知的機能としての「音楽、歌」

 人間は類人猿から分かれて進化した結果獲得した高度な知的機能を有するのですが、知的機能の一つとして音楽や歌などが挙げられます。村上敬子先生や伏原金男氏など、音楽や歌の題材が多く、村上先生はプロ級のピアノ演奏技術を持っておられ、当初からその経験と幅広い知識を軸に音楽全般のことを述べられています。伏原氏はかつて岩垣博巳前院長が世羅町の古民家レストラン(伏原氏の奥さんが経営)を訪れてから万葉集を紹介されています。最初の紹介歌は「紫の名高の浦の靡(なび)き藻(も)の心は妹に寄りにしものを」現代訳:名高の浦の藻のように心はすっかりあの子に寄っているのだよ(巻11-2780番歌)。

奈良時代の様々な人々や平安貴族達は和歌を即興で作り、ヨーロッパなどではサロンで即興的に音楽を作曲して、それぞれ歌にして披露しあっていました。今も短歌や俳句の会、種々の音楽会などは色んなところで開催され人々が交流し、私は内外の音楽祭において人や音楽との触れ合いを楽しんでいます。人が集まるところには歌があり、そこから生きていることを実感する「楽しさ、喜び」が生まれるものと思います。(2024.8.8)

破壊的イノベーション

最近、マスコミなどで「破壊的イノベーション」という言葉をよく耳や目にします。

これはクレイトン・クリステンセンというアメリカの経営学者が提唱し「持続的イノベーション」に対する用語で、主にビジネスマーケットの領域で使われてきました。イノベーションInnovationとは日本語で「革新」と訳されており、新しい技術などの発明を意味します。このうち「持続的イノベーション」とは、簡単に言えば既存の技術などを大まかのフレームワーク(枠組み)は変えずにいわばマイナーチェンジをするものですが、これに対し「破壊的イノベーション」は、概念をほぼ根底から覆すことを指します。昔からコペルニクスの天動説(地球中心説)を覆す地動説(太陽中心説)、フロイトの精神分析法、マルクスの科学的社会主義 アインシュタインの相対性理論など、従来の通念を180度転換する画期的な発想でした。最近ではOpenAIによるChatGPTは、それまでに思いもつかなかった人工知能による生成システムで、これにより我々のデスクワークの多くが恩恵を受けております。

私が中学生の頃に始まった「題名のない音楽会」司会者の作曲家黛敏郎氏は、当時流行っていた「ニューミュージック」のある曲(残念ながら題を失念しました)の楽譜を解析し、これをビートルズの「Yesterday」と比較討論されました。番組では「Yesterday」の最初の数小節はそれまでのとは明らかに異なる斬新なメロデイーであるが、「ニューミュージック」のものは「都はるみ」の曲などこれまでの日本の曲のアレンジに過ぎない。「ニューミュージック」などと命名するのは「おこがましい」と一刀両断に切り捨てられたのです。そのことは黛氏の鋭い視線と言葉からこぼれるキラキラとした知性とともに今でも鮮明に覚えています。

題名のない音楽会」初代司会者 黛敏郎氏 とYesterdayの最初の3小節(Wikipediaより)

似たような経験をお話しますが、私が1990年代にアメリカに留学していた頃はバブル経済が弾けたとは言え日本の力がまだまだ強く、アメリカ自動車産業の半分くらいは日本車が占めるという時期でした。あるアメリカ人の看護師さんから「日本人は外国の模倣ばかりして自国の独特の発明は何もない」と言われたのに対し、この時だけは根っからの「愛国者」になり、ソニー社の「ウオークマン」は画期的なもので市場を席巻していると反論しました。しかしながら、考えてみると当時のテープレコーダーを携帯用に小型化しただけのもので磁気を使って音声録音するテープレコーダーを発明したデンマークのポールセンやフロイメルとは大きな違いがあります。2023年の雑誌Nature誌に「Japanese research is no longer world class — here’s whyという衝撃的なニュースが載っていましたが、日本のシステムの問題だけではないのですが、「破壊的イノベーション」を生み出すような発想の転換や努力などが必要でしょう。

また先日食事会で、ある看護師さんが「連休に東京に○○のコンサート」に行くと言っておられ○○は今流行の男子グループですが、私が知らないことを言うと「長谷川先生、○○知らないんですか。遅れていますね」と反論されたのです。そばに居た医師が「長谷川先生は趣味が高尚ですから」と意味のないフォローをしてくれました。日本人の「同調主義」には勿論良いところもあるのですが、高校生の時にある本で日本人は微分的な発想をするため解析能力が優れている。一方ドイツ人は積分的な発想が中心となり包括的な見方をするということを読んだことがあります。また本誌で私の原稿を読んでいただいているある高名な先生から「長谷川先生は優雅ですね.風流人ですね」とか「よく本を読んでいますね。暇人なんですね」などと言われ、ステレオタイプの分析をし画一的な範疇に分類してしまおうという傾向が、特に学識の高い人に強いように感じます。こういった日本の風潮も関係しているかも知れません。 さて、今年の4月から「医師の働き方改革」という制度が始まりました。医師の健康確保と長時間労働の軽減を目的に、余計な残業を無くし定時に帰れるようにということです。勿論患者さんの容態次第で帰れないということもあるのですが、多くの医師は「学会発表」や「論文執筆」に追われて病院にいる時間が多いのです。時間外にこれらを他から強制的にあるいは自らに課して行っているのですが、このように自分を締め付けないで自由な時間を作って家庭生活や好きな趣味に充てましょうとという風に変われば良いと思います。また先日東京都はカスタマーハラスメント(店員が顧客から受ける暴言や無茶な要求などのこと)の定義付けを行い、全国初の防止条例制定に向けるということです。これを病院に当てはめてみると「モンスターペーシャント」の抑制につながるかも知れず、今後これらの2つの新しい制度によって医師の働く環境や患者さんとの関係も良好に進むことが期待されます。

(2024.5.1)

ジョン・ケージ「4分33秒」

クラシック音楽の世界でも禅の教えに影響を受けた作曲家がいます。それは「ジョン・ケージ」という現代作曲家でアヴァンギャルド(前衛)芸術に影響を与えた人です。彼は「禅と日本文化」などの著書を英語で記した仏教学者、文学者の「鈴木大拙」氏に影響を受けました。1952年ケージは「4分33秒」という作品を発表し、これは演奏者が全く楽器を弾かず最後まで沈黙を通すというもので、その時に会場から偶然におきる物音やざわめきこそ音楽の本質であるとし、音楽に対する彼の思想が最も簡潔に表現された代表作品です。その主旨を私は完全には理解していないのですが、以前はリズム構造の基礎となる単位の長さが時間の長さであったのに対し、最近の作品では長さは空間のみに存在し、この空間を通過するスピードは予測できないと分析します。クラシック音楽は古典主義から始まり、ロマン主義、表現主義、印象主義からセリアリズム(総音列技法)に至るまでは「音楽は何物かを表現しなければならない」とされていましたが、ケージはこれを否定し、音はただ音である、ただそれだけである。音楽は音楽ではない。だから音楽は音楽である。という訳の分からない考えを展開します。五線紙の音譜は表面の空間であって、音楽の論理とは全く無関係で、時空間の首尾一貫性は予測不可能であり、禅宗哲学が新しい作曲上の方向を促進するのに大きな役割を果たしたというものです。禅の「一即一切、一切即一」という概念、つまり空間的には全宇宙が一介の塵埃中に見いだされ、また時間的には永遠の時間が一瞬間の中に見いだされるというものですが、音楽にも予測できない偶然性を導入する必要があると結論し、上記の「4分33秒」が出来上がったのです。

皆さんは理解されますでしょうか。(2024.2)

  
第一楽章 Tacet (休み)   
第二楽章 Tacet (休み)   
第三楽章 Tacet (休み)   

ジョン・ケージ作曲「4分33秒」の楽譜

坂本龍一氏:音楽と生命

先月フルート奏者の多久潤一朗氏のお母さんは、没個性的な教育をしていたと書いたことに対して、お子さんを育てていらっしゃる某女性看護師さんから反撃されたので、今回はそれを否定するようなある人を紹介します。

それは、あの有名な音楽家「坂本龍一」氏のお母さんです。東京生まれの彼はお母さんの薦めで世田谷区の自由学園系の幼稚園に通っていたそうです。そこでは幼稚園の園児全員にピアノを弾かせていたようです。また教室の透明できれいな窓ガラスに水彩画を書かせたり、夏休みに週替わりで「ウサギ」の飼育を園児宅でさせたりしていたということです。今なら、父兄たちからウサギには犬のジステンバーのような感染症が無いか調べさせたり、何回目かの予防接種証明を持ってこさせたりしたことでしょう。さらに9月の新学期に先生から「ウサギの世話をしてどうでしたか。その時の気持ちを歌にしてください」と、無茶苦茶な課題を出されたということです。

その坂本龍一氏は2023年3月に亡くなりました。中国の人民服を着てテクノカットという髪型で、イエローマジックオーケストラにて、当時斬新と思われたシンセサイザーなど電子音を取り入れた現代音楽を作り出し、いわゆる「テクノポップ」として一世を風靡しました。しかし「戦場のクリスマス」などのポピュラー音楽を作曲した彼の音楽にはクラシック音楽が基本にありバッハとドビュッシーに大きな影響を受けていたことは驚きです。現代音楽のうち電子音楽はシュトックハウゼンにより広められ、ミニマルミュージックはステイーブ・ライヒ、フィリップ・グラスらによって開拓されました。シュトックハウゼンについては昔大阪万博の時に確かドイツ館で曲が流れていて、当時中学生だった私も奇妙なシンセサイザー音楽に何故か惹かれるものがありました。ライヒは「イッツゴナレイン」「カムアウト」「デイファレントトレインズ」など徐々にずれていく位相に斬新さがあり、グラスはメトロポリタン歌劇による「アクナーテン」「サテイアグラハ」などのオペラを世に出しています。両者とも現代人の感性にフィットしていると感動して聴いています。

坂本氏は平和運動など多彩な活動をしておられましたが、今回医学との関りについて、少し紹介します。2023年3月に生物学者の福岡伸一氏と「音楽と生命」という対談集を出され音楽学と生物学という異なる視点から共通するものについて討論されています。この課題は非常に難しいので改めて論ずるとして、今回はごくさわりを述べます。まずすべての事象を人間の考え方、言葉、論理という「ロゴス」と人間の存在を含めた自然そのものを「ピュシス」と区別します。そして、これらの「ロゴス」と「ピュシス」が対立しているとし、ピュシスをできるだけありのままに記述する新しいロゴス、より解像度の高い表現を求めることをあきらめないこと、そのためにこそ音楽や科学や美術や哲学がある。分化と思想の多様性がある、と論じています。(2023.12)

多久潤一朗氏のオリジナル奏法

皆さんは多久潤一朗氏というフルート奏者をご存じでしょうか。東京芸大を卒業、日本クラシックコンクールフルート部門で優勝され、映画「のだめカンタービレ」で首席フルート担当されています。最近ではフルートトリオ「マグナムトリオ」のリーダーとして国内外で活躍されクラシック音楽は勿論テレビドラマや映画の音楽、さらにアニメや「スーパーマリオ」などのゲーム音楽など幅広いジャンルの音楽を手掛けておられます。中でも驚くべきは自由な発想で多くのオリジナル奏法を編み出しており、管のある物なら何でも楽器にできる、例えば、横笛であるフルートの先の部分から縦笛にして演奏、チクワに横穴を開けて演奏しています。

フルートとちくわ:両端に穴が開いているので吹けば音が出る

我々の行っている科学研究は何度繰り返しても同じ結果が得られる、再現性に価値を置くものですが、音楽はそれとは反対です。1回しか起こらないところに「オーラ」があり価値があり、芸術は複製されるとオーラが失われるものです(ワルター・ベンジャミン)。1回限りの演奏は即興Improvisationとも言いますが、Wikipediaによると「即興:型にとらわれずに自由に思うままに作り上げる、作り上げていく動きや演奏、またその手法のこと」とあります。多久氏の演奏形式はまさに「即興」といえましょう。

多久氏は幼少の時、1本のたて笛を与えられて、救急車、チャイムの音を笛の音で再現していたそうです。その時いわゆる「真面目(教科書的な考えが支配的な)」な教育ママのお母さんから、酷く怒られて様ですが、リベラルなお父さんには「何故もっとやらないのだ」と逆に諭されたようです。さらにこのお母さんは「私が恥ずかしい思いをしているのよ」というジコチュウ発言をされています。この教育ママに完全屈服していたら今のようにフルートの概念と常識を破るような輝かしい活躍をしていなかっただろうと思われます(ただし素晴らしく育てられたお母さまの悪口を言うつもりは全く無いのでご理解を!)。

同じく音楽家で作曲家の池辺普一郎氏は幼少期身体が弱く、小児科医から「この子は20才まで生きることが出来ないでしょう」と言われたようです(昔の小児科医はこのような根拠の無い無責任なことを平気で言っていたことに驚かされます!!)。このため読書にいそしみ、家にあったピアノを独学で練習していたようです。ところが20才になってもなかなか死なない、それどころか東京芸大作曲科に入学。卒業後、11個の交響曲や数々の協奏曲など多くの前衛的な現代音楽を作曲されています。これは幼少期に型にはまらず自由に独学で勉強されていたことが基礎的な力になっていると思われます。

昔から既存の思想を覆すような新しい学説などを打ち立てた様々な「天才」たちは、幼少期からいわゆる「優等生」ではなかったようです。(2023.12.6)

「ブギウギ」人形

NHK朝ドラ「ブギウギ」、先月から始まっていますが、皆さん見ておられますか!

「東京ブギウギ」などのヒット曲を出した歌手「笠置シヅ子」をモデルにしたドラマです。大阪出身とは私も知らなかったのですが、我々が学生の頃阪大病院があった大阪市福島区の風呂屋の娘として育った主人公が「ブギの女王」として成功していくという痛快ドラマになっています。作品は全体に歌や踊りに溢れストーリーとともに飽きない内容で、特にドラマの最初の軽快なテーマ音楽と異様に首が長い奇妙な人形とCGによるイントロが特徴です。「怖い」「気持ちが悪い」「朝から気分を害する」など否定的な意見が多い中で、私は試みと斬新な試みとして興味を持って観ています。

少し前NHKテレビで亡くなった美空ひばりさんを画像的に生き返らせて歌や踊りを披露するという番組を放映していました。これはNHK局やレコード会社に残る沢山の音源、映像をもとに、AI技術によって目線やひばりさんの特徴的で嫌味な口元を歌唱とともに巧みに再現したものでした。私は最初「ブギウギ」の人形ダンスを見たとき同じようにすべて生成AIがCGを駆使して作っているのだろうと思っていました。ところが、NHKの違う番組ではイントロで「手作りの棒遣い人形」を5人くらいの人形師が棒を操って動かしているとのことで、ほとんど手作業で制作していると聞いてビックリしました。

さらに最近では「初音ミク」など、AIを搭載したバーチャルシンガーが登場しており、作曲家渋谷慶一郎氏は、人間ロボットのアンドロイドにコンピュータ音楽を歌わせてボーカロイド・オペラを発表し、西洋文化の人間中心主義の極致ともいうべき「オペラ」という形式に敢えて挑発するような試みをしておられます。しかしながら今後「ブギウギ」の人形のようにこれがまた回りまわって手作りの操り人形に替わっていくかもしれません。(2023.11.10)

国家と音楽家

 「政治家が料亭通いをすると批判されるが、芸術を愛好していると好意的に受け取られる。コンサートやオペラ、歌舞伎などに行くことや芸術を保護・支援した政治家は批判されることはない。」という序章から始まる、作家中川右介氏による「国家と音楽家」が2022年2月に発刊されました(図1)。音楽家は最初国家のプロパガンダとして利用されたが、後に国を追放されたり粛清されたり、また逆に国家に迎合して自分のために利用したクラシック作曲家や演奏家の実像を描いたものです。「音楽に国境はない」と言われますが、大きな壁を感じた音楽家は数知れなく存在し、文中にはヒットラー、ムッソリーニ、スターリン、フランコ等の独裁者、ケネディ、ニクソンなどの政治家が登場します。これに対してフルトベングラー、カラヤン、カザルス、ショスタコ―ビッチ、ルビンシュタイン、バーンシュタインなどの音楽家達が登場し、国家や民族間の大きな壁によって迫害され、それに屈服、或いは抵抗した各人の生きざまが描かれております。(2022.7)

中川右介著「国家と音楽家」講談社文庫

音楽の訓練

 何故音楽家は年少から楽器を始める方が良いのか、について疑問が湧きました。一般に脳には神経細胞(ニューロン)があり情報の伝達と処理に特化した細胞と考えられ、それらが手を伸ばして連結してシナプスという回路を形成します。胎児期には脳の発達が大きく、複雑な回路網が出来上がっていきます。その後胎外に生まれると環境によって様々な刺激に遭遇するとその時に使われる回路は強く太くなりますが、使われない回路は消滅していき人間は出生後様々な世界に順応していくわけです。すなわち、英語圏で育った子供は英語を覚えて理解ししゃべり出しますが、日本語は全くわからないといった状況になり、ある人は小さい時からの訓練で超絶的なバイオリンを難なく弾けるようになる。ある人は空中に張られた細いロープの上を逆立ちで歩いたりするようになります。図に出生後の年令ごとの脳波の発達状況と脳重量の推移を示します。勿論指の関節が曲がりやすいといった身体的な柔軟性は考えられますが、いずれにしても胎児期からの延長として生後急激に脳が発達し、この増加は乳幼児期に極めて著しくこの時期の訓練が重要だということが分かります。中学生くらいからその速度はほぼプラトー(平坦)に達し成人になっても発達する余地は十分あるのですが、どうも梁さんや磯邉さんと私の違いは練習を真面目にしたか、サボり気味にいい加減にやっていたかにあるようです。(2022.7)

在胎12週時の胎児:殆どの器官が形成される時期であるが、脳の発達が急激である(ムーア発生学)

脳波の発達と脳重量の変化

Lindsleyによる脳波の周波数(点線…)と脳重量(実線―)、正常下限の脳波(点鎖線―-―)を示す。脳の発達は乳幼児期までが著しい。(馬場一雄:小児生理学)

演奏家医学

 クラシック音楽は演奏家によって再現され、我々はその演奏の時間と空間を共有するわけですが(私は一方的に聴いているだけです)、演奏家の抱える様々な身体的、精神的な苦労はあまり理解できていないのが現実と思われます。今回、そのような演奏家を取り巻く医学的な問題を取り上げてみたいと思います。まずピアノや弦楽器を扱う演奏家は手や肩などの運動器に関与する整形外科的、神経学的問題として、手の腱鞘炎、付着部炎、筋肉痛、関節痛、神経障害やフォーカル・ジストニア(意志に反して手が勝手に動いてしまう)が挙げられます。私は大学に入ってからバイオリンを始めたのですがしばらくすると頸椎ヘルニアを患い、神経ブロックや牽引療法などを長年必要とし、その後も長い手術後には首や腕が痛くて困りました。トランペットなどの金管楽器、クラリネット奏者では口唇の損傷や乾燥、歯科的問題が出てきます。声楽では声帯の炎症やポリープ、年令による声域の変化や発声障害が生じます。また全ての音楽家に共通するものにストレスに伴う突発性難聴、メニエール病、過大な音響による耳鼻科的問題や絶対音感のずれ、その他精神的な問題など合併症は数え切れません。ベートーベンが晩年に難聴になったのはおそらく耳硬化症といって鼓膜から伝わった音刺激を伝える内耳にある耳小骨のあぶみ骨と蝸牛管の卵円窓の付着部が骨化して動かなったことによるものですが、音楽との関係や明確な原因は分かりません。また同じ芸術家で画家のゴッホはゴーギャンとの共同生活が破綻し、その結果自分の耳を切り落とす「耳切事件」を起こしていますが、時代の先進をいく激しい芸術家に共通する問題かもしれません。バレエのダンサーはつま先で立って踊るので全体重による負担がピンポイント的に足の指にかかっており、疲労骨折や関節炎、靭帯損傷、アキレス腱の障害などが起こります。以前「ブラックスワン」という映画で主役のナタリー・ポートマン(映画「レオン」でデビューし「スターウオーズ」でアミダラ女王を演じた)がプレッシャーにより徐々に精神が崩壊するバレリーナを演じていましたが、その中でバレエシューズが血に滲んでいくという悲惨なシーンがありました。「1日練習を休めば自分に分かり、2日休めば教師に、3日休めば観衆に分かる」といわれるくらいシビアな世界に身を置いている演奏家は、このような体に不調をきたしても病院にいくと「医師に練習を休めと言われるだけ」と病院にかかりたくなくなり、ますます治療から遠ざかり不調を繰り返す、という悪循環が生まれてしまいます。(202.5)

頸椎に負担がかかるバイオリニスト(ウイキペディア)

つま先立ちで演技するバレリーナたち(「白鳥の湖」ウイキペディア)

 このような演奏家の立場に立った医療が10年以上前から欧米を中心に「演奏家医学Performing Artist Medicine」または「音楽家医学Musician’s Medicine」という学会が開かれており、国際的な医学雑誌「Medical Problems of Performing Artists」も刊行されています。本邦では2004年に「日本演奏家医学シンポジウム」という医療関係者と音楽関係者が一堂に会し演奏者の健康問題を議論する研究会が初めて開かれました。これは日本医事新報(No.4197号:29-31頁、2004年)で詳しく紹介されています(表1)。そして今年の4月から医療関係者と音楽関係者が組織的に議論する場が「日本演奏芸術医学研究会」として発足し、7月に研究会が開かれる予定で興味のある方は参加されたら如何でしょうか(ホームページ参照)。また実際の診療の場として東京女子医大で「音楽家専門外来」が開かれているようです。

音楽教育ハイフェッツ

 私の好きな音楽家にヤッシャー・ハイフェッツというバイオリニストがいます。1901年にロシアで生まれ、7才でメンデルスゾーンの協奏曲を弾いてデビューを果たし、16才でニューヨークのカーネギーホールでの演奏からアメリカを本拠地として活躍した、早熟の「天才」として著名な人です。「冷たいバイオリニスト」として日本ではあまり人気は高くないのですが、ハンガリー生まれのレオポルド・アウアーに師事し極度の完璧主義で完成された演奏と哲学的な造詣も深いことで、欧米では多くの支持者を得ており沢山のバイオリニストを育てています。彼の生涯を追ったドキュメントテレビによれば、自分の音楽スタイルを追求するだけでなく「アウアーから受け継いだ音楽の理論と技術を後世に残すことが、私の残された使命である」として、57才から第一線の活動ではなく南カリフォルニア大学で後進の指導に邁進することを決意しました。

私も明日からも頑張ろうと思います。(2021.8)

AI(人工知能)音楽家

 歌手の「加山雄三」さんの声の発音や抑揚、パターンなどを録音して、AI(人工知能)に学習、記憶させ再現したという報道を聞きました。伝えたい内容を入力すると「加山雄三」さんの声でアナウンスしてくれるという企画で、生まれ故郷でずっと生活の拠点とされている神奈川県茅ケ崎市にて、市役所や市立病院、スーパーや温泉施設でこの4月から館内放送されているようです。また、以前NHKスペシャルで同様に、美空ひばりさんをNHKやレコード会社に残る沢山の音源、映像をもとに、AI技術によって目や特徴的な口元などを歌唱とともに巧みに再現し、視聴者の心を惹きつけていたようです(図1)。少し前、人間不在でコンピュータ音楽のみのボーカロイド・オペラを発表した作曲家渋谷慶一郎氏は、テレビ番組「らららクラシック」において、「狂気のピアニスト」と言われるグレン・グールドの残された音源からAIが学習し、どのような楽曲でもグールド風にピアノ演奏する、またAIが学習したバッハの様式で実際に作曲する、ヴァイオリニスト成田達輝がAIと共演するなどが紹介されていました(図2)。グールド特有の「音を短く切る」「繊細で深みのあるタッチ」「ドライな演奏」など、細かく分析すれば学習・記憶できると思われますが、印象に残ったことは渋谷氏が「凄い演奏家は内部に狂気を持っており、演奏会でハラハラさせられる。例えば気分によって怒って演奏を中断したり、ふざけるなと鍵盤を叩きつける。このような一番人間の極端な部分をAIに忍び込ませると面白いでしょうね」と仰っていました。グールドや他の音楽家、例えばカルロス・クライバー、ウイルへルム・フルトヴェングラー、ウラジミール・ホロヴィッツなどの持つ、演奏に込められた情熱(狂気などと紙一重のもの)という、即興的に出てくる感情を含めた人間らしいものが生み出すようになるかどうか興味のあるところです。(2021.5)

元始女性は太陽であった

 コロナ感染が収束すればオリンピックを初め色んな行事が始まりますが、女性蔑視と思われる発言は良くないですね。平塚らいてうは「元始女性は太陽であった。しかし今は月である。他の光(男性)に依って輝く青白い顔の月である。」と言って、女性解放運動を開始しました。言語能力など女性が優れている点や大部分の女性は甘い食べ物が好きであるなどは実感するところですが、男性から見てちょっとついていけないことが時々あります。だいぶ前になりますが、藤岡幸夫(関西フィルハーモニック管弦楽団首席指揮者)が主催する番組「エンター・ザ・ミュージック」で、伊福部昭氏(映画ゴジラのテーマ曲の作曲で有名)が作曲した舞踏曲「サロメ」の紹介をしていました。「サロメ」はかつてオスカー・ワイルドが書いた戯曲をリヒャルト・シュトラウスのオペラや三島由紀夫の演劇台本演出など、多くの芸術家に取り上げられている有名な物語です。簡単に紹介すると、古代イスラエル王国において継父ヘロデ王が王女サロメ(血のつながりのない娘に当たる)に無理やりに妖艶な踊りを舞わせたところ、その見返りとしてサロメは囚われている美しい預言者ヨカナーン(サロメが心惹かれている)の首を斬り落とすことを要求したという、王女の無垢で残酷な激情と悲劇的な結末を描いたものです(図1,2)。前夫をヘロデ王に殺されたサロメの母ヘロデイアイスのたくらみであったようですが、いずれにしてもおどろおどろしい話です。私がもっと驚いたのはアシスタントとして出ていた、テレビ東京アナウンサー繁田美貴さんは、小学生の時「何故好きな人の首を欲しがったのかわからなかったが、ドキドキしながら原作を読んだ」そうです(図)。小学生の女子が、ですよ。 毎日チャンバラごっこに明け暮れ遅くまでキャッチボールをしていた小学生の私たち男子と比べ、同世代の女子たちはやはり「太古の昔、太陽であった」と驚愕せざるを得ません。男女では生まれつき精神行動学的原理が違うのでしょうか。(2021.4)

ビアズリーによる挿絵。ヨカナーンの首を手にしている(Wikipediaより)。

クラシック音楽演奏・鑑賞にともなう飛沫感染リスク検証実験報告書

 最近面白い実験結果が出たので紹介します。題材はやはり私の好きなクラシック音楽に関するもので、クラシック音楽講演運営推進協議会と一般社会法人日本管打・吹奏楽学会が今年の7月に行った実験で、クリーンルームにおいて飛沫微粒子を測定したものです。その報告書に沿って概略を述べたいと思います(コロナ下の音楽文化を前に進めるプロジェクト:クラシック音楽演奏・鑑賞にともなう飛沫感染リスク検証実験報告書HPより)。

 左は今年の5月にベルリンの専門家達によって、弦楽器奏者間の距離1.5m、管楽器奏者間の距離2mを確保することが理論上かつ暫定的に提唱され、標準的安全距離(ソーシャルデイスタンス)と認識されるようになり採用された時のオーケストラの配置です。右は同じ会場における従来の演奏形態です。しかしながら、この標準的安全距離を確保するのは演奏の質を担保するのに不十分かつ困難であり、広く演奏される多くの作品の演奏が不可能となります。ウイーンフィルなど多くの団体が楽器演奏時の飛沫等の可視化実験を行い、以上の安全距離は過大ではないかという疑問が出始めました。

 ソーシャルデイスタンスを取ったオーケストラの配置(左)と従来の配置(右)上記HPより

 可視化実験では飛沫等の飛散する様子を立体的、経時的、定性的に捉えることは可能ですが、隣接する演奏者の位置における飛沫等の暴露の程度は、実際にその位置で微粒子の量を測定する必要があります。環境中に多く存在する埃も微粒子として測定されるのを避けるために、クリーンルーム環境においてパーティクルカウンターを用いて楽器演奏時の微粒子測定が行われました。

 方法客席と演奏者について、ソーシャルデイスタンスをとった場合と従来の方法をとった場合に微粒子の飛散程度が測定され比較検討されました。対象楽器として木管楽器(フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、アルトサクソフォーン)、金管楽器(ホルン、トランペット、トロンボーン、ユーフォニウム、チューバ)、弦楽器(バイオリン、チェロ)、歌手(ソプラノ、テノール)、客席(聴衆の会話、咳、発声を再現)が選ばれました。各楽器当たり3名の演奏者が、それぞれ1分間x3回の演奏を行い、演奏者の間近、及び前後左右計9か所にパーティクルカウンターで測定されました。

 

 客席(左)と演奏者(右)の前後左右を含め9か所に測定器(パーティクルカウンター)を設置。それぞれ、「隣接した位置」⇔「一席あけた位置」、「従来の距離」⇔「ソーシャルデイスタンス」で比較。

 クリーンな環境下にて実験を行うアルトサクソフォーン演奏者

「結果と提言のまとめ(原文より)」

・演奏者およびマスク着用下の客席において、従来の間隔の場合でもソーシャルデイスタンスをとった場合と比較して、飛沫などを介する感染リスクが上昇することを示すデータは得られなかった。

・ただし、ホルンでは右側50㎝、トランペット・トロンボーンでは前方75㎝において他の測定点よりもやや多い微粒子が観測された。飛沫などを介した感染リスクに限らず、人の直接・間接の接触がある限り感染のリスクをゼロにすることはできない。

・しかし、合理的な対策を組み合わせることによって感染リスクを下げること、そして仮に感染が生じてもできるだけ狭い範囲にとどめることは可能である。

・各団体が感染リスクを理解した上でそれを下げる方法を十分に検討し、方針を決定することが望ましい。

 このような実験とその結果は、演奏者や観客にとって、これからの演奏形態がどうあるべきかを具体的に考える上でエビデンスのある極めて有意義なもので、実際の運用方針は各団体に委ねられるとはいえ、音楽の演奏は空間的時間的共有が不可欠であるという演奏家やファンの熱い思いを代弁しこれからの方向性を示すものと思われます。

 N響は今後状況により従来と殆ど変わらない配置での演奏を考慮するようですが、やはり金管楽器はリスクがありそうです。演奏者や指揮者は本番では喋らないので良いのですが、リハーサルで興奮して唾をとばす広○○一氏のような指揮者には自覚して欲しいものです。

 またファンにとっては客席では席を空けなくてもリスクに差がないとはいうものの、「ブラヴォー」を大声で叫ぶのとマスクをしていてもずれたりすることがあります。咳はマスクをしていても飛散リスクがあるようですが、そもそも咳をしている人は演奏会には行かないだろうし、咳より熱が初発症状となるコロナ感染者では入口の検温検査で引っかかってしまうと思われます。

 やっぱり感染対策はキッチリすべきでしょう。(2020.12)

 その他の懸念として、演奏会の休憩中にホワイエ(演奏会場のロビー、幕間に飲食がふるまわれる)でのシャンパンやワインサービスは無くなるのでしょうね。これが一番残念です!!(2017年 ドイツバイロイト音楽祭)

演奏会場外でのワイン:海外ではこのような演奏会形式があり羨ましい限りです。(

レナード・バーンスタイン「ヤング・ピープルズ・コンサート」

 私の好きなクラシック音楽の領域ではユダヤ系指揮者・作曲家のレナード・バーンスタインが、1958年から1972年にかけ「ヤング・ピープルズ・コンサート」という子供たち向けの教育講演をテレビ中継用にニューヨークフィル率いて行っておられました。計53回のシリーズで初回の「音楽って何?」から始まり、古典音楽や印象主義、協奏曲や交響曲の作られ方、ソナタ形式、メロデイー、旋法、さらにマーラーやストラビンスキー等の作曲家の紹介、幻想交響曲やオペラ「フィデリオ」等個々の楽曲について、分かりやすく解説するものです。(2020.10)

家音楽会

 私はただでさえ大阪や東京に出にくい米子の地で、趣味のオペラやクラシックコンサートに行けず、貸マンションの一室で「家音楽会」をしております。各演奏家たちは無観客のイベントやWEB配信など、様々な工夫をされているようですが、私の「家音楽会」は、以前からやっている「総譜を読みながら交響曲や器楽曲を聴く」というものです。ご存じとは思いますが「総譜」とはスコアとも言い曲を構成する全楽器の楽譜が書かれているもので、指揮者が譜面台において各パートに指示します(カラヤンは暗記でしかも目をつむって指揮していた)。例えば交響曲なら上から木管楽器、金管楽器、打楽器、弦楽器というようにそれぞれの楽譜が並んでいます。

ベートーベン作曲交響曲第五番「いわゆる運命交響曲」第4楽章冒頭の総譜

 作曲者が作り出したどのような曲においても、それぞれの楽器に1つ1つの音を出すように指示するために「音符」という特殊な記号で五線紙に書かれたものが楽譜で、ちょうど特殊な言語でコンピューターを動かすように書かれた「プログラミング」のようなものです。

 演奏者はそれを読みながら演奏して作曲された音楽を再現し、通常ならホールやサロンで観客とともに芸術空間、時間を共有するわけです。指揮者になった気分で「総譜」を読むと各楽器の細部まで作曲者の意図を知ることとなり、音楽の神髄が味わえます。「総譜」が分かれば頭の中で音楽が組み立てられコンサートホールに行かなくても、極端な言い方をすれば音を出さなくても音楽を楽しめるということになり、ストラデイバリウスのバイオリンやタンノイのスピーカー等は意味の無い存在となります。以前私の大学の後輩で「コンピュータのプログラミング」を見ながら、頭の中でそれを組み立ててニヤニヤしたり、時に「くくっ」と笑ったり怒ったりという、薄気味悪い天才がいましたが、今となってはその変人の気持ちが分かるような気がします。(2020.9)

コンピュータのプログラミング(Wikipediaより引用) これでコンピュータの働きを作る