生命は内外相互転換的に形成的である。外を食物として摂取することによって身体を作り、身体の不用となったものを排出して外となすのである。斯る外としての食物を行動によって獲得するのが動物である。外を内にし、内を外にするものとして生命は全て機能的である。動物は行動的として、空間的に身体を超えた機能をもつのである。身体に運動能力をもち、外に行動圏をもつのである。断る行動圏が環境であり、そこに生命は自己を見てゆくのである。
内外相互転換的として、外を転じて身体を作ってとは身体は環境を映すものとしてあるということである。身体が環境を映すとは、環境は身体的にあるということである。動物は行動的に生命を形成するものとして、身体が作られるということは、身体が環境を作ってゆくということである。
私は人間生命を自覚的生命として捉えんとするものである。自覚的生命とは内外相互転換が蓄積的となることである。蓄積とは一瞬一瞬の相互転換が結びつくことである。無限の生命の営為としての経験が現在の行為に於て結びつくことである。私達はそれを記憶にもつ、記憶は現在の行為を成立させると共に、現在の行為によって維持されるのである。一瞬一瞬の内外相互転換として経験の結合とは物が生れるということである。木の皮などの間に魚が入って動けなくなっているのを捕えたとすると、動けなくなった構造を模擬するのが経験の蓄積であり、その構造を更に発展さすのが形の成立であり、形の発展である。形とはわれわれの意識に於て物が成立したということである。物は営為の蓄積として、生命形成の内容として現われるのであり、次の形を生むべき必然をもつのである。それは一面に主体の形を表わすものとして、一面に環境の象を表わすものとして、綜合的具体の意味を有するものである。そこに人間が見られ、環境が見られるものとして世界の意味を有するのである。物の生産に於てわれわれは世界をもつのである。
私は斯るものとして世界形成に二つの方向を見ることが出来るとおもう。一つは環境的 方向であり、一つは主体的方向である。環境は身体に転化さすことによって身体があるものとして死を距てて対するものである。死をもって迫ってくるものとして大なる力である。われわれの機能はそれを転化さすべく現れ来ったのである。環境的方向とは死をもって迫ってくる大なる力を機能によって転化すべく捕捉解明する方向である。機能によって捕捉解明するとは、身体に適応さすべく環境としての生の対象を変革することである。機能によって対象を変革するとは、機能と対象は相即するものであり、対象の中に深く入ってゆくことが、主体による対象の捕捉解明であり、それによって環境を作るというのが変革するということである。そこにわれわれが持つ絢爛たる物質文明があるのである。
主体的方向とは機能と対象の相即を機能の方向に徹底させてゆく方向である、機能が見出した対象を生命の影とする方向である、機能は対象との相即として生死に於て生命が作り出したものである。そこから対象が見出されるということは、対象は生命に回帰すべきものである。対象の多様は生命の一に収斂さるべきものである。そこに対象の多は生命の一に克服されなければならない。欲求は対象の奴隷である、それを殺して世界を自分の内容として見るのである。私は禅家の現成の如き斯る方向に成立するのであるとおもう。
私は対象的方向に成立する世界形成を知的、主体的方向に成立する世界形成を情的と言い得るとおもう。物質の発展は何処迄も分別してゆくことである。新しい特性の発見が知的創造である。その統一は法則的・公理的である。それに対して身体に自己を現わしてゆく生命は世界を一としてあらしめるものであるとおもう。身体は行動的に自己形成的である。行動は不可分的である、不可分的とは一であるということである。身体は多くの機能を有する。それは行動体として一なのである。斯る一としての身体の表出は情緒である。斯るものとしてわれわれの世界形成は対象的知的方向に拡散し、生命的情緒的方向に収斂することによって無限の発展をもつのである。
斯かるものとして私は文化の形成に二つの方向があるとおもう。一つは対象的方向であり、一つは主体的方向である。一つは物の方向であり、一つは生命の方向である。そして方向を決定するものは、対象としての環境と主体の関り方にあるとおもう。それは地理的歴史的である。苛酷なる気象、温順なる気象はそれぞれの生命の形象を生み出し、海洋、山岳、異民族との交叉はさまざまの形象を生み出してゆくのである。四方を海に囲まれて他民族と隔絶し、豊富なる食糧資源によって完結せる生活圏をもったと言われる日本民族は独自の生命形成をもったとおもう。
日本経済新聞に連載の徳川吉宗の小説に、狩場で特に目立った者に着ている羽織を与え、もらった者は直に着込んだということが書いてあった。有名な菅原道真の御賜の御衣も帝が着ておられたものであるというのを読んだことがある。そこには身に着けているものはその人の生命を宿し、それを持ったり着けたりすることは、その生命を共有する思想があったと言われている。芝居や角力興行に於て贔の者に羽織や入れを投げたり、死者の形見分けとして身に着けていたものを遺族がもらうのも共通するものであるとおもう。生命を宿すものとして我と汝がそれによってつながり、そこに同一を実現するのである。そこに於ては世界は生命としての身体の拡大としてあるのである。
私は短歌を作るものであるが、短歌も亦基盤を等しくするものの上に立つとおもう。曽って何かの本で「万葉集の中の見ても見飽かぬという表現は、作者はそれを見ていても見飽きないということではなくして、それは自分の生命の姿に接しているのである」と言った意味のことを書いてあるのを読んだことがある。私はそこには景色は対象としてあるのではなくして自分の生命の展開としてあるのであるとおもう。私は現代の短歌創作に於ても斯る原理が根元的にはたらいているとおもう。以下現在の代表的作歌と言われる小中英之と高野公彦を数首宛取り上げてみたいとおもう。
小中英之
射たれたる鳥 食みて身の闇にいかばかりなる脂のきらめくや
月射せばすすきみみづく薄光りほほえみのみとなりゆく世界
遠景をしぐれいくたび明暗の創の如くに水動きたり
花びらはくれなゐうすく咲き満ちてこずえの重さはかりがたしも
高野 公彦
あかあかと天ののみどを下りゆく落暉に向ひつつしみどする
喪の列はさみしく長し橋に出てひとびとの耳夕日に並ぶ
なきがらのほとりに重きわがからだ置きどころなく歩くなりけり
わが生と幾つかの死のあはひにて
私達はここに短歌の創作とは、対象を如何に身体に於て見、身体との同一を実現するかにあることを見ることが出来るとおもう。対象を身体に於て捉えるということは、身体を対象に拡大してゆくことである。世界をこの我の実現とすると共に、この我を世界の実現とすることである。そしてこの我と世界の展開を根底に身体を置き、身体の延長に於て見たところに日本的特殊があるとおもう。
身体は情緒に於て自己を露わにする、他と関る身体は情緒に具現するのである。身体に具現するとは情によってつながるということである。対象を身体の延長とし見るということは情に於て包むということである。私は私達の人間関係の根底に断るものがはたらくとおもう。我と汝は相対するものである。相対するものは否定し合うものである、否定しあうことが関係的同一をもつものである。併し私達の祖先は徹底的な否定をもたなかったと おもう。敦盛に哀れを感じた熊谷直実の如きものがあったとおもう。対立よりも深く情の一なるものがあるのである。我の延長として汝があり、汝の延長として我があるのである。我の身体の延長、汝の身体の延長が重なるのである。私は日本の社会は斯るものの無尽の 重なりであったとおもう。日本の社会は世間として成立した。私は世間とは法律や制度によって成立したものではなく、情誼によって結ばれたものであるとおもう。それは「頼めば越後から米を搗きにくる」と言われ、「渡る世間に鬼はない」と言われ、「世間情がな きや成り立たぬ」と言われた世界であるとおもう。
理知の世界は判断の世界であり、情の世界は共感の世界である。共感の世界は涙を等しくし、ほほえみを等しくするものとして身体に即する、それだけに日本人は大なる形相を 生まなかったとおもう。身体を養うは日々の営みである。私は日本の形はそこより生れたとおもう。よく日本文化の形を言われるときに、生花・茶湯・盆栽が挙げられる。何れもその形の出現には海外渡来の理念がはたらいているとおもう。併しそれは日本的なものを渡来の理念によって洗練したものとして、日本の形と言ってよいとおもう。生花は体・用・相として、天・地・人を表わすと言われている。天・地・人は恐らく中国の概念であろう。そうとすると生花は草木に見出した宇宙の表象である。併し活けている人は果して花の形に宇宙を感得しているのであろうか。私は逆に形に花の命を感じているようにおもう。花の命を見、この我の命を見ているようにおもう。壮大なる形而上的形象を見ているのではなくして、花との一体感を楽しんでいるようにおもう。茶は私達の生活で最も一般化されているものの一つである。日常のことを喫茶喫飯という、その内茶は腹に軽いだけに飯よりも更に一般的である。よく人が来ると「お茶でも飲んでゆけ」と言う、茶湯とは斯るものに内面的なるものを見出した形であるとおもう。よく茶禅一味といわれる。併し禅が何処も我の底に徹して宇宙との結合を体験せんとするのに対して、茶湯は主客の動作である。主は客に応じ、客は主に応じる。そこに所作としての形を生み、世界を作ってゆくものである。その所作の内容が和敬静寂である。私はそこに日本的なものの表れを見ることが出来るとおもう。和敬は主客の内容であり、静寂は世界の内容である。敬は互が生命が延長としての世界をもつことを認めることであり、和はそれが一つの世界を実現することである。私はそのようなものを情としての身体の延長が重なり合うというのである。静寂そこから生れるのである。静寂とは音がなくなったことではない、対立するものが大きな形に包まれたということである。私は茶湯が禅につながるのはそこにあるとおもう。私は茶湯の如き身体によって見出して行った世界の典型であるとおもう。盆栽について私は 殆んど知るところがない。併しあの小さな盆景の中に古木の相を見るのだと言って、端然たる姿を作り出しているのは、時の壮厳としての老いのあるべき姿を写しているようにおもう。
身体の延長として外をもったということは製作としての形をもたなかったことであるとおもう。製作としての形が成り立つためには外としての環境よりの否定がなければならない。否定を肯定に転ずるのが製作である、死として迫ってくる環境を生に変革するのが製作である。そこより形が生れるのである。勿論環境に生きることは環境と闘うことである。唯それが受動的であったのである。単一民族であり、豊葦原瑞穂の国と言われた環境に於て、それは闘争的よりもより多く親縁的であったのである。寒暑や飢餓もその時を過せば快適な恵みを与えてくれたのである。受動的とは身体を維持してゆく最小限の変革ということである。自然の恵みを享受するのは身体である。親縁的とは身体と環境が和合することである。ここに身体の延長として形を見出してゆく日本民族の基盤があったとおもう。
斯るものとして祖先が見出した形は身体に即するものであったとおもう。身体に即するものとして歌唱や舞踊であったとおもう。今に残る田植唄や酒造りの唄、船頭の唄は働きが唄と共にあったことを物語るものである。私達の小さい頃伊勢参りの下向というのを見たことがある。私達が迎えに行ったのは浄谷の浄土寺の八幡神社の境内であった。そこで一旦落着きの飲食をして、それから四軒程の帰路を酒を飲み、大声に唄い踊り乍ら帰るのであった。私はその陶酔が神との一体感であったのであろうとおもう。身体は情緒に自己を露わにする、唄や踊りは情緒の自ずからな表れである。環境と身体の和合離反のそのままの現れである。そして身体としてのそのあり方は韻律的である。私はそれ等が今もわれわれの生命形成の底にはたらいているとおもう。情的・リズム的なるものが形成の根元と してあるとおもう。
日本の文化を縮みの文化と言って一時よく語られていた。縮みとは小さく表わされているということらしい、私はそこにも身体を媒介とした形があるとおもう。理性によって把握された世界概念に対して、身体の及ぶ範囲は狭い、人間関係に於ても生れ来った結合の延長となって来たようにおもう。親分子分兄貴分弟分親方弟子と言った名称はそれを端的に現わしているようにおもう。それは他者を容れ得ないものである。私はそこからは真に世界への展開をもち得ないとおもう。縮みというとき盆栽などが典型として語られていた。併し私は天地を縮めて見ようとした気持があったと思うことは出来ない。手に触れて作ることによって生命の姿を感じようとしたのであるとおもう。居住空間としての家も私達の祖先にとって宇宙を現わすべきものであったようにおもう。飲食・起臥・糞便の用の室の外に、奥の間を設けて神仏を祀り貴賓の用に供し、庭園を作って天地を配したのはそこに存在の一つの完結の空間をもったということである。私はそこに身体に捉えた日本の形があるようにおもう。併しそのことは世界を世界、宇宙を宇宙の拡がりに於て見ること が出来なかったということである。
日本人は摸倣に巧であると言われている。模倣に巧であるとは独創を持たないということである。私はそこに日本的創造があるとおもう。模倣が創造であるとはおかしいが、日本人が形に自己を見てゆくということである。身体は生れ来ったものとして、それにつながるものは所与としての自然である。そこからは自己を見る形というのは生れて来ない。私は日本人が製作としてもつ形は農耕をも含めて殆んどが渡来したものではないかとおもう。文物に驚異し崇拝して受入れたのではないかとおもう。それでは模倣が巧であるとは何ということなのであろうか。物の製作は道具を媒介とする。道具は手の延長といわれる。手は身体の一部として道具は身体の延長である。私は斯る意味に於て渡来文化も日本的形成もその根元を等しくするとおもう。唯その方向が対立するものとしての外の方に向うものと、包み合うものとしての内の方に向う差違があったのであるとおもう。身体は生命であると共に物質である。内外相互転換的に形成的であるとは、対立的で一であるということである。外食物として摂取するものとして内外は対立するのであり、それによって身体が作られるとして内外は一である。動物は行動することによって食物を獲得するもして対立が顕著である、対立が顕著であるものとして一も顕著である。私は斯る対立の方向に物が見られ、一の方向に生命が見られるのであるとおもう。対立の方向に於ては身体も物であり、一の方向に於ては食物も生命である。対立の方向に於て身体の延長は物としての道具となるのであり、一の方向に於て身体の延長は衣食も生命となるのである。私は西洋はその形成に於て外への方向を持ち、東洋は内への方向をもったとおもう。そして日本はその内への方向の純なものであったとおもう。而して対立するものは一をあらしめんが為に対立するのである。食物を獲るのは身体をあらしめんが為である。西洋文物の絢爛たるは、絢爛たるが故に尊いのではない、より深大なるよろこびかなしみを見せてくれるが故に尊いのである。私は内的なるものとして心情の方向に身体を見出して行った祖先は豊かな情緒の陰影を持ったとおもう。彩り豊かな四季の移りの中に鋭敏な調和の感覚をもったとおもう。奈良時代に仏教儒教等の高度なる文化を受入れた日本にはそれだけの素地がなければならなかったと言われる。私は身体的方向に重ね合う情として一つの世界形成をもっていたとおもう。それは物としての世界形成の方向を極小にした。併しそれは世界形成として軌を一にするものであるとおもう。而してそこには形の至り着くべきものがあるとおもう。私は前に対立の方向に物が見られ、 の方向に生命が見られるといった。物が形として実現するということは相対するものが一となったということである。それは生命の実現の意味を有するものである。その意味に於て如何なる形も芸術性をもつのである。私はわれわれの祖先が外来文化を受入れたとき斯る日本的形成の素地に於て受入れたのであるとおもう。それは物に生命を映す方向である。何処迄も分析と抽象を求める方向ではない、感覚の快適に於て身体との結合を求める方向である。直観の方向である。一刀三拝して形相の降臨を祈った残影を曳くのである。模倣が上手いとは単に伝来物と同じ物を作ることではないとおもう。更にそれを発展させ、物の出で来った本来の指向するものを完成させんとすることであるとおもう。それは新たな形に見出すことに於て二次的創造というべきものであるとおもう。ゲーテの創作を受胎的創造と呼んだ人があったが、私は日本のあり方をそこに見たいとおもう。自覚的製作的といっても生命が内外相互転換的であることを失なったのではない。内外相互転換的に自覚的なのである。製作は内外相互転換の行為的現前である。生命を身体的形成として、物に身体を映し、身体に物を映すところに新しい形が生れるのである。物は身体ではない、身体は物ではない。それが物に身体を映し、身体に物を映すということは、身体は物に消えることによって現われ、物は身体に消えることによって現われるということがなければならない。絶対否定を媒介するものとしてそれは直観的である。直観とはこの我が見るということが、この我と物を包んだものが自己を見るということである。この我が世界の内容として、世界が世界を見ることがこの我が見るということである。そこにわれわれは物となることが出来るのである。物を作るという行為をもつことが出来るのである。身体としてのこの我が物となり、物がこの我となるということは、物はこの我の身体に転ずることによって真の相をもつということである。この我の身体を媒介とすることによってより大なる形を実現し得るということである。私はそこに日本の模倣があったとおもう。日本人は繊細なる感覚に於て物の姿を見出して行ったのである。その行住坐臥に於てより相応する形を見出していったのである。
私達は今や好むと好まざるとに関わらず世界に面している。世界に面しているとは世界歴史の中にあるということである。世界形成的にあるということである。日本の模倣は成 熟し切ったとおもう。成熟し切ったとは最早摸倣によっては展開をもち得ないことである。模倣の底から新しい形を見出さなければならないとおもう。外を転じて内とするということは、そこより形が生れ、形が来るものとして外は無限なるものである。それに対して身体は生れ来ったものとして形作られたものである。身体の延長として形を見るということは、身体に同化させることである。それは既にある形より脱け出せないということである。日本文化の因循姑息性はそこにあったということが出来る。それを打ち砕いたのは明治以来の西洋文物の輸入である。日本はそこに一応の世界性をもった。日本は飛躍的な国力の充実をもち、豊かな展望をもった。併しそれは西洋的なるものの追随の上に打建てたものであった。それは世界の近代を作ったのが西洋文物であるとして仕方のないことであった。西洋の模倣なくして近代の建設はあり得なかったからである。私は今転換点に立っているとおもう。一つは日本は近代化を完成したということであり、模倣によっては将来の展望をもてなくなっているということである。一つは西洋主導の歴史が行き詰っているということである。そして私は前者が後者に収斂されるものであるとおもう。西洋的なるものに随順するものが、西洋的なるものが行詰るときに共に行き詰るのは当然である。
前にも書いた如く西洋文化は物として対象的方向に発展した。物は何処迄も相対的である、対立するものとして形をもつのである。対立するものは相互否定的である。物が対立するとは物を製作するものが対立することである。内外相互転換的として、外が死として迫ってくるとき、死を生に転ずるのが製作であり、物の出現である。物は死を生に転ずるものとして力である。製作するものは自己の生存をその力によって獲得するのである。物は外を内に転ずる努力によって出現するのである。断る努力は自己に世界を見、世界を実現しようとする意志より出で来るのである。自己に世界を実現しようとする意志は、自己が世界たらんとする意志である。生命は一つ一つが世界を映すところにあるのである。それが相対的方向に自己を見るとき、対立するものを否定して自己が世界たらんとするのである。私は物質に世界を見出した西洋が帝国主義に至り着かねばならなかった必然はここにあるとおもう。それを打破ったのは第二次世界大戦であった。二次大戦は帝国主義の先頭に立つものと遅れたものとの戦いであった。遅れたものは全体主義の名の下に、力の結集に於て立上った。併しそれは表面上のことであって、その裏には生産手段が帝国主義的対立を超えた世界を要請するべく発展していたのである。その世界性が各民族の自立への自覚を促していたのである。大戦は斯る矛盾に於て世界エネルギーが爆発したのである。この頃よく今次大戦に於ける日本の侵略と謝罪ということが新聞に載る。それは恐らく対戦国の政治運営の技術に関るのであろう。併しそのような目で見ることは正しい歴史認識 を誤るものであるとおもう。誤るとは未来への世界史的展望をもち得ないということである。世界は世界エネルギーの消長に於て捉えらるべきである。その消長に於て日本は如何なる位置を占めてゐたかが問われるべきである。私は謝罪しなくてもよいというのではない。お互いを巻き込んだ大なる流れがあると言うのである。そしてそれは向後もわれ等を押し流すであろうというのである。それは常に危機と救済に於て形より形へと転じてゆくのである。
物の生産が世界性を要請するということは世界は運命的に一となったということである。私達はロンドンで今起っている事件を知ることが出来る。イギリスの服を着、イタリヤの靴をはく。地球の温暖化、砂漠化の防止を集って協議する。国家間の紛争を国連によって調停する等は、物の生産が一国の内容としての富国強兵を超えて人類の内容となったということである。ここに帝国主義の崩壊という歴史的必然があったということが出来るとおもう。世界は最早力の対立と均衡によって維持すべき世界ではなくなったのである。私は現在の矛盾は物の斯る世界性へ要求に対して主体としての人間の対応態勢のおくれにあるとおもう。われわれ人間は無限の過去を背負うことによって現在があるものである。過去の努力を財として現在の生活を営むものである。われわれの思考は斯る生活より生れるのである。そこに社会意識、ひいては社会態勢の遅れるべき理由がある。領土・民族・宗教等に絡まる紛争の多発は、物の生産の発展による世界自覚の要請に対して依然たる帝国主義的意識の矛盾の修正であるとおもう。地域的エゴが修正を迫られているのであるとおもう。勿論問題はこれに要約するには余りにも複雑であろう。併し世界の形成エネルギーは矛盾を自己を転ずる力として新しい形を生んでゆくのである。
対立が否定されたとは、世界は新しい一の主体として実現するべく要請されたということである。世界は多くの主体の対立する世界ではなくして完結するものとなったということである。主体が対立する世界とは、民族とが国家とかが外との相互転換に於て自己の中に自己を見てゆく世界であったということである。発展を民族とか国家に置く世界であったということである。完結するものになったとは、それが地球的規模に於て為されなければならなくなったということである。民族や国家は狭溢なるものとして発展の障害となってきたということである。滔々たる国際化という言葉の氾濫は斯る流れを表わすものであるとおもう。内外相互転換として斯る物としての外の変化は、内としての主体の変化を求めるものである。民族的感覚・国家的思考を超えた世界人が要請されるのである。それは新しいタイプの創造である。私は現代の若人が落ち入っていると言われる虚無感・無力感・白けムードと言われるものも、世界の流れを把握し切れない主体の乖離にあるのではないかとおもう。私は斯る新しい人間像・世界観の形成に日本的なるものが要請される余地があるのではないかとおもう。
私は前に日本は海を距てた島国として一つの完結せる生命体をもったと言った。そこに世界が地球的に一つの完結的営為を持たねばならないときに、日本的形態がモデルとして考慮さるべきではないかとおもうのである。それは生命形成として我と汝が重なり合うということである。重なり合うとは我が汝を包み、汝が我を包むことである。私はそこに新しい世界が見出されるのではないかとおもう。勿論私は日本が近代に於て克服した祖形を復活せよというのではない。見直すとは現在の矛盾を包むものとしてである。対立が否定されるとは、対立によって現在の形が作り出されたということである。その形の発展の内面的必然によって対立を超えようとするのである。見出すとは対立の成立する根底としてである。対立したものが一としてあるものとしてである。
地球は地理的に無限の多様をもつ、そのことは地球上に住むものは各々異なる環境をもつということである。環境を映し、環境に映される生命形成は異質なるものをもつということである。そのことは地球は多様なる生命の形を生んだということであり、異質なるものの綜合として人類はあるということである。生命は環境と主体の相互限定として、映し映されることによって形をもつ、形は主体に対象を映し、対象に主体を映すことによって見られたものとして、主体と対象の相互限定を要求し、その内面的発展に於て自己を見るものである。そこに自己の相があるということは自己の内面的発展にあらざるものは理解出来ないということである。異質なるものは相互に懸絶し合うということである。環境と主体が内面的発展として、努力して築いたものに世界を見るとき、それが唯一の世界として全地球上に敷延し、実現せんとするのは意志の必然である。懸絶に於て否定し合うことは闘争である。懸絶するものは対手を仆すことに自己を拡大し発展させてゆくのである。人類が地球的に一になるとは斯るものを超克することでなければならない。私はその為に対立する形を超えて、形の根底に還らなければならないとおもう。形の根底に還るとは形を成り立たしめるものに還るということである。形を成り立たしめているものは内面的必然である。内面的必然に於て相互の接点を見るのである。お互が内面的発展に於て形を見出したものとして人類の同一を見るのである。私はそこに日本の重なり合いが見直されなければならないものを見るのである。勿論それは素朴なものであり、歴史的陶冶を経ていないものである。併しそのことは逆に還るべき原点であるとも言い得るとおもう。重なり合うとは如何なることであるか、私はそこに言われる出合いの如きものを見ることが出来るとおもう。我と汝があって出会うというのは日本的な出合いではない、重なり合いではない、我と汝がそこから見られるのである。出合いは事であり、事の内容として我と汝が あるのである。我の延長として汝を包み、汝の延長として我が包まれるとは事としてあるということである。我と汝を超えたものも動的として我と汝を見るということである。我と汝がつながり、動くところに我と汝があるのである。そこに頼まれば越後から米搗きに来るというのがあるのであり、茶の湯に主が客の心になり、客が主の心になるというのがあるのである。対立が調和としての生命形成がその完結性に於て対立が極小となり、調和が露わとなったのである。併しそれがそのまま世界に通用しないのは言う迄もなく、日本に於ても明治以降克服し来ったものとして、そこに還り得ないのは言う迄もない。
世界が一つとなるとは一つの主体となることであり、環境が一つの環境としてそこに世界形成の内面的発展をもつことである。それが曽っての帝国主義的膨張の時代にあっては一つの特殊としての国家が他を征服し、従属せしめることによって実現せんとしたのであった。併しそれは真の世界の実現ではなかった。一つの特殊の拡大であった。覇道であり、覇権として他を失わしめるものであった。そこに帝国主義は世界の発展の実現であると共に発展の中に解消してゆかなければならない所以があったのである。世界が一つとして要請されるのは全人類の力の実現である。力の実現とは内在する力の遺憾なき発揮である。内在する力とは各民族が環境と主体の相互限定に於て内面的発展に努めた力であり、実現した形の中に蓄積し来った力である。世界理念は民族が各々の主体と環境の相互転換に於て実現し来った理念としての形相のより大なる発展を自己の理念とするのである。私は斯る世界形成の方向に於て日本の重なるというあり方が世界論理の基礎となり得るのではないかとおもうのである。重なり合うとは並存とか共存とかいうものではない、包み合うものである。我の延長として汝を見、汝の延長として我を見るとは、汝との出合いによって我は汝を摂取した新たな形をもち、汝は我を摂取した新たな形をもつことである。そのことは世界が新たな形をもったということである。
歴史は常に危機とその克服と歴史である。世界が一つになったとは危機と克服を世界が担うということである。一部族の紛争も砂漠の拡大も、水の汚染も、酸性雨も世界の危機として世界が克服せんとすることである。そのために世界の学識者の必要なるは言う迄もない。併し更に必要なのは当面する人々の更なる努力であるとおもう。その地域に生きる人の身体は主体が環境を映し、環境が主体を映したものとして地域の綜合の意味をもつものである、時間・空間の相を宿すものである、身体はその環境よりの否定に耐えて生を維持してきたものである、それは独り人間のみではなく、草木禽獣全て生きるもののもった営みである。技術は身体の延長である。私は各地域の人がその環境との照応に於て更に深く近代科学を身につけるとき、技術は新たな展望をもち、地球は生々たる姿をもつのであるとおもう。包み合うとは各々の地域が環境と主体の内面的発展をもち、それが人類の危機に於て結合するということである。危機が地球的に捉えねばならなくなった現在に於てその結合が要請されるということである。私は断るものとしてこれからの世界形成は、その主体的方向に異質なるものとして理解を拒んできた特殊としての内面的発展を、内面的発展の普遍性に於て理解し合い、特殊理念を世界理念の一環として、新たな世界理念を作らなければならないとおもう。理念とは主体に環境を映し、環境に主体を映すことによって見出してきた形である。それは我と環境がそこにあるものとして世界である。全ての生命の声はそこから聞えるものである。全てがそこから出ずるものとして、全てに光被せ んとするものである。日本が曽って世界に進出せんとしたとき、八紘一宇の皇道理念をも って世界を光被せんとした、中国も自国を中華として四囲を未開視し礼楽の理念を宣布せんとした、近代に於ては西洋の科学の理念が世界理念であった、斯る理念が地域理念として否定されたのである。それは理念の世界性が地域性を遍狭として打破ったのである。世界の発展は地域を世界とすることを拒否したのである。併し世界は何処迄も主体が環境を映し、環境が主体を映すものとしてあるのである。そのことは新たな世界理念は地域の世界理念の上に打樹てられなければならないということである。地域の世界理念より新たなる世界理念へとは、理念ははたらくものとして自己を深化させたということである。私は日本の包み包まれるものに異質なるものを結合さすものがあるとおもうのである。
長谷川利春「自覚的形成」