情としての日本的形成

 古い本を引張り出して、ごろりと寝転んで読んでいると、こういう下りがあった。江戸 の或る豪商の家より出火した。折からの風に煽られて、火は見る見る内に街並へと拡がって行った。当主が茫然として火の行手を見ているところへ、息子が駆け寄って来て、「お父さん御安心下さい、土蔵の全ては完全に塞ぎました、これで大丈夫です。と言った。すると主人は、「馬鹿!!」と怒鳴って走り行き、土蔵のを全部開け放ち、塞いだ窓を尽く壊した。そして火の消え去った後、一物も残らず焼けた我家を眺めて、「これで世間様も許して下さるだろう。」と呟いた。というのである。

 世間様も許して下さるだろうとは、如何なることなのであろうか。私は世間とは、所謂 社会とは異なっているように思う。社会は我々を超えて、我々と対立する意味をもつのに対して、人と人とのつながり、関り合いの意味が大変濃いように思う。今此処に我と汝が関り合って生活をしているのである。世間知らずというのは、我と汝の関り合いを、上手に処理なし得ないものである。世間が狭いというのは、関り合う人が限られて少いということであり、理解してくれる人が少ないということである。私達は社会が許してくれるとか、社会が狭いという言葉をもたない。そのことは世間とは人と人との生活空間の意味をもつと思う。

 許してくれるとは、私は、それによってあるものがそれに背き、再びそれの中に容れら れることであると思う。この場合出火によって、多くの家を類焼せしめ、人々を困窮せしめたのが、世間をはみ出たことになるのであろう。そして着のみ着のままになったことによって惻隠の情をもち、怒りを少なくしてくれるであろうということであろう。

 世間を世間様というのは如何なることなのか。通常前にも書いた如く、世間知らずとか、世間が狭いとか、世間という言葉で表わされる。自分も其の中の一人である以 上当然の事である。而し世間様というのは自分と一線を画した言葉である。そしてそれは許して下さるにつながる言葉である。私は世間様というのは、其処に自分の存在の根元を見た言葉であると思う。世間は我と汝の無数の関り合いである。関り合いは我を超えて、無限の過去に遡り、未来に流れてゆく。我々はその中に生き、それによって生きる。其処に法が生れ、神や仏の出で来る地盤がある。併し世間様は神や法ではない。何処迄も人と人である。我と汝である。

 私は斯るものとして、世間とは心情的に形成せられた社会であるとおもう。心情と心情の結合から、新たな心情が生れる。そこに自ら全体的なものが生れる。全体とは秩序である。それは成文化されたものではない。お互いの心に流れ合うものであり、それによって我が生き汝が生きる心情のおのずからなる承認である。私は世間様とは、我々の心情の奥に出来た社会的心情とでも言うべきものではないかと思う。

 私が鎌の販売をしていた頃、出張先の宮崎市に吉田喜五郎商店というのがあった。その当主は古来の慣習を頑固に守り続ける人であった。他の人から聞いた話であるが、その主人はいつも、飯を食っている所を人に見せてはならない、もし見られてお客さんより美味いものを食っていたら、お客さんにすまない、と言っていたそうである。事実私も二、三度饗ばれたことがあるが、夏の暑い日でも障子が閉め切ってあった。この家は市内でも一、二を争う資産家として、当時の市長の娘を嫁に貰った程である。かくれて食う位ならどんな美味いものを御馳走して下さるのかと思ったら、味噌汁一椀に干魚の焼いたのが一匹であった。それを手拭片手に、汗を拭き乍ら食べるのである。私は戴き乍ら、資産をもつという意味を疑ったものである。

 併し彼は決して吝嗇ではなかった。寄附なんかは惜まず出していた。勿論まずいものを食うのが好みではなかったであろう。私は其処に情のつながりといったようなものが見られるのではないかと思う。客もその店に無ければ兎も角、他の店で買うことはしなかったようである。品物を通じての結合が一体感をもたらし、一体感が同一への欲求をもたらしたのではないかと思う。客よりうまいものを食っていてはいけないということも、この同一の欲求から来るのではないかと思う。

 世間知らずといわれる言葉も、この同一の感覚の欠除を言っているように思う。他者の気持をおしはかり、自己と他者の間に一つの状態を作り得ないものをいうように思う。あの人はまだ苦労が足らんと言われるのも、苦難の経験をもたないということでなくして、人との関り合いに圭角があるということのようである。

 私の住む田舎では、今では大分薄れてきたが裾分けという習慣がある。何か美味しいもの、珍しい食物が手に入ると近所隣へ少しずつ配るのである。貰った者は亦近所や知人に配るのである。私はそこに味覚に於て自己と他者の同一を実現しようとする、日本的あり方を見ることが出来るように思う。それは身体的であると共に、我の身体を超えて、我と汝の身体の同一をもとうとするのである。私は心情とは身体と身体が関り合う波動であるとおもう。

 一つ釜の飯を食ったという言葉がある。それは人と人との最も強い結合を表わす言葉である。私は日本人の結合は理念による結合ではなくして、より多く斯る身体的なものに根底を有するのではないかと思う。

 私達の若い頃、村には講というのがたくさんあった。伊勢講、お日待講、念仏講等である。それは多く血縁を基礎としているようであった。年に何回か講員が廻り持ちに講元となり、形式的な儀礼の後多くの時間を飲食に費していた。村には幾つもの講のグループがあり、大てい四、五人から七、八人位で構成されており、飲食はその紐帯を確めるものであった。盃のやりとりがはじまり、酔うて唄い、全員が体をゆすり乍ら唱和して、一同は満足して帰宅するのであった。

 私は日本の生命形成の根底に断るものがあるように思う。それは同一の体験亦は官能充足によって身体的一を実現するのである。伊勢講の行事として、四年目に一回のお伊勢参りがあった。私はその帰りを浄谷の浄土寺迄迎えに行った経験しかないのであるが、寺より村迄の間、酒を煽り、声張り上げて唄い、右に左に練って歩くのであった。それは多くの人ではなくて一つの波であった。おのずから波動が形造られてゆくのであった。

                                                                                                                                               波動とは多が動的に一ということである。この夏テレビで阿波踊りというのを見た。そ れは全く波であった。人の波というのではない。それは波を演出するのである。多数の人々が単純な動作を繰り返し繰り返し押し寄せて来るのである。人々は波の演出の中に陶酔してゆくのである。歌の囃しというのも斯かる波動を構成する一つの要素であった。祭りの太鼓なども波を描いて練られたようにおもう。そして私達もその練られることに興奮を覚えたものであった。

 汝は我に非ざるものであり、我は汝に非ざるものである。若しも我が汝であり、汝が我であるなれば我と汝というものはない。併し我と汝は人類として、他の動物と距てる同一をもつのでなければならない。人類は同一の生命機能をもつのである。斯かる同一に於て集団をもち得るのである。私は日本人は形相形成を自他分別の方向ではなく、同一の方向に見出して行ったのではないかと思う。自他分別の理性に於て世界を築くのではなく、汝が行為を介して身体的に繋がる方向に世界を見出して行ったのである。情念的な結合である。

 私は世間というのは斯るものに基盤を有するとおもう。世間様がゆるして下さるとは、 斯る結合の中に容れてもらえるということであると思う。昔私の村落でも村八分という制裁があったらしい。それは如何なる体罰でもなくて、結合の拒否だったのである。而してそれが最も苦痛を与える制裁であったということは、日本の社会構造が斯る結合の上に成り立っていたが故であると思う。世間とは斯る構造の拡散されたものであり、日本社会の特性は多く身体的結合の親縁性によるとおもう。

 身体は情緒的表出をもつ、身体的結合とは情緒的結合である。情緒的結合が強固であるためには、会食に於ては声が届き合い、盃を交す手が届き合い、鉢物への箸が届き合うところでなければならない。即ち講に見られた如く、五人乃至十人の小人数でなければならない。私はそこにおのずから世間の論理がはたらいているように思う。江戸時代に社会組織の下部構成として五人組が作られたというのも斯かるものに所以するとおもう。

 世間としての社会に最も尚ばれるものは当然人情であった。世間情がなきやなり立たぬと唄われ、人は情の下に棲むと言われ、情深い人は最も尊敬される人であった。逆に鋭い分別をもち、物事を組織づけてゆく人は冷たい人として敬遠された。冷たい、温いという身体感覚は、日本人にとって重要なる価値規準となったのである。私はここにも身体的なるものに基盤を有する日本的形としての、世間として展開して行ったものを見ることが出来るとおもう。

 南博氏はその著日本的自我(岩波新書)に於て、日本人の自我構造の一つのきわだった特徴として、主体性を欠く「自我不確実感」の存在ということを考えて来た。と書かれている。併し私は自我不確実感という言葉そのものが、西洋的自我の思考の上に立つものであって、日本的生命の形成の場に立って考えられたものではないと思う。そこには西洋的意味に於ける自我の不確実というのは避けることは出来ない。併し人間は自覚的生命として内面的発展をもつ、私は日本的自我を論ずる場合にも、日本人が形成し来ったものとの動的関係に於て捉えなければならないと思う。内面的発展はそれ自身一つの積極的意味をもつ、それは西洋的自我を逆に包み補完する意味をもったものである。全てあるものは一つの完結性をもつ。日本的形相は一つの完結をもつのであり、西洋的なるものの欠落としてあるのではない。日本的なるものが或る意味に於て、西洋的なるものの欠落としてあるのであれば、西洋的なるものは或る意味に於て日本的なるものの欠落としてあるのでなければならない。西洋的なるものが日本の停滞の救済であるのであれば、日本的なるものは、西洋の没落の救済でなければならない。交流は興隆である。

 情に於ての我とは他者との一体感である。自己があって他者と結びつくのではない。自他一なる中に自己があるのである。理性としての自己は、自己の中に世界をもつ、一体感に於ては世界の中の自己としてある。我と汝は対立するのではない。間柄として一つである。親の子、兄の弟、遊んでもらう人、教えてもらう人として一つである。理性に於ける我と汝は人格として対立する。それは一つの世界を形造るものとして対立する。それに対して結合として生命形成をもつ個我は無力である。而して一体感としての結合の燃焼は大である。そこが自己の存在根拠なるが故に身命を捨てゆくものをもつのである。私は近代日本の発展の底に斯る精神のはたらきがあったと共に、親分子分といった小さなやくざ的結合をもち易いものがあったと思う。

 西洋文化の論理的構成的であるに対して、日本は独自の文化を形成して来たと思う。それは何処迄も身体的一体感の方向に深めていったと思う。身体を物に表わす方向ではない、物の中に消してゆく方向である。与えられた身体の精妙を、物との動的な関りの中に見出すのである。物を外に見るのではない。いのちの現れ、いのちの関りとして動的な身体的生命に於て見るのである。馬術に於て鞍上人なく鞍下馬なしと言われた如く、剣術に於て無想剣と言われる如く、道具として離れたものが動きに於て一つとなるのである。自他不二として見られる心地の風景が神といわれるものであり、それに至る過程が道である。日本文化は道の文化であったということが出来るとおもう。それは作る文化ではなくして、修めておのずから成る文化である。

 東洋殊に日本に於ては飄逸とか無我ということを非常に重要視する。無我とか飄逸ということは、自我を捨て作為を捨てるということである。大きな宇宙的生命の中の一個として、その運びのままに生きるということである。勿論それは何も為さないということではない。我々の情熱努力も亦大なる生命の運びの中にあると観ずるのである。その実現の為に身を捨てるのである。飄逸とか無我とは遊離することではない。道の底に死するところにあるのである。死して生きたところが飄逸であり、無我である。我々の祖先は西洋的自我を小我として、相対立するものに地獄を見、解脱に極楽を見た。極楽は無我の風光である。無我は大我への参見であり、身体的一体的なるもの究極である。

 近代社会は個性として、自由意志としての西洋的自我を生んだ。それは新しい生産手段の発展に伴う必然の自覚であったということが出来る。個は個に対する、それは相互否定的である。相互否定的とは無限に動的であるということである。社会は否定の変革によって動いてゆくのである。個が個に対立するとは物を媒介とするということである。物の生産に於て我々は自由意志であり、物の所有、生産技術の所有に於て個は個に対する。私はそこに西洋文明が物質文明といわれた所以があると思う。而して人間は外に自己を物として表わしたものである。物の生産なくして社会はない。社会の発展とは物の生産の発展である。発展のサイクルに入った社会はその展開を止めようがない。近代社会は我々に西洋的自我への転生を要求するのである。個性と自由意志に立脚点を求めるのである。南博氏の自我不確実感とは、波動として、一体感として形成し来った日本的形成として生命が西洋的自我に転生せんとする軌りであるとおもう。我々は新たな社会構造の主体として生きねばないのである。西洋的自我を透過しなければならないのである。自我不在感としての軌りをもつということは、西洋的自我に生きねばならないということである。

 生命は永遠なるものが瞬間的なるものであり、瞬間的なるものが永遠なるものであり、全体的なるものが個的なるものであり、個的なるものが全体的なるものとして絶対の矛盾としてある。絶対の矛盾として一つの形相は行き詰らなければならない。全体的な形相はその極個的なるものを失なうことによって崩壊し、個的なる形相はその極全体的なるものを失うことによって崩壊するのである。前者に於ては無気力となり、後者に於ては無目的となるのである。物に媒介される個性として、自由意志としての西洋的自我は、自由の故に無目的的となるのである。物に対するものは身体的欲求である。そこに最大多数の最大快楽が人生の目的の如き考えが生れてくる。併し快楽は官能的瞬間的のものであり、人性の本源を見失わせるものである。瞬間的なるものは永遠に映すことによって瞬間である。永遠を見るなき瞬間は瞬間の喪失である。そこに退廃がある。私は近代社会の抱える問題とは斯る退廃であるとおもう。

 私は日本的一体感の中に断るものを救済する原理があるように思う。勿論それは伊勢講の如きものを復活させよというのではない。一体感は対立矛盾の否定である。前にも述べた如くそこには発展や変革はない。情的結合の社会は停滞社会である。我々が近代としての国際社会に生きるには、どうしても西洋的自我を獲得しなければならない。併し西洋的自我は今見た如く既に終末的である。単に西洋的自我の中に入ってゆく限り、我々は徒に崩壊の中に入ってゆくことになりかねない。私達が西洋的自我を獲得するとは、日本的形成の中に西洋的自我を宿すことでなければならない。そこに新しい世界創造の原理が生れるのである。歴史は常に一つの精神が発展し完成することによって崩壊し、それを継承した新たな精神が発展し完成する繰り返しであった。今や日本は新たなる精神に於て世界を発展さすべき使命を有すと言わなければならない。

 この頃よく人間性の回復とか研究とかという本が書店に見られ、絆とか出会いを大切にしようという標語が方々に掲げられている。出会いというのは刹那の交情である。我と汝の一体感の把握である。それは私達にとって忘れたものの呼び返しである。身体を直接与えられたものとして、身体と身体の関り合いに生活の基盤を据えようとするのである。そこにあるのは触れ合うぬくもりであり、情の結合の一体である。併し一度び西洋的自我の洗礼を受けた現代日本は最早再び旧に還ることは出来ない。私達はその形相の如何なるものかを知ることは出来ない。形相は世界が自己矛盾とその救済として世界自身が決定するものである。

附 記

 いつであったか新聞で校内暴力の座談会があった。そのとき学生は小グループに於ては強い結束をもつが、現在の学校の大組織には白けム-ドであると書かれていた。私は今これを書き乍ら日本人には抜くべからざる情的結合の習性があるように思う。これを如何に普遍社会に結合するかに解決があるとおもう。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

散り葉を見ながら

 折柄の風に公孫樹の葉が、光りを浴びて金色に輝き乍ら散り落ちている。思わぬ美しさに、私は近寄って一葉を拾い上げた。残りなく黄色と化した葉は一種の透明感さえもっている。而して見惚れ乍ら、今更の如く感嘆の思いをもったのは、その精緻を極めた葉脈であった。繊細な筋線は、複雑に織りなし乍ら整然としている。更に二、三葉を拾っても同様である。たった半年程梢にあるだけなのに、樹はこのようなものを作っているのである。私の心は名状しがたい感動につつまれていた。私は生命の不思議へ、思いをめぐらせていった。

 葉は芽吹いてたった半年梢にあっただけである。併しての複雑な構造は、半年や一年で出来たものではない。何億年、否何十億年を芽生えと枯死をくり返し乍ら形造って来たものである。乾燥に耐え、風雨と戦い、寒暑を凌いで形造って来たものである。単細胞より何十兆の細胞の構成へと成長して来たのである。

 生命は一瞬より一瞬へと動いてゆく。新しき生命は次々と生れ、生れた生命は刻々と死に近づいてゆく。動くとは相反するものに移ることである。生命は死をもつことによって生命である。ギリシャ神話に、不死を願って石に化せられたというのがある。生命にとって死は避くべからざる運命である。

 生命とは生きんとする意志である。生きるとは死を超克せんとする努力である。併し死は生命の竟の宿命である。如何なる苦闘をもしのび寄る老いは力を萎えしめ、黄泉へと赴かざるを得ない。追憶の中に露命の儚さを思い、槿花一朝の夢を嘆かざるを得ない。流汗浅血は唯淡き残像をもつのみである。

 併し半年で散りて消えゆく公孫樹の葉は、億年の長き歳月を潜めるものであった。 堆く散り積った葉は、半年の生きんとする力の集積である。散り落ちて来年亦、新しい葉が芽吹くことが出来るのである。木は枯れることによって、新しい木が成長するのである。この限り無い繰り返しがなかったら、単細胞より何十兆への細胞の構成がどうして可能であったであろうか。そして何億年の構成の成果に一枚の葉は今有るのである。

 全て生命が、主体的、環境的であるとは、環境の変化と共に変化するという事である。そこに生死がある。生死とは、環境を主体化し、主体を環境化することである。相互に否定しつつ動的一として形相を実現してゆくことである。

 限りない時間の前に、朝を葉末に置く一つの露と思える我々の生命も亦、量るべからざる深さをもつのである。人間には百四十億の脳細胞と、六十兆の身体の細胞があるといわれる。それが機能的に一つのものとして働くのである。私達は鮭の稚魚が大海を回遊すること五年にして、放流された母川に回帰するという事に驚嘆し、生命の不思議を感ぜざるを得ない。併し人類が養い来ったものは更に甚妙である。我々はこの限りない時間を潜めもつものとして、死んでゆくのである。死とは、死ない命が消えてゆくといわなければならない。

 私は人間を自覚的生命として捉えんとするものである。我々は自己を、外に物を造ることによって知るのである。自己を表わすことによって見るのである。物を作るには、内外相互転換としての、生の営みの無限の蓄積がなければならない。過去が現在であり、未来が現在でなければならない。伝統がはたらくと共に、理想が働くのでなければならない。否現在の相互転換が過去を孕み、未来をはぐくむということが物を作ることである。伝統の技術は、今物を作ることによって伝統の技術である。理想は、物がその可能性に於て未来に投げかけた形相である。技術の先取である。

 人間は言葉をもつことによって人間になったと言われる。人間のみが言語中枢をもつと言われる。言葉は個の生存を超えて、過去を伝承し、未来へ伝達するのである。過去を伝承し、未来へ伝達するとは、言葉が過去と未来を内にもつということである。我々が言語中枢をもつということは、始めに終りをもち、終りに始めをもつということである。始めと終りを結び、時が現在に於てあるということである。

 人間は言葉によって経験の蓄積をもったと言われる。物を作るとは、過去と未来が結合し、自己と他者が一つなることである。人間はそれを言葉の使用によって実現したのである。自己を超えた過去と未来を、はたらく現在の両つの方向としてもつということは、永遠なるものを宿すということである。過去と未来が現在に於て結合するところに物の製作があるとは、物の製作は永遠なるものがはたらくということである。聖書に、初めに言葉ありき。言葉は神と偕にありき。言葉は神なりきとある。創造はここに初まったのである。我々が言語中枢をもつとは、絶対の超越が内在であるということである。絶対の外が内であることである。神が自己であるのである。それは矛盾である。我々は深き矛盾として、生命である。そこに種と個がある。種と個は各々の方向に自己の存在を主張するものとし相容れざるものである。否定し合うものである。種の自覚としての世界と、個の自覚としてのこの我は深淵を距てて対するのである。言われる歴史の深淵とは世界と我の相互否定としての動転である。而してこの動転に於て、世界は世界となり、この我はこの我となるのである。個は世界を写し、世界は個に自己を実現するのである。

 自覚的生命に於て死ぬとは、生物的身体的に死ぬのではなくして、表現的身体的に死ぬのでなければならない。言葉や技術はこの我にあるのではなくして、世界としてあるのである。我々はそれを習得することによって自己の内容とし、内容とすることによってこの我を確立するのである。名前は自己の名前である。併し他者によって名付けられたものであり、世の中に於て他者との関りの為に名付けられたものである。技術は先輩より教えられたものである。若し生れて直に無人島に捨てられたならば、我々は言葉も技術ももつことが出来なかったであろう。

 我々が言葉や技術の秩序に随うということは、自己の恣意を捨てて世界になるということである。世界の自己実現の内容となることである。世界創造の一要素となることである。表現的世界に入ることである。併しそこはまだ自己の為に世界をもつのである。表現的身体的に死ぬとは、転じて世界の為に自己がある ない。自己が物を作るのではなくして物に化すのである。物そのものとなるのである。物に化すことによって、物 は歴史的物として内面的発展をもつのである。自己構成的となるのである。世界が世界を 限定するのである。

 葉は幾億年を芽吹き散ることによって、精緻なる葉脈を構成した。人間は幾多の人々が世界に生れ、世界に死ぬことによって、物を多様ならしめ、文化の絢爛を実現したのである。応挙一人の絵画の世界はない。現在の世界とは、生れて死んでいった数知れない人々の努力の証跡である。

 葉は半歳に散る。併しその巧緻なる構造は幾億年の営為の成果であった。我々人間も百歳に満たずして死ぬ。それは無始無終の時の前には一瞬にも比すべきものである。併し我々も限りない人類の営為の成果としてあるのである。幾億年を宿すものとして、身体文化をけてもつのである。我々の一挙手一投足は、斯る身体と文化を享けたものとしてもつのである。而して葉が半歳をその精緻なる構造に於て同化作用をなす如く、我々は歴史的現在の事実として創造作用を行うのである。物に化すとは、有限なる感性的自己が死して、自己創造としての、世界の永遠に甦るのである。このことは、永遠に生きんと欲するものは、残りなく感性的自己を放棄しなければならないということである。其処に自覚的生命としての真個に逢着するのである。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

散り葉を見ながら

 折柄の風に公孫樹の葉が、光りを浴びて金色に輝き乍ら散り落ちている。思わぬ美しさに、私は近寄って一葉を拾い上げた。残りなく黄色と化した葉は一種の透明感さえもっている。而して見惚れ乍ら、今更の如く感嘆の思いをもったのは、その精緻を極めた葉脈であった。繊細な筋線は、複雑に織りなし乍ら整然としている。更に二、三葉を拾っても同様である。たった半年程梢にあるだけなのに、樹はこのようなものを作っているのである。私の心は名状しがたい感動につつまれていた。私は生命の不思議へ、思いをめぐらせていった。

 葉は芽吹いてたった半年梢にあっただけである。併しての複雑な構造は、半年や一年で出来たものではない。何億年、否何十億年を芽生えと枯死をくり返し乍ら形造って来たものである。乾燥に耐え、風雨と戦い、寒暑を凌いで形造って来たものである。単細胞より何十兆の細胞の構成へと成長して来たのである。

 生命は一瞬より一瞬へと動いてゆく。新しき生命は次々と生れ、生れた生命は刻々と死に近づいてゆく。動くとは相反するものに移ることである。生命は死をもつことによって生命である。ギリシャ神話に、不死を願って石に化せられたというのがある。生命にとって死は避くべからざる運命である。

 生命とは生きんとする意志である。生きるとは死を超克せんとする努力である。併し死は生命の竟の宿命である。如何なる苦闘をもしのび寄る老いは力を萎えしめ、黄泉へと赴かざるを得ない。追憶の中に露命の儚さを思い、槿花一朝の夢を嘆かざるを得ない。流汗浅血は唯淡き残像をもつのみである。

 併し半年で散りて消えゆく公孫樹の葉は、億年の長き歳月を潜めるものであった。 堆く散り積った葉は、半年の生きんとする力の集積である。散り落ちて来年亦、新しい葉が芽吹くことが出来るのである。木は枯れることによって、新しい木が成長するのである。この限り無い繰り返しがなかったら、単細胞より何十兆への細胞の構成がどうして可能であったであろうか。そして何億年の構成の成果に一枚の葉は今有るのである。

 全て生命が、主体的、環境的であるとは、環境の変化と共に変化するという事である。そこに生死がある。生死とは、環境を主体化し、主体を環境化することである。相互に否定しつつ動的一として形相を実現してゆくことである。

 限りない時間の前に、朝を葉末に置く一つの露と思える我々の生命も亦、量るべからざる深さをもつのである。人間には百四十億の脳細胞と、六十兆の身体の細胞があるといわれる。それが機能的に一つのものとして働くのである。私達は鮭の稚魚が大海を回遊すること五年にして、放流された母川に回帰するという事に驚嘆し、生命の不思議を感ぜざるを得ない。併し人類が養い来ったものは更に甚妙である。我々はこの限りない時間を潜めもつものとして、死んでゆくのである。死とは、死ない命が消えてゆくといわなければならない。

 私は人間を自覚的生命として捉えんとするものである。我々は自己を、外に物を造ることによって知るのである。自己を表わすことによって見るのである。物を作るには、内外相互転換としての、生の営みの無限の蓄積がなければならない。過去が現在であり、未来が現在でなければならない。伝統がはたらくと共に、理想が働くのでなければならない。否現在の相互転換が過去を孕み、未来をはぐくむということが物を作ることである。伝統の技術は、今物を作ることによって伝統の技術である。理想は、物がその可能性に於て未来に投げかけた形相である。技術の先取である。

 人間は言葉をもつことによって人間になったと言われる。人間のみが言語中枢をもつと言われる。言葉は個の生存を超えて、過去を伝承し、未来へ伝達するのである。過去を伝承し、未来へ伝達するとは、言葉が過去と未来を内にもつということである。我々が言語中枢をもつということは、始めに終りをもち、終りに始めをもつということである。始めと終りを結び、時が現在に於てあるということである。

 人間は言葉によって経験の蓄積をもったと言われる。物を作るとは、過去と未来が結合し、自己と他者が一つなることである。人間はそれを言葉の使用によって実現したのである。自己を超えた過去と未来を、はたらく現在の両つの方向としてもつということは、永遠なるものを宿すということである。過去と未来が現在に於て結合するところに物の製作があるとは、物の製作は永遠なるものがはたらくということである。聖書に、初めに言葉ありき。言葉は神と偕にありき。言葉は神なりきとある。創造はここに初まったのである。我々が言語中枢をもつとは、絶対の超越が内在であるということである。絶対の外が内であることである。神が自己であるのである。それは矛盾である。我々は深き矛盾として、生命である。そこに種と個がある。種と個は各々の方向に自己の存在を主張するものとし相容れざるものである。否定し合うものである。種の自覚としての世界と、個の自覚としてのこの我は深淵を距てて対するのである。言われる歴史の深淵とは世界と我の相互否定としての動転である。而してこの動転に於て、世界は世界となり、この我はこの我となるのである。個は世界を写し、世界は個に自己を実現するのである。

 自覚的生命に於て死ぬとは、生物的身体的に死ぬのではなくして、表現的身体的に死ぬのでなければならない。言葉や技術はこの我にあるのではなくして、世界としてあるのである。我々はそれを習得することによって自己の内容とし、内容とすることによってこの我を確立するのである。名前は自己の名前である。併し他者によって名付けられたものであり、世の中に於て他者との関りの為に名付けられたものである。技術は先輩より教えられたものである。若し生れて直に無人島に捨てられたならば、我々は言葉も技術ももつことが出来なかったであろう。

 我々が言葉や技術の秩序に随うということは、自己の恣意を捨てて世界になるということである。世界の自己実現の内容となることである。世界創造の一要素となることである。表現的世界に入ることである。併しそこはまだ自己の為に世界をもつのである。表現的身体的に死ぬとは、転じて世界の為に自己がある ない。自己が物を作るのではなくして物に化すのである。物そのものとなるのである。物に化すことによって、物 は歴史的物として内面的発展をもつのである。自己構成的となるのである。世界が世界を 限定するのである。

 葉は幾億年を芽吹き散ることによって、精緻なる葉脈を構成した。人間は幾多の人々が世界に生れ、世界に死ぬことによって、物を多様ならしめ、文化の絢爛を実現したのである。応挙一人の絵画の世界はない。現在の世界とは、生れて死んでいった数知れない人々の努力の証跡である。

 葉は半歳に散る。併しその巧緻なる構造は幾億年の営為の成果であった。我々人間も百歳に満たずして死ぬ。それは無始無終の時の前には一瞬にも比すべきものである。併し我々も限りない人類の営為の成果としてあるのである。幾億年を宿すものとして、身体文化をけてもつのである。我々の一挙手一投足は、斯る身体と文化を享けたものとしてもつのである。而して葉が半歳をその精緻なる構造に於て同化作用をなす如く、我々は歴史的現在の事実として創造作用を行うのである。物に化すとは、有限なる感性的自己が死して、自己創造としての、世界の永遠に甦るのである。このことは、永遠に生きんと欲するものは、残りなく感性的自己を放棄しなければならないということである。其処に自覚的生命としての真個に逢着するのである。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

知的抒情について

 先日大熊さんが来られて、片岡さんからと言って合同歌集を戴いた。その中で氏は 「珠」の短歌理念である「知的抒情」には到底及び難くと書いておられる。知的抒情とは一体如何なるものなのであろうか。

 知は分別である。それに対して情は常に純一である。知が求めるものは普遍妥当性であり、古今を通貫し、東西に敷延するものである。不変のものである。情は純一なるものと無限の流動である。喜び悲しみの何処より来り、何処に去りゆくかを知らないといわれる。生きゆく生命の直接の現れである。斯る意味に於て知と情は、相反するものと言わなければならない。

 併し知も情も我々のもつものである。我々はこの相反するものをもつことによって、人 間として行動し、生命を維持してゆくのである。

 生命は唯一生命として生命である。斯る唯一なる生命が内に相反するものをもつということは、生命は矛盾として生命であり、相反するものは相互媒介的にあるということでなければならない。知は情を媒介することによって自己を愈々明らかにするのであり、情は知を媒介とすることによって自己を深めてゆくのである。

 知は何によって対象を辨別するのであるか、私はそこに刹那刹那ということがなければならないと思う。大なる時間の中に刹那刹那を見てゆくのが辨別であると思う。普遍妥当性ということも、大なる時間を満たす刹那でなければならないと思う。スピノーザは知的愛を言っている。それは勿論知を愛することをもって至上の生とすることであるが、それは亦愛によって知があることでなければならないと思う。愛は情の至純なるものである。

 情が知を媒介するというのは如何なることであろうか。知は普遍妥当性の要求者として刹那を越えたものである。私は刹那的なるものが普遍的なるものをもつとき、そこに永遠を見ると思う。達することの出来ない深淵をもつのである。そこに情の深まりがあると思う。生来的な喜怒哀楽に生きるのではない。不安と絶望への戦いとして生きるのである。不安の暗黒、見出でた歓喜、人間の情念はそこに形象をもつ、知的抒情とは日常の事象を借りて生死の深淵に降りてゆくことであると思う。

 相互媒介としての日々の行履に於て知と情は一つである。而してその知が情を包む方向に散文があり、情が知を包む方向に詩があると言い得るであろう。知的抒情はそれが抒情である限り、情の中に知を消化しなければならないであろう。

 以下片岡さんの作品を二、三例にとり乍ら具体的に追及したいと思う。

切り岸に踵を返すまひるまの海の曠野を眺めつくして

 海の曠野とは何なのであろうか、私はそこに限りない生の渾沌の前に立つ作者を思うことが出来ると思う。その前に作者は無力である。五句作者のあり方を表わして遺憾ない。知的抒情の成功作である。

額あげて生きねばならぬ容赦なく朱の散剤を喉(のみど)にこぼす

 生の修羅を捉えて上手い作品。併し前作より深さに於て劣ると思う。

みひらきて他人の顔のわれがゐる夜の鏡の不意におそろし

 自己の中にある他者、実存的なるものに挑んだ作者の深さを思う。併し五句更に他者への突込みがないと一首として成功していると言い難いと思う。

天までも昇りつめれば雲雀子の声は堕ちくるまっさかさまに

 全体が観念であり、知が露呈している。抒情の方向を逆行するものであると思う。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

作歌に見る芸術の本質

 歌は感動であると言われる。私はこれは全ての芸術に言い得ることであるとおもう。 画も感動であり、音楽も感動であるとおもう。感動は字の如く感じが動くのである。動くものは物に即して動く。この動くものが感情であり、動きそのものがリズムである。喜び悲しみが生れ消えゆくのである。歌が感動であるとは、この生れ消えゆく喜び悲しみを言語によって把握し、把握することによって、次いで来る喜び悲しみにより多様の陰翳を与えることである。

 私達は喜び悲しみの何処より来り、何処に去りゆくかを知らない。喜ばんとして喜べるものではなく、悲しまんとして悲しめるものでもない。或る状況の中から思わずほゝえみの湧き来り、涙の溢れ出るのである。我が喜び悲しみをもつのでもなければ、物が喜び悲しみをもつのでもない。喜び悲しみの中から我と対象が生れてくるのである。

 作歌に於て嫌われるのが観念の露出である。何故に観念の露出が嫌われるのであろうか。私はそれは我がそこから生れてくるという、生命の真実が失われるが故に外ならないとおもう。観念の露出とは一首を観念の内容とすることである。対象をして一つの観念を語らしめる道具とすることである。そのためにはその観念は既成の観念であるということが出来る。既に我の内容となったものである。既に我の内容となったものを対象に被せても、新しい我の生れる道理がない。新しい我が生れ、新しい感情が生れる為には、対象によって我が否定されなければならない。対象によって砕かれる所以のものがなければならない。感情はそこに動くのである。否定を媒介としての結合が動くということである。

 観念露出と共に嫌われるのは、事実に着くとか、対象に着くとか言われることである。 事実に着くとは事柄のみを述べる事である。事柄のみを述べるのは何故に嫌われるのであろうか。私は観念の露出が真にとの我を見る所以でなかった如く、事実に着くことは、真に事実を明らかにする所以ではないのに因ると思う。事実とは何か、最も直接なる事実はこの我が生きている事実である。生命の事実である。我々は自己の行為によって、事実を決るのである。見えている山は幻覚かも知れない、震気楼かも知れない。私達はそれを足で踏み、手で摑むことによって事実とするのである。事実は今私達が働くことによって物に対するところに事実があるのである。百五十億光年先の星を事実とするのは、それを我々は操作によって捉えるが故である。主体と対象の行為的転換に於て、生きている現在を決定してゆくのが事実である。事実につくとか、事柄につくというのは、主体的行為の失われた形象のみとなることである。そのことは動きゆく力の失われた事物ということである。そこからは喜び悲しみの生れよう筈はない。

 生命は主体的客体的である。 主体的方向に観念があり、客体的方向に事物がある。而して観念からも、事柄からも真に感情の生れるところを持たないということは、感情は主体と客体の交叉より生れるということでなければならない。主体は客体ではない。客体は主体ではない。それは一ならざるものである。一ならざるものが一なるところに感情は生れるのである。一が分離であり、分離が一であるところに喜び悲しみはあるのである。

 一ならざるものが一であるとは、否定するものが結合するものであることである。否定 が肯定であり、肯定が否定であることである。それは世界形成的であることである。個と個の対立と相互否定が、世界が世界自身を形成することである。何処迄も個が世界を媒介し、世界が個を媒介するのである。そこに何処迄も否定より脱することの出来ない悲しみ と、世界を成就した喜びがあるのである。喜びは悲しみを媒介し、悲しみは喜びを媒介することによって、深き喜び、深き悲しみを我々はもつのである。それは亦個の深まりであり、世界の深化である。私は芸術としての感動は此処に求めなければならないと思う。単に喜びより悲しみへ、悲しみより喜びへと移るのでなくして、大なる喜び悲しみへと移るのである。そこに自己発見の感情が生れ、世界創造への感情が生れる。表現意欲はここに発するとおもう。

 個が相互否定としてあり、相互否定が世界の自己形成であるとは、個は有限なるものとしてあり、世界は個を超えたものとしてあることである。有限としての生命が相互否定的に対するとは、生死に於て対するのである。否定されることが死であり、否定することが生である。而して世界はこれを超えたものとして、世界の形相は永遠である。生死に於て対立するものは永遠に於て結合するのである。仏教にも言える如く生死即涅槃である。生死即永遠である。生死即永遠とは永遠の相下に生きんとするには何処迄も生死するものでなければならないことである。永遠に写して生死はあり、生死に投影して永遠はあるのである。この一でありつつ絶対の懸絶をもつところに苦悩はあり、喜び悲しみの出で来る深淵はここにあるのである。前出の観念露出とか、 事実に着くというのは、個に執した永遠の喪失による感情の枯瘦によるとおもう。

 個が世界であり、世界が個であるとは、個が世界を内にもち、世界は個を内にもつことである。而して個が世界を内にもつとは、人格となるということである。生死を超えて時を包むものとなることである。私達は言葉をもつことによって時を包む。言葉は私達の身体を超えて、過去を伝承し未来へ伝達するのである。

 言葉は対話によって言葉である。対話によって言葉であるとは、対するものも人格で あるということである。人格が人格に対するとは互がその内包する世界を打樹てようとすることである。形成的世界に於て競うことである。世界に於て相互に否定せんとするのである。而して個と個が相互に否定する処に出現するのが世界である。この出現した世界によって否定された個は新たなる個として甦るのである。新たなる世界を内包する個として、世界は新たなる個を内包する世界として、自己を形成するのである。

 斯る世界と個の、否定と肯定の持続が歴史である。歴史の本質は無限に動的な生命の自己限定である。それは世界と個、否定と肯定に於て動きゆくのである。過去は過ぎ去ったものではなくして、現在を限定し、現在に否定さるるものとして新たな粧いに生きるのである。未来は現在の相互否定が投げた肯定の影である。歴史は歴史的現在に於て歴史であり、歴史的現在に於て世界が生れ、我が生れるのであり、過去は現在がもつ過去であり、未来は現在がもつ未来として、時は現在より創まるのである。

 何処より来り、何処へ去るか知らないと言われる喜び悲しみは、私は歴史的現在として無限に動的な生命の直截な現われであるとおもう。感情は常に今として、身体の動きとして現われる。而して涙は直にギリシャ悲劇に繋がり、西王母に繋がるのである。静御前の流した涙は直ちに私達の頬を流れるのである。感情の時は認識的時を超えて包み、知識が過去とするものも、感情に於ては今である。

 私はそこに真に具体的な深大な生命があると思う。知識はこれを反省することによって知識である。

 私は美とは斯る歴史的現在として、新たなる世界が生れ、新たなる自己が生れる感情の意識であるとおもう。人格と人格の相互否定が、世界形成の結合である意識とおもう。言葉をもつ人格として、新しい言葉が新しい世界を生み、新しい世界が新しい言葉を生むのである。私は短歌の表現は此処にあるとおもう。対象は新たなる自己を寓す対象であり、自己は新たなる粧いを対象にもたらす自己を謳わなければならないと思う。

 斯かるものとして、人格と人格の否定的結合としての社会生活が表現すべき課題の核心となるとおもう。否定的結合とは、対立するものは何処迄も対立するものであり、対立そのものが結合であり形成であるということである。対立は苦痛である。而しそれは反面に結合をもつものとして、喜びの翳を宿す苦痛である。其処より私達は全人生に対する声をもつ、その声が詩であると思う。夕日に挙げる讃嘆の声も勿論美しい。而し手にペンを持たしめて、表現せんとする意欲をもたしめるものは、矛盾に見出た大なる生命である。

 最後に花の美しさについて少し書いて見たいと思う。私は花が美しいと言い得るには、花が私達を限定してくる意味がなければならないと思う。画家は私達の見えない色を見ていると言われる。描くことによって種々な色が見えてくると言われる。赤の中に赤を見、青の中に青を分つのである。私は色が美しいというのはその微妙の感情であるとおもう。夕日の美しさもその瞬々の移りゆく茜の微妙にあると思う。そこに我々の視覚は無限の色を見るのである。私は花の美しさもこの様な視覚の発展がなければならないとおもう。花の美しさは百花撩乱にある。そこに木蓮の白、つつじの緋、藤の紫を分つのである。そして花の一つ一つの細胞が宿す色の微妙に打たれるのである。天空に映える木蓮の白さに心打たれる時、私は私の目の背後に無限の色の体系があり、視覚の自己創造があると思う。純白に讃嘆の声を挙げる背後に我々は灰白の影像をもつのであるとおもう。私は物を見て美しいと思う時、我々も亦画家の目をもって見ているのであると思う。

 短歌は勿論花の美しさをうたう。而しより多く花にうたうのは、開いて散りゆく命の姿 である。どうすることも出来ない生命の、生死への共感である。花のいのちを我に宿し、我のいのちを花に宿すのである。私はこの視覚と生命の流れの、二つの異なった動きは乖離するものではないと思う。一つは空間的方向として、一つは時間的方向として補完し合うものと思う。花の美しきが故に散りゆくものは一層あわれであり、散りゆくもののあわれの故に、花の色は愈々冴え勝ってくるのであると思う。最近の技術の向上は、花よりも美しい造花を出現せしめている。而しての感情の増幅作用をもたないものは低評価されているようである。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

自他平等

 この間近くの家のお通夜に行った。私の地方では習慣として、西国三十三ヶ所の詠歌を上げる。そして其の後でお経らしきものを唱える。それは忍耐を必要とする退屈極まりないものである。私はそのお経らしきものの中に、「自他平等」とあるのを耳に挟んだ。平等というのは、今年の巨勢五号に「人権について」を寄稿し、自由と平等についてを論じたばかりである。私は平等についてを考えていった。

 このお経らしきものが出来たのは何年程前のことであろうか。兎に角斯く言われたということは、当時は自他平等の時代ではなかったということであるとおもう。自他平等でなければならないということであるとおもう。自他平等とは、自己と他者は同一の世界にあるものとして、等しく権利をもち、義務を背負うということであろう。当時は斯る等しくということがなかったのであるとおもう。

 最近読んだ本に、猿はボスが代ると、先代のボスによって生れた幼児を全部殺してしまうと書かれていた。生命は種族保存、個体保存の意志をもつのではなく、自己の遺伝子を維持しようとすると書かれていた。私は読み乍ら源平の争いに思いを馳せていた。源氏は常盤御前の美貌によって助かったが、源氏の平氏への追討は徹底したものであったらしい。今でも平氏のかくれ里と言えば人跡絶えたる所を想像する。日本では血族ということを非常に重要視した。血族を重要視するとは、自己の血族を隆盛ならしめて、他の血族を制圧することである。 「藤原氏にあらずんば人にあらず」とか、「平氏にあらずんば人にあらず」という言葉がある。それは自己の一族の繁昌に努めて、他をかえり見ないことである。私はそこには、生物の遺伝子維持の本能が強くはたらいているようにおもう。生命は自己が大ならんと欲するのであり、決して自他平等をその本来とするものではないようにおもう。果してそうであるならば何故に自他平等でなければならないという要請が生れたのであろうか。

 私はそれを人間の自覚に求めたいと思う。自覚とは自己が自己を知ることである。自己が自己を知るとは言葉による。言葉は我と汝の重々無尽の人と人との関りの中より生れて 来たものである。言葉を作った人はないと言われる。言葉は呼び応ふるものであり、面々相対するところにあるものである。自己を知るとは、我と汝の出会うところとしての、世界形成の社会に於て知るのである。人間が自覚的生命であるとは、本能としての生物的生命に生きることではなくして、自己が形造って来た生命としての社会に生きるということである。我々は生れたというのみによって我があるのではない。社会の中にあって習い学ぶことによって我となるのである。

 我々は身体をもつことによって我である。身体は生れ来ったものとして何処迄も生物的である。而して身体は言葉をもつものとして、自覚的身体である。面々相対し、我と汝の関りに於て自己があるとは、世界が一なるものとして我があるということである。そこに平等の要請がある。身体が生物的、自覚的であるとは生物的なるものの上に自覚的なるものを打樹ててゆくことである。それは利己的なるものの上に自他同一を打樹ててゆくことである。自他平等は自覚的生命の要請として、努力によって打樹てるべきものである。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

見るということ

 病院に行くと友人が、「孫が出来たから見てくれ。と言う。しばらく廊下を歩くとカーテンを開けた窓があり、窓の向うに箱が並んでいる。その箱の一つ一つに赤い肉の塊を包んだようなものが入っている。その一つを指して友人が、「あれだ目を開けている。と言った。成程小さい目が開いているがその目は動こうともしない。聞くとまだ目が見えないのだそうである。

 私は聞き乍ら不思議に思った。目を開いている以上、網膜にはちゃんと外の現象が映っている筈である。人間は生れてから死ぬ迄脳細胞の数は変らないという。そうすると脳の視覚領は活動している筈である。私はこの赤ん坊は見ているんだと思った。何日かすると見えてくるというのは、まだ眼筋を動かす程の結像を持っていないのであり、その結像を準備する為に視覚は猛烈な活動をしているのだと思った。

 そうとすると、見るということは単に外を映すのではなくして、内が外をもち、外を内 の秩序によって構成するということがなければならない。結像とはそのようなものでありその構成されたものが見るのでなければならないと思う。

 生命は創造的である。創造とは作られたものが作るものであり、見られたものが見るものであることである。そこに無限の展開をもつことである。私達は見たものを集積し、その集積に於て見るのである。

 鯛は深海に於て人間の五千倍の明らかさで物が見えるそうである。併しその見えるのは餌と、襲ってくるものだけだそうである。禿鷹は三千米の高さから、地上がありありと見えるそうである。併し見るのは野鼠だけだそうである。結像は対象に随うのではなくして生存に随うのである。

 目は身体の堀割であると言われる。生命は内外相互転換的である。動物は外を食物とし、食物を摂ることによって生きてゆくのである。食物を獲る為に生命の切り拓いた世界が視覚の内容である。視覚は視覚として独立するものではない。行動する全生命が自己を実現するものとしてあるのである。

 私は人間を自覚的生命として捉えんとするものである。自覚とは自己が自己を見、自己が自己を知ることである。人間は動物が外に捜す食物を、作る物とすることによって、自己を見ることが出来たのである。物を作ることによって外を世界とし、世界を内にもつものとして人格となったのである。私は人間が見るとは、人格的製作的生命として見るのであると思う。

 製作とは変革することである。与えられたものとして自然を、人間生命の秩序に再生することである。生産とは人間の秩序に構成することである。発明の目となるのである。それは目自身をも変革するのである。外へ望遠鏡、顕微鏡、レントゲン写真、赤外線写真へ視界を拡大し、内に優しさ、威厳、卑屈、軽薄等、人格の深さを見る目となるのである。

 私は芸術に於て言われる純粋視覚も、斯る製作的生命から見られるのであるとおもう。作られたものが作るものえとして、世界は無限の推移である。製作的生命の目とは斯る推移を見る目でなければならない。一々の瞬間に歴史的現在を捉える目が、世界が自己を見るということである。そこに純粋視覚があり、芸術的表現があるとおもう。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

九月号一首抄

 一首抄をとの電話があって、改めて句々に目を通した。目に止まった作品は石井文子さん二首目、小寺き志江さん七首目、小紫博子さん二首目、田尻みや子さん三首目、前田清子さん一首目、藤木千恵子さん五首目等であった。他に意欲作として中北明子さん二首目、藤井みどりさん六首目は論評したい衝動に駆られる作品であった。 それぞれの持味があるがこの内石井文子さんを取り上げたいとおもう。

花火殻踏み消すさへも踊るがにをさなの遊ぶ戦争(いくさ)よあるな

 この間半どんという兵庫県の文芸誌を読んでいると、上野晴夫氏が、作者が意図したものより深い内容を、読まれた方が見出して下さるのは大変嬉しいといったような事を書いておられた。私は文字という普遍的なものによる表現は、作者の見たもの感じたものの底に無限の延展をもつと思う。例えば鎌倉仏の中に鎌倉時代の心を見るが如きである。私はよい作品とは大なる延展を潜めた作品であると思う。よく歌会などで作者に聞いてみようなどと言われるのは全く無意味であると思う。

 この作品は戦争ごっこをして楽しんでいるをさなの心の昂揚の中に、作者は人間の危さを感じているのである。生命が多くの個物としてあるということは、争うものとしてあるということである。ヘラクレイトスが戦いは万物の父であり、美しいものは全て争いより生れたという如く、全てあるものは競争の中より生れたのであり、闘いは生物の本性である。全て英雄譚は戦争の強者である。テレビでも視聴率の高いのは闘争ものである。平和を愛するイギリス人も、アルゼンチンとの戦勝に於て、全国民が陶酔の表情を示したものであった。クエートを占領したイラク国民が、歓呼の声を挙げたのはテレビに新しい。

 近代は新しい精神の創出に於て、平和への建設に努力している。平和は世界の合言葉となっている。併し私達は前述の如く地下にマグマをもつのである。私は三句の「踊るがに」に斯る潜在への延展を見ることが出来るとおもう。五句の祈りはそこから生れきたものとおもう。

 尚一首目も内容ある作品であった。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

剝落の美

 この度はじめて、歴史を知る会の旅行に参加させていただいた。生憎の雨であったが、顔見知りの方も四、五人居られ、殊に歌友の藤井早苗子さん、山本礼子さんも一緒であったことは、何となく気持を明るくさせてくれるものがあった。

 確か秋篠寺であったと思う。山本さんに「歌が出来ましたか」とたずねると、「仏像の 塗りの剥落した美しさに感動して、歌を作ったのですが、この剥落が自然に出来たものではなくて、このように作ったものであると聞いてがっかりしました。とのことであった。私は古物店などに並べてある、剥落した新作の仏像を思い浮べ乍ら、このような権威ある寺にもそのようなことがあるのだろうかと、ちらと思い乍ら聞き流した。

 それから一週間程経って、司馬遼太郎の『歴史を考える』という本を読んでいると、そ れに関連した記事が出ていたので、あらためて剥落の美について考えた。以下少々ながくなるが、要点のみを引用したいと思う。氏は言う。「中国や中国文化の影響下にあった国へ行きますと、よく寺院や道教の観、或は何とか廟といったものがありますね。そうゆうお寺の装飾性にびっくりさせられてしまうんです。よくもこんな下手な仏像や神像をつくり、建物に青や赤を塗りたくってと思うてしまう。 中略  日本の場合もむろん、はじめに入ってくるのは「青丹よし」のお寺で金ピカの仏像なんですね。ところがそれが剥落していっても、そのままにしておくでしょう。法隆寺だって 薬師寺だって唐招提寺だって、実に清々しくなって、とても絵具ではあらわせないようないい色になっている。剥落の美しさ、これこそが美なんだということを、誰いうとなしに古いころから知っていて、ついには桂離宮のように最初からああいう感じで作るようになる。朝鮮でも中国でもそうですが、お寺の建物の塗りが剥落してくると、必ず亦青丹を塗り替える。」と。日本の美を代表すると言われる桂離宮は、其の基底に剥落の感覚をもつの であり、既に意図されて建造されたということは、如何に我々の心の奥深く住むものであるかを証せられたものと思う。山本さんの感動は、日本の美意識の奥底の波動として表出したものであるということが出来る。

 剥落とは古りである。それは時間に於ける喪失としての変容である。喪われたものは如何なるものであろうか。塗り替えるとは一つの形を維持してゆくことである。時の変容を超えた形の維持である。私はそこに理念の超越を見ることが出来ると思う。そこにあるのは超越者の像であると思う。時に於て変容をもつとは、時に於てあるということである。時に於てあるとは生命的であるということである。内在的であるということである。私は剥落とは、理念としての超越の剥落であると思う。超越者としての絶対の懸絶が、この我と同じ息吹の通いをもつのである。時の内にあるものとして、我々は自己の哀歓の底に見るのである。そこにあるのは親愛の情であり、体温の通いである。剥落に見るのは古りゆくものの悲哀である。超越者に悲哀はない。我々は自己のいのちの投げた影を見るのである。

 生命は超越的なるものが内在的なるものであり、永遠なるものが瞬間的なるものとして無限に動的である。私は断るものとして、文化の発展には二つ方向があると思う。一つは永遠なるものよりであり、一つは瞬間的なるものよりである。一つは理念として超越的方向に展開する知的文化であり、一つは生命として内在的方向に展開する情的文化である。一つは分別的方向であり、一つは共感的方向である。一つは客体的方向であり、一つは主体的方向である。

 仏像は之、永遠なる表象の具現としてあるものである。それは理念としての超越者である。金剛不壊の形相である。併し私達は、時の中に壊れゆくものとして、より深い形を見る。より深い形を見るとは、より深い自己の内部を見るということである。

 我々は永遠を見るが故に死の悲しみをもつ。永遠を見ること愈々深くして、悲しみは愈々深い。悲哀は悲哀の故に表現さるべく美しいのではない。背後に宿す永遠の故に表現さるべく美しいのである。滅びの美しさというのもそこにある。どうしようもない運命を介在させて持続してゆく人間の生命、運命を知ることによって、運命を超える覚悟のしずけさ、そこに滅びの美しさがあるのである。

 時に古るとは一つの滅びである。私は剥落を介在さすことによって、日本人はよい深い永遠を見出したのであると思う。時の推移を宿すことによって、我々に対立する永遠の理念ではなく、情が映す永遠になったと思う。情が永遠を映すとは、一瞬一濃が永遠の影となることである。生命が永遠なるものが瞬間的なものであり、瞬間的なものが永遠なるものである時、理念として知に映された永遠より、情に映された永遠の方が深いと言わなければならない。私は日本の心の底にふかく断るものがあり、剥落の美とはふかく斯る心がはたらいているのであると思う。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

みかしほの現況

 文明の発生は、都市の発生と共にあり、都市の発展は文明の発展であり、文明は文明と表裏一体の関係にあると思う私は、地方文化の存在の否定者である。勿論私は地方に文化がないというのではない。唯私は、それは中央文化の波及して来たものであり、独自の発展体系をもったものではないと思うのである。地方独自の文化のスタイルは、派及してきた文化が、その地方の風土に相を現わしたものであり、その発展は常に中央よりの刺戟によると思うのである。そして波及してきた文化は情念の中に沈澱し、習性化して維持して来たと思うのである。私はその典型を祭りとその行事に見ることが出来るとおもう。神の言葉は型式化して、そこには飲食と放歌の陶酔があった。アポロ的ではなくしてディオニソス的である。

 短歌が生存の声の表白であるとすれば、それは生きる場所を抜きにあり得ないということが出来る。みかしほはその多くを旧加東郡の人々によって構成されている。旧加東郡は兵庫県の中央部の山間にある小都市の集合地帯である。国際化も未だ及ばず、家族の核分裂化も未だ充分でない。農と零細企業を主体とする家が殆んどである。

 斯かる状況の必然として、謳われている多くは親子、夫婦、祖父母と孫の関り合いの情緒であり、土、亦は手工業に生きる喜びと苦しみである。それは既に封建的感情として、中央に於て克服されたものであると思う。克服されたものとして、うたいつくされた抒情の質であり、発想の類型は否むことが出来ないと思う。私は地方の歌人は殆んど同じ宿命を負うのではないかとおもう。

 生きるとは状況的である。私は封建的残滓を有する社会構造、家族構成からは、血縁、地縁のもつ愛憎から抜け出ることは出来ないと思う。言葉はそこに交され、喜び悲しみはそこに生れるのである。その上に立つことが生きている真実である。そこに自己がある。私は短歌とは自己発見の詩であるとおもうものである。そこに短歌が悟性でなく、理念でなくして、日常生活に地盤を有する所以があるとおもうものである。私達は類型化された世界に執念く対し、言表してゆかなければならないのである。

 人間は言葉をもつ動物である。それによって我々は他の動物を超えたということが出来る。言葉に表わすことは動物的生命よりの、人間の新生である。一極に動物的本能を有し、一極に神的理念を有するものとして、言葉に自己を見ることは慰藉であり、救済である。みかしほは今下部組織として幾つかの小集団をもつ。そしてみかしほは勿論各々月に一回の歌会をもつ。それは勿論作歌修練の場であり、感性陶冶の場であると共に、小地域に生きる共通の情況を確かめ、相互の結合を認め合う場である。それはそのことが封建的であると言い得るであろう。併し私はそれでよいと思っている。それが我々のあり方の露呈なのだからである。私達はそれによって慰藉と救済をもち、五百号出版の偉業をもち得たのである。

 以上述べた所はみかしほの主潮である。而して時代の波は浸々呼々として寄せてくる。新しい感性の芽が幾人かによって萌しつつあるのは頼もしい限りである。それは例えば個を孤独として捉えず、個性として捉えようとする発想である。孤独には世界を失なってゆくものの悲哀と静寂がある。個性には世界に対し、世界を創ってゆく苦しみと歓びがある。併しそれがみかしほを変えるかというと、私は悲観的である。それは中央よりの流入の模倣であって、我々の生活基盤より生れたものではないからである。幾人かが洗練された感性によって、誌面に清新の風を吹かせてくれて、新しい視野を楽しませてくれたらよいと思っている。

 現況を一言で言えば、一小雑誌を囲んでお互いが相手に存在確認を求める場と言い得るであろうか。そして強烈と言えない迄も特異な個性をもった者が幾人か居り、人の目を魅いていると言った所か、それも大枠を出てないように思う。但し取材角度とか発想の清新を外にして、表現的技巧を言えば多士済々である。東京の大短歌集団に対して一歩も引けをとらないと思う。

 一々氏名を挙げ、例を挙げたら所論は更に明確になったと思うが長くなるので省略し た。ともあれ日本歌壇の周辺としての平均的一集団であると思う。

 以上大雑把すぎて現況というのに相応しくないかもしれない。私は報告文を書くのに不適当な人間なのである。私は私の粗文を恥じる。而し指名された方も、自分の不明の責を多少感じて諒とされたい。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

コーヒーを飲みながら

 坂田書店の主人が珍らしくコーヒーを飲みましょうかと言われた。近くのコーヒー店に 行って、氏の郷土の中世史の膨大なる資料をまとめることが出来ない嘆きなどを聞いていると、御父君の坂田三郎氏が入って来られ、私の顔を見られて近寄って来られ、「長谷川さん貴方の短歌をよく拝見しています」との事であった。私が「この頃短歌から少し離れたいと思っているのですが、何分この夏は暑かったので読書を止めて、八月に六百首ばかり作りました」と言うと、「ほうそれは大変な数ですなあ、私も年に一、二首作るのですがどうしてそんなに作れるのですか」と言われた。私は「物を見て言葉にするというのは、言葉が物を見ているのです。ですから物に触れて出て来た言葉を、歌の形式に紡いでゆくのです」と言った。それから暫く描いておられる洋画のことなど話されて帰られた。私はコーヒーを飲み乍ら、言ったことの如何に説明不充分であるかに気がついた。そして如何に説明すべきであったかを考えた。

 コーヒーを飲んでいるのは舌のよろこびである。全て食物は身体を養うために食べる。その感覚として身体は味覚をもつ。舌のよろこびは味覚の充足である。人間は自然に与えられたものを食べるのではなくして調理して食べる。調理は材料を人間の身体に適合さすと共に、美味なるものの追究である。舌は更なるよろこびを求めて味覚の陰翳を無限に作り出す。全てものがあるとは自然として、与えられたものとしてあるのではない。作られたものとして、よろこびの陰翳をもつものとしてあるのである。コーヒー豆はコーヒーの材料として物なのである。坂田三郎氏は洋画を描かれる。そのとき色彩は目のよろこびである。私達はこのいのちのよろこびに導かれて、限りなく深い世界に歩みを入れてゆくのである。

 人間のみが言語中枢をもつと言われる。人間のみが言葉をもつのである。言葉は無限の過去を伝承し、無限の未来へ伝達する。初めと終りを結ぶ生命に於て言葉はある。言葉によって人間は人間となったのである。言葉は言語中枢のよろこびである。言語中枢のよろこびに導かれて、言葉は無限に自己を構築してゆくのである。斯るよろこびは何処から来るのであろうか。

 味覚のよろこびを作る調理人は自分の食物を作るのではない。他人のよろこびを作るのである。今は亡き母などもよく「食べてくれる者がいるから美味しいものを作るが、自分一人だったら何ででもすます」と食事作りの事を言っていた。病人の為に殿様のために昔の人は美味しいものを作って来たのである。舌のよろこびとは人と人との関り合いの翳を宿すことによって生れて来たものである。絵画が目のよろこびであるのも同様であるとおもう。若し見る人がなかったら、無限の他者に繋ることがなかったなら、描く意欲は何処から湧いて来るであろうか。而して描くということは、過去の画家の目を自己の目とすることによってあり得るものである。

 言葉は直に他者との関りに於てあるものである。言葉の本来は対話である。一瞬一瞬の関りが永遠の翳を宿すのである。人間が作るよろこびは全て永遠なるものが自己自身を見てゆくより生れるのである。料理も絵画も人類の内容として無限の展開をもつのであり、作るよろこび、出来たよろこびがあるのである。言葉は直に他者に関り、永遠の顕現として全てのよろこびの根底にあるということが出来る。言語中枢が人間のみにあるとは、全て人間的なるものは言語を媒介としてあるということである。料理も絵画も言葉によって見出されたものを写す意味があるのであるとおもう。

 作るとは無限の過去と未来が現在として一つであることであり、瞬間的なるものが永遠なるものであることである。瞬間的なるものが永遠なるものであるとは、言葉によって表わされたものであるということである。前にも書いた如く物は作られたものとして物であり、作られたものは名をもったものである。我々は言葉をもつことによって技術をもち、製作的自己となったのである。作られたものとは我々の生命を宿すものであり、生命を宿すものとして物は無限の発展を孕むのである。斯る生命がはたらく言葉である。はたらく生命がそこに自己を見るとき、物は物となるのである。

 既に書いた如く物は我と汝の関りより生れる。はたらくとは無数の人々のかかわりである。無数の人々の関りとして物を作ることは世界を作ることである。世界を作るものとしそれは歴史的形成である。全て技術は時の蓄積として、物は時の影を宿すことによって物である。無数の人の関りとして、物は歴史の内容として物である。而して人と人との関りあらしめるものが言葉である。

 人間生命の表れとして、言葉によって見出され物はその内包する言葉によって、更に大なる生命の表れへの呼びかけをもつ。物が無限の発展をもつとは、言葉を宿すものとして、主体への呼びかけをもつということである。そこに主体と客体、物と人間が分れる。人間が物を作ると共に、物は人間に作るべく命令し来るのである。物と言葉は乖離するとともに、物は既に言葉を宿すものとして次の言葉を拒否するものとなる。人間は関り合いの対立と否定からより大なる言葉を実現せんとする。斯る対抗緊張の中に於て物が言葉を生み、言葉が物を生んでゆくのである。ここに世界は個々の生命を翻弄する自己自身の発展をもつと共に、我々の自己は真の自己となり、物は真の物となるのである。

 短歌とは斯る対立として対抗緊張する世界を言葉の方向に突抜けて、一の相下に表わさんとしたものである。物が言葉を宿すことによって物となるとは、言葉は物を宿すことによって言葉となるということである。言葉が物を宿すとは、我と汝の関り合いの中に物を宿すことである。物をよろこびかなしみの襞に於て見ることである。物は生命を宿すことによって物でありつつ、宿すものとして逆に生命に対立する。それを純一なる生命に捉え直すのが短歌の表現である。よろこびかなしみは生命の純なる表れである。

 物が言葉を生み、言葉が物を生んでゆくとは物と言葉が混融することではない。物は愈々物となり、言葉は愈々言葉を明らかにしてゆくことである。物は物の内面的発展をもち、言葉は言葉の内面的発展をもつものとなるのである。斯るものの一つの表れとして情感による言葉の内面的発展が短歌の表現である。内面的発展とは一つの情感による言語的表現が、次の言語的表現を生んでゆくことである。物を宿すものとしての言語の情感的発展である。物を宿すものとしてそれは世界の言表である。

 言葉は対話である。短歌を作るということも亦、無数の歌人の創作との対話である。歌を作るものはうるしの紅葉を見るとき、先人のうたった感動に於て見るのである。その感動に於て見るとき、紅葉はいよいよ赤いのである。私はそれを言葉が見るというのである。言葉がいよいよ明らかとなり、物がいよいよ明らかとなるという所以である。

 他者の言葉は私の言葉ではない。他者の作った短歌は私の短歌ではない。言葉によって見るとは、他者の感動がはたらきつつ今この我が当面する事実を如何に言表するかということである。他者の呼び声と我の応えはこの異なった状況を介して成立するのである。異なった状況は、異った言葉とスタイルを要求する。他者の作品の言葉とスタイルから、その状況に応じた言葉とスタイルを見出すのが対話であり創作である。他者の無数の作品を自分の目として、言葉とスタイルを設定するのが直観である。それは物が宿す言葉と、言葉が宿す物との対話である。

 興に乗るという言葉がある。創造的直観が自由にはたらき出したということである。短 歌に於ては行往坐臥、言葉が物となり、物が言葉になるということである。あるもの全てが言葉の相をもち、ものに触れて言葉が表われることである。故に私は多く作ったから内容が悪いと思っていない。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

自覚的表現としての力

 小野短歌会の歌会に中央公民館に行くと、書道展が小ホールであったので覗いた。墨書というと年末の年賀状や、文化祭に色紙を出展する位の私には、どれがどれ程上手なのかさっぱり判らない。併し構築された線の力の統一を見ることは楽しいことである。私達にはとてもああゆう線が引けるものではない。一つの字がまあまあ書けたなあと思うと、次の字がひ弱くなったり、跳ねすぎたりしている。筆力の違いというものであろう。このような力はおそらく天性と修練の賜であろう。私は見ながら力というものを考えた。

 ベルグソンは物を軽く摘むとき、指の第一関節のみが働いており、更に強い力が要求されるときは第二関節、第三関節が働くのであって、第一関節の働きは変らないという。手首の関節、肘の関節、肩の関節と働いて、最も強い力は全身の関節を動かすという。指の第一関節は、全身の関節覚が集中することによって強い力をもち得るのである。事実私達が親指と人差指で紐を摘んで引っ張り合いをすると、上記の過程を経てには腰を引き足を奮張る。

 物事を軽蔑するのに小手先の業という言葉がある。小手先というのは何の部分かはっきり知らないが、剣道で小手というのは手首のことらしいから、おそらく手首から先ということであろう。それはまだ僅かな力しか働いていないということであり、全身の力を働かすことが出来ないということであろう。

 私は修練とは力を養うことであり、力を養うとは身体の部分の力より初まって、全身の 力を使い得るようになることであると思う。墨書するときに手先の力で書いていたのが腕の力となり、腰を据えた力となることであると思う。昔の剣客の本を読むと、木剣にかくれて姿が見えないというようなことが書かれている。あの小さな木剣に姿が見えないということは物理的にあり得ないことである。それは恐らく木剣に潜められた干の変化が、外のものに目を移す余裕を与えないということであろう。そのとき木剣をもつ身体の、何処一つにもゆるみがあってはいけないと思う。それは毛髪迄が自在に動く力の張りがなければならないと思う。表わす形の尖端に全身の力が凝縮する、その一点に集中する、それは修練することによって養われるのであり、修練するとはこの力を養うことであると思う。ミケランジェロは「私の眼はのみの先にある」と言っている。それは小手先の業によってあるものではなく、全身の力が流れ出てのみの先に凝縮し、大理石に視覚の形相を刻んでゆくのであると思う。力とは内面的なるものを、外に形に実現してゆく働きである。

 考えるということは頭を使うことである。併しそれも力の表出なくしてあり得ない。ロダンの名作「考える人」は、筋骨逞しい男が体を二つに折曲げ、両手で頭を抱えている。それは全身的な苦悶である。松尾さんはよく「斉藤茂吉は、半日北上川の畔に頭を抱えこんで歌一首を作った」と言われる。力は通常動くものである。併し私はこの時半日動かなかったのも力であると思う。思考の働きが全身を縛ったのである。ゲーテは「初めに行為ありき」と言った。その当否は兎も角人間生命は自覚的表現的としてあり、表現は無限に動的として力の表出をもつ、斯かる力は無限に深まりゆく力として修練によって養われるのであり、修練とは部分より全身の力を凝縮し得る営為であると思う。

 表現とは物に自己を表わすことである。外に表わすことによって自己を見ることである。物に表わすとは自己が物になることである。墨書に表現するとき、手が毛筆となり、腕が毛筆となり、全身毛筆となるのである。手が毛筆となるとは、手が手を無にすることであり、全身が毛筆となるとは、全身が無となることである。無となるとは墨書に表われることである。自覚的表現とは死して生きる道である。

 表現は技術的製作的である。技術は世界が世界を限定する形式であり、それは歴史的形成的である。無数の人々が、無限の過去より伝承し、無限の未来へ伝達するものである。その内容は世界の形相である。私達は技術をもつことによって世界の一員となるのである。物を作ることは世界を作ることであり、私達は作った世界の中に生きるのである。技術は世界の中に生きるものが世界を作るのである。世界の中に生きるものが、世界を作るものとしてそれは全身的である。世界の中に全身を投げこんでゆかねばならないものである。全身を投げ込んでゆくとは自己が無となることであり、世界が現われてくることである。世界が現れてくるとは、この如く個的生命の尖端に自己を露にしてくるのである。

 全身無となり、動きが全て世界の形相を露にするものであるとき、我々は自由とか、自在の感覚をもつのである。そこに真個の生命に接するのである。我々の生命は愛憎する五尺の生命に尽きるのではなくして、全存在の自己実現としてあることを知るのである。修練の道は自己を無にして道であり、それは苦しい道である。併し一たびその道に入ったものは、苦しみを乗り超えて進むべき心の要請をもつ、斯る要請は永遠なる全存在としての真個の自己の呼び声である。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

人権について

 鍼灸医の葛野さんに「巨勢五号の原稿依頼が来たでしょう、貴方は人権を書かれますか」 と言ったら、「人権は言い尽くされていますので書きません」との事であった。事実人権問題は言い尽くされている。何でこんなタイトルを出されたのであろうと思いながら、いざペンを執って見ると案外茫漠としているのに気が付いた。勿論それは私の不勉強による。やむなく傍の辞書を開いて見ると『人間が生れながらにもっている自由、平等の権利』と書いてあった。他に適当な文献もないので、これを基本においてペンを進めることにする。人間は果して生れながらに自由であり、平等なのであろうか。「人間何ぞ貴種あらんや」と言ったのは福沢諭吉である。明治迄は貴人は貴種より生れるというのが常識であった。貴種の血統は常民の覗い得ない尊いものであった。貴人が地方へ下向した時には、その足を洗った水を争って奪い合い、病気の患部に塗ったと伝えられている。その何処に自由と平等があるのであろうか。

 「君笑はれれば臣死す」 鍋島藩の葉隠れの言葉である。武士にあっては「君、君たらずとも臣、臣たるべし」であった。無法な手討であろうとも、家来は甘んじて受けた。君は手討したものの家族の悲嘆を思うことはなかった。それは「貴人に情なし」という言葉を生む程であった。併し君臣共にそのことを当然とした。それはひとり武士のみではない。武士と農夫、地主と農奴、その他使用人と被使用人の間にも全くの理不尽が通った。徳川幕府の階級制度の制度は、斯る人間関係の制度化であったということが出来る。私は明治時代迄辞書にあるような人権というのはなかったとおもう。意志の自由という言葉さえなかったのではなかろうか。

 それは外国に於ても変りはない。印度のカースト制、中国の苦力それは日本よりも甚 い、無人権的社会であったということが出来る。古代ローマに於ても、家族の生殺与奪の権は父親にあったと言われる。フランス大革命の前に王女に対して、「その様に浪費をされますと、国民はパンを食うこと出来ません」と言うと、王女が「パンが無ければケーキを食べさせなさい」と言ったのは有名な実話である。それは全ての権利が王室にあったことを物語るものである。

 日本は欧米より、人権、自由、平等の精神を輸入した。それは活字と講壇より獲得したものである。併しその何れも人間本来のものとして、種子の芽生えるごとく得られたものではなかったのである。イギリス人民が、議会政治制度獲得の為に如何に多くの流血の闘争を繰り返したか、人民の人民による政治獲得のために、大フランス革命以下幾度の戦いに、如何に多くの人々が死んでいったか、人権は闘い取られたものだったのである。それは幾多の挫折の後に人民のものとなったのである。私は人権とは、神権、王権に対し、それに打克つことによって得た言葉であるとおもう。

 斯る神権、王権を打倒する力は何処から来ったのであろうか。私はそれを産業革命に求めたいとおもう。産業革命とは生産手段の革命であった。人類は道具による生産より、機械による生産へと転じたのである。物は天恵より、人間の製作へと転じたのである。人々は生物のエネルギーのみではなく、宇宙のエネルギーを利用しだしたのである。生産は飛躍的に増大した。それを愈々増大さす為に、人々は分業のシステムを見出した。分業は適材適所を要求すると共に、働くものの方向に個性を目覚めさせた。分業の要求するものは個性の方向に可能性を追究し、実現してゆくことである。自由意志とは個性の方向に可能性を展開させんとする世界の必然的欲求である。人格とは個性が世界を内に包み、個性であることが世界を創造することである生命の自己形成である。個性であることによって世界を作るものとして、全ての人間は世界に於て平等である。私は人権とは人間の製作的生命の自覚であると思う。それは農耕、牧蓄、漁撈といった自然の生産に依拠する間はもつことが出来なかったとおもう。マルクスの言える如く思考は生産手段によって決定されるのである。人権は近代的工業生産社会が生み出した、世界の主体的自己形成であるとおもう。アメリカの奴隷解放は、北部の工業地帯と、南部の農業地帯の戦争であった。それは共に生産手段の精神の闘争だったのである。

 日本に於ては明治維新と共に自由、民権の声が澎湃(ほうはい)として起って来た。それは立ちおくれた欧米列強に比肩するには、資本主義国家となるより外ないとする危機感より出で来ったものであった。憲法を発布して、議会政治制度を作り、一応自由、平等は成文化されるに至った。併し依然として農業に経済の基盤をもつ我国に於ては、真に人権の意識の確立はなかったと思う。人権の意識は第二次大戦後に俟たなければならなかったと思う。

 戦争は当事国に膨大な物資の消耗を強要した。消耗を充足する為に、兵以外の働けるものは生産に従事せざるを得なかった。而して大なる生産は工業生産である。工場は拡張され、人々は徴用工として生産に従事せしめられた。その挙句の敗戦である。総力戦の敗戦は殆んどが廃墟として残った。私は当時零番地、零地帯、零メートルといった、零の文字が氾濫したのを覚えている。虚脱より漸く脱却したとき、生きる道は戦時の延長としての工業生産であった。人々は生きるために自己のもつ技術に頼らざるを得なかったのである。政治も多くの人を養うために、工業生産を指向せざるを得なかったのである。而して零よりの出発は、全てが新しきものの建設である。そこに最も合理化された設計と、能率的な人員配置をもつことが出来た。それは旧態依然たる欧米に対して、生産性に於て上廻ることが出来たのである。私は斯る工業化の成熟と共に、日本人の人権意識は骨肉化してきたとおもう。

 私は人間を自覚的生命として捉えんとするものである。自覚は歴史的形成的である。歴史は通常過去の叙述と考えられている。併しそこに歴史はない。歴史は常に歴史的現在の、過去への延展に於て歴史である。過去は生きているものとして未来と激突し、そこに新しい世界が生れる。そこに現在がある。歴史的現在とは無限の過去を蔵し、未来を孕んで過去と未来が動転するところである。そこに時が初まり、そこに時が終るところである。大歴史家ランケの言える如く現在は常に保守と革新の闘うところである。人間は自覚的生命として、我々の生れるところは斯る歴史的現在である。私は人間が生れながらにもつ権利とは、斯るところから捉えられなければならないと思

 我々は工業生産的社会にあるものとして、何処迄も個性の尖端に、技術を展いてゆくと ころに世界の進運をもつものである。それは主体的方向に自由と平等を、純化徹底してゆかなければならない道である。斯る世界に生れたものとして、我々は生れながらに人権をもつのである。人権尊重は歴史的現在の無条件命令の声であうとおもう。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

新聞を読みながら

 十日程前になるであろうか、新聞を読んでいると、「フセインはアラブ世界不世出の英 雄である」という記事があった。勿論イラクが報道したというのである。私は読みながら懐旧の思いににやりとした。思えば私達の少年時代は英雄伝記の氾濫であった。プルターク英雄伝は必読の書の中に数えられ、ナポレオンや豊臣秀吉などを、文字通り肉躍らせて読んだものである。

 いつ頃からであっただろうか、英雄とゆう言葉が私の意識より薄れ、隠れていったのは、思い出が模糊としているのは既に久しいようである。思えば最近は書店の本棚にも英雄の文字を見かけないようである。私は書店の本棚は時代を映す鏡であると思っている。時代が何を求め、何に苦悶しているかが最も明らかに現われる所であると思っている。そこから姿を消したということは、英雄は最早現代に於て求められる人間像ではないが故であるとおもう。私の意識のうすれも抹殺される世界の人間像を写したものであろう。私がフセインの英雄ににやりとしたのは、その時代錯誤的なナンセンスとでもいうべきものを感じたが故であるように思う。アラブとはそれを真直目に掲げる程後進的なのであろう。英雄が否まれるとは、世界が如何なる質的変化をもったということであろうか。

 英雄の評価は人を何人殺したかで定まるという言葉がある。英雄とは大量の殺人者である。その大量の人命は版図の拡大に費されたのである。ドストエフスキーの罪と罰は、この大量の殺人者が賞讃されて、一人を殺した者が何故罰せられるかということへの問いから初まった。何故に賞讃を受けるか、私は版図の拡大の中に人類の意志とでもいうべきものが見ることが出来ると思う。人類が一つのものとして凝結しようとする意志が働いているようにおもう。

 言葉をもつ人間は、言葉を交し意志を疎通することによって、密度高い世界を築き上げることが出来るのである。大なる疎通は大なる文明を築き上げることが出来るのである。私は英雄は止むに止まれぬ人類の意志によってはたらいたのであり、止むに止まれぬ人類の意志は、斯るより大なる世界の展望にあったのであるとおもう。流血は人間が生きるものとして、身体をもつものとしての一つならんとする軌みであったと思う。英雄の殺人は斯る人類の意志の具現者として賞讃されるのであると思う。

 私は英雄伝が書店の棚より消え、英雄の時代が過ぎ去ったということは、地球的規模に於て人類の意志の疎通が出来るべき基盤が出来たということであると思う。よく街の辻で「暴力を止めて話合おう」といった標語を見かける。それは世界が力による角遂の時代が終り、対話による構築の時代に入ったということであるとおもう。

 対話による構築とは、お互が内にもつ力を引き出し合うことである。競争がなくなるの ではない。競争がより大なるものを作り出し合う競争となるのである。抹殺し合う競争ではなくして、共存する競争である。尖端に立つものは英雄ではなくして、天才である。ロゴスによる密度高い世界を作ることである。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

心敬「真実の歌道」

 「真実の歌道は大虚の如く、個々円成の上なり、もとより証は他を俟たず」 和辻哲郎の 続日本精神史を読んでいると、上記のような心敬という人の文言に出合った。私は昔の人達も、真剣に文字の表現をもったのだと思って嬉しくなった。和辻哲郎によると、心敬は三井寺の僧であり、連歌の名手で禅に参じたらしい。

 大虚とはおおぞらとも読まれ、万物がそこに有り、それぞれがそのところを得る場所である。そこに於て個々円成しなければならないというのである。個々円成とは如何なることであろうか。円は禅僧の好んで描く図形である。円は描くのに初めと終りを結ぶ空間である。私はそこに無数のものを包むと共に、時間としての存在の初めと終りを結ぶものを表わしたものであるとおもう。

 我々は無限の過去を伝承し、無限の未来へ伝達する。それは技術的である。無数の過去の人々の努力の形象を自己の目として、自己の手として新たな形象を創造してゆくのが、自覚的としての人間の生命である。それは世界を作ってゆくことである。個々とはこの我である。天地間唯一個としてのこの我である。人類は唯一個としてのこの我を生んだ。そのことは唯一個としてのこの我は、逆に世界を内に包むものでなければならない。それでなければ唯一個の生れて来る所以があり得ない。ここに我々の目は無数の過去の目が自己の目となるのである。個々円成とは、この我の目は無限の過去のはたらきを宿し、この我の個性をとおして世界の新しい形が生れてくるということであるとおもう。限りない努力によって、自己を世界の自己実現の中に純化せしめることであるとおもう。

 他の証を俟たずとは、自己の中に見出でた自己の形象は、世界が世界自身に見出でた形象として確信をもてということであるとおもう。自己の目は世界の目であり、自己の底に展けてくる世界に生命の真実を見よということであるとおもう。それは他人に讃められてある世界でもなければ、けなされて無価値になる世界でもない。それは過去が我をとおして未来へ流れる生命である。それは作るときに自己を動かす強さによって、自己が把握出来るものである。展けてくる目が確信を与えるものである。内面的発展が信をもつのである。

 藤原彊氏が昔投稿歌人になるなと言われたことがある。私は氏の真意は展けてくる目への確信にあったと思う。個々円成にあったとおもう。勿論それは氏の如く深い歌境にはいり、内面的発展の目をもつ人に言い得る言葉であって、選者にとり上げられること喜びとし、作歌の励みとする初歩の人々は域を異にすると言わなければならないであろう。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

作歌の根底にあるもの

 歌を作るとは対象を、五七五七七の定型文字に捉えることである。定型によって見るということである。併し対象は三十一文字の定型としてあるのではない。若し対象が定型としてあるのであれば、自由詩や散文はあり得ないことになるし、同じく見られたものとしての絵画的表現は不可能である。

 私達短歌を作るものは、歌を作ることによって対象を明らかにし、対象に深く入ってゆ くと感じ考えている。作ることによって対象を明らかにしてゆくとは、対象は言葉に構成せられることによってあるという意味がなければならない。言葉の構成が対象の自己構成の意味がなければならない。対象が明らかになるとは、対象はそれ自身の自己明化をもち、展開をもつのである。斯る自己明化が言葉に拠るところに、我々の作歌があり、対象を明らかにする所以があるとおもう。

 私達は歌を作るとき多く目をもって見、見たものを言葉にする。断る目をもって見ると いうことは如何なることであろうか。犬や猫は同じく目をもって見る。併し歌を作ること は出来ない。犬や猫の見るものは多く餌と敵に関るものである。原始人は歌を作る。併し文明人の如く複雑な心の動きを宿すことが出来ない。目は深く主体の生命形成の表出としてあるのである。目の構造は同じである。併しそのはたらきは犬は犬の、烏は鳥の生命 成によるのである。

 他の動物になくて、人間だけにあるもの、それは言語中枢であると言われる。私達は言葉をもつことによって、壮大なる人類の文化の殿堂を打ち樹てることが出来たのである。多くの古文書に過去を見る如く、言葉は個々の生死を超えて、個々を包むものである。個々を包むとは、人類の初めと終りを結ぶものである。初めと終りを結ぶとは、無数の個々の営為がその中に蓄積されているということである。私は言葉によって人間が人間となったということは、言葉がはたらくことによって、我々は我々の目をもったということが出来るとおもう。言葉が見るということが出来るとおもう。

 言葉を作った人はないと言われるごとく、私達は言葉が何時初まったかを知らない。私というとき既に私は言葉の中にあるのである。淵源を求めるとき、それは生命の初まりと共にあったと思わざるを得ない。生命が機能的構造的であり、形成的であるとき既に言葉がはたらいていると考えざるを得ない。聖書に言える如く、太初に言葉があったのである。人間のみが言語中枢をもつとは、別の生命が現われたのではない。斯る生命が自覚的表現的となったのである。はたらいていたものが、働き自身を具現するものとなったのである。働きを具現することが製作することであり、製作は言葉が働くことによってあるのである。聖書は更に、「この言葉は太初に神とともにあり、萬の物これによりて成り、成りたるもの一つとして之によらで成りたるはなし。」と言う。言葉とは無限に動的なる生命の初めと終りを結ぶものである。全て生命は初めが終りを あり、人間はそれが自覚的である。

 我々が今もつ言葉とは、人類初まって以来無数の人々が、怒り悲しみ喜びつつ対話したものの綜合である。物は名をもつと言われる。名とは人間が製作物につけた符号である。言葉によって見出したもの、変革したものである。言葉が作り、作ったものに言葉が作られる。客体的方向に物があり、主体的方向に喜び悲しみがある。形成的世界の現在として我々は今の言葉をもつのである。言葉が見るというのは、斯る形成的生命の目として見るということである。

 私達はバラの花を美しいと見る。併し手にとっては唯食えるか食えないかを分るのみであろう。自覚的とは自己構成的ということである。バラの花の中にバラの花を見るのである。髪に挿し、胸に飾り、限りない人々の嘆賞に培われて美しいのである。詩人が唄い、画家が描いたものをとおして、美しいのである。此の間生花展を見に行った。私は踏み捨てていた野草の美しさに目を瞠らされた。その美しさは生花という構成によって見出され生命の美しさである。単に我々が見る目に無限に重ねられた野の草のいのちの形である。先人の表現したものが我の目となってはたらく、生花展に見たものが我の目となって野の草を見る。そこに自覚的生命としての人間の目があるのである。生花を習うとは斯る視覚の無限の創造的世界に入ることである。

 この表現されたものが自己の目となってはたらくときに言葉が生れるのである。新しい目となって、新しいものが見られるときに言葉が生れ、次の者にその目を伝えるときに言葉が生れるのである。それは単に目のみではなくして、全ての製作にはたらくものである。製作は無数の人々の交叉より生れる。交叉とは無数の人々が一なることである。無数の異なる人々を一ならしむるものが言葉であり、言葉をあらしめるものが物を作るということである。それは言葉が物を作り、物が言葉を作ってゆくことによって、人と人が限りない交叉をもつ世界である。斯るものとして私達がものを見るのは働く言葉が見るのである。はたらく言葉の目として見るのである。

 短歌を作るとは見たもの触れたものを言葉によって構成するということである。言葉に よって構成するとは、言葉によって見ることである。そのことは既に対象が言葉をもったものでなければならない。言葉によって構成される対象は名をもったものである。名をもったものとは、作られたものとして言葉によって見られたものである。言葉によって見られたものとして、対象は言葉をもつものである。対象が言葉をもつものであるとは、我々に呼びかけるものであることである。我々が春の野の光りを歌に作る時、春の野の光りが我々に呼びかける反面があるのでなければならない。我々は呼び応えるものとして表現をもつのである。

 言語中枢は人のみが言われる如く、言葉は人のみがもつものである。対象が言葉をもつとは、対象は無数の人々の呼び交しを担うものとしてあるということでなければならない。古今東西の人々が、それによって呼び交しを持つものでなければならない。私達は桜の花を見るとき、幾多詩人の喜び哀しみを見、幾多画人の色と形を見るのである。画人の目、詩人の情が我々に憑依するのである。我々の歌はそこから生れる。対象が呼ぶとは斯る無限の人々の声を宿すことによってである。私達は斯る呼び声によって、無限の形を見、無限の色彩を見るのである。対象の中に対象を見る。そこに我々の自己の底に触れた美意識が生れるのである。

 短歌作品の批評が行われるとき、よく観念的であるとか、物につき過ぎていると言われる。観念的とは言葉が物を作るはたらきを失なっているということであり、物につくとは物が言葉を生む力をもっていないということである。それは何方も真に生命を表現していないということである。生命は無限に動的である。動きを失なうことは死である。何方も真でないとは生命の自己限定力が失われているということである。言葉が物を作り、物が言葉を生むところは、言葉と物が其処に消えて新たな言葉と物がそこより生れるところである。この我が見るのではない。新たな物が見られるところは、新たなこの我の生れるところである。新たな言葉が見る目の自己となるのである。勿論新たなものが生れると言っても突然空中に楼閣が現われるのではない。新たな状況を介して、過去の無数の人々の呼び声にこの我が応答するのである。あるものは生命の自覚的営為であり、言葉と物はその両極に現われた形である。

 生命は形成作用であり、形に自己を見てゆくものである。その両極に言葉と物があるということは、形成作用とは言葉と物がはたらくということでなければならない。両極とは相反するものである。相反するものがはたらくとは相互媒介的ということでなければならない。私は斯るものとして作歌するものは、物か言葉か、何れか一つの形の立脚をもたなければならないとおもう。無数の先人の努力は言葉亦は物として結晶しているのである。この形がはたらくことが新たな製作である。我々が作るとはその形がはたらくことである。それは相互媒介的として一つのものである。而して相互媒介的にはたらくとは両者がせめぎ合うことである。私は短歌表現に於て物が言葉を介する方向に写生があり、言葉が物を介する方向に象徴があるとおもう。リアリズムとロマンチズムである。それは相互媒介的として、何方も世界を表現する。而しそれは一方は写生が象徴を哺むものとし、一方は象徴が写生を包むものとして何処迄も相対立するのである。何方も世界の自己表現としてありつつ、相否定し合うものである。斯る否定に於て表現は愈々多様となり、言葉は愈々豊潤となって、世界は自己自身を創造するのである。

 争うとは優劣を決することである。ロマンチズムとリアリズムは、何方かの優勢として 時は流れる。而して一方の優勢は相互媒介の喪失である。相互媒介の喪失は、自覚的生命の自己喪失であり、創造の衰退である。其処に自覚的生命は劣者の反逆を起す。ここに世界は革(あらた)まり、劣勢なるものは優勢となるのである。言葉が物を含み、物が言葉を含む具体的生命は、自己の中に無限に否定し合うものをもつことによって自己を実現してゆくのである。而してそこに実現するのは常に無限に動的な自覚的生命としての人間の形相である。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

日常の言表としての短歌について

クロバーの茂れる堤釣る人の踏みたる跡の一すじ低し

 ながい間御無沙汰していたけるかも会に、先日たまたま行った私の作品である。このときの井上氏の評と、私の動機に食い違いがあるので少し述べて見たいと思う。

 井上氏によれば踏まれた草は低くなってゆくのは当然である。このように当り前のこと を表現したのはつまらない。もっと作者の目が働かなければならないとのことであった。尤もである。当り前のことは初歩的な意識であり、表現として価値の低いものである。併し私にとって踏まれた草が低くなってゆくのは当り前ではなかったのである。例えば茂ったクロバーを、わらび採りなんかで人が踏み初めると、踏まれた草は莖が曲り葉は萎えて伏す。そして次に出て来る草丈は低くなり、茎や葉は表皮を厚くして踏まれることへの耐性をもつ。それが繰り返されると遂に地にへばりつく。私はこの次に出てくる葉が低くなることに、生命のはかり知ることの出来ない微妙を感ぜざるを得ないのである。単に変化ということがある筈がない。それはいのちのはたらきである。いのちのはたらきには機能がなければならない。その機能はどのような組成をもち、どれほどの年月を経たのであろうか、私はそこに気の遠くなるような思いを抱かざるを得ないのである。

 私達の日常の世界は当り前の世界である。この当り前の世界とは如何なる世界であろうか、そこに奇異なるものはない。併し私はそこに深大なるものがないのではないと思う。日々の繰り返しの中に意識が埋没し、当然として深大なるものを安易ならしめているのであるとおもう。ニュートンはリンゴの落ちるのを見て、宇宙を統括する大なる力の体系を見出した。人の呼び声に人が答える。それは当り前のことである。併し人類の壮大なる文化の世界はその上に樹立されているのである。我々の日常は日々の繰り返しである。その繰り返しは如何にして可能であるか、私達は繰り返する為に昨日と今日、去年と今年、親と子、祖先と我を結ぶものを持たなければならない。無限の過去と未来を結ぶものがなければならない。日常とは永遠の今としてあるということである。

 泰西文芸はその究極に崇高なるものの表現をもつと言われる。そこに悲劇の尚ばれる所以があるといわれる。そこにあるのは強大なる英雄の精神である。それに対して短歌の見出すものは日常であり、常民の営為である。ありなれた心の流れである。併し私はそれだからと言って、西洋詩より短歌が劣ると思うことは出来ない。

 詩の価値は如何に深く存在の根底を言表し得るかにあるのでなければならない。在るものとは個が全体であり、全体が個であり、瞬間が永遠であり、永遠が瞬間としてある。全体より個を見るところに、法則や公理としての理性があり、瞬間が永遠を孕むところに、芸術としての美がある。詩の評価は一瞬より一瞬への具象の流れの中に、如何に深く永遠を宿すかにあるのであるとおもう。

 永遠なるものは如何にして表現出来るのであろうか、私はそこに言表があるとおもう。我々の行々歩々は無限の過去と未来をもつことによってあるのである。現在の我を言葉によって捕捉するということは、斯る無限の時を捉えるということである。言葉は斯るものの表現手段として我々を超えたものである。日常を言表するとは、一瞬一瞬の生れて消えるものを捉えるのではなくして、一瞬一瞬を見るものとして、時を統括するものとして、永遠を捉えることである。私は短歌とは、存在の根底に至らんとする表現の日本的方向であるとおもう。日常を言表するとは、日常の根底に至ることである。

 斯く言うことは頭書の私の歌が佳い歌であるということではない。と言うよりは表現の 未熟の故に、意図に反して内藤先生、小紫博子さん等の集中砲火を浴びた作品である。唯私は日常の奥底にあるものを言いたいのである。けるかも会の諸氏は未練がましいと思われずに諒とされたい。

 尚禅家に日々是好日という言葉がある。私はこれは永遠の目によって捉えられた日々であるとおもう。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

言葉が整うということ

 先日天神の方へ行った序に湖内さんの見舞に寄った。顔の腫みは大分引いたようなので 「この頃歌の方は何うです」と聞くと、「ヘヘヘ」と笑っておられた。傍から奥さんが、「食欲の方は出て来たようですが、何もする気が無いんです」と言われた。氏は笑っておられた。「脳の意欲の座が冒されられたのでしょうか」と言うと、「お医者さんもそう言われるのです」との事であった。私はあの静かな中に潜められた、激しい表現意欲は何処へ行ったのであろうかと思った。

 二十数年前にもなろうか、私は湖内さんを訪ねては呑み且つ談じたものである。それは哲学、宗教にも亘ったが、概ね短歌に関するものであった。私が取材角度、発想を最も重要なる核心としたに対して、氏は文章が整っているということを重要視された。常に「言葉がちゃんとしていたら、それでよろしいやないかいな」と言われた。私は私の主張を今も捨てる気はない。併し今二部の撰評をしながら氏の言われたことの重要さを熟々と思っている。

 言葉は我と汝が交すものである。湖内さんとでもそうであったが、初めから何かを言おうとしたのではない。偶然にも似た話題の発端から、お互いの応答によって言葉が生れてくるのである。何かを言おうとして行った場合でも、一方的に自分の言葉があるのではない。相手の言葉によって自分に新たな言葉が生れるべく交すのである。我と汝が交すということは、我と汝によって言葉があるとともに、言葉によって我と汝があるということである。私の言葉は何処迄も私の言葉であると共に、この我を超えて、そこにこの我を映すことによってこの我があるものである。言葉はその秩序に於て、我と汝をあらしめるものである。

 我々は言葉によって無限の過去を伝承し、無限の過去へ伝達する。言葉とは生命が初めと終りを結ぶものとして、自己自身を表現するものである。初めと終りを結ぶとは、言葉をもつものが一であることである。言葉は一人一人がもつ。それは交すことによってあるものとして無数の人がもつ。言葉が一つであるとはこの無数の人が一であることである。時間は人の営為であり、初めと終りを結ぶとは、無数の人々が一であるとゆうことである。多くのものが一であるということが秩序があるということである。

 多が一として我々が対話することは、初めと終りを結ぶものの内容となることである。 初めと終りを結ぶものを実現してゆくことである。初めと終りを結ぶものが、はたらくも のとして自己を実現してゆくことである。無数の人々が一なるところが世界であり、我々は世界の自己実現の内容となることによって自己を見出してゆくのである。斯る世界の自己実現が言葉によって成就するのである。

 我々が世界の内容として自己があり、世界が言葉によって実現するとは、言葉の構成は我々の自己構成であり、言葉の秩序は自己の秩序であるということである。そこに私は言葉が整うということの重要さがあると思う。表現とは自己を外に見ることである。それが整っていないことは、自覚としての自己が破綻していることである。

 整っているとは、全文字が一つの主題、一つの感動を構成していることである。如何に長大な文章と雖一つの核がなければならない。その構成のあり方が表現の密度である。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

命終を読んで

 読み了って最も感じたのは作者の人柄の分厚さである。それは何よりも人との出会いのあり方に端的にあらわれている。その第一は松村先生である。

立寄れば巨樹の蔭とまず恃(たの)み歌詠み初めし昭和十四年

 巨樹とは題名よりして松村先生であろう。その師に対する終生渝るなき敬慕と信頼は、松村英一歌集と題する中の末首、

今更に何をか言はむ歌詠む我松村英一の弟子の一人ぞ

 の一首を作さしめている。古来人生の最大の幸福は良き師に巡り会うことであると言われている。良き師とは深い言葉をもつ人である。それは我の奥底を照してくれる光りである。作者はその人を得たのである。

予約して出版の日を待ち兼ねしに今日手にしたり心躍りぬ

 一首作者の傾倒ぶりを表わしている。傾倒の深さは作者の深さである。

幽玄の極に至る歌の数一万首に及ぶ松村全歌集これ

 短歌表現の究極はわびさびにあるとは、常に作者の主張する所であった。筆者は必ずしもそれに同調するものではないが、作者が己の導きとしたのがよく表われているとおもう。その第二は友との出会いである。

生ける君に見すべかりしをみ墓辺の君に供へる歌集「櫃の実」

たもとほり立ち去りかねつ墓地の偶に彫り深きかも倶所一会と

 悵々として迫ってくる余情はその交友の如何に深かったかを示すものである。

兄弟と言ひ諍ひし仮屋君寄書にあり殊に嬉しも

 歌集より見る限り氏の交友は広くなかったようである。併しそれだけに深い友愛をもたれたようである。

 第三は奥さんとの交情である。奥さんに関する作品は、その死別に於て、悲しみ発して 光芒を放つの観があり、言葉よく玉となり、本書の一つの山を形造っているとおもう。取上げる人が多いとおもうので一首だけ抽出したい。

食の量次第に減りて今朝程は軽く首をば振りて背きぬ

 人生の成功には種々なるものが考えられるとおもう。富を積み名を成すのもその大なるものであろう。併し私は手を飜せば雲となり、手を覆えせば雨となる世の中に於て、一つの出会いを終生温め続け得たということもその一つに算えてよいとおもう。勿論そこには契合するものがあったのであろう。併し私は身に省みてその容易ならざるを知るものである。

 氏の歌にはけれんがない。足を大地に置いている。そこにはわび、さび、幽玄を追求する氏の方法的ものがあるであろう。併し私は其の根底に氏の重厚なるもの見たいとおもう。老来益々の創作を願って筆を擱きたい。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

みかしほ三年五月号一部鑑賞と批評

も一度とふりかへり見る運動場の桜あえかなりではさようなら

 艶もあり動きもある仲々の作品、結句別離の意識を絶えずもつものの悲しみが見えて好もしい。一首の構成もさらりとしている。

独り居の室のテレビも消しているこの静寂は今日のたまもの

 至りつきたる境地をしずかに受容している好感のもてる作品、下句言いたい言葉だけに言ってはいけないのではないだろうか。

ニトロ含ませ夫の呼吸の治まるを見届け入院準備急げり

 てきぱきとした処理は作者の知性の高さを示す。而し知的な面が前面に押出されて余情を失わしめているとおもう。嘆き、不安といったものへの傾斜が欲しい。

交錯せる電波もあらむ滑空の鳩たのしげに隊列を組む

 仲々の着想、鳥に塒ありされど人の子の休むときなし、知恵の果実を喰べた人間は、輳する世界に苦しまなければならない。連想に遊び勝な作者にあって、内容のある一首。

家族等の手足となれぬ老もどかし己が身めぐり整へ置かむ

 死は避け得ない宿命である。老いて死に面せんとする作者は、日常の行履の中にしずかに見ている。そのしずけさは作者の知性である。

肌寒き朝を辛夷白く咲く浮き出でて見ゆる塀の内側

 すぐれた観察が見事な対象の切り取りとなっている。塀の内側は作者の内側である。 他の六首も破綻なく詠まれている。

大津王子の嘆きや吐ける二上の花しんしんと散りとゞまらぬ

 優れた資性の故に、悲劇的な死をもたなければならなかった王子への作者の悲傷が、散りゆく桜と渾然一体になっている。二、三句作者の力量を示す作品である。

逆はぬ癖いつよりか性として会話乏しき老となりゆく

 嘆きに似て二、三句嘆きを超えて、深い自己凝視の作品となっている。尼僧のような静かな諦観は作者の魅力である。

空と海見分け得ざる日暮れ易く家々早く灯りを点す

 作者は自然と人間のみを見ているのではない。それによって生れる自己の心のかげりを見ているのである。抒情豊かな香気ある作品。

至難とゞ想ひし原稿書き終へし瞬間にして目の上を押す

 結句の把握鋭い。安堵にゆるんだ気持が、忘れていた目の疲れを覚えたようすが見えるようである。躍動感のある作品。

生卵忌みおりし子が嫁と共に飯にかけてはかきこみており

 嫁によって変質してゆく子への、淡い複雑な気持が過不足なく表わされている。

裏山に残し置きたる幼杉が延びて吾家の日差し遮る

 幼杉の伸びは自分達の老であろう。それを日差し遮るという対象に捉えたのはよい。 時の移りを静かな目で受止めている。斯く静かな目で捉え得るということも一つのちからである。

靴履けぬ程に酔ひます吾が上司家に送れば亦送るる

 平凡ではあるが、互が築いた信頼の強さが一首を捨てがたいものにしている。それは情念の深さであり、作者の深さである。

遅れたる人等を呼べばこだまする山の茶店に甘酒たのむ

 こだまに日常の喧騒を離れた自然の静けさ、大きさを捉えたのはよい。甘酒たのむにも自然に同化している作者が見える。滋味ある作品。

電線の下に建てたる鯉のぼりゆるる尾先が児の手に届く

 下句児童の生態がいきいきと想像されてたのしい。一、二句捨てたい。

永平寺へ再度来られぬと云ふ畑を時々待ちて階段めぐる

 一期一会という言葉がある。出会いを大切にする作者の豊かさが見えてすがすがしい一首となっている。結句の階段めぐるは他の言葉の撰択が欲しい。例えば僧堂とか。

土を出でし草花の芽の浅黄色例へば三月の少年のすね

 作者の才能を思わせる作品。ともすれば寄木細工となりそうなのを、よく溌剌とした生命の表現とならしめている。さわやかさを味う作品で、三月のすねとは何かと問うべきではない。抒情詩の新しい面を切り拓いたものとして、高く評価すべきである。

枕辺のあかりが作るわが影は巨人となりて服をつけゐる

 私達は自己の底に限り無い未知なるものを潜めている。その故に人間は不安としての存在である。作者は影に見出でた我ならぬ我に束の間走った不安と怯えを捉えている。常自己を凝視する目は深い。結句の収束よく一首を引きしめて老練である。

ちるものを撩乱と咲かす桜木のあはれ渾身の生としあふぐ

 表現とは対象に自己を見、自己に対象を見ることである。下句よく桜を自己とし、自己を桜となさしめている。下句作者の歌境の高さを示すものである。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」