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集団行動

 先日夕方病院近くを歩いていると、鳥の群れが束になってうねるように移動しているのをみかけました。季節的に「渡り鳥」の移動かと思われましたが、「ヌー」という草食動物が食料となる草原を求めて大きな群れを作って集団で大移動をすることや、シマウマやイワシ、ペンギン、アリなどの小動物まで集団移動をすることはご存じのことでしょう。この現象を「マーマレーション」と呼ばれており、リーダーシップをとるものがいなくても周囲の生物の行動を仲間の目印やフェロモン、時には超音波などのシグナルを受け取ってまとまった集団行動を行うものとされています。集団で行動をすることにより捕食者から自分たちを防衛することが一番大きい目的のようです。

移動する鳥の群れ(無料イラストより)

 さらに驚くことに、生物だけでなく、細胞の分化や器官の発生、細胞間の相互作用など、遺伝子や細胞レベルでも、隣の遺伝子や細胞からシグナルを受け取ってこのような集団行動を行っているのです。例えば腸管の蠕動を司る神経節細胞などは胎生期に神経堤というところから食道へまず遊走しその後腸管の壁内を下方へ直腸を目指して一斉に細胞が集団行動を起こすわけです。一説によるとSNSで広がる誹謗中傷もこのような集団行動の1つとされており、同じ種の集団では利益となるひとつの方向に向くときには良いのですが、大回遊するニシンは一気に捕獲され我々の食料になるように、扇動されやすい人間の集団は間違った方向に行くと第二次世界大戦の日独伊三国のように大きな悲劇につながるのです。純粋で真面目な集団ほど同調圧力に左右されやすいので気を付けないといけないかも知れません。

(2023.5)

腸管神経前駆細胞が食道から胃を通り、小腸、大腸に移動する(Nature Neuroscience 2012より)

 「ブラームスはお好き?」

これはフランソワーズ・サガンの小説の題名ですが、皆さまご存知ですか?多分、読まれたことはなくてもフレーズくらいは聞いたという方は多いと思います。「さよならをもう一度」というイングリッド・バーグマンとイブ・モンタン主演で映画化されており、自立した女性ポール(バーグマン)がお互いを束縛しないという中年男性ロジェ(モンタン)と純粋で一途な青年フィリップ(原作はシモンでアンソニー・パーキンス演)との間で揺れ動く女性が主人公の物語です。私は中学2年生の時に友人と見に行きましたが、内容(特にポールの気持ちなど)は全く理解できませんでした。唯、全体に流れるブラームス交響曲3番の3楽章が様々に変化する甘美なメロディーのみ頭に残っています。

 

ブラームスはベートーヴェンの正統派の後継者として絶対音楽を守ってきた作曲家で、チャラいオペラなどの作品は無いのですが交響曲を4曲書いています。「ベートーヴェンの幻影が背後から行進して来るのを感じる」ためなかなか交響曲を作ることができず、最初の第1番を書くのに約20年かかった話は有名です。先日大阪フェスティバルホールでこの交響曲全曲をそれぞれ関西在籍の交響楽団とその専属指揮者が演奏するという、「関西人らしいどぎつい」企画が催されました。順番は交響曲3番→4番→2番→1番となり、1曲ごとに指揮者は勿論楽団全員が入れ替わるので大変ですが、写真撮影OKでマスク着用要請やブラボー禁止令は無く、かなり客へのサービスが行き届いていました。ただ、トータルの演奏時間は4時間を超え、どの曲も美しいけど重苦しいため、終わった時には「雷に打たれた」ようにどっと疲れが押し寄せしばらく放心状態が続きました。上記の「ブラームスはお好きですか?」というのは、サガンの原作小説では若く一途なシモンがポールとの最初のデートにさりげなく誘う手紙の一文にあります。舞台はパリの「サル・プレイエルホール(パリ管弦楽団などの本拠地)」というお洒落なコンサートホールで正装をしたカップルが美しい曲を聴くのですが、これを大阪フェスティバルホールにあてはめてみると4時間近く重苦しい交響曲を4つというどぎつい関西人の毒気に中てられて、果たして最初のデートがうまく行くのでしょうか。皆さんはどう思われますか? 

(普通 4つの交響曲連ちゃんには誘わないかと!!笑笑)

(2023.5)

ブラームス交響曲第2番を演奏する指揮者飯守泰次郎氏と関西フィルハーモニー管弦楽団

言葉が整うということ

 先日天神の方へ行った序に湖内さんの見舞に寄った。顔の腫みは大分引いたようなので 「この頃歌の方は何うです」と聞くと、「ヘヘヘ」と笑っておられた。傍から奥さんが、「食欲の方は出て来たようですが、何もする気が無いんです」と言われた。氏は笑っておられた。「脳の意欲の座が冒されられたのでしょうか」と言うと、「お医者さんもそう言われるのです」との事であった。私はあの静かな中に潜められた、激しい表現意欲は何処へ行ったのであろうかと思った。

 二十数年前にもなろうか、私は湖内さんを訪ねては呑み且つ談じたものである。それは哲学、宗教にも亘ったが、概ね短歌に関するものであった。私が取材角度、発想を最も重要なる核心としたに対して、氏は文章が整っているということを重要視された。常に「言葉がちゃんとしていたら、それでよろしいやないかいな」と言われた。私は私の主張を今も捨てる気はない。併し今二部の撰評をしながら氏の言われたことの重要さを熟々と思っている。

 言葉は我と汝が交すものである。湖内さんとでもそうであったが、初めから何かを言おうとしたのではない。偶然にも似た話題の発端から、お互いの応答によって言葉が生れてくるのである。何かを言おうとして行った場合でも、一方的に自分の言葉があるのではない。相手の言葉によって自分に新たな言葉が生れるべく交すのである。我と汝が交すということは、我と汝によって言葉があるとともに、言葉によって我と汝があるということである。私の言葉は何処迄も私の言葉であると共に、この我を超えて、そこにこの我を映すことによってこの我があるものである。言葉はその秩序に於て、我と汝をあらしめるものである。

 我々は言葉によって無限の過去を伝承し、無限の過去へ伝達する。言葉とは生命が初めと終りを結ぶものとして、自己自身を表現するものである。初めと終りを結ぶとは、言葉をもつものが一であることである。言葉は一人一人がもつ。それは交すことによってあるものとして無数の人がもつ。言葉が一つであるとはこの無数の人が一であることである。時間は人の営為であり、初めと終りを結ぶとは、無数の人々が一であるとゆうことである。多くのものが一であるということが秩序があるということである。

 多が一として我々が対話することは、初めと終りを結ぶものの内容となることである。 初めと終りを結ぶものを実現してゆくことである。初めと終りを結ぶものが、はたらくも のとして自己を実現してゆくことである。無数の人々が一なるところが世界であり、我々は世界の自己実現の内容となることによって自己を見出してゆくのである。斯る世界の自己実現が言葉によって成就するのである。

 我々が世界の内容として自己があり、世界が言葉によって実現するとは、言葉の構成は我々の自己構成であり、言葉の秩序は自己の秩序であるということである。そこに私は言葉が整うということの重要さがあると思う。表現とは自己を外に見ることである。それが整っていないことは、自覚としての自己が破綻していることである。

 整っているとは、全文字が一つの主題、一つの感動を構成していることである。如何に長大な文章と雖一つの核がなければならない。その構成のあり方が表現の密度である。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

知るということ

 何日であったか、日本経済新聞の対談の切れ端があったので読んで見ると、品川と いう人が脳髄の働きは宇宙の自己認識であると言われていた。私達が知るということ は宇宙が自己自身を知ることであると言われるのである。意識をつきつめてゆくと、そういったものに行きつかざるを得ないように思う。

 もう二十年も前になるであろうか、新聞に狼少年のことが報道されたことがある。狼に拾われ育てられた少年が発見されて、捕えられた記事であった。彼は狼の如く手と足を用いて走り、人が近づけば唯唸るのみであったという。その後手なずけられてからも、遂に人語を解する事が出来なかったという。脳髄は身体が適応すべき世界を写すのである。

 商売は道によって賢しとか、餅は餅屋という言葉がある。私達は働くことによって知るのである。知るとは働く身体が、身体自身に刻んだ行履であると言い得る。この働きは限り無い過去の伝統を負うのである。身辺の一枚の紙、一本のペンといえどもはかることの出来ない過去の技術の集積によるのである。働くことによって知るというとき知るとは斯る永い時間を媒介とするのである。私達は身体の生死を超えた時間をもつことによって知ることが出来るのである。

 過去は過ぎ去ったもので働きではない。働くとはこの我が生を維持せんとすることである。常に死に面する個体が生に転ぜんと努力するのが働きである。しかし生の直接なるものも働きではない。働くとは物を作ることである。性欲、食欲といった生体維持の本能から技術は生まれて来ない。働くとはこの二つのものが一つであるということでなければならない。生死する身体は、生死を超えた身体である処に働きがあるのである。そこに我々の知るということが成立するのであるとおもう。生死を超えたものに生死を映すのである。それは生死するものが生死を超えたものをもつのである。

 よく芸術家や発明家は寝食を忘れて没頭すると言われる。そういう特別の人でなくても忙しくて飯を食うひまが無かったとか、帳簿の整理をしていて夜中になったということをよく聞く。食欲、性欲、睡眠欲は生体維持の三大本能であると言われる。生の本源的欲求である。それを忘れるとは、人はそれを忘れしめるものをもつということである。我々との身体は斯る相反するものをもつのである。そして寝食を忘れしめるとは働くことが我々にとってより大切な事であるということである。私達は物を作ることによってよりよき生を見出すのである。私達は本能的生を拒否し、物を作ることによって世界を出現せしめることを自己の眞個の生とするのである。世界は技術の無限の連鎖に於いて世界自身を作ってゆくのである。私達が過去の技術を自分の技術として、物を作ることによってある時、連鎖の一環として、世界が世界を作っていく内容となるのである。私達が働くとは世界の一要素となることであり、知るとは一要素として、世界を映し、世界に映されることである。自己を否定し、世界に生きるものとなることによってあるとは、働く事は安逸を拒否し、知ることは努力の中より生まれることである。

 個体が生を維持せんとするところに働きがあり、死を生に転ずることが働くことであるこの我が、生の維持本能を拒否することは、我々の身体が個体的、世界的、世界的、個体的としてあるということでなければならない。拒否するとは拒否することである。私達の身体は相反する二つのものをもつことによって身体である。相反するものをもつことによって、形相を形成してゆくのである。働くことは形相形成的であり、創った形相を見ることが知ることである。

 身体は一つである。それが相反する二つのものをもつということは、二つのものが一つであるということである。相反する二つのものが一つであるとは、闘うことである。闘うことによってあるとは、一方がなくなれば対手もなくなることでなければならない。個と世界、生死する生命と永遠なる生命は、相反するものが闘うものとして一なる生命として、生命は自己自身を限定してゆくのである。そこに生命の限りなき創造があるのである。

 闘うものは常に現在に於いて闘う、現在とは闘うものの在り処である。闘うものの創った時間である。而して個と世界が闘うことによって一つであるとは、永遠なるものは瞬間的なるもの、瞬間的なるものは永遠なるものでなければならない。此処に物の製作があるのである。無限の過去は現在の物の製作に於いて維持されるのである。前に芸術家や発明家は寝食を忘れるといった。それは永遠なるものが身体的なるものを否定すると言った。そこに製作があると同時に、製作は生死をバネとして新たな身体の形相を創ってゆくのである。そこは今この生きているいのちとして永遠は否定されるのである。斯くして永遠は否定を介して働くものとなり、生死するものは否定を介して、生死を超えた形相をもつのである。ここに世界は個に自己を現わすものとなり、個は世界を映すものとなるのである。

 製作に於いて過去が働くとは現在の中に消えてゆくことである。自己を否定して新たな物を生む事である。新たなものを生むことによって過去となりつつ生きつづけるのである。無限の過去が生きて、無限の未来を呼びつづけるのが永遠である。而して製作するものは技術者としての人である。生まれて死ぬものとしての人である。斯る人がより新たな、大なるものを作らんとして、過去を尋ねるところに過去は働くのである。斯る意味に於いて働く過去は現在より見出された過去である。永遠は製作としての現在に於いて一人一人が担うのである。一人一人に担われた永遠として、永遠は現在より現在へと動いてゆくのである。知るとは我々を超えたものを、我々が担うことである。一人一人が担うところに知ることがあるのである。

 働くとは時間、空間的に構成してゆくことである。時間、空間は無限なるものである。時間、空間的に構成するとは、時間、空間を内にもつものの自己限定でなければならない。無限なるものの自己構成でなければならない。それを一人一人が担う。而しそれは何処迄も一要素として担うのである。私は品川氏の脳髄の働きは宇宙の自己認識であると言われる宇宙とは、人間が働くことによって構成した時間、空間の形相としてあるものであると思う。斯るものとして宇宙は一人一人を介して無限に自己創造するものである。人類の創造的總体として人類の一を把持しつつ、一人一人に担われるものとして無限に動転するものである。一人一人がもつ脳髄は担うものとして宇宙の自己認識となるのである。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

命終を読んで

 読み了って最も感じたのは作者の人柄の分厚さである。それは何よりも人との出会いのあり方に端的にあらわれている。その第一は松村先生である。

立寄れば巨樹の蔭とまず恃(たの)み歌詠み初めし昭和十四年

 巨樹とは題名よりして松村先生であろう。その師に対する終生渝るなき敬慕と信頼は、松村英一歌集と題する中の末首、

今更に何をか言はむ歌詠む我松村英一の弟子の一人ぞ

 の一首を作さしめている。古来人生の最大の幸福は良き師に巡り会うことであると言われている。良き師とは深い言葉をもつ人である。それは我の奥底を照してくれる光りである。作者はその人を得たのである。

予約して出版の日を待ち兼ねしに今日手にしたり心躍りぬ

 一首作者の傾倒ぶりを表わしている。傾倒の深さは作者の深さである。

幽玄の極に至る歌の数一万首に及ぶ松村全歌集これ

 短歌表現の究極はわびさびにあるとは、常に作者の主張する所であった。筆者は必ずしもそれに同調するものではないが、作者が己の導きとしたのがよく表われているとおもう。その第二は友との出会いである。

生ける君に見すべかりしをみ墓辺の君に供へる歌集「櫃の実」

たもとほり立ち去りかねつ墓地の偶に彫り深きかも倶所一会と

 悵々として迫ってくる余情はその交友の如何に深かったかを示すものである。

兄弟と言ひ諍ひし仮屋君寄書にあり殊に嬉しも

 歌集より見る限り氏の交友は広くなかったようである。併しそれだけに深い友愛をもたれたようである。

 第三は奥さんとの交情である。奥さんに関する作品は、その死別に於て、悲しみ発して 光芒を放つの観があり、言葉よく玉となり、本書の一つの山を形造っているとおもう。取上げる人が多いとおもうので一首だけ抽出したい。

食の量次第に減りて今朝程は軽く首をば振りて背きぬ

 人生の成功には種々なるものが考えられるとおもう。富を積み名を成すのもその大なるものであろう。併し私は手を飜せば雲となり、手を覆えせば雨となる世の中に於て、一つの出会いを終生温め続け得たということもその一つに算えてよいとおもう。勿論そこには契合するものがあったのであろう。併し私は身に省みてその容易ならざるを知るものである。

 氏の歌にはけれんがない。足を大地に置いている。そこにはわび、さび、幽玄を追求する氏の方法的ものがあるであろう。併し私は其の根底に氏の重厚なるもの見たいとおもう。老来益々の創作を願って筆を擱きたい。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

明白

 何時しか電線からつばめが見えなくなっている。早いもので妻が顔をしかめ乍ら、糞受けを架けていたのがこの間のようである。最早太洋を越えたであろうか。遭難せずに着いたであろうかと思う。そしてあの小さい体の何処に、長い距離を飛ぶエネル ギーと、方向感覚があるのだろうかと思う。

 而し生の不思議と言えば、人間程驚異すべきものはないように思う。その昔石に一打 を加えて、道具として手の延長として物を作ったということは、身体をもって外に対した自然のプログラムを変更したということである。身体の直立と手の獨立、大脳の発生はこれ迄の生の形態を全く変えるものである。私はそこに生を表現する生命を見ることが出来ると思う。それは時のはじめとおわりを結ぶ永遠なるものとして、石に一打を加えた生命の外的方向には、現在の櫛比する摩天楼を胚胎し、内的方向に釈迦、キリストの深大なる思想を胚胎すると思うものである。それは渡り鳥や回遊魚と次元を異にした不思議である。

 私は生命は全て完結をもつと思う。完結をもつとは外と内とが一つであるということである。魚は水を切って外とする。而し水を離れて魚の生はない。泳ぐとは生のありようである。魚の器官は水に生きる器官であり、魚の生命は水との總体である。道元は以水為命という、鳥は以空為命という。つばめが太洋を渡るというのは如何なることなのであろうか、我々より見れば、餌さえあれば何も難儀して広い大海を渡らんでもと思う。而しつばめは飛んで行く、そこにつばめの以空為命はあるのであろう。

 自己が自己を作り、自己が自己を知る人間に於いて斯る生命の完結は、明々白々なるものとして我々の根底に於いて働くと思う。私があるとは斯るものの働きとしてあるのである。働くとは内を外にすることである。内を外にするとは、外に見ることによって内に還ることである。明白が自己を現わすことである。

 私達は論証の根底に疑って疑うことの出来ないものを求める。全てがそれに基礎をも つ明証を求める。私はそれは人間が自覚的生命として、自己の完結によらんとする欲求であると思う。物理や数理の展開の必然や、歴史的必然と言われるものも、自己明他として、明白なるものが外に露はとするところにあると思う。単に知的なるものの みならず、近代絵画が純粋視覚の発展であるとき、人間の完結へ欲求として、矢張り 明白なるものが働くのである。人間の以水為命とでも言うべきものに視覚が到達する のである。自覚とは自己が自己を見ると言う意味に於いて発展は常に回帰である。内 面的必然的である。而して内面的必然の根底には明白なるものが働かなければならないと思う。

 自己があるとは、世界の中にある自己が逆に世界を内容としてもつことである。より明らかな自己になるとは、より大なる世界に歩みを進めることである。より大なる世界に歩みを進めんとするとき、我と世界は乖離する。我々は意志的自己となる。意志とは自己の中に世界を実現せんとする欲求である。そこに世界は達すべからざる深さとなり、自己は一微塵となるのである。自己が世界を自己の中に見ようとする限り、唯我々は昏迷の中を彷徨せざるを得ない。明証を見んと欲するが故に暗黒に閉ざされ るのである。我々は自己の絶対の矛盾に撞着するのである。

 自己の中に世界をもつとは如何なることであるか。我々は言葉や技術をもつことによって自己となる。言葉や技術は人類がはかり知れない時間の上に築き上げたもので ある。我々は生きて百年である。そこに世界は達すべからざる所以がある。そこは単 に量的な差ではない。次元を異にするのである。越ゆべからざる懸絶をもつのである。キエルケゴールの言うごとく、死として、絶望として迫ってくるのである。世界は自 己創造的であり、我々は創造的世界の創造的要素として世界を内にもつのである。世界に運ばれてあるのである。我々が働くとは世界に呼ばれるのである。そこに翻りがある。明白とは世界の呼び声に於いて自己を見ることである。

 光りは闇を照らすという言葉がある。私は前に自己が自己を作り、自己が自己を知る人間の生命の完結はと言った。そこにはすでに作る自己と作られる自己、知る自己 と知られる自己との乖離がある。我々は何処迄も世界を内にもつことによって我であ る。自己が世界ならんと働くものである。常に暗黒に生きるのである。而してその故 にそれが世界の呼び声として明白に生きるのである。明白とは世界と我を結ぶ唯一者である。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

みかしほ三年五月号一部鑑賞と批評

も一度とふりかへり見る運動場の桜あえかなりではさようなら

 艶もあり動きもある仲々の作品、結句別離の意識を絶えずもつものの悲しみが見えて好もしい。一首の構成もさらりとしている。

独り居の室のテレビも消しているこの静寂は今日のたまもの

 至りつきたる境地をしずかに受容している好感のもてる作品、下句言いたい言葉だけに言ってはいけないのではないだろうか。

ニトロ含ませ夫の呼吸の治まるを見届け入院準備急げり

 てきぱきとした処理は作者の知性の高さを示す。而し知的な面が前面に押出されて余情を失わしめているとおもう。嘆き、不安といったものへの傾斜が欲しい。

交錯せる電波もあらむ滑空の鳩たのしげに隊列を組む

 仲々の着想、鳥に塒ありされど人の子の休むときなし、知恵の果実を喰べた人間は、輳する世界に苦しまなければならない。連想に遊び勝な作者にあって、内容のある一首。

家族等の手足となれぬ老もどかし己が身めぐり整へ置かむ

 死は避け得ない宿命である。老いて死に面せんとする作者は、日常の行履の中にしずかに見ている。そのしずけさは作者の知性である。

肌寒き朝を辛夷白く咲く浮き出でて見ゆる塀の内側

 すぐれた観察が見事な対象の切り取りとなっている。塀の内側は作者の内側である。 他の六首も破綻なく詠まれている。

大津王子の嘆きや吐ける二上の花しんしんと散りとゞまらぬ

 優れた資性の故に、悲劇的な死をもたなければならなかった王子への作者の悲傷が、散りゆく桜と渾然一体になっている。二、三句作者の力量を示す作品である。

逆はぬ癖いつよりか性として会話乏しき老となりゆく

 嘆きに似て二、三句嘆きを超えて、深い自己凝視の作品となっている。尼僧のような静かな諦観は作者の魅力である。

空と海見分け得ざる日暮れ易く家々早く灯りを点す

 作者は自然と人間のみを見ているのではない。それによって生れる自己の心のかげりを見ているのである。抒情豊かな香気ある作品。

至難とゞ想ひし原稿書き終へし瞬間にして目の上を押す

 結句の把握鋭い。安堵にゆるんだ気持が、忘れていた目の疲れを覚えたようすが見えるようである。躍動感のある作品。

生卵忌みおりし子が嫁と共に飯にかけてはかきこみており

 嫁によって変質してゆく子への、淡い複雑な気持が過不足なく表わされている。

裏山に残し置きたる幼杉が延びて吾家の日差し遮る

 幼杉の伸びは自分達の老であろう。それを日差し遮るという対象に捉えたのはよい。 時の移りを静かな目で受止めている。斯く静かな目で捉え得るということも一つのちからである。

靴履けぬ程に酔ひます吾が上司家に送れば亦送るる

 平凡ではあるが、互が築いた信頼の強さが一首を捨てがたいものにしている。それは情念の深さであり、作者の深さである。

遅れたる人等を呼べばこだまする山の茶店に甘酒たのむ

 こだまに日常の喧騒を離れた自然の静けさ、大きさを捉えたのはよい。甘酒たのむにも自然に同化している作者が見える。滋味ある作品。

電線の下に建てたる鯉のぼりゆるる尾先が児の手に届く

 下句児童の生態がいきいきと想像されてたのしい。一、二句捨てたい。

永平寺へ再度来られぬと云ふ畑を時々待ちて階段めぐる

 一期一会という言葉がある。出会いを大切にする作者の豊かさが見えてすがすがしい一首となっている。結句の階段めぐるは他の言葉の撰択が欲しい。例えば僧堂とか。

土を出でし草花の芽の浅黄色例へば三月の少年のすね

 作者の才能を思わせる作品。ともすれば寄木細工となりそうなのを、よく溌剌とした生命の表現とならしめている。さわやかさを味う作品で、三月のすねとは何かと問うべきではない。抒情詩の新しい面を切り拓いたものとして、高く評価すべきである。

枕辺のあかりが作るわが影は巨人となりて服をつけゐる

 私達は自己の底に限り無い未知なるものを潜めている。その故に人間は不安としての存在である。作者は影に見出でた我ならぬ我に束の間走った不安と怯えを捉えている。常自己を凝視する目は深い。結句の収束よく一首を引きしめて老練である。

ちるものを撩乱と咲かす桜木のあはれ渾身の生としあふぐ

 表現とは対象に自己を見、自己に対象を見ることである。下句よく桜を自己とし、自己を桜となさしめている。下句作者の歌境の高さを示すものである。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

芸術について

 同じ音でも列車の走る音は芸術ではない。而るにバイオリンを弾く音は芸術である。 私達は感覚をとおして外界を受入れる。而し匂いは芸術となり得ないのに対して、色 彩は芸術となる。即ち嗅覚は芸術となり得ないのに対して、視覚は芸術となる。言わ れる如く、芸術となる感覚は繰り返す事によって明らかとなってゆくものであり、繰り返す事によって失われてゆく感覚は芸術となり得ないのであると思う。高架鉄道の下に住んでいる人達が、初めはその騒音に悩まされて眠れなかったのがやがてなれて平気になったと言うのを聞いた事がある。如何によい匂いも繰り返すと感じなくなり、如何に美味しい食事も繰り返すと感じなくなる。音楽家がバイオリンを日夜弾く事によってよりよい音色が生まれ、画家が寝食を忘れて描く事によってよりよい形や色彩を見てゆくのと対照的である。前者の生存に直接するに因するのであろうか。

 果してそうであるならば感覚が繰り返す事によって明らかになるとは如何なる事であろうか。画家は描く事によって無限に多くの色を見ると言われる。私達の見ていない色彩を見ていくと言われる。赤の中に赤を分かつのである。私達が一つの赤を見て いるのに対し、無限の赤を見るのである。此処に無限と言うのは何処迄も赤を分かっ てゆく事を言うのである。私達が絵を美しいと言うのはこの見る事の出来ない色彩を 見ているが故に外ならないと思う。内藤先生がやっておられる書もそうであろう。書は線の芸術と言われるが、練習を繰り返すうちに幾多の線が見えて来るのであると思 う。斯る幾多の線からのみ今筆を動かしている線の必然が生じるのである。人前では筆を執ることも出来ない私がこのような事を言うのは、或は見当違いであるかも知れ ない。而し私は斯るものなくして書の芸術はあり得ないと思うのである。色彩に於け る如く視覚は自己自身を無限に分化する事によって自己自身を明らかにしていくので ある。よく創造という時、ゲーテの幼児の時の体験が語られる。今引用すべき典籍が ないので正確ではないが、何べんもバラの花を見ていると、花片の中から花片が生じ、視界が花片で埋まったと言った如きであったと思う。それによってバラの美はゲーテの内容となったのである。限りなく分かつことによって視覚は自己を実現するのである。限りなく溢れ出るバラの花片は、最早対象バラではなくしてゲーテの視覚的生命の内面的発展であり、自己創造である。この内面的発展が即ち美であり、芸術である。

 それならば、この無限に自己を分かち、自己自身を創造していくものは如何なるものであろうか。私はこれを最も深き意味においての質に求めたいと思う。愛とは何か。人間が世界形成的に自己を見ていく、人格の形相である。我と汝がこの世界を創っていく、相互の関わり合いである。お互いがこの世界を創っていくものとして認め合い、お互いが世界を創ろうとする意志である。私達は身辺的にも可愛い孫を見る時、他人に見る事の出来ない幾つもの孫の動きを見る事が出来るであろう。而しそれは未だ世界形成的ではない。本能的であって人格的ではない。よく孫の短歌が作られるがそれが芸術として深い感動を呼ばないのは世界形成的として無限の展開を持たない事に因すると思う。それが深い芸術となる為には他者として、共に世界を形成するものとして、人格の発見がなければならないと思う。私達はミケルアンゼロの作品の暗さを見る時如何に彼が人類を愛したかを思わざるを得ない。黒焰の渦巻く深い噴火口に臨むと評される彼の大なる力はそのまま彼の人類への愛の力である。レムブラントの作品も暗い、而しよく見ると其の色彩は大変美しいと言われる。好んで庶民を描いたと言われる彼は、共に世界を形造るものとしての限無き同情と愛がその作品を生んだものと思う。書に於いても其の線に書く人の人格を具現する事なくして芸術の意味があり得ないであろう。豊かさは他人を包み得る豊かさであり、きびしさは自己を律するきびしさである。其処に顔眞卿、王義之のリズムがあると思う。或は自人一体の飄逸であるであろう。線に主体が自己を見ていくのである。此処に線が次の線を生むのである。自己の奥所が現われるのである。表現に於いてはこの自己の奥所が世界の奥所である所に芸術としての美があるのである。芸術の根底には深く人格としての愛が働くのである。限り無く分化し、分化を自己の分化として深く統一するものは愛としての人格である。

 人格は主体の世界として我と汝の関わり合いである。我と汝の関わり合うのは社会であり、それの実現は歴史的である。この事は必然的に、芸術は歴史的具現の内容とならなければならないと思う。最近芸術論に於いて最も問題となるのは、近代絵画に於ける純粋視覚の問題であろう。視覚とは何か、私はかつて目とは生命が対象に向かって流れ出た身体の堀割であると書いてあるのを読んだ事がある。鯛は深海にあっては人間の五千倍の明らかさでものを見る事が出来ると言われる。而し見えるのは餌と敵だけであると言われる。禿鷹は千米の上空より地上をありありと見る事が出来るが見 るものは野ねずみだけだそうである。外が内であり、内外である。私達の目は自然として単に生まれたのではない。長い人類の歴史によって培われたのである。よく開眼と言う事が言われる。心を展く事によってこれ迄と異なった意味に於いて事象が見える事である。高次の形相に於いて物が捉えられる事である。そのような深いものでなくても、洋画に接する事によって日本人の目に一つのものが加わったのは確かである。

 ペルーの山奥の原始生活を営んでいる村落に行って、呪術社会を研究した人の著書 によると、アンデス山の美しい積雪の景色も彼等は悪魔の棲家として恐怖の対象であり、ことに吹雪ける日は、悪魔の怒りの鼻息として、見るのも怖れるそうである。私 達はそれを荘厳と見る私達の目と、彼等の目に介在する時間の長さに思いを致すべきである。私達も其処に生まれておれば恐怖しつつ見上げるのである。純粋視覚とは視覚的なるものを具体的世界より抽象するのではなくして、具体的世界にあるものの目として、具体的世界の根元に還るのでなければならないと思う。私達は世界を創ると共に世界に生まれるのである。 世界より作られるのである。先輩に向かって其の考えを古いと言い得るのは動きゆく世界の現在の確信を持つが故に外ならない。世界は私達が動かすと共に、世界自身の内在的矛盾によって動きゆくのである。私達が世界を動かすとはその内在的矛盾の内容となる事によって行為する事である。国乱れて忠臣出づと言われる如く、世界よりの声に呼ばれて我々はあると言う事が出来る。その時我々の目も耳も時の声に向かって開くのである。純粋視覚とはこの動く世界の歴史的現在の形相を見る目となる事でなければならない。

 斯る意味に於いて自己とは、自己の奥底に自己を越えたものを持つ事によって自己 となるのである。歴史が自己の内在的矛盾によって動き、その歴史的現在として我々 の目があると言う事は、我々の目は歴史が自己自身を見ていく目としてあると言う事 でなければならない。斯る内容として我々があると言う時、この我とは全人類的自覚 の内容としてあるのでなければならない。自覚は歴史を包む全人間的であり、その形 象は全人類的でなければならない。この全人類的なるものが一即多、内即外として動いていく時我々の目はあるのである。近代絵画に対する深い鑑賞眼を持たない私は一々具体的にこれを例証する事は出来ない。而し私は前衛と言われるのも斯るものでなければならないと思うものである。

 自己が自己を見、自己を表現する。外の物に内なる自己を露わにする。其処に歴史 は生まれ、世界は動く。時間、空間は人間の自覚の内容である。空間は自覚の中に展き、時間は自覚の中を流れるのである。斯るものとして自覚的生としての人間は無限であり、永遠である。而して斯る自覚は一即多、多即一、内即外、外即内として現在より現在へ、事実的に自己を実現していくのである。現在は無限の過去をはらみ、永遠の未来をはぐくむと言われる所以である。全時間が今の内容となる意味に於いて永遠の今である。芸術が刹那を露わにしつつ芸術は永遠なりと言われる所以は、この人間存在を形象的に映すと言う所にあるのでなければならない。

 而して現在が現在を越えて過去と未来を内容とすると言う事はこの我と汝が働き合うものとしてある事であり、働き合うこの我と汝は自己を見るものとして逆に世界を自己の内容とするものでなければならない。一々の私が過去をはらみ、未来をはぐくむのである。知るものとして永遠を宿すのである。斯かる我と汝が相対立しつつ世界を実現せんとするのが愛である。私達は斯る存在として歴史的現在の事実としてあるの である。この我が世界を実現せんとする時、世界は無限の陰翳をもって現われて来る。声が出、手が動く時詩が生まれ絵画が生まれる。この無限の陰翳が歴史的現在が自己自身を表す形象である。私は私達が作歌する時この世界実現として我と汝、我と対象が接する所を見なければならないと思う。我に対象を見、対象に我を見るのである。対象が我を作り、我が対象を作るものを見るのである。我を映す純なる目となるのである。

 この我が世界を包み、世界を作ると言っても、世界は深く且大である。歴史が歴史自身の内在的矛盾によって動きゆく時、よく一個の人間の補足し得る所ではない。而し歴史が動くとは何処かに自己を表していく事である。其処に天才がある。啓示とか天来を受くべき人間がいる。天才は歴史の自己実現である。個的意志を超えて深き世 界より呼ばれるものである。

 美の範型は「時代の様式的正」であると言われる。この事は歴史は時代的に自己自 身を限定していく事であると思う。歴史的現在が過去、現在、未来を包む永遠の今の 意味を持つ如く一つの完結を持つのである。大なる今の意味を持つのである。歴史は常に原初的な生とイデーの矛盾と統一である。新たな生命が生まれて新たな形象をつくる。新たな形象があるとは、形象が生と死を持つ事である。斯るものが知るものとして生死を超えるのである。時代に於いて歴史は最も具体的である。この形象は生を其の秘奥に於いて露はにするものであろう。時代の様式的正、それはこの我の最も深き自己の顔として、我々に対面さすものであると思う。歴史的創造的生命が自己自身の顔を見ていく、其処に芸術の最も根元的なものがある。

註)鳥やけものは孫を愛さない。歴史的、形成的の故に色々なものが見えて来るので ある。唯それが直接的な時は浅い。故に本能的と書いたのである。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

陳謝並に七月号より

 朝凪の庭は風鈴より下っている紙も止まったままである。私は思考を持たない目で見るともなくそれを見ていた。そしてふと動きのない庭が、動きのない私をあらしめているのではないかと思った。世界は一つであるという言葉がある。それは普通に考えられている以上に深いところをもつのではないかとおもった。そして傍を見るとみかしほ六月号があった。ぱらぱらとめくり乍ら、私の評のところへ来てその粗雑さに愕然とした。今書き改 めて陳謝の意を表したいとおもう。

永平寺へ再度来られぬと言う畑を時々待ちて階段めぐる

 私は評として、「一期一会という言葉がある、出会いを大切にする、作者の豊かさが見えてすがすがしい一首となっている。」と書いた。私はその大意を改める気はない。併し階段めぐるとは如何なることであろうか。階段はのぼるかおりるものである。めぐるとすると階段の周りをめぐることになる。階段は僧堂とか、堂塔とかにすべきではないか。

大津王子の嘆きや吐ける二上の花しんしんと散りとゞまらぬ

 私は古往今来変らぬ生のかなしみと書いた。併してこの一首このような一般的な言葉で捉えるべきものではなかった。優れた資性の故に悲劇的な死を遂げた王子への、作者の感慨が二句の悲傷の言葉を生んでいる。そこを突込んで作者の力量を賞むべきであった。快々たる思いで六月号を捨て、七月号を手にとった私はそこでやや明るい気持をもつこ とが出来た。

天敵のゐぬ水族館の魚たちの顔おだやかに近づきて来ぬ

 詩人は見えないものを見なければいけないと言われる。見えないものとは何か。我々の視覚を構成する重々無尽の過去と未来である。記憶と願望である。追憶と憧憬である。一、二句作者は眼前にないものを見ている。それによって読む者にいきいきと魚が迫ってくる。六月号で取り上げた作品の電波も見えないものであった。併し電波と鳥の繋りが観念的である。今回のは魚に即している。私はこの作の方が数段すぐれているとおもう。

 ベルグソンは意識の強度を説く中で「初めは全てが同じように見える。併し目が深くな るに随ってそれが奥行きをもって見えてくる」と言っている。私達も個々の作品を奥行きに於て見る目を養わなければならないと思う。孫がもの呉れたや、老母の手が細くなったなどとの差異を知るべきである。四首目、六首目等未熟という外ないが天恵の凛質を伸ばして欲しいものである。

コーヒーは混ぜないで思ひ出はスローモーションがいいから

 中北さんが喻を核とする口語体にもどって来た。暗喩は近代の錯輳した内面的なるものを表現しようとして、塚本、岡井なんかが取り上げて多くの追従者をもち、斉藤史や葛原妙子等に飜転しつゝ今や歌壇に定着したかに思われる。内藤先生が前衛を無視して現代短歌が語れないといわれる所以である。作者は多く内面の屈折をもつようである。私はそれを表現するのは喩による方が適切であるとおもう。田舎という故息なところ、それに自分が学んだものを金科玉条とする人々の住むところでは或は抵抗があるかも知れない。恐れずに進んで欲しいものである。

 尚初心者の人々の為に暗喩について少し説明しておきたいとおもう。喻はたとえである。喩はたとえるものの形だけが表わされてたとえられるものが見えないことである。具体例をあげたいとおもう。

夏の葉のなす蔭ふかきガラス戸に眼のにごり写していたり

 私の作品で恐れ入る。病院の待合室にいたときの作である。ガラスの向うの闇が深いときには、此方の姿をより明らかに映すものである。これはガラス戸がもつ葉蔭の闇ににごった目を写したのを詠ったのである。この作品がもし目のにごりというあらわれに、葉蔭の闇が生命の深淵という意味を帯びているととれるとすれば、二句のなす蔭ふかきは暗喻となるのである。

 中北さんの一首、あらゆる外の煩いを捨てて思い出に浸りたいというのであろう。そう すると一首全部が暗喩になるのである。それだけに暗喩として作品は、作るものも鑑賞するものも難しいとおもう。七月号も成功しているのはこの一首だけであるとおもう。一首目もいのであろうが片仮名に私は弱い。三首目面白い着想であるが今少しすっきりしたい。六首目ペルシャの迷宮のように多い素材は適せないのではないか。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

無題

 普通私達に目があり、向うに対象があって目は物を写すと思われている。併し少し考えればそれが如何に表面的なるかが判るであろう。豚は何故真珠を欲しないのか。人間は美を感じる目を創って来たのである。豚は豚の創って来た目に写し、人間は人間の作って来た目に写すのである。

 八月号の片山さんには参った。確にみみずに空の青が解るかと書いた記憶がある。併し決して「手前たちに判ってたまるか」と見得を切ったのではなかったのである。作った機縁は忘れたが、何時かの批評会で解らんと言われたのであろう。私は生命は創造的であり、人間は自覚的創造的であるとおもうものである。

 自覚的とは意識して、努力して作ることである。私達は歌を作る。歌を作るとは言葉によってものを見ることである。言葉によってものを見るとは、豚が胃腑の欲求によってものを見るのに対して、高次なる立場からさまざまのものが見えるということである。

 人間だけにあって他の動物にないもの、それは言語中枢であると言われる。人間の目は言葉をもつものの目となることによって、他の動物の見ることの出来ない世界を招いていったのである。言葉がもつものの目となることは、新たな言葉をもつということは、新たな世界が生れてくるということである。私達は対象を創ってゆくと共に目を創ってゆくのである。よくあの人はものを見る目を持っとってやとか、目の利く人やとか言う。それはものを創造のふかさに於て見ることが出来るということであるとおもう。私達が歌を作るのは作ることによって見るのであり、見ることによって作るのである。それは世界を創ることであると共に自己の目を創っていることである。

 以上のようなことを考えていたので無礼とも言うべき歌を作ったのであるとおもう。 御寛恕願いたい。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

初心の方への短歌評釈

 もう十三年前の雑誌「短歌」を開いていたら、現代ロマン短歌百選、杜沢光一郎選といのがあって、中にこういう一首がありました。

背広の殺伐たるもの身にまとう顔なき男の一人なるべし

 この歌は所謂写生というものと異なっているようです。 それならば物を見ていないのであるか、作者は見ています、洋服を着て歩いている一人の男を見ています。それなれば何故このような写生と異なった表現をしたのでしょうか。私はそこに目の置きどころの相違を見ることが出来ると思います。作者は対象に忠実になろうとせず、自己に忠実になろうとしているのです。対象の中に自分を見出そうとするのではなく、自分の疑問、自分の悩み、自分の痛みの先に目をつけて見ているのです。そういう観点からこの一首を解いて見たいとおもいます。背広の殺伐たるものとは何ういうことなのでしょうか。殺伐というのは闘争のことです。併し背広が闘争をすることはありません。とすれば殺伐は背広を見たときの作者の感じということになります。闘争を見たとき私達は何ういう感じをもつでしょうか。それは嫌悪、冷酷、虚しさというようなことであろうと思います。併し背広に私達はそのようなことを感じることはまあないとおもいます。そうとすれば背広が背負っている社会的意味ということになると思います。そこで私が思い出すのは、この頃よく言われている人間性の回復ということです。人間性の喪失について常に言われることは、合理性の追求による物の画一性ということであります。画一性は情感の豊かな流動を失わしめるということです。与えられたものであって、自分の中から湧き出たものでないことです。それで私は上句はこういうことであろうとおもいます。それは機械によって設計され、量産された背広を着ているということです。下旬の顔なき男は、背広を着ている男が顔がないということは考えられませんので、上句を承けての自分の顔をもたない、ひいては個性のない男ということであるとおもいます。従来の作歌法から行けば、

量産をされし背広を着けている個性なき男の一人なるべし

 ということになるのでしょうか。そうとすれば何うしてあのようにことごとしく作ったのでしょうか。ここは大事な所ですのでよく読んで下さい。それは作り変えた歌は私の方か ら見ているのに対して、取上げた歌は世界の方から見ているということなのです。私は初めに作者は自己に忠実になろうとしていると言いました。自己に忠実であることがどううして世界の目となるのでしょうか。それは自己の悩み、苦しみ、痛みというのは世界に面を向けていることことだからです。私達の動作は自分を世界に結びつけようとするところより起ります。それが何処迄も乖離をもつところに悩みがあります。小は隣人や異性の交際より、大は永遠への思索に至る迄絶対の断絶があるところに苦しみがあります。そこから見るということは世界からということなのです。この歌は一人の平凡な男を歌っているのではなく、画一性の中に失われた人間性への悲しみと怒りを表現しているのです。殊更に難しく作ったのではなくして、このように作ることによって、より明らかに内面を表わすことが出来るからなのです。殺伐、顔なき男といった衝撃的な言葉は、作者の感動の強さを表わすものであり、それを破綻なく使い得たのは作者の熟達を示すものです。

佐藤佐太郎の「茂吉の秀歌」を読んでゆく中に、左記のような歌に出合いました。

松風のおと聞くときはいにしえの聖の如くわれは寂しむ

 驚いたのはその評釈です。彼は「松風のおとを聞いていると昔の高僧のように寂しい思いがするというので、意味合は簡単だがこの一首からひびいてくるのは、身にしみるような遠く清いひびきである。松風などと言えば陳腐にひびくけれどもこの歌の感銘は新しい古いという境地をこえている。わずらわしい意味合いがないだけに純粋な情感がしみ渡ってくる。こういうものを第一等の短歌というのであろう。この作者一代の傑作の一つである。「ときは」「われは」の「は」の重用が何ともいいし、「聖のごとく」から「われは寂しむ」と続けた四五句が円滑でなくていい。しかしこの歌にはそれ以上の何かがある。以下略」と口を極めて賞めている。私達に親しい「赤茄子」や「動く煙」や「黒き葡萄」や「白桃」の歌もこんなに賞めていません。私は再度読み返したのですが、残念乍ら身にしみるような遠く清いひびきを感ずることが出来ませんでした。

 それでは責められるのは私でしょうか佐太郎でしょうか、これも残念乍ら私は私であるとおもわざるを得ません。佐太郎は生の沈潜に於て稀有の境地を拓いていった歌人です。しみじみとした味わいに於て独歩のものをもった作者です。彼はその沈潜の目の故に他の歌よりも秀れて見えたのだと思います。それだけに彼は私の感じることの出来ないものを感じたと思わざるを得ません。

 沈潜するとはものごとの奥底に入ってゆくことです。それは静かなもの、寂しいものに 入ってゆくことです。普通静かといえば音の無いことだとおもわれています。併しそれは静かではありません。少なくとも創作としての静かではないのです。創作としての静けさは、ものおとを包む自然の大きさ、生命の深さにあるのです。例えば鐘の音が渡ってゆくことによって、果てしない自然を知るが如きです。雑踏にいることによって、限りない生命のつながりを見るが如きです。唯包む大きさ深さに於て見るとき、ものの大小、猥雑は消えて、全てあるものは限りないもの、果てしないものの現われとなります。それが静けさであり、寂しさなのです。

 私は日本人の心はこのようなものを志向し、道というのはこのような心を実現しようと したことだと思います。近代は沈潜の方向ではなく、ものごとの輻輳する方向に進んでいます。実存はその至り着いた所であると思います。それは相反する方向です。併し文化は常に相反するものの統一として進んできました。私達は境地的なものの深さを忘れてはならないとおもいます。私はもとよりですが皆さんも、冒頭の歌に佐太郎のように讃嘆する 目を養って下さい。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

芸術の起源について

 一体私達が自己の情念を形に表現すると言うのは何処から起こったのであろうか。目に盛り切れない自然の美しさが、自ら絵筆を運ばしめたのであろうか。転転として夜を徹する異性への愛慕が思わず嘆声を発せしめて、凝って章句となったのであろう か。はつ夏の風に流れる新柳の枝が知らず人を舞踊に導いたのであろうか。

 歴史の教えてくれるところでは、其の何れでもないようである。人間は本来自分の欲求の中からは何等よりよい高次な形を生まなかったのではないかと疑われるばかり である、と言うよりは原初に人間が目覚めた時、対象に向かう人間の目は我々と著し く異なっていたのではないかと思う。私達が見ている自然は長い歴史によって洗練さ れた眼の対象となっている自然である。画家と材木商が同じ木を見る時、形が同じで あっても其の内容は異なると考えられるであろう。ロダンは前の道を行く少女を眺め乍ら、「此処に全フランスがある。」と言ったという。一人の少女、一本の木の形が定まるまでの永い歴史と風土への洞察を持つ者のみが発し得る言葉である。野卑な者には其処に肉欲の対象があるのみであろう。対象とは主体的深さの体験的全体である。それでは原始人の体験的全体とは如何なるものであったのであろうか。私達は最早原始人に還る事は出来ない。文化的遺産と、現存する原始的生活を営む者から推測するのみである。

 夏の夜を賑わす盆踊の由来は地獄の亡者が一日の休みに歓喜する状を現したものと言う。言われて見ると成程と肯ける動作であるように思う。それならば何故に地獄の 亡者の動作を模ねるのであろうか。其処には原始の霊魂の思想があると言われている。それはこの現象界とは別に霊魂が存在し、諸々の現象界の形象は霊魂によって起こるのである。同一の形は同一の霊魂によって起こるのであり、今我々が此処で地獄の所作を持つ時、亡者は地獄に於いて歓喜すると信ずるのである。そしてこの信ずると言うのは、我々が信ずるか、信じないかとの信ずるかではなく 存在其のものなのである。恰も我々が大地を歩むが如く、状態其ものなのである。私達が淡路で見た踊りも、其の動作をなす事によって、蛸の増殖、豊漁を祈ったらしい。人間の骨がな くなったかと思う迫真の技は、同じ神霊によって海中に蛸が生まれると信じたのであ る。獅子舞は悪霊を追払うのであり、田植踊りは稲の豊饒を祈るのである。南方の 土人は戦に出る前に敵を散々やっつける踊りをして勝利を軍神に祈ったと言う。そし て若しも敗北した時は味方の劣勢によってではなくして、軍神の障りによったのである。

 亦面は面の持つ威力が其の人にのりうつると信ぜられている。土人が怪奇な面を被 るのは其の目、其の牙、其の角等の破壊力が其の人に備わり、悪霊を退散せしめると信ずる故に他ならない。お多福の面は其の豊満、優美に於いて作られたのではなく、其の多産、其の健康に於いて作られたのである。そしてそれは作物の豊饒に関わる霊の作用の信仰によるものである。舞踊はまさに神霊への一致と其の発現として其の起源を持つと言い得るであろう。

 いきいきとした躍動感に於いて発見者を驚かしめたクロマニヨンの絵画は、彼等の生活の記録ではなく、恐らく彼等の狩りようの豊富なる事を祈った祭壇として描かれたものであろうと言われている。其の事は即ち蛸踊りと類型を同じくするものと言わなければならない。即ち描かれた動物の繁殖への呪術だったのである。

 弦楽の初まりも、出陣に際して弓の弦を鳴らして戦勝を軍神に祈ったによると言われている。

 詩も其の発生を同じくするようである。

 最古の詩と言われる、印度のヴェーダを紹介した辻直四郎の初章を借用して、論を進めてゆき度いと思う。『ヴェーダは「知る」を意味する語根から作られた単語で、宗 教的知識を表し、その知識を載せる聖典の総称となった。ヴェーダは本質的に宗教的文献であり、最初から祭式との関連に於いて発達したもので、協同して祭式に参与する祭官の職分に応じて、四種に区別される。神々を祭場に招き、讃踊によって神を称えるホートリ祭官に属するリグ・ヴェーダ、大部分はリグ・ヴェーダに属する詩節を一定の旋律にのせて歌うウドガートリ祭官に属するサーマ・ヴェーダ、祭祀の実務を 担当し、供物を調理して神々に捧げるアドヴァリウ祭官に属するヤジュル・ヴェーダ。 以上は古来三ヴェーダとして絶大の権威を享受した。最後にアタルヴァ・ヴェーダは これ等三ヴェーダと趣を異にする。災禍を払い、福利を招き、仇敵を調伏するなど、 本来主として呪法に関するものであるが、のち適当に補足されて第四ヴェーダの地位を獲得し、祭式全般を総監するブラフマン祭官に属するものとなった』即ち其の根源は神への讃歌なのである。而し多神論の印度に於いては、神とは諸々の現象が持つ霊である。古代に於いては言葉其のものも霊であり、言霊の働きによって讃辞其のものが直に神の威徳として備わると考えたのである。その事は「琉球おもろの研究」の中で鳥越憲二郎氏も言っておられる。天子即位の時、女神官の神迎えの歌によって天子たる徳が備わると考えたのである。古代に於いて詩人は神官であり、宮廷詩人であったのは、詩が斯く神霊との関わりに於いてあったが故と思う。

 生命は生存せんと欲する。人類が初めて知恵の目に自己を見出でた時、最も驚いたのは死であったであろう。生きているものが死ぬ、自己の内に存するこの自己矛盾は 大なる恐怖である。私はこの死を外に投げ出した時、即ち霊の存在があったと思う。霊とは人間が生命の自己矛盾に於いて自己を見出でた原初の相であると思う。死を外に投げ出したものとして霊の形相は悪である。霊は其の原型に於いて悪霊である。しかして一瞬の中に生けるものを絶対の無たらしめるものとして、無限大の力である。原始人はおおむね死は死者の霊の誘いによると信じている。暴風雨、地震、悪疫等は偉大なり人間の死霊であると信じている。生存を欲する生者はこれに如何にして 対うのであろうか、アンデス山脈の奥深く未だ原始的呪術社会を営む村落に潜入、生 活体験をした佐藤信行氏の記録を抜粋して見る。

 「此処で注目する事は、こうした病を人知れず村境の山頂から村外にむけて追い払う 観念である。アンデスの山道の峠が、山頂は村境、部落境になっている。ここは亦精霊達の住家にもなっている。村の中で起きた災いは全て山頂から捨てられるのである。インディオにとって村境は単なる土地のナワバリだけのものではない。彼等にとって最も恐れられている悪霊ニャーカが死後八日間生前の部落をさまよい、その後、白嶺の頂にいくと信じられている死霊も、すべて村境の山奥にいるのだ。こうした悪霊は 皆、村境の反対側に押し込められてしまうのだ。

 こうした観念から、万年雪をいただくアンデスの白峯もインディオにとっては美しい姿として目に映じているのではなく、悪霊の住家として恐れられているのだ。たかが村境ですら悪鬼横行しているのであるから、あの雄大なアンデスの白峯には、ありとあらゆる悪霊の親玉がたむろしていると恐れられているのは無理からぬことである」此処では山頂から捨てる事になっている。「部落境の峠や、村境の山頂は村へわざわいが入り込む危険な場所でもある。アンデス山岳の山道を旅行すれば処々に小石を積んだ塔を見かける。これはアパシマータと言われるもので、峠には必ずと言ってよい程ある。 中略 村境を聖なる場所としているのは、実は村に災いの入るのを、此処で未然に防ぐための村の神、部落の神の奉斎の場であるのだ」此処では奉斎によって、霊を鎮めようとする。

 そしてこの村には呪者がいて、秘密に白峯の大悪霊に仕え、交通して、その霊力に よって或者を呪い殺し、或は病者についた小悪霊を追払うのである。

 斯くして死霊の絶大な力は生へ転ずる力ともなる。そしてそれは生産力の発展と共に、さまざまな転生の力となるのである。私は荒魂に対して、和魂の顕れたのは農耕 の成立によるのではないかと思う。

 絶対的力としての超越者を外に見出したのは、人間の生存意志の自覚としてであり、 生存意志の自覚として、それは転じて生となるべきものである。

 私は情念が形を現して来たのは此処にあるのではないかと思う。西田幾多郎先生は、 神は生産に関わると言われる。より大なる生存への意志が神を樹てるのである。そして芸術は、死霊の絶対的力を、人間の自己矛盾の内容として、絶対生への転換を持つ時現われたのであると思う。前述の舞踊、絵画、彫刻等は、神霊に於ける死生転換の自覚的発端としての技術があると思う。

 我々の表現への意志は、対象の調和、主体の趣向より起きたのではなく、生死転換 の対抗緊張より生まれたのであると思う。自覚的生命として人間は、神霊的超越者を 持つ事によって、真に偉大なる生の第一歩を踏み出したのである。もとより自覚的と 言う無限に自己否定的と言う事である。形相を持った神霊は否定されなければならない。キリストが「悪鬼よ去れ」と言った如く、近世が神の否定によって成立した如く。而し神霊は個の自覚に対する全の成立の発端だったのである。神の系譜はそのまま人間の自覚的発展の軌跡であったと言う事が出来る。

 以上芸術の起源は、美の本質についても種々の事を示していると思う。先ずそれは超越的全体者の形相を個々に於いて見ると言う事である。ヴェーダの序文に「古来印度において、ヴェーダは人間の著作と考えられず、聖仙が神秘的霊感として感得した啓示を認め、これを総括して、天啓文学と呼び」と書かれている如く、霊感的であると言う事である。日本でも佛彫家が一刀三拝して、その顕現を祈った如く、知らざる深奥に誘われるのである。誘なうものは個々人を超えて、個々人を成立せしめる全体者である。西田幾多郎先生は、美は時代の様式的正であると言われる。芸術は何よりも全存在の形相をこの我に於いて明らかにするのであると思う。

 つぎにその形相は深く生存的であると言う事である。 死生転換的であると言う事である。

 涙を拭うて見る人生は美しいと言われる如く、矛盾の中に無限に形相の襞があると言う事である。ラルコリーニコフが娼婦ソーニャの前に跪いて、「全人類の苦痛の偉大さに跪づく」と言った如く、芸術の深さ、高さは人間矛盾の深さ高さである。勿論時代に於いてその形相は異なる。純粋視覚としての近代絵画は、何処に其の生存の翳があるかと言われるかも知れない。

 而し私は純粋視覚は近代的内面的必然と其の軌を同じくするものであると思うもの ある。芸術の永遠は全体者の時間的形相である。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

芝田さんを偲ぶ

 みかしほに入って五、六年程経た頃であったとおもう。藤原優先生より歌論の雄として芝田すみれさんを訪うことを奨められた。私は早速自転車で、閑寂な方丈の山荘をおとずれたように記憶する。其の時に何を話したか忘れてしまったが、厚いもてなしを受け、翌月の美加志保に私を主題にした作品を発表されたのをおぼえている。私も余程気が合ったのであろうか其の後度々お邪魔をした。話題は歌よりは多く宗教的なものに関してであった。仏とは何か、悟りとは何か、絶対とは何かといったようなことをくり返し論じた。若い時より病に罹られ、山中にあって雲と鳥とを友とされた生活では、それは切実な問題であったのであろう。それに生れが仏門ということもあったのであろう。よく研究をしておられた。私も生死の問題を生涯の大事としていたので話は尽きることがなかった。主として芝田さんが問われ、私は答える方に廻った。当時まだ考えの未熟であった私は、エネルギー恒存律と、霊魂の不滅の相違について答えることが出来なかったのを思い出す。

 氏は斯る永遠なるもの、不滅なるものを思慕する高貴なる請神と、制御することの出来ない憎しみの情念をもっておられたようにおもう。それは何うすることも出来ない薄幸な運命が、突破口を求めて噴き出ているようであった。自分の非力に対する、自分への怒りが形を変えて出現しているようであった。私は氏が憎しみの相手を語られるとき、憎しみを糧として生きておられるのではないかと思ったことがある。高貴なるもの、低俗なるもの、全ての人間はこの二つを糧として生きているのかも知れない。

 晩年の氏はリルケに傾倒しておられるようであった。そして矛盾という言葉を愛用して おられるようであった。併し私は氏が真に矛盾が解っておられなかったとおもう。何故なら自分の矛盾に対する、痛切なる把握を見ることが出来なかったからである。内在する高貴なるものと、低俗なるものを一つに於て見ようとする努力がなかったからである。

 ともあれ私はこの相反する二つのものが共に、氏の運命の根底に関っているようにおもう。それだけにひたすらなるものであった。私の知る限り、氏は妥協を許さない精神をもっていた。そこには小児的なものさえ思わせるものがあった。氏の思い出には清純なものがつきまとう。それはそのひたすらなるものに関っているようにおもう。

 容易に他者の言葉を肯わない氏であったが、私にはよく耳を傾けて下さった。初めて訪ねたとき、氏は既に短歌草原に重きをなす人であった。私は天性の無礼者である。駆け出しの癖に、忌憚なき言葉を身上としていた。それを首をかしげ、手を耳に当て、顔を突き出すようにして聞いて下さった。それは真摯そのものであった。終生自己も他者も偽ることのなかった氏の思い出はさわやかである。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

リズムについて

 芸術を語る時によくそのもののもつリズムが言われる。リズムとは如何なるものであろうか。私自身判っているようで曖昧である。以下私自身に明らかにする意味に於いて考えて見たいと思う。

 生命は形をもつ。形をもつ生命がそれ自身によって動くのが動物である。動くとは、抵抗を克服するものとして飛躍的である。静と動の反復を繰り返す。私はそれがリズムの原型であると思う。例えば我々が歩く時に一方の足を出し、一旦下ろして大地の抵抗を克服してもう一方の足を出す。それを繰り返すことよって我々は動く。それがリズムの基本的なものであると思う。ぼうふらも尺取虫も斯る意味に於いてリズムをもつ。

 生命の動きは機能の複雑化に随って多様化する。ぼうふらは唯上下するのみである。

 尺取虫は屈進するのみである。蛙は歩み、跳び、鳴く。哺乳動物に至って快、不快の 表出をもつ。犬は見れないものに吠え、見狎れたものに尾を振る。軽い噛み合いの 戯れをなす。雌犬を見てはまっしぐらに走り出す。馬の疾駆は軽快である。而しそれ 等の動きは尚芸術のリズムではない。身体として与えられたものの直接の表出である。私はそれが芸術としてのリズムとなる為には自覚的、表現的とならなければならないと思う。身体の動作が芸術的リズムとなる場合にも、身体が身体を超えて、より大なるものを表すものとして、身体の外化がなければならないと思う。

 人間は自己を外に見る事によって自己を知る。外に見るとは物を作るという事である。物を作るという事は技術的ということである。手をもつことによって人間になったと言われる如く、我々は技術をもつ事によって自己を知るのである。物を作る事によって我々の動きは無限に複雑、多様となる。無限とは一つの物の形が次の形を呼ぶということである。技術が技術を生んでゆくことである。内面的発展をもつという事である。働くとは断るものを内包する人間の行為である。而し物を作ることは未だ芸術的創作でなければ、作られたものは芸術品ではない。私はそれが芸術の創作生命と なるには技術の根底に還り、作るもの自身を表現しなければならないと思う。

 一つの石を割って物を切る道具、戦う道具を作った時に人類の曙はあったといわれる。而しそれが何時、何処で始まったか知る由もない。技術ははかる事の出来ない過 去より営々として人類が自然と闘い、人間同志が戦った歴史の集積である。私達は先代より技術を習得した。先代はその先代、その先代とさかのぼって尽きる事を知ら ないものである。その技術の集積が世界であり、我々は技術をもつ事によって世界に 参加し、自己となるのである。私達は生まれて死ぬ。而し私達があるとはこの生死を 超えたはかる事の出来ない時間を内にもつことによって我となるのである。作られた 物は生死する我の生存の用に供する。その限り物は芸術品ではない。而し物は永遠なるものの働きより出で来ったものとして永遠の影をもつ、如何なる物の形も無限の過去より来り、無限の未来を呼ぶものとしての一面をもつ。私は我々が更に深い自覚として単に生死する我の用に供するのみでなく、永遠の面の純化に生きんとする時に我々の生命の働きは芸術を生むのであると思う。美のリズムとは永遠なるものに摂取された生命の自己実現であると思う。

 神の出生は生産に関わると言われる。神の超越は技術的形成の超越である。神の深さは技術のはかる事の出来ない時間の深さである。斯る意味に於いて芸術は神の顔を見んとする処より生まれたと言い得ると思う。弦楽は弓の弦を鳴らして軍神に味方の勝利を祈った事に始まると言われる。雨を乞うて蛙のしぐさを、猿や鹿の食害に対して追い払うしぐさを、戦に出でんとして敵を倒すしぐさを演ずるのが舞踊や演戯の始まりであると言われる。古代印度の詩の初まりは神に真の徳性を附与せんとするにあったと言われる。日本に於いても酒作りには酒作りの歌、田植には田植の歌が唄われた。そして田植も酒作りも神の行為であり、歌は神の言葉であった。私はこの神とは生死するこの我を超えて、我々がそれによってある技術的創造の世界の形象化であると思うものである。単に猿や鹿の真似をするのではない。生産活動のもつ時間の深さを介して人間の身体が持つ動き以上の動きをもつのである。唄うとは単に声が出たというのではない。稲作りなら稲作りの、無限の時間が生んだ言葉なのである。それ等は生存の用に供するものではない。時を超え、時を包むものが自己を現した姿である。人間の自覚とはこの深さに於いての自覚である。自覚は世界形成的である。私はこの動きが、世界の自己表現の動きがこの我の表現となる時芸術のリズムはあると思うものである。

 而し超越者が超越者である限り尚真の芸術はあり得ない。我々が近代的自覚という のは超越的なるものが内在的であるということである。我々の生死を超えた時間の深 さが直にこの我であるの自覚である。この我がそれによってあるとは、この我がそれをあらわにしてゆくことの自覚である。世界創造を神の手より、人間の手へと移らしめたのである。我々は神の僕ではなくして自由意志となったのである。超越的なるものが内在的なものであるとは、身体の有限性を超えた時間の深奥を我の内面として外 の形にあらわさんとする事である。我々の身体は単に生死する身体ではなくしてこの 深奥が働く身体であるの自覚である。私はこれは神の放逐を意味するのではなくして、我々が真の自己となることは神が真の神となった事であると思う。

 近代的自覚は表現に無限に変化を与えたという事が出来る。神の慈愛と威厳を表す のみではなくして、隣人の哀しげな目も永遠なるものの表象となった。人間の身体に無限の時間の形が見られた。裸体は最も美しいものの一つとなった。それは宇宙創 造の到達点として、宇宙創造の出発点としてあらわにすべきものとなった。亦我々の目の真実は何かということから新しい色彩、新しい線が作り出された。近代芸術は視覚の無限なる内面的発展であるということが出来る。視覚が無限なる創造的時間を 負うものとして、色彩が色彩を呼び、形が形を作るのである。自己を真実存在として 限りなく自己の深奥に還りゆく目となるのである。近代芸術のリズムとはこの内面的 発展のリズムであるということが出来ると思う。そして私はここにリズムの自覚があると思う

 本来技術は内面的発展的である。一つの技術が次の技術を生む。其処に技術の体系があり、知識が生まれる。唯それが我々の有限性を超えた時間の形相として成立つが故に、我として見る事が出来なかったのである。視覚の内面的発展とは斯る創造者の目となることである。近代的自覚の自己の発見とか、神の否定とかの根底に技術としての生命の自己創造の必然があるのである。内面的発展をもつ目とは、永遠の時の目となって働くことである。私は前にリズムが芸術的となるためには自覚的、表現的とならなければならないといった。それが内面的発展である。感覚の内容に、感覚をもつ身体の有限性を超えたものを見てゆくことである。感覚の内容自身が宇宙的生命の創造の内容としてあるものを、我々がより多様なる内容として作る事である。

 自覚に於いて外に自己を見てゆくとは、作るものとしての内をもつことである。働くものは内となり、作られたものは外となるのである。斯るものとして外を作ることは亦内を作ることである。外に無限の形を見てゆくことは、内に無限の感性を養ってゆくことである。深大なる情緒を生んでゆくことである。芸術的リズムとは形を生んでゆくこの情緒の抑揚である。我々は美術館に於いて近代作品に接する時、最早我々の感性より遊離してしまったかと思われる。而し遊離から表現は生まれて来ない。技術的展開としての、歴史的現在の感性の表現なるが故に我々の足を運ばせるのである。我々は我の心情に於いて作品を見るのではなく、作品に於いて我の心情を見るのでなければならない。我々は深く世界によってあるのである。

 私は初めにリズムは静と動の反復であると言った。そして生命の機能の複雑化と共 にリズムは多様化するといった。そしてその自覚的創造的なるところに芸術のリズム はあると言った。生命は形を持つものが動くものとして、空間的、時間的である。静として空間的であり、動として時間的である。時間と空間は相反するものである。間の否定として時間はあり、時間の否定として空間はある。動は静の否定であり、静は動の否定である。而して、動は静を含み、静は動を含む処に生きている生命があるのである。私は斯かるものの自覚としてその動的方向、静的方向に様々のリズムを見る 事が出来、様々の芸術の形態を見る事が出来ると思う。私に音楽を語る資格はない、音楽はその形の自由なる流動に於いて動的方向の極みにあるものと思う。声楽、舞踊の如きはその身体的の所与性に於いて制約される故に、音楽の如く純であるとは言えないが矢張り動的なるものと言い得るであろう。それに対して建築の如きはその実用性に於いて変化を拒否する。建築の美は静的なるリズムをもつと思う。陶器はその可塑性に於いて建築より自由である。而しそれは矢張り静的なるリズムの美であると思う。絵画、彫刻は客観的対象を写す、其の静、動は多くその民族に特性に関わるように思う。其の時代に関わるように思う。

 西田幾多郎博士は、リズムそのもの程、我々の自己そのものを表すものはない。リ ズムは我々の生命の本質だと言ってよいといわれる。リズムは生命の直接なるものであると思う。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

リズムについての概要

 生命は形をもつ。形をもつものが自ら動くのは飛躍的である。飛躍的とは静と動の相反するものをもつということである。例えば私達が歩くのは一方の足を出し、止まって亦一方の足を出す、この反復が私はリズムの原型であると思う。尺取虫もぼうふらもリズムをもつということが出来る。

 生命の機能が複雑となるに随って動きは多様となる。即ちリズムは変化をもつ。尺 取り虫より蛙、蛙より犬は複雑多様となる。

 これ等の動物に対して人は働くものである。驚きは目的をもつ。働くとは内に技術をもち、外に物となることである。斯る技術は石器、青銅器、鉄器の時代と、生死するこの我々の生命をはるか超えた長い時間によって創り出されたものである。私達が働くとはこのながい時間を自己の内にもつということである。はかり知れない祖先の働きを伝承しているということである。私達は永遠なるものによってあり、私達が働くとは永遠なるものが働くのであると知るのが我々の自覚である。言葉は長い歴史の中に生まれたものである。その言葉によって自己を知るとは、永遠なるものに映して自己があるということである。

 芸術のリズムはこの永遠なるものが働くということであると思う。物は我々の生活の用に立つものであると同時に、永遠なるものが作ったものとして形は永遠の相を表す。永遠の相を表すとは、長い歴史としての時代の変化発展が、現代のこの所のこの我によって凝縮し表れているということである。

 我々を超え、我々がそれによってあるものを我々の祖先は神として捉えた。芸術の発端は神の姿を現すということにあった。踊も音楽も詩も、神に祈り、神を現して、神の恵みを求めんとするところより生まれたということが出来る。而し神の前にひれ伏している間は生命は真の己れを現わす事は出来なかった。

 近代的自覚は超越的なるものが内在的であるとして打樹てられた。物の創造は人間 の創造として、我々とは自由意志として神を放逐した。神の慈愛、威厳のみでなく、隣人の哀しげな目も永遠の相をもつものであることを見いだした。人間が、そして裸体が宇宙生命の到達として、出発点とし捉えられた。内が外として、生命がそれ自体として芸術は其処に本当のリズムを持ったということが出来る。

 私は最初にリズムは飛躍として静と動の反復であると言った。私はこの相反する二つの方向に様々な芸術を見る事が出来ると思う。最も動的なるものとして音楽、そして舞踊、声楽など動的リズムを持つと思う。実用としての建築などは静的なるリズムを持つと言い得ると思う。陶器はその素材の可塑性に於いて建築より自由なるも静的 なるものと思う。絵画、彫刻は対象を写すものとして、民族性、時代性、作者の個性 によるところ大と思う。ともあれリズムは生命の本質、自己そのものの現われである と思う。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

外に見ると言う事

 「死について」に於いて私は、死を外に投げ出す事によって原始の人は霊を見たと言った。そして原始人はこの霊に怖れ、この霊に仕えたのである。一体この外に見ると言う事は如何なる事であるのであろうか。

 数の最初に把握されたのは2であると言われる。それは男女であり、男女が人間存 在の根源的形態であり、根源的形態の自覚より先ず目覚めはあったが故と言われている。現在でも原始生活を営む土人の中には10迄しか数を持たない者がいると言う。10と言うのは人の手の指の数である。この事は先ず人間が知ったのは存在形態としての自己自身であったと言う事が出来ると思う。知るとは自己を知る事であったのである。而しこの2とか10とか言うのは、身体の直接態であって真に外と言う事は出来ないと思う。

 私は数が真に対象として外となるには、数自身の内面的発展がなければならなかったと思う。幾何学はナイルの洪水に対する土地の確定の為に見出されたと言う。而して一つの定理の発見が更に他の定理を呼んで一つの群れをなすのである。一つの形の数との結合が、更に他の形の数との結合を導き出すのである。

 物理学は関節覚、筋肉覚の無限の発展の内容であると言われている。 恐らく墳墓の構築の如きが其の発端をなしたのだろうと思われる。腕や脚の延長として挺子や滑車が見出され、見出されたものが更に次のより大なる力を見出し、一つ群れをなした処より、学として体系をもつに至ったものであると思う。

 即ち直接態より離れて、直接態に見出されたものが、直接態に対立するものの内容 となった時、それ自身の発展をもち初めるのである。我として把握されたものが。我 に対立するものの内容となる事によって、我を超えたものとなるのである。否直接態すらすでに見出されたものとなる時、我を超えたもの、我に対立するものの意味を有 するのである。

 知ると言う事は自己が自己を超え、自己に対立するものとして初めて成立するものである。自己が自己の対象となる事によって自己を知るのである。唯直接態としての身体を超えたものとして、身体を否定して来るものとして、対立する意味を有するものの内容となった時、物は内面的必然をもち、学的体系として逆に我々を限定して来るものとなるのである。

 此の事は勿論超越的なるものとして我より離れて仕舞ったと言うのではない。物理 学が関節覚、筋肉覚の無限の発展であると言われる如く。我々はこれに於いてより高い自覚に達するのである。絵画が視覚の発展であり、生理学が器官病理の発展である如く、世界はコンパスの軸を身体に於いて描かれた巨大な像とも言い得るであろう。巨大なる我の実現であると言い得るであろう。其の巨大に於いて世界は我を包み、我を限定して来るのである。外とは逆に我を限定して来るものとして外なのである。単に我に非ざるものとして外なのではなくして、我を外に見出す事によって我に非ざるものとなる事によって外なのである。

 私は例を科学や芸術にとった。而しそれ等は尚感覚的部分的なるものの内容として 真に我を限定して来るものではないと思う。唯それだけに外に見ると言う事は、それ 自身の内面的必然をもつものとして、我を超えて我に対する意味が鮮明になると思っ たのである。生命は死をもつ事によって生命である。生死の外化に於いて我々は最も 具体的な外をもつと思う。「神について」に於いて言った如く、霊は絶対的な力として我々に迫るものである。モーゼの十戒に見られる如く、霊の発展としての神は我々に命令するものである。キリストに於ける如く、唯恩寵によってのみ我々はあり、啓示によってのみ世界はありとするものである。

 私は斯る具体的生命の外化の現化的尖端として国家があるのではないかと思う。国 家のみ戦争を宣言し、死刑を宣告し得る、それはかつての神霊の力を承るものである。唯国家もあらゆるものを内包しつつ発展するものとして、世界国家の方向に動いているように思われる。唯私は現代史について余りにも知らなさ過ぎるので語る事が出来ない。

 我々の自覚は斯く自己を外に見るものとしてあるのである。対象構成的に我々はより大る生へと歩みを進めてゆくのである。私達は最早歴史の流れをはかり知る事は出来ない。唯その波間にほんろうされるのみである。而して其の巨大こそ真個の我なのである。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

短歌と俳句

 先日或る人から、「短歌と俳句はどう違うのですか」と尋ねられた。私は「そうですね、勿論字数の違いはありますが、根本的な違いは俳句は季がなければならないことでしょうね」と答えた。私は答え乍ら季がなければならない詩は世界でも外にないのではないかと思った。そして帰ってから季とは何かと考えた。

 季とは一年を周期とする気象の変化であり、変化に対する生体の対応である。それ は四季に分かちて日本に於いて最も鮮明であると言われる。よく日本人の繊細なる感性は斯る変化の微妙の上に培われたと言われる。

 私は季がなけれならないとは自然を感性の根元として、自然の中に没入することであると思う。我をも自然として、何処迄も自然の中に我があるのである。自然の中に没入するとは我の情念を否定して自然のあるがままが情念となることである。

 菜の花や月は東に日は西に

 春の海ひねもすのたりのたりかな

 秋深し隣は何をする人ぞ

 そこに個人の喜怒哀楽はない。自然との深き一体として、自然は我のなりたるもの、我は自然のなりたるものの唯一生命があるのみである。私は其処に日本的なるものの深い自覚を見ると共に、日本的生命の完結を見ることが出来ると思う。私はわびとは斯る自覚の空間的方向であり、さびとは時間的方向であると思う。

 それに対して歌垣より発し、相聞えと発展した短歌は、何処迄も我と汝の世界である。相対の世界である。生者必滅、会者定離、生々流転の世界である。短歌とは「嘆 「き」であると言った人がいる。

 月見れば千々にものこそ悲しけれ我が身一つの秋にはあらねど

 さびしさに宿を立ち出でて眺むれば何処も同じ秋の夕暮れ

 それは悲傷の世界である。そしてこの悲傷はこの我がこの我としてある限り避くべからざるものである。哀歓を消してゆくのではない、哀歓の方向に展きゆくのである。勿論俳句も斯る哀歓を内包する。内包しつつこれを超えた自覚として否定するのである。私はその意味に於いて俳句の高次性を肯うものである。江戸時代に幾多俳句の俊秀が生まれたのも宜なるかなと思う。

 而し時代は移る。私は俳句はその高次なるフォームの完成の故に現代の表白に耐え 得ないものと思う。近代的自覚は個性の発見であり、自由意志の確立であった。個性 の発見とは世界の中のこの我が逆に世界を内にもつことである。創造的世界の創造的要素となることである。近代的技術発展によって季感がうすれたということではない。没入としての基本理念が覆されたことである。

 個は個に対することに個である。それは矛盾として闘争としてあるものである。その点に於いて我と汝と相面し、情念の多面へと展開していった短歌の方が現代の表白に適しているようにと思う。言いかえれば短歌の方が近代的自覚の表白により近縁的であると思う。

 現代歌人は修羅なき所にも修羅を見ようとする。其処に対立するものの深淵はあり、それによる人間精神の拡大が調和である。アンドレ・ジイドは悪魔の囁きなくして芸術はあり得ないと言った。俳句も亦近代詩となるためには悪魔の声を聞かねばならな いであろう。

(後記) 本文は子午線に寄稿したものである。歌を作る者として俳人の反論を得たいと 思って後半敢えて暴論を草した。読み返して大いに恥じる次第である。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

写生について

 正岡子規が写生と言って以来、作歌理念は写生論が主導したようである。而し写生 とは如何なるものかとなると千差万別、その帰する処を知らないようである。以下私 は一切の写生論を捨てて、見るということから写生を考えて見たいと思う。

 見るということで思い出すのは和辻哲郎氏の『風土』の中の一文である。氏は「自分は曽って津田青風画伯が初心者に素描を教える言葉を聞いた事がある。画伯は石膏の首を指し乍ら言った。諸君はあれを描くのだなどと思うのは大間違いだぞ。観るのだ、見つめるのだ。見つめている内にいろんなものが見えて来る。こんな微妙な影があったのかと自分で驚く程、いくらでも新しいものが見えて来る。それをあくまで見入ってゆく内に手が動き出して来るのだ。」 歌人ならば言葉が出て来るのであろう。 この見るとは何という事であろうか。例えば枝が二本出て花びらが五枚あるといった如きから私達の言葉は出て来ない。痩せた土に生えた草が小さな葉を出し、小さな 花を咲かせて生命を完成させんとする時に自ら言葉は出て来るのである。私達は其処に自分と同じ生命の姿を見るのである。

 コスモスの花も、さえずる雀も、宇宙の生命が生み出したものである。そして私達も亦宇宙の生命の現れである。そこに深い同一がある。咲き出ずる花の妙は我の妙であり、我の妙は花の妙である。そこに見る事によって顕われて来る限り無い陰翳があるのである。この同一が愛である。

 見るとは我と対象が相対立するのではなくして、見るものと見られるものの根底の一に還ってゆく事である。歌人は言葉によって見る。目が言葉を持つ。この言葉は根底の一に還ってゆく愛より生まれるのである。其処に作歌が写生である所以があると思う。そこより我が生まれ、対象が生まれるのである。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

歌の価値について

 大分以前に拾い読みした一挿話であるが、織田信長が足利幕府を倒した時に、将軍 の料理人を呼んで食事を作らせた。そして丹精をこめて差し出した料理を一口入れるなり吐き出して「こんな水くさいものが食えるか」と言った。二回目も「まずい」と 言った。三回目に「さすが海内無双である。生まれて初めてである」と言って褒美の品を賜った。その時に料理人が「一回目は私の腕の限りをつくした高等な料理でございます。将軍は最も好まれました。三回目は下品な田舎料理でございます。」と言ったそうである。

 何故こんな事を書いたかと言うと、最近自分の好きと思った歌がよい歌である、という幼稚な論理を持つものがいると聞いたので、下位感覚である味覚ですら内面的発展をもち、好き嫌いを越えて、味わう力が出来なければ解らないものがあると言いたいためである。もし好きな歌がよいならば一つの歌の鑑賞に於いて一人が好きだからよいと言い、一人が嫌いだから悪いと言ったら評価はあり得ないことになる。そこに作歌は無意味である。何故ならば意味は個的なるものが普遍的なるものを担うところに成立するが故である。

 芸術の起源は好き嫌いによるのではなくして、神の相を露わとするところにあった。短歌の如きもその祖型と言われる歌垣は、神の喜びの具現にあったのである。即ちかくれた超越者をこの我に於いて形あらしめることにあったのである。超越者とは世界として集団を一つならしめる力である。共感をあらしめるものである。私はよい歌とは、生きているこの我が動いている世界を如何に言表するかにあると思う。

 好き嫌いは個体に関わる。而し価値は世界に関わる。粗野な人間は粗野を好む。しかし芸術は人類が永い歴史に於いて洗練して来たものである。私は斯る見地から「美とは時代の様式的正である」という言葉に共鳴を覚えざるを得ない。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

創作としての感動について

 短歌は感動であると言われる。そして感動とは何かとよく問われる。普通感動は感激と同じ様な意味に使われているように思う。而し私は日常としての感動は創作としての感動と其の質を異にしているように思う。例えば「失敗し金に困りている我に友は要るだけ貸してくれたり」という歌を作ったとしよう。作者にとってその事柄は大なる感動すべきものであったであろう。而し作品として優れていると言うことは出来ない。此処に一人の老婆を仮定して、その老婆がコンクリートの上に根を出した草を見たとしよう。老婆にとって草は唯抜き捨てる対象であろう。その老婆が孫に何かをもらったとすれば、それは大なる感動であろう。而しその二つを短歌にしたとしよう。何方が優れているか、私は前者と思わざるを得ない。何故であるか、其処に創作の感動があるからである。

 私は創作に於ける感動は自己発見であると思う。自己発見とは何か。無意識、亦は 意識下に埋没しているものを言葉の光に照らし出すことである。孫への感動は日常言葉によってすでに表わされている。根を出した草は言葉を見出さなければならない。其処に自己の拡大がある。以下例を引いて私の考えを進めたいと思う。

 鬼子母のごとやはらかき肉を食うなれば僅かな塩を吾は乞ひけり 葛原妙子

 評釈は記念号に出しているので見て戴く事にして、この歌にある現実の事柄は唯やわらかき肉を食ったというだけである。作者はその時の心の動きをこれ等の言葉に発掘したのである。

 私より私は去り見知らざる女不機嫌をかくすことなし 北原郁子

 これも不機嫌な自分があるだけである。嫌だなあという心の動きを、この言葉に照ら し出す事によって新しい自分を拓いているのである。私達の今は無限の過去、未来につながっている。それを言葉に捉える事が感動であると思う。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」