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医学小説家「久坂部羊」
私の知り合いで医学小説を書いている久坂部羊という文筆家を紹介します。私の大学の同級生で同じヒツジ年生まれなので、ペンネームを「羊」にしたようですが、1度福山医療センターに講演に来てもらったことがあります。
「廃用身」で作家デビュー。代表作品には「破裂」「無痛」などがあり、2014年頃からメキメキと頭角を現わし「悪医」で日本医療小説大賞を受賞。2015年には上記の「破裂」がNHK総合土曜ドラマ枠(椎名桔平、仲代達矢出演)、「無痛-診える眼」がフジテレビ水曜10時枠(西島秀俊、石橋杏奈出演)で放映されました(図)。彼には絵や文章を書く才能があり大学生の時から同級生数人と「フレッシュ・メデイシン」や「Shock(個人作)」を制作し、当時ガリ版で刷った小冊子をみんなに配っていました。ある時医学部図書館で「Shock」という循環器系の雑誌を見つけて、「同じ題名や」と吃驚したらしいですが、この時既に教養部から医学部に上がっていた彼はShockという言葉が急性循環不全などでおこる臓器障害を意味することを知らなかったようです。学生時代の冊子の中でよく覚えているのは「スリラーの現実」という企画に載っていた、透明人間になる薬を発明した博士が自分で服用して確かに体が消えたが、薬の効き目が無くなった時のことを考えてパンツだけをはいて町に出た話。包帯を巻いたミイラ男の包帯が動くたびにほどけて困った。半魚人が陸に上がると呼吸困難になる話。「その後のおとぎ話」シリーズでは、一寸法師が鬼の身体の中に入って剣で刺してやっつけるが、打ち出の小槌で大きくなるとたちまち鬼にやられた話。寝ているウサギを起こさずに先にゴールしたカメはスポーツマンシップに欠けると皆からバッシング(今ならSNSで炎上)。夏中働いていたアリは冬になっても働くことを辞められずに(今なら働き方改革をせずに)1年中遊ぶ暇がない。など。当時は「絵や文章が滅茶苦茶上手い奴やなあ」と感心はしていましたが、ユーモアと皮肉に溢れ、既存の概念や体制に反発するヒューマニズムに裏打ちされた、彼の一貫した哲学がこの頃から萌芽していたのだと思います。私以上に勉強をせずShockの意味を知らなかった彼が各賞を受け今やウイキペディアで検索できるような時代の寵児になるとはこの頃は夢にも思いませんでした。
その久坂部氏は2016年に「老乱」という認知症を扱った小説を出版しています。以前は「痴呆症」と言われていましたが、近年では「認知症」と命名が変わり、比較的初期の1982年有吉佐和子さんが発表された「恍惚の人」が先駆け的な作品でしょう。これは徘徊老人「茂造」に翻弄される家族、特に同居している息子の嫁「昭子」の視点から描かれたものです。一方「老乱」では認知症になって最終的には介護施設に入る「幸造」の話で、構成やその内容が優れているのは負担をかけられた家族の思いと並行して徐々に病気が進行する「幸造」の心の「機微」を表現しているところです。家族が良かれと思ってやってくれる世話に対していちいち反応して起きる怒りや葛藤、諦めなど、時には意図していても正常には対処できないことへの曖昧模糊とした心の内を認知症患者になったつもりで描かれています。「茂造」は徐々に物忘れや異常行動などが出現する「アルツハイマー型認知症」ですが、「幸造」は調子の良い時と悪い時が交互に繰り返して出現して進行する「レビー小体型認知症」です。それぞれ「アミロイドβ」「レビー小体」という異常蛋白質が脳内から排出されずに蓄積され、神経細胞が死滅して正常の活動ができなくなるものです。「アミロイドβ」は高血圧、肥満、糖尿病などの生活習慣病、過度の飲酒、喫煙、運動不足などにより増加しますが、「レビー小体」は加齢による変化とされています。いずれにしても高齢化が進むと広がるもので、総務省の統計によると65才以上の高齢者は「恍惚の人」が発表された1982年では1100万人であったものが、2020年には3600万人と3倍以上に増えています(図)。有吉佐和子さんは「認知症の予防は長生きしないことです」といみじくも述べておられます。65才以上の認知症人口は2020年時点で600万人と推計され、久坂部氏は身内の介護経験が執筆の基礎となったと言っていました。私は以前身内が介護施設に入るときに見学に行った時に、立派なマンションのある階に「徘徊の廊下」といって、外の景色を見ながらぐるぐると回っていると元の場所に戻ってくるという仕掛けがあり、思う存分いつまでも徘徊出来る設備があり対応は完璧であるという、笑えない説明を聞いたことがあります。我々の世代では親の介護が、近い将来には自身の問題が現実化することになります。(2022.4)
ババア
おにえび
足立美術館(島根県安来市)
留学中の病気
NIH(米国国立衛生研究所)に留学中の福山医療センター消化器外科加藤卓也先生が、米国の医療事情で困った経験を述べられていたので、私も辛かった経験をお話します。私が留学していたピッツバーグは加藤先生がおられる東海岸のメリーランド州ベセスダからシカゴ方向の内陸部に少し入ったところにあります。先生の手記を読むと私が留学していた30年前と事情はそれほど変わっていないことに今さらながら驚きます。1例を挙げますと、私の長男が当時1才ちょっとでやっと歩き始めた頃に、手足口病にかかってしまったのです。この年代に多く、コクサッキーウイルスなどによる水疱の多発する感染症です。喉や口腔内の炎症がひどくかなり痛く、ミルクは勿論、ご飯(といってもパン食)が食べれないのです。私が勤めていたピッツバーグ小児病院に最初連れて行って知り合いの感染症小児科の医師に診てもらったのですが、キシロカインゼリーのような局所麻酔剤を投与するだけでした。なかなか飲み食いできるようにならず、1-2日後には脱水のため眼球が陥凹し、皮膚もかさかさし始めたのです。それで私が当直している夜に病棟に来させ、看護師さん達に抑えつけてもらってNGチューブ(鼻から胃の中まで通す栄養カテーテル)を入れて、リンゴジュースやミルクなどを注入しやっと改善しました。この時は正規のルートを通さず、勝手に病棟の処置室でチューブや注射器などを使い、看護師さん達に相談すると「Toshi。Never Mind。We saved your kid。(トシさん。気にせんでええよ。赤ちゃんが助かったから、それでええやん)」と言ってくれ、医療費を払わずにヤミ診療をしたというものです。というか、看護師さん達の精算など手続きが邪魔くさかっただけのようでしたが(笑笑)。 加藤先生は同じアパートに耳鼻科の日本人医師が耳鏡を持っておられ助かったと書いておられますが、私は向こうのライセンス番号を持っていたので、病院のPriscription(処方箋)に薬の名前(例えばTylenol:解熱鎮痛薬アセトアミノフェン)とサインをして家で発行していました。ピッツバーグに住んでいる日本人の駐在員さん(SONYやSharpなど)や子供たちが日本人学校で知り合ったご家族の方がひっきりなしに、夜や休日には私のところに来ておられました。病院であればひょっとしたら処方作成料がもらえたかもしれませんが、代りに鹿児島の芋焼酎や青森の地酒、手作りのお寿司を頂き今となってはその方が数段良かったと思います。ある時名前は言えませんが有名な彫刻家が夜中に急にお腹が痛くなってのたうち回っていると電話があり、駆け付けてみると腹部全体が板状に硬く反跳痛があり(腹膜刺激症状)、急いで大学病院のERで知り合いのレジデントにレントゲンを撮ってもらうと、フリーエアーがあり十二指腸潰瘍の穿孔で緊急手術をしてもらったこともあります。個展の前でストレスが高じておられたようですが、ご自慢の彫刻作品を頂き今も大阪の家に置いております。(2022.3)
佐渡裕ジルベスターコンサート
昨年末に行った兵庫県立芸術文化センターで行われた佐渡裕ジルベスター(ドイツ語で大晦日を意味する)コンサート。(2022.2)
玉鋼(たまはがね)
2022.2)
2022年の大学入試共通テスト
2022年1月に全国で大学入試共通テストが行われ、鳥取大学でも雪の中試験監督に教官が何人か借りだされていました。東京大学の試験会場では名古屋の私立T高校2年生が、他の人を切りつけるという事件が起こりましたが、犯人は医学部を目指しているとのことです。翌日試験速報が新聞掲載されており、実際に出題された生物基礎の試験問題を見て吃驚しました。図のように光学式血中酸素飽和度計(コロナ肺炎で最近有名になったパルスオキシメーター)や酸素解離曲線を扱った問題が出ていたのです。その他、植物からのDNAやRNA量の測定、地球温暖化、細菌感染の防御や皮膚移植の拒絶反応など多岐にわたり、実際の実験方法を問う問題も出ていました。医学部の学生でも解けないと思われるものもみられます。多くの医学部入試の理科では、物理、化学、生物の中から2科目を選択しますが、生物は高得点を狙えないので、かなりの受験生は選択しません。私も実は物理や化学を選んだのですが、理由として解答をシンプルに割り出すことが出来るため勉強し易かった印象があります。物理学や数学ではまず基本的な理論と法則があり、それにのっとって色んな事象を解決するというものですが、生物学は「生命現象」を研究する分野で、まず詳細な観察に基づいて基礎となる事象を明らかにすることが求められます。実際私たちは医学部では「発生学」「解剖学」「病理学」などの基礎医学分野で人体の発生現象や細胞の形態などを勉強し、臨床医学では病気の診断法や治療など膨大な情報を吸収して「医学体系」を構築することになっています。ところが、受験勉強でゼロかイチかをきっちり判別する方法に慣れていた私たちは最初曖昧とも思われる「生物学」には大きな違和感を覚えたものです。確か大学医学部1年生の時に「生物学序説」という授業があり、最初の試験で「体内環境のホメオスタシス(恒常性)」や「生態系」等に関する問いでしたが、私も含めて同級生の成績は惨憺たるものでした。進化論の権威、分子古生物学者更科功氏は、東京大学教養学部に在籍中同級生が「数学や物理は良いけど、生物学ってアホみたいだな」と言っていたことを著書で書いておられます。我々の頃は高校授業で理科には物理、化学、生物、地学全てが必修でしたが現在では必須ではない高校もあります。私の大学の同級生で現在大阪大学医学部病理学教授をしている仲野徹先生は著書の中で「一部の超エリート進学校では生物の授業を受けない生徒もいるとのことで、生物学は医学の基本でありますがこのような状況で医学部を目指して来る学生が多いのはこれで良いのでしょうか。このような学生が医学部に入って興味が持てるのでしょうか。」と嘆いています。
また、先の事件に関して思うことですが、実際の医療現場では多職種の人とのチーム医療が大きなウエイトを占め、医師の資質形成に関して人とのコミュニケーション能力を学生生活で養うことが重要となります。大学医学部に入る前の高校生活や入学してからの「人との付き合い」が大事であったと今さらながらに感じています。大学受験時代に私が神戸の予備校に通っていたころは、予備校で知り合ったN高校やK学院高校の気の合う5人の友人達と模擬試験の後食事に行って、将来の夢や現在の悩みなど語ったもので、うち3人は医師になっておりいまだに交流があります。大学に入ってもクラブや実習仲間との交流が良かったと思います。ところが今や高校生活はコロナ対策で人間関係が分断され、授業はWEBを通して行われ直接の友達との触れ合いは出来ない状況です。もっと初期に人格形成を行うべき小学校や幼稚園では「おしゃべりはダメ」など、あまりにも非生物のウイルスを攻略することのみを重視し、現在は人との交流を摘み取るような対策が公然と受け入れられています。このような人的な交流の無い社会で個々人は試験の成績、偏差値のみを重視し、偏差値が将来の全てを支配すると考えるようになり、絶望につながる衝動と自分を抑えきれなかった上記の高校2年生も、ある意味コロナ禍の犠牲者といえます。(2022.2)
医学生物学研究の手法
医学研究の手法について簡単に触れます。薬の効果や治療の結果が有意であるかどうか、信頼するに足りるかどうかの「テスト」方法です。図は「究極の食事」の著者カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)内科学助教授の津川友介先生によるエビデンス(科学的根拠)のレベルを示すものです。最も信頼度が高いのはメタアナリシスという文献のシステマティックレビューにて解析したものです。この手法は最近の薬剤師国家試験にも出題されており、「ある患者さんに薬剤を投与するのに、どれが最も有効かを論文検索によって調査する」のに応用することへの出題です(図)。この解析法の元となるデータは、研究方法の正確さや妥当性など、何人かの専門家によって査読された医学系雑誌に掲載された論文を多数集積して取りまとめ、特殊な統計的手法を使った研究内容になります。これに対し最も信頼性の薄いのが個人の体験談や専門家であっても患者さんのデータの統計学的解析に基づかない意見で客観的な研究ではないものです。一般に臨床試験ではまず仮説を立て、データを集積して統計学的に有意差を検定します。例えば「県境を越えた人の移動はコロナ感染のリスクとなる」という仮説を証明するためにはある一定期間内に十分な人数を集め①県境を越えて移動した群と②越えていない群に分けて、感染発症や検査陽性率の差を検定して行われます。2群をくじ引きなどによりあらかじめランダムに割り当てるのが「ランダム化試験」で、ある治療をしているグループを沢山集め、その結果を論じるだけの「観察研究」では他の因子が一定にそろっていないため患者さんのデータに偏りが生じ本当の効果が分かりにくいのです。特定の国や集団による偏りを削除するために複数個の研究結果をまとめたメタアナリシスが最も信頼度が高くなります。また比較試験では比較する元のデータ(対照群)が直近のものやかなり以前のものでは、例えば「水曜日としては過去最高である」とか、ピーク時を超えた時点と比べ「感染者数が10倍以上になっている」など正確な変動が分かりにくいものがあります。さらに得られたデータを故意に操作する「恣意性」なども気を付けなくてはいけなく、街頭インタビューなどで極端な例だけをピックアップしたり順番を変えたりなど、やろうと思えば簡単に操作できるところに落とし穴があります。 最後に、「新型コロナウイルス感染力の強さと毒性」について、ウイルスは自分の遺伝子を残す(細胞や核を持つ生物である細菌と異なりウイルスはDNAかRNAのみを持つ原始的な非生物)ことが最大の使命であります。そのために毒性を下げて感染力を高めて世界中に広がることを目論んでいるというのが本当のところかなという気がしますが、感染力が高いからと言って毒性が弱いとも言えないようです。絵の具の一滴を水に落とすと、勢いよく分散していきますが、最後は薄くなって分からなくなるように、コロナの脅威も消えていくことを祈りたいです。(2022.2)
津川友介氏による「エビデンスの階層」
第99回薬剤師国家試験問題:メタアナリシスの結果を示すフォレストプロットに関する出題
瀬戸内寂聴さん逝く
2021年11月女性小説家で天台宗の尼僧であった瀬戸内寂聴が亡くなられました。
亡くなる直前まで文章を書き続けられたということですが、このような時世であるからこそ、自分のアイデンティティーを貫かれた寂聴さんの生き方は立派であやかりたいものです。個人的には日本の伝統芸術の「能」を大成させた「世阿弥」の波乱の生涯を描いた「秘花」(秘すれば花)が面白かったですが、最も大きな仕事は紫式部の「源氏物語」の口語訳でしょう。「源氏物語」については私もかなりハマっております。
世界で最も長い小説の1つで、最初は「はいからさんが通る」で有名な漫画家大和和紀の「あさきゆめみし」で全体像を把握し、次に読みやすい田辺聖子訳「新源氏物語上中下、霧深き宇治の恋」に移りました。田辺さんは福山市出身のお父さんをもつ、面白い「大阪のおばちゃん」ですが、原文を簡略化し構成も変えているので物足りなさを感じ、円地文子訳(桐壺から明石まで)、谷崎潤一郎訳(澪標のみ)に挑戦しましたが途中で読む気が無くなり、与謝野晶子訳に至っては最初の1頁で断念しました。
ところが、瀬戸内寂聴訳は現代風で、歯切れも良く明快な文章で桐壺から夢の浮橋まで全巻2回通読しました。これを機に最終的には原語(古文)で「関弘子」の朗読を聞きながら遂に最後まで読み切りました。
仕事の合間に少しずつ読むので、原文を読破するのに1年以上はかかったと記憶しています。また寂聴さんは「源氏」を題材にした小説や随筆、講演なども多く、他の古典作品にも造詣が深く時間が出来たらもう一度「寂聴ワールド」にどっぷりと漬かってみたいです。(2022.1)
中山郷、夢語(ゆめかたらい)
感染症文学序説
小説は人生の喜び、愛、欲望、憎しみ、悲しみ、死、戦争、革命、事件などあらゆる事柄をテーマにしておりますが、有吉佐和子の「恍惚の人」のように認知症を扱った医学的な小説もあります。前月号でリーデンローズ館長の作田忠司氏が「音楽小説」のことを書いておられたので医学の中でも感染症に関する面白い本が出たので紹介します。今の流行に因み2021年5月に発行された「感染症文学序説」という本で、著者は国文学者・民俗学者で東京学芸大学教授の「石井正巳」氏です。
多くの文豪たちが「感染症」を重大なテーマとして書き残していますが、時代とともに作品は埋没し評価も一定ではないとし、石井氏は「それでもやはり、感染症の実態をリアルに伝えるのは公的な統計や記録ではなく、文学ではないかという思いを深くする。
文学は確かに虚構に過ぎないが、月並みな言い方をすればそこにこそ真実があると言ってみたい。」と序文で述べています。
私は読んだことのない原著がありますので、本文中からの引用として紹介させていただきます。
まず1918-20年頃新型コロナ以上に多くの死者を出したスペイン風邪については、島村抱月が無くなり、その恋人の女優松井須磨子が後追い自殺をしましたが(渡辺淳一「女優」)、この時前述の与謝野晶子は感染がかなり拡大してから対策を立てた学校や政府の遅い対応を「日本人の目前主義、便宜主義」と鋭く批判しています(与謝野晶子「感冒の床から」)。
第1子をスペイン風邪で無くしていた志賀直哉は小説「流行感冒」にて冒頭「最初の児が死んだので私達には妙に憶病が浸み込んだ」から始まり、感染した主人公(志賀直哉自身)は感染経路や症状の描写、家庭内感染に至る様子などを細かく書き、感染症予防に過敏な人と全く気にしない人がいることを強調しています。菊池寛は短編「マスク」で「自分は世間や時候の手前やり兼ねているが、マスクの着用をしている人が勇敢である」など、社会の状況と人間の心理の関係、予防行為の表象であるマスクに対する感受性をリアルに描いています。
芥川龍之介もスペイン風邪にかかりしかも重症であったようですが、「コレラと漱石の話」で漱石はある日の明け方嘔吐下痢が起こり、コレラに違いないと飛び起きたが、結局はコレラの予防のために豆を食べすぎたことによるものだったそうです。芥川もコレラに感染するのを怖がり予防策として煮たものやレモン水ばかり飲んでいたのですが、「臆病」と揶揄されるのに対し「臆病は文明人のみ持っている美徳である。」と反論しています。
尾崎紅葉は「青葡萄」でコレラではないかと怯える人間の心理をうまく表現し、弟子が水を嘔吐する音を聞かれ密告されることを危惧し「自分は伝染病を隠蔽するごとき卑怯の男ではないが、吐いただけでコレラというわけではない。」として「コレラの疑いありときっぱり言われるよりは、腸胃加答児(カタル)と曖昧に濁された方が虚妄(うそ)でもうれしい。
それが人情(ひとごころ)である。」と率直に述べています。この時から存在していた「自粛警察」の恐怖が如実に想像されます。また断定的なことを言うのを避け、他の医師や機関に責任転嫁する医師のことも描かれています。
文学作品で最も多く取り上げられる感染症は「結核」で、亡くなった文豪は二葉亭四迷、正岡子規、樋口一葉、国木田独歩、石川啄木、宮沢賢治、梶井基次郎、堀辰雄など、枚挙にいとまがありません。細井和喜蔵「女工哀史」で劣悪な労働環境が結核の原因であったこと、死期が迫る苦しみを正岡子規は「病床六尺」で鬼気迫る文章にて遂に「貪欲な知識欲が生きる力になった」と述べ、石川啄木は「一握の砂」で貧困・戦争・暴力とともに結核に対する人間の無力さを淡々と描写しています。
同じく感染することへの絶望感は内田百聞が「疱瘡神」(天然痘)「虎列刺」(コレラ)にて、感染による生命の恐怖だけでなく世間の噂によるダメージが大きな要因であることを、目がゆき届いた文章で記述されています。
このように隅々まで行き届いた文学表現は医学書より感染症などの実態の多くを語っているように思われます。(2022.1)
リヒャルト・ワーグナー「ニュルンベルグのマイスタージンガ―」
2年ぶりにオペラを観てきました。演目はリヒャルト・ワーグナー作曲「ニュルンベルグのマイスタージンガ―」という3幕もので、上演時間は約6時間、14時開始で休憩をはさんで終わったのは20時過ぎ。最近の欧米における蛇使いの女性とニシキヘビ、象や馬、犬やワニなどが登場する演出とは違い、劇中劇も取り入れたオーソドックスですが見ごたえのあるものでした。
会場である新宿の新国立劇場では感染対策のためクローク無くコートやカバンを椅子の下か膝に抱えないといけないし「ブラヴォー!」の掛け声禁止。観客が曲の間におこなう咳払いも周りの「自粛警察」による咳エチケットのチェックが徹底され殆ど聞かれませんでした。長い公演の間の飲食についてはホワイエでのシャンパンやワインサービスは勿論なく、座る椅子も減らされており皆さん持参のおにぎりやサンドイッチを立って食べるという状況でした。
最も大きな問題はトイレで順番待ちに1-2m空けて並ぶようにという規制が明記されていましたが、ちゃんと守ると新宿駅まで長い行列ができたことでしょう。
これらのことはどうでもいいのですが、オペラの内容はギルドという職業組合や徒弟制度が全盛であった中世のドイツにおいて「ジンガ―(歌手)のマイスター(職人)」を選ぶために歌合戦を行うというものです。ポーグナーという裕福なマイスターが伝統と格式をもつ素晴らしい歌を作詞作曲して優勝したものに、自分の全財産と一人娘を与えるという「吉本新喜劇」でも取り上げられないような茶番の内容で、ワーグナーが作曲した唯一の喜劇です。
新国立劇場:いつもならこのホワイエ(ロビー)でシャンパンやワインがふるまわれる。
19世紀半ばの当時「標題音楽・舞台芸術」を追求していたワーグナーは、音楽は音による構成によってのみ価値があるという「絶対音楽」をバッハやベートーベンから受け継いだブラームスと激しく対立していました。
特にブラームスを支持する音楽評論家のエドウアルト・ハンスリックからはいつも酷評されていたため、オペラの中でハンスリックをベックメッサ―という書記官として登場させ、狡猾な手段を使ったが結局歌い損ねて敗北し、民族的・宗教的な恨み辛みも併せ散々な目に合わせております。
その姿をミュートしたトランペットとホルンによるグロテスクな響きをバンダという別編成隊で演奏されていました。これに対しワルターという他所から来た若い騎士には「人生の冬の喧騒の中で美しい歌を作れる人が真のマイスターである」として見事優勝させており、新しい芸術(標題音楽・舞台芸術)が低迷していた古臭い音楽(絶対音楽)を凌駕するという手前味噌的、倒錯した主題がこの作品の1つのテーマになります。
が、オペラの音楽自体はライトモチーフが各所で表現された作品で、野和士指揮東京都交響楽団と新国立劇場、二期会合唱団の演奏は素晴らしかったです。
演出はドイツで活躍するダニエル・ヘルツオークで、最後にマイスターの称号を与えられたワルターが自分の肖像画を破り捨てるという試みも斬新で面白かったです。(2021.12)
誉池月(ほまれいけづき)
ショパンコンクール
やりましたね!
日本の27才と26才の2人。
そうです! 今年のショパン国際ピアノコンクール(ショパコン、図1))で2位の反田恭平さんと4位の小林愛実さん。
ショパン国際ピアノコンクール
何かの本で読んだのですがショパコンの審査は初期の頃は結構いい加減で、審査員の合計加点が同点の場合コインを投げて優勝者を決めたこともあったようです。ところが、1980年の第10回ショパコンで「事件」が起きました。審査員であったマルタ・アルゲリッチがユーゴスラビアのイーヴォ・ポゴレリッチが本選に選ばれなかったことに猛烈抗議して審査員を辞退した「ポゴレリッチ事件」です。
ピアノコンクールではチャイコフスキー国際コンクール、エリーザベト王妃国際音楽コンクールと並ぶ、最も権威のあるショパコンですが、あまり知られていないことだけにしておきます。
「だって彼は天才よ」と言い残して途中でアルゼンチンに帰国したことだけが知られていますが「魂の無い機械がはじき出した点数だけで合否を決めてしまうのは遺憾で審査席に座ったことを恥じる」と述べ、当時の審査体制を批判しています。その後優勝者や第2位が無かったコンクールがしばらく続きましたがこのことが影響したかどうかは分かりません。しかしいずれにしても現在の厳正な審査による世界的なコンクールに2人の日本の若者が入賞したことは画期的なことでしょう。私が小・中学生くらいの時には近所の子供たちがこぞってピアノを習っており「これだけピアノ塾に沢山の人が行っているのに何故日本には世界的なピアニストやコンクール入賞者はいないんやろう」と斜交いに構えて見ていましたが、彼らやその親たちは先見の明があったのでしょうね。彼らをちょっと馬鹿にしていた私は今さらながら後悔すること限りなしです。(2021.12)
体温調節
急に寒くなりました。山陰では季節の変わるのが早く10月末からすでにストーブを出しております。
今回熱の産生や体温調節について考えたいと思います。寒い環境でじっとしていると「ふるえ」が起こります。つまり骨格筋が細かい周期で律動的に収縮する現象でこれにより熱が発生して体温が保持されるのです。しかし冬眠をする動物などではふるえによらない基礎代謝量を増加させる熱産生があり、特に褐色脂肪細胞がその役割を果たし人間では新生児でのみこれをもっています。肥満などで中性脂肪をため込む白色脂肪組織とは異なり、褐色脂肪細胞は両肩甲骨の間、頸部、大動脈周囲に多く、ミトコンドリアに富み、血管が豊富、交感神経支配が極めて密であり、交感神経系の興奮によりノルアドレナリンが放出され脂肪酸が代謝されて熱を産生します(図)。赤ちゃんは自由に動けないので、いわば天然ダウンベストをまとっているわけです。が、これでは十分ではなく生まれて間もない新生児に手術をした後などは保育器で体温保持を行います(図)。先日NHK、Eテレビ番組「ダーウインが来た」で「カワイイ!動物赤ちゃん大集合SP」を放映しており、西表山猫やハリネズミの親子などを見ていて、同じ遺伝子を持つとここまでフェノタイプ(姿や形)がそっくりになり、親が子を、子が親を識別する能力ができるものだと感心しました。赤ちゃんは親の庇護を受けないと到底生きていくことができず、栄養、外敵からの保護、保温などすべて親に依存し、他からの助けが必須なのです。(2021.12)
白色脂肪細胞と褐色脂肪細胞
山陰の旅(鳥取県東部~中部)
地球温暖化
2021年10月初旬。寒いはずの山陰でも30度を超える日が続いております。地球温暖化が影響するのかとぼんやりと考えていたら、ノーベル物理学賞を取られた真鍋淑郎教授のニュースが飛び込んできて、何とその仕事は「温暖化対策につながる気候変動のシミュレーションとなる予測モデルを物理学的な手法を用いて行った」というものらしいです。詳しい内容は理解できませんが、当初世界初の汎用コンピュータを用いて気象を予測したというもので、画期的であったことは専門外の私でも容易に想像できます(図)。
2021年ノーベル物理学賞を受賞された真鍋淑郎先生(Wikipediaより)
地球温暖化とは太陽からの熱エネルギーを地表から逃がさない二酸化炭素などの温室効果ガスが、石油や石炭などの燃料の大量燃焼により増え続け、地表での熱が放出されないで気温が上昇することです。その影響は①海面の上昇、②気象災害の頻発、③健康被害、④生態系の破壊などが挙げられます(図2)。このうち③健康被害について、最も分かりやすい例では「熱中症」があります。脱水症状や付随する腎機能低下、心肺疾患、皮膚がん、アレルギ―、熱帯感染症、精神衛生上の異常、妊娠合併症も増えるとされています。
全国地球温暖化防止活動推進センターHPより
真鍋先生は愛媛県の医師の家庭に生まれ一旦今の大阪市立大学医学部に入学されたようですが、ご自身の言葉を借りれば「理科の実験で失敗し、緊急時に頭に血が上る性格だから医師には向かない」と判断されたということです。私の周りには「緊急時に頭に血が上る」医師は数え切れない程おりますが(特に外科医に抜きんでて多い)それぞれに立派に活躍されていますので、真鍋先生のこの判断が正しかったかどうか私の口からは何とも言えません。が、純粋な学問である「地球物理学」や「気象学」の方により興味があったのでしょうね。当時の理系精鋭が集まる東京大学理学部大学院で理学博士号を取得されたのですが、日本では進路に恵まれることは少なくアメリカ国立気象局からプリンストン高等研究所(アルバート・アインシュタインやロバート・オッペンハイマーが在籍していた)に招聘されました。この時に呼ばれたのはジョセフ・スマゴリンスキー教授で、アメリカでIBM社製の最新コンピュータを自由に使い潤沢な資金で研究に没頭されました。その後一旦日本に帰国され「地球温暖化予測研究」の主任研究員に就任されましたが、他の研究機関との共同研究が科学技術庁の官僚から難色を示され、日本の縦割り行政が学術研究を阻害していることを不満に思い再度渡米しプリンストン大学に戻られています。当時「頭脳流出」として報じられたようです。この時の年令は何と70才。ノーベル賞を受賞された今年は90才。かつて伊能忠敬は55才で現職を定年退職した後、全国行脚をして亡くなるまでの17年間に「日本地図作製」という偉業を達成されました(図3)。偉人と呼ばれる人はこのあたりの活躍がすごいですね!!
伊能忠敬氏の伝記(講談社文庫表紙)
真鍋先生は日本に帰らずにアメリカ国籍を取得した理由として、日本人は調和を重んじ周りが何を考えるかを気にして他人に迷惑をかけずにうまく付き合うことが最も重要で「アメリカ人は他人がどう受け止めようが気にせず自分の思う通りのことをやる。私は調和に生きる人間ではない。」とジョークにもとれる口調でマスコミからのインタビューに答えておられました。日本人の1番の弱点は「世間体」であるとよく指摘されます。つまり周囲の目を意識させる言葉や態度をとられるとその目を遠ざけることに意識が向けられます。「我々の県内では絶対にクラスターを発生させないように」など「不必要なまでに規制をかけようとする」のは1つの例です。ただ、アメリカでの自己主張に裏打ちされる競争世界はかなり熾烈であり、「周りが考えてくれる」日本が最も居心地良いと思っている私なんかはやはり「小物」なんでしょうね。それとアメリカでは後進に対する「教育」「指導」意識がしっかりしており、自分らも苦労してきた分後輩には惜しげもなく手を差し伸べる姿は我々日本人も見習うべき点であります。事実真鍋先生のアメリカでの指導者であったスマゴリンスキー教授もソ連のボグロム(大虐殺)を逃れてアメリカにやってきた科学者であったようです。(2021.11)
丈径(たけみち)
低出生体重児
2 021年9月10日に厚生労働省より発表された2020年の人口動態統計(確定数)によれば、日本の出生数は過去最低の84万835人(前年より2.8%減)でありました。また、新型コロナ感染の流行によって妊娠を先送りするカップルや経済的困窮におかれた若い世代の増加、外出を規制する政府や自治体の政策により結婚を希望する人たちの出会いの場が少なくなっているため、2021年以降の出生数はさらに減少することが予想されます。一方、日本小児外科学会の集計によれば、人口の微増に対し出生数は減少していますが、新生児期に手術を受ける患児の数は確実に増加しているという事実が示されております(図)。この理由として、職業を持つ女性が多くなったことなどで結婚や妊娠年齢が高くなり、高齢妊娠やハイリスク出産が増えているため、早産の傾向となり低出生体重児が多くなっていることが指摘されています。過度のダイエットによる「痩せ」やストレス、喫煙もリスク因子になります。
人口(橙色■)、出生数(緑●)、新生児外科症例数(青■)の推移 (日本小児外科学会全国集計)
低出生体重児に多い小児外科疾患として消化管穿孔があげられ、これが予後を最も不良にしております。口から食べ小腸の管腔内に入った栄養素(例、グルコース)にはそれぞれ特異的な輸送蛋白(例、Na依存性グルコース輸送体)が上皮細胞膜に存在し能動的に細胞内に取り込み、その後血液中に運ばれます。これに対し小腸内にいる細菌や異物は、腸管上皮のバリアによって血中に入るのを妨げられる機構があり、その1つとして上皮細胞間の間隙にあるタイトジャンクション(密着結合)があげられます(図)。隣り合う1つ1つの細胞自体を密着させるのがタイトジャンクションにおける接着因子と呼ばれる「クローデイン」になります。つまり小腸内には栄養素と細菌叢や異物など、良いものと悪いものが「玉石混交」状態で混在し、生体はその分子をうまく見分け、栄養素を取り入れ不要な物質をシャットダウンする機構が出来ているわけです。ところが、最近の研究によると、低出生体重児では、低酸素症や低血糖、酸化ストレス等の「小胞体ストレス」のためにこのクローデインが正常に機能せず、タイトジャンクションに穴が開いたり安定化するのが妨げられ、結果的にバリア機能が破綻して小腸粘膜の透過性が高まって細菌叢が血中に入り全身感染に至るとされています(FASEB journal, 2021)。
小腸上皮細胞ではグルコースなどの栄養素は細胞膜にある特異的な輸送蛋白を介して吸収されるが、腸内細菌叢や異物はタイトジャンクション(密着結合)などにより血中に侵入するのが防御されている。「細胞の分子生物学」より
出生動向における上記の日本の状況に関する某新聞の記事によると、イスラエルにおける出生数は多く、1人の女性が生涯に産む子供の数である、合計特殊出生率は過去40年3.0とほぼ一定で世界的に最も高く、2位のメキシコ(2.1)以下を大きく離しています(日本は1.36)。この理由として、ユダヤ民族は長い間離散していた歴史があること、ナチスやソ連での大量虐殺の経験などで、自分と類似のDNAを持つ家族を残そうとする「長年培われた民族の知恵」であるとの指摘があります。またユダヤ系親族の結束の強さで、子供の世話を両親のみに集中するのではなくお互いに助け合うという、昔の日本のように「地域の年寄りが子供たちを集めて遊んだり教育をする」コミュニテイーが基本にあるようです。また新型コロナワクチンを開発したファイザー製薬のアルバート・ブーラCEOは、ナチスによるホロコーストを生き延びた両親を持つということですが、両親からはナチスに対する怒りや復讐心を持つのではなく、どうやって生き延びることを考えたか、その幸運と人生の喜びを常に教えられていたと言っています。失った機能を嘆くのではなく、残った器官や臓器を最大限活用して他の人にできないことにチャレンジするパラリンピックの選手の姿勢に通じるものがあると思われます。(2021.10)