生物と非生物: AIについて

 最近の話題として、歌手の「加山雄三」さんの声の発音や抑揚、パターンなどを録音して、AI(人工知能)に学習、記憶させ再現したという報道を聞きました。伝えたい内容を入力すると「加山雄三」さんの声でアナウンスしてくれるという企画で、生まれ故郷でずっと生活の拠点とされている神奈川県茅ケ崎市にて、市役所や市立病院、スーパーや温泉施設でこの4月から館内放送されているようです。また、以前NHKスペシャルで同様に、美空ひばりさんをNHKやレコード会社に残る沢山の音源、映像をもとに、AI技術によって目や特徴的な口元などを歌唱とともに巧みに再現し、視聴者の心を惹きつけていたようです。少し前、人間不在でコンピュータ音楽のみのボーカロイド・オペラを発表した作曲家渋谷慶一郎氏は、テレビ番組「らららクラシック」において、「狂気のピアニスト」と言われるグレン・グールドの残された音源からAIが学習し、どのような楽曲でもグールド風にピアノ演奏する、またAIが学習したバッハの様式で実際に作曲する、ヴァイオリニスト成田達輝がAIと共演するなどが紹介されていました。グールド特有の「音を短く切る」「繊細で深みのあるタッチ」「ドライな演奏」など、細かく分析すれば学習・記憶できると思われますが、印象に残ったことは渋谷氏が「凄い演奏家は内部に狂気を持っており、演奏会でハラハラさせられる。例えば気分によって怒って演奏を中断したり、ふざけるなと鍵盤を叩きつける。このような一番人間の極端な部分をAIに忍び込ませると面白いでしょうね」と仰っていました。グールドや他の音楽家、例えばカルロス・クライバー、ウイルへルム・フルトヴェングラー、ウラジミール・ホロヴィッツなどの持つ、演奏に込められた情熱(狂気などと紙一重のもの)という、即興的に出てくる感情を含めた人間らしいものが生み出すようになるかどうか興味のあるところです。

生物と非生物の違いについて考えてみたいと思います。Wikipediaによると「生物」とは、動物・菌類・植物・藻類などの原生生物・古細菌・細菌などを総称した呼び方であるとされています。さらに多くの生物者が認める定義として、①自己と外界との間に明確な隔離がある、②代謝(物質やエネルギーの出し入れ)を行う、③自己増殖能がある、を満たすものとされています。また見方を変えると「常に乱雑さを増す宇宙の中で、秩序を生み出し維持できる能力」ということになります。一般に万物は乱雑(無秩序)な状態に自然になっていきます。これを物理学の基本原理、熱力学第二法則といい、宇宙、或いは閉鎖系(外界から完全に孤立した物質の集合)では乱雑さは常に増す方向に向かうということになります。図に示すように放っておくと部屋は乱雑になっていきますが、この方が自発過程でありこれを逆転し整頓した状態にするためには意識的な努力とエネルギーの投入が必要で、自発的には進みません。この乱雑さを数値化したのがエントロピーという量で、万物が乱雑に向かうという熱力学第二法則は、万物はエントロピーが増大する方向に向かうと言い換えられます。「生物」の定義をもう一度考えると、秩序を生み出すために生物の細胞は小有機物質(アミノ酸、糖、脂質など)を用いて化学反応を行い続け、周囲からエネルギーを獲得してそれにより秩序を作り出し、細胞は生活し成長するわけです。

左:整頓されている子供の部屋。右:放っておくと乱雑な状態になる。左の状態に戻すのにはエネルギーが必要。(「細胞の分子生物学」より引用)

生物界のエネルギー代謝(「生化学・分子生物学」より引用)

 こうしてみればAIはとうてい生物とは言い難いですが、人間に極めて近く仕事をしてくれるので、今後我々にとって同僚や家族のような存在になっていくものと思われます。人間とは違ってAIは疲れず「肩を揉んでくれ」とか言わないし、仕事に飽きても「賃金アップ」を要求したり新しいファッションをねだったりしないことが、AIを「生物」から分類する定義かも知れません。皆さんはどう思われますか。(2021.5)

男と女への分化

 性染色体の構成に関連して減数分裂して得られた正常の精子には23,X(全体で23個の染色体構成で、22個の常染色体と1個の性染色体:この場合はX染色体からなる)と23,Y(性染色体はY)の2種類ありますが、正常の卵子には23,Xの1種類しかありません(図。このように受精卵の染色体は精子の持つ性染色体(X,Y)によって決定され、男性(46,XY)か女性(46,XX)が決まります。初期の生殖器系は男女とも同一で未分化性腺(原始生殖細胞など)が活動を始めるのは胎生第7週からで、男性の表現型の発生にはY染色体が必要です。Y染色体短腕の性決定領域にあるSRY(Sex-determining region Y)遺伝子が転写因子として働き、精巣決定因子TDF(Testis determining factor)のスイッチを入れて、精巣への分化を誘導します。Y染色体がない場合(女性)にはTDFが発現しないで卵巣への分化が始まるのです。その後胎児の精巣は男性化ホルモン(テストステロン、ミュラー管抑制物質)を産生し、内性器や外性器を形成していきます。男性の生殖器はウオルフ管(中腎管)が、女性の生殖器はミュラー管(中腎傍管)という、いずれも中胚葉由来の器官が中心となって分化が進んでいきます。思春期以降の発達についてはそれぞれ成熟した精巣と卵巣から出るホルモン環境が影響していきます。精神行動学に関し、男性化と女性化についても胎児期のホルモン環境の影響があるという説もありますが、エビデンスがイマイチで勉強不足なこともあり今回は触れないことにします。(2021.4)

精子と卵子の形成(ムーア:人体発生学より)

男女生殖器の分化(塩田浩平:人体発生学講義ノートより)

小腸の働き

 腸管は口腔、食道、胃、十二指腸、小腸、大腸、肛門から成りますが、栄養素の90%は小腸で吸収されます。口から入った食物は唾液や胃液、膵液の中にある消化酵素で分解消化されます。つまり糖質(炭水化物)はアミラーゼ、蛋白質はペプシンやトリプシン、脂質(中性脂肪)はリパーゼにより分解されますが、最終的な単糖類やアミノ酸、脂肪酸とモノグリセリドなどの低分子栄養素とビタミン、塩類、水分、他の微量栄養素などは小腸粘膜から吸収されます。小腸粘膜には多数の輪状ひだがありその表面は絨毛に覆われ、さらに微絨毛が密生し吸収面積を広げています。成人男子の小腸の吸収総面積はテニスコート一面にあたるとされています。

小腸粘膜の断面図。輪状ひだ→絨毛→微絨毛と吸収面積が広がる。

 このような小腸が生まれつき短い、或いは色んな病気で大量に切除してしまわないといけない患者さんがおられます。小腸が通常の25%しかない短腸症候群ではその80%は新生児期に手術を受けた小児で、低出生体重児にみられる壊死性腸炎や腸軸捻転、腹壁破裂などがあり、他に腸が蠕動しにくい病気や成人の炎症性腸疾患もあります。このような場合にはミルクなどの経口摂取が出来なく下痢などがおきるために、静脈栄養といって点滴からの栄養や水分を補わないと維持できなくなります。腸管不全患者さんでも腸を使った栄養を行うと徐々に腸が馴染んできますが(適応)、長期に静脈栄養を行うと点滴する静脈が無くなったり、カテーテルの感染や腸管内に細菌が増殖したり、肝臓の障害が起こります。ひどくなれば小腸移植が必要になりますが、小腸には病原体が多くまたリンパ組織が豊富なため長期的にも拒絶反応がおこりやすく、肝臓などの移植ほど良好な結果ではありません。このため、腸管不全患者さんに対して色んな治療、輸液やカテーテル管理、薬物治療、外科治療を色んな角度から多角的に検討するという多職種による腸管リハビリテーションプログラムが1990年代から欧米を中心に設立され、小腸移植もその1つの治療法と位置付けられるに至りました。(2021.3)

生物界の生態

 私は職業柄人間だけではなく生きている生物の生態に大きな興味を持っています。動物行動や生態に関する知見を扱ったテレビ番組「ワイルドライフ(BSプレミアム)英国BBC作成が基」や、分かりやすいところでは「ダーウインが来た(NHK総合テレビ):以前の生き物地球紀行、地球不思議大自然」などが好きで昔からよく見ていました。これらでは最新の撮影技術を駆使し、数々の迫力映像で生き物の素晴らしさを伝えています。テーマは「食うか食われるか」という動物同志の生存をめぐる戦いや、メスを確保するためのオス同士の戦い、子供を育てる母親の自己犠牲的な努力など、自然に密着した生物の種々の生きざまです(図)。根底にある思想は英国の生物学者チャールズ・ダーウイン(1809-1862)の進化生物学で、全ての生物種は共通の祖先から長い時間をかけて進化し、この原動力となるのが自然選択・自然淘汰(同じ生物種内で生存競争がおこり、生存と繁殖に有利な個体はその性質を多くの子孫に伝え、不利な性質を持った個体の子供は少なくなり、その適応力に従って自然環境がふるい分けを行う)になります。現在ではダーウイン説の解釈は少し異なりますが、これらの番組を見て確かに感じるのは「生物行動の根源は、自分の遺伝子を残すように優秀な配偶者や家系を求め、その生殖を確実にして強い子孫を作ることに全力を尽くすことである」ということです

ロッキー山脈にて、メスをめぐって戦うビッグホーンのオスたち

アフリカサバンナで狩りをするチータと、その子供たち。愛する家族のために巨大な水牛にも立ち向かう。

熊の親子。献身的な愛情が感じられる。

 我々の身体は1個の受精卵から全ての細胞が分化して臓器が出来上がります。このうち大部分をしめる体細胞といわれる細胞・臓器は個体を維持するものですが、これは1代限りで死んでいき次世代には遺伝しません(図)。これに対し遺伝し種を維持する細胞は生殖細胞系列といわれ、体細胞系列とは別の系列に属します。受精卵から分化した胎児には初期に卵黄嚢という腸などを入れておく組織があり、この一部に原始生殖細胞が出現して後に体幹部に移っていき性染色体によって精巣か卵巣に分化していきます。その頃には既に出生後に成人して自分の子供をもうけるために必要な細胞やゲノムが用意されるのです。不思議ですね!!  

 その後思春期に成熟した精子(父親)と卵子(母親)が受精した場合、減数分裂という特殊な細胞分裂を経てそれぞれ1セットずつのゲノムをもつようになります。一般の体細胞が細胞分裂する時には元の細胞とDNA量も染色体数も同じ細胞が2つ出来ますが、生殖細胞系ではそれぞれ半分ずつになった細胞が出来るわけです。このようにして受精によって発生が始まる次世代の子供は精子(父親)と卵子(母親)からそれぞれ受け継いだゲノムを持つようになります。地球上に出現して以来、生物は遺伝的に多様な次世代を数多く生み出すという方法をとっており、特定の個体の生存のためには必ずしも有利ではありませんが、環境変化への対応や病原微生物との戦いなどを考えた場合、種というレベルで生物を永続させるために実に有効な手段と言えるのです。かくして生殖細胞は自分の種を保存するために巧妙なメカニズムを獲得するに至ったわけです。これに対し体細胞が持っているDNAは次世代に遺伝することはなく、遺伝子の突然変異によっておきる胃癌や大腸癌、その他の病気はその個体が死ぬと遺伝することは無いのです。(2021.2)

図 人を構成する細胞のライフサイクル(前野正夫、磯川桂太郎:生化学・分子生物学。羊土社、より)

生殖系細胞の発生。(ムーア:人体発生学。医歯薬出版より)

細胞や器官の発生

 私は、小児外科を専門としております。扱う病気のほとんどは身体の発生異常で、お母さんの胎内にいる間に起きます。では、私たちの身体の細胞や器官はどのようにして出来上がるのかご存じでしょうか。今回はごく簡単に人体発生について述べてみたいと思います。

 私たちの身体はいくつもの臓器から成り立ちますが、それを構成する組織は200種類以上、さらにその成分の細胞は37-70兆個にも及びます。その最初の細胞はたった1個の受精卵(精子が卵子と受精したもの)であるのです。驚くべきことだと思いませんか?!(私は学生の頃この生命の神秘に大いに感動しました)。この性質のため受精卵は全能性の細胞と言えます。その後受精卵は細胞分裂を開始し、2分割、4分割と卵割を行い、桑実胚を経て子宮内膜に着床して胎盤が出来ていきます(図)。その過程で内部に杯盤胞腔という腔(体の中で空になっている部分)を形成し、それに偏在した形で内細胞塊が出来ます(図1赤枠)。これはのちに内胚葉、中胚葉、外胚葉の三胚葉に分化する能力を持つ多能性(Pluripotent)細胞で、後述するようにそれぞれ決められた組織や器官に分化していくのです。これらは組み込まれた(プログラムされた)遺伝子の情報に従って順序よく正しく行われていくのです。不思議ですね⁈(2021.1)

受精卵は分裂を繰り返し、2細胞、4細胞から桑実胚を経て子宮内膜に着床する。(白澤信行:新発生学、日本医事新報社、より)

幹細胞(ES細胞・iPS 細胞)

 最近よく話題になっている幹細胞について述べます。ES細胞やiPS 細胞などです。Wikipediaによると幹細胞(かんさいぼうStem cell)とは、分裂して自分と同じ細胞を作る能力(自己複製能)と、別の種類の細胞に分化する能力を持ち、際限なく増殖できる細胞と定義されています。発生における細胞系譜の幹(Stem)となることから、名付けられています。ES(Embryonic Stem Cell)細胞は初期胚の内細胞塊から取り出し、その未分化性を保ったまま培養下で増やし樹立した細胞で、胚性幹細胞(Embryoは胚という意味)と呼ばれ、成体のどのような細胞でも生み出せるものです。一旦細胞が分化を始めると後戻り(脱分化)は出来ません。分化によって機能的・形態的な変化は起きるのですが、細胞個々のゲノム(生物が正常な生命活動を営むために必要な、最小限の遺伝子群を含むひとまとまりの染色体)や遺伝子情報は当初の受精卵と同じで何ら変化していないのです。このため分化が進行した体細胞でも遺伝子発現の制御状態を巻き戻したり、リセットすることが出来ないかと考えられ、人工的に初期化(リプログラミング)したのが、かの有名な山中伸弥先生が作成した、iPS (induced Pluripotent Stem Cell)です。Inducedとは人工的に誘導したという意味で、人工多能性幹細胞とか誘導万能細胞とかに訳されています。山中先生は、マウスの繊維芽細胞(皮膚にある細胞)を用い、初期化を促す転写制御因子(遺伝子DNAにある情報がRNAに写し取られる過程を転写といいますが、これを促進したり抑制する蛋白質)をコードする遺伝子セット(山中因子と呼ばれる3-4個の因子)によりiPS 細胞を作成するというノーベル賞受賞に至る偉業をなされました。これにより多くの難病の再生医療や創薬、種々の臓器作製に寄与していることは皆さんもご周知のことと思います。

 話を人体発生に戻しますと、幹細胞の性質を持つ内細胞塊(図1,2の赤枠)は二層性胚盤から三層性胚盤となり、順に外胚葉、中胚葉、内胚葉と形を変えます。これらの運命として

・外胚葉は神経管(➡中枢神経、網膜、松果体、神経下垂体などに分化)と、神経堤(➡脳神経、知覚神経節、副腎髄質、色素細胞などに分化)を形成する神経外胚葉と、表層外胚葉(表皮、水晶体、内耳、歯などに分化)とになります。(図)

・中胚葉は内側から沿軸中胚葉(➡骨格筋、骨、真皮、結合組織などに分化)、中間中胚葉(➡泌尿生殖器系に分化)、側板中胚葉(➡内臓の筋と結合組織、循環器系、副腎皮質などに分化)になります。 ・内胚葉は呼吸器系(➡気管、気管支、肺の上皮部に分化)と、消化器系(➡消化管と付属線、膀胱などに分化)になります。(2021.1)

受精卵からの発生と分化。三層性胚盤より三胚葉構造となる(前野正夫、磯川桂太郎:生化学・分子生物学。羊土社、より)

外胚葉、中胚葉、内胚葉の分化。(白澤信行:新発生学、日本医事新報社、より)