知的機能としての「音楽、歌」

 人間は類人猿から分かれて進化した結果獲得した高度な知的機能を有するのですが、知的機能の一つとして音楽や歌などが挙げられます。村上敬子先生や伏原金男氏など、音楽や歌の題材が多く、村上先生はプロ級のピアノ演奏技術を持っておられ、当初からその経験と幅広い知識を軸に音楽全般のことを述べられています。伏原氏はかつて岩垣博巳前院長が世羅町の古民家レストラン(伏原氏の奥さんが経営)を訪れてから万葉集を紹介されています。最初の紹介歌は「紫の名高の浦の靡(なび)き藻(も)の心は妹に寄りにしものを」現代訳:名高の浦の藻のように心はすっかりあの子に寄っているのだよ(巻11-2780番歌)。

奈良時代の様々な人々や平安貴族達は和歌を即興で作り、ヨーロッパなどではサロンで即興的に音楽を作曲して、それぞれ歌にして披露しあっていました。今も短歌や俳句の会、種々の音楽会などは色んなところで開催され人々が交流し、私は内外の音楽祭において人や音楽との触れ合いを楽しんでいます。人が集まるところには歌があり、そこから生きていることを実感する「楽しさ、喜び」が生まれるものと思います。(2024.8.8)

進化について

 

パリオリンピックで日本の若いアスリートたちが活躍しており、その成長ぶりには目を見張るものがあります。最近マスコミなどが頻繁に「進化」という言葉を使っており、医学・生物学に携わるものとして少し違和感をもつところがあります。本来これは「進歩」というべきところですが「進化し続ける新オリンピック競技:スケートボード」「ますます進化していく世界の若手選手たち」「次はもっと高度なことが出来るゲームに進化させる」「○○玩具の進化系」など。生物学で扱う『進化』とは、本来目的を持って変わるものではなく、自然や環境に対して生存してきた個体群の形態における「結果」であるものなのです。Wikipediaによると、進化とは「生物の形質が世代を経る中で変化していく現象のことで、個体群内での遺伝子頻度の変化を伴い、個体内の発生上の変化である成長や変態とは異なるというもの」です。つまり、色んなものが突然変異的に作られるのですが、そのうち環境に適するものだけが偶然に生き残ったという考えで、最初からこれを作ろうとして作ったものではないわけです。また進化は環境に適するように変化したということでは、常に向上的に働くものではなく、暗い所に順応して目が見えなくなった「モグラ」は「退化」したことにはなりますが、これも進化のうちに含まれるのです。

進化のきっかけはやはり遺伝子の突然変異で、まずこれが起こるわけですが、ここでチンパンジーから我々人間の脳が巨大化して進化してきたメカニズムが最近分子生物学の面から解明されたので紹介します。人間の脳は先祖である類人猿、チンパンジーの約3倍の大きさがあり、このためはるかに高度な様々な機能を獲得するに至りました。ベルギーブリュッセル大学の鈴木郁夫博士が遺伝子解析から初めてこのメカニズムの解明に成功されています。2018年科学雑誌Cellにて「NOTCH2NLB」遺伝子を初めて人間のオルガノイド(幹細胞を使って作成されたミニチュアの臓器)にて発見されたのです。この遺伝子はアカゲザルやゴリラ、オランウータン、チンパンジーなどで発生しますが、機能をもつたんぱく質を発現する遺伝子NOTCH2NLA,B,C,Rは人間にしかなく、おそらく300万年から400万年前から徐々に進化して人間に発現するようになったということです。この遺伝子は神経幹細胞を誘導し自己複製の結果、脳神経細胞の発達に寄与したものと考えられます。(2024.8.8)

鈴木郁夫ら:Cell, 2018より 人間の祖先である類人猿のNOTCH2遺伝子からのNOTCH 2A,B,C,R遺伝子が複製されて新たな神経幹細胞を作る蛋白質が生成されたと思われ、これが脳発達の進化につながったのではないかと考えられる

クラシック音楽川柳

先日面白い川柳がx(かける)クラシックというFM放送(サクソフォーン奏者上野耕平とモデルの市川紗椰が軽快なトークで司会をする)で紹介されていました。

ばあちゃんは入れ歯でカルメンギター弾く」カスタネットの音を入れ歯で「カタカタ」鳴らし、ギターも弾いてカルメンを演奏しているめちゃポジティブなスーパーグランドマザーがうかがわれます。

現代の石川〇木「たわむれに妻を背負いてそのあまり重きに泣きて1歩もあゆまず

健康的でほのぼのします。

(2024.629)

医師とピアニストの二刀流

 名古屋大学医学部を卒業し現在研修医として勤務する沢田蒼梧医師は前回のショパンコンクールで反田恭平氏、小林愛美さんたちとともに入賞しています。医師とプロのピアニストの「二刀流」を目指すとのことで、頼もしい限りです。しかも小児期に喘息に悩まされ、将来は小児科医になりたいと語っています。

(2024.6.29)

子ども食堂

 先日鳥取大学医学部の学生と話をしていたら、「猫手Necote」というボランティアサークルが活動していることを聞き、早速取材に行きました。サークル部員は30人くらいおり、医学科や看護学を専攻している学生達から成り立ち、大学近くの一般社団法人「手と手TetoTe」といういわゆる「こども食堂」で活動しているとのことです。家庭や学校で居場所のない小学生から高校生までの子供たちとゲームをしたり、宿題を手伝ったり、食事を一緒にして「手と手をつなぐ」活動をしています。最近、「子ども食堂」は全国的に多くみられるようになりました。ここは家庭でも学校でもないもう一つの居場所。子供たちがそのままの自分で居られる場所を見つけるということですが、本来は家庭や学校で築くはずの自分のアイデンティティがそれ以外の場所でしかできないというのはちょっと違和感を持ってしまいます。家には遅くまで仕事で帰らないお父さんとお母さん、塾に行かされる自分など、現代日本の歪んだ構造が見えるような気がします。部長の大〇周君(医学科6年生)は兵庫県姫路市の高校の時から将来的には小児科医になりたいと猛勉強をして、鳥取大学医学部に現役で合格されています。「TetoTe」には不登校や発達障害など様々な問題を持つ子どもも集まって来、喧嘩もおこるが、まずお互いの話をしっかり受け止め、もがきながら大きくなっていくこどもの成長を「猫の手」のように、支え寄り添えるようになりたいと述べてくれました。将来良い小児科医になってくれることでしょう。

(2024.6..29)

米子市にある子ども食堂「TetoTe」

映画「関心領域」

先日恐ろしい映画を観てきました。

「関心領域」The Zone of Interestという、ナチスドイツが使った強制収容所の周辺地域を指す言葉ですが、ナチスに関わった人々の真の残虐さを描いたものです。映画の内容としてはアウシュビッツ収容所の所長が収容所のすぐ隣で暮らしているのですが、ごくありふれた幸福な家族の日常が淡々とつづられ、、塀を隔てた収容所での残虐さは具体的には何も出てきません。しかし、収容所の焼却炉からあがる煙、銃声、叫び声、家族が交わす何気ない会話、収容者たちから奪った毛皮のコートを自慢げに着てみせる所長夫人、川で水浴びをしていた時に流れてきた灰のためにすかさず家に帰ってシャワーを浴びる家族、貨物車で運び込まれた「積み荷」を効率よく焼却する新型「リング式焼却炉」の開発を熱心に討論する技術者たち、欲しいものは何でも手に入るアウシュビッツの自宅を離れたくない夫人に、この上ない恐怖を感じるのです。ハンナ・アーレントによる「悪の凡庸さ」つまり「命令に従っただけの凡庸な人間たち」ではなく、本映画に登場するのは積極的に「劣等人種」を殺戮し自分のより良い生活を確保するために搾取を意識的或いは無意識に行う普通の一般人から成り立つ「支配民族」であることが強調されます。

映画「関心領域」パンフレットより 壁の向こう側にはアウシュビッツ強制収容所の屋根と焼却炉からの煙が見え、その手前で子供たちは遊んでいる。
 

上記のハンナ・アーレントは何故ドイツでナチスのような全体主義が台頭したかについて、詳しく分析されています。つまり「客観的な敵」を規定することが「全体主義」の本質であるとし「客観的な敵は自然や歴史の法則によって体制側の政策のみによって規定され、これらは効果的に人間の自由を奪う」としています。一旦「客観的な敵」が規定されると「望ましからぬもの」「生きる資格の無いもの」という新しい概念、グループが出来上がり、「客観的な敵」に属さない「大多数の人々」はこれに賛同し、また「同調圧力」が加わり「大虐殺」に至ったとしています。「大多数の人々」がこのような「均一性」を自覚することが最も根源的な問題と思われ、多様性を受け入れることが重要と思われますが、ナチスドイツだけでなく現在も続いている多くの紛争は、異なる民族、宗教の違いにより生じ「支配民族」たることを目的としていることによるものと思われ残念ながら解決は難しいように思われます。

(2024.6.29)

ラ・フォル・ジュルネTOKYO2024

 2024年4月に琵琶湖でのクラッシック音楽祭の話を書きましたが、その後5月の連休に東京でラ・フォル・ジュルネTOKYO2024に行ってきました。ラ・フォル・ジュルネとは「熱狂の日」という意味で、フランス西部の港町ナントで1995年、アーテイステイックデイレクターの「ルネ・マルタン」によって始められています。「一流の演奏を気軽に楽しんでいただき、明日のクラシック音楽を支える新しい聴衆を開拓したい」という目的で、500近い演奏会を低価格で提供するものです。この活動は全世界に広がり、日本へは2005年から開催され、2020年から新型コロナのために中止させられましたが、昨年からようやく再開。今年は実に100を超える有料公演と多くの屋外での無料コンサートが行われるに至ったわけです。その演奏レベルは非常に高く、小林愛実やケフェリック(ピアノ)、成田達輝やシャルリエ(バイオリン)など、内外でも著名な音楽家の多くを聴けて充実しました。特に音楽大学在学中など、最近の若い演奏家の情熱と演奏技術には目を見張るものがあります。中でも今回ユニークな企画として、「0才からのコンサーコンサート」というのがあり、乳幼児からコンサートを聴けるというものでした。乳母車で会場に入り、勿論保護者が一緒ですが、曲が始まると子供たちが一斉に泣き出し、別の意味での「合唱?」が繰り広げられたのです。(2024.6.6)

 乳幼児からの音楽教育の重要性は「音楽の訓練」のところで述べていますので、ご参照ください。

屋外での無料コンサート:売り出し前の若い演奏家のデビュー戦にもなる
0歳からのコンサート

琵琶湖音楽祭

4月下旬の連休に「琵琶湖音楽祭」に行ってきました。無料の演奏会もあり、レベルの高い演奏に酔いしれ、お昼にはキッチンカーも出ており、春の涼しく心地よい琵琶湖湖畔の自然の中、キンキンに冷え切ったビールの味は最高でした。5演目を聴きましたが、特に日本人のビオラ演奏者を含む、ドイツベルリンで活躍中の「レオンコロ弦楽四重奏団」によるヤナーチェクのクロイツェルは緊張感がみなぎり至福の時でした。2024.4.30

破壊的イノベーション

最近、マスコミなどで「破壊的イノベーション」という言葉をよく耳や目にします。

これはクレイトン・クリステンセンというアメリカの経営学者が提唱し「持続的イノベーション」に対する用語で、主にビジネスマーケットの領域で使われてきました。イノベーションInnovationとは日本語で「革新」と訳されており、新しい技術などの発明を意味します。このうち「持続的イノベーション」とは、簡単に言えば既存の技術などを大まかのフレームワーク(枠組み)は変えずにいわばマイナーチェンジをするものですが、これに対し「破壊的イノベーション」は、概念をほぼ根底から覆すことを指します。昔からコペルニクスの天動説(地球中心説)を覆す地動説(太陽中心説)、フロイトの精神分析法、マルクスの科学的社会主義 アインシュタインの相対性理論など、従来の通念を180度転換する画期的な発想でした。最近ではOpenAIによるChatGPTは、それまでに思いもつかなかった人工知能による生成システムで、これにより我々のデスクワークの多くが恩恵を受けております。

私が中学生の頃に始まった「題名のない音楽会」司会者の作曲家黛敏郎氏は、当時流行っていた「ニューミュージック」のある曲(残念ながら題を失念しました)の楽譜を解析し、これをビートルズの「Yesterday」と比較討論されました。番組では「Yesterday」の最初の数小節はそれまでのとは明らかに異なる斬新なメロデイーであるが、「ニューミュージック」のものは「都はるみ」の曲などこれまでの日本の曲のアレンジに過ぎない。「ニューミュージック」などと命名するのは「おこがましい」と一刀両断に切り捨てられたのです。そのことは黛氏の鋭い視線と言葉からこぼれるキラキラとした知性とともに今でも鮮明に覚えています。

題名のない音楽会」初代司会者 黛敏郎氏 とYesterdayの最初の3小節(Wikipediaより)

似たような経験をお話しますが、私が1990年代にアメリカに留学していた頃はバブル経済が弾けたとは言え日本の力がまだまだ強く、アメリカ自動車産業の半分くらいは日本車が占めるという時期でした。あるアメリカ人の看護師さんから「日本人は外国の模倣ばかりして自国の独特の発明は何もない」と言われたのに対し、この時だけは根っからの「愛国者」になり、ソニー社の「ウオークマン」は画期的なもので市場を席巻していると反論しました。しかしながら、考えてみると当時のテープレコーダーを携帯用に小型化しただけのもので磁気を使って音声録音するテープレコーダーを発明したデンマークのポールセンやフロイメルとは大きな違いがあります。2023年の雑誌Nature誌に「Japanese research is no longer world class — here’s whyという衝撃的なニュースが載っていましたが、日本のシステムの問題だけではないのですが、「破壊的イノベーション」を生み出すような発想の転換や努力などが必要でしょう。

また先日食事会で、ある看護師さんが「連休に東京に○○のコンサート」に行くと言っておられ○○は今流行の男子グループですが、私が知らないことを言うと「長谷川先生、○○知らないんですか。遅れていますね」と反論されたのです。そばに居た医師が「長谷川先生は趣味が高尚ですから」と意味のないフォローをしてくれました。日本人の「同調主義」には勿論良いところもあるのですが、高校生の時にある本で日本人は微分的な発想をするため解析能力が優れている。一方ドイツ人は積分的な発想が中心となり包括的な見方をするということを読んだことがあります。また本誌で私の原稿を読んでいただいているある高名な先生から「長谷川先生は優雅ですね.風流人ですね」とか「よく本を読んでいますね。暇人なんですね」などと言われ、ステレオタイプの分析をし画一的な範疇に分類してしまおうという傾向が、特に学識の高い人に強いように感じます。こういった日本の風潮も関係しているかも知れません。 さて、今年の4月から「医師の働き方改革」という制度が始まりました。医師の健康確保と長時間労働の軽減を目的に、余計な残業を無くし定時に帰れるようにということです。勿論患者さんの容態次第で帰れないということもあるのですが、多くの医師は「学会発表」や「論文執筆」に追われて病院にいる時間が多いのです。時間外にこれらを他から強制的にあるいは自らに課して行っているのですが、このように自分を締め付けないで自由な時間を作って家庭生活や好きな趣味に充てましょうとという風に変われば良いと思います。また先日東京都はカスタマーハラスメント(店員が顧客から受ける暴言や無茶な要求などのこと)の定義付けを行い、全国初の防止条例制定に向けるということです。これを病院に当てはめてみると「モンスターペーシャント」の抑制につながるかも知れず、今後これらの2つの新しい制度によって医師の働く環境や患者さんとの関係も良好に進むことが期待されます。

(2024.5.1)

実験小説としての「源氏物語」

テレビの話題が続き申し訳ないのですが、今年NHKで「光る君」という大河ドラマが始まりました。多くの方が見ておられると思いますが、世界で最も古く長い恋愛小説の1つ「源氏物語」を著した紫式部の物語です。

昨年末「やばい源氏物語」という面白い新書が出版されていました。著者は早稲田大学第一文学部(競争率が高いが文系に特化した変人が多いので有名)卒業の大塚ひかりさんで、他に「毒親の日本史」「ブス論」「くそじじいとくそばばあの日本史」などがあります。

 著者によると「源氏物語」は当時としては画期的なものでまさに実験小説であるとしています。例えば、通常は美人を詳細に描写して登場させるのですが「ブス(大塚さんが述べておられるので、私はそれを引用しているだけです)」の扱いがヒドイ。美女の描写は実にあっさりしてますが、「ブス」の描写は異様に詳しく、「ブスの極み」というべき、3大「ブス」に「末摘花(すえつむはな:座高が高く、先が垂れて赤くなっている鼻、額が腫れていて痛々しいほど痩せている)」「空蝉(うつせみ)」「花散里(はなちるさと)」を挙げております。これでもかと言うほど徹底した描写をしておりますので、原文でも現代訳でもその個所を一度読んでみてください。また「霊」についてよく登場させており、それまでの物語では死霊は出てくるが、生霊(いきりょう)を登場させたたのは「源氏物語」が最初であるということです。当時は病気や精神的不調などは人に「物の怪(もののけ)」が憑いているとして、祈祷により生きた人から霊を追い出したりして病気を治していたのです。今のように抗生物質も抗がん剤がない時代ですが、祈祷で治癒する病気というのはストレスなどの精神的な要因が主だったような気がします。物語の中で紫式部は、様々な霊を「生きている人間が良心の呵責によって見られる幻影」であるとし、六条御息所の生霊が光源氏の正妻「葵の上」に乗り移ったのは、光源氏が過去に行った御息所に対するやましいことに起因する幻影であるとしています。その他、愛の確執と嫉妬、不倫は勿論、近親相姦なども描かれ、また天皇家と貴族、右大臣と左大臣、などによる政治的謀略も混じり、当時実際に存在した人々も時に実名で出てくるなど、あらゆる斬新な試みが含まれ、まさに実験小説と言えます。紫式部がテレビや著書では藤原道長公の妾(しょう、つまり愛人)であったとされており、その真に迫る描きぶりは見事ですね。

前月号本誌で小澤征爾氏のことを書きました。先日NHKの教養番組で「終わりのない実験~世界のオザワが追い求めた音楽」というのが放映されており、その中で彼は日本だけでなく世界の音楽界に対して重い責任を持つに至っているが、外国にいても常にはるか日本の音楽界へ思いをはせ、日本人が西洋音楽にどこまで挑戦できるかという壮大な実験を続けていると述べています。さらにベートーベンは当時新しい手段としてピアノが導入されると、様々な新しいリズムや旋律を編み出し、交響曲に初めてトロンボーンや合唱を取り入れ、色んな実験を行っています。その前のモーツアルトもオペラなどに革新的な試みをしています。このように新しいことを実験的に試みた先人たちの業績は歴史を超えて今も息づいております。
エベレスト山に初登頂した登山家ジョージ・マロリーは「何故山に登るか?そこに山があるからです!」という名言を残していますが、実験や新しいことへの挑戦のきっかけは極めて単純なことで「高い山に登ると見える景色が変わり、そこから見える次の山に登りたくなる」のでしょう。
アインシュタインも山中伸弥先生も「実験」を繰り返し努力した結果「相対性理論」「iPS細胞」の発見に至ったわけで、実験をして新しいことにチャレンジすることは、人間の本質である、生きていく原動力になると思います。私は今大学で大学院生の動物実験の指導を行っていますが、誰でもその機会は与えられます。ロスアラモスで原爆実験を行ったオッペンハイマーでなくても、小学生の時理科や生物の実験に目を光らせた思い出、おうちで新しい食材を使って子供たちに新たなメニューをつくる。これも実験の一つです。喜んでくれると嬉しくワクワクしませんか?
生物の自然発生し得ないことを証明するパスツールの実験「新大学生物学の教科書」より(2024.4)

変わった曲名

クラシック音楽の変わった曲名を集めてみました。

ベートーベン:ピアノ奇想曲「無くした小銭への怒り」

マーラー:歌曲「魚に説教する聖アウグスツス」

サテイ:ピアノ協奏曲「犬のためのぶよぶよした本当の前奏曲」

ロッシーニ:ピアノ独奏曲「ロマンテイックなひき肉」

(2024.3.14.)

小澤征爾死去

今年2月6日 世界の大指揮者「小澤征爾」さんが亡くなりました。

小澤氏指揮の演奏を聴かれた方は多いと思いますが、私が最も印象に残っているのは、ボストン交響楽団を振った「ブラームス交響曲第1番」です。これは1977年にドイツグラモフォンから出た名盤の一つで、NHK-FMで聴いたのですが早速LPレコードを購入し、今でも大切に保存しています。生演奏では2010年8月長野県松本市でチャイコフスキーの弦楽セレナーデ第1楽章だけを指揮されたのを聴いたことがあります(体調不良のため他は山田和樹氏、下野達也氏に交替)。この松本フェスティバルはサイトウ・キネン・オーケストラ(SKO)が1992年から毎夏行なっていたもので、桐朋学園大学で指揮者斎藤秀雄氏に師事していた演奏家たちが中心に行っており、小澤氏が統括されていましたが、2015年よりこの音楽祭は「セイジ・オザワ松本フェスティバル」に変更されました。余談ですが、斎藤秀雄氏は指揮科の指導教官で、癇癪もちで小澤氏は指揮棒で叩かれたり、楽譜を投げつけられたりを日常的に受け、ストレスで本箱を素手で殴りつけ大怪我をしたことがあったそうです。今では「パワハラ」として、マスコミや父兄会の格好の餌食になるところですが、その斎藤氏を慕って毎年世界中から多くの弟子が松本に集まってくるので、真の意味での「教育者」とは「全ての人に優しく平等に受け入れられる」ようなものではないのでしょう。

小澤征爾氏に関する本を2冊読んだことがあります、1つは村上春樹氏との対談をまとめたもので、文筆家と音楽家という異なる職種の2人ですが、それぞれ超一流の仕事をされており、お互いに共通したものがあることを冒頭で述べられています。つまり、①仕事をすることにどこまでも純粋な喜びを感じていること、②いつまでも若い頃と同じハングリーな心を変わらず持ち続けていること、③仕事遂行において辛抱強くタフで頑固であること、です。

もう1冊は「僕の音楽武者修行」というもので、神戸から貨物船に乗りギターとスクーターだけで単身ヨーロッパに渡り、プザンソン国際指揮者コンクールで優勝してから、カラヤン、ミュンシュ、バーンシュタインに師事し、渡米してシカゴ交響楽団、トロント交響楽団、サンフランシスコ交響楽団、ボストン交響楽団、タングルウッド音楽祭の主催などを経て日本に帰国するまでの生活を記したものです。苦労話でさえユーモアたっぷりに描かれており、小澤氏の音楽に対する熱情が伝わって来ます。

海外渡航については、現在では多くの日本人がかなり自由に諸外国に出かけていますが、文明開化を果たしたばかりの明治時代に、欧米の医学や知識を取り入れようとした、2人の偉大な医学者「森鴎外」と「野口英世」を紹介したいと思います。まず森鷗外は島根県津和野の藩医の家に生まれ、帝国大学(現在の東京大学)医学部を最年少の19才で卒業し、陸軍省から国費留学生としてドイツに5年間留学しています。その後鴎外は陸軍軍医総監に昇進し、人事権を持つ軍医のトップとなる傍ら数々の文学作品を書き、文筆家としても一流の活躍を遂げるのです。しかしながら、学問や芸術を迫害しているとして明治政府に抵抗し、学問の自由研究と芸術の自由発展を妨げる国は栄えるはずがないと一貫して主張しました。ただ、言葉が異なる英国で英文学を学んだ夏目漱石とは異なり、国境のある文学だけでなく鷗外は医学も学んでおり、自然科学は普遍的な領域なので、救われた面もあると思われます。

一方の野口は貧しい農家の長男として生まれ、幼少時に母が目を離したすきに囲炉裏に落ち激しい火傷のために左手が開かなくなったが、後に周りの方々からの支援により外科手術を受け、細菌学者となって大きな功績を挙げるというよく知られた医学者です。我々が小学生の時には偉大な学者という風に教科書で取り上げられ、立身出世してお世話になった周囲の方々に恩返しをするという、ストーリーになっていたと思います。実際にロックフェラー研究所の正所員、各学会の正式メンバー、東大の理学博士、京大の医学博士。各国の栄誉勲章、日本帝国学士院恩賜賞、勲四等旭日小綬章を受け、確かに偉業をなすのですが、そのやり方は偉人伝とはかけ離れたものです。例えば医師を目指す女子学生と婚約し、その持参金を渡航費に当てる、地元の恩師や友人から渡航のために今の価値で何億円も借金をするのですが、そのお金を渡航の前に料亭で飲み食いして散財するなど、数え切れない詐欺のような行為をしているのです。上記の婚約した女性に対して試験の前に頭蓋骨の標本をプレゼントして喜んでもらおうとしたようです。しかし研究に対する情熱はすばらしく、単身フィラデルフィアに乗り込んだ後、ろくに睡眠をとらずに研究、論文執筆に没頭。「科学の世界は何かを得ようと夢見ている時が花で、実際手にしてみるとその喜びは意外と薄いものです。それどころか、1つの目的が達せられると、さらにもう1つと新たな望みが生まれ、さらに自分を苦しめる結果となります。」と後に述懐しています。野口と鴎外はともに苦労をされているのですが2人に共通した点は世間知らずの無鉄砲さにあると思われます。

(2024.3.12)

ジョン・ケージ「4分33秒」

クラシック音楽の世界でも禅の教えに影響を受けた作曲家がいます。それは「ジョン・ケージ」という現代作曲家でアヴァンギャルド(前衛)芸術に影響を与えた人です。彼は「禅と日本文化」などの著書を英語で記した仏教学者、文学者の「鈴木大拙」氏に影響を受けました。1952年ケージは「4分33秒」という作品を発表し、これは演奏者が全く楽器を弾かず最後まで沈黙を通すというもので、その時に会場から偶然におきる物音やざわめきこそ音楽の本質であるとし、音楽に対する彼の思想が最も簡潔に表現された代表作品です。その主旨を私は完全には理解していないのですが、以前はリズム構造の基礎となる単位の長さが時間の長さであったのに対し、最近の作品では長さは空間のみに存在し、この空間を通過するスピードは予測できないと分析します。クラシック音楽は古典主義から始まり、ロマン主義、表現主義、印象主義からセリアリズム(総音列技法)に至るまでは「音楽は何物かを表現しなければならない」とされていましたが、ケージはこれを否定し、音はただ音である、ただそれだけである。音楽は音楽ではない。だから音楽は音楽である。という訳の分からない考えを展開します。五線紙の音譜は表面の空間であって、音楽の論理とは全く無関係で、時空間の首尾一貫性は予測不可能であり、禅宗哲学が新しい作曲上の方向を促進するのに大きな役割を果たしたというものです。禅の「一即一切、一切即一」という概念、つまり空間的には全宇宙が一介の塵埃中に見いだされ、また時間的には永遠の時間が一瞬間の中に見いだされるというものですが、音楽にも予測できない偶然性を導入する必要があると結論し、上記の「4分33秒」が出来上がったのです。

皆さんは理解されますでしょうか。(2024.2)

  
第一楽章 Tacet (休み)   
第二楽章 Tacet (休み)   
第三楽章 Tacet (休み)   

ジョン・ケージ作曲「4分33秒」の楽譜

ボデイビルダー女子医学生

鳥取県は島根県とともに山陰地方にあり、両県はド田舎さを競い合っております。昔「秘密のケンミンショー極」というカミングアウトをネタにしたテレビ番組で、島根・鳥取のうち右にあるのはさてどっち?スタバはどちらが先にできたか?など。しかしながら、寒い環境で身体を鍛えられるのが良いのか、結構有名なスポーツ選手を輩出しております。2021年東京オリンピックで日本人初の女子ボクシング金メダリスト、「入江聖奈」さんは米子市出身です。また山陰ではなく広島県出身で現在島根大学医学部医学科の5年生「城谷怜」さんは2022年に行われたボディビルアジア大会で優勝されています。医師のボデイビルダーといえば、山陰ではないのですが、秋田大学病院整形外科医の「浅香康人」氏は2023年ボデイビルダー東北・北海道大会で準優勝されました。両人ともインターネットやスマホでその様子と素晴らしい筋肉美を見ることが出来ます。

医学生でスポーツをやっており将来的にこれを専門に生かそうと考えている人は多く、以前に鳥取大学医学部医学科生でバレエダンサーの「河本龍磨」君を紹介しました。上記の2人のボデイビルダーを含め彼らは医学部で学んだ解剖学、生理学、栄養学などを自身の鍛錬に応用し、さらに患者さんの診療に実践的に生かす構想をきちんと考えています。河本君は将来「スポーツ医」になってくれるようで、鳥取大学への貢献を期待しています。フィットネスクラブで働いている城谷さんは、患者さんが悪くなる前に普段の生活習慣や食事、運動を通して身体作りを指導するべく「予防医学、東洋医学」の分野を目指しているということです。浅香氏は現役整形外科医ですから患者さんへの運動機能に関する診療は言うまでもなく、健康な体と精神力を鍛えたいとのことで、学生時代から今なお柔道に研鑽を積まれているようです。

 今述べた柔道については詳しくないのですが、創始者の加納治五郎氏によると禅の教えが根底にあるとしており、「無心、虚心にして物事に没入する」「適当な機を見て相手の姿勢を崩し、少しの隙でも見逃さない」「対人的には礼儀、親切、尊敬を重視する」などの教義の重要性を強調されています。(2024.2)

ヨーロッパ臨済座禅センターの座禅修行(Wikipediaより)