光りと影争ひてをり吹く風に波の起りし水の底ひに
おもむろに潮満ち来る遠き日の死にし肉親思へるがごと
利春さんこんな花でも見てゐると美しいなあと畦の老婦は
一つの花眺めてをりぬさまざまの光りと影の生れて来るを
ああ生きもの光りを生みて影を生み一つの花はひそかに咲きぬ
不幸にて泣くとふことの素晴しさ腰をかけたる石を眺めつ
生れくる光りが光りを生みつぎて一つの花の開きてゐたり
懸命に咲くとは如何なることにして一日に花は萎へてゆきたり
地の中の闇に生きたる永き時蝿は飛翔の殻を脱ぎたり
時長き地の中にて整へし飛翔か蝉は高く飛びたり
鳴く声に飛びし蝿ありはるかなる森を己の空間となす
飛ぶ蝉と殻もつ蝉の断絶と連続神に至る他なし
瓜の皮固くなりゐて日々の過ぎ亡びの秋の近くなりたり
瓜茄子を抜き捨て畑を整えぬ秋の野菜の種子を蒔くべく
蝉脱と大悟を言ひし佛僧の如何なる大空開かれをらん
結迦供座組みて修めし永き時蝉の地中に比すべきものか
わが命運べるものをわが知らず閉してをりし窓を開けたり
這ふ毛虫探して求め得べくなく光り反して蝶の舞ひ飛ぶ
這ふ毛虫舞ひる蝶を眺めをり同じきものといふを問ひつつ
棚の上に何かあるかと開くれば菓子なり忘れて度々買ひし
紙に見る澱滞をせるわれの文字良寛自由の筆跡に対す
争ひて生きし億年重ねたる月日の罪の量に我あり
過去を負ひ人は生きゆく争ひし遠き祖より体継ぎたり
欲すまま他者を殺せし戦なる時ありたりし心の動く
無制約者の欲望の底に棲はせて幾人殺すか知れぬ我あり
血に飢ふる刀のせりふ背負ひゐる歴史の重さはかり難なし
新聞紙二枚に亘る大写真五輪マラソン高橋優勝
わが知らぬ我の体は億年の営み重ねし命受けつぐ
思ふまま殺して見たき衝動の時に生れゐて平穏に居る
大悲心起させしめし大き罪歴史に流せし血の量のあり
投げつけし瓦微塵に砕けるを眺めて男頭垂れたり
見はるかす稲田は熟れに黄の映えて落?は今し山にかかりぬ
相似たる服に肩波動くとき各々異なる運命を持つ
風冷えて落?の赤しまだ生きて今年の暮れも迫り来りぬ
人間がつくりし幾つの色並びクレヨン箱に仕舞はれてゆく
並びゐる箱のクレヨン取出さる順番競ふ光りを反す
茜差す光りの中に赤とんぼ湧ききて並ぶ羽根に飛びゆく
箱の中にクレヨン数多並びゐて順番競ふ光りを反す
見る程に思ふままなる良寛の腕の動きし筆の跡なり
空えずき起る元凶とおもひつつ動脈瘤の薬服みをり
いのこづち棘をもてると柿の実の熟るるは共に奪はれんため
永くて何する命と思へるに薬を服みて安らぎをもつ
草生えし風化をなせる岩のあり老ひては時の永さ数ふる
梨の汁指の間より滴らし卓をめぐれる笑ひのひびく
身のめぐりおびえを撒きて蜂飛びぬ金と黒とのおのずからにて
次の世を担はむ嬰児眠りゐて過去となりゆく我等の覗く
音を立つパワーショベルのいつか見ず建ちゐし休暇の広き跡あり
唯二匹蛙が跳びをり波立てて泳ぎてをりしおたまじゃくしは
右やしろ左じょうどじ遠き日の迷ひ救ひし文字の崩れぬ
この山に径の分れて道標崩れし文字に苔の生へたり
求む気のなしと判りて言ひ負をしたる形に黙しゆきたり
吹き上げし水に灯りを反しゆき浅蜊は店頭の槽に棲みたり
幾度か偶然の死に出合ひきて生きゐることの他者より淡し
一糎一秒の差がもたらせる生死幾度か戦場に知る
見廻してすぐ傍にありたりき何時よりかくも視野の狭まる
読み残す西田幾多郎を開きたり向ひて死なん残る幾日
撫でる手のままに撓へる猫の背の潜む力を思ひてゐたり
殺人は次の殺人呼びてゆきドラマは心の必然つづる
今宵の虎徹は血に飢えてゐる背は負へる歴史のはかり難なし
開拓に流せし汗をわが知れば人逝き土は草の繁りぬ
拓きたる山に藷植え漸くに生きたる人も逝きて草生ふ
黄にすみて稔り充ちたる稲の田はひと日の熟れを営みてゆく
水面にいくつ雨紋のひろがりて低く垂れ来し雲の覆ひぬ
田を出でしズボンの半ば泥に厚し当然のごと歩み過ぎたり
大きなる荷物担ぎし背の曲りたゆみのあらぬ足に過ぎたり
たちまちに野山を渡る夕茜呼吸止めて我は立ちたり
布団干す屋根の並びて音の無し秋の日差はわたりゆきたり
うねり高く魚のはしれり異国より来りて地の魚絶へしめたるは
地の魚を絶へしめたるか立つる波見てをり秋の藻草枯る池
種子蒔きし上に砕きし土覆ふその暗黒に萌しくるなり
うねり立て水を濁して魚逃ぐるいのち動くを見んと来りし
草の種子抱きて冬の土のあり靴裏固き原を歩みぬ
土の中の闇に帰りて萌しもつ種子と思へり水を掛けつつ
かけてやる水を含みて育まむ黒き変ぼう土のなしゆく
発芽して大きく赤き花咲くを信じてをりぬ所以は知らず
一粒の種子にひそめる赤き花不思議を問へば問ふも不思議もありて
雲の間に昇りし雲雀の声渡る一切か無を我に迫りて
ふり返るすすきの原は光りをり車窓はたちまち離れゆきたり
怒りたる顔に仁王は立ちてをり慈悲なる寺の入口守る
生きるため食ふにはあらず食ふための料理番組画面につづく
茜透くうすき羽根にてとんぼ飛び秋の夕はなざれて暮るる
葉の枯れて種子を落せし草群は露はな土に帰りゆきたり
たちまちに車窓の景は飛び去りて眺むる我のぽつねんとあり
研ぎ上げし鎌の刃先を透しをり更なる完成目の中に住む
作る手と完きすがた求む目の乖離眺めて亦も砥に当つ
計画は死なざるものの如く立て暮れゆく一人の淋しさに居り
否応なく今を否まん成長を少年躯に潜まされをり
教室に古き太鼓の置かれゐて音こもらせる胴のふくらむ
こもりたる音にひびきて鳴るならん太鼓の胴はふくらみをり
一つの形生まん苦しみわが知れば鳴らん太鼓の胴のふくらみ
ゆるやかに曲るふくらみもつ太鼓胴を作りて過ぎし人あり
工人の賭けし命も遠く過ぎ古き太鼓は棚に忘れらる
過ぎ去りしもの放られて忘らるる人は同じく笑ひ語りて
置かれたる古き太鼓に流れたるときの相を我は見てをり
尾を消して生えくる足を秘めもつとおたまじゃくしはのろのろ泳ぐ
どんぐりは幼き時の円みもち廻せし記憶に転がりゆきぬ
マッチの軸さして回せし手の記憶呼びてどんぐり転がり落ちぬ
大きなる屋敷はあたり従へて竹組あらはに壁の崩れぬ
狭き道に古く大きな家並びしんかんとして戸を閉したり
幼な日の追ひたる記憶どんぐりは意志の坂道転びゆきたり
生物の見えざる水の透明に冬の一日過ぎてゆくなり