私の知り合いで医学小説を書いている久坂部羊という文筆家を紹介します。私の大学の同級生で同じヒツジ年生まれなので、ペンネームを「羊」にしたようですが、1度福山医療センターに講演に来てもらったことがあります。
「廃用身」で作家デビュー。代表作品には「破裂」「無痛」などがあり、2014年頃からメキメキと頭角を現わし「悪医」で日本医療小説大賞を受賞。2015年には上記の「破裂」がNHK総合土曜ドラマ枠(椎名桔平、仲代達矢出演)、「無痛-診える眼」がフジテレビ水曜10時枠(西島秀俊、石橋杏奈出演)で放映されました(図)。彼には絵や文章を書く才能があり大学生の時から同級生数人と「フレッシュ・メデイシン」や「Shock(個人作)」を制作し、当時ガリ版で刷った小冊子をみんなに配っていました。ある時医学部図書館で「Shock」という循環器系の雑誌を見つけて、「同じ題名や」と吃驚したらしいですが、この時既に教養部から医学部に上がっていた彼はShockという言葉が急性循環不全などでおこる臓器障害を意味することを知らなかったようです。学生時代の冊子の中でよく覚えているのは「スリラーの現実」という企画に載っていた、透明人間になる薬を発明した博士が自分で服用して確かに体が消えたが、薬の効き目が無くなった時のことを考えてパンツだけをはいて町に出た話。包帯を巻いたミイラ男の包帯が動くたびにほどけて困った。半魚人が陸に上がると呼吸困難になる話。「その後のおとぎ話」シリーズでは、一寸法師が鬼の身体の中に入って剣で刺してやっつけるが、打ち出の小槌で大きくなるとたちまち鬼にやられた話。寝ているウサギを起こさずに先にゴールしたカメはスポーツマンシップに欠けると皆からバッシング(今ならSNSで炎上)。夏中働いていたアリは冬になっても働くことを辞められずに(今なら働き方改革をせずに)1年中遊ぶ暇がない。など。当時は「絵や文章が滅茶苦茶上手い奴やなあ」と感心はしていましたが、ユーモアと皮肉に溢れ、既存の概念や体制に反発するヒューマニズムに裏打ちされた、彼の一貫した哲学がこの頃から萌芽していたのだと思います。私以上に勉強をせずShockの意味を知らなかった彼が各賞を受け今やウイキペディアで検索できるような時代の寵児になるとはこの頃は夢にも思いませんでした。
その久坂部氏は2016年に「老乱」という認知症を扱った小説を出版しています。以前は「痴呆症」と言われていましたが、近年では「認知症」と命名が変わり、比較的初期の1982年有吉佐和子さんが発表された「恍惚の人」が先駆け的な作品でしょう。これは徘徊老人「茂造」に翻弄される家族、特に同居している息子の嫁「昭子」の視点から描かれたものです。一方「老乱」では認知症になって最終的には介護施設に入る「幸造」の話で、構成やその内容が優れているのは負担をかけられた家族の思いと並行して徐々に病気が進行する「幸造」の心の「機微」を表現しているところです。家族が良かれと思ってやってくれる世話に対していちいち反応して起きる怒りや葛藤、諦めなど、時には意図していても正常には対処できないことへの曖昧模糊とした心の内を認知症患者になったつもりで描かれています。「茂造」は徐々に物忘れや異常行動などが出現する「アルツハイマー型認知症」ですが、「幸造」は調子の良い時と悪い時が交互に繰り返して出現して進行する「レビー小体型認知症」です。それぞれ「アミロイドβ」「レビー小体」という異常蛋白質が脳内から排出されずに蓄積され、神経細胞が死滅して正常の活動ができなくなるものです。「アミロイドβ」は高血圧、肥満、糖尿病などの生活習慣病、過度の飲酒、喫煙、運動不足などにより増加しますが、「レビー小体」は加齢による変化とされています。いずれにしても高齢化が進むと広がるもので、総務省の統計によると65才以上の高齢者は「恍惚の人」が発表された1982年では1100万人であったものが、2020年には3600万人と3倍以上に増えています(図)。有吉佐和子さんは「認知症の予防は長生きしないことです」といみじくも述べておられます。65才以上の認知症人口は2020年時点で600万人と推計され、久坂部氏は身内の介護経験が執筆の基礎となったと言っていました。私は以前身内が介護施設に入るときに見学に行った時に、立派なマンションのある階に「徘徊の廊下」といって、外の景色を見ながらぐるぐると回っていると元の場所に戻ってくるという仕掛けがあり、思う存分いつまでも徘徊出来る設備があり対応は完璧であるという、笑えない説明を聞いたことがあります。我々の世代では親の介護が、近い将来には自身の問題が現実化することになります。(2022.4)