病まざりし吾に痛みを知るべしとぎっくり腰を与へ給ひぬ
寝返りを打つことすらも怖れにて仰向き真夜を目覚めてをりぬ
咳の出る喉の予感に怯へつつ痛みに耐へん手足を構ふ
底のなき痛みに怖れ向ふとき神よ汝に作られてあり
かすかなる動きに激痛はしりゆき知るべからざる身体をもつ
電撃の如き痛みに耐へて坐し壁を伝ひてトイレに通ふ
帰り来し外科医の息子がしっぷ薬痛み止めなど出してくれたり
身の中にどうすることも出来得ざる痛みのありて神にかかはる
ペタル踏む脚に突っ立ち急坂を若きら連なり登りゆきたり
澄みとほる支流の水もしばしにて大きな川の濁りに呑まる
壜の水区切りて透ける確かさに朝の卓にしずまりてをり
峯いくつ月に浮びてわが生きる大地は夜をしずもりてをり
癒ゆるのは日にち薬と人言へりのろのろとしてズボンをはきぬ
読まざりし本の並べる棚見をり後ひと月で八十となる
夕映へに水蹴り翔ちし二羽の鳩渡る茜にかくれゆきたり
柿の実の一つ残され日に映えて伝へ来りし言葉を守る
茂りゐし草の倒れて競ひたる茎の細きを露はに見せぬ
時間とは癒ゆる体が取戻す活力にして朝を起きたり
雷を伴ふ雲の空覆ひ青年土工の肌黒き夏
黒雲の中閃光のかけめぐり谷ふるはせて雷鳴渡る
轟ける神鳴る音は内深くもちいて出でぬわが声にして
天地をふるはす音をもたざれば雷鳴渡る耳のさびしさ
地を撃ついかずちの音轟きて吠えゐし犬は小舎にひそみぬ
轟きて雷鳴空をふるはすを男生きるはもっぱらにあれ
頭にかざす本に涼しき風生れて垂れいし首をすぐく伸ばしぬ
結局は我が四畳の本の部屋酔ひし眼を開きていたり
隣ゐて俺が俺がと言ふ男酒飲むこころしずかならしむ
木の株のめぐりの雪の融けており冬も昇れる樹液のあらん
株のめぐり雪の融けおり葉の落ちし木にも昇れる樹液のありて
緋の花に秋の光りは澄みゐたり人無き山の駅の傍へに
初めなく終りのあらず流れゐる水と思へり夜半を醒めて
この先は人家のあらぬ山峡の家より幼な児泣く声聞ゆ
灯を消して水の流るる音伝ひ眞夜は地表に我のつながる
送りたるままの荷物の積まれいて店主は黙し帳簿を開く
ああと言へばおおと応へてこの店の主は椅子を差し出しくるる
目の届くかぎりを夕闇見てゐしが障子閉ざして頭垂れたり
水の音生るるところに我のあり宿の一人に夜更けてゆく
サルビヤの緋のきはまりて散り落つを風に冷えたるまみとなりゆく
見知らざる土地にてバスを待ちゐつつ青き大空仰ぐ親しさ
すでに地に種子を落せし秋草のさやさやとして風に吹かるる
泥沼の中より抜き得ぬ足の夢目覚めて足のほてりありたり
目に追ひし小鳥の群の森に消え澄みわたりたる秋空ありぬ
森蔭に鳥消えてゆき澄み渡る空にとどむるひとみとなりぬ
うるしの葉真紅なるまま散りゆけば透明の碑を我は刻まん
ひと年の陽に熟したる柿の実の光り返せり確信のごと
容るるべき心の積よ湖の水平かに夕暮れてゆく
傾きつ走る列車に我があれば水は走りて明日に流るる
野良を行く農夫の鎌を持たざれば鎌売りわれは目を落したり
地下街に秋となる風入りゆけば行方知らぬと人には告げよ
深々と頭を下げる老主人この山中の宿のしずけし
宿の灯は床の白磁の壺に照りてれにかへるひとみとなり
机一つたたみの上に置かれいるこの簡明に遠く宿りて
真夜を覚め敷布の捩れを直しおり歩み商ふほえる足もつ
間に合ってゐると名刺を返されぬ頭を下げて戸口出でたり
まいどーと言ひたるままに室に入り父の代より取引をもつ
鎌屋さん今日はおれんちに泊ってゆけ日の高ければ好意のみ謝す
出張の案内見てより保ちしとしめじの汁を作りくれたり
商談をなしゐる室に酒置くは今晩泊めて呑ましてくるる
明け初めし窓に聞ゆる靴の音朝通へるは歩みの早し
大きなる木蔭のベンチは鳥の糞多し払ひて寝ねにけるかも
天分つ青き峯より吹き来り風簸額の汗を拭ひぬ
終戦と夾竹桃のあかき花年経て我に強く結びぬ
葉の露を払ひて朝の風の過ぎ大地を踏める歩みなりけり
顔上げて草原渡る朝風の胸内にふかしおのずからにて
夕闇の覆ひくる中ややこゆき闇となりゐて歩みゆくかな
小さなる種子とし落ちて草枯るる蕭条として風の吹きおり
朝顔の青に朝の空気澄み本を読むべく歩み返しぬ
耳もとに小さな声に告げ来り少女は秘密を持ち初むるらし
コーヒーを一口飲みて背をもたらせ一人となりし瞼閉ぢたり
かたまりて少女等何にか笑ひおりしばらく茫と我は過さん
隣席の声もとうきがごと聞きてコーヒー店に瞼閉じおり
ひさし深く帽子かぶりて歩みおりこの街知る人多く行き交ふ
うつうつと出で来し今日やおのずから道のへり撰る歩みなりけり
活作りされたる鯛はいのちある限りの口を開き来りぬ
晴れ渡る原となりきてはるかなる山は競へる木々として立つ
雲を割る光りおよびてはるかなる館はみひらく窓をもちたり
戸を開けて夏の日差しの白く照りしばらく眩む老ひし目をもつ
散り落ちしくすのきの葉の紅が風に吹かれて近くに来る
炎なす日照りも蟻は自在にて足の上にも登りて来たる
蔭ふかきところにベンチ置かれありすなはち我は歩み寄りたり
かりかりと自がせんべいを食ふ音の夜の底ひに聞けるさびしさ
歌作るひまに木影の伸び来り平たき岩に腰を下ろしぬ
世界を圧す日本企業のまざまざと折込広告求人多し
クレータと岩と埃の月しろのはるかなものは輝きて見ゆ
他者として見れば輝く吾なるか月照る道を歩みゆきつつ
呼ばれたる人つぎつぎに立ち行きて待合室に一人となりぬ
名を呼べる声にふり向き久に逢ふものの互に歩み寄りたり
日の斑紋地にゆらめき葉を渡るすずしき風の木蔭にきたる
岩を置く間を童の駆けめぐり危ふし老ひしものの眼は
てっぺんに登りし少年仰ぎゐる友をしばらく眺めて降りぬ
三度目を窓口に立ちて尋ねおり痛みに耐へて妻の病み臥す
いしぶみの埃を落とし木の葉揺りわが髪乱し風の過ぎたり
寝て見る枝を組む木の高きかな葉蔭ゆ蝶の舞ひ降り来る
渦巻きて散りゐし煙おさまりて箒を担ぐ かへりぬ
雲が出て光と陰の原に消へ内に還らん歩みを運ぶ
ひたすらに星の光りに祈りしと古代の心遠くまたたく
ののさんと我も唱へし月の冴え昭々として中天渡る
買ひ換へて使はぬ時計が正確に時刻めるを机に出合ふ
かげろふのひと日の命に飛び来り我等祖より承くるは永し
トンネルの傍へに古き道ありて山越ゆくねりの草にかくるる
もちの実の赤く光るに長く立つ冬にてあれば枯原なれば
おのずから歌詞に体の ひゐて舞台の少女唄ひつぎゆく
待たれゐるものの輝きおくれたるバスは街角曲り来りぬ
蛇の子は生れたるらし道に出て少し血を出し轢かれ死にをり
名を呼ばれ立ちし少女の直ぐき脚わが失ひし素直さにして
黒き実の並び輝き葉の落りし草は秋逝く風に吹かるる
スリッパに差し込む足のよろめきぬ老ひては忘られ生きて行くべし
過剰米過去最高の記事を読み豊稔の神を祀ると出ずる
窮したる返事は湯呑手にとりて飲むともあらず口に当てゆく
りんりんと渡れる声をひびかせて鈴虫終る命を鳴きぬ
はるかなる峯あたらしく並びゐて二日降りたる空晴れわたる
吹く風にうねり打ち合ふ葉となりて近くにあるは傷をつけ合ふ
幹黒き木肌に置ける目となりてベンチに一人腰を掛けをり
雌犬を飼ひゐる家の横に鳴きひきゐる犬は抗ひをもつ
徐行せし車の窓の開かれて知りゐる顔はほほえみをもつ
掴まんと努め来りしてのひらのしわより乾き固きを開く
帽子脱ぎ首振り汗を拭ひたる男稲田に屈まりゆきぬ
対ふもの無き安けさに帰りたる後をしばらく頬杖をつく
金色にまな界ゆれて稲の穂の一夜の熟れを増せる明るさ
一日の熟れを展ける稲の穂の充ちゆくものにながく立ちをり
すきとほる滴が葉末にふくらみて降るともあらぬ朝よりの雨
かたくなに言ひ出しことを言ひ募るわれといつしか成れてをりたり
言ひ出でしことを否まる不快感強くなりゐる我と気付きぬ
鼻の穴二つ作りし御心の量り難てにて鏡見てをり
癒えて来て自在となりゆく身体の招きてゆける天地がありぬ
角材に対せし安保闘争よ今日容認を社党の語る
闘争に流せし血潮の時移り安保容認社党の談ず
流したる血潮を無意味とならしめて時移りゆく安保のことも
流したる血潮は移りゆく時に罪とふ言葉を多く貼られる
安保闘争忘れていしは容認に移りていしか社党の談ず
動きゆく世界は世界の論理持ち流せし徒労の血潮うるはし
角材に安保闘争なしたりし人等を容認談聞きゐん
安保闘争なしたる人等容認の談話に如何なる自己評価をもつ
争ひて吠え合ふ犬の声聞えつながる犬は立ち上りたり
降り来よと語りてやりし月面の兎に幼こえをかけたり
もの乞ひの幸やんは如何なる死に方をなせしか不意に思ひの来る
如何ならん死に態もつか年々に問ひの大きく育ちて来る
乾きたるタオルに汗を拭ひおへ緑新たに風走りゆく
本能寺に向かへと光秀采を振る決断は常に偶然に似て
軒庇闇をなしゐるひとところ落つる雫はそこに光れり
のみの先のミケルアンぜロの目に沁みて滴り落つる真夏の汗は
雨の止み出で来し原に水ひびき犬は歩める足を速めぬ
溝に水溢れて流れ早苗運ぶエンヂンの音空にひびかふ
口惜しく過去ありたれば頬杖をつきたるままによる更けゐたり
石積みし跡の散ばる山の上ここに秋葉の社ありたり
一望に村見ゆ山に祀られて火の神秋葉は朱く塗られき
このやまに砂運ばれて奉納の相撲取りたり小銭もらひき
奉納の相撲とりたる幼な日の酒に酔ひたる行司も憶ゆ
山も木も神のすまひしその昔祭りて酒に村人酔ひき
この山に神すまはせ祖先等のこころよ木々の緑さやけし
唄ひては酔ふを祭りとせし昔神と人とは一つ胃腑にて
村人の心に去りし山の神石魂いくつ跡をとどめる
我が世代過ぎたる後は散る石の何にありしか問ふもなからん
山も木も昔のままを神とせぬ我等の帰る返り見をせず
はや爪の伸びしがありて閉したる障子の内に一人坐しおり
憑かれたる目をせる女の表紙にて若き女は先ず取り上げぬ
大きなる音の夜半に不意にたち夜の闇そこに暫く動く
鴨の皆帰り去りたる岸を打ち水は澄みたる光りを湛ふ
はなびの地に散り敷き春盛るいずくど恋ふる牛の咆ゆるは
道教ふ少女の指のいや繊く夕つ光りに赤く染みたり
手に掴む砂の崩れをいく度も幼な童はくりかへしおり
花を切られ葉の黄ばみしアネモネは今日より乾く土にあるべし
削られてつら新しく映ゆる木に大工ためらはず墨糸撥く
しろがねの鱗光らせ鮒番ふ産むはいのちのたかまりにして
山獨活を手に入れたれば来よと言ふ呼ばはる声を暫し抱けり
雨止みし小舎より犬の出で来り我見つむるは散歩うながす
噴きつげる煙はふくらみ盛上り天に昇りて拡がりゆけり
水に写る影に小鳥のありたりきながく見上ておりし木の間の
吹く風の白き羽毛を分けゐるを白鷺は立つ池の畔に
山城は石組み並ぶこの石を担ぎ運びし人の背あらん
山城の険しく細き曲る径石を担ぎて人の登りし
知る人の音信大方電話にて郵便夫ごみを配達に来る
轢かれたる犬のはらはた露はにて我等ももてば血潮惨たり
雨止みて雲間に差せる陽のあらんダイヤガラスにシーツの白し
手を振りて少女笑へり知り合えることの歓喜は亦差し上げて
千年後に名を残さんも愚にてせなに差す日のぬくとさにおり
灯の下に踵の皮を削りおり歩みし戦亦出商ひ
時移り枯れて伏すると鶏頭の花の真紅の狂ひ燃えゐよ
おもむろに這ひゐる虫と距離つめし蜘蛛は一瞬飛びて捕へぬ
ひるがへる鮒の鱗は光りおり番ふ渚の草を揺りつつ
点しゐし昨夜の蛍は何処ならむ闇が抱きて庭の木々立つ
幸せと我を言ひおり我は唯生きゐる問を続けゆくのみ
とび立ちし鳥に見さけて南天の光りを返す赤き実のあり
にちにちに遊べる二羽の鳥のあり先に来て後に飛べるは雄か
金あるも仕方のなしと言ひたしと幾等出来てもお前は言へん
測量機据えたる互いの手を挙げて隧道抜くべき岩そそり立つ
弱る木の切られしことにこだはりて帰りの際に亦立止まる
凹凸のはげしくなりし舗装路を直すことなく村しずかなり
スピードを競ふ若きが追ひ越せるときしずかな我のありたり
人のみが他人の世話になることも蝉の骸の転ぶを見つつ
平安の故に移れる日々のあり一人留守居の怖れしずかに
藤の房垂れ咲きゐるも櫻花散りたる季の移りに見つつ
空高き雲雀の声の窓に降り下駄突っかけて歩み出でたり
一すじの煙と化する落葉にて庭に半年濃き蔭作る
はぎ落すタイルの下に柱あり祖等炊ぎし煤の沁みたり
トラックに放らる瓦の砕けおり幾代過ぎし苔のむしいて
三世代住み来て我の継げる家沁みたる煤は黒く艶もつ
おやびとの炊ぎし煤の沁む柱ユンボーはたちまち引き倒したり
土煙にかすみて倒さる柱あり裂けゐる音の聞え来りる
株で得し金は株にて失ひぬ天向ひて笑ひゆきたり
翅の音曳きゐる蜂と蜂を待つ花咲きうらうら光りの亘る
雨の止み光り射し来て花めぐる蜂の翅音の早も飛び交ふ
谷底の小さく咲ける花いくつここに飛び来し蜜蜂のあり
実をつけし重さに穂先垂れ下り春生ふ草の茎伸び切りぬ
春は黄と片山さんのうたひたる草も大方実を結びたり
畦草の中に茎伸び枯るるべくだいおうは葉を紅く染め初む
おのずから伸びゆくものの艶をもちキューイの蔓は柵を抜きたり
畦草に首突っ込みて嗅ぎおりし犬は一枚の葉をしがみたり
朝よりの雨に訪ひ来る人の無くおのずからにて瞳の深し
泡を生み水の落ちゐる音ひびきしずかなる野の歩み向けたり
すりガラスの明り俄に増し来り止みたる雨に瞳放たる
朝よりの雨にしばらく目を閉じぬ人に会はぬも放たれており
新しき花飾らるる大師像きびしく罰をあてる故らし
身の終りを意味せし年貢の収めどき農夫は年々経たる事にて
願へるは己が幸せ幾人か花を供へててのひら合はす
野仏は鼻の欠けいて傾きぬ罰当てざれば人の願はず
腰かけて休める場所も備えあり罰のきびしき大師を祀る
罰あてる大師に花の供えられ我は忘らることを願ひぬ
花の山の人に従きゆき吾の目は枯れたるままのすすきに向ふ
天づたふ月を映せる水おもて至り着かざるおもひに澄みぬ
飲み了へし壜の卓上に置かれいて空しきものの透きとうりたり
目を閉ぢて瞼むくみし重さあり常より内の思ひくらくて
犬の声止みたる夜のしずけさに閉ぢたる本を再び開く
実の撥でて枯れたる草は吹き来る風のままなる傾きもちぬ
饒舌の尚言ひ足りぬ女等は手を振り合ひて別れゆきたり
奪ひ合ふ言葉に悪口言ひおりし女等いきいき帰りゆきたり
山桜散り落ちて晩春の葉群の中の一つとなりぬ
半年を梢にありて散り落ちぬこの精緻なる葉脈なして
散り落ちる一葉がもてる葉脈の精緻を畏る問ひゆきたれば
いたずらを共になしたる言葉にて禿と白髪た笑ひ合ひたり
花が咲きてあるを知りたる山桜このさびしさに向かひ立ちたり
先生と言ひたる声に見廻して我を見おれば返事をなしぬ
山桜花散りおへて葉の紛れ紫の房藤の垂れたり
山桜散りたる山に藤の房花むらさきの静なりけり
花明りして山の桜散り藤の紫は近寄りて見る
畦に咲く黄の花数の減り来り泡立草は年々低し
滴垂る柿の老ひたる幹黒く萌ゆる若葉は雨に透きたり
飛び交す羽根の唸りに花咲きて堤に春のたけて来りぬ
機関銃の向けたる口に走り寄る民族自決叫ぶ若きは
独立を叫べるものに銃火噴き死したるものは言葉をもたず
死とは何自由とは何ぞ銃火噴く前に出で来て血潮に倒る
常に常に変革は血潮に購はる街頭走る戦車を映す
平らかな池の面に撃ちたるは鴨か堤に薬莢散りぬ
解体の柱に煤の黒くしていぶける中に祖母炊ぎたり
白鷺は日に輝きて飛びゆけり水に映りて渡りゆきたり
梢ややけぶるはふくらむ芽にあらん歩みゐる背の日に温かし
小波のおさまり了へし水となり細き梢を木陰もちたり
小波の凪ぎたる水を白鷺の陽に輝きて渡りゆきたり
魚の骨昨日見つけし場所目差し放ちし犬は走りゆきたり
道もせに茂るクロバー人の踏む一すじ低く山に消えたり
ただよひて来る香りに見廻して白く先たるくちなしありぬ
漂ひて来るかほりにおのずから吸ふ息深く沈丁花咲ありぬ
にちにちに青さ増しゆく畦道の今日はげんげの花が開きぬ
灰色に朝より雲の低くこめたんぽぽは今日の花弁を閉じぬ
餌は妻運動は我の犬の世話二人で寄れば妻にとびつく
枯れし草萌しゐる草たたずめるまみ締まらせて吹ける風あり
スピードをあげし車の走り過ぎげんげの花はそよぎていたり
にちにちに堤の草の青さ増し連れ来し犬は風と走りぬ
吹き来る風に目を上げ山と空分かるるところのすみとうりたり
限りなく残るものなどあらざれば無縁仏は親しく立ちぬ
いのち終る唯それのみの清しさに無縁仏は墓隅に立つ
地の色なべて消えゆく夕まぐれのみどに熱き酒を欲せり
おとなしき男が酔ひて呼べるも我の裡なるさびしさにして
白く塗るガードレールの輝けば裡に唄へる死者のあるべし
枯るるべく伸びゆく草と思ほへば暫らく風に共に揉まるる
暴動の南アのニュース見来し目を池の面の平らに置きぬ
平らかな水に突き出る葦の葉の日日に領域増して来りぬ
冬原の草の枯れいて露はなる土にもいつしか押されししずけさ
万の花透かして点る電燈の百の明りに桜花咲く
枯れし草白く伏しいて量低く池の堤は移りてゆきぬ
死にしとも今日伝はりぬふるさとを出てゆきたる君老ひてゐん
年老ひて知らぬ所に出でゆきし君よ其の後音信あらず
知人なき所に住むに年老ひし君なり死にし噂聞きつつ
病惨を見らるは家族だけでよし見舞断るはがき来りぬ
やつれたる姿見らるを断りし君が心は瞼を閉す
奥さんが見せて下さる病床記文字乱れぬは心しずけし
読み進む病床日記ときおりに大きな文字に書きつけたるは
綴られし病とたたかふにちにちの文字の乱れの増して来りぬ
端正に書かれし文字の時として乱れ見ゆるは迷ふこころか
常日頃語られざりし奥さんにかけし労苦も返し記さる
削れれし山に思ひ出重ねゆき鳥鳴く声に歩みとめたり
外燈の明りの中に動き出て蛙は集ふ虫をくはえぬ
美しく花咲く草を育てんと周りの草の取り除かれぬ
たどたどとむく皮らしき見ておりし女はむいてあげると言ひぬ
しずしずと陽は西山に沈みおゆ雲に茜の色移りつつ
春となる光りの呼べる原の声土筆は土を被ぎもたぐる
雲の割る光りの差して紫のすみれの花のありたりしかな
醒めてゐるひとりの瞼を閉ぢており風鳴る音は夜底に消ゆる
掌に種子まろばせば色刷りの袋の赤きはなびらありぬ
明かに水に梢の写れるをときに乱してふ小魚泳ぐ
風にまろぶ紙を子犬の追ひ走り畦のよもぎの緑増しゆく
明かに松の緑の写りゐて堤に一人の歩みなりけり
草枯れし池の堤の風冷ゆる冷ゆる瞳にながく立ちたり
背の温む光りとなりて冬眠の虫ひそみゐる土に泌み入る
頬撫でる風の出で来て小波の池のたひらなおもて渡りぬ
さきがけてすみれの白き花の咲き髪をなぶりて風過ぎゆきぬ
疲れ来しあくび押へつ百貨店歩き足らざる妻にしたがふ
山青く空気うましと掲げゐてこの村多く老ひと行き合ふ
愛郷のポスター掲ぐ駅前の店閉されて扉錆びたり
こころざし遂ぐを得ざれば昏れてゆく光りあつめて湖白し
空とつち別るるところに葬らる我なれ若き瞳とどきし
プラットに春光わたり脚白き女は脚を見せて過ぎたり
採石の山見え急坂登り行くトラックは山の蔭に消えたり
急坂を上るトラック岩蔭に消えてゆきしが出でて来りぬ
戦跡と書かれし標柱文字うすれ叫喚ここにありたりしかな
うまきもの食ふが生きゐる口銭と言へり唇あぶらに濡らし
これからが生きどくなりと友の言ふ唯飲食にすきてゆかんを
つねにつねに光りは影を伴へり土堤より橋の裏側が見ゆ
食堂に並びて食へる何の顔も唯一様のひたすらにして
留守居する妻に電話をかけおへて眠りゆくべく灯りを消しめぬ
灰色の空に影なき電柱のありて一人の朝餉に向かふ
炎がよぶ炎のたけり激しくる情に似ると思ふさびしさ
枯原に畝作られて人植えし甘藍の葉のみどりがありぬ
アパートの窓に吊るされ灰色のシャツは男一人が住まふ
このところ村を見下す松ありき朽ちたる後の何も残らず
団員が二人になりしと山峡のこの村今日より青年団のなし
愛の字をふれあひであひなぞに附す易き心も我は読みいつ
席を求め車内をゆききする人等我はかかはりあらぬ目をもつ
生活の手助けなどと高利貸の看板立つを都会といはん
ガラス一つ距てて雪に肩すくめ着ぶくる他者の歩みすぎゆく
憎しみて死にゆきたりと憎しめる力をもちていたるしあはせ
作られし菊の華麗に目の疲れ素直な畦の花と思ひぬ
口開けて眠りおりしか目が覚めて腔内いたく乾きておりぬ
目が覚めて口角濡るるに手の触れぬ涎たらして我は寝ねいし
汲取りの蛇腹のホース蠕動なしこの家の人生きのたくまし
工夫等は出でてゆくらし階段に乱るる音のしばらく続く
潮ひきし岩にとび来し数十羽千鳥は穴をつつきはじめぬ
魚を売る女等喋りつ乗り来り一人の旅は瞼を閉す
一掴み出してくれたるペーペーを分けおり戦時経て来し我は
山なみのなざれて ひく中腹に村あり後に墓を並べる
貨車が過ぎ特急過ぎてわが乗れる列車はドアを閉しゆきたり
板距て底ひ知らざる海の水白き漁船は出でてゆきたり
日の当る石に坐りて母親は背の子を抱き替え乳房出したり
差し交す枝に小暗き峪となり岩間を水の激ちて白し
この山に執念く生きて枝継ぎし木地師と言へる人等もなしと
冬眠の虫は今日より出でくるといにしえ人は暦にしるす
室の掃除これからするとふ妻の声庭吹く風へ出でてゆきたり
月宮に姫住まはしめいにしえの人等は天を仰ぎ見たりき
自転車の幾台並び酒店に立呑む人等灯りに赤し
酔へる顔灯りの照し一日の仕事を了へし人等立呑む
仕事了へ帰りに寄れる酒店にコップの酒を一息に呑む
二杯程コップの酒を立呑みて充ちたる顔に出でて来たりぬ
いちにちを働き寄れる酒店のコップの酒に眠らむ人等は
夏の夜の明けて死にゐる虫無数虫は虫にていのち継ぎきし
耕転のエンヂン響く空の上白鷺陽を浴び群れて舞ひおり
耕せる土に棲みゐる虫を見る鷺かエンヂン響きゐる上
耕せる人去りゆきて一せいに舞ひゐし鷺は降りて来りぬ
舞ひ下りし白鷺の群交々に頭動くは虫を啄む
山裾に沿ひて流るる水清く人等貧しく生きて来りぬ
山裾に幾軒新たな家建つはゴルフ場にと土地を売りたり
冬の日にホースリールの忘られてここのみ赤き光りを返す
爪赤き女が一人老人の間に掛けて山の駅あり