色彩について

 何処迄も灰白色の砂の拡がった中程に帽子を被った人を乗せた馬が四、五匹立っている。蒙古の写真である。こう世の英雄成吉思汗の墳墓を探索に行った人が撮ったらしい。私は眺め乍らこの涯しないものを疾駆することより生れる大なるエネルギーを思った。それと同時に私が此処に住めることが出来るかとおもった。私は何うしても否と思わざるを得なかった。広漠たる砂の単調な色、それだけで一週間も居れば気が狂いそうである。それに対して私達の周囲は何と豊富な色彩に恵まれていることであろうか。山野は緑に満ち、草花は万色を競うている。空を飛ぶ鳥は各々羽毛の色を異にしている。しかもそれ等は四季の移りと共に無限の変化をもつのである。木の葉の緑一つにしても芽の萌え出る色、若葉の色、葉緑素を蓄えた夏の色、落葉する前の秋の葉の色と移ってゆく。このように変化する中に育ったものが、唯砂より太陽が現われて砂の中に沈んでゆく、その明け昏れに耐えられることが出来るとおもうことが出来ない。私は一つの地球の同じ地表にあり乍ら何うしてこのような差が生れたのであろうかと考えた。そして私達の周辺に豊かな色彩をもたらせてくれるものは有機質であり、単調な色の砂は無機質であることに気が付いた。それでは何うして有機質はこのように多くの色彩を持つことが出来たのであろうか。生命は三十八億年前に出来たと言われる。そして生命は出来た時には単細胞であったと言われる。そのとき果して細胞は多くの色彩をもっていたのであろうか。私はぞうり虫などの単細胞動物から類推するが、海中に極彩色の図絵を繰り拡げたであろうと思うことは出来ない。そうとすると生命は発展途上中に多くの色彩をもったと思わざるを得ない。それは如何に して可能だったのであろうか。私は考え乍らこの夏の経験に思いを馳せていた。

 私は夏になると好古館の東にある公園に行く。公園には多くの楠の木が植えられている。その中に特に大きな一樹がある。その枝葉を拡げた蔭となるところにベンチが置かれていて、そこを通う風が涼しい。私はそこに寝転んで本を読み、瞑想にふけるのである。そうしているとこの木の何処かに巣を作っているのであろうか、大きな目の紋様をもっている蝶が時折り舞降りてくる。私はこの目の紋様は何うして出来たのであろうかと考えたのである。その目は丸く鳥の目に似ていた。それでは何故鳥の目に似たものが翅に現われたのであろうか。私はそこに鳥の目への恐怖があったのではなかろうかと思った。恐らく棲息空間を同じく樹にもつものとして、蝶は鳥に襲われ続け、食われ続けてきたであろう。生存を続けるためにはそれに対して二つの方法がある。一つは逃げることである。一つはより大なる力をもつことである。蝶はその生命細胞の模索に於て、あらゆる逃走への努力をしたであろう。それと同時に強者への模索を続けたとおもう。私はこのより大なる力の形成の方向に目の紋様が現われたとおもうのである。襲われ続け、食はれ続けた目への恐怖をより大なる目をもつことによって克服せんとしたのである。舞い降りてくる蝶は、畠に於て菜の花やたんぽぽに止る蝶の三倍はあろうかという大きさであった。目の大きさはその翅の半ばを領じ、それは翅全体が目であると思わせるものであった。正確に思い出せないが、色彩は青や紫や黄の鮮かなものであり、幾層にも円を描いていた。それは如何なる鳥の目も及ばないであろう大きさをもつものであった。私はこの目の紋様は逆に鳥を威嚇せんとするものではないかとおもった。

 生物の身体は保護色と警戒色をもつというのを曽って読んだことがある。保護色は逃れんとする方向に、警戒色は威嚇する方向に生命が自己を維持せんと見出してきたものであるとおもう。生命を維持せんとして色彩が現れたということは、敵と我、生と死の中より身体の色彩は現われたということである。蜂の黄色と黒色は、太陽と闇の生命に最も強烈に迫ってくるものを求めたのであろう。それは他の生命に最も強烈に迫ってゆくものだからである。そしてそれは体内に他を殺傷する毒をもつという、細胞の力の確信から生れたのであろう。雨蛙は草に居れば鮮かな緑色をもち、樫の木に居れば幹の灰白色の網模様が現われる。それは唯他者の目を逃れることによって生存を保ち得る生命細胞の知慧の現れであろう。私は生物の生態について多くを知らない。故に雀や鷺の一々に論及する力をもたない。併し生態は生存維持としてあるとおもうものである。全ては生死としての自と他、生と死より現われたとおもうものである。私は有機体のもつ色彩の限りない多様は、何千万と言われる生物の種の生と死、他者と自己の織なす縞模様であるとおもう。

 植物も芽生えて枯れるものとして、生命としての同じ形態をもつとおもう。唯植物は 光合成をもつものとして、自己の成長エネルギーを自己がもつ、そこに否定と肯定の関係はない。植物が他者に関るのは花粉の媒介者としての虫である。それは否定してくるものではない。併しそれは種に於て存亡に関るものである。私は蜂や蝶の視覚構造を知らない。併しそれは千紫万紅妍を競うものである。私達は色彩と言うとき繚爛たる花園か、女性の晴着を目に泛べる位である。花の色も生死の中より作り上げられたといって過言ではないであろう。冒頭に書いた砂漠の単調は生死をもたない無機質の必然であり、索漠たる感じは生死を介して見出す生命の形相の稀薄さによるのであろう。

 死は悲しみであり、生は喜びである。生物が生と死の相克の中から色彩を見出したということは、私は色彩の根底には深く喜び悲しみが潜んでいるとおもう。勿論太陽の光線に喜び悲しみがあるというのではない。それをわれわれが見、見ることによって自己の内容とするとき、その視覚の構成に於てよろこび悲しみが潜み、潜むことによってはたらくものとして見るというのである。否定と肯定の、生と死がはたらくというのである。月見れば千々に物こそ悲しけれわが身一つの秋にあらねどと歌った人に差した光りも、「この世をばわが世とおもふ望月の欠けたることもなしとおもへば」と歌った人に差した光りも、物理学的には同じ光りであろう。併しての二人が月を描くときその色彩が異なるのではあるまいか。それは二人の人が月を異った色彩で見ているのである。そして私は色彩はそこにあり、色彩の豊潤はそこより生れるのであるとおもう。動物の身体の色彩、花の色彩の無限の多様はこれと同じ生命の原理がはたらくところより現われたのであるとおもう。

 色彩に暖色、寒色というのがあるというのを読んだことがある。私は以上のような私の考えを踏まえて、逆にそこに色彩の本質があるようにおもう。暖と寒を分つものはこの我の体温である。暖は生の肯定の方向に、寒は否定の方向に見られるのであろう。私は浅学にして何色を以って暖色とし、何色を以って寒色とするかを知らない。 唯漠然と橙色のようなものを以って暖色とし、青色のようなものを以って寒色とするのではないかとおもうのみである。橙色には太陽の光りを一杯に受けているような感じがある。青色には太陽の光りを吸い取って仕舞ったような感じがある。ともあれ私が言いたいのは、われわれのもつ色彩は情緒と表裏一体としてあるのではないかということである。情緒は動的生命としての身体の直接の表れである。それは生死を軸として表われる、喜び悲しみは一瞬一瞬の生死の方向への表れである。色彩の現われが生死を基礎とするとすれば、色彩は身体の皮膚が描く生命の情緒ではないということである。正確には何うしても思い出せないが、曽って何かの本で発情期になると皮膚の色が変る動物、怒った時に鮮明になる動物の記事を読んだことがあるようにおもう。人間でも怒ったときに満面朱をそそぐと言った言葉がある。植物は情緒を持たない。併し花のもつ色彩は内の現れとして、一つの生命の明化として、動物の情緒のあらはれに比すべきものがあるようにおもう。

 われわれが色彩を見るのは現われたものによって見るのである。われわれが最初単細胞動物であったとき、われわれの目に映るものは唯の混沌であったであろう。それが自己と他者として識別すべき色彩をもった、そのとき目は識別するはたらきとしての能力をもったのである。色彩をもつことによって識別する能力をもったのである。目があって色彩があるのでもなければ、色彩があって目があるのでもない。色彩と目に自己を具現する無限な生命の創造の内容として色彩と目があるのである。現われることは見ることであり、見ることは現われることである。色彩を対象として、目を主体とする通常の考えからは、対象的方向に無限の色彩の世界があり、目をそれを開いてゆくと思われる。併し対象と自己というものからは、色彩の世界があるということを如何にして知り得るか、目は如何にしてそれを開くことが出来るかを明らかにすることは出来ない。後者は前者を抽象することによって得られた概念であり、前者を踏まえてのみ説明することが出来るのである。

 色彩と目が創造的生命の内容として顕現するということは、自覚的生命としての人間に於て、必然的に芸術への発展をもつことであるとおもう。自覚とは対象に自己を見ることであり、対象に自己を見るとは物として製作することであり、製作するとは手を加えて見ることである。画家は描くことによって見るのである。それは対象を写すのではない、内なるものを表現するのである。否対象を見るというとき既に内なるものの目をもって見ているのである。自己を形成し来った時間の深さに於て、自己のあるべき姿を見ようとする目がはたらいているのである。表現とは無限の過去をもつものとしての生命が、現在の生死、否定と肯定の転換をもつことである。そこに新たな形が生れるのである。画家はそれを描くことに見出してゆくのである。手は物を作り、物は作る者を超えるものとして世界を形成する。手を加えて見るということは世界が現われることであり、世界が現われるということは、われわれの本来の相が世界としてあり、本来の相を実現したということである。斯くして描いたものを世界として、世界に自己を映し、自己に世界を映すことによって無限の内面的展開をもつのである。新しい色彩を見出してゆくのである。私は自覚的創造的生命としての人間の色彩はそこにあるとおもう。而して世界形成的に色彩が無限の展開をもつということは、色彩が情意の形相的顕現としてあるということである。生死をもつ生命として人間生命は常に危機として存在する。危機の自覚として人間は死そのものに対する、蝶の如く鳥の目によってのみ死に対するのではない。自己としての死の観念に於て死と対するのである。そこに威嚇や逃避と異った色彩を生んでゆく、そこにより大なる憂愁と歓喜をもつ、日常の全てに生と死の翳を宿すのである。日常の微かな変化にも否定と肯定の綾を見るのである。私は画家の表現衝動はそこより生れるとおもうのである。自覚的生命として現在の底は無限の過去と、無限の未来につながる。歴史的形成的生命として日常の一々は永遠を宿すのである。瞬間が永遠を宿すということが生と死の翳を宿すということである。表現とは一々の瞬間に現われる永遠を形に見ることであり、創造とは色彩で言えば多彩となることである。色彩の愈々豊富となることが視覚の創造である。

  描くことによって見るとは、描いたものを外として、それに対することによって愈々深 き自己を表さんとすることである。外としてそれに対するということは、描いたものが自 己を離れて世界の内容となることである。それによって自己を見るとは、自己も世界の一要素として、世界が世界を見るということである。自己が自己の底を見るとは、自己が未だ知らざる自己を見ることである。併し私達は知らざる自己を見ることは出来ない。知らざる自己を見るということがあり得るためには、自己の底にはより大なる自己があるのであり、その大なる自己が自己を開くということがなければならない。その大なる自己が世界であり、生死は開く鍵であり、製作は行為である。

 画家は画布の前に立ったとき、如何なる形が生れるか知らないという。目が手を動かし、手が目をはたらかすのである。色彩が色彩を呼び、線が線を生むのである。無限の喜び、悲しみが自己の露わなることを求めるのである。無限は世界の内容である。画家は知らざる手に導かれるのである。私はそれは限り無い生死の底に、蝶の翅が生んだ鳥の目と紋様と同じ生命がはたらいているとおもう。そして鳥の目にない鮮かな色彩が現われた如く、対象の持たない微妙な色彩を生んでゆくのであるとおもう。世界が世界を運ぶところに画家の目がはたらき手が動くのである。

 自然は芸術を模倣するという言葉がある。描くということは目を作り、手を作ることである。私達が見るとは見出したものを内容として見るのである。見出した色彩が見るものとしてはたらくのである。見出した色彩は現在の情緒の現われとして、現在の生死として次の現在へと移ってゆくのである。見出されたものを足台として、次のより大なる世界へと歩を進めるのである。そこに生命形成の世界があるのである。見出したということは見る目を作ったことである。豊富なる色彩を見たということは、豊富なる色彩を内容とする目をもったということである。見るとはその目によって見るのである。自然は芸術を摸倣するとは、われわれは自然を見るときにこの目をもって見ることであるとおもう。自然の色彩と形は芸術的創造の目によって与えられるのである。人間の内面的発展の目によって自然は形をもつのである。或は自然はわれわれを超えたものである。何うして人間の内面的発展によって自然の形を作るかと言われるかも知れない。併しわれわれは自然に触れることによってのみ自然を知ることが出来るのである。触れることによって自然を知るとは、自然とは体験の露わなものであるということである。自然がわれわれを超えているとは、われわれは自己の底に自己を超えたものをもつということでなければならない。体験が露わになるとは、斯る自己の底に自己を超えたものが露わとなるのである。これを露わにするのが手と目であり、露わとは世界が現われることである。自然は自覚的生命の、世界形成の内容となることによって自然である。われわれがそこより出で、そこに帰るものとして自然である。自然は芸術を模倣するとは、芸術創造によって自然は新たな息吹きをもつものとなることであるとおもう。芸術創造によって自然は新しい色彩をもち、新しい生命をもつものとなるのである。そこに世界が世界を運ぶということがあるのである。十八世紀の自然主義とか、現在の自然観といわれるのは、自然は常に人類の世界創造の内容であるということである。

 感覚は識別作用であると言われる。識別とは視覚に於ては色彩と色彩を分つことである。私は、識別には注意作用が必要であるとおもう。そして注意作用は深く根底に生死の翳を宿すとおもう。生死の翳を宿すことによって生命細胞は、太陽光線による七彩とその中間色を皮膚に現わしたのであるとおもう。画家はその上に立って無限の色を見るのである。私は斯く考えることから注意作用は創造作用であり、識別は創造の内容であるとおもうものである。而して創造作用は見られたものが見るものとして、無限に新たな識別をもつのである。新たな識別をもつとは、新たな情調が生れることであり、新たな情調は更に新たな色彩を生んでゆくのである。それを色彩より見れば色彩が色彩を生んでゆくのである。そこに注意は変化に敏感であると言われる所以があるとおもう。画家は全身が目となると言われる。感覚は創造的生命の身体の尖端して無限に動的発展的であり、そのことは赤色彩が色彩の内面的発展をもつということである。私は斯く創造的であることによって感覚は識別をもつことが出来るのであるとおもう。識別とは新たなものを生むことによってもち得るものであるとおもう。

 純なる目を持って見るとき、見るもの全て美しいと言われる。私は純な目とは創造的生命として、色彩が内面的発展をもつに至った目であるとおもう。芸術的創作の目であるとおもう。生死を宿すものとしての最初の色彩は恐怖すべきもの、勇躍すべきものであったとおもう。そしてそれは発展するに随って快適なるもの、嫌悪すべきものとなったとおもう。それは対象がこの我と否定と肯定に於て対立するものとしての色彩をもつものとしてあるということである。この我としての目で見る限り、対象は否定と肯定に於て対立するものとして好きな色彩と、嫌いな色彩に分れるのである。女性が服装を択ぶとき、識別は尚この段階に止まるとおもう。芸術的創作とは更に深き自覚の上に立つのである。道元禅師は「生死即涅槃と心得て、生死として厭うべくもなく、涅槃として希うべきもなし、このとき生死を離るる分あり」と言っている。画家の創作は斯る生命の視覚的実践である。生命の否定と肯定の底には大なる調和があるのである。色彩はこの調和を実現するものとなるのである。それが色彩が色彩を生むということである。色彩が内面的発展をもつということである。そこに於ては最早現実の生死が色彩を決定するのではない。生と死は映し合って無限の色彩を生むものとなるのである。生と死に於て否定し合う色ではなくして、否定と肯定を陰翳として一を実現する色彩となるのである。生と死の交叉こそが本当の豊かさを実現する色彩となるのである。生死即涅槃として、全身目となり、知らざるものに手が導かれるのである。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」