読み了って最も感じたのは作者の人柄の分厚さである。それは何よりも人との出会いのあり方に端的にあらわれている。その第一は松村先生である。
立寄れば巨樹の蔭とまず恃(たの)み歌詠み初めし昭和十四年
巨樹とは題名よりして松村先生であろう。その師に対する終生渝るなき敬慕と信頼は、松村英一歌集と題する中の末首、
今更に何をか言はむ歌詠む我松村英一の弟子の一人ぞ
の一首を作さしめている。古来人生の最大の幸福は良き師に巡り会うことであると言われている。良き師とは深い言葉をもつ人である。それは我の奥底を照してくれる光りである。作者はその人を得たのである。
予約して出版の日を待ち兼ねしに今日手にしたり心躍りぬ
一首作者の傾倒ぶりを表わしている。傾倒の深さは作者の深さである。
幽玄の極に至る歌の数一万首に及ぶ松村全歌集これ
短歌表現の究極はわびさびにあるとは、常に作者の主張する所であった。筆者は必ずしもそれに同調するものではないが、作者が己の導きとしたのがよく表われているとおもう。その第二は友との出会いである。
生ける君に見すべかりしをみ墓辺の君に供へる歌集「櫃の実」
たもとほり立ち去りかねつ墓地の偶に彫り深きかも倶所一会と
悵々として迫ってくる余情はその交友の如何に深かったかを示すものである。
兄弟と言ひ諍ひし仮屋君寄書にあり殊に嬉しも
歌集より見る限り氏の交友は広くなかったようである。併しそれだけに深い友愛をもたれたようである。
第三は奥さんとの交情である。奥さんに関する作品は、その死別に於て、悲しみ発して 光芒を放つの観があり、言葉よく玉となり、本書の一つの山を形造っているとおもう。取上げる人が多いとおもうので一首だけ抽出したい。
食の量次第に減りて今朝程は軽く首をば振りて背きぬ
人生の成功には種々なるものが考えられるとおもう。富を積み名を成すのもその大なるものであろう。併し私は手を飜せば雲となり、手を覆えせば雨となる世の中に於て、一つの出会いを終生温め続け得たということもその一つに算えてよいとおもう。勿論そこには契合するものがあったのであろう。併し私は身に省みてその容易ならざるを知るものである。
氏の歌にはけれんがない。足を大地に置いている。そこにはわび、さび、幽玄を追求する氏の方法的ものがあるであろう。併し私は其の根底に氏の重厚なるもの見たいとおもう。老来益々の創作を願って筆を擱きたい。
長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」