地神さん

 昨日松本貢さんよりさつきが咲いたので見に来ないかと言われて行った。庭の花を見終わって目をあげると石の祠が祀ってある。「貴方とこ地神さん祀っとってんかいな」と聞くと、「いやそれ他所のやつでなあ、神さんの横に椿の木があるやろ、その枝を切ってえろう叱られてなあ」「それ亦何でやいなあ」 「いや其の家の亡くなったったおばあさんがこの椿の木を触るときまって腹が痛うなっりょったったらしい。それで椿の木に触るなと言う遺言があったらしいねん。それを知らなんだもんやはかいなあ」との事であった。触るなとは勿論傷をつけるなと言う意味であろう。私はこの腹痛くなると言う事にふと興味をもった。それはオーストラリアの山奥の未開社会での記録を思いだしたからである。

 原住民と一緒に暮らしていた其の人の記録によると、原住民の一人がトーテムしている樹が枯れ出した。そうすると其の住民は何処も身体が悪くないのに食事が喉を通らなくなってしまった。そしてその樹が枯れてゆくに随って衰弱して行った。何とか食事をさせようと医者が手をつくしたが無駄だったと言う。そして彼は樹の枯れおえるのと同時に死んだのである。

 トーテム社会は我々の論理的思考をもってしては到底理解し難い。而し私は恋の如 きはトーテムに近いのではないかと思う。恋に於いては恋する人の喜び悲しみは直に 自己の喜び悲しみである。真に恋する者にとって対象の死は自己の死である。恋は 思案の外と言われる如くそれは何故であるか己も亦知らないものである。私は其処に 情念の論理、生命の自覚の原型があるのではないかと思う。

 自覚とは外に自己を表す事である。外を物とし物に即して自己を見出していく。而してそれは生命の自己限定として内即外、外即内の意味をもったものでなければならない。その事は最初に外を見出した時、外も亦生命として内外末分の状態であったと思う。近代的自覚の底流にも斯るものがあると言う事が出来る。真に創造するものにとって、学者は学問に、技術者は技術に死んでゆくのである。外に即すると言う事は外の無は内の無でなければならない。

 勿論おばあさんのはトーテムではない。超越者との関わりである。対象と自己が同一の霊ではなくして、我の運命を決定する大なる力としての霊である。唯祈り祭る事によってのみ宥和を乞うものである。そのおばあさんは本当に腹が痛くなったのであろう。身体があって情念があるのではなく、身体は情念の影である。生命は身体的であるより深く情念的である。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

想起について

 ソクラテスは我々が物が互いに等しいのを知るには、等しい事自体、即ち等しさの本質を知っていなければならないという。無から有は生まれて来ない。我々が知るというには何等かの意味で既に有るものが働かなければならない。而し相起も亦知る事ではない。知るという事は何処迄も現在を限定するということでなければならない。新たなものがなければならない。新たなるものによる新たな体系の創造が知る事であると思う。而し新たなるものといっても突出的にある事は出来ない。既にあったものが働く、其処に新たなるものがあるのでなければならない。知るということは過去と未来が現在に於いて唯一形相を実現する事であると思う。過去と未来は何処迄も相反するものである。過去は未来でない事によって過去であり、未来は過去でない事によって未来である。過去は未来を否定する事によって過去であり、未来は過去を否定する 事によって未来である。相反するものが一つであるとは如何なることであろうか。

 物理学は筋肉覚、関節覚の無限の発展であると言われる。無限の発展とは身体とし ての筋肉覚、関節覚を超えて力の表出がそれ自身の内面的発展をもつ事である。私は其処に知る事が成立するのであると思う。身体が身体を超えて外に身体の形相を打樹てる、それが私達の知るという事であると思う。身体が身体を超えて外に身体を見るということが世界を作るという事である。知るとはこの世界に映して知るのであると思う。

 大彫刻家ロダンは道を行く一少女を指さし乍ら「あそこに全フランスがある。」と言ったという。全フランスとは、フランスの自然と人間が作り上げた生命の姿であると思う。我々の身体は無限の過去をもつのである。単細胞動物より人間へ、はかり知る事の出来ない時間の上にあるのである。環境との相克の中に形より形へとして今の我々はあるのである。それは単に過ぎ去ったものでない。我々が今あるとはこの全時間が働いているという事である。我々が歩くのも、見るのも、この全過去が働いている事によって初めて可能なのである。天地創造以来の宇宙的生命の、自己創造の一凝縮点としてあるのである。一凝縮点として全存在を内にもつのである。

 人間が自覚的生命であるとは、斯る生命が自覚的である事であると思う。自覚的と は外に見る事である。外に見るとは身体を超えて見る事である。力の表出がそれ自身の内面的発展をもつという事は、単細胞動物より人間へと、無限の形相の展開を持った生命が自覚的である処に成立すると思う。我々の身体的生命がすでに形より形へと無限の変遷を内とするものであり、それが自覚的として外に自己を見る時、物理学の内面的発展として原理が原理を呼んでゆくのであると思う。創作として美が美を生み、思惟として真理が真理を呼ぶのも斯る処より考えられるのでなければならないと思う。動くものは矛盾的にある。矛盾するものは相対立するものである。人間は自覚的として、相対立してあるものから斯くあるべきものを見る。自然的生命を裁断する。裁断するとは逆に全存在を自己の内容として、自己を世界創造の出発点とする事である。斯くあるべきものによって世界を作ることである。而し生命の大なる流れの一点としてあるものが大なる流れ自身であろうとしても徒に混迷の中を彷徨するのみである。ソクラテスの無知とは世界に我が運ばれる事であり、知とは我が世界を運ぶ事であったと思う

 自覚的自己が深くなるとは、世界を運ぶ我が、その根底の世界に還ってゆく事である。無知を知る事は更に大なる自覚である。其処に想起があったと思う。想起とは過 去と未来が現在に於いて現前する事である。其処は時が生まれ、時が消えてゆく永遠の所在である。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

墓道の巨石

 私の町内で去年墓場の拡張工事を行った。丁度隣保長をしていたので分配の為に現地を見に行った時の事である。新しく造成され、整然と区劃された土地を見終わって、古い墓場の石塔群を見ていると横の空いた所に、長さ約一米八十位、横約一米五十位の上がすぼんで人間が安座したような格好の巨石が転がっている。皆の方へ振り返って「こんな石があるが亦記念碑でも建てるのかい。」と聞いた。すると「いやそんな 話聞いた事がないねんけんど、此の間から此処にあんねん。」と一番若い男の返事がかえって来た。その声を聞いたからであろうか、年の寄ったのが「そらあお前負うて くれ抱いてくれやがい。」と言った。私はははんこれが負うてれ抱いてくれやったのかと思った。

 私達の小さい頃墓場に至る道はもっと細くて急な坂であった。大きな松の木が生えてかん木の茂っている所が一ところ道の墓寄りの方にあった。その中に大きな石の上の方だけが木の間より見えていた。今から思えば石は大分埋まっていたようである。私達はよく「もしこの坂道を通っていて声を出すとあの石が近寄って来て、負うて抱いてくれと言って離れないのだ。」と聞かされたものである。そしてさも恐ろしそうな古老達の話し振りに言い知れぬ恐怖心を抱いたものである。この坂道は唯墓参するだけではなく、坂の上の新開田、亦其の上の村山への通路として利用者が多かった。それでも心なしか通る人の言葉が少なかったように思う。

 私達の小さかった頃は、教育も普及して合理的な考え方も進み、迷信打破が積極的に叫ばれていたものである。而し祖母達は伝えられた心を持った切りであった。私の 小さい時に地神さんに小便したと言って、地神の祭主の家に連れられ祈祷してもらっ たのを覚えている。闇の中を小さいローソクを灯して入って行くのを見ていると、あの小さな竹群が大変奥深く見えたものである。亦山の神に出逢った人の話もよくしてくれた。何でも大変な熱を出して寝込んで仕舞った話を幾件もしてくれた。この石の傍に来ると急に黙って仕舞う祖母達の姿は知識を超えて迫って来るものがあった。私達は理性で軽視し、心情で恐怖していたように思う。この石も亦古代神霊思想の一つの姿であったのであろう。

 霊は其の本来に於いて悪霊であったようである。死と災難を持って我々に迫って来た存在のように思う。よく山池の堤を通る時はものを言ってはならぬ。池の霊が声を聞きつけたら誘い込みに来ると言われた。亦谺は木霊が声を聞きつけて呼び返しているのだ。そして其方に行くと死んでしまうのだ。だから山で声を出してはならぬと言われた。天地に偏ねく棲む霊は我々に死をもって迫って来る霊であったのである。そして死をもって迫って来る霊は死者の霊だったのである。犠牲の思想は此処から生ま れたと言い得るであろう。恐らくこの巨石もこの悪霊思想の所産であったのだと思う。 墓所は死霊の満ちている所である。此処で声を出して生者のいる事を死霊に知らしめてはならないのだとして、多大の労力を厭わずこれを墓所の入口の前に設置したのであろう。その昔此処を通った人は恐らく息をつめていたのではあるまいか。

 与えられたるものは全て否定すべく与えられていると言われる。過去とは否定されたるものの相である。知らない歳月を人を怖れしめた巨石は今白日の下に曝されて捨 てられている。歴史は如何なる流れによって、人の心を斯く変えしめたのであるか。 否定は矛盾より起こるとすれば、歴史は限りなき自己矛盾の内包者である。変わりなき石の形の唯ありようの変化に、人は人間の生命の秘密を深く問う事が出来るであろう。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

風土としての霧と表現

 この頃朝々を霧がこめる日が多い。私はこの霧の中をゆるやかに歩むのが好きであ る。霧が動き始めると、ものの象が一つ一つと現われる。家の近くに芋を植えた畑がある。その大きな葉の一つが現われると私は暫く立ち止まってものの形の前に立つ。 私の前にあるのは食物としての芋の葉ではないのだ。育ち枯れてゆく葉でもないのだ。生命が限りない時間によって造って来た形なのだ。無限の時間を含んだ動かすべからざる形なのだ。

 時と共に霧は動きを速めていく。日輪は霧を払うが如く光を増して来、稲田、裏山 へと相を現わしていき、やがてはるかな高い山々が現われてくる。霧は多くを隠しつつ流れて峯が現われ或は山腹が現われる。私はそのとき霧と日本的表現の深い関わり合いを思わずにいられないのである。

 和辻哲郎はギリシャの真昼の明るい光がギリシャ的表現を作ったとして次のように書いている。「希臘彫刻の最も著しい特徴は、その表面が内に何者かを包める面としてでなく、内なるものを悉く露わせるものとして、作られていることである。従って面は横に拡がったものではなくして看者の方へ縦に凹凸をなすものと言うことが出来る。面のどの部分どの点も内なる生命の露出の尖端として活発に看者に向かって来る。だから我々は、ただ表面を見るだけであるに抱らず単に表面だけを見たとは感じない。我々は外面に於いて内面を見つくすのである。」

 私はものの形とは生命の、風土としての環境の総合であると思う。ロダンは道を行く少女を指差し乍ら「そこにフランスがある」と言ったという。我々の団子鼻は日本の湿度に適応した身体の形であると読んだことがある。フランスの少女はフランスの風土の総合であり、我々は日本の風土の総合として身体の形をもつのであると思う。表現とは外が内となったものを再び外を見ることによって内を露わにすることであると思う。ギリシャ彫刻とはギリシャ的生命形成を外に露わにしたものと思う。

 私は短歌を作るものであるが、短歌は余情の文学であると言われる。余情とは本当 に言い度いことをかくして読者に感ぜしめることである。短歌はその本質に於いて抒 情史である。生の哀歓を表白するものである。それを嬉しい悲しいと言わないで感ぜ しめるのである。例えば孫が初月給の贈物をしてくれて嬉しいとする。その場合言い たいのは「私は嬉しい」である。而し短歌で表現すべきは孫が初月給で贈物をしてくれただけでよいのである。嬉しいのは言ってはいけないのである。読者は作品を読んだ時にああ貰って嬉しかったのであろうと感じるのである。嬉しいと書くと感じるのではなく「そうか」となってしまうのである。共感の世界である。かくすことによってより露わとするのである。

 私は霧によって半ばかくれた山を見乍ら、このかくすことによってより露わとする発想は斯る中より生まれたのではないかと思ったのである。霧が山腹を流れ、嶺が空を描く時、私達は崇高な感じを抱く。その感じは地よりそびえているものと異質のものである。霧が地との接続を断つが故に我々にはそこに超越者に参見するのである。霧がだんだんはれて来て近くのものが明らかとなり、遠くのものが模糊としてやがて視界が消える時、私達はそこに無限なるものに接する思いがする。私は霧に対する時自分の深い内なるものに対するように思う。かくされたが故に我々の目は内に向き、内を露はとするのである。勿論斯るものが短歌や俳句の余情文学を生んだとするのは余りにも短絡的である。而し私は日本人の抑制する事によって読者の感覚を掘り起こし、訴求力を大きくしようとする表現は底深く斯る体験が働いていると思われて仕方がない。

 私は前に霧の中より先ず一枚の芋の葉が現れたといった。そこに無限の時間の象があると言った。私は霧の中の大きな一枚の芋葉を見ると文人画を思わずにいられない。私はここで一つのものの形というものを考えて見たいと思う。

 個物は個物に対する事によって個物であると言われる。全てのものは相対的にあるのである。芋の葉は多くの芋の葉の一つとして萌し成長し枯れてゆくのである。それ が一つであるとは芋或は多くの植物の葉が捨象されたという事である。私はそこに形 あるものから、ものの形へと意味の転換があると思う。形あるものは壊れる。ものの 形は栄枯を超えて、長い時間の中に作り上げたものである。芋の葉は枯れる、而し芋 の葉の形は芋が長い時間をかけて作り上げたものである。前者は時間の中にあり、後者は時間を中にもつのである。一つというのは相対するものが相対するものを捨てた処に成立すると思う。私は文人画は斯るものを本来とするのではないかと思う。そして私はそれを霧の中より現れたものに見るのである。

 生命は永遠なるものが瞬間的なるもの、瞬間的なるものが永遠なるものとしてある。永遠なるものを瞬間的なるものに見る処に生滅としての物の形があり、瞬間的なるも のを永遠に見る処に芸術としての形がある。而してそれは生命の動転の表裏として一つのものである。それは自然の自覚として、生命と風土の総合として形成するのである。

 私は霧によって動かされた心を、日本人の長い間の風土的形成の現われではないか と思って一文を草して見た。これ丈多い霧の月日が私達の視覚を形成しなかった筈はないと思う。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

聖霊について

 キリストは聖霊によって生まれ、救世主として生まれたという。而し人間の汚穢なくして如何にして人々を救い得たのであろうか。自ら汚穢としてありつつ汚穢を克服した者でなくして如何にして苦悩を鎮め得たのであろうか。而し考えれば汚穢は汚穢を克服する事は出来ない。聖霊なくして罪を救う事は出来ない。

 人間は自覚的生命としてこの両端をもつ。生死するものが永遠なるものであるところに自覚はある。私達は名刺に住所と氏名と職業を書く。これは全て歴史的なものである。住所は祖先が営々として拓いて来た土地である。氏名は血縁伝承としての姓名である。職業は技術的伝統として習得したものである。私達が自己とするものは、私達を超えたものが私達に働き、私達がそれを負うということである。私達はこの歴史的世界の中に生まれ、世界を逆に内にもつ事によって自己となるのである。私達が働くということは永遠なる者を見ることであり、永遠を見るということは、永遠なるものが働く事である。見るとは生死するものに映すという事である。

 働くという事はあるものを否定してあるべきものを実現してゆく事である。永遠なるものが働くとは生死する我を否定して、生死するものに永遠なるものを実現してゆく事でなければならない。其処に人間の原罪がある。我々が自覚的として自己をもつということは否定さるべくあるということである。否定さるべきものは罪である。汚穢である。あるべく働くものは聖霊となる。斯くして神は全てを捨てて我に来れと命令する。

 自覚は歴史的にある。前にも言った如く、自己は深い過去を背負うことによって自己である。自己は自己を超えた過去によって自己となるとは無数の人々が働いたということである。深い過去を背負うとは無数の人々を背負うということである。無数の人々を背負うとは人類唯一なる生命の働きに自己があるということである。唯一なるものが働いて自己があるとはこの我に全人類唯一なるものを示現せよということである。

 生命は欲求的である。我々は欲求的としてある。而し欲求的なるものから我々の人間の自覚的自己は生まれて来ない。自己を自覚するには無限の時が働かなければならない。無限の時を現す永遠なるものが働かなければならない。自己があるとは欲求的なるものが永遠なるものに自己自身を否定する事によってあるのである。生命は無限に動的なるものとして欲求を罪とし永遠を聖霊とするのである。

 全人類とは限無く多数の人によって構成される。それが唯一であるとは、唯一は形なきものでなければならない。唯一なるものが働くとはかくれたるものが働くということである。唯一なるものが働く事によって自己があるとは唯一なるものが命令する事である。「汝等斯くなす勿れ」「汝等斯く為せ」の声は此処より聞こえるのである。天上より聞こえるのである。

 歴史は多くの人を生んでゆく。一方に罪人を、一方に聖霊を生みつつ動転してゆく。キリストは人類がその唯一を見た処に生まれたのである。聖霊によって生まれたのである。而し純なる聖霊とは何ものでもない。聖霊は働く事によって聖霊である。キリストは血を流さなければならなかった。罪人として人類の罪を購はなければならなかった。それによって聖霊は自己を実現したのである。万人の血、万人の言葉として復活したのである。

 唯一なるものによって我々の自己があり得るとは、絶対の外として我々に命令し来る神の声は直下に己が声でなければならない。其処に信がある。己を忘じて赤子の如くなる時に信はある。而しそれは赤子となるのではない。捨身の努力である。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

つとめ

 「まあこれ、あの家の一番しまいの子も某会社へきまったんやて。」 「そう、あの家もえらい事やったけどもう楽やなあ。」「そうだいなあ、旦那さんやろ、奥さん内職しよってやろ、上の子の姉さんも勤めとってやろ、中の子二人は外へ出とってやけんど、もう楽なもんだいなあ。何ぼ宛でも何ぼ何ぼやろ。これから残るばっかりだいな。」 聞くともなしに聞いていると、何でも子沢山のために苦労していた家の末子が勤めが決まったらしい。私もよく知っているが、よく米を一升買いしているとか、着せる服が買えないので奥さんの里からもらったとか、噂の出ていた家である。よかったなあと思い乍ら勤めという言葉からふと、「この秋は雨か嵐か知らねども今日のつとめに田草取るなり」と言う歌を思い出していた。誦し乍らこの歌のつとめとその子の勤めが決まったと言うつとめと一寸ニュアンスの食い違いがあるように思った。

 その子の勤めは報酬が目的である。この歌の草取る人も勿論秋の収穫としての報酬が目的であろう。而し取れるか取れないか判らないのである。その子は報酬をくれるかくれないか分からなかったら勤めないであろう。勿論昔は他に働く所の無かったという事もあろう。而し今日の勤めと言う中には単に報酬によっては律し切れないものがあるように思う。分からないけれども今日は今日として働くと言うのである。草なんか取るのは一日位伸ばしても大した事はあるまいと思う。それなのに今日の勤めとして働くと言うのである。勤めとは本来何んな意味であったのであろうかと思って 一寸大言海を開けて見た。

 つとめ(名) 格勤 ツトムルコト。為すべき事 仁君ニ仕フルコト。役目。 職務 三毎日佛前ニテ誦経、礼拝スルコト。勤行。修行。以下略

 これでは私の問いに答えてくれない。仕方がないから自分で考える事にする。此の中で何かがあるとすれば仕える事であると思う。仕事の仕も仕えると言う字を使ってある事を思えば、人間の行為は何等かの意味で仕える事なのかも知れない。仕えると 言う意味があったのかも知れない。而しこの農夫に君への観念があつたと思えない。 それでは仕えるとすれば何に仕えたのであろうか。其処で思い出すのは和辻哲郎が書いていた事である。

 かつて自動車王フォードが南方でゴム園を経営した事があった。其の時に現地人を 使ったのであるが、其の勤労意欲の無さには閉口したらしい。それで給料を多くやって貯金でもし出すと勤労意欲が湧くかも知れないと思って給料を上げてやった。する と彼等は金のある間は休んで無くなると働きに来たと言う。西洋人の間で定説になっ ている土人の怠惰に対して和辻哲郎氏はその勤勉振りを強調される。氏は其の労働振りを詳細に書かれた上で、彼等は金銭や自己の生活のために働くのではなくして神の作業として働くのであると言われる。氏の書いておられた事が私達の小さい頃にもあった事の記憶がある。

 私の隣村に菅田と言う村落がある。其の菅田の人の麦を栽培されるさまが氏が書か れているとおりであった。うねには草一本も生やさず、土を微小に砕いてうねの肩に角をつけて其の整然たる有様は麦を収穫するというには余りにも丁寧すぎた。其の根 底に流れていたのは或は神の威儀の実現であったのかも知れないと思う。

 此処に私は今日のつとめの意味が明らかになると思う。神の前にとして、今日の神と我との姿を見出すのである。収穫も大切である。而し神の前に誠である事の方が大切なのである。収穫も亦其の結果としても大切なのである。其処に今日のつとめの根 本の意味があったと思う。

 現在に於いてもそのつとめの究極の意味は変わっていないと思う。唯我々は神の代りに世界を持つ、世界の前にとして、今日の世界に我の姿を見出すのである。報酬は神を世界に転換させた社会構造の変化の必然である。

 昔に於いて詩は頌歌(しょうか)であり、詩を作る事によって神に其の威徳を附加すると考えられた。私は全て神の前に作ると言う事は、神を作ると言う意味があったのではないかと思う。私達が今日勤めを持って働くのは世界を作ると言う意味があると思う。私達は報酬によって生きる。而し其のより奥底に世界に何かを附加する事によって生きるのであると思う。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

心弱き人の為に

 或る日の歌会で、一老婦人が自分の作品を説明し乍ら「この間も小豆を煮ているの で、その煮方を説明してやったのですが、嫁は聞こえぬふりをして言うたとおりにしませんでした。何か言うと激しく口答えをするので、今では何も言わない事にしています。一緒に暮らそうと思えば何方かが辛抱しなければなりませんので。」と言っていた。孫子も言う如く一歩を譲ることは百歩を譲ることである。この婦人はやがて一家の片隅へ追いやられるであろう。気が弱いとは如何なることであるか。

 人間のみが言語中枢をもつと言われる。人間は言葉をもつことによって他の動物と人間を区別したと言われる。私達はスメル文字を解読することによって、六千年前と心を一つにすることが出来た。六千年を一つの時間としてもったのである。この一つにする力によって技術を蓄積して来たのである。木を削り石を磨いて道具とした古代より、近代の壮大な機械文明の構築はながい時間の蓄積なくしてあり得ないものである。この蓄積は言葉が、そして言葉の延長としての文字が担ったのである。そこに人 間の栄光がある。

 しかし栄光は同時に悲惨である。我々は我々の生死を超えた時間に於いて自己をも つ。自己を超えた時間によって自己があるとは、我々は自己を否定することによって 自己を見出してゆくことである。歴史の蓄積とは多くの人々によって作られたと言うことである。このことは他者によって自己があると言うことである。私達は自分の所在を己の技術に於いて見るとき、無限の過去・現在・未来の人々との関わりを見ざるを得ない。他人の人格を認めない自己の人格はあり得ないと言われる所以である。人格とは自己の中に世界を持つことである。偉大なる人格とは、自己を忘れて世界となっ て考え行う人である。

 しかし他の人格を認めるものと、認めないものが、一緒に暮らしたらどうであろうか。それは一目瞭然である。一者は他者の行為を尊重して譲歩するであろう。一者は他者の譲歩を自己の力の証しとして益々自己を主張するであろう。他者との関わりに於いて自己を見ることの出来ない下劣なる人格は、自己の中に世界を見るのではなく、相手の譲歩に自己の拡大を見るのである。一者は益々主張し、一者は益々譲歩する。一つの生活に於いて一者が自己の意のままにするということは、他の一者は自己実現の場所を失うことである。人間にとって自己を実現するところをもたない程哀れはない。河合広仙氏は機関誌「巨勢」の中で「恥を知らず、厚かましく、図々しく人を責め、大胆で不正なるものは生活し易い。恥を知り、常に清きを求め、執着を離れへり下り暮らす賢者は生活し難い」と佛教の原始経典にあると書いておられる。私は心弱いと言われるのは多く斯る人格的なるものに由来すると思う。例えば言葉にしてもそうである。一方が罵っても低劣なる言葉を出すことを理性が許さないのである。他人の座敷に土足で上がって襖を破って帰るような言葉は唯自己嫌悪におち入るのみである。斯くして唯その人格関係に無限の悲しみをもって黙しているほかはないのである。私は冒頭の老婦人と嫁との間にも斯る関係を見ることが出来るのではないかと思う。

 而し人間に於いて栄光が同時に悲惨であるとは、悲惨は亦栄光でなければならない。ゲーテはミニヨンの詩の中で盲目の竪琴弾きに、「涙もてパンを食みしことなく、 夜々の臥床を泣き明かさざりし者は、知らじいと高き御身のいますを―」と歌わしめている。魂は常に不死鳥である。それは死の灰の中より羽ばたくのである。譲歩は他者につながるところにあつた。人間は他者につながることによって、自己を超えた無限の生命を見ることが出来るのである。私は日常生活の弱者は自覚的生命の強者であると思う。キリストが地の塩と言った人であると思う。悲嘆に暮れる代わりに聖者の言葉を探すべきである。譲歩を突き進めて死に切るべきである。そこに人間本来の無限の過去と未来を包む永遠の世界が現われるのである。譲歩せざるを得ない心弱き者は、その奥にいと高き唯一者への通路を持つのである。そしてそこから日常生活を見るとき、譲歩なきものは逆に哀れなものとして、新しい生活風景が生まれてくるのである。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」