ハンガリー国立歌劇場の「魔笛」

 2022年10月大阪フェスティバルホールでハンガリー国立歌劇場のモーツァルト作曲オペラ「魔笛」を観ました。オペラはこの頃モンテベルディやスカルラッティなど殆どイタリア語で書かれており、モーツアルト作では有名なイタリア人台本作家ロレンツオ・ダ・ポンテによる3部作「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「コジ・ファン・トゥッテ」が知られていますが、この早熟天才作曲家は12才で「ぶりっこ娘」(1700年代からぶりっこがいたのは驚きです!)を作曲しています。

フェスティバルホールは2015年リニューアルし3000人収容となりました。

2015年リニューアルし3000人収容となった大阪フェスティバルホール

 「魔笛」はモーツアルト最後のオペラですが、シカネーダーによるドイツ語の台本でした。話の内容は省きますが、序曲、夜の女王などの登場人物のアリアや重唱は美しく、ワインサービスは無かったものの至福の3時間でした。(2022.11)

ハンガリー国立歌劇場によるモーツアルト作曲「魔笛」。パンフレットより

鳥取大学室内管弦楽団の定期演奏会

 2022年6月11日鳥取大学室内管弦楽団の定期演奏会が米子市で開催されたので紹介します。これは米子キャンパスにある医学部(医学科、生命科学科、保健学科)学生から構成される楽団ですが、鳥取市湖山にある農学部や工学部の学生は地理的に練習に来にくいので、団員数も限られこじんまりしたものです。授業やクリクラに来られていた医学科6年の元コンサートミストレス(ファーストバイオリンのトップ)波田裕理絵さんや、医学科4年生の梁郁弥さん(セカンドバイオリントップで団長、図)と礒邉悠さん(チェロトップ)達に「先生、是非聴きに来てください」と誘われました。「曲は?」と聞くとベートーベンの「エグモント序曲」と「交響曲第5番(いわゆる『運命』)」とのことで、最初「若い故の無謀な連中やなあ」と高を括っていました。ところが、実際に聴いてみるとレベルは非常に高く、現在のコンミス看護学科の昌司澪奈さんを始め、弦楽器奏者は指や弓の動きがほぼ完璧で、木管、金管楽器も端麗でかつ迫力のあるアンサンブルを楽しめました。2020年と2021年は自主的に演奏会を中止。今年やっと開催にこぎつけたもので2年間の無念さをはね返す素敵な演奏会でした。前述の梁郁弥さんは楽団の団長ですがバイオリンを高校から、礒邉悠さんはチェロを大学から始められたとのことで今やそれぞれセカンドバイオリン、チェロのトップ。同じく大学から始めた私とは雲泥の差を感じました。またかつて岡山大学学生時代に全学オーケストラのコンサートマスターをされていた、小児科の難波範行教授は同楽団の顧問を務められており演奏に参加されています。私は前顧問で現在松江医療センター脳神経内科に勤務されている中野俊也診療部長とともに客席で聴いており、公演後はいつも行くお店にて3人で食事をしながらコアな討論会を夜遅くまでやってました。以前同じ店で鳥取大学名誉教授の新倉健というクラシック作曲家の方に偶然に隣合わせになりました。神奈川県生まれで武蔵野音楽大学と大学院で作曲科専攻、1981年に鳥取大学教育学部に赴任され、その後鳥取大学地域学部附属芸術文化センター教授(作曲・指揮)を務められています。日本作曲家協議会、国際芸術家連盟に所属。何故か私のことを知っておられ話が弾みました。このように鳥取県は芸術文化を育む環境にあり、私にとっても音楽仲間が多くて楽しいところになっています。(2022.7)

鳥取大学室内室内管弦楽団の定期演奏会。団長の梁郁弥さん。アンコールの時に「演奏の様子を写メって、SNSなどに投稿してください」と指揮者から要請がありました。

国家と音楽家

 「政治家が料亭通いをすると批判されるが、芸術を愛好していると好意的に受け取られる。コンサートやオペラ、歌舞伎などに行くことや芸術を保護・支援した政治家は批判されることはない。」という序章から始まる、作家中川右介氏による「国家と音楽家」が2022年2月に発刊されました(図1)。音楽家は最初国家のプロパガンダとして利用されたが、後に国を追放されたり粛清されたり、また逆に国家に迎合して自分のために利用したクラシック作曲家や演奏家の実像を描いたものです。「音楽に国境はない」と言われますが、大きな壁を感じた音楽家は数知れなく存在し、文中にはヒットラー、ムッソリーニ、スターリン、フランコ等の独裁者、ケネディ、ニクソンなどの政治家が登場します。これに対してフルトベングラー、カラヤン、カザルス、ショスタコ―ビッチ、ルビンシュタイン、バーンシュタインなどの音楽家達が登場し、国家や民族間の大きな壁によって迫害され、それに屈服、或いは抵抗した各人の生きざまが描かれております。(2022.7)

中川右介著「国家と音楽家」講談社文庫

音楽の訓練

 何故音楽家は年少から楽器を始める方が良いのか、について疑問が湧きました。一般に脳には神経細胞(ニューロン)があり情報の伝達と処理に特化した細胞と考えられ、それらが手を伸ばして連結してシナプスという回路を形成します。胎児期には脳の発達が大きく、複雑な回路網が出来上がっていきます。その後胎外に生まれると環境によって様々な刺激に遭遇するとその時に使われる回路は強く太くなりますが、使われない回路は消滅していき人間は出生後様々な世界に順応していくわけです。すなわち、英語圏で育った子供は英語を覚えて理解ししゃべり出しますが、日本語は全くわからないといった状況になり、ある人は小さい時からの訓練で超絶的なバイオリンを難なく弾けるようになる。ある人は空中に張られた細いロープの上を逆立ちで歩いたりするようになります。図に出生後の年令ごとの脳波の発達状況と脳重量の推移を示します。勿論指の関節が曲がりやすいといった身体的な柔軟性は考えられますが、いずれにしても胎児期からの延長として生後急激に脳が発達し、この増加は乳幼児期に極めて著しくこの時期の訓練が重要だということが分かります。中学生くらいからその速度はほぼプラトー(平坦)に達し成人になっても発達する余地は十分あるのですが、どうも梁さんや磯邉さんと私の違いは練習を真面目にしたか、サボり気味にいい加減にやっていたかにあるようです。(2022.7)

在胎12週時の胎児:殆どの器官が形成される時期であるが、脳の発達が急激である(ムーア発生学)

脳波の発達と脳重量の変化

Lindsleyによる脳波の周波数(点線…)と脳重量(実線―)、正常下限の脳波(点鎖線―-―)を示す。脳の発達は乳幼児期までが著しい。(馬場一雄:小児生理学)

クラシック小噺

 ニューヨークのマンハッタン7番街近くの路上で、ピアニストのアルトウール・ルビンシュタインが道行く人に「カーネギーホールにはどうやって行けば良いのですか」と尋ねられた時こう答えたという。「練習して、練習して、さらに練習してください」。カーネギーホールは言わずと知れたクラシックだけでなくあらゆる演奏家が目指す殿堂ですが、5年くらい前にニューヨークに行った時おのぼりさんの私は「地球の歩き方」に従っていとも簡単に到着できました。(2022.7)

グルック作曲バロックオペラ「オルフェウスとエウリディーチェ」

 2022年6月東京において新国立劇場オペラハウスでグルック作曲バロックオペラ「オルフェウスとエウリディーチェ」を観てきました。2021年11月の時と比べて、新宿初台の辺りにはすっかり日常が戻っていました。相変わらずクロークは閉まっており、マスク着用とブラボー禁止命令は出ており登場人物の1部はマスクをしたまま踊っており興ざめでしたが、ホワイエでのシャンパンサービスは復活し、かなりリラックスした感じは戻っていました。

シャンペンサービスが復活した東京オペラパレス

 このバロックオペラの代表的な作曲家としてイタリアのモンテベルディ、フランスのラモー、ドイツのヘンデルや今回のグルックらが挙げられます。男性の高音域のカストラート(現在ではカウンターテナーや女性のコントラルトやメゾソプラノが歌う)の特徴的な歌い方、ハープや弦楽器による単旋律のような独特の響きで非常に美しい音楽です。指揮はバロック音楽の大家、バッハコレギウムジャパンの鈴木優人氏でした。オペラの内容は言うまでもなく非現実的なもので、ギリシャ神話に登場する吟遊詩人(詩曲を作り竪琴などを持って各地を訪れて歌う)オルフェオが主人公。その妻エウリディーチェが新婚早々に毒蛇に咬まれて死亡し黄泉の国にいるのですが、オルフェオが連れ戻しに行くという奇妙な物語です。オルフェオは黄泉の国、つまり死後の世界にどうやって行ったのが分かりませんが、コーキュートスの川(いわゆる三途の川でしょうか)の向こうに渡って、死霊たちに交渉したところエウリディーチェとの面会が許されます。そして、神々の許可を得て地上に連れ戻すことになり手を取って地上を目指すのですが、その時に振り返ったりしてエウリディーチェの顔を絶対に観てはいけないと約束をさせられます。これは「見るなのタブー」を扱った古今東西に共通したテーマで、日本では民話「鶴の恩返し」を題材にした木下順二による戯曲「夕鶴」が有名です。ところが、この約束のことを知らないエウリディーチェは夫オルフェオのよそよそしい態度に徐々に不信感を抱くようになり「私を愛していないのね!死んだ方がましよ!(既に死んでいるのですが)」と「昼ドラ」で良く聴くセリフを繰り返すと、「昼ドラ」の主人公オルフェオは遂に振り返ってしまうのです。ギリシャ神話の原著ではここでエウリディーチェは死んでしまうのですが、グルックはオルフェオの誠実さが証明されたとして生き返らせ、ハッピーエンドにしています。流石、うまいですね!まあ、話の内容はこんな感じですがオペラ中のアリアや幾つかの音楽は澄み切ったメロディー等感動的ですので「精霊の踊り」なども併せて一度聴いてみてください。YouTubeなどで簡単に視聴できます。この物語は後にフランスのオッフェンバックにより「地獄のオルフェ(別名、天国と地獄)」というオペレッタにパロデイ―化されています。(2022.6)

黄泉の国からエウリディーチェを連れ戻すオルフェオ(ウイキペディア)

オッフェンバック作曲オペレッタ「地獄のオルフェ」(ウイキペディア)

演奏家医学

 クラシック音楽は演奏家によって再現され、我々はその演奏の時間と空間を共有するわけですが(私は一方的に聴いているだけです)、演奏家の抱える様々な身体的、精神的な苦労はあまり理解できていないのが現実と思われます。今回、そのような演奏家を取り巻く医学的な問題を取り上げてみたいと思います。まずピアノや弦楽器を扱う演奏家は手や肩などの運動器に関与する整形外科的、神経学的問題として、手の腱鞘炎、付着部炎、筋肉痛、関節痛、神経障害やフォーカル・ジストニア(意志に反して手が勝手に動いてしまう)が挙げられます。私は大学に入ってからバイオリンを始めたのですがしばらくすると頸椎ヘルニアを患い、神経ブロックや牽引療法などを長年必要とし、その後も長い手術後には首や腕が痛くて困りました。トランペットなどの金管楽器、クラリネット奏者では口唇の損傷や乾燥、歯科的問題が出てきます。声楽では声帯の炎症やポリープ、年令による声域の変化や発声障害が生じます。また全ての音楽家に共通するものにストレスに伴う突発性難聴、メニエール病、過大な音響による耳鼻科的問題や絶対音感のずれ、その他精神的な問題など合併症は数え切れません。ベートーベンが晩年に難聴になったのはおそらく耳硬化症といって鼓膜から伝わった音刺激を伝える内耳にある耳小骨のあぶみ骨と蝸牛管の卵円窓の付着部が骨化して動かなったことによるものですが、音楽との関係や明確な原因は分かりません。また同じ芸術家で画家のゴッホはゴーギャンとの共同生活が破綻し、その結果自分の耳を切り落とす「耳切事件」を起こしていますが、時代の先進をいく激しい芸術家に共通する問題かもしれません。バレエのダンサーはつま先で立って踊るので全体重による負担がピンポイント的に足の指にかかっており、疲労骨折や関節炎、靭帯損傷、アキレス腱の障害などが起こります。以前「ブラックスワン」という映画で主役のナタリー・ポートマン(映画「レオン」でデビューし「スターウオーズ」でアミダラ女王を演じた)がプレッシャーにより徐々に精神が崩壊するバレリーナを演じていましたが、その中でバレエシューズが血に滲んでいくという悲惨なシーンがありました。「1日練習を休めば自分に分かり、2日休めば教師に、3日休めば観衆に分かる」といわれるくらいシビアな世界に身を置いている演奏家は、このような体に不調をきたしても病院にいくと「医師に練習を休めと言われるだけ」と病院にかかりたくなくなり、ますます治療から遠ざかり不調を繰り返す、という悪循環が生まれてしまいます。(202.5)

頸椎に負担がかかるバイオリニスト(ウイキペディア)

つま先立ちで演技するバレリーナたち(「白鳥の湖」ウイキペディア)

 このような演奏家の立場に立った医療が10年以上前から欧米を中心に「演奏家医学Performing Artist Medicine」または「音楽家医学Musician’s Medicine」という学会が開かれており、国際的な医学雑誌「Medical Problems of Performing Artists」も刊行されています。本邦では2004年に「日本演奏家医学シンポジウム」という医療関係者と音楽関係者が一堂に会し演奏者の健康問題を議論する研究会が初めて開かれました。これは日本医事新報(No.4197号:29-31頁、2004年)で詳しく紹介されています(表1)。そして今年の4月から医療関係者と音楽関係者が組織的に議論する場が「日本演奏芸術医学研究会」として発足し、7月に研究会が開かれる予定で興味のある方は参加されたら如何でしょうか(ホームページ参照)。また実際の診療の場として東京女子医大で「音楽家専門外来」が開かれているようです。

佐渡裕芸術監督「ドンジョバンニ」

 2022年3月に兵庫県立芸術文化センターで行われたオペラ「ドンジョバンニ」(佐渡裕芸中監督、関西二期会主催)。素晴らしい演出でした。5月には3年ぶりとなる「福山国際音楽祭」には是非行きたいと思います。一橋大学管弦楽団の元コンサートマスターの枝廣市長に期待しております(2022.4)

リヒャルト・ワーグナー「ニュルンベルグのマイスタージンガ―」

 2年ぶりにオペラを観てきました。演目はリヒャルト・ワーグナー作曲「ニュルンベルグのマイスタージンガ―」という3幕もので、上演時間は約6時間、14時開始で休憩をはさんで終わったのは20時過ぎ。最近の欧米における蛇使いの女性とニシキヘビ、象や馬、犬やワニなどが登場する演出とは違い、劇中劇も取り入れたオーソドックスですが見ごたえのあるものでした。

 会場である新宿の新国立劇場では感染対策のためクローク無くコートやカバンを椅子の下か膝に抱えないといけないし「ブラヴォー!」の掛け声禁止。観客が曲の間におこなう咳払いも周りの「自粛警察」による咳エチケットのチェックが徹底され殆ど聞かれませんでした。長い公演の間の飲食についてはホワイエでのシャンパンやワインサービスは勿論なく、座る椅子も減らされており皆さん持参のおにぎりやサンドイッチを立って食べるという状況でした。

 最も大きな問題はトイレで順番待ちに1-2m空けて並ぶようにという規制が明記されていましたが、ちゃんと守ると新宿駅まで長い行列ができたことでしょう。

 これらのことはどうでもいいのですが、オペラの内容はギルドという職業組合や徒弟制度が全盛であった中世のドイツにおいて「ジンガ―(歌手)のマイスター(職人)」を選ぶために歌合戦を行うというものです。ポーグナーという裕福なマイスターが伝統と格式をもつ素晴らしい歌を作詞作曲して優勝したものに、自分の全財産と一人娘を与えるという「吉本新喜劇」でも取り上げられないような茶番の内容で、ワーグナーが作曲した唯一の喜劇です。

新国立劇場:いつもならこのホワイエ(ロビー)でシャンパンやワインがふるまわれる。

 19世紀半ばの当時「標題音楽・舞台芸術」を追求していたワーグナーは、音楽は音による構成によってのみ価値があるという「絶対音楽」をバッハやベートーベンから受け継いだブラームスと激しく対立していました。

 特にブラームスを支持する音楽評論家のエドウアルト・ハンスリックからはいつも酷評されていたため、オペラの中でハンスリックをベックメッサ―という書記官として登場させ、狡猾な手段を使ったが結局歌い損ねて敗北し、民族的・宗教的な恨み辛みも併せ散々な目に合わせております。

 その姿をミュートしたトランペットとホルンによるグロテスクな響きをバンダという別編成隊で演奏されていました。これに対しワルターという他所から来た若い騎士には「人生の冬の喧騒の中で美しい歌を作れる人が真のマイスターである」として見事優勝させており、新しい芸術(標題音楽・舞台芸術)が低迷していた古臭い音楽(絶対音楽)を凌駕するという手前味噌的、倒錯した主題がこの作品の1つのテーマになります。

 が、オペラの音楽自体はライトモチーフが各所で表現された作品で、野和士指揮東京都交響楽団と新国立劇場、二期会合唱団の演奏は素晴らしかったです。

 演出はドイツで活躍するダニエル・ヘルツオークで、最後にマイスターの称号を与えられたワルターが自分の肖像画を破り捨てるという試みも斬新で面白かったです。(2021.12)

ショパンコンクール

やりましたね!

日本の27才と26才の2人。

そうです! 今年のショパン国際ピアノコンクール(ショパコン、図1))で2位の反田恭平さんと4位の小林愛実さん。

ショパン国際ピアノコンクール

何かの本で読んだのですがショパコンの審査は初期の頃は結構いい加減で、審査員の合計加点が同点の場合コインを投げて優勝者を決めたこともあったようです。ところが、1980年の第10回ショパコンで「事件」が起きました。審査員であったマルタ・アルゲリッチがユーゴスラビアのイーヴォ・ポゴレリッチが本選に選ばれなかったことに猛烈抗議して審査員を辞退した「ポゴレリッチ事件」です。

ピアノコンクールではチャイコフスキー国際コンクール、エリーザベト王妃国際音楽コンクールと並ぶ、最も権威のあるショパコンですが、あまり知られていないことだけにしておきます。

 「だって彼は天才よ」と言い残して途中でアルゼンチンに帰国したことだけが知られていますが「魂の無い機械がはじき出した点数だけで合否を決めてしまうのは遺憾で審査席に座ったことを恥じる」と述べ、当時の審査体制を批判しています。その後優勝者や第2位が無かったコンクールがしばらく続きましたがこのことが影響したかどうかは分かりません。しかしいずれにしても現在の厳正な審査による世界的なコンクールに2人の日本の若者が入賞したことは画期的なことでしょう。私が小・中学生くらいの時には近所の子供たちがこぞってピアノを習っており「これだけピアノ塾に沢山の人が行っているのに何故日本には世界的なピアニストやコンクール入賞者はいないんやろう」と斜交いに構えて見ていましたが、彼らやその親たちは先見の明があったのでしょうね。彼らをちょっと馬鹿にしていた私は今さらながら後悔すること限りなしです。(2021.12)

大友直人指揮、清水和音のベートーベン

 1年8か月ぶりにクラッシックコンサートに行ってきました。

米子市公会堂 入り口の天井がピアノ鍵盤の形をしている

 新日本フィルハーモニー交響楽団による米子市公会堂での公演で、大友直人指揮、清水和音ピアノ独奏の、ベートーベンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」と交響曲第7番でした。久しぶりに聴く「生の音」はやはり素晴らしく、指揮者佐渡裕氏は「音楽は“不要不急”ではない。人と人がつながり、ともに生きる喜びを感じるためにある」と言っており、他の多くの音楽家も同じ思いで徐々に演奏会を再開しております。

 勿論、この日も感染対策は万全にされておりました。(2021.9)

音楽教育ハイフェッツ

 私の好きな音楽家にヤッシャー・ハイフェッツというバイオリニストがいます。1901年にロシアで生まれ、7才でメンデルスゾーンの協奏曲を弾いてデビューを果たし、16才でニューヨークのカーネギーホールでの演奏からアメリカを本拠地として活躍した、早熟の「天才」として著名な人です。「冷たいバイオリニスト」として日本ではあまり人気は高くないのですが、ハンガリー生まれのレオポルド・アウアーに師事し極度の完璧主義で完成された演奏と哲学的な造詣も深いことで、欧米では多くの支持者を得ており沢山のバイオリニストを育てています。彼の生涯を追ったドキュメントテレビによれば、自分の音楽スタイルを追求するだけでなく「アウアーから受け継いだ音楽の理論と技術を後世に残すことが、私の残された使命である」として、57才から第一線の活動ではなく南カリフォルニア大学で後進の指導に邁進することを決意しました。

私も明日からも頑張ろうと思います。(2021.8)

AI(人工知能)音楽家

 歌手の「加山雄三」さんの声の発音や抑揚、パターンなどを録音して、AI(人工知能)に学習、記憶させ再現したという報道を聞きました。伝えたい内容を入力すると「加山雄三」さんの声でアナウンスしてくれるという企画で、生まれ故郷でずっと生活の拠点とされている神奈川県茅ケ崎市にて、市役所や市立病院、スーパーや温泉施設でこの4月から館内放送されているようです。また、以前NHKスペシャルで同様に、美空ひばりさんをNHKやレコード会社に残る沢山の音源、映像をもとに、AI技術によって目や特徴的な口元などを歌唱とともに巧みに再現し、視聴者の心を惹きつけていたようです(図1)。少し前、人間不在でコンピュータ音楽のみのボーカロイド・オペラを発表した作曲家渋谷慶一郎氏は、テレビ番組「らららクラシック」において、「狂気のピアニスト」と言われるグレン・グールドの残された音源からAIが学習し、どのような楽曲でもグールド風にピアノ演奏する、またAIが学習したバッハの様式で実際に作曲する、ヴァイオリニスト成田達輝がAIと共演するなどが紹介されていました(図2)。グールド特有の「音を短く切る」「繊細で深みのあるタッチ」「ドライな演奏」など、細かく分析すれば学習・記憶できると思われますが、印象に残ったことは渋谷氏が「凄い演奏家は内部に狂気を持っており、演奏会でハラハラさせられる。例えば気分によって怒って演奏を中断したり、ふざけるなと鍵盤を叩きつける。このような一番人間の極端な部分をAIに忍び込ませると面白いでしょうね」と仰っていました。グールドや他の音楽家、例えばカルロス・クライバー、ウイルへルム・フルトヴェングラー、ウラジミール・ホロヴィッツなどの持つ、演奏に込められた情熱(狂気などと紙一重のもの)という、即興的に出てくる感情を含めた人間らしいものが生み出すようになるかどうか興味のあるところです。(2021.5)

元始女性は太陽であった

 コロナ感染が収束すればオリンピックを初め色んな行事が始まりますが、女性蔑視と思われる発言は良くないですね。平塚らいてうは「元始女性は太陽であった。しかし今は月である。他の光(男性)に依って輝く青白い顔の月である。」と言って、女性解放運動を開始しました。言語能力など女性が優れている点や大部分の女性は甘い食べ物が好きであるなどは実感するところですが、男性から見てちょっとついていけないことが時々あります。だいぶ前になりますが、藤岡幸夫(関西フィルハーモニック管弦楽団首席指揮者)が主催する番組「エンター・ザ・ミュージック」で、伊福部昭氏(映画ゴジラのテーマ曲の作曲で有名)が作曲した舞踏曲「サロメ」の紹介をしていました。「サロメ」はかつてオスカー・ワイルドが書いた戯曲をリヒャルト・シュトラウスのオペラや三島由紀夫の演劇台本演出など、多くの芸術家に取り上げられている有名な物語です。簡単に紹介すると、古代イスラエル王国において継父ヘロデ王が王女サロメ(血のつながりのない娘に当たる)に無理やりに妖艶な踊りを舞わせたところ、その見返りとしてサロメは囚われている美しい預言者ヨカナーン(サロメが心惹かれている)の首を斬り落とすことを要求したという、王女の無垢で残酷な激情と悲劇的な結末を描いたものです(図1,2)。前夫をヘロデ王に殺されたサロメの母ヘロデイアイスのたくらみであったようですが、いずれにしてもおどろおどろしい話です。私がもっと驚いたのはアシスタントとして出ていた、テレビ東京アナウンサー繁田美貴さんは、小学生の時「何故好きな人の首を欲しがったのかわからなかったが、ドキドキしながら原作を読んだ」そうです(図)。小学生の女子が、ですよ。 毎日チャンバラごっこに明け暮れ遅くまでキャッチボールをしていた小学生の私たち男子と比べ、同世代の女子たちはやはり「太古の昔、太陽であった」と驚愕せざるを得ません。男女では生まれつき精神行動学的原理が違うのでしょうか。(2021.4)

ビアズリーによる挿絵。ヨカナーンの首を手にしている(Wikipediaより)。

クラシック音楽演奏・鑑賞にともなう飛沫感染リスク検証実験報告書

 最近面白い実験結果が出たので紹介します。題材はやはり私の好きなクラシック音楽に関するもので、クラシック音楽講演運営推進協議会と一般社会法人日本管打・吹奏楽学会が今年の7月に行った実験で、クリーンルームにおいて飛沫微粒子を測定したものです。その報告書に沿って概略を述べたいと思います(コロナ下の音楽文化を前に進めるプロジェクト:クラシック音楽演奏・鑑賞にともなう飛沫感染リスク検証実験報告書HPより)。

 左は今年の5月にベルリンの専門家達によって、弦楽器奏者間の距離1.5m、管楽器奏者間の距離2mを確保することが理論上かつ暫定的に提唱され、標準的安全距離(ソーシャルデイスタンス)と認識されるようになり採用された時のオーケストラの配置です。右は同じ会場における従来の演奏形態です。しかしながら、この標準的安全距離を確保するのは演奏の質を担保するのに不十分かつ困難であり、広く演奏される多くの作品の演奏が不可能となります。ウイーンフィルなど多くの団体が楽器演奏時の飛沫等の可視化実験を行い、以上の安全距離は過大ではないかという疑問が出始めました。

 ソーシャルデイスタンスを取ったオーケストラの配置(左)と従来の配置(右)上記HPより

 可視化実験では飛沫等の飛散する様子を立体的、経時的、定性的に捉えることは可能ですが、隣接する演奏者の位置における飛沫等の暴露の程度は、実際にその位置で微粒子の量を測定する必要があります。環境中に多く存在する埃も微粒子として測定されるのを避けるために、クリーンルーム環境においてパーティクルカウンターを用いて楽器演奏時の微粒子測定が行われました。

 方法客席と演奏者について、ソーシャルデイスタンスをとった場合と従来の方法をとった場合に微粒子の飛散程度が測定され比較検討されました。対象楽器として木管楽器(フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、アルトサクソフォーン)、金管楽器(ホルン、トランペット、トロンボーン、ユーフォニウム、チューバ)、弦楽器(バイオリン、チェロ)、歌手(ソプラノ、テノール)、客席(聴衆の会話、咳、発声を再現)が選ばれました。各楽器当たり3名の演奏者が、それぞれ1分間x3回の演奏を行い、演奏者の間近、及び前後左右計9か所にパーティクルカウンターで測定されました。

 

 客席(左)と演奏者(右)の前後左右を含め9か所に測定器(パーティクルカウンター)を設置。それぞれ、「隣接した位置」⇔「一席あけた位置」、「従来の距離」⇔「ソーシャルデイスタンス」で比較。

 クリーンな環境下にて実験を行うアルトサクソフォーン演奏者

「結果と提言のまとめ(原文より)」

・演奏者およびマスク着用下の客席において、従来の間隔の場合でもソーシャルデイスタンスをとった場合と比較して、飛沫などを介する感染リスクが上昇することを示すデータは得られなかった。

・ただし、ホルンでは右側50㎝、トランペット・トロンボーンでは前方75㎝において他の測定点よりもやや多い微粒子が観測された。飛沫などを介した感染リスクに限らず、人の直接・間接の接触がある限り感染のリスクをゼロにすることはできない。

・しかし、合理的な対策を組み合わせることによって感染リスクを下げること、そして仮に感染が生じてもできるだけ狭い範囲にとどめることは可能である。

・各団体が感染リスクを理解した上でそれを下げる方法を十分に検討し、方針を決定することが望ましい。

 このような実験とその結果は、演奏者や観客にとって、これからの演奏形態がどうあるべきかを具体的に考える上でエビデンスのある極めて有意義なもので、実際の運用方針は各団体に委ねられるとはいえ、音楽の演奏は空間的時間的共有が不可欠であるという演奏家やファンの熱い思いを代弁しこれからの方向性を示すものと思われます。

 N響は今後状況により従来と殆ど変わらない配置での演奏を考慮するようですが、やはり金管楽器はリスクがありそうです。演奏者や指揮者は本番では喋らないので良いのですが、リハーサルで興奮して唾をとばす広○○一氏のような指揮者には自覚して欲しいものです。

 またファンにとっては客席では席を空けなくてもリスクに差がないとはいうものの、「ブラヴォー」を大声で叫ぶのとマスクをしていてもずれたりすることがあります。咳はマスクをしていても飛散リスクがあるようですが、そもそも咳をしている人は演奏会には行かないだろうし、咳より熱が初発症状となるコロナ感染者では入口の検温検査で引っかかってしまうと思われます。

 やっぱり感染対策はキッチリすべきでしょう。(2020.12)

 その他の懸念として、演奏会の休憩中にホワイエ(演奏会場のロビー、幕間に飲食がふるまわれる)でのシャンパンやワインサービスは無くなるのでしょうね。これが一番残念です!!(2017年 ドイツバイロイト音楽祭)

演奏会場外でのワイン:海外ではこのような演奏会形式があり羨ましい限りです。(

レナード・バーンスタイン「ヤング・ピープルズ・コンサート」

 私の好きなクラシック音楽の領域ではユダヤ系指揮者・作曲家のレナード・バーンスタインが、1958年から1972年にかけ「ヤング・ピープルズ・コンサート」という子供たち向けの教育講演をテレビ中継用にニューヨークフィル率いて行っておられました。計53回のシリーズで初回の「音楽って何?」から始まり、古典音楽や印象主義、協奏曲や交響曲の作られ方、ソナタ形式、メロデイー、旋法、さらにマーラーやストラビンスキー等の作曲家の紹介、幻想交響曲やオペラ「フィデリオ」等個々の楽曲について、分かりやすく解説するものです。(2020.10)

家音楽会

 私はただでさえ大阪や東京に出にくい米子の地で、趣味のオペラやクラシックコンサートに行けず、貸マンションの一室で「家音楽会」をしております。各演奏家たちは無観客のイベントやWEB配信など、様々な工夫をされているようですが、私の「家音楽会」は、以前からやっている「総譜を読みながら交響曲や器楽曲を聴く」というものです。ご存じとは思いますが「総譜」とはスコアとも言い曲を構成する全楽器の楽譜が書かれているもので、指揮者が譜面台において各パートに指示します(カラヤンは暗記でしかも目をつむって指揮していた)。例えば交響曲なら上から木管楽器、金管楽器、打楽器、弦楽器というようにそれぞれの楽譜が並んでいます。

ベートーベン作曲交響曲第五番「いわゆる運命交響曲」第4楽章冒頭の総譜

 作曲者が作り出したどのような曲においても、それぞれの楽器に1つ1つの音を出すように指示するために「音符」という特殊な記号で五線紙に書かれたものが楽譜で、ちょうど特殊な言語でコンピューターを動かすように書かれた「プログラミング」のようなものです。

 演奏者はそれを読みながら演奏して作曲された音楽を再現し、通常ならホールやサロンで観客とともに芸術空間、時間を共有するわけです。指揮者になった気分で「総譜」を読むと各楽器の細部まで作曲者の意図を知ることとなり、音楽の神髄が味わえます。「総譜」が分かれば頭の中で音楽が組み立てられコンサートホールに行かなくても、極端な言い方をすれば音を出さなくても音楽を楽しめるということになり、ストラデイバリウスのバイオリンやタンノイのスピーカー等は意味の無い存在となります。以前私の大学の後輩で「コンピュータのプログラミング」を見ながら、頭の中でそれを組み立ててニヤニヤしたり、時に「くくっ」と笑ったり怒ったりという、薄気味悪い天才がいましたが、今となってはその変人の気持ちが分かるような気がします。(2020.9)

コンピュータのプログラミング(Wikipediaより引用) これでコンピュータの働きを作る

音楽紀行:ライプチッヒ

2019年5月の10連休を利用して、ドイツのライプチッヒに行ってきました。

目的は勿論オペラ鑑賞で、ワーグナーの「ニュールンベルグの指輪」4部作を聴いてきました。「前夜:ラインの黄金」「第1夜:ワルキューレ」「第2夜:ジークフリート」「第3夜:神々の黄昏」と、それぞれ2時間半、5時間、5時間、6時間かかるものです。

ライプチッヒは旧東ドイツに属し、ミュンヘンやフランクフルトなど西ドイツに比べ、素朴で飾り気のない街で人々も純朴な感じを受けました。ライプチッヒはワーグナーやシューマンの妻クララ・ヴィークが生まれた町で、バッハがカントル(教会音楽家)として雇われた聖トーマス教会があります。メンデルスゾーンが活躍し指揮をしていたライプチッヒゲヴァントハウス管弦楽団は世界最古のオーケストラです。

バッハ像