとは相互否定的に形成することである。具象が心象を否定し、心象が具象を否定するのである。象が心象を否定するとは、物が想像を実現することである。物に実現するときそこに想像はなくなる。心象が具象が否定するとは、物を想像の内容として、想像の展開をもつことである。言葉に於て形が形を生んでゆくことである。具象と心象は相互補完的である。相互補完的とは前述した如く、一方向のみでは自己の死をもつことである。他者によってあるのである。而してそれはあく迄他者によって否定され、他者を否定するものとして相互補完的である。リアリズムとロマンチズムは何処迄も闘わなけれればならないのである。対手が泣く迄言い争って相互形成をもつのである。

 闘うものは勝敗がなければならない。勝敗は時が背負ったようである。本来相互補完的なるものに勝敗のあるべき筈がない。併しそれが何処迄も対立する以上、何れかが主導することによって表現があるのである。そしてその否定として次の形が生れるのである。短歌に於て万葉の具象に対して、幽玄的なものを表そうとした古今は、仏老的観念を基底にもって物を見、言葉に表そうとしたということが出来る。斯る姿勢に対して痛烈な反撃をもったのが子規以下の写生であった。そして現在短歌は写生を如何に克服しようとしているかにあると思われる。全ての形は身体を媒介するものとして、生成・成熟・老化をもつのである。形は行き詰らざるを得ないのである。行き詰るとは無限に動的な生命形成の現在を担い得ないものとなることである。そこで相反するものが世界の動的形成の底より反撥してくるのである。斯る世界形成の呼び声が、歌人をして自己の使命を感ぜしめるのである。

 万葉に還れの大合唱に初まった近代短歌運動は、万葉的表現の模倣を目指すものでは決してなかった。古今集以来の作歌の根底にはたらく観念への挑戦であった。生命形成は更にその奥に直截なるものをもつことの直観であった。それは単に観念を否定するものではなくして、観念を包むものとしての現実の把握を目指すものであった。多くの人の写生論には浪漫主義を意識しての、写生の根源性の主張が読みとれる。写生の根源性とは浪漫主義を包摂するということである。現在短歌は斯る写生のより深奥に観念を見ようとするのである。そのことは近代写生のもつ理念が表現しつくされたということである。出口のない袋小路に追い込まれたということである。類型の枠より出ることが出来なくなったとい うことである。

 相互否定的なるものが、相互依存的であるとは何れも根源的ではないということである。根源的なるものは、両者が争うことによって形が生れてくるということである。争うことによって生れる形は、対立するものを含むより根源的な形であるということである。万葉に対して古今は一層根源的なものを見たのである。それによって万葉的立脚点から見ることの出来ないさまざまのものを見ることが出来たのである。近代短歌は万葉に還る精神として、更に万葉にも古今にも見ることの出来ない世界を切り拓いて行った。現代短歌は写生論によって見ることの出来ない世界を創出しようとしているのである。写生論者は或はこれを否むかも知れない。併し生れ来ったものは死すべく生れ来ったのであり、現われたものは否定さるべく現れ来ったのである。表現の世界は否定されるところにこそ意義をもつのである。

 具象の根源性が更に大なる心象の根源性を生み、心象の根源性がより大な具象の根源性を生むのである。そしてそれは歴史的時に映されるのである。一頃反戦を詠い、安保を詠う時局詠の如きが、新たなる短歌創造の内容の如く言われたことがある。併し対象を変えるだけで、新たな創造が出来る程安易である筈がない。それは翼讃短歌の如く言葉のみ壮にして、状況を離れれば戯画の如きが残る丈である。私達は現在の歴史的状況を詠うのではない。写生によって見ることの出来ない世界を観念より拓いてゆかなければならないのである。斯くして創り出された目が、歴史的現在の目となるのである。われわれは歴史の追尾者ではなくして、歴史を創るものである。歴史を内にもつのである。

 創造的形成は無限の発展であり、多様化である。併しその一々は奪うべからざるよろこびかなしみをもつ、赤人のよろこびかなしみは、茂吉のよろこびかなしみに換えることは出来ないものである。その意味に於て一々は完結をもつのである。前のものが後のものに否定さるべくあるとは、前のものは後のものの為にあるということではない、一々は自己の奥底を見てきたのである。斯る意味に於て否定とは対話である。そこに次のものが包摂してゆく所以がある。死するもの否定さるものは呼びかける永遠の声となるのである。若し写生が否定されたとしても、その生きて見出たよろこびかなしみに於て、作歌するものに呼びかけて止まないのである。そこに歴史を超え、具象・心象を超えた短歌的表現の世界がある。具象・心象はその中に成立するのである。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」