目を閉ぢて己れを知らざる己れあり今亦一人の訃報がとどく
光紋が壁に映せる裏の庭このしずけさも動きて止まず
青深く澄みて見えざる山池の底ひと老ひし息を沈ます
そよ風の送れるままに水光る山の小さき池に出でたり
手の玉と書かれし神札祀られて睦月の池の水はしずまる
提げてゐるランプのひかりに現はれて虫は眞直にとびて来りぬ
灯を映し動かぬ虫の目を見れば棲みゐし闇の深かりしかな
手を温む光りの原に満ち亘り彼拠我が家の梅の花咲く
ぴったりと足に馴れたる古き靴歩こう会の空晴れ渡る
平らかな水に家並の鮮に写りて春陽原に亘れり
むき出しに削りとられし埴土見えて山の残りは若葉芽吹けり
春の陽に吾も生れしと思ふ迄芽吹きたる葉の光りを透かす
集ひたる人等に今日の晴れ渡り赤き白きの服を顕たしむ
産土の恨の魂は虫に枯る太しき杉の幹のみ立てり
太き枝幹の残りて杉の枯れ芽吹かぬものは光り返さず
草未だ枯れゐる原に牧草の新たな緑が風になびけり
乳牛の並びて枠より覗かせるうす桃色の鼻と出会へり
うす暗き牧舎に乳牛並びゐて一つ一つと目を交したり
芽吹きゆく山に虫喰ふ杉ありて枯れゆくものに眼は至る
点々と家が建ちゐて野の展け菜の花が見ゆ櫻咲く見ゆ
重なれる山をまたぎて舗道つき此処も分譲の看板掲ぐ
山槌に人家が見えて木の間より水の流るる音の聞ゆる
飛び立ちし蜂が落せる紅の蘇芳に庭の時移りゆく
竹群の直ぐく伸びゐる青き幹あきらかに見えて山の音無し
よごれなき毛をもつ猫が横に来て縁側に坐す吾と並びぬ
訪れし我に眼を光らせて己が領域猫ももつらし
すずらんの今朝もひと日の青さ増す若き葉群の露を置きたり
玉きはる今朝のいのちぞ熱き粥口とがらして吹き冷ましおり
継ぎて来しうす桃色の鼻の先乳牛は草食む顔を上げたり
書斎より出で来て音なき裏庭の縁に腰掛け眺むともなし
午後の影濃く落せる裏庭のつつじの朱はきはまりにけり
一夜経て開き切りたるてっせんの青き花ある庭とはなりぬ
コーヒーに落せし練乳歓声の如く揆くを見定めており
昼凪の庭に蘇芳の紅こぼし蜂あきらかに光りて飛びぬ
水を打つ庭暮れてゆき朝顔のつぼみはぐくむ闇が覆ひぬ
出でてゆく戸を引き寄せる音聞えひと日一人の静けさとなる
葉の厚く光り透さぬ社の葉の古りたるものを見さけつ過ぎぬ
庭の木に鳴きつぐ鵙の固き声も今は一人の留守居にて聞く
水底に動く眞砂のあきらかに寄せ来る波は足下に伸ぶ
ほのほがほのほを煽り燃ゆる火の一とき過ぎてしずまり初めぬ
燃え上る炎は風を呼び込みて逆巻きあふりて炎昇れり
関りのあらぬ瞳は動くなし病室に入る我を見てゐる
飯二杯と小児の如く答えおり医師の前なる我の素直に
サルビヤの緋のきはまりに澄みとうりひと年逝かむ庭の冷たり
設けたる足場の未だ架かりゐて新たなビルは空を区切れり
赤き土未だ新しく道のつき杉の林をつらぬき消ゆる
積み上げし工事残土の影粗く安全章旗風にはためく
降り出して散歩さす事出来ざれば罪もつ如く犬と向き合ふ