大江山紀行

赤鬼の像がそこここ並べらる征服されし人の姿ぞ
われらにはよこしまなしと叫びしと征服されて鬼とされしは
亡ぼせし鬼と名付けて自らを正しとなせり勝ちたるものは
勝ちたるが裁きもちたる戦の敗者は常に言葉をもたず

粗き石ころがる中のこだされて新たな道はここに着くらし
稜線は夕のもやに浮かびゐて一すじ青き起伏引きたり
新聞を拡げて日本の危機の記事読みゐたりしが飯を食ひたり
あおこなぞ太らせ夏の沼のあり炎暑は水の済むをゆるさず
熟れてきて解かん日のためたんぽぽのじょはひしひし組みて構へぬ
ガラス戸に止まりし虫は灯を映す眼の光り増してゆきをり
灯を写し光り増しくる虫の目の動かぬものを怖れてゐたり

更けてゆく夜の空渡る鳥の声帰らん声のしばしとどまる
走る音廊下にひびき訪ね来し孫は開けると我を呼びたり
悔恨は死者につながり何うしようもなく夕闇の道歩むかな
鳴る風の音の止みたる夜更けて行方を問はん眼冷へゆく
老ひし木の肌に蟻の連なりて朽ちてくずれしところあるらし
力ある限りの燃焼をへし火は風に散りゆく灰となりたり
針金を巻きてたわむる枝いくつ鉢に松の木整へられる
覆ひくる夕闇の中帰りゐる足音のみの吾となりゆく
靴の音のみの歩みを持ちゐしが灯りに出でし我となりたり

外燈の灯りに見出でしわが姿救ひの如き歩みを運ぶ
ごみ箱に鴉が居りて寄る我に生きねばならぬ眼を向ける
戦より帰りし時の紅冷えて夾竹桃は花を満しぬ
蝸牛の小さき角の沈めるを触れたる指の冷へに見てをり
地の中に伸ばしつづける根のあればわれは一人の本を読むべし
はるかなるもの見渡さん梢高く鳶は飛びゐし羽根を休めぬ
汚るる手を透きたる水に洗ひをり即ち透きたる水の汚れぬ
びっしりと一日刻みし予定表われより遠きものと見てをり
望月にかかりてゐたる雲流れ明らかなわれとなりて立ちをり

蒼穹の見ゆる限りを見てゐしがおのれに眼還しゆきたり
一年の蓄めし力に葉の茂り杉は去年より深き蔭なす
並び来しあきつの翅が運びゐる透きたるものに歩みを合はす
累々と祖先連なり累々と子供連なり夜の目を開く
鳴く声の夜空に消えてゆけるときわれも一羽の飛びゐる鳥ぞ
密々と生え茂りゐる草の葉の互が投げる暗き蔭見ゆ
しっ黒の空晴れ来り目とつなぐ億光年の光り差し来ぬ
轟々と空を鳴らして風の吹き屋根ある家にわれは住みをり
八王子の地名残りてつち盛れ土を拝みし祖先のありし

スーダンの奥地にテロの訓練をなしゐる記事もビール飲みつつ
翅拡げ立上りたる鈴虫は全身震はせ鳴き初めたり
十五分後と告げられ誰も皆おのれが腕の時計を眺む
痴呆など体の中に潜めると焦点宙に浮きて坐りつ
這ふ虫を蛙は咥へ飲み込みぬ罪と言へるはおのずからにて
赤き光り反し走らす田のテープ啄む雀を追はねばならぬ
大きなる声に鳴けるが太りゐて子つばめ首を伸ばし合ひゆく
コスモスが休耕田に植えられて日差に色彩競ひ合ひをり
子つばめは開けたる口に声競ひ餌を持つ親の帰りくるらし

あほみどろ水の表を領じゆき夏はいとなむ命のせめぐ
夕風の冷え増し来り夏草の伸びて下葉の艶の失せたり
赤き光り走るテープに雀追ひ稲田は稔る穂の垂れ来る
これからが生れ来りし口銭と言ひゐし友のともらひに行く
雲白くゆるゆる流れ吹く風に我も野径を運ばれてをり
刈られたる茎より浅き黄みどりの芽のほそぼそと伸びて来り
風なきにはらりと落ちてわくら葉は浅き黄に澄む色を地に置く
黄のまさり熟れて来れる稲の穂の風に明るき光り渡りぬ
われ故に不幸となりし人の顔次次うかび夜を覚めたり

習はしを当然とせる父母と否める我が一つ家に居し
石に名を刻みて並ぶ墓原に花を抱へし人連なりぬ
悪人も義人も石にきざまれて人は香葉を飾りゆきをり
石に名をきざまる我とおもふとき墓前の花の赤く咲きたり
遠き灯のまたたき明るくなり来り背後の山は大きく黒し
熟れて来し黄の明るさに稲の穂は朝の原を展きゆきたり
診察を受くる思ひは身体の内部に向ひ瞼を閉ざす
病院の待合室に友来り沈黙のがれん饒舌をもつ
子を抱き空を見上ぐるブロンズの裸婦の台座は希望と記す

茜差す夕の光りにあきつ群れ輝く翅を並べ飛びゆく
目も開かぬひなが声挙げ餌を欲るわれももちゐる命の姿に
引き寄せる布団に肩の温かく遠きおやより承くるいとなみ
分ち来し血潮が結ぶ墓域あり承け来しわれの水を手向くる
並び建つ墓に日の差しいのちある限りを生きしうからを埋む
必ずや行くべき墓とおもふときうからの声の埋まりてをり
凧の昇る糸に加はりくる力少年飛翔の瞳ひからす
枯れし蔓空に泳がせ人を見ぬ畑は冬に入りてゆきたり
掌に摺り上りたる米並べ暫し恍惚の目を色をもつ

われの血にふくれたる蚊を追ひゆきて高き天井をながく見てをり
くれなひの全く澄める曼珠沙華はるかな涯は天地を分つ
夕茜光らせ飛べるとんぼ群れ吾の肩にも一つ止まりぬ
パチンコに負けたることを幾度も言ひては酒を誂へてをり
畦道に草生ひ茂り納屋隅に錆びたる鉈の吊されてをり
這ひ伸びし蔓より白き根を下し草は引かんとするを拒みぬ
透明の水は底ひに目を誘ひ砂のかすかに動きて湧きぬ
へっついの神と言へるがありたりき人の群みて食物ありき
蔓草は根を出す節に切れてゆき残るいのちを土に繋ぎぬ

刈られたる株の切新しく稲田は冬の広さとなりぬ
憎しみがいつしか消へし親しさに八十年の思い出ありぬ
葉の散りて光りの量の多くなり土親しくて林を歩む
襲ひ来し黒雲たちまち空を呑み道をたたける雨音となる
ここの山稲田に拓きし碑が立ちて休耕田は草に埋もる
曼珠沙華枯れたる花の きゐるに老ひし瞳の敏く向ひぬ
若者は力の限り唄ひたるものの笑ひにマイク置きたり
草蔭にいこへる鴨にりょう銃の筒先次第に定まりてゆく
稲妻は夜のガラスにひらめきて夜を われの伏しをり

2015年1月10日