無題 (6)

湧き上る霧が押し上ぐ山の峯一すじ青く天に遊べり
比えい山焼打したる信長は下天は夢を常うたひしと
欲しきものなきかと見舞に来り言ふ欲しきは大方禁制にして
追憶は母が大方占めてをり幸せなりし記憶なきため
けん命に血を循せる心臓など更けゆく眞夜に思ひてゐたり
八十のおきなのためにナース等の若きが眞夜を走る音聞く
朝の日が運ぶ新たも臥せる目に押れてわずかに頭回らす
葉の落ちて樹液少なく乾く幹露に並ぶ道となりたり
眞夜中のかすかな音に目のゆきて便を捨て呉るナースの動く

寝台にひとでの如くはりつきて旬日経たり明日も然らん
葉の散りてあらはな幹が乾きたる白き光りを返し並びぬ
昼も夜もいつとはなくて過ぎてゆき入院十日の検査するとど
照り出でて秋山紅き恍惚に向ひてゆける歩みなりけり
くれなひの樹液登りてゐるならん秋の山路の葉を分け登る
うすずみに暮れてゆきゐる夕山のなずみていつとはあらぬ淋しさ
ブルガリアヨーグルトとふを食べ終へて唇なめて夕食終る
幽鬼など作りて昔の人あれば静かならざる夜の雨そそぐ
静脈の青く夜の灯に浮びゐて安静ながく病みて臥しをり

交し合ふ枝に競へる紅葉に昼の陽差しは澄みとほりつつ
重なれる山の奥処に墓建ちていのち継ぎゆく人の住みたり
しっ黒の闇のカンバス七彩の花火を人は展げゆきたり
遠く飛ぶ翼をもてば高き木の梢に鳶は眼置きたり
つひ一つ食べし豆菓子レントゲン撮らるることを忘れてゐたり
夕闇に靴音生れ歩みゐる我の姿の消えてゆきをり
食べるなと言はれし故の腹空きぬ治りゆきゐる我にてあらん
差出してかざしゐる手に並ぶべく焚火の群に入りてゆきたり
生れたるいのちにこの世の声挙げて燕のひなは巣より乗り出す

賜りし花の蒼の開けるを瞳尋ねて朝の明けたり
ほつほつと緑の若芽吹き出でて古木乍らの今年新らし
輝きてカーテンのすきを日がもるる開けと呼べる声をひそめて
口開けて深き陰あり生涯を食ひて養ふいのちの底ひ
時が来て便意に立ちし腹腔の暗き底ひの秩序もちたり
寝台の狭きにいつしか順ひて伸ばせる脚のつかえ失せたり
大別山駆けて登りて敵追ひし脚にてありきベットにすがりつ
木枯しに吹き散されて転ふ葉の枯れて落ちしは行方を知らず
手を足をベットに投げて臥してをり癒えゆきゐるか医者が知りゐて

お通じがありましたかとナース問ふ弁証法より緊急にして
たわふだけたわひて柿の実りをり継ぎて栄へん必然にして
みとる媼みとらる翁病室の中はテレビが音なく写る
限りなくおや等仰ぎし星かげを仰ぎて夜の道かへりゆくかな
ながき時地中に距ていにしえの乙女は墓の壁に新らし
木の下に赤きポストのあることを見つけてあたり暫く見廻す
朝の口漱げる水に仰向きて今日も底なく晴れし空あり
忘れたる古き歌集の出で来りよみがへくる文字の新らし
吹き溜る落葉の量に足止めて並木は激しき夏の日経たり

夜の空を赤く点りて統べゐしが消されてビルの角に小さし
小さなる注射の針の刺さるるを怖れて皮ふは体を包む
蛆よりもたやすく人を殺す文字人なる故の憎しみもてば
鉄板を敷く一ところ音高く足踏みしめてわれの渡りぬ
聴診器胸に当てられ皮ふが包むわが暗黒の計られてゐる
死ぬべしと思ひ定めし体にて布団にひざを揃へ坐しをり
六つの管に採られたる血が並べられ各々異なる検べを受くる
冬の夜の眼は冷えに澄みとほり天を渡れる月と向き合ふ
身をつくし傷き生きし母なりき与ふるのみの一世にありき

神の御名遺りて草生ふ小道のあり人等つつしみ歩みし跡か
萎へ初めし早さに瓶の花りて臥しゐる床に旬日過ぎぬ
断っ立てて高く建ちゐるビルとなり果なく青く空の晴れたり
うつむきて来りし花と朝見みしに花びらいくつ卓に散ばる
人間が建てたる故に仰ぎをり空貫きてビルの輝く
巨きなるビルと思ひて仰ぎしがビルの中なる人間となる
天渡る茜の空に満つるとき染まれる我となりて仰ぎぬ
夜の灯に降圧剤の白く照り水をくむべく我を立たしむ
昼の陽のさんさんと照る山の道紅葉は己れに酔ひてゆきたり

幾年かすれば居らざるこれの世に怒れる我の声がひびきぬ
愛想笑ひなしたるわれのあるなれば人居る所を離れゆきたり
ひろげたる翼に空を従へて飛びゐる鳶は見ても見飽かぬ
音ありて耳あることを耳ありて音あることを臥して思ひぬ
窓渡る小鳥の声の入り来りしばらく空の青きに遊ぶ
朝の薬数確めて服みをへて病みゐる我のひと日初まる
蜜々と凝りて集る天心のしたたる原を歩みゆくかな
泳ぎゐし泥鰌も泥にもぐりゆき草枯る水は澄みて来りぬ
死にし故謝るすべをもたざれば言葉の荊負ひてゆくかな

下からは上は見へぬと常に言ふ小金を儲けて蓄めたる奴が
与へられし薬服みをへ用終るものの如くに横たはりゆく
すこやかな若物網に昇り来て臥しゐる我と向ひ窓拭く
病む胸に朝の光りの直ぐくして生きねばならぬ我となりゆく
ながながと足を伸ばして寝るとき生きる命のありたりしかな
伝へたる播州ひでりに米買ふな水に争ひおや等生きたり
萎へて来し花殻捨てて残りたる咲く花見つつ緊る瞳は
湧き上る雲を眺めつわが血潮応へぬ冷えをもちて循れり
ふくらめる霧が写せし天と地の伸びゆきはらりと落ちてゆきたり

2015年1月10日