墓道の巨石

 私の町内で去年墓場の拡張工事を行った。丁度隣保長をしていたので分配の為に現地を見に行った時の事である。新しく造成され、整然と区劃された土地を見終わって、古い墓場の石塔群を見ていると横の空いた所に、長さ約一米八十位、横約一米五十位の上がすぼんで人間が安座したような格好の巨石が転がっている。皆の方へ振り返って「こんな石があるが亦記念碑でも建てるのかい。」と聞いた。すると「いやそんな 話聞いた事がないねんけんど、此の間から此処にあんねん。」と一番若い男の返事がかえって来た。その声を聞いたからであろうか、年の寄ったのが「そらあお前負うて くれ抱いてくれやがい。」と言った。私はははんこれが負うてれ抱いてくれやったのかと思った。

 私達の小さい頃墓場に至る道はもっと細くて急な坂であった。大きな松の木が生えてかん木の茂っている所が一ところ道の墓寄りの方にあった。その中に大きな石の上の方だけが木の間より見えていた。今から思えば石は大分埋まっていたようである。私達はよく「もしこの坂道を通っていて声を出すとあの石が近寄って来て、負うて抱いてくれと言って離れないのだ。」と聞かされたものである。そしてさも恐ろしそうな古老達の話し振りに言い知れぬ恐怖心を抱いたものである。この坂道は唯墓参するだけではなく、坂の上の新開田、亦其の上の村山への通路として利用者が多かった。それでも心なしか通る人の言葉が少なかったように思う。

 私達の小さかった頃は、教育も普及して合理的な考え方も進み、迷信打破が積極的に叫ばれていたものである。而し祖母達は伝えられた心を持った切りであった。私の 小さい時に地神さんに小便したと言って、地神の祭主の家に連れられ祈祷してもらっ たのを覚えている。闇の中を小さいローソクを灯して入って行くのを見ていると、あの小さな竹群が大変奥深く見えたものである。亦山の神に出逢った人の話もよくしてくれた。何でも大変な熱を出して寝込んで仕舞った話を幾件もしてくれた。この石の傍に来ると急に黙って仕舞う祖母達の姿は知識を超えて迫って来るものがあった。私達は理性で軽視し、心情で恐怖していたように思う。この石も亦古代神霊思想の一つの姿であったのであろう。

 霊は其の本来に於いて悪霊であったようである。死と災難を持って我々に迫って来た存在のように思う。よく山池の堤を通る時はものを言ってはならぬ。池の霊が声を聞きつけたら誘い込みに来ると言われた。亦谺は木霊が声を聞きつけて呼び返しているのだ。そして其方に行くと死んでしまうのだ。だから山で声を出してはならぬと言われた。天地に偏ねく棲む霊は我々に死をもって迫って来る霊であったのである。そして死をもって迫って来る霊は死者の霊だったのである。犠牲の思想は此処から生ま れたと言い得るであろう。恐らくこの巨石もこの悪霊思想の所産であったのだと思う。 墓所は死霊の満ちている所である。此処で声を出して生者のいる事を死霊に知らしめてはならないのだとして、多大の労力を厭わずこれを墓所の入口の前に設置したのであろう。その昔此処を通った人は恐らく息をつめていたのではあるまいか。

 与えられたるものは全て否定すべく与えられていると言われる。過去とは否定されたるものの相である。知らない歳月を人を怖れしめた巨石は今白日の下に曝されて捨 てられている。歴史は如何なる流れによって、人の心を斯く変えしめたのであるか。 否定は矛盾より起こるとすれば、歴史は限りなき自己矛盾の内包者である。変わりなき石の形の唯ありようの変化に、人は人間の生命の秘密を深く問う事が出来るであろう。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」