木蔭に寝乍ら

 私は夏になるとよく好古館の東の公園に本を携えて行く、そこにはたくさん植えられた 楠の木があって、その中に特に大きなのが一本ある。丁度午后の二時頃になると下に置かれたベンチが翳ってくるので、私は仰向けに寝転んで本を読むのである。濃緑の葉が内部見えない位繁っているのを見ると、その一樹は葉に満ちているようにおもう。併し寝転んで下から見上げると、見えるのは複雑に伸びて組合う枝が殆んどである。それは丁度傘を拡げたようである。骨組の上に布を張ったようにして葉がついているのである。私は曽って樹木は葉を光合成が最も効率的に出来るように拡げるというのを読んだことがある。成程とおもう、そして何時もこれが太陽光線を最もよく受ける為に自然が作った形なのだなあとおもう。よく見ると重なり合っているように見える葉の一枚一枚が、自分の太陽光線を享受出来る面をちゃんと持っている。而してそのことは、下に寝転ぶ私にとって大変快適な空間を作ってくれるのである。全てが太陽光線を最大限に受けようとすることは太陽光線の少ない所は陶汰されてゆくということである。上に伸びた枝が繁って、曽って葉をもった、下になった枝は枯れてゆくということである。見上げる私は高い木の一番上の方迄自由に視線を遊ばすことが出来るのである。

 高く大きく拡げた木蔭を通う風は涼しい。木蔭を区切って外は照りつける日差しに暑い風が吹いている。その風が蔭に入るととたんに涼しくなる。私はそれが何時も不思議で仕方がない。そして未だそれを解明した本に出会ったことがない。併し私は不思議なものに身を委ねているのも楽しいことのようにおもう。標とした無限なものの上に漂うているような気がするからである。

 本を読んでいると時折り、大きな目の紋様を持った蝶が降りてくる。降りてくるのが殆 んど何時もその蝶であることをおもうと、恐らくこの楠の何処かに棲んでいるのであろうか、私にはこの目の紋様が翅にどうして出来たのであろうかということも不思議の一つである。第一に考えられることは敵を威嚇するためである。これは誰も思うことであり、恐らく正しいのであろうとおもう。不思議は次の問いからである。何うしてそれを蝶が知っているかであり、何うして翅に紋様として現れたかである。外に現われるためには何か内にはたらくものがなければならない。如何なるものがはたらいたのであろうか、そこで考えられるのは、蝶は度々斯る目を持ったものに襲われ、殺されたということである。この丸いのは恐らく鳥の目であろう。そしてこの様な目に出会った時、蝶は本能的に逃走の飛翔をもつのであろう。併しそれが何うして翅に巨大なる目の紋様となって現われたのか。

 私はここで更に細胞の不思議へと思考を進めなければならないようである。鳥の目に恐怖するとすれば、同じ形相の更に大なるものは、より大なる力をもつ筈である。大なる力は小なる力を圧伏する筈である。逃げ出さなければならない目は、更に大なる目によって追い払える筈である。私は恐怖によって紋様が出現したとすれば、蝶の内部に斯る生命の論理が働いたとおもわざるを得ない、測り知ることの出来ない時間の中に、限り無く襲われ、食われることによって、生命細胞は斯る形を現わし来ったとおもわざるを得ない。如何にしてという問いを超えて、生命細胞は保護色虫が自在に色を変えるごとく、生存に最も適する形を実現するものとおもわざるを得ない。

 近頃は余り見かけないが、一時よく原始社会の彫刻が公園などで並べられたものである。直線の輪郭の顔、逆立つ眉、大きく剥いた眼、張り出た鼻、分厚い唇、そして犬のような牙、それらは全てわれわれを威圧し、恐怖に導くものであったようにおもう。それ等は原始人が魔除けに作った形であるという。それ等は全て悪魔の形相である。悪魔を払うために更に大なる悪魔の形相を見出たのである。勿論それは生命細胞が自己を具現したのではない、自覚的生命として外に、木や石に表わしたものである。併し私はそこに生命細胞と人間の表現の接続を見ることが出来るように思う。生命細胞の中に人間の表現の原質を見ることが出来るようにおもう。

 形は内なるものの表れであり、内なるものの表れとしての形が美であるとすれば、私は芸術の淵源はここにあるようにおもう。原始表現は、更に生命細胞に潜むものの中にあるようにおもう。勿論蝶の紋様が芸術とは言えないし、原始的表現も芸術とは言えないものであろうとおもう。人間は自覚的として外に物を作り、内に愛を創った。そこに人間は無限の多様なる形をもったのである。言葉を介して形が形を生んでゆくのである。価値はそこより生れる。美も美的価値として内面的発展をもつものであり、芸術とは形の内面的発展に付けられた名であるとおもう。併しての形が形を生んでゆく内面的発展の力は、蝶が襲われ食われた限り無い時間の中に見出して来た、目の紋様の出現と同じ力がはたらいていると思わざるを得ない。生命細胞が目の紋様をもったということは思議すべからざるものである。私はそれと共に芸術家の手を動かす形の出現も思議すべからざるものであるとおもう。芸術家は作ることが呼ばれることであるとおもう、知らざる手が導くのである。私は私達の背後に全生命を一とした、大なる生命の運びがあるようにおもう。我々の思議は不思議の上にあるのである。不思議が思義するのである。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

色 即 是 空

 以前に読んだ生物学の本には、人間の細胞は三十兆、脳細胞は百二十億と書いてあったと記憶する。それが今度の本には細胞が六十兆、脳細胞が百四十億と書いてある。短期間にそんなに増える筈がないから測定の方法が精密化したのであろう。前に読んだ本では脳のはたらき得る可能性は、百二十億の百二十億乗、全宇宙の電子の数に匹敵すると書いてあった。そうとすると現在は更に増えていることになる。但し人間が生涯に使うのは十数%にすぎないと書いてあった。それにしても人間の想像を絶する深大さには、驚異とも畏敬ともつかないものをもつばかりである。

 生命は三十八億年程前に誕生したらしい。その生命が単細胞生物から、多細胞生物となったのは六億年程前らしい。それから陸棲動物となり、両棲類、爬虫類、哺乳類より人類へと進化したらしい。即ち六十兆の細胞と百四十億の脳細胞は、人類が三十八億年の生死の陶汰を繰り返して形作ってきたものである。二十億年の無核生物、十二億年の単細胞生物、六億年の海中、陸棲を積重ねてきた生命の構造物である。多彩なる機能は長い間の、生死の中より獲得してきた形質である。

 この頃テレビできんさんぎんさんというのが評判になっている。双生児の姉妹で共に百才であるらしい。評判の原因はその長生にあやかりたいということらしい。この頃の平均寿命は男七十六才位女八十一才位と新聞に書いてある。私達の若い頃の人生五十年に較べれば長生きになったものである。併し死は幾つになっても悲しいものである。

 般若心経は五蘊(ごうん)は皆空なりと照見して一切苦厄をし給うと説き、色即是空と説く。五蘊は五官であり、感覚であり欲求である。欲求の対象は物である。物は全て対立をもつものであり、対立は相互否定的である。否定すると共に否定されることによって物はあるのである。否定すると共に否定されるとは形が変ずることである。物は必ず壊れるものである。身体も亦形あるものとして、必ず死にゆくのである。物の壊れてゆくのは所有するものにとって苦しみであり、死ぬことは生きるものにとって苦しみである。生を死に映すとき、見るもの聞くもの全て苦しみたらざるはない。斯る苦しみは皆空なりと観ずることによって救済されると説くのである。

 何故死ぬことは悲しく苦しいのであるか、犬は老いの来るのを悩まない、唯食物を探すだけである。鯉は背を包丁で割かれても静かである。死に面せずして死に苦悩するのは人間だけである。他の動物は健康であるのに悩むことはない、そこに人間の知があるのである。人は他者の死を見て自己に来る死を知る。他者の死を知るということは、自己ならざるもの、自己を超えたものを知ることである。それは無数の生死を知ることである。人は必ず死ぬという命題は、唯一人や二人の死を見ることによって生れたのではない。病・老・死を無数に見ることによって来ったのである。自己を超えた無数の生死を見ることは、無限の時を見ることである。生死を超えた時間を見ることである。死のかなしみは、生死を超えた無限の時間の中に、自己の有限を見るが故にかなしいのである。無限の時間の中に映すとき、有限なるものは何れも儚きものとして、泡沫と生れて消えゆくもののかなしみを持たざるを得ないのである。

 如何にして人間は無限の時間を見、自己を有限と見るのであるか、私はそこに三十八億年の生命形成を見ることが出来るとおもう。私達の生命は一瞬一瞬の内外相互転換に於て自己を維持してゆく、呼吸をし、食物を摂り、ニュースを聞き、他者と語らって生きている。併しその一瞬一瞬は六十兆の細胞を作り、百四十億の脳細胞を作った、三十八億年の時間を孕むものの一瞬である。我々の身体は生れて死ぬ、併しこの泡沫とも言うべき八十年は、過去の無数の生死の集積としての身体である。無数の生死の集積とは、生死を超え生死を内に包むということである。私達は歩き乍ら様々のものを見る、一歩一歩異ったものを見る、而して其の一々は脳細胞の測り得ないはたらきを背後にもつ目によって見るのである。一瞬一瞬は意識の達すべからざる時間をもつのである。達すべからざるものとして、過ぎゆく一瞬一瞬がそれによってあり、その中にあるものとしてそれは永遠なるものである。生命が動的として無限にはたらくとは身体的に自己を形成することであり、身体は永遠なるものが瞬間的であり、瞬間的なるものが永遠なるものとして自己を形成するのである。動的であるとは矛盾の統一ということであり、永遠なるものに瞬間的なるものを映し、瞬間的なるものに永遠を映すことによって自己を形成してゆくのである。矛盾の統一として、永遠なるものと瞬間的なるものが相互限定的に自己を形成してゆくとは、生命は自己の中に自己を見てゆくことであり、身体は生命の具現としてあることである。身体は身体の中に自己を見てゆくのである。

 人間は言葉をもつものとして自覚的に自己を限定する。自覚的とは外に表現的に自己を見てゆくことである。瞬間に永遠を映し、永遠に瞬間を映すということは表現的に自己を見てゆくことである。見るものの方向に三十八億年の生命を宿す永遠なるものがあり、見られたものの方向に現在の形として、形より形へと移りゆくものがあるのである。無限なるものの前に立つ有限なるものの悲しみはここにあるのである。身体は見られたものであると同時に見るものである。悲しみ苦しみは動的なるものとしての、身体がもつ矛盾乖離にあるのである。苦悩は無限と有限、永遠と瞬間が対立することにあるのではない。自己が自己ならざるところにあるのである。対立するとは自己が自己ならざることである。自己ならざる自己が、自己ならんと努力するのが苦悩である。それは苦悩せんとして苦悩するのではない、矛盾はそれ自身が一なることを要求するものであり、人間に於ては自覚と して、言葉に露わならんとするのである。真に生きんとすればする程、生の根源として湧き来るのである。

 この我とは今此処にせんべいを嚙り、原稿紙にペンを走らせている我である。それ以外に我があるのではない。それは他者に罵られて腹を立て、病みては床に呻吟するわれである。やがて死して焼場に送られる我である。何処迄も色身としての我である。色身を離れて我はない。而して色身の世界は対立矛盾の世界であり、苦悩の世界である。空なりと観ずるとは如何なることであろうか。色身は現実に於て如何にして救済されるのであろうか。離れてあり得ないものを離れる観とは如何なるものであろうか。

 今囓っているせんべいは、人類が長い歴史の中に経験の蓄積としての技術による世界形の内容としてあるのである。私は今身の養いとしてせんべいを食っている、それは外を内とする行為である。この一瞬の内外相互転換は無限の時間を背後にもつ一瞬である。このせんべいが世界形成の内容としてあるということは、このせんべいを作った人が技術をもつものとして、無限の時間を内にもつものでなければならない。世界とは無限に多様なる技術の集積が形成的に一として動くところである。即ちせんべいを作ったものも、せんべいも、せんべいを食うものも無限の時をもつものとしてこの一瞬があるのである。無限の時間の蓄積は技術的形成として歴史的創造の世界である。我々は創造的世界の一要素としてあるのである。ここに於て我々は更に深き自己に面するのである。罵られて腹を立てる自己は、罵るものに対する自己であり、罵られることによって失われる自己である。創造的世界の要素となるとは、無限の時間を内にもつものとして、斯かるものを超えて中に見るものとなるのである。それは自己の生死をも裡に見るものである。人類の形成し来った全時間に目を置くものとなるのである。全時間の現在としてはたらくものとなるのである。はたらくものは永遠の今としてはたらくのであり、我々がはたらくとは永遠の今として自己があることであり、そこに真の自己を見るのが観である。

 色即是空とは一瞬一瞬が永遠の具現であり、現身の生死が創造であることである。そこより蓄積が生れ形成があることである。一瞬が永遠に転じ、永遠が一瞬に転ずるのである。生死するものが、生死が直に永遠であることを覚ることである。対立するものは対立なきものの対立であり、一者は対立するものの一者である。斯る動転が形成するはたらきということである。対立するものは一者に消え、一者は対立するものに消えるのである。消えることは亦出現することである。より大なる形へと歩を進めることである。生死するものは永遠の中に消えることによって真に生死を現し、永遠なるものは生死の中に消えることによって真に永遠を現すのである。

 我々は形をもつ対立するものとして、生死するものとして、永遠の中に消えゆくことに よって真に自己を現わすことが出来るのである。消えてゆくとは相対を滅して永遠即自となることである。全てが永遠の相貌となることである。欲求的自己を殺すのである。絶対に死ぬのである。それは勿論肉体の死ではない、世界形成としての我よりを捨てるのである。我よりを捨てるとは、我のはたらきに世界のはたらきを見るのである。我の一挙手一投足を世界の一挙手一投足とするのである。我のはからいを世界のはからいとして、生滅を包むものに目をおいて生滅を見るのである。肉体のあるところに官能はある、官能が死すとは、一瞬としての欲求が永遠の陰翳を帯びるということである。言葉の内容となることである。

 禅家に大死一番という言葉がある。死とは無に帰することである。大死とは積極的に自己を殺すことである。自己否定に徹することである。生命形成が瞬間に永遠を映し、永遠に瞬間を映すものであるとき、大死とは永遠に瞬間を映すことであり、そのことは亦同時に瞬間に永遠を映すことである。我々が永遠の中に消えたということは、我々に永遠を現わしたことである。

 生死するこの我が永遠の中に死して甦り、永遠が生死す我に消えて形を現わすとは、生命形成とは絶対の無として動いてゆくことである。三十八億年の生命は刹那生滅的に形成し来ったということである。絶対の有は絶対の無である。そこに色身に対する空の救済があるのである。色があるのでもなければ、空があるのでもない。永遠と瞬間が純一として現在より現在へとこの我がはたらくとき、有限と無限に乖離したこの我は真個の我の具現を見るのである。それが色即是空であり、そこに救済があるのである。斯かるものとして色身を離れるというは更に大なる光りを色身に受けるということである。救済とは現実に生きることであり、日常に生きることである。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

夢想

 昔はよく技術の練達を願って二十一日の断食をし、水垢離をとって神に祈ったようである。神陰流とか、夢想剣とか言われるものは満願の日に現われた神が示した技から編み出したものであるらしい。剣のみではない、仏像を彫り、天女や竜を描くにも同様の祈願をこめて、形の啓示を祈ったとは書物に見るところである。

 一日中で私達の創造的思考の最も働くときは、午前五時頃であると書いてあるのを読んだことがある。人類の偉大なる発想は多くこの時に生れたとあったようにおもう。午前五時と言えば瞼はまだ閉じたままで、頭脳のみがはたらくときである。断食と水垢離、夜明け前の目にまだ眠りの残るときに、私達は創造的発想をもつとは如何なるはたらきによるのであろうか。

 この二つに共通する条件は何であろうか、私はそこに意識が身体を放れると共に、身体が対する現実より放れるのを見ることが出来るとおもう。二十一日の断食と水垢離は疲労と衰弱の故に、午前五時頃は横臥と、目覚めた身体が未だ活動の準備が整っていないが故に、意識は現実としての身体や対象に面していないとおもう。意識が現実に面していないとは如何なることであるか。

 生命は内外相互転換的にある。内外相互転換的にあるとは、内が外を否定し、外が内を否定することである。外を否定して内とし、内を否定して外とすることである。生命が動的であるとは、斯る転換として動的であるのである。対象は単に我々に見られたものとしてあるのではない。生死を距てる対抗緊張に於てあるのである。斯る転換が我々の日々の営為であり、現実とは斯る日々の転換の営為である。

 意識とは斯る転換より生れると共に、斯る転換を映すものである。映すというは其の中に見るものとしてより大なる立場に立つのである。我々は経験を蓄積するものとして物を作る。経験を蓄積するとは一瞬一瞬の転換がはたらくものとなることである。昨日の営為が今日の営為となることである。意識とは断る経験の蓄積である。昨日の営為と今日の営為を統一するものである。無限の過去の死を生に転じた一瞬一瞬を、現在の死生転換の参考としてはたらかしめるものである。生命形成の初めと終りを結ぶものとして、永遠の相下に一瞬一瞬を成立せしめるものが意識である。

 一瞬一瞬の内外相互転換がはたらくもの、見るものとなるとは生命は形成的であるということである。それは外を作ることによって内を作り、内を作ることによって外を作ることである。内とは無限の過去としての外を現在に於てもつものであり、外とは無限の過去としての内を現在にもつものである。我々が今もつ営みとは斯る生命の無限のはたらきである。

 意識は身体の意識であり、身体を離れて意識はない。それが身体を離れるとは転換としての対立緊張を失なうことである。対立緊張を失なうとは、外よりの否定としての圧迫をもたないということである。内としての外を形成するはたらきが、現実としての外の圧力を極小として、自由に形を見ることである。そこに夢想がある。夢想とは内を外とする形成作用が、外の抵抗を失なって、内よりの形成を何処迄も肥大させてゆくことである。身体を離れるとは、外の抵抗を極小とする故に力の表出が最小限にとゞまることである。そこに夢想の非現実性がある。夢想は多く欲求が表象的に肥大して、外として、物として実現することの出来ないものである。それが創造的内容となって、大なる形相を生むとは如何なることであろうか。

 私はこの問題に迫る前に、内外相互転換について少し突込んだ考察を加えなければならない。外は物として我々を取り巻くものである。それは形あるものとして対立するものであり、対立するものとして多なるものである。形あるものとして既に作られたものであり、 既に作られたものとして過去に属するものである。外を内にするとは、過去としての多が現在の中に消えてゆくことである。現在の生命形成の中に形を失なってゆくことである。人間は自覚的生命として物を製作する。製作するとは過去が消えて、未来が現われることである。過去としての多が消えてゆくところとして、外が内となるとは、多が一となることである。

 私は夢想が偉大なる形相を生むには、既に全心身を投げ込んだ問題意識があったとおもう。問題意識は常に多の矛盾対立である。多は一への回帰に於て多である。問題は多が自己を一として見ることが出来ないことより起きるのである。矛盾は多が一ならんとするが故に矛盾である。外を内ならしめんとする生命形成に於て矛盾である。対立は何処迄行っても対立である。それは一となることの出来ないものである。それが極小となるとは、対立が極小となることである。そこに突然内が現われるのである。一が出現するのである。この現われた一が偉大なる形相である。それは全心身を領じたが故に、極小としつつ底深く外につながっていたのである。

 外を内とするとは、世界の秩序を身体の秩序に於て見ることである。内外相互転換として物は身体の外化である。世界は身体の延長として世界である。物と化した身体がその対 立に於て、再び身体に還るのが外を内に見ることである。矛盾対立は身体の生死にある。 物と身体は相互否定的に形相形成的である。世界の矛盾対立が統一に於て捉えられるとは、 身体的一に於て捉えられることである。夢想に於て外としての物の圧力が消えるとき、突如として身体の秩序が物の形に現われるのである。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

幼心

 幼心と言っても、本文は幼児の心理を書こうというのではない、唯ゲーテの幼時の思い出というのを考えているとき、不意に孟子の「長じて幼心を失わざる、是を大人という」言葉が浮んで来たので、ゲーテから孟子を捉えて見ようと思った迄である。故に本書の幼心とは孟子の言葉の幼心である。

 ゲーテは幼時バラの花を見ていると、はなびらの中よりはなびらが出て来て室に溢れたという。勿論本当にはなびらが出てきたのではない、想像の中に溢れ出たのである。併しそれは単に想像の産物ではない、現実のバラのはなびらがはなびらを産んだのである。現実のはなびらが想像の中に自己増殖をもったのである。

 生命は無限に動的である 動的であるとははたらくものであることである。はたらくと は形に自己を見てゆくことである。人間は自覚的生命として外に自己を見てゆく、物を作る青年の情熱、壮年の実践、老年の英知とよく言われる。何によって斯る変化を遂げてゆくのであるか、私はそこに身体の熟成を見ることが出来るとおもう。青年は身体躍動して血気旺に循るときである。それは自己を捨てて、世界を自己に見ようとする意志がおのずから働くときである。情熱とは全身全霊を挙げて、世界と結合し世界を実現せんとすることである。壮年は心身充実し、世界という茫漠たる理念から、世界を構成する物と自己の個性が結合し、世界を実現してゆくものとなることである。青年が理想に面するに対し、現実に面するのである。老年の英知とは、身心鎮静して活動力を失い、青年の情熱と壮年の実践、理想と現実を統一した相に於て観照することである。青年の非現実性、壮年の理想喪失を世界形成の立場から適切な言葉を見出してゆくことである。

 それでは幼時とは何であろうか、私はそこに成長を見ることが出来るとおもう。僅な日 時の間に見違へるばかりである。成長は細胞増殖である。私は細胞増殖に幼時の身体を見ることが出来るようにおもう。成長し増殖してゆく身体には常に新しい機能の統一がなければならない。匍匐(ほふく)より直立歩行し、直立歩行より走り出し、言葉を覚える、それは常に新しいものに面する飛躍である。私はそこに幼心があるとおもう。匍匐より歩行し更に言葉をもつということは、その一々が新しい対象面を拓くということである。対象面を拓く ということは自己の外への投げかけをもつということである。

 幼時の感情、行動、表現は自由であり飛躍である。泣いていたと思っていたのが笑い、直ぐく走っていたのがくるりと向きを変え、字も知らないのに絵本に向って声を挙げている。そこにはいささかの渋滞もない、対象と自己は行動的空間として、純一より純一へと移ってゆく、私はそこに幼時の細胞の生長増殖を見ることが出来るとおもう、それは新陳代謝と質を異にしているようである。生長増殖は形成であり、飛躍である。無よりの創造である。

 長じて幼心を失わざるとは如何なることであろうか。長じるとは身体が完成することで ある。身体の完成は対象の形相が固定をもつことである。併し生命は内外相互転換として常に新しい状況に接する。固定は生命の死である。そこに無心に還り、既成の形を超え現在の形をもつ、そこに幼心があるとおもう。転換は否定的転換である。外を否定して内となし、内を否定して外となるのが転換である。そこには常に変化がなければならない、形の飛躍がなければならない。

 私は大人と小人を分つものは目を転じ得るか否かにあるとおもう。内を否定して外とすることは自己を対象化することである。物になるということである。このとき物は自己を映した物である。目を転じるとは映された物に目を置くことである。我々は物を製作することによって世界を形成する。この世界から逆に自己を見るのである。見出た世界を自己の形相として、形相の底からはたらくものとなるのである。形作った世界が世界自身の内面的発展をもつのである。そこに創造があり、対象を知り、自己を知ることが出来るのである。目を映された物に転じるとは、世界となってはたらくものとなることである。欲求としての自己よりの目をもつ自己を殺すことである。

 否定的転換は死生転換である。我々が生きているとは一瞬一瞬生死相分つ峰を歩いているのである。働かざるものを待つのは死である、働くとは死を生に転ずる行である。一々に死に一々に生きる生命形成は飛躍である。それは過去がそこに死に、未来がそこに死ぬことによって出現するものとして、絶対現在として生命はあるのである。過去と未来は現在に死ぬことによって、現在に生れるのである。そこに死して生れるものとして現在は絶対の無である。

 私は大人とは自己を殺して世界として甦った人であるとおもう。自己は斯くあるという のではない、現在を自己の初まりとして、現在に死に、現在に生れるのである。過去と未来を截断して、今に生きるのである。そこは自由であり絶対の無である。大人とは絶対の無にして、無なるが故に過去と未来を真に生かす人であるとおもう。世界の創造的形成の創造線に沿う人である。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

日本的時間:春期研修旅行参加の記

 奈良に入って気のつくことは重厚な邸宅の多いことである。以前に何かの本で紀伊路から大和路に入ると、家並みが立派になるのでよく解ると書かれていたのを思い出す。其の本によると大和は天領で租税が四公六民であり、役人の数も少なくて悪辣な行為もなかったらしい。それに対し紀州徳川家では、耕地の少ない領土の上に、御三家の体面を保つために、非道いときでは八公二民という誅求を行ったらしい。そこには役人と住民の争いのあったのは当然である。家並みの差は三百年の蓄積の差であったのである。

 途中車が道を間違えて進めなくなってしまった。近所の人が出て来て手を振ったり、口々に何か喋っている。私の坐っている窓の正面には四十才位の女性が、自分の家の窓から隣のコンクリートブロックの塀に足を掛けて見ている。私はそのざっくばらんな庶民性に思わずほゝえみが浮んで顔を見た。この辺の距てのない生活のありさまが見えるようである。気兼ねなく暮せるということは美徳の一つに数えてよいであろう。車は二度三度右に向きを変えようとするが曲れない、止むなく千米程歩いて行くことになった。雨が止んでさわやかであるが歩くとさすがに暑い。途中新築の豪壮な家があった。誰かが「寺よりあの家が見たい」と言っていた。登り坂の千米はややきつい。

 一万株と案内に記された牡丹は大方散りはてて厚い葉が風にそよいでいた。牡丹の花は美しい丈に崩れた姿は無残である、反り返った花びらが二片三片、突き落とされるようになって下を向いている。しべは伸びて細くなり、輝くような金色は疾うの昔に忘れてしまったようである。散った花は土に埋く積っている。花体を成さない花びらは何となく疎ましいものである。その代り芍薬(しゃくやく)の花が満開であった。炎え立つような真紅の花が多かった。併しそれも広い牡丹園の一隅をのみ占めるとき、却って寂莫の感を深めるものであった。或はそれは期待に対する失望感であり、老いの深まる私の感情移入であったかも知れない。当麻寺に入って先ず目についたのは、境内に渡された長さ六七十米、巾二米ばかりの木の組橋であった。それは本日の御練りに、中将姫が西方浄土へ渡御すべく作られたものであると思わせた。私は見ながらこのような説話を作った時代的土壌に思いを馳せた。平安時代に於ける浄土欣求穢土遠離の思想は凄まじいものであったらしい。輪廻転生を信じた人々は極楽に生れんことを希い、地獄に生れることを非常に恐怖したらしい。罪を逃れんが為に当時の王侯貴族は、財と時間のゆるす限りを吉野・熊野に詣ぜたと記されている。名を忘れたが或天皇の如きは十数回も熊野行幸をされ、その内幾回かは険難な道を撰んで 御自身難路を徒歩で行かれたというのを読んだことがある。その為に朝廷の財政の逼迫もかえり見られなかったようである。

 一見華かに見える平安朝の宮廷は、陰謀と奸計の渦巻く所であったらしい。父子相背き、兄弟相食むというのは常のことであったらしい。虚言と殺戮は自分が生きるための欠くべからざるものであったようである。そして彼等はその自分の罪に怖れおののいたようである。それ程怖ろしければ為なかったらよいように思う。併し当時の氏族制度に於ては、自己の意志は氏族の意志によって決定されるものではなかったかとおもう。個人を超えた大きな意志が否応なく押し流し、駆り立ててゆくのである。一族が意志としての行動単位であり、その頂点として一族の栄枯を担うものとして、罪へと入ってゆかなければならないのである。

 中将姫は二十九才で夭折したと誰かが教えてくれた、小さいときは継母に非常に虐げられたらしい。それが蓮糸で曼荼羅を織る仏への帰依によって、極楽浄土へ行けることが出来たらしい。それはその時代の上下挙げての一つの救いであったであろう。上は身を苦しませ、仏への帰依によって極楽に行けるという希望をもたせ、下は今はこんなに虐げられている。併し帰依によって来世は楽が出来るんだという希望である。そして多くの人々は自分を中将姫に化して、荘厳な儀式に自分が極楽に行く幻想をもったのであろう。

 おそくなった昼食を伝えてくる、奥の院の隣の中の坊へ入るようにとのことであった。 中に入ると大きな玄関の中の薄暗い所で、幾人かの僧が物を並べて売っていた。それは実に殺風景であった。併し上り所はこちらと言われて、向きを転じたときに見えた堂の桧葺きは見事であった。時代に錆びた黒褐色の重厚な屋根はよく、堂内の荘厳を閑寂に包んでいる。立札があって奈良三名園の一つと記されている。それよりも腹の虫に餌をやるのが大切である。下駄を脱ぐと立っていた女の人が「一番奥の室に行って下さい」と言った。曲った廊下を人の後についてゆくと既に半分位席がふさがっている。蓋をとると寺院の常とする精進料理である。誰かが「こんなん食どったら健康によいやろなあ」と言った。きっと糖尿病か高血圧に悩まされているのであろう、同病相憐む、同感の思いで食べる。後人々が上を向いているので見ると、天井絵が一杯貼ってある。つまらん絵だろうと思って案内を見ると、私ももっている著名な仏画家木村武山の名があり、其の他幾人か私の知っている画家の名が出ている。私達門外漢が知っているというのは、その世界に入って見ると大概大したものである。私は名前によって評価を変えてゆく自分の眼を嘲笑しながら再び見上げた。

 外に出て引卒されて二、三拝観に廻った後は、時間があるので自由に行動せよとのことであった。皆はさすが歴史を知る会の会員、旺盛な学究心はたちまち四方へ散って行った。私は本日の観覧の為に、特に用意された中の坊の門上の二階へと登った。ここは普段は使わないのであろうか、莚の敷いてないところは白い乾いた埃が堆く積んでいた。窓から見下すと見物は大分増えたようである。並んだ露店商の前を往来しながら、たこやきを頬張り、焼とうもろこしを嚙っている。私は子供の頃の祭を思い出していた。服装こそ変れ同じような情景であった。私はその昔も、その昔も同じような情景が連綿として続いたのではないかと思った。人々はこの行事のもつ近代的意義を求めようとしない、繰り返されることを当然としている。それではこのような行事の意義は何なのであろうか、私はそれを過去への結びつきに求めることが出来るようにおもう。現代でもよくコミュニケーションの場として祭りが催されている。併し現代のそれは近代的生産によって引き裂かれた人々の結合の意味である。農耕を中心とした昔に於ては生産が協同体的であった。古代の祭は超越者とのコミュニケーションだったのである。過去を現在の根源として、過去への結びつきに現在を超えた大なる生命を見たのである。

 日本人は歴史書に大鏡とか、増鏡とかいって鏡の字をつけたと言われる。鏡は写して自己を見るものである。日本人は理想とか、夢に自己を見ようとしたのではなく、過去に映して自己を見ようとしたのである。私達の小さい時でも一番大切なことはしきたりを守ることであった。昔の日本人はしきたりを守ることによって、社会秩序を守ってきたということが出来るとおもう。その必然として故事とか由緒とか言うことが大事がられた。浅野内匠守が殿中で刃傷の沙汰に及んだのも故事にまつわるものであった。手の引き様、足の出し様の一つ位何うだってよいと我々はおもう。併し昔時に於ては大名家断絶の一大事を孕むものであったのである。村の寄合一つにしても定められた席順というのがあった。そしてその一つを破ることも社会秩序を乱すことであった。人間陶治も亦忠孝貞信といった既成観念に素直になることであった。

 人間は物を作ることによって人間になったと言われる。社会とは物の生産と配分の機構であるということが出来る。物を作るに技術が必要である。技術は歴史的に形成されてきたものである。歴史的に形成されたとは伝統的であるということである。伝統とは未来へ伝えるべきものである。新しい生命が受け継いでくれ、より合理的な新しい形が生れるのが歴史的形成ということである。伝統は未来をはぐくむものをもつことによって伝統である。技術は自覚的生命の内容として無限の発展を内にもつものである。発展とは否定が肯定であることである。今の形が否定されて、より大なる能力をもつ新しい形が生れるのが発展である。物の製作に於て過去が未来を呼び、未来が過去を呼ぶのである。技術は未来に過去を映し、過去に未来を映すことによって進歩してゆくのである。

 天照大神と豊受大神を床に祀り、飯篠長威斎を剣聖とし、芭蕉を俳聖とし、柿本人麿を歌聖とした日本人は、何処迄も技術を過去への深化に求めたとおもう。過去に未来を映すのである。それに対して神の創造を終末観に捉えた西洋的生命は、未来に過去を映す方向に歩んだとおもう。日本的社会が因習に停滞したのに対して、進歩と発展の方向である。私はそれは歴史的形成の大なる流れの撰択であって、何方が善いとか悪いとかは言うことが出来ないとおもう。進歩には時の分断がある。そこに永遠の相は失われなければならない。現在問題となっている抽象的個人の、刹那的退廃の因子をそこに含んでいるとおもう。過去に映す方向は停滞の反対給付として、即天去私とか、わびさび、平常底、自然法爾に自己を見出して行った。

 今や世界は一つである。そして一つの世界は進歩と発展の方向を撰択している。歴史の流れは生命の大なる自己形成の流れである。流れを決定するものは流れ自身である。個人の恣意によって流れを変えることが出来るものでない。唯われわれも意志を有する歴史形成の個として、形成の課題を洞察し、より大なる世界への誘導をもたんとするのみである。斯る意味に於て歴史的現在が持つ課題は、私はよく言われる人間喪失と人間回復にあるとおもう。喪失とは進歩による分断である。回復とは全生命への共感である。

 前にも書いた如く自覚的生命の表現としての具体的なはたらきは、過去に未来を映し、未来に過去すことである。併しこの二つは相反する概念である。相反するものは同時に現れ得ないものである。歴史は何れかを優勢として動かなければならないのである。併し一方の行き過ぎは、一方の反撥として均衡をとってゆくものである。私は現在人間喪失を最も感じているのは日本人ではないかと思う。そして新しい世界観を確立するものも日本人ではないかと思う。勿論因習や停滞は許されない、進歩の分断を包むものとしてある。包むことによって真に進歩と個があるものとしてである。

 私は今少し紙面を借りて私の時間についての考えを暦によって検証したいとおもう。人間は暦を作ることによって初めて時間をもったと言われる。暦とは過去を参考として一年間の予定を作るものである。暦は経験の集積であると共に、来年の必要によって作られたのである。暦は過去と未来と統一としてあるのである。去年の中に来年があるのであり、来年の中に去年があるのである。私が過去に未来を映し、未来に過去を映すというのはそうゆうことなのである。そして過去と未来が出合うということが作るということである。私達が行為する今というのは、何時も過去と未来が出合うところである。われわれは記憶と願望が結びつくことによって物を作るのである。そのことは物を作るということは、過去と未来の延長をもつということである。時間の初まるところは過去でも未来でもなくして現在であると言われる所以はここにあるのである。

 訳の解らぬことを思ったり、考えたりしている内にお練りの時間が迫ったようである。 散らばっていた人々が橋のめぐりに集り、緊張に動きが止まって来たようである。四五人しかいなかった観覧席は人で溢れ、井上秀雄さんは「撮してくる」と言って出てゆかれた。「来た、来た」という声に目を凝して見ると、葉蔭の間に何か面のようなものが見える。やがて面を被った二人が現れ、其の後にやぐらのようなものを担いだ四人が過ぎ、稚児行列がすんで、仏面を被り、異様な衣裳を着けた十数人重々しい足取りで歩み去った。その後二人の仏面を被った男二人が、手を差し出し、足を踏みしめる勇壮な舞を踊って過ぎ去った。唯その一々が何を象徴しているのか知らない浅学な私は充分な鑑賞の出来ないのが残念であった。それでも日本の古代に触れ、古代の心を考え、我々の内奥に流れるものに思いを致し、思想を豊潤になし得た有意義な一日であったとおもう。

 小野に着いたときは大分暗くなっていた。 どうして帰ろうかと思っていたら内藤会長さんが送って下さった。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

東大寺サミット‘92参加と見学の記

 帰りの汽車の中で井上秀雄さんより、今回参加の記事を書いてくれと言われた。少々酔っていた私は即座に肯いた。そして一夜明けた今日、今度は少々後悔している。実はこの旅行は学究心といった大それたものではなかったのである。商売の出張で散々旅に出た私は、廃業してから三年半宿泊する旅行をしたことがなかった。それで一度外に泊った旅行がしたかったのである。

 併し全然興味がなかった訳ではない。私は私なりに東大寺建立に対して解くべき一つの課題をもっている。それは大なる失費による国力の疲弊と、人民の困苦である。その反対給付としての、飛躍的な技術の発展であり、偉大なる理念の表現である。曽って流浪者巷に溢れ、弱きは餓死し、強きは盗賊となって掠奪を事としたというのを読んだことがある。死者道辺に累ったと書いてあったようにおもう。而して斯る悲惨に顔を覆わない強靭な意志があって初めて、斯る大事業の完遂は可能であろう。それは個的感情を超えた世界意志といったものがはたらくのであろうか。例えば乃木大将が悲傷を胸にかくして、「進め、進め」と号令した如きである。そして斯る世界実現の意志を、如何に個的感情に感応させ個的意志に結びつけるかが統卒者の素質であろう。強靭な意志は世界意志の権化となるところより生れるのであろう。個と全の矛盾対立は流血流汗の残酷がつなぐのである。而してこの大事業のもたらしたものは実に大である。第一に用材の伐採、搬出の技術、河川、道路の整備、輸送用具の工夫、航路の開拓、石刻、鋳造の技術、更には大なる建築、装飾の技術、それ等は未来に限り無い可能性の展望を与えるものである。仏心の形相化は民衆の心の拠り処として心を一ならしめるものである。併し私にはまだこれ等を統一する論理体系をもっていないのである。

 電車の中で配られたパンフレットには、参加都市の名が載っていた。それは宮城県より山口県迄、日本本土を縦断するものであった。披いた私は当時既に強大な統一国家の実現していたことを感じた。勿論その中には第一次創建に関るものと、第二次創建に関るものがある。併し最北の宮城県の涌谷金山と、最南の山口県の長登銅山は第一次に関ることは、この憶測を否定するものでないとおもった。聖武天皇の夢を開いたのはこの強大な国家の成立であったのであろう。

 防府駅に降りた私達に近寄って丁寧に頭を下げた方がおられた。市の観光課の方が待って下さっていたのである。会長や飯尾さんと暫く話をされて、準備されたバスに案内して下さった。実に周到であり、其の態度は誠心を感じさせるものであって、私達を愉しくさせるものであった。そしてそれは町が変り、人が変っても、二日間を通じて変ることのないものであった。

 その日は防府の名所廻りとして、阿弥陀寺、防府天満宮、毛利公邸等を観光した。その内阿弥陀寺は重源上人の創建として、天満宮は日本三大天神の一つとしてという外は特に記すべきものが無かったようにおもう。唯阿弥陀寺は僧侶が、天満宮は神官が石段の下迄迎えに来ておられた。それは初めての経験であり、貴賓に接するものの如くであった。私はそれがサミットの重大によるものか、この辺りの恒例とするのか知らない。

 毛利公邸は明治の元勲井上馨が、建築技術の粋をあつめて造営しただけあって、その宏壮目を瞠るばかりであった。門に至る迄、及び門に入ってから玄関迄の道には両側に、剪栽の手の行届いた松が並んでいる。玄関の前は広くなり、右手に庭園に入る門が開かれている。靴を脱いで上ってゆくと、天皇宿泊の間というのが続いてあり、数奇を極めた格子天井は、今日の職人の日当を以って算えれば量り知れないものであるとおもわれた。一番奥の室に竹で囲いがしてあって大名火鉢が置かれていた。精緻を極めた金蒔絵は、千回もうるしを塗り重ねたであろう厚さをもっていた。恐らく豪家一軒に価する値打ちをもつものであろう。出ると女の人が居て二階へ上るように言われた。そこは庭園が一望に見下せるところであった。上る途中この階段の板は何とか言う木であると教えてくれたが忘れた。床に法眼栄川の落款の絵が掛っていた。眺めていると、横の人が「いい画ですか」と尋ねられた。私は栄川の名に記憶がなかったので「法眼は技芸の最高の者に与えられたものですから、幕府の絵所預りかはそれに準ずるもので悪くはないのでしょう。私はよく知らないのです」と答えた。その後その人は助役の山本さんではなかったかという気がしている。若しそうであればもっと礼をつくすべきであった。私はどうも粗忽でいけない。降りると博物館と記した板が立ててあった。入ると流石毛利家の宝物は凄い。入口から栄川のものがずらりと並んでいるのを見ると、恐らく毛利藩お抱え絵師であったのであろう。見てゆく内に梅花を描いた青緑山水があった。古木特有の枝の曲線が田能村竹田に似ている。唯竹田よりも稍繁雑である、近寄って見ると直入と書いてあった。名前を言うと二、三の 人が「わしも持っとる」「わしも持っとる」と言った。加西に二年程滞在していたと聞い たことがあるので、小野近在には所有者が多いようである。克明な父竹田の画風の継承は氏の誠実を思わせる。時間の制約があるので何うしても見るのは私も所有する作者のものになり勝ちである。そうゆう意味で記憶に残っているのは長沢芦雪の虎の対幅と、丸山応挙の鯉の三幅対である。芦雪の虎は他の絵に較べて略された線で書かれていた。一見粗雑なように見えたがその目はらんらんとしていた。私は日本画程眼睛を尊んだ絵はないとおもう。そこには感覚の快よりは、生命の気韻を尊んだのではないかとおもう。芦雪はこの眼が描きたかったのではないだろうかとおもう。応挙の鯉は彼の最も得意とするところであると幾度も聞いた。併し私の今迄見て来たのは残念乍ら複製ばかりであった。それだけに念入りに眺めた。精緻を極めた写生はさながら泳いでいるようであった。併しそれ以上は私には解らなかった。内藤さんが「一幅壱千万円なら買う」と言われた。私は内心「私なら二百万だ」とおもった。出口に雪舟等揚の水墨山水があった。読むと模写と書いてあった。恐らく蔵の奥深く秘されているのであろう。それにしても雪舟はこの近くに住んでいた筈である。それにしては作品が少ないように思われた。博物館を出てから玄関迄行く途中、建物の間に十数坪程の空間があった。そしてそこにもちゃんと石と木の配置があった。流石に違ったものである。玄関を出てから庭園を少時逍遥した。一万五千坪の庭は広大である。石木池水の配置は目を飽きさせないものであった。唯庭園の知識の乏しい私はそれを表わすべき言葉を知らない。

 夕飯のたのしみは今回の旅行の目的の一つである。日本料理双鶴と書かれた室内の一隅に腰を下した一行は、膳の来るや遅しとビールで乾杯をした。私はその後日本酒二本を註文した。歓談と昼の観光の疲れに、酒は快く体内を廻り、千金とも言うべき陶然とした気分になる。広瀬さんが女性二人と宗教論義を初められ、真言宗から空海へと移っていた。そこへ私が「空海の根本的な誤りは即身成仏をしたことにある」と口を挟んだ。そこで広瀬さんの猛反撃を受けた。論争を記述することは本文の目的より外れるので、一寸紙面を 借りて私の論旨の要点だけ書かせていただきたいとおもう。

 私達の身体は生死する身体である。しかし身体の内にある言語中枢は生死を超えたものである。昔語り部によって祖先の事歴を語り継いだと言われる如く、言葉は人間の始めと終りを結ぶものである。単細胞として発生した生命は、人間に於て六十兆の細胞と、百四十億の脳細胞の構造を形成したのである。我々の身体は三十八億年の生命形成の統一としてあるのである。われわれの一瞬一瞬の行為は斯かる統一をもつものとしてはたらくのである。而して斯る統一は一瞬一瞬の営みが形成してきたものである。瞬間が永遠であり永遠が瞬間である。われわれの身体は永遠と瞬間の相として生の相を実現してゆくのである。死と不死の矛盾の統一として生きているのである。

 般若心経の色即是空というのは、瞬間的なものが永遠の相としての形相を見出すことであり、空即是色というのは、時の統一として永遠なるものが瞬間の行為に表われることである。瞬間的なるものが永遠の相を見るとは、死して生きるということである。消えて現われるということである。死して生れないところに生命の動きはない。単細胞動物から大日如来の世界の実現を説明することが出来ない。空海が岩蔭に今以って食事をし、衣更えするというとき、曼陀羅は唯凝固した形骸として、現実を動かす力を失なったと言わざるを得ない。人類は空海の残飯に生きるのではない、はたらいて食うのである。

 サミットは三日の朝九時から初まった。主題は重源上人を語るであった。小野からは坂田大爾氏が発表者として高座の席に並ばれた。ライトに照し出された坂田氏は、その白哲の美貌に於て群を抜いていた。背すじを伸ばした姿勢は自信に溢れているようであった。三重県の大山田其の他の方が各地域に於ける上人の事蹟について語られた。その一々の詳細は書き切れるものでもないし、亦知っても仕方のないことと思うので心に残って、感慨を湧かせられたことだけ書きたいとおもう。その一つは上人が東大寺の僧ではないのに、多くの僧を置いて大勧進に後白河法皇によって推挙されたということであった。私はこれ程上人の力量、人間的魅力を語るものはないとおもう。該博なる知識、高潔なる人格、強固なる意志は勿論として、何よりも出会ったときにその人との一体感を覚えさせるものがなければならない。昔坂上田村麿は、怒れば髭が針金の如く逆立ち虎も恐れたが、笑えば幼児も寄ってきたというのを読んだことがある。命の次に大切であるといわれる金を出させるのである。暴力的強請によるのでなければ、その人に包まれるような力を感じなければならないとおもう。後白河法皇は上人に、世界意志と個人感情を結びつける力のあることを直観されたのではあるまいか。白皙の美丈夫坂田氏の発表も勝れていた。それは他の発表者が個々の事柄に着いたのに対して、上人の一々の事業を瀬戸内航路重視に結びつけたことである。一般論として重源上人を語るサミットとしては、事業家上人を語ること多くして、人間上人を語ることが少なかったことが不満であった。司会の女子大教授はそれに気付かれたのであろうか、時間を延長してエピソードを尋ねられたが不発に終った。

 その後で小学生の男女十四、五人による重源太鼓の披露があった。それは会の緊張をほぐしてくれて、まことにたのしいものであった。余程練習しているのであろう、幕が開いてライトに照し出された有様は、見事に並べられた人形館を見るようであった。大太鼓が一つ、後は酒用に使う四斗樽である。重源は酒呑みであったのであろうか、その一つ一つに小さな少年少女が微動はおろか、またたきもせずに立っている。やがて小さな口から切口上で、交る交るに由来を語り、琴が弾かれて、太鼓が打鳴らされた。

 この町の町おこしのキャッチフレーズは重源上人の町である。曽っては町おこしといえば殖産興業であった。重源と殖産興業は私には何うも繋りを見ることが出来ないようにおもう。或は日本は物質的なものよりは、時間の深さ、心の豊かさを求める時代となったのであり、その表れとしてこのような言葉が見出されたのであろうか。

 慌しく昼食を摂り、バスは佐波川の上流へと向った。上人が東大寺用材を調達したというところである。川幅はいよいよ狭くなってゆく。私は東大寺のあの太い柱となる材木を何うしてこの川から運んだのであろうかとおもった。聞くところによると、この流れのままではとても運べるものではないのだそうである。それで海迄の短い間に百八十もの堰を作ったのだそうである。そして水を貯めて流したのだそうである。私は技術の生れるところを教えられるように聞いた。

 バスの駐車した処に案内板があった。それによると伐り出した用材の巨きなのは、直径一、八米長さ三十米にも及んだらしい。伐採道具、搬出用具、搬出方法、人員の調達等は何したのだろうかと思った。書物によると上人は現在の山口県の支配を委されていたらしい。それにしてもこの峻険な山からの伐採、搬出は、現在の我々でさえ途方に暮れさせ るものである。

 聞くところによると上人は協力を拒む人々を詢々と説いて廻ったらしい。さもあろうと おもう、今次大戦に於けるわれわれの協力とは状況が違う。二次大戦は帝国主義的国権拡張の最後の時であり、世界中の書棚に愛国の文字が並んだ時期である。唯さえ貧しかった無知なる人々が何うして協力し得ようか、恐らく上人の魅力と、不退転の意志が成就せしめたのであろう、今でも協力した村落と協力しなかった村落に草がどうとかの言い伝えが残っているそうである。

 月輪寺の前に立ったとき、私は目が拭われたように思った。実にいい、厚い藁葺きの屋 根がやや白さびて、最も単純な三角の線をひいている。その下に柱と扉が簡素に並んでいる。今迄複雑な組木や、反り返った屋根の作りが棟を重ねているのを見て来ただけに、心の故郷といった思いを懐かざるを得なかった。それは他の寺院が目に荘麗なのに対して、住いを移してしずかに生を養いたいとおもわせるものであった。

 岸見の石風呂というのは、月輪寺を出たバスが、いくつかの山間を縫った山裾にあった。説明によると、佐波川上流から用材を運んだとき、非常な難事業で病人やけが人が続出、こうした人々を救うために石風呂を方々に造らせたそうである。それは小舎の中に炭焼かまどのようなものが築いてあった。中を覗くと両側に席のようなものが敷いてある。使用法は薪を燃して内部を熱した後、焚殻を掻出してから室内に入り、内部の熱気に浴したものとおもわれる。と書いてある。現在のサウナ風呂と軌を一にするものである。

 サウナ風呂といえばソ聯が米国と対立し、世界史のヘゲモニーを握っていた頃、中央アジアの世界の長寿地、飯尾さんによればウクライナとのことであるが、其処を調査研究したところ、健康の原因はサウナ風呂と乳酸菌であると発表してたちまち世界中に普及したものである。上人は斯る知識を何処から得て来たのであろうか。それとも炭焼きや、陶器作りから創出されたものがあったのであろうか、ともあれ重源は風呂作りが好きである。浄土寺にも湯屋跡があるそうであるが、到る処に作っている。それは恐らく愛情より出たものであると同時に、人心収攬術の一つであったのであろう。光明皇后の湯屋施療の逸話が残っている如く、それは広く行われたものであり、民心に大なるものを与えたのかも知れない。

 長登銅山跡は深い山中にあった。説明によれば本邦銅精練に画期的な変革があった証拠が学術的に発見されているらしい。併しそれは専門家の問題であって、われわれは唯鉱滓の埋った丘と暗い坑道を見るだけである。それよりも感心したのは、この深い山中迄観光課の方が来て、パンフレットを持って待っていて下さっていたことである。何の寺でも茶と菓子の接待を受け、心温るおもいに二日間を過せたのはこの誠意によるとおもう。

 それにしても歴史を知る会の旅行は、何時も内容が充実していて有難い。単に見るだけでなく掘り下げて考えられるものがある。会長、副会長、井上秀雄さん、原田さんに御礼を申し上げる。

 尚短歌百首作る予定であったが目まぐるしい行程で半分も出来なかった。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

具象と心象について

 短歌雑誌を読んでいるとよく具象・心象とか、写実・象徴とかリアリズム・ロマンチズ ムという字に出合う。そしてそれは相反し、相否定する概念であるらしい。何れが詩的表現の立脚的として根源的であるか、丁々発止とした論戦の見られるのも度々である。併しその論戦は何時も空転の感が免れ難いように思う。それは何れの側も自己主張のみがあって、相手の論点を自己の論点の中に包摂することが出来ないことに起因するとおもう。そこには不毛の平行があるのみである。そしてそれは写実なら写実、象徴なら象徴の出で来った本来への省察の欠除によるとおもう。相反するものがその根源性を争うということは相反するものは根源的一より出で来ったということである。斯るものに対して少し立入った考察を加えて見たいとおもう。その為に私は見るということは何かということから入ってゆきたいとおもう。

 鯛は深海にあっては人間の五千倍の明らかでものを見ることが出来るといわれる。併し見るのは敵と餌だけだそうである。禿鷹は三千米の上空より地上をありありと見ることが出来るそうである。これも見るのは餌となる野ねずみだけだそうである。物があって目が見るのではない。内外相互転換的にある生命が、内外相互転換的に生きるところに見るということがあるのである。動物にとって外は食物的である。食物を摂って身体と化せんとするところに見るはたらきがあるのである。動物は行動的である。行動には力の表出が伴う、そこに外は対立するものとなる。行動的として外に対立をもつとは、空間的な生命圏を形作ることである。見るとは内と外とが生命圏に於て一としてはたらくことである。外を摂取する行動圏が生命圏である。生命圏とは餌を獲る行動範囲であり、そこは生命の形相を実現してゆく世界である。摂取の行動を起すのは欲求であり、欲求は身体の飢渇より来るのである。見るというのは外に物があって目が見るのではない。生命としての身体の欠乏の充実として見るのである。生きんとする意志が見るのである。目とは身体が行動体として、生命圏の形成に身体を切り開いて流れ出る生命の機構である。視覚の発展は生命圏の創造的発展である。

 人間とは斯る生命が自覚的であるのである。人間のみにあって他の動物にないものは言語中枢であると言われる。人間は言葉をもつ動物であり、人間の身体は言葉によって動く身体である。欲求は言葉をとおした欲求であり、我々が見るとは言葉をとおした欲求に於て見るのである。言葉をとおした欲求とは、一瞬一瞬の内外相互転換を統一する、大なる生命の欲求となることである。言葉は昨日の我と明日の我を今に於て把持せしめるのである。昔語り部が個の生死を超えた歴史を語り継いだと言われる如く、過去をあらしめ、未来をあらしめるものとして、無限の生死の断絶を一つならしめるものである。無限の時が一であるとは、生命の一瞬一瞬の内外相互転換は技術的であり、経験は技術的形成として蓄積されるということである。斯る蓄積としての技術的形成が記憶である。蓄積が記憶であるとは蓄積をあらしめるものは言葉であり、言葉は蓄積として生命の初めが働くことであり、終りがはたらくことである。

 人間のみにあると考えられる文化はここより来るのである。初めと終りを結ぶ生命が蓄積として今内外相互転換的に行為していることが文化的営為である。経験を蓄積するとは昨日の経験が今日働く力となるということである。昨日の失敗が今日生かされるということである。過去として消え去ったものが現在を動かしているということである。斯る意味に於て蓄積は亦創造である。私はよく用があって書道塾に行くのであるが、古代中国の手本を傍に置いて熱心に筆を動かしている。古代中国の手本で習字するということは、習うものの中に古代書家がはたらくということである。

 経験の蓄積が技術的であるとは、内外相互転換が物の製作となることである。経験として過去がはたらくとは外を変革することであり、外を変革するとは、形作られた身体を内として、その秩序に外を構成することである。技術的形成として内が外となり、外が内となる内ははたらくものであり、外は物である。生命は何処迄も内外相互転換として、自覚的生命としての人間は物を作ることによって生活してゆくのである。

 経験を蓄積し、物を作るということは生得的な生命圏を超えて、生命圏を拡大し多様化することである。私は其処に人間の視覚があるとおもう。鯛や禿鷹より遥に劣る視覚をもつ人間は、望遠鏡や顕微鏡をもつことによって驚異的に視野を拡大することが出来た。私達の少年の頃は肉眼で見える星は南北半球合せて六千、それが望遠鏡では十万もあると言われたものである。それが今では百億とか言われる。単に望遠鏡のみではない、見えない黒い星とか、百数十億光年とか、宇宙の塵の存在の如きは、思惟として数理の如きが視覚の内容として働いているようである。微に入っては最小単位と見られていた分子が原子の構成よりなるものであり、原子は素粒子によって構成されているという。そこも亦理論が発見よりも先行しているようである。宇宙や原子の世界は、自覚的生命の欲求の形相であり、視覚の内容である。物を作る生命が拓いて行った生命圏である。

 以上いくらか私達の目というものを明かにすることが出来たとおもう。勿論短歌を作る 目は器械を介して見るのではない。直接この目で見るのである、持って生れた目で見るのである。併し単に生得的な目で見るのではない、言葉を介して見るのである。そこに私は物を介して物を見る目と同じはたらきがあるとおもう。

 生命が内外相互転換的であるとは、外が内となり、内が外となることである。外の拡大は内の拡大である。外に物を知ることは内に自己を知ることである。外としての物の形相に対するものは、転換としての一瞬一瞬の喜び悲しみである。言葉を介して見るとは、言葉が物の翳を背負うことによって一瞬一瞬を凝固させ、喜び悲しみに多様なる陰翳をもたすことである。言葉に凝固したものが一瞬一瞬に溶解し、更に凝固する。そこに喜び悲しみの展開があるのである。私は斯る展開の把握が詩であり、日本的形成の把握が短歌であるとおもうものである。それは喜び悲しみとしての言葉による蓄積である。蓄積は前にも言った如く初めと終りを結ぶもの、永遠なるものの具現である。蓄積が永遠であるとは世界を作るということである。ホメロスが、ダンテが、ゲーテが、人磨が我々に呼びかけ我々に応ふるものとなることである。過去、現在、未来の一々の人々が喜び悲しみに於て応答するものとなるのである。無数の人々の心の襞が自己の心の中に陰翳を作り、当面するよろこび悲しみに形を与えてくれるのが表現である。

 勿論我々の喜び悲しみの依って来るところはゲーテや人麿ではない、人と物、人と人との生きてゆく対立の矛盾である。人と物、人と人との対立そのことが世界形成であり、歴史的事件である。通常よろこび悲しみは私の中より起ると思われている。勿論私の中より起るのには違いない。併しその私は歴史的軋轢によってある私なのである。世界が自己自身を形作ってゆく一要素としての私である。そこに我々の表現衝動があるのである。我々の一挙手一投足は世界の自己具現である。世界の具現なるが故に一挙手一投足に世界を見ようとするのが表現である。

 世界として物と我とが相対し、それがはたらく現在の熔鉱炉の中に投げ入れられることによって製作があるとは、それが言葉によって把握されるとき、二つの立場があるということが出来る。一つは物からの方向であり、一つは人からの方向である。一つは作られたものからであり、一つは作るものからである。製作に於て人と物、過去と未来がそこに消えるとは無にして成ることである。無にして成るとは単になくなることではない。人と物とが相互否定的に格闘することである。人と物が愈々鮮明となりつゝ転換的に一ということである。無とか消えるというのは斯る転換が世界の自己実現であり、人も物も世界の内容として対立するということである。二つの方向よりの立場が成立するとは、否定的対立として、格闘することによってあるものとして、相互転換的に対手を帯びることによって全体を把持するものとなるが故である。物よりの立場も全体の相貌を帯び、人よりの立場も全体の相貌を帯びるのである。二つの立場は相反するものとして、全体の相貌に於て激突するのである。

 斯る立場から先ず具象について考えて見たいとおもう。具象とは字の如く象を具えたものであり、対象となるものである。対象とは見られたものであり、見られたものとは前に言った如く、欲求が外に象となって現われたものである。それは自覚的生命に於て物として我に対立するものである。具象とはその本質に於て物である。物は人間が製作すること によって実現するものである。人間が作るとは、内として形のなかったものが露わとなる ことである。無限に動的として形のなかった生命が、自覚的として自己自身を見たのが象であり、物である。無限に動的なる生命が自己自身を見たものとして、物は単に形として静止としてあるのではない。物は自己自身を超えて、呼声をもつものとして物である。勿論物はそれ自身に声を持たない、対象として主体としての人間に対するとき、その宿した時の深さ、技術の高さに於て見る人々に製作を呼びかけるのである。見る人々は其処に生命の大なる創造的発展を見、これも亦その創造線に参与せんと欲するのである。私はそこに写生とか、写実というのが主唱せられる論拠があるとおもう。

 人と物、過去と未来が相互否定的に一であるところは、物の生れるところであり、物の生れるところが事実の世界である。自覚的形成的世界は、事実より事実へと転じてゆくのである。物の無いことは死を意味し、物を作ることは力の表出を要する。物と人が相対するとは、物は死をもって我々に迫ってくることである。我々の喜び悲しみが生死の翳を帯びるものであるとき、喜び悲しみは物が担い、物によって見られるものである。アララギの観照としての写生が、生活詠に至り着かなければならなかった所以がここにあるとおもう。

 心象は具象が物に即したのに対して、言葉に即する方向である。物の象に対して、言葉は象なきものである。而して物の象は言葉によってあるのである。物は名付けられることによって自他相分ち、自他相分つことによって存在するものとなるのである。名の無き物の世界は渾沌に過ぎない。名付けられることによって自他相分ち、自他相分つことによって物があるとは、物の製作は言葉がはたらかなければならないということである。名付けられるとは一瞬一瞬の内外相互転換を超えるということである。時を超えて時を包む普遍者となるということである。時を超えて時を包むとは蓄積の内容となったということである。経験の蓄積は言葉に於て蓄積されるのである。そこに物は作られるのである。

 言葉によって経験が蓄積され、経験の蓄積が物の製作であるとは、物は言葉を宿すことによって物であり、物が言葉を宿すことによって物であるとは、言葉は物を宿すことによって言葉であることである。言葉と物は互がそれによってあるものとして対立するのである。自覚的生命は斯る対立を媒介として自己自身を形成するのである。対立を媒介とするということは、自覚が深くなることは対立が鮮明となることである。物が物自身の方に内面的発展をもち、言葉が言葉自身の内面的発展をもつということである。そこに物の方向に現実の意識が生れ、言葉の方向に想像の意識が生れるのである。

 想像は言葉が、内外相互転換としての情緒に結びついたものである。外としての物ではなく、内としての生命の方向に内面的発展をもったものである。私は心象をここに求めたいとおもう。よろこびかなしみは何処より来り、何処に去りゆくかを知らない。それは物の如く象をもたない、其処に言葉の自由なる飛翔がある。勿論それは物と断絶したものでない。言葉も情緒も形成作用の一面として反極に物を宿すのである。それは幻覚に過ぎない、否幻覚といえどもそれが身体より出ずるものとして物に関るのである。

 情緒や言葉に宿された物は質量をもたない、或は質量をもつとしても極少にされたものである。質量をもたないということはその可塑性に於て抵抗をもたないということである。言葉はその宿す物の形象の構成に於て、空中に楼閣を築くことも可能である。言葉が情緒と結合するという意味に於て、情緒の高揚と共に拡大してゆくのである。否想像が情緒を高揚させ、情緒の高揚が想像を拡大させるのである。

 自覚的生命が形成的であるとは、相反するものが何処迄も相反する方向に自己を限定してゆくことである。反極をもつことである。内外相互転換的である生命は自覚的となることによって、何処迄も内が内の方向に発展し、外は外の方向に発展するのである。そこに内外相互転換的に一であった生命は、絶対否定を媒介する一となるのである。一方向への展開は具体的な生命を失うものとして死への道を歩むのである。物はその象の固定化に於て、想像は根なき草として果てに滅亡をもつものである。死を救済し、生に転ずるのが否定的一である。想像は固定する物の象に流動を与え、生の流れに復帰を与えるものであり、物はその形の対立に於て、想像を誘発して止まざるものである。物の対立矛盾なくして想像はあり得ず、想像なくして物の新たな象はあり得ないのである。矛盾の果ての想像に理想があり、理想より見て現実があるのである。理想が大となることは、現実が愈々はたらくものとなることであり、現実が愈々はたらくことは、理想が愈々大となることである。而してこのことは理想と現実が愈々乖離することである。

 勿論芸術としての、短歌表現の具象と心象は現実と理想と同一ではない。併し私は多くの点で相似をもつとおもう。現実の方向に具象があり、理想の方向に心象があるのである。具象の方向は物であり、心象の方向は想像である。異なるところは現実と理想は生活そのものにつながるのに対し、心象と具象は生活の表象の意味を有することである。現実と理想が身体の存亡に関るのに対して、具象と心象は、生命形成の真実を何れがより深く言葉に捉え得るかである。

 前にも言った如く、自覚的生命の生命形成は否定を媒介する。否定を媒介するとは相互否定的に形成することである。具象が心象を否定し、心象が具象を否定するのである。象が心象を否定するとは、物が想像を実現することである。物に実現するときそこに想像はなくなる。心象が具象が否定するとは、物を想像の内容として、想像の展開をもつことである。言葉に於て形が形を生んでゆくことである。具象と心象は相互補完的である。相互補完的とは前述した如く、一方向のみでは自己の死をもつことである。他者によってあるのである。而してそれはあく迄他者によって否定され、他者を否定するものとして相互補完的である。リアリズムとロマンチズムは何処迄も闘わなけれればならないのである。対手が泣く迄言い争って相互形成をもつのである。

 闘うものは勝敗がなければならない。勝敗は時が背負ったようである。本来相互補完的なるものに勝敗のあるべき筈がない。併しそれが何処迄も対立する以上、何れかが主導することによって表現があるのである。そしてその否定として次の形が生れるのである。短歌に於て万葉の具象に対して、幽玄的なものを表そうとした古今は、仏老的観念を基底にもって物を見、言葉に表そうとしたということが出来る。斯る姿勢に対して痛烈な反撃をもったのが子規以下の写生であった。そして現在短歌は写生を如何に克服しようとしているかにあると思われる。全ての形は身体を媒介するものとして、生成・成熟・老化をもつのである。形は行き詰らざるを得ないのである。行き詰るとは無限に動的な生命形成の現在を担い得ないものとなることである。そこで相反するものが世界の動的形成の底より反撥してくるのである。斯る世界形成の呼び声が、歌人をして自己の使命を感ぜしめるのである。

 万葉に還れの大合唱に初まった近代短歌運動は、万葉的表現の模倣を目指すものでは決してなかった。古今集以来の作歌の根底にはたらく観念への挑戦であった。生命形成は更にその奥に直截なるものをもつことの直観であった。それは単に観念を否定するものではなくして、観念を包むものとしての現実の把握を目指すものであった。多くの人の写生論には浪漫主義を意識しての、写生の根源性の主張が読みとれる。写生の根源性とは浪漫主義を包摂するということである。現在短歌は斯る写生のより深奥に観念を見ようとするのである。そのことは近代写生のもつ理念が表現しつくされたということである。出口のない袋小路に追い込まれたということである。類型の枠より出ることが出来なくなったとい うことである。

 相互否定的なるものが、相互依存的であるとは何れも根源的ではないということである。根源的なるものは、両者が争うことによって形が生れてくるということである。争うことによって生れる形は、対立するものを含むより根源的な形であるということである。万葉に対して古今は一層根源的なものを見たのである。それによって万葉的立脚点から見ることの出来ないさまざまのものを見ることが出来たのである。近代短歌は万葉に還る精神として、更に万葉にも古今にも見ることの出来ない世界を切り拓いて行った。現代短歌は写生論によって見ることの出来ない世界を創出しようとしているのである。写生論者は或はこれを否むかも知れない。併し生れ来ったものは死すべく生れ来ったのであり、現われたものは否定さるべく現れ来ったのである。表現の世界は否定されるところにこそ意義をもつのである。

 具象の根源性が更に大なる心象の根源性を生み、心象の根源性がより大な具象の根源性を生むのである。そしてそれは歴史的時に映されるのである。一頃反戦を詠い、安保を詠う時局詠の如きが、新たなる短歌創造の内容の如く言われたことがある。併し対象を変えるだけで、新たな創造が出来る程安易である筈がない。それは翼讃短歌の如く言葉のみ壮にして、状況を離れれば戯画の如きが残る丈である。私達は現在の歴史的状況を詠うのではない。写生によって見ることの出来ない世界を観念より拓いてゆかなければならないのである。斯くして創り出された目が、歴史的現在の目となるのである。われわれは歴史の追尾者ではなくして、歴史を創るものである。歴史を内にもつのである。

 創造的形成は無限の発展であり、多様化である。併しその一々は奪うべからざるよろこびかなしみをもつ、赤人のよろこびかなしみは、茂吉のよろこびかなしみに換えることは出来ないものである。その意味に於て一々は完結をもつのである。前のものが後のものに否定さるべくあるとは、前のものは後のものの為にあるということではない、一々は自己の奥底を見てきたのである。斯る意味に於て否定とは対話である。そこに次のものが包摂してゆく所以がある。死するもの否定さるものは呼びかける永遠の声となるのである。若し写生が否定されたとしても、その生きて見出たよろこびかなしみに於て、作歌するものに呼びかけて止まないのである。そこに歴史を超え、具象・心象を超えた短歌的表現の世界がある。具象・心象はその中に成立するのである。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

抒情詩としての短歌の表現について

 動物の生命は行動的である。人間も動物として行動に於て生命を維持してゆくもので ある。斯る行動は何処からくるのであろうか、私はそこに生命の内外相互転換を見ることが出来るとおもう。内外相互転換とは内を外とし、外を内とすることである。それによって生命を維持するとは外を食物とし、内を身体とすることである。食物は身体ならざるものである。それを捕捉するために身体を動かすのが行動である。

 私は感覚と感情はここに生れるとおもう。我ならざるものを捕捉するために識別がはたらかなければならない。食物として適当なものと不適当なものの撰別がなければならない。感覚は識別作用であると言われる。感覚はそこに萌芽をもつのであるとおもう。食物を捕捉したときそこに身体は充足をもつ、その反対は空虚であり、奪われたときには反撃して取り返さんとする、そこによろこびかなしみ怒りの湧き来る根源があるとおもう。そこに感情があるのである。

 感覚と感情は行動の両端として行動に於て一である。行動に於て一であるとはこの両端を見ることが行動であるということである。感情は主体に即するものとして、感覚は対象に即するものとして相反するものである、相反するものが一つとして行動はあるということである。生命が行動に於て自己自身を維持するとき、行動は生命の具体でなければならない。行動に於て自己を実現してゆくのである。斯る行動がその一極に感覚をもち、反極に感情をもつということは、生命は感覚と感情に自己を見てゆくということである。感覚と感情が一なるところに生命の具体があるということである。

 行動に於て生命が自己を実現してゆくことは、行動は生命形成としての行動である。感覚と感情は生命形成としての両極となるのである。私はそこに感覚と感情の相即的な展開を見ることが出来るとおもう。相即的な展開とは、感覚は感情によって自己の展開をもち感情は感覚によって自己の展開をもつということである。内に感情がはたらくことが、外に多彩な感覚が生れることであり、外に多彩な感覚が生れることが、内に豊潤な感情が生れることである。それが行動に於て一なることが相即ということである。事実として感覚の識別作用は単に物に対するより起るのではない。例えば愛児が風邪に罹ったとき、わずかな力の衰えや、かすかな顔色の変化を識別するのである。われわれが畑を見ても種々な野菜があるなあと思うくらいである。併し栽培者は水や肥料の過不足、日照りや病害等をその葉や茎に見るのである。識別を動かすものは愛であり、愛はよろこびかなしみに現われるのである。よろこびかなしみが識別するのである。

 亦感情は感覚の識別の多様を内にもつことによってより深い自己の陰翳をもつことが出来るのである。画家は色彩の中に色彩を見ると言われる。画家はそれを描くことによって見てゆくのである。識別作用とは創造作用である。画家がチューリップを描こうとして新たな赤い色を見出したということは、視覚的生命をより大ならしめたことである。画家はそこにより大なるよろこびをもつのである。私達はその顕著なる例を陶工柿右衛門にもつ、椽側の板迄焚いたと言われる彼が、目差した色彩を実現したときそのよろこびは如何に大であったであろうか。そして私はその後の彼はこれ迄の感情生活を一変せしめる程の豊かなものをもったとおもうものである。それは勿論視覚に関るもののみではない、味覚に於てもより微妙な味わいを見出した料理人は、そこに言い知れない充足感をもつとおもう。私は豊かな人間とは、裡に何処迄も識別としての感覚を潜めた感情の持主であるとおもう。偉大なる人間とは大なる創作力をもった人間であり、大なる創作とは、大なる識別と統一であるとおもう。

 私は短歌を作るものであるが、短歌ではよく観念と具象が言われる。私はこの観念と具象に、感情と感覚の具体的な姿があるとおもう。観念とは主体の方に成立するものである。私はそこに感情に映された感覚を見ることが出来るとおもう。感情が感覚の陰翳を宿したところに成立するとおもう。識別の多に自己を見出してゆく主体的一の成立が観念であるとおもう。

 それに対して具象とは感覚の識別的多が感情的一を含んだところに成立するとおもう。具象とは一つの全体像である。例えば色彩がいくらあっても具象ではない。そこには意味による統一がなければならない。多の一々が全体の構成者として、全体を帯びるところに多があるのである。識別とは分けてゆくことである。一者が自己の中に自己を見てゆくことである。一者が自己の中に自己を見てゆくことは、見られた一々、識別された一々は全体的一者の姿であるということである。私は識別された一々が全体が孕むところに具象があるとおもう。そこに識別としての感覚的多が感情的一を含むのである。斯るものとしての短歌表現は如何にあるべきであろうか。

 私は短歌は抒情詩として生命形成の主体的方向に成立するものであり、識別されたものの方向ではなくして、識別するものとしての観念の表現であるべきであるとおもう。観念が自己自身を見るところに抒情詩があるとおもう。而して観念の表現なるが故にその内容は何処迄も具象でなければならないとおもう。前にも書いた如く、感情的一は感覚的多をもつことによって感情的一である。そこに感情は陰翳の深さを増すのである。嬉しいという言葉は嬉しい事ではない、嬉しいことを内容として出る言葉である。嬉しいという事は病気の孫の頬に赤さが戻って来たといった事である。それ故にこの場合抒情的表現としては、臥せている孫の頰に赤さが戻って来ただけでよいのである、それで嬉しいということは表現されているのである。生命営むと言ってもそれは何も表わすものではない。春の若芽のかすかな緑の移りを言うとき、そこに生命の営みは語られているのである。

 それは感覚的な識別の方向に見出される物が、物理学的な法則としての一般概念に捉えられるのと対をなすとおもう。自然科学が一般が個を包むのに対して、芸術に於ては個が一般を包むのである。若芽の緑のかすかな移りを見る目は、人類が限りない哀歓の上に養なって来た目である。具象で捉える根底には時間の普遍があるとおもう。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

宇宙論と現代短歌

 最近の宇宙論は面白い。宇宙は創生直後は千分の一ミリ径程であったという。現在の宇宙には百億以上の太陽系のようなものがあるらしい。中には角砂糖位の大きさで十屯車十万台で運ばなければならないような重さをもつ径十キロ米位な星が無数にあるらしい。涯がないと思われる宇宙の総質量が千分の一ミリ径の中にあったとは想像を絶する。想像も出来ないものがあったとは楽しい。併し今ここで私が結びつけようとする短歌との関連はそのような内容に関してではない。宇宙理論の発展と対比しようとするのである。

 結論から言えば物質や光りの正体や、新しい物質は理論から見出されているということである。普通は物があって、物の動きを秩序づけ、法則として捉える。併し天体には見えるものによって捉えることの出来ない様々の動きがあるらしい。それには見える物が従来の計測値によって捉えることの出来ない動きをもつものとして現われる。それを捕捉するために或る質量をもった見えない物質を仮定する。それが後に発見されるのである。理論は勿論物質ではない、宇宙の一塵とでも言うべき地球の、その又一塵とでも言うべき机上の理論が億光年向うの物質であるべき筈がない。併し億光年向うの物質は机上の理論値の如くあるのである。それによって我々は宇宙の真実に迫るのである。

 私はこの物質と理論は短歌の具体と観念にその質を等しくするようにおもう。私達は物を見るのに注意作用をもつ、その注意作用は生命の形成としての欲求より起るのである。私達歌人は斯る形成的欲求を言葉の構成に於てもつ。言葉の形成は私達の祖先が長い生活の中に築いてきたものである。物を見て言葉を発し、言葉を出すことによって物を見出て来たことである。私達は小さいときから親や先輩に、美しい花だ、優しい小父さんだと言って教えられて情感を養ってきた。言葉をもって見るということは単に今言葉を出しているということではない。無限の祖先等の経験の目をもって見ているということである。私達が感じるということは常に限り無い時間がはたらいているのである。美しい、優しいというのは、花や小父さんから受取った私達のこころの動きの言表である。観念とはこのようなこころの動きの言表であり、具体とは花や小父さんに即した言表である。

 表現とは今の自己の相を明らかにすることである。私達は自己を明らかにするためにこの観念と具体が必要である。花も小父さんも今私達が目の前にし、或は触れているものである。具体とは何等かの意味で今此処にあるものである。それに対して美しいも優しいも限り無い時間に於て人類が見出してきたものである。観念は価値として永遠の相をもつものである。

 歓び悲しみは来るところを知らず、去るところを知らないものである。今泣いていた子 が笑っとると言われる如く、それは一瞬より一瞬へと移ってゆくものである。短歌は抒情詩として斯る感情が言葉に形をもつものである。一瞬一瞬にあるものは個物としての具体である。ここに短歌表現の具体に即さなければならない所以がある。それでは個物を見るものは何か、それは注意作用に見た如く観念である。永遠に映すことによって、我々は無限の過去、無限の未来を孕む自己に接するのである。

 一瞬一瞬を永遠に映すとは、形として現れるものは一瞬より一瞬へと移りゆく個物である。併しはたらくものは映されたものではなくして映すものである。永遠がはたらくものとして自己自身を見てゆくところにはたらきがあるのである。具体は観念の表出としてのみわれわれは創作をもつのである。注意作用の根底にあるものが観念であり、観念が映すということは、具体は観念の翳を帯びることによって表現があるということである。例を上げれば

 月見れば千々にものこそかなしけれ我が身一つの秋にあらねど

 この世をばわが世とおもふ望月の欠けたることもなしとおもへば

 同じく月に面しながら、ここに表わされた月は異なった相をもっている。前者は冷たく冴えて光量というものを感じさせないのに対して、後者は光り輝く月を感じさせる。ここには未だ明確な固定観念というものはない。併し作者が抱いている観念は主観の内容として観念である。私達がこの歌を読んで本当にそうだと共感するとき、この歌の内容が月を見る時に私達の目となってはたらくのである。そして作歌者の目と自己の目を結ぶものを知性は哀愁とか充実として捉える。そこに固定観念が生れるのである。

 私達は唯漫然と月を見るより、哀愁の思いや充実の思いを投げかけて見る方がよりよく月を見ることが出来るのである。強い注意作用が凝視を生み、中の微細な陰翳を見ることが出来るのである。月の兎の話や、かぐや姫の物語も、暗黒を照らする光りへの長い間の憧憬の中より生れたということが出来る。そして斯る物語りをもつことによって、月はますます光り輝く存在となるのである。ますます光り輝くとは、新しい光りをもつものとなることである。

 明治は、新しい時代精神が写生の観念を生むことによって作歌としての対象の世界を一変した。自然の受用より、物の生産の世界へ目が移ったのである。その時代精神に於て、実相観入は生活詠への転移を必然的に内在せしめていたということが出来る。そこからさまざまな新しい物が生れた。新しい物が生れたとは、意識が新しい陰翳に於て捉えたということである。同じもの同じ行為に時代精神の陰翳を加えたということである。

 前にもいった如く作歌は何処迄も具体としての表現である。而してその具体は観念に於て具体となるのである。密度高い作品構成は観念の深まりに於て成り立つのである。そのことは亦具象がより具象として精緻な姿で捉えられることである。私は創造するものは常により大なる観念を持たなければならないとおもう。

 宇宙理論に於ては、理論値に合わない物質の動きから新しい物質が発見され、新しい物質の発見から新しい理論が生み出されているようである。表現も亦生産手段と生産物の発展は、従来の観念によって捕捉することの出来ないものとなってくるのである。そこから新しい観念が生れる。明治維新より戦前迄は西洋的生産手段の招来と共に、人格・自由・個性・平等等の観念を尊重した、それは生産手段と腹背をなして日本の歴史的発展の基礎となった。個性の自由なる発想より新しい物は生れたのである。短歌も亦個性的であることが要請されたのは耳新しい。

 短歌表現は具体的でなければならないものであり、具体は観念によってより明らかになるとは、観念は具体の中に消化されることによって自己を露わとするということである。 瞬間的なるものは永遠なるものに自己を映すことによって自己を見ると共に、永遠なるものは瞬間的なるものに自己を映すことによって自己を露わとするということである。来るところを知らず、去りゆくところを知らない一瞬一瞬のよろこびかなしみに永遠なるものが形を成してくるのが抒情詩である。物の真に迫ることが、永遠なるものが自己を明らかにすることであり、永遠なるものを明らかにすることが具体をいよいよ具体ならしめるのである。具象に捉えられる短歌の本質は観念の深化である。併しその現われるのはどこ迄も具体である。

 詩人は地球の自転の音を聞かなければならないと言った人がいる。観念の生れるのは歴史的時の動きである。私達は深く時代の動きに耳を澄まさなければならないとおもう。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

子午線より

 舌うちしてポケットベルを止めたりし男いっきに珂琲を飲む 野瀬昭二

 子午線を流し読みしていた私の目はこの一首に止まった。行動的な男性像が不意に浮んだのである。私は歌を読み返し乍ら映像を鮮明にして行った。ポケットベルが鳴ったということは何か急用が出来たのであろう。舌うちは束の間の偸安を奪われたことに対するものであろう。併しここで狼狽することなく、舌うちしたというのは一つ余裕である。余裕とは向後に対する確信である。即ち事態に対応出来る練達者であることである。いっきに珈琲を飲むとは行動を開始したということである。その間断なき動作には、如何にもきびきびとした動きが感ぜられる。前に行動的な男性像と言ったのは、壮年に差しかからんとする筋肉質な男の姿である。眼前の一つの動きを捉えて鮮かな人間像を表現し得た手腕は高く評価したい。

 この一首に触発されて短歌欄を最初から読み返してみた。嬉しかったのは竹内ひさゑさんの健詠であった。あの年老いた細い軀で自転車を漕ぎ、歌会にいつも遅れて、いつも出席していた氏を見なくなってから久しい。病気と聞いたことがあるので、床に呻吟しておられるのかと思っていたら驚いた。出詠されている三首共皆巧い。簡潔でありつつ、ふくらみがありみずみずしい。殊に末首

 土少し双葉に残し傾きて大豆みどりに皆揃ひ立つ

 は克明な写生に作る者の喜びが溢れている。末句、きそひ立つとか、こぞり立つとかの言葉を入れたいような気持がするが、作品の方が落ち着きがあって味わい深い。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

名歌評釈

 先日「みかしほ」の二、三の女人と歌を語る機会があった。そのとき近代の女人短歌の異色作とでもいうべきものを、継続して紹介してゆくことを約束した。勿論私の評釈であり、私が感銘を受けた作品であるので、一面的であるの譏りを免れ難いと思うが御了恕ありたい。そのときに葛原妙子を最初にと言ったが、今手許に取上げたいと思っている歌の載っている本が見当らないのと、先に出したい歌があったので紹介したい。

 行きて負ふかなしみぞここ鳥髪に雪降るさらば明日も降りなむ 山中智恵子

 一読その声調の美しさに心を奪われる。鳥髪というのは地名であろうか、作者は今負うべきかなしみを抱いて立つのである。そこには霏々として雪が降っている。作者はそこで明日も降りなむと言う。その結句にはかなしみを閉じこめ、かなしみを永遠に凝固させるような力がある。結像した永遠のかなしみに、作者は「マッチ売りの少女」のような陶酔を味わっているのである。そこには対象化された透明な自己像がある。私はこの声調の美しさは、このような心情の投影であるとおもう。それにしても魔術とでも言うべき言葉の構成である。

 額に汗流して坂を登るとき無数の過去世の人と行き交ふ

 私の作である。山本礼子さんが十首抄に取上げたいと思ったと言った。私は取上げられなくてほっとした。実はこの一首の核とでも言うべき四句の「無数の過去世」は、五十年代にその鬼才をもって歌壇を震撼させた、高野公彦の代表作を剽窃したのである。出すべきではないと思ったが、この頃歌を作っていないので七首にすべく入れた。私は「みかしほ」の人々の鑑賞眼を軽視していたのである。この言葉が拓いた祖霊への新しい視点を捉える人はいないと思ったのである。目にもとめないと思っていたのである。それにしても山本礼子さんが発表される作品の勝れた感覚は偶然ではないと思った。次回は葛原妙子に したい。

名歌評釈(2)

 とり落さば火とならむてのひらのひとつ柘榴の重みに耐ふ 葛原妙子

 私はこの一首を読み乍らゲーテの幼時の体験というのを思い出していた。それはバラの花を見ているうちに、はなびらの中よりはなびらが溢れ出て、室がはなびらで満たされるというものであった。

 作者は今紅く熟した柘榴を手にもつのである。そしてそれを見ているうちに、自然の成した微妙な赤が、作者の心に無限の紅を生んでゆくのである。作者の目は微妙を見究めようとする。見究めようとすることで紅は拡がりを持ち全視覚を領ずるのである。次々と現われ来る紅は、紅が紅が煽るごとく成長してくるのである。作者はそこで「とり落さば火焔とならむ」という。私は以上を捉えてまことに巧な表現であるとおもう。斯る想念の展開は非常に力の表出を伴うものである。そこに結句の「重みに耐ふ」がある。

 私は氏の作品には形が形を生んでゆく、生命の創造に深く目を据えたものがあるとおもう。人間は望遠鏡を作り、顕微鏡を作って自己の視覚を拡大深化してきた。作者は言葉の操作によって、内的自己としての情感の目を深化拡大するのである。人類は色の中に色を見、音の中に音を聞くことによって、感覚と感情を養ってきたのである。

 書き乍ら私は何だか詰らないことをしているような気がしてきた。一寸も自分の勉強になっていないように思う。それで今月で止めたいとおもう。唯これを書くために女流歌集という一人三十首ばかり歌集を読んだ、以下少しその総括とでもいうべきものを書いておきたい。

 一人三十首位では読んだと言えるであろう、併し私は多くを読んだからといって必ずしも知ったということは出来ないとおもう。各作家には特色がある。特色があるとは個性的であるということである。個性的であるとは独自の核を持つということである。知るということはその核を掴むことであるとおもう。以下そういう面から私の感じたものである。

 前月号の山中智恵子は言った如く情感の結晶作用をもつとおもう。言葉による結晶作用は透明感をもたらせる。宝石箱を開けたような氏の歌は楽しい。生方たつゑは、女の情念を業として、女がある限りの宿縁として追求しているように思う。その激しさは読んでいて疲れが出る位である。重苦しいものが胸底に溜る。併しそれも一つの真実なのであろうか。斎藤史は死の鏡に生を写すことによって、生の幾多の面を私達に見せてくれるようである。初井しづ枝も透明な情感の結晶作用をもつ、併しそれは山中智恵子のそれではない、一瞬に触れ合う物と自己の交叉を映像化するのである。一つの情感の構成をもつのである。北沢郁子の健康な自我追求は好もしい。風土としての環境と自己を真面目に凝視しているようにおもう。上田三四二賞の講演に来た馬場あき子は生と死の葛藤、連続と断絶を、呪の熔鉱に近代知性を投げ入れることによって見ようとするように思われる。俵万智は上記の人々が身体に直接するものに於て、言わば血みどろになって闘っているのに対して、銀幕に自分を映し出してそれを詠っているようである。それだけに読む者も切迫感がない。それでいて余情にひたれるものをもっているようにおもう。

 以上読みとおして感じたことである。一回読んだだけだからひとりよがりであり、読み の浅さを免れ得ないであろう。唯核を摑むという読み方があるとだけ知っていただいたらとおもう。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

盗作

 露踏みて畑に通ひ来し女育つキャベツに屈みゆきたり

 先日出した未知の己の中の一首である。併し私は表題に入ってゆくために斉藤茂吉から語らなければならない。私は茂吉が好きである、一番偉大なる歌人はと問われたら、私躊躇なく氏の名を挙げるであろう。幾度も書く通り

 赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり

に、それ迄技巧的な表現の歌を上手いと思っていた私は魂の根より動かされたのである。下句の何れ程も離れてゐないという把握に、単に赤茄子の腐れではなく、全生命が負うている腐れに思いを運ばす力がある。私は目を開かれた思いがしたものである。

 私は氏がものを見るのは単に目で見るのではなく、全身の生死に於て見ているようにおもう。河豚を殺した歌、蚕の歌にも苦行僧の心の裡を見るような粛然としたひびきをもっているようにおもう。対象を見ると同時に自己を見ているようにおもう。

 冬原に絵をかく男ひとり来て動く煙をかきはじめたり

の歌も好きである。四句の動く煙は凡庸の出る言葉ではない、動的な生命をもつものの目によってのみ見られるものである。動的とは背後より何ものかに衝き動かされいるということである。

 ここ迄書けば賢明なる読者は既に了解されているであろう如く、初掲の私の四句育つキャベツの育つは、本首の四句動く煙の動くを発想に於て盗んだものである。

 盗作というのはどこからを言うのであろうか、余りにも言い古された言葉であるが、「学ぶ」は「真似ぶ」から来たと言われる。私達は短歌を学ぶとき先蹤を真似ぶのである。言わば盗むのである。併しそのことは先蹤を受け継ぐことである。そこに伝統が生れるのである。私はわれわれの感性は先人を受けることによって陶冶されるのであり、創造は先人の上に立つことであるとおもう。

 私は今回の「未知の己」に於て「照り出でて」を多用している。これは初井しずゑが使 っていたのを盗用しているのである。私はこの言葉に研ぎ澄まされ感覚を感じた。そしてその言葉を使うことによって、表現の野とでも言うべきものが拡大されるようにおもうのである。これからも使いたいとおもっている。併し盗作ということを意識すると心中じくじたらざるを得ない。非難さるべき盗作の範囲は何のあたりからと編集当局の松尾さんや藤木さんの御教示を賜われば有難いとおもう。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

勿体をつける

 つぎつぎと車過ぎゆきはるかなる動かぬ山に瞳置きたり

 例によって零点の、みかしほ八月歌会の私の詠草である。内藤先生が「この歌には骨がある、長谷川さん勿体をつけなさい」とのことであった。私は本来自分の歌を語るのは嫌いである。併し考えてみると稀には自己弁護も必要のようにおもう。それで勿体をつけてみる。

 この歌にもし見るところがありとすれば四句動かぬ山であろう。山は信玄の風林火山にもある如く、通念として動かぬものである。動かぬものを動かぬというのは、写生として最も拙劣なものである。それを敢て言ったのは、そこに自己の内面を表そうとが故に外ならない。勿論そこには目のやすらぎというものがあった。而して作者は目のやすらぎの根底に、変ずるものに対する不変なるものへの心の憧憬を感じたのである。

 祇園精舎の鐘の音は諸行無常と響くなりという、それは無常に対す常住への憧憬である。一瞬一瞬の移り変りに対する、永遠なるものへの愛慕である。動かぬ山は永遠の象徴のつもりだったのである。併し表現技術拙劣にして、理解の届く言葉を撰択することが出来なかったのは申訳ないことである。以上一寸勿体をつけ過ぎたかという心配もある。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

一首抄

 前にも書いた如く私は一首抄が苦手である。私は取り上げた作品が卓抜という確信がもてないのである。夫々に内容をもった歌が幾首かある。その撰択は優劣ではなくして私の好みのようなところがある。私はそれに怯むのである。

 寝ねぎはに続けて長きリハビリの吾が脚未だ人に後るる 小紫博子

 洗練された作品である。私がここに言う洗練とは文字の構成も勿論であるが、それと同時に歌境の洗練である。作者の長い作歌体験が作り上げた境地の深さである。

 本首は嘆きの歌である。作者は自分の病身に嘆息をもらす。併し下句の気息は単に嘆きに終るものではない。それを運命として大なる生命の流れに写した静けさがある。私が尊敬する西田幾多郎先生の短歌に「わが心深き底ありよろこびも憂ひの波もとどかじとおもふ」と言うのがある。観念的で作品としては優れているということは出来ない。併し内容には人生の至り着いた深さがある。静けさというのはこの深さより来るのである。私は作者がこの深さに至りついているとおもうものではない。唯その翳を宿しているとおもうのである。そして私の知る限りみかしほに於てその翳を宿す唯一人の人である。私が小紫さんの歌に魅かれるのはそこにあるとおもう。

 それは下句脚未だ人に後るるに見ることが出来るとおもう。そこには声の抑制がある。 嘆きはその抑制の中に沈んでゆく。その底に中宮寺の思惟像に見る如き、かなしみはかすかなほほえみをもつかなしみとなるのである。限りなきよろこび、限りなきかなしみは、よろこびなきよろこび、かなしみなきかなしみとなるのである。私はそのようなものの翳が見られるところに、前記の洗練があるとおもうのである。

 多くの人は声の大なるものに従いやすい。併し私は短歌表現に於て却ってそこに不毛の地が見られるのではないかとおもう。抑制することによって、抑制の背後に無限の陰翳が見られるのである。言ってしまえば読者はその言葉に対わなければならない。そこには読者は自分の個性の底に自分の言葉を組立てて作品に対するということが失われるのである。 そこに思いを述べることの不可なる所以があるとおもう。

 先日小野短歌教室の帰り道で藤木さんが「あの本論文があるかと思えば、短歌があって 何を書こうとしているか判らないと嫁が言っていた」と言われた。私の「始めと終りを結ぶもの」のことである。それから数日して三木の知人に出会ったところ「友人の大学教授が、あの本はいろいろの題があるが結局は一つのことを書いていると言っていた」と伝えてくれた。私は読む人によって正反対に分れるのだなあと思った。結局その人の力だけである。私の批評は私の力だけである。及ばぬところは御容赦たまわりたい。

 私は一首抄が苦手である。一首を描くからには一番い歌でありたい。併し私にはこれ が最も勝れていると決定出来ないのである。勿論私の力量不足による。

 クロバーの群落咲きて匂ふ道遠き記憶に花摘みしなり 井上徳二

 自覚的生命としての人間は主体と対象をもつ。そして主体的方向に生命を見、対象的方向に物を見る。詩は生命的方向に自己を見出すところに成立するのである。われわれは生命を身体としてもつ、この身体は生れ来ったものとして、百年足らずで多く死んでゆくものである。併しての身体は生命発生以来三十八億年の時間を以って作られたものである。人間は六十兆の細胞と、百四十億の脳細胞をもつという。その見事な統一がわれわれの身体である。今のこの身体は無限の時を宿すのである。われわれの一瞬一瞬の行為はこの統一の上に成立するのである。瞬間が永遠であり、永遠が瞬間であるところに身体は行為するのである。

 ゲーテはバラの花に過去を嗅ぐと言っている。詩は生命の表現として、身体の現在の一瞬に永遠を見ることである。生命がこの一瞬に自己を見るということが感動であり、美である。

 作者は今遠き記憶にクロバーの花を摘んだのであり、遠き記憶に花を摘まされたのである。花を摘む作者の手の動きは、遠き記憶が作者の手を動かすのである。ここにあるのは、遠い過去は作者の手を動かすものとして身体の現在である。そこに過去と現在を統一 した大なる現在がある。身体は新たなる自己を見る、そこに詩があるのである。上句と五句の的確な写生の間に、四句の茫漠としたものを入れたのはうまいとおもう。

 実はこの一首抄片山洋子さんの、

居並ぶを白線のあとにさがらせて特急電車がお通りになる。

を取り上げたいと思った。上手いというよりは、このようなスタイルのもつ短歌としての表現の位置を求めたかったのである。一時間程考えたがまとめ切れなかった。我な がら駄目なものである。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

批評について

 先日井上徳二さんに出会ったら、九月号の私の一首抄に対する苦情が出た。その苦情が亦変っている。私の評釈によって氏の下手な作品が上手そうになったというのである。私はそんなことはないと言った。私は単に麗辞をのみ並べたのではない。評言が立脚すべき美の基準を設定して、氏の作品がそれに適合すると書いた筈である。それは併し氏が言いたかったのは、氏の作意が動いたのは、私の立脚点より次元が低かったということではないかと思う。

 昨日バスの時間に読むべく、オスカア・ワイルドの芸術論を持って出た。其の中に批 評に関する所があって、批評は作品が含んでいる世界を、作者の意図を超えて追求しなければならない。批評は評論家の創作であるといったようなことを書いている。そしてモナリザの例をあげている。それによるとダ・ビィンチは唯線と平面の或る種の按配と、青と緑の未だ曽ってなかったような配合について工夫を凝らしただけだと言っている。それは言外に永遠の微笑は評者の創作であると言っているのであるとおもう。

 全て表現は、人類が過去に創造して来た大なる生命に自己を写すことである。私達はその世界に入ることによって自己を見ることが出来るのである。作者は新たな個性として、状況は変化する歴史的状況として表現は一々異なる。併し全人類のこの大なる創造線に添うことなくして如何なる表現もあり得ないので 我々が如何なる表現にも共感をもち得るのはこの大なる生命の内容としてあるが故である。

 斯かるものとして月々のみかしほ幾百の作品の一々が深大なる世界の翳を帯びるものであその繫りに深浅がある。批評はこの深浅を明らかにすることによって次の創作の一つの礎石たらしめるものであるとおもう。以上井上徳二さんの苦情への答である。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

弁明の記

 灰色に光りさへぎる雲こめて吹きくる風は耳を凍らす 長谷川利春

 一月の小野短歌会で一点であった私の作品である。下東条短歌でも一点か二点であった。 その前もその前も一点か二点であったように記憶する。採点なんかは何うでもよいのであるが、こう一点か二点が続くと、あの野郎禄な歌もよう作らんくせに文句ばかり達者だと思われそうな気がする。それで一寸弁明しておこうとおもう。

 この作品に対する第一の批評は内容がないということであった。併し私は一寸もそうは思っていないのである。内容とは何か、私は私の生命を形作っているものを言葉に表はすことであると思っている。日日の営みは私達が自分の生命を形作っているのである。よろこびかなしみは充分己を見出でたか否かにあるのである。私は斯る生命形成の最も深いものとして、環境と自己があるとおもう。私達の身体が環境適応的に作られたものであり、働くことは環境形成的に努力することであるとは、和辻哲郎が其の著「風土」で精緻な論理を展開するところである。私達の身体は環境の総計として風土的に作られ、歴史的に働くのである。雨の中を出でて田を植え、寒風をついて麦畑を打つことによって、我々の祖先は日本人の体型を作ったのである。日本の湿潤は日本人の団子鼻を作ったという。そしてそれは亦我々の嗅覚をも作ったのである。畑の土の粗々しい影は亦耕す人の心の襞である。或はそんなものは読みとることが出来ないと言われるかも知れないが、私は表しているつもりである。

 第二の批評は、光りさへぎる雲ではなくて、雲が光りをさえぎるのだから雲を上にもっ てこなくてはいけないとのことであった。併し私はこれも変えようとは思っていない。成 程物理的には雲が出て光りをさえぎるのである。併し私は照りがないとおもって空を見上げたのである。私は物の順序に従わず、心の動きの順序、動作の順序に従ったのである。そして私は日常と詩、散文と韻文の差違をそこに求めるものである。物の順序に従わないということは飛躍があるということである。非合理なものがあることである。私はそこに詩の韻律があるとおもう。勿論物から離れすぎると独善となる。而してそれは物をより明らかにするものでなければならない。何故なら物は人との関りに於て物だからである。

 私は自分の作品を語るのは嫌いである。この歌も名作などと毛頭思っていない。唯これからの歌会でたとえ〇点であっても私なりの観点をもっていると思って、妄言を容していただければ本文の目的は達したのである。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

鑑賞、批評

 黄熟した柿の実が澄みとおった晩秋の光に輝いている。それを見ると時間は単に過ぎ去るものではなく、一日一日の一年一年のみのりをもつものであるとおもう。みかしほ一年の歌誌を積上げると分厚い。それは私達会員の哀歓と精進の蓄積である。一月余をもって平成三年を終る。私はこの充足の中から山本礼子氏の作品を取り上げて、本年の収穫の一つとしてふり返りたいとおもう。

 北斗星射たむばかりに夜の樹々の秀に水を打つ男孫生れたり

 高揚した心気を密度高く表現された作品、北斗星と個有名詞を出されたからには、北斗星の含むものを勿論意識されているのであろう。古来北斗星は天の中央にあり、宇宙の運行を司どるものとして星の中でも最も尊崇されたものである。作者は今男孫が生れた喜びを抱いて庭樹に水をやっている。併し作者の目は庭樹を越えて遥かに天に輝く北斗星に向いている。はるかなものに目を向けさせたものはよろこびによる心の高まりである。外は内にあり、内は外にある。この生命の真実を捉えて表現に過不足がない。生命は動的なるものである。動的とは内が外となり、外が内となることである。二句うまいとおもう。

 いねがたき宵を車の通り過ぐる音の変りて雨となるらし

 私達は環境を作るとともに、環境によって作られる。感覚が鋭いとは作り作られる営為がより微細となることである。より細かく見得るということは、より深い立場に立っているということである。作者は今車と雨の音に時の移りを見ている。それは車と雨に見出でた天地の移りである。そこに大きな静けさがある。作者の真質の遺憾なく表れた作品であるとおもう。

 野ぼたんが明日咲く色覗かせる娘よゆっくり大人におなり

 おのずからなるものへの信頼と、娘への愛情を渾然としてうたい上げた作品、人間も亦生れ来ったものである。草木が華麗な花を潜ませるように、無限の可能性を潜ませるものである。ゆっくり大人におなりには、生れもった豊かさを残らず表わしなさい。それにはあわててはいけませんという親心がある。ともあれ上句と下旬の自然と人間を結合させた力は非凡である。

 裸木に百舌の鋭く啼き声奈落の如き空に涯てたり 井上徳二

 心象詠。奈落は地獄であり、出でることのない地の底である。作者はそれを百舌の啼く 声によって空に見たのである。鋭きが故に絶望の声を聞いたのである。生きる者が必ずもつ死、真摯である程人間は底に奈落をもつ。作者はふと深淵の翳に怯えたのであろう。五句涯てたりは果てたりか?

 伽耶院を長く守護せし仁王尊露はなる木目に痩せておはしぬ 岡田みさゑ

 憤怒像なるが故に、木目が浮き出て痩せた姿は力の喪失を感じるのであろう。移りたりゆくものの寂穆が感じられる。作者は老いの共感をもったのであろうか。

 ガードルに腰しめつけぬもう楽にしてやったっていいのぢゃないの 片山 洋子

 一連を読み乍ら私は情念の解放ということを感じた。それは五常五倫によってがんじ搦めにされた封建的情念よりの脱出である。氏の韻律は軽快である。俵万智と一脈相通ずるようである。一首目、五首目、後にのこるものがないが読んでたのしい。この一首まだ腰をしめつけている自分を嘲けっていると共に、その嘲けりを楽しんでいる。こういうような自分を対象化出来るのは余程頭が良いのであろう。

 雲間より時折洩れくる冬の陽を裸木分け合ふひそやけくして 岸本艶子

 四句の把握を評価したい。五句息が切れているのが惜しい。

 深々と吸ひたる息がすぼめたる唇出づる時細く鳴りたり 小紫博子

 呼気の間に出た生命の証し。このかすかなものに自己の生存を捉えた目は深い。禅家に生命は呼吸の間にありというのがある。日常の哀歓はこの上を浮遊するのである。

 霧晴るる中すたすたと歩む人見えて冬野の午近きなり 服部かずゑ

 万物枯れて荒穆とした冬の日々、二、三句そこに見出でた健かな歩みは作者の、そして冬の救いである。五句一首を冗漫にしたのは惜しい。

 不注意をさとせば素直にあやまりて厨の孫は亦コップ割る 服部 徳子

 五句普通なら怒るところを作者はほゝえんでいる。哀歓を超えて枯淡の境に入った透明感がある。

 おだてあい男は酒をくみかはす互に傷を舐め合ふごとく 藤井みどり

 おだて合うことによって互の生の確認している。併し作者はおだて合わなければ見ることの出来ない生の基盤をふんでいるのである。言葉を止めれば崩れ去るようなもろさを見ているのである。

 「水をもうかへられないから切り花は要らない」と言ひて友の今日泣く 松本君代

 力の萎えた友の嘆きが切々として迫ってくる。五句の今日泣くを泣き伏すとでもしたいが、それでは類型的となるのでこれでもよいのであろうか。

 カラカラと音する豆木引きゆきぬ今年は大豆やや多めなり 藤井早苗子

 作るもののすこやかな歓びがある。大地への感謝の感じられる作品。下句転結の妙。末筆多年なじんで来た二部会員の方々の精進を祈って筆を擱きたい。

 病める今は妻が頼りと読み返し夫のはがきをポストに落す 岩城 和子

 頼られている自分、恐らく夫は頑固な人であったのであろう。それが今病に気が折れている。作者の複雑な心の動きがよく表われている。そして徹底した写生はそれを超えて作者の心は静である。岩城さんの病の歌、徳恵さんの牛飼の歌、一つのテーマを追求して透明度を増して来たようにおもう。透明を増したとは感覚の多彩な展開をもったということである。

 隅植ゑや箱洗ひ終え湯上りを孫に軟膏を貼りて貰ひぬ 岸本艶子

 ここに日々の暮しがある、それは取立ていう喜びや悲しみではない。併しここに人は作られてゆくのである。私は斯る充足感を捉えた目は深いとおもう。

 草のしきりに飛ばす風ありてひかる五月の野となりにけり 小紫 博子

 光りと草と風が展開する五月の風光は作者の感情の生動である。ここに詩がある。これを二首目「この顔が見たくて内職する吾と孫の笑顔にこづかひ渡す」と比較すると、後者の方が完成度も高いし、喜びの振幅も大きかったとおもう。併しそこに見出した自己というものがない、一般的な祖母像しか見ることが出来ない。そこに作品の質の差があるとおもう。尚五句窮屈である、「原となりたり」か。

 働ける人等帰りて工事場の足場の奥に闇が生れる 高橋史江

 闇を見る目は光りを見る目である。作者の目は深奥に向いている。簡潔な表現は手練である。

 カンボジアの浮浪児は軒に重なりて眠りゐるなり雨降り止まず 富田久子

 五句適切、限りない哀憐の心を誘う。

 風圧のかかりて重きドア押せば否応なしにあの記憶もどる 中北 明子

 情念の世界は混沌の世界である。それは終局なき動転の世界である。併し生命はそれによって自己を形作ってゆくのである。臆せず見つめるところに作者の高貴な精神がある。

 不順なる寒さ漸く過ぎ去りて家族の絆纏並び干されぬ 服部美千代

 繰り返しの中に惰性となり無意識の中に埋没した日常を堀起すには犀利な目が必要である。併しそこに目を置くことによって真に自己を作ってゆくものを見得るのである。この一首上旬と下句置き換えた方がよいのではないかとおもう。

 跳びそこね腹をかへせし雨蛙姿勢なおしてソロリと歩く 藤井早苗子

 生物の本能のもつ撰択、面白い。

 反抗期終えたるか子は命令を聞かざる犬に反抗期かと言う

 特異な素材、一挙手一投足にも子を見守る親の心が覗かれる。

 お土産と嫁の呉れたる鯛焼の掌に温かく文化祭終る 小紫博子

 四句迄嫁との交情の一首である。受取った鯛焼の温さは嫁の温さである、満たされた一瞬の幸せである。併し私はこの一首がそれだけで終っているならば平凡な詰らない作品であるとおもう。それが五句によって救われているとおもう。文化祭終るによって、鯛焼を呉れた嫁と、その温さを意識する自分も亦過ぎゆく時間の一駒となるのである。勿論それによって交情がうすれるのではない、深まりゆくのである、限り無い時間のひと時の故に縁の不思議の前に立つのである。有名な中宮寺の思惟像はよろこびなきよろこび、かなしみなきかなしみの姿をもつと言われる。

 私は以前に氏の作品を批評し乍ら、尼僧のようなしずけさがあると言ったことがある。 作品を読んで感じることは小主観と言われる思い入れのないことである。宗教家の言葉を借れば己れのはからいの少ないことである。これがはからいを捨てたときにあるのは我を包んだ大なる生命の流れである。私は氏のしずかさはこの流れに目を置くところにあるとおもう。掲出の歌のよろこびもしずかである。

 私は表現とは個体としてのこの我が世界の姿を表わしてゆくことであるとおもう。以前 に書いた如くわれわれの生命は瞬間的なるもの永遠なるものであり、永遠なるものが瞬間的なるものである。生死としてのよろこびかなしみの陰翳が永遠なるものに映されるときに芸術はあるとおもうものである。しずけさは永遠の影としてあるのであり、氏の歌の魅力は斯るものを宿すところにあるとおもう。

 勿論私は歌は斯るもののみとおもうものではない。瞬間を映す永遠が静なれば、永遠を映す瞬間は動である。近代は個性の発見にあると言われる。それは小紫さんの方向と逆の方向である、世界の中にあるのではない、世界を内にもつのである。個は対立としてある、対立するものは闘うものである。他者を否み己れを否むものである。そこに地獄を見、悪魔をもたなければならない。私はわれわれは歴史的現在に生きるものとして、現代短歌はその方向に生面を拓かなければならないと思うものである。併しそれは亦瞬間を映す永遠に即するものとして大なる静けさに至るのでなければならないとおもう。創造は常に否定を介しての肯定であり、死を介しての生である。

 尚この他に藤井早苗子さんの

 雨の降る休日は居場所なしといひ畑が一人一人来る

を取り上げたかった。下句の一人一人の言葉のふくらみがよい。それによる情感の奥

きを味わいたい。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」