バレエダンサーの現役医学生

 今年も暑い夏に悩まされました。年々最高温度が上昇しており日本でも39℃を超える地域が見られたようです。

 そのような過ごしにくい毎日ですが、ちょっと爽やかな話題を提供します。

 現役鳥取大学医学部6年生でバレエダンサーの「河本龍磨」君です。鳥取市出身で、兄と姉がバレエをやっていたことに影響され、彼自身も4才からバレエを習い始めたそうです。メキメキと腕を挙げていき、地元でも有名となり、高校生の時にロシアの有名な国立ボリショイバレエアカデミーに短期留学されています。

 ボリショイバレエはモスクワにあるのですが、サンクトペテルブルクにあるマリインスキーバレエとともにロシアの代表的なバレエ団で、19世紀末にチャイコフスキーが「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」「白鳥の湖」という3大バレエを作曲し、20世紀最初にデイアギレフによるロシアバレエ団「バレエ・リュス」が結成され、この2バレエが旧ソ連の黄金時代を築いてきました。ニジンスキー、ヌレエフやバリシニコフ、アンナ・パブロワ、20世紀最高のプリンシパルと称えられたプリセツカヤなど、多くのバレエダンサーが輩出されています。

 このようなところに短期間でも留学された河本君は素晴らしい経験をされたと言えます。バレエ以外でも野球やサッカー、ホッケー、水泳などスポーツには万能であったようで、「スポーツ医学」に興味を持つようになり、その結果鳥取大学医学部医学科に進学されました。医学部に入ってからはさらにバレエに熱中するようになり、解剖学や生理学を勉強するようになってからはバレエをしている時に「この筋肉の作用は?」「骨の動きはどうなんだろう」「この動きをすると怪我をしやすいかな」などを考えるようになったそうです。しかし、こんなことを思いながらバレエを踊っているダンサーがかつていたのでしょうか?ちょっと尋常ではない印象を持ってしまいます。

 医学部に入ると1年生の2019年にはベルギーのアントワープ王立バレエ学校に短期留学され、2019年第29回全国バレエコンクールInNagoyaシニア男性部門優勝、2021年第8回山陰バレエコンクール県知事賞受賞、2022年第25回NBAバレエコンクールシニア男性部門第2位、今年8月11-13日全日本バレエ協会での公演をこなされるなど輝かしい成績を残されています。

 医学部では授業や実習がみっちりあり、病理学や薬理学などの基礎医学、内科学や外科学などの臨床医学等、新しい知識を身につけなくてはいけなく、結構忙しいのですが、どうやってバレエと両立させているのでしょうか。ある時バレエの公演と試験日程が重なってしまいパニックになったようですが、彼の選択は「今回の試験は棄権して、再試験に全てをかける」ということでした。

鳥取大学医学部医学科6年生 河本龍磨君。現役バレエダンサーとして活躍、将来はスポーツ医学を専攻したいとのこと。かつてのロシアのダンサー「ニジンスキー」を彷彿とさせる??。

 彼によるとバレエダンサーにおける運動器の障害は無理な屈曲進展を行うため①足関節、②中趾骨や外頚骨障害、内反小趾などの足部、③腰椎の順に負担がかかるそうです。以前本誌において「演奏家医学」という分野があることを紹介しましたが、バレエダンサーにおける身体の不調を専門に扱った医師はいないため、彼は「スポーツ医学」、特に「ダンサー医学」を目指すということです。

居酒屋では普通の大学生でした。

 以前に紹介したように鳥取大学病院では作年4月に「スポーツ医科学センターTottori University Hospital Sports Medical Center: TSA」が開設されました。アスリートが持つ医学的な問題は、脳・眼・耳・鼻といった神経感覚器の障害、呼吸器、循環器などの内科的疾患、栄養バランス、ホルモンバランス、噛み合わせ、メンタルの不調など多岐にわたります。このような問題に対して迅速かつ専門的なサポートを行うもので、多職種が関わって行くものです。

 河本君にはこれまでの経験と旺盛な探求心を活かし、この分野でしっかり勉強して将来の「スポーツ医学、演奏者医学」の分野で世界を牽引し、コンクールで成績を挙げたように今後素晴らしい成果を期待します。(2023.9.1)

ウクライナ国立歌劇場「カルメン」と英国ロイヤルオペラハウス「アイーダ」

変異したコロナウイルスがまたまた猛威を奮っていますが、皆さんはお正月休みはどのように過ごされましたか?

私は感染対策を十分に行った上で、趣味の1つで道楽でもある「オペラ」を2つ観てきました。

1つは、ウクライナ国立歌劇場によるビゼー作曲「カルメン」です。ウクライナ歌劇場はボリショイ劇場(モスクワ)、マリインスキー劇場(サンクトペテルブルグ)と並ぶ旧ソビエト連邦における3大歌劇場です。以前キエフ劇場(キエフはロシア語、ウクライナ語ではキーウ)と呼ばれ、学生時代には歌劇場附属のオーケストラを聴きにいったことがあります。現在ロシアとの戦争の渦中にあるウクライナは、人口4000万人ちょっとと日本の約1/3ですが、肥沃な土地と恵まれた気候、水資源のため「欧州の穀倉地帯」と言われていることはご存じのことでしょう。この豊沃な資源と同様に、すぐれた音楽家を多く輩出しています。ギレリス、ホロビッツ、リヒテルなどのピアニスト、オイストラフ、スターン、ミルシテインなどのバイオリニスト、作曲家プロコフィエフ等、枚挙にいとまがありません。ただそのほぼ全員がヒットラーやスターリンに迫害されアメリカやイスラエルなどに移住し活躍されています。また第二次世界大戦中にキーウ近郊バビ・ヤールでナチスによる大虐殺を受け、昔から紛争の絶えなかった地域です。この事件を題材にしてショスタコ―ビッチは交響曲13番を創作し、暗く陰鬱な曲想によって民族の悲哀と迫害の偽善性や無意味さを表現しました。

「カルメン」の内容は周知のことなので詳しくは触れませんが、妖艶で美しい「カルメン」は自由で移り気なジプシー女で、これに翻弄される純情で一本気な竜騎兵の伍長「ドン・ホセ」が主人公で最後にはカルメンを刺し殺すのです。人が死ぬため「悲劇」として扱われますが、アリアが少なく「闘牛士の歌」や「ハバネラ」「カルタの3重奏」の舞曲風の歌、フルートとハープの美しい「間奏曲」などが有名で、すぐに口ずさみたくなるような「大衆性」に溢れています。

ウクライナ国立歌劇場による「カルメン」パンフレットより。最後のカーテンコールでは自由に撮影をしてよいと指示されていた。また「ブラボー禁止令」は出ていなかったので、以前の盛り上がりが感じられた。

もう一つは英国ロイヤルオペラハウスによるベルディ作曲「アイーダ」です。これは映画館での「ライブビューイング」として観ました。といっても2022年10月の上映の収録なんですが、ロバート・カーセンによる現代の軍事情勢を彷彿とさせる新演出で非常によくできていました。原本では古代エジプトを舞台にエチオピア人奴隷のアイーダがエジプトの将軍ラダメスへの愛と祖国愛の間で引き裂かれる悲劇です。カーセンは軍事力を行使する架空の大国を考案し、エジプト王(どこかの国家元首に似ていました)とその娘はそれぞれ明るい青、真紅のブランド服を身にまとっていましたが、その他の全員が軍服に身を固め、実際の戦争の映像を背景に映しだしていました。掲揚される国旗も赤と青地に白い★です。サッカーワールドカップなどで聴かれる「エジプト軍の凱旋場面」は大国の軍事行進を模倣し、最後に逮捕されるラダメスとアイーダは核兵器が収納されている地下室に生き埋めになります。ちなみにこの時のラダメスはTシャツのような濃い緑の軽めの服装でしたが、左胸の文様があるのかはっきり見えませんでした。 今回、新型コロナ感染に翻弄され、またロシア軍侵攻の只中にあって来日されたウクライナ国立歌劇場の公演と、大国を果敢に皮肉った歌劇「アイーダ」を観たことは得難い貴重な経験となりました。

ライブビューイング「アイーダ」 パンフレットより

ハンガリー国立歌劇場の「魔笛」

 2022年10月大阪フェスティバルホールでハンガリー国立歌劇場のモーツァルト作曲オペラ「魔笛」を観ました。オペラはこの頃モンテベルディやスカルラッティなど殆どイタリア語で書かれており、モーツアルト作では有名なイタリア人台本作家ロレンツオ・ダ・ポンテによる3部作「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「コジ・ファン・トゥッテ」が知られていますが、この早熟天才作曲家は12才で「ぶりっこ娘」(1700年代からぶりっこがいたのは驚きです!)を作曲しています。

フェスティバルホールは2015年リニューアルし3000人収容となりました。

2015年リニューアルし3000人収容となった大阪フェスティバルホール

 「魔笛」はモーツアルト最後のオペラですが、シカネーダーによるドイツ語の台本でした。話の内容は省きますが、序曲、夜の女王などの登場人物のアリアや重唱は美しく、ワインサービスは無かったものの至福の3時間でした。(2022.11)

ハンガリー国立歌劇場によるモーツアルト作曲「魔笛」。パンフレットより

グルック作曲バロックオペラ「オルフェウスとエウリディーチェ」

 2022年6月東京において新国立劇場オペラハウスでグルック作曲バロックオペラ「オルフェウスとエウリディーチェ」を観てきました。2021年11月の時と比べて、新宿初台の辺りにはすっかり日常が戻っていました。相変わらずクロークは閉まっており、マスク着用とブラボー禁止命令は出ており登場人物の1部はマスクをしたまま踊っており興ざめでしたが、ホワイエでのシャンパンサービスは復活し、かなりリラックスした感じは戻っていました。

シャンペンサービスが復活した東京オペラパレス

 このバロックオペラの代表的な作曲家としてイタリアのモンテベルディ、フランスのラモー、ドイツのヘンデルや今回のグルックらが挙げられます。男性の高音域のカストラート(現在ではカウンターテナーや女性のコントラルトやメゾソプラノが歌う)の特徴的な歌い方、ハープや弦楽器による単旋律のような独特の響きで非常に美しい音楽です。指揮はバロック音楽の大家、バッハコレギウムジャパンの鈴木優人氏でした。オペラの内容は言うまでもなく非現実的なもので、ギリシャ神話に登場する吟遊詩人(詩曲を作り竪琴などを持って各地を訪れて歌う)オルフェオが主人公。その妻エウリディーチェが新婚早々に毒蛇に咬まれて死亡し黄泉の国にいるのですが、オルフェオが連れ戻しに行くという奇妙な物語です。オルフェオは黄泉の国、つまり死後の世界にどうやって行ったのが分かりませんが、コーキュートスの川(いわゆる三途の川でしょうか)の向こうに渡って、死霊たちに交渉したところエウリディーチェとの面会が許されます。そして、神々の許可を得て地上に連れ戻すことになり手を取って地上を目指すのですが、その時に振り返ったりしてエウリディーチェの顔を絶対に観てはいけないと約束をさせられます。これは「見るなのタブー」を扱った古今東西に共通したテーマで、日本では民話「鶴の恩返し」を題材にした木下順二による戯曲「夕鶴」が有名です。ところが、この約束のことを知らないエウリディーチェは夫オルフェオのよそよそしい態度に徐々に不信感を抱くようになり「私を愛していないのね!死んだ方がましよ!(既に死んでいるのですが)」と「昼ドラ」で良く聴くセリフを繰り返すと、「昼ドラ」の主人公オルフェオは遂に振り返ってしまうのです。ギリシャ神話の原著ではここでエウリディーチェは死んでしまうのですが、グルックはオルフェオの誠実さが証明されたとして生き返らせ、ハッピーエンドにしています。流石、うまいですね!まあ、話の内容はこんな感じですがオペラ中のアリアや幾つかの音楽は澄み切ったメロディー等感動的ですので「精霊の踊り」なども併せて一度聴いてみてください。YouTubeなどで簡単に視聴できます。この物語は後にフランスのオッフェンバックにより「地獄のオルフェ(別名、天国と地獄)」というオペレッタにパロデイ―化されています。(2022.6)

黄泉の国からエウリディーチェを連れ戻すオルフェオ(ウイキペディア)

オッフェンバック作曲オペレッタ「地獄のオルフェ」(ウイキペディア)

佐渡裕芸術監督「ドンジョバンニ」

 2022年3月に兵庫県立芸術文化センターで行われたオペラ「ドンジョバンニ」(佐渡裕芸中監督、関西二期会主催)。素晴らしい演出でした。5月には3年ぶりとなる「福山国際音楽祭」には是非行きたいと思います。一橋大学管弦楽団の元コンサートマスターの枝廣市長に期待しております(2022.4)

リヒャルト・ワーグナー「ニュルンベルグのマイスタージンガ―」

 2年ぶりにオペラを観てきました。演目はリヒャルト・ワーグナー作曲「ニュルンベルグのマイスタージンガ―」という3幕もので、上演時間は約6時間、14時開始で休憩をはさんで終わったのは20時過ぎ。最近の欧米における蛇使いの女性とニシキヘビ、象や馬、犬やワニなどが登場する演出とは違い、劇中劇も取り入れたオーソドックスですが見ごたえのあるものでした。

 会場である新宿の新国立劇場では感染対策のためクローク無くコートやカバンを椅子の下か膝に抱えないといけないし「ブラヴォー!」の掛け声禁止。観客が曲の間におこなう咳払いも周りの「自粛警察」による咳エチケットのチェックが徹底され殆ど聞かれませんでした。長い公演の間の飲食についてはホワイエでのシャンパンやワインサービスは勿論なく、座る椅子も減らされており皆さん持参のおにぎりやサンドイッチを立って食べるという状況でした。

 最も大きな問題はトイレで順番待ちに1-2m空けて並ぶようにという規制が明記されていましたが、ちゃんと守ると新宿駅まで長い行列ができたことでしょう。

 これらのことはどうでもいいのですが、オペラの内容はギルドという職業組合や徒弟制度が全盛であった中世のドイツにおいて「ジンガ―(歌手)のマイスター(職人)」を選ぶために歌合戦を行うというものです。ポーグナーという裕福なマイスターが伝統と格式をもつ素晴らしい歌を作詞作曲して優勝したものに、自分の全財産と一人娘を与えるという「吉本新喜劇」でも取り上げられないような茶番の内容で、ワーグナーが作曲した唯一の喜劇です。

新国立劇場:いつもならこのホワイエ(ロビー)でシャンパンやワインがふるまわれる。

 19世紀半ばの当時「標題音楽・舞台芸術」を追求していたワーグナーは、音楽は音による構成によってのみ価値があるという「絶対音楽」をバッハやベートーベンから受け継いだブラームスと激しく対立していました。

 特にブラームスを支持する音楽評論家のエドウアルト・ハンスリックからはいつも酷評されていたため、オペラの中でハンスリックをベックメッサ―という書記官として登場させ、狡猾な手段を使ったが結局歌い損ねて敗北し、民族的・宗教的な恨み辛みも併せ散々な目に合わせております。

 その姿をミュートしたトランペットとホルンによるグロテスクな響きをバンダという別編成隊で演奏されていました。これに対しワルターという他所から来た若い騎士には「人生の冬の喧騒の中で美しい歌を作れる人が真のマイスターである」として見事優勝させており、新しい芸術(標題音楽・舞台芸術)が低迷していた古臭い音楽(絶対音楽)を凌駕するという手前味噌的、倒錯した主題がこの作品の1つのテーマになります。

 が、オペラの音楽自体はライトモチーフが各所で表現された作品で、野和士指揮東京都交響楽団と新国立劇場、二期会合唱団の演奏は素晴らしかったです。

 演出はドイツで活躍するダニエル・ヘルツオークで、最後にマイスターの称号を与えられたワルターが自分の肖像画を破り捨てるという試みも斬新で面白かったです。(2021.12)