八十を過ぎて画境を拓きしと巨人といふに思ひを致す 六十はまだ青臭く八十より天地の気概表し初むと 筆端に天地具現の自在とど富岡鉄斎晩年の作 如何に描く思ひ消へたる年となり筆おのずから動きゆきしか 八十となりたる我よ行く雲の流れ自在の言葉あれかし 差し交す森が落せる蔭冷へて森は孤りの言葉生み継ぐ 枯れて伏す窪地の草は冬の日の浅きを溜めし温とさをもつ 無視されてゐることも亦楽しくて各各異なる顎を見てをり 笑ふとき皆一様の顔となり論たたかはす集会つづく 血のめぐる赤く透きたる指となり夜の焚火にてのひらかざす 勝利せしものの顔なし噂して居りたるものも帰りゆきたり 這ひ居りし蟻の入りゆき昏るとき命満たる地の中ありぬ 夜の駅を降りたるものらひたすらに眠らんわが家を目指して歩む 貴方程病気の似合はぬ人無しと才筆満ちたる賀状をもらふ 草とそよぎ水と流るるにちにちの運びにあれや八十となる 立ちをりし煙いつしかうすれゆき炎ひたすら燃え澄みてゆく 銃声は冷えたる冬の空走り撃たれし鳥の羽毛落ちくる 寒風に色まさりたる葉のみどり若松切りて年改まる とび上り逃げたる猫は燐光を放つ眼に我を見てをり 亡き後を芽吹かん言葉もちゐるやアスパラカスの枯株眺む 草枯るる原を歩みてゐたりしが水の音するところに出でぬ 身熱をもてる歩みに重量のあらざる原の景となりゆく 拡げたる梢に風を鳴しつつ蔭の音なく老ひし木の立つ 千切を干せるむしろに冬日差したずねし山の家は閉せり 血の色に山茶花紅く散り落ちて土露はなる冬原ありぬ 枯れて伏す原に白鷺あらはにて冬を生きゐる眼鋭し 枯れし葉は浅き光りを溜めてをり冬の風なき畦のなざりに 力あるもののしずかに大きなるクレーンは鉄を吊り上げてゆく 応へ得ぬ自が貧しさに湧く怒り汝を疎む形に向ふ 濡れて来て光りを反す道となり枯れたる冬の原を貫ぬく 二三日暖かなりし草の芽の一人歩める瞳に繁し 関らぬ思ひも隣の噂する声の次第に耳を占めくる 島蔭より漁せし船の戻りをり朝の茜に照りの増しつつ 方形の畑となりし台地あり伝へし言葉忘られゐつつ 動くもの蒸気のみなる冬の野の天に拡がり消ゆるは眺む 落つる水撥ける岩に立ちのぼる飛沫は虹を生みつぎゐたり 売れ残る桃腐りきて捨てられぬ運命は誰と言ふにはあらず 戦に油をとると植られし川原の菜種が今年も咲きぬ この山を拓きし汗の量のあり棚田に荒き草の蓋ひて 氷張る下に氷の張るが見え荒べる風が光りはしらす スイッチを押せば落語が殺人に変わりて飽かずテレビ見てをり 飛沫立ち岩のり越える流氷は淀みに入りて青く澄みたり 殺されし鳥おびただし一組の羽毛布団の値引き求めつ 重量車通りし道の亀裂もち照る日に黒き蔭をひきたり 少年は空を見上ぐる飛び立ちて逃げたる蝉の声の残るを 松喰ひに枯れたる松に目のゆきて緑さかんな夏山ありぬ 淡く透く若葉の緑増し来り日差は飛ばん虫を呼びたり 枯草を鳴らせて風の走りゆき赤き耳立て園児並びぬ 裏庭の陰の湿りてかびの生えかびが保てる陰湿ありぬ ネガ透かし説明さるるわが背骨白く細きが体を支ふ よどみなく血潮のめぐる我のあれみどり透きたるレタス購ふ 栃の実の赤く熟れたる五つ六つ枯れたる原を点してゐたり 雲低く視野をせばめて雨の降り窓を閉して本を開きぬ 黒衣にて並び送りし人も去り忘られていく死者にてあらん 買物を了へし女の和む目と並びて階段下りゆくかな 少々の色の違ひと思へるに女は亦も売場へ返す 今少し色の濃きをと惜しみなく時間費す女待ちをり 誰も皆己が口へと運ぶべく卓に並びて箸をとりたり 地の応へ確となりしあし裏の癒へて来りし歩みを運ぶ 昇りつめしばらく宙を探りしが尺取虫は下りはじめぬ 僧房の隅に坐を組む人おもう華やぐ踊り見てゐるときに 一跳びの溝とおもふにためらへる足となりゐて廻りゆきたり 航跡雲空を貫き少年に還る瞳に仰ぎゆきたり ことごとく空を指しゐて若草の伸びゐる道を歩みゆくかな 残りゐる命いくばくと思うとき過ぎたる日日の放漫なりき 残りゐる席の温みに温もりてバス来るひまの冷へに耐へをり 幼な日に歩み初めたるよろこびか癒え来し脚の直く伸びたり 日曜になるとブロック積みゐしが門燈つけて明り点もしぬ 雄犬は雄犬に向き吠え立てり勝たねばならぬ足の躍りて 海草の千切れて浜に重なりぬ昨夜は唸る風の吹きたり 窓の景闇に沈みてぽつねんと宿の灯りに我の坐しをり 花おへて忘れてゐたる梅の木の青くふくらむ実をつけゐたり 陽炎に菜の花ゆれてジャンバーを脱ぎし軽さに歩みゆくかな 時ながくわが目養なふ峯青く播磨山脈今日の晴れたり 庭隅に蟻の出で入る穴ありて底の見えざる闇の潜めり 照り出でて片面暗き影とんり道に沿ひたる電柱並ぶ 渋滞の車窓に首を出し入れす富みたる日本の一にんとして 鏡面に写れる瞳鋭くて見られん顔を女つくりぬ 紙障子はしれる黒き影ありて干せるタオルに風の吹くらし ガラス戸を打ちゐる雨は灯したる光り散らして飛沫はしらす 雨に置く葉末の露を撒き散らしわが足音に鳥の飛びたり ろうそくの灯りに我の影法師われを呑込む大きさに立つ 躍りたるひれの激しく刺身にと作らる鯛は死にてゆきたり 杉山はまだ冬葉のくろくして開く桜の花のつづりぬ