木蔭に寝乍ら

 私は夏になるとよく好古館の東の公園に本を携えて行く、そこにはたくさん植えられた 楠の木があって、その中に特に大きなのが一本ある。丁度午后の二時頃になると下に置かれたベンチが翳ってくるので、私は仰向けに寝転んで本を読むのである。濃緑の葉が内部見えない位繁っているのを見ると、その一樹は葉に満ちているようにおもう。併し寝転んで下から見上げると、見えるのは複雑に伸びて組合う枝が殆んどである。それは丁度傘を拡げたようである。骨組の上に布を張ったようにして葉がついているのである。私は曽って樹木は葉を光合成が最も効率的に出来るように拡げるというのを読んだことがある。成程とおもう、そして何時もこれが太陽光線を最もよく受ける為に自然が作った形なのだなあとおもう。よく見ると重なり合っているように見える葉の一枚一枚が、自分の太陽光線を享受出来る面をちゃんと持っている。而してそのことは、下に寝転ぶ私にとって大変快適な空間を作ってくれるのである。全てが太陽光線を最大限に受けようとすることは太陽光線の少ない所は陶汰されてゆくということである。上に伸びた枝が繁って、曽って葉をもった、下になった枝は枯れてゆくということである。見上げる私は高い木の一番上の方迄自由に視線を遊ばすことが出来るのである。

 高く大きく拡げた木蔭を通う風は涼しい。木蔭を区切って外は照りつける日差しに暑い風が吹いている。その風が蔭に入るととたんに涼しくなる。私はそれが何時も不思議で仕方がない。そして未だそれを解明した本に出会ったことがない。併し私は不思議なものに身を委ねているのも楽しいことのようにおもう。標とした無限なものの上に漂うているような気がするからである。

 本を読んでいると時折り、大きな目の紋様を持った蝶が降りてくる。降りてくるのが殆 んど何時もその蝶であることをおもうと、恐らくこの楠の何処かに棲んでいるのであろうか、私にはこの目の紋様が翅にどうして出来たのであろうかということも不思議の一つである。第一に考えられることは敵を威嚇するためである。これは誰も思うことであり、恐らく正しいのであろうとおもう。不思議は次の問いからである。何うしてそれを蝶が知っているかであり、何うして翅に紋様として現れたかである。外に現われるためには何か内にはたらくものがなければならない。如何なるものがはたらいたのであろうか、そこで考えられるのは、蝶は度々斯る目を持ったものに襲われ、殺されたということである。この丸いのは恐らく鳥の目であろう。そしてこの様な目に出会った時、蝶は本能的に逃走の飛翔をもつのであろう。併しそれが何うして翅に巨大なる目の紋様となって現われたのか。

 私はここで更に細胞の不思議へと思考を進めなければならないようである。鳥の目に恐怖するとすれば、同じ形相の更に大なるものは、より大なる力をもつ筈である。大なる力は小なる力を圧伏する筈である。逃げ出さなければならない目は、更に大なる目によって追い払える筈である。私は恐怖によって紋様が出現したとすれば、蝶の内部に斯る生命の論理が働いたとおもわざるを得ない、測り知ることの出来ない時間の中に、限り無く襲われ、食われることによって、生命細胞は斯る形を現わし来ったとおもわざるを得ない。如何にしてという問いを超えて、生命細胞は保護色虫が自在に色を変えるごとく、生存に最も適する形を実現するものとおもわざるを得ない。

 近頃は余り見かけないが、一時よく原始社会の彫刻が公園などで並べられたものである。直線の輪郭の顔、逆立つ眉、大きく剥いた眼、張り出た鼻、分厚い唇、そして犬のような牙、それらは全てわれわれを威圧し、恐怖に導くものであったようにおもう。それ等は原始人が魔除けに作った形であるという。それ等は全て悪魔の形相である。悪魔を払うために更に大なる悪魔の形相を見出たのである。勿論それは生命細胞が自己を具現したのではない、自覚的生命として外に、木や石に表わしたものである。併し私はそこに生命細胞と人間の表現の接続を見ることが出来るように思う。生命細胞の中に人間の表現の原質を見ることが出来るようにおもう。

 形は内なるものの表れであり、内なるものの表れとしての形が美であるとすれば、私は芸術の淵源はここにあるようにおもう。原始表現は、更に生命細胞に潜むものの中にあるようにおもう。勿論蝶の紋様が芸術とは言えないし、原始的表現も芸術とは言えないものであろうとおもう。人間は自覚的として外に物を作り、内に愛を創った。そこに人間は無限の多様なる形をもったのである。言葉を介して形が形を生んでゆくのである。価値はそこより生れる。美も美的価値として内面的発展をもつものであり、芸術とは形の内面的発展に付けられた名であるとおもう。併しての形が形を生んでゆく内面的発展の力は、蝶が襲われ食われた限り無い時間の中に見出して来た、目の紋様の出現と同じ力がはたらいていると思わざるを得ない。生命細胞が目の紋様をもったということは思議すべからざるものである。私はそれと共に芸術家の手を動かす形の出現も思議すべからざるものであるとおもう。芸術家は作ることが呼ばれることであるとおもう、知らざる手が導くのである。私は私達の背後に全生命を一とした、大なる生命の運びがあるようにおもう。我々の思議は不思議の上にあるのである。不思議が思義するのである。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

色 即 是 空

 以前に読んだ生物学の本には、人間の細胞は三十兆、脳細胞は百二十億と書いてあったと記憶する。それが今度の本には細胞が六十兆、脳細胞が百四十億と書いてある。短期間にそんなに増える筈がないから測定の方法が精密化したのであろう。前に読んだ本では脳のはたらき得る可能性は、百二十億の百二十億乗、全宇宙の電子の数に匹敵すると書いてあった。そうとすると現在は更に増えていることになる。但し人間が生涯に使うのは十数%にすぎないと書いてあった。それにしても人間の想像を絶する深大さには、驚異とも畏敬ともつかないものをもつばかりである。

 生命は三十八億年程前に誕生したらしい。その生命が単細胞生物から、多細胞生物となったのは六億年程前らしい。それから陸棲動物となり、両棲類、爬虫類、哺乳類より人類へと進化したらしい。即ち六十兆の細胞と百四十億の脳細胞は、人類が三十八億年の生死の陶汰を繰り返して形作ってきたものである。二十億年の無核生物、十二億年の単細胞生物、六億年の海中、陸棲を積重ねてきた生命の構造物である。多彩なる機能は長い間の、生死の中より獲得してきた形質である。

 この頃テレビできんさんぎんさんというのが評判になっている。双生児の姉妹で共に百才であるらしい。評判の原因はその長生にあやかりたいということらしい。この頃の平均寿命は男七十六才位女八十一才位と新聞に書いてある。私達の若い頃の人生五十年に較べれば長生きになったものである。併し死は幾つになっても悲しいものである。

 般若心経は五蘊(ごうん)は皆空なりと照見して一切苦厄をし給うと説き、色即是空と説く。五蘊は五官であり、感覚であり欲求である。欲求の対象は物である。物は全て対立をもつものであり、対立は相互否定的である。否定すると共に否定されることによって物はあるのである。否定すると共に否定されるとは形が変ずることである。物は必ず壊れるものである。身体も亦形あるものとして、必ず死にゆくのである。物の壊れてゆくのは所有するものにとって苦しみであり、死ぬことは生きるものにとって苦しみである。生を死に映すとき、見るもの聞くもの全て苦しみたらざるはない。斯る苦しみは皆空なりと観ずることによって救済されると説くのである。

 何故死ぬことは悲しく苦しいのであるか、犬は老いの来るのを悩まない、唯食物を探すだけである。鯉は背を包丁で割かれても静かである。死に面せずして死に苦悩するのは人間だけである。他の動物は健康であるのに悩むことはない、そこに人間の知があるのである。人は他者の死を見て自己に来る死を知る。他者の死を知るということは、自己ならざるもの、自己を超えたものを知ることである。それは無数の生死を知ることである。人は必ず死ぬという命題は、唯一人や二人の死を見ることによって生れたのではない。病・老・死を無数に見ることによって来ったのである。自己を超えた無数の生死を見ることは、無限の時を見ることである。生死を超えた時間を見ることである。死のかなしみは、生死を超えた無限の時間の中に、自己の有限を見るが故にかなしいのである。無限の時間の中に映すとき、有限なるものは何れも儚きものとして、泡沫と生れて消えゆくもののかなしみを持たざるを得ないのである。

 如何にして人間は無限の時間を見、自己を有限と見るのであるか、私はそこに三十八億年の生命形成を見ることが出来るとおもう。私達の生命は一瞬一瞬の内外相互転換に於て自己を維持してゆく、呼吸をし、食物を摂り、ニュースを聞き、他者と語らって生きている。併しその一瞬一瞬は六十兆の細胞を作り、百四十億の脳細胞を作った、三十八億年の時間を孕むものの一瞬である。我々の身体は生れて死ぬ、併しこの泡沫とも言うべき八十年は、過去の無数の生死の集積としての身体である。無数の生死の集積とは、生死を超え生死を内に包むということである。私達は歩き乍ら様々のものを見る、一歩一歩異ったものを見る、而して其の一々は脳細胞の測り得ないはたらきを背後にもつ目によって見るのである。一瞬一瞬は意識の達すべからざる時間をもつのである。達すべからざるものとして、過ぎゆく一瞬一瞬がそれによってあり、その中にあるものとしてそれは永遠なるものである。生命が動的として無限にはたらくとは身体的に自己を形成することであり、身体は永遠なるものが瞬間的であり、瞬間的なるものが永遠なるものとして自己を形成するのである。動的であるとは矛盾の統一ということであり、永遠なるものに瞬間的なるものを映し、瞬間的なるものに永遠を映すことによって自己を形成してゆくのである。矛盾の統一として、永遠なるものと瞬間的なるものが相互限定的に自己を形成してゆくとは、生命は自己の中に自己を見てゆくことであり、身体は生命の具現としてあることである。身体は身体の中に自己を見てゆくのである。

 人間は言葉をもつものとして自覚的に自己を限定する。自覚的とは外に表現的に自己を見てゆくことである。瞬間に永遠を映し、永遠に瞬間を映すということは表現的に自己を見てゆくことである。見るものの方向に三十八億年の生命を宿す永遠なるものがあり、見られたものの方向に現在の形として、形より形へと移りゆくものがあるのである。無限なるものの前に立つ有限なるものの悲しみはここにあるのである。身体は見られたものであると同時に見るものである。悲しみ苦しみは動的なるものとしての、身体がもつ矛盾乖離にあるのである。苦悩は無限と有限、永遠と瞬間が対立することにあるのではない。自己が自己ならざるところにあるのである。対立するとは自己が自己ならざることである。自己ならざる自己が、自己ならんと努力するのが苦悩である。それは苦悩せんとして苦悩するのではない、矛盾はそれ自身が一なることを要求するものであり、人間に於ては自覚と して、言葉に露わならんとするのである。真に生きんとすればする程、生の根源として湧き来るのである。

 この我とは今此処にせんべいを嚙り、原稿紙にペンを走らせている我である。それ以外に我があるのではない。それは他者に罵られて腹を立て、病みては床に呻吟するわれである。やがて死して焼場に送られる我である。何処迄も色身としての我である。色身を離れて我はない。而して色身の世界は対立矛盾の世界であり、苦悩の世界である。空なりと観ずるとは如何なることであろうか。色身は現実に於て如何にして救済されるのであろうか。離れてあり得ないものを離れる観とは如何なるものであろうか。

 今囓っているせんべいは、人類が長い歴史の中に経験の蓄積としての技術による世界形の内容としてあるのである。私は今身の養いとしてせんべいを食っている、それは外を内とする行為である。この一瞬の内外相互転換は無限の時間を背後にもつ一瞬である。このせんべいが世界形成の内容としてあるということは、このせんべいを作った人が技術をもつものとして、無限の時間を内にもつものでなければならない。世界とは無限に多様なる技術の集積が形成的に一として動くところである。即ちせんべいを作ったものも、せんべいも、せんべいを食うものも無限の時をもつものとしてこの一瞬があるのである。無限の時間の蓄積は技術的形成として歴史的創造の世界である。我々は創造的世界の一要素としてあるのである。ここに於て我々は更に深き自己に面するのである。罵られて腹を立てる自己は、罵るものに対する自己であり、罵られることによって失われる自己である。創造的世界の要素となるとは、無限の時間を内にもつものとして、斯かるものを超えて中に見るものとなるのである。それは自己の生死をも裡に見るものである。人類の形成し来った全時間に目を置くものとなるのである。全時間の現在としてはたらくものとなるのである。はたらくものは永遠の今としてはたらくのであり、我々がはたらくとは永遠の今として自己があることであり、そこに真の自己を見るのが観である。

 色即是空とは一瞬一瞬が永遠の具現であり、現身の生死が創造であることである。そこより蓄積が生れ形成があることである。一瞬が永遠に転じ、永遠が一瞬に転ずるのである。生死するものが、生死が直に永遠であることを覚ることである。対立するものは対立なきものの対立であり、一者は対立するものの一者である。斯る動転が形成するはたらきということである。対立するものは一者に消え、一者は対立するものに消えるのである。消えることは亦出現することである。より大なる形へと歩を進めることである。生死するものは永遠の中に消えることによって真に生死を現し、永遠なるものは生死の中に消えることによって真に永遠を現すのである。

 我々は形をもつ対立するものとして、生死するものとして、永遠の中に消えゆくことに よって真に自己を現わすことが出来るのである。消えてゆくとは相対を滅して永遠即自となることである。全てが永遠の相貌となることである。欲求的自己を殺すのである。絶対に死ぬのである。それは勿論肉体の死ではない、世界形成としての我よりを捨てるのである。我よりを捨てるとは、我のはたらきに世界のはたらきを見るのである。我の一挙手一投足を世界の一挙手一投足とするのである。我のはからいを世界のはからいとして、生滅を包むものに目をおいて生滅を見るのである。肉体のあるところに官能はある、官能が死すとは、一瞬としての欲求が永遠の陰翳を帯びるということである。言葉の内容となることである。

 禅家に大死一番という言葉がある。死とは無に帰することである。大死とは積極的に自己を殺すことである。自己否定に徹することである。生命形成が瞬間に永遠を映し、永遠に瞬間を映すものであるとき、大死とは永遠に瞬間を映すことであり、そのことは亦同時に瞬間に永遠を映すことである。我々が永遠の中に消えたということは、我々に永遠を現わしたことである。

 生死するこの我が永遠の中に死して甦り、永遠が生死す我に消えて形を現わすとは、生命形成とは絶対の無として動いてゆくことである。三十八億年の生命は刹那生滅的に形成し来ったということである。絶対の有は絶対の無である。そこに色身に対する空の救済があるのである。色があるのでもなければ、空があるのでもない。永遠と瞬間が純一として現在より現在へとこの我がはたらくとき、有限と無限に乖離したこの我は真個の我の具現を見るのである。それが色即是空であり、そこに救済があるのである。斯かるものとして色身を離れるというは更に大なる光りを色身に受けるということである。救済とは現実に生きることであり、日常に生きることである。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

夢想

 昔はよく技術の練達を願って二十一日の断食をし、水垢離をとって神に祈ったようである。神陰流とか、夢想剣とか言われるものは満願の日に現われた神が示した技から編み出したものであるらしい。剣のみではない、仏像を彫り、天女や竜を描くにも同様の祈願をこめて、形の啓示を祈ったとは書物に見るところである。

 一日中で私達の創造的思考の最も働くときは、午前五時頃であると書いてあるのを読んだことがある。人類の偉大なる発想は多くこの時に生れたとあったようにおもう。午前五時と言えば瞼はまだ閉じたままで、頭脳のみがはたらくときである。断食と水垢離、夜明け前の目にまだ眠りの残るときに、私達は創造的発想をもつとは如何なるはたらきによるのであろうか。

 この二つに共通する条件は何であろうか、私はそこに意識が身体を放れると共に、身体が対する現実より放れるのを見ることが出来るとおもう。二十一日の断食と水垢離は疲労と衰弱の故に、午前五時頃は横臥と、目覚めた身体が未だ活動の準備が整っていないが故に、意識は現実としての身体や対象に面していないとおもう。意識が現実に面していないとは如何なることであるか。

 生命は内外相互転換的にある。内外相互転換的にあるとは、内が外を否定し、外が内を否定することである。外を否定して内とし、内を否定して外とすることである。生命が動的であるとは、斯る転換として動的であるのである。対象は単に我々に見られたものとしてあるのではない。生死を距てる対抗緊張に於てあるのである。斯る転換が我々の日々の営為であり、現実とは斯る日々の転換の営為である。

 意識とは斯る転換より生れると共に、斯る転換を映すものである。映すというは其の中に見るものとしてより大なる立場に立つのである。我々は経験を蓄積するものとして物を作る。経験を蓄積するとは一瞬一瞬の転換がはたらくものとなることである。昨日の営為が今日の営為となることである。意識とは断る経験の蓄積である。昨日の営為と今日の営為を統一するものである。無限の過去の死を生に転じた一瞬一瞬を、現在の死生転換の参考としてはたらかしめるものである。生命形成の初めと終りを結ぶものとして、永遠の相下に一瞬一瞬を成立せしめるものが意識である。

 一瞬一瞬の内外相互転換がはたらくもの、見るものとなるとは生命は形成的であるということである。それは外を作ることによって内を作り、内を作ることによって外を作ることである。内とは無限の過去としての外を現在に於てもつものであり、外とは無限の過去としての内を現在にもつものである。我々が今もつ営みとは斯る生命の無限のはたらきである。

 意識は身体の意識であり、身体を離れて意識はない。それが身体を離れるとは転換としての対立緊張を失なうことである。対立緊張を失なうとは、外よりの否定としての圧迫をもたないということである。内としての外を形成するはたらきが、現実としての外の圧力を極小として、自由に形を見ることである。そこに夢想がある。夢想とは内を外とする形成作用が、外の抵抗を失なって、内よりの形成を何処迄も肥大させてゆくことである。身体を離れるとは、外の抵抗を極小とする故に力の表出が最小限にとゞまることである。そこに夢想の非現実性がある。夢想は多く欲求が表象的に肥大して、外として、物として実現することの出来ないものである。それが創造的内容となって、大なる形相を生むとは如何なることであろうか。

 私はこの問題に迫る前に、内外相互転換について少し突込んだ考察を加えなければならない。外は物として我々を取り巻くものである。それは形あるものとして対立するものであり、対立するものとして多なるものである。形あるものとして既に作られたものであり、 既に作られたものとして過去に属するものである。外を内にするとは、過去としての多が現在の中に消えてゆくことである。現在の生命形成の中に形を失なってゆくことである。人間は自覚的生命として物を製作する。製作するとは過去が消えて、未来が現われることである。過去としての多が消えてゆくところとして、外が内となるとは、多が一となることである。

 私は夢想が偉大なる形相を生むには、既に全心身を投げ込んだ問題意識があったとおもう。問題意識は常に多の矛盾対立である。多は一への回帰に於て多である。問題は多が自己を一として見ることが出来ないことより起きるのである。矛盾は多が一ならんとするが故に矛盾である。外を内ならしめんとする生命形成に於て矛盾である。対立は何処迄行っても対立である。それは一となることの出来ないものである。それが極小となるとは、対立が極小となることである。そこに突然内が現われるのである。一が出現するのである。この現われた一が偉大なる形相である。それは全心身を領じたが故に、極小としつつ底深く外につながっていたのである。

 外を内とするとは、世界の秩序を身体の秩序に於て見ることである。内外相互転換として物は身体の外化である。世界は身体の延長として世界である。物と化した身体がその対 立に於て、再び身体に還るのが外を内に見ることである。矛盾対立は身体の生死にある。 物と身体は相互否定的に形相形成的である。世界の矛盾対立が統一に於て捉えられるとは、 身体的一に於て捉えられることである。夢想に於て外としての物の圧力が消えるとき、突如として身体の秩序が物の形に現われるのである。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

幼心

 幼心と言っても、本文は幼児の心理を書こうというのではない、唯ゲーテの幼時の思い出というのを考えているとき、不意に孟子の「長じて幼心を失わざる、是を大人という」言葉が浮んで来たので、ゲーテから孟子を捉えて見ようと思った迄である。故に本書の幼心とは孟子の言葉の幼心である。

 ゲーテは幼時バラの花を見ていると、はなびらの中よりはなびらが出て来て室に溢れたという。勿論本当にはなびらが出てきたのではない、想像の中に溢れ出たのである。併しそれは単に想像の産物ではない、現実のバラのはなびらがはなびらを産んだのである。現実のはなびらが想像の中に自己増殖をもったのである。

 生命は無限に動的である 動的であるとははたらくものであることである。はたらくと は形に自己を見てゆくことである。人間は自覚的生命として外に自己を見てゆく、物を作る青年の情熱、壮年の実践、老年の英知とよく言われる。何によって斯る変化を遂げてゆくのであるか、私はそこに身体の熟成を見ることが出来るとおもう。青年は身体躍動して血気旺に循るときである。それは自己を捨てて、世界を自己に見ようとする意志がおのずから働くときである。情熱とは全身全霊を挙げて、世界と結合し世界を実現せんとすることである。壮年は心身充実し、世界という茫漠たる理念から、世界を構成する物と自己の個性が結合し、世界を実現してゆくものとなることである。青年が理想に面するに対し、現実に面するのである。老年の英知とは、身心鎮静して活動力を失い、青年の情熱と壮年の実践、理想と現実を統一した相に於て観照することである。青年の非現実性、壮年の理想喪失を世界形成の立場から適切な言葉を見出してゆくことである。

 それでは幼時とは何であろうか、私はそこに成長を見ることが出来るとおもう。僅な日 時の間に見違へるばかりである。成長は細胞増殖である。私は細胞増殖に幼時の身体を見ることが出来るようにおもう。成長し増殖してゆく身体には常に新しい機能の統一がなければならない。匍匐(ほふく)より直立歩行し、直立歩行より走り出し、言葉を覚える、それは常に新しいものに面する飛躍である。私はそこに幼心があるとおもう。匍匐より歩行し更に言葉をもつということは、その一々が新しい対象面を拓くということである。対象面を拓く ということは自己の外への投げかけをもつということである。

 幼時の感情、行動、表現は自由であり飛躍である。泣いていたと思っていたのが笑い、直ぐく走っていたのがくるりと向きを変え、字も知らないのに絵本に向って声を挙げている。そこにはいささかの渋滞もない、対象と自己は行動的空間として、純一より純一へと移ってゆく、私はそこに幼時の細胞の生長増殖を見ることが出来るとおもう、それは新陳代謝と質を異にしているようである。生長増殖は形成であり、飛躍である。無よりの創造である。

 長じて幼心を失わざるとは如何なることであろうか。長じるとは身体が完成することで ある。身体の完成は対象の形相が固定をもつことである。併し生命は内外相互転換として常に新しい状況に接する。固定は生命の死である。そこに無心に還り、既成の形を超え現在の形をもつ、そこに幼心があるとおもう。転換は否定的転換である。外を否定して内となし、内を否定して外となるのが転換である。そこには常に変化がなければならない、形の飛躍がなければならない。

 私は大人と小人を分つものは目を転じ得るか否かにあるとおもう。内を否定して外とすることは自己を対象化することである。物になるということである。このとき物は自己を映した物である。目を転じるとは映された物に目を置くことである。我々は物を製作することによって世界を形成する。この世界から逆に自己を見るのである。見出た世界を自己の形相として、形相の底からはたらくものとなるのである。形作った世界が世界自身の内面的発展をもつのである。そこに創造があり、対象を知り、自己を知ることが出来るのである。目を映された物に転じるとは、世界となってはたらくものとなることである。欲求としての自己よりの目をもつ自己を殺すことである。

 否定的転換は死生転換である。我々が生きているとは一瞬一瞬生死相分つ峰を歩いているのである。働かざるものを待つのは死である、働くとは死を生に転ずる行である。一々に死に一々に生きる生命形成は飛躍である。それは過去がそこに死に、未来がそこに死ぬことによって出現するものとして、絶対現在として生命はあるのである。過去と未来は現在に死ぬことによって、現在に生れるのである。そこに死して生れるものとして現在は絶対の無である。

 私は大人とは自己を殺して世界として甦った人であるとおもう。自己は斯くあるという のではない、現在を自己の初まりとして、現在に死に、現在に生れるのである。過去と未来を截断して、今に生きるのである。そこは自由であり絶対の無である。大人とは絶対の無にして、無なるが故に過去と未来を真に生かす人であるとおもう。世界の創造的形成の創造線に沿う人である。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

日本的時間:春期研修旅行参加の記

 奈良に入って気のつくことは重厚な邸宅の多いことである。以前に何かの本で紀伊路から大和路に入ると、家並みが立派になるのでよく解ると書かれていたのを思い出す。其の本によると大和は天領で租税が四公六民であり、役人の数も少なくて悪辣な行為もなかったらしい。それに対し紀州徳川家では、耕地の少ない領土の上に、御三家の体面を保つために、非道いときでは八公二民という誅求を行ったらしい。そこには役人と住民の争いのあったのは当然である。家並みの差は三百年の蓄積の差であったのである。

 途中車が道を間違えて進めなくなってしまった。近所の人が出て来て手を振ったり、口々に何か喋っている。私の坐っている窓の正面には四十才位の女性が、自分の家の窓から隣のコンクリートブロックの塀に足を掛けて見ている。私はそのざっくばらんな庶民性に思わずほゝえみが浮んで顔を見た。この辺の距てのない生活のありさまが見えるようである。気兼ねなく暮せるということは美徳の一つに数えてよいであろう。車は二度三度右に向きを変えようとするが曲れない、止むなく千米程歩いて行くことになった。雨が止んでさわやかであるが歩くとさすがに暑い。途中新築の豪壮な家があった。誰かが「寺よりあの家が見たい」と言っていた。登り坂の千米はややきつい。

 一万株と案内に記された牡丹は大方散りはてて厚い葉が風にそよいでいた。牡丹の花は美しい丈に崩れた姿は無残である、反り返った花びらが二片三片、突き落とされるようになって下を向いている。しべは伸びて細くなり、輝くような金色は疾うの昔に忘れてしまったようである。散った花は土に埋く積っている。花体を成さない花びらは何となく疎ましいものである。その代り芍薬(しゃくやく)の花が満開であった。炎え立つような真紅の花が多かった。併しそれも広い牡丹園の一隅をのみ占めるとき、却って寂莫の感を深めるものであった。或はそれは期待に対する失望感であり、老いの深まる私の感情移入であったかも知れない。当麻寺に入って先ず目についたのは、境内に渡された長さ六七十米、巾二米ばかりの木の組橋であった。それは本日の御練りに、中将姫が西方浄土へ渡御すべく作られたものであると思わせた。私は見ながらこのような説話を作った時代的土壌に思いを馳せた。平安時代に於ける浄土欣求穢土遠離の思想は凄まじいものであったらしい。輪廻転生を信じた人々は極楽に生れんことを希い、地獄に生れることを非常に恐怖したらしい。罪を逃れんが為に当時の王侯貴族は、財と時間のゆるす限りを吉野・熊野に詣ぜたと記されている。名を忘れたが或天皇の如きは十数回も熊野行幸をされ、その内幾回かは険難な道を撰んで 御自身難路を徒歩で行かれたというのを読んだことがある。その為に朝廷の財政の逼迫もかえり見られなかったようである。

 一見華かに見える平安朝の宮廷は、陰謀と奸計の渦巻く所であったらしい。父子相背き、兄弟相食むというのは常のことであったらしい。虚言と殺戮は自分が生きるための欠くべからざるものであったようである。そして彼等はその自分の罪に怖れおののいたようである。それ程怖ろしければ為なかったらよいように思う。併し当時の氏族制度に於ては、自己の意志は氏族の意志によって決定されるものではなかったかとおもう。個人を超えた大きな意志が否応なく押し流し、駆り立ててゆくのである。一族が意志としての行動単位であり、その頂点として一族の栄枯を担うものとして、罪へと入ってゆかなければならないのである。

 中将姫は二十九才で夭折したと誰かが教えてくれた、小さいときは継母に非常に虐げられたらしい。それが蓮糸で曼荼羅を織る仏への帰依によって、極楽浄土へ行けることが出来たらしい。それはその時代の上下挙げての一つの救いであったであろう。上は身を苦しませ、仏への帰依によって極楽に行けるという希望をもたせ、下は今はこんなに虐げられている。併し帰依によって来世は楽が出来るんだという希望である。そして多くの人々は自分を中将姫に化して、荘厳な儀式に自分が極楽に行く幻想をもったのであろう。

 おそくなった昼食を伝えてくる、奥の院の隣の中の坊へ入るようにとのことであった。 中に入ると大きな玄関の中の薄暗い所で、幾人かの僧が物を並べて売っていた。それは実に殺風景であった。併し上り所はこちらと言われて、向きを転じたときに見えた堂の桧葺きは見事であった。時代に錆びた黒褐色の重厚な屋根はよく、堂内の荘厳を閑寂に包んでいる。立札があって奈良三名園の一つと記されている。それよりも腹の虫に餌をやるのが大切である。下駄を脱ぐと立っていた女の人が「一番奥の室に行って下さい」と言った。曲った廊下を人の後についてゆくと既に半分位席がふさがっている。蓋をとると寺院の常とする精進料理である。誰かが「こんなん食どったら健康によいやろなあ」と言った。きっと糖尿病か高血圧に悩まされているのであろう、同病相憐む、同感の思いで食べる。後人々が上を向いているので見ると、天井絵が一杯貼ってある。つまらん絵だろうと思って案内を見ると、私ももっている著名な仏画家木村武山の名があり、其の他幾人か私の知っている画家の名が出ている。私達門外漢が知っているというのは、その世界に入って見ると大概大したものである。私は名前によって評価を変えてゆく自分の眼を嘲笑しながら再び見上げた。

 外に出て引卒されて二、三拝観に廻った後は、時間があるので自由に行動せよとのことであった。皆はさすが歴史を知る会の会員、旺盛な学究心はたちまち四方へ散って行った。私は本日の観覧の為に、特に用意された中の坊の門上の二階へと登った。ここは普段は使わないのであろうか、莚の敷いてないところは白い乾いた埃が堆く積んでいた。窓から見下すと見物は大分増えたようである。並んだ露店商の前を往来しながら、たこやきを頬張り、焼とうもろこしを嚙っている。私は子供の頃の祭を思い出していた。服装こそ変れ同じような情景であった。私はその昔も、その昔も同じような情景が連綿として続いたのではないかと思った。人々はこの行事のもつ近代的意義を求めようとしない、繰り返されることを当然としている。それではこのような行事の意義は何なのであろうか、私はそれを過去への結びつきに求めることが出来るようにおもう。現代でもよくコミュニケーションの場として祭りが催されている。併し現代のそれは近代的生産によって引き裂かれた人々の結合の意味である。農耕を中心とした昔に於ては生産が協同体的であった。古代の祭は超越者とのコミュニケーションだったのである。過去を現在の根源として、過去への結びつきに現在を超えた大なる生命を見たのである。

 日本人は歴史書に大鏡とか、増鏡とかいって鏡の字をつけたと言われる。鏡は写して自己を見るものである。日本人は理想とか、夢に自己を見ようとしたのではなく、過去に映して自己を見ようとしたのである。私達の小さい時でも一番大切なことはしきたりを守ることであった。昔の日本人はしきたりを守ることによって、社会秩序を守ってきたということが出来るとおもう。その必然として故事とか由緒とか言うことが大事がられた。浅野内匠守が殿中で刃傷の沙汰に及んだのも故事にまつわるものであった。手の引き様、足の出し様の一つ位何うだってよいと我々はおもう。併し昔時に於ては大名家断絶の一大事を孕むものであったのである。村の寄合一つにしても定められた席順というのがあった。そしてその一つを破ることも社会秩序を乱すことであった。人間陶治も亦忠孝貞信といった既成観念に素直になることであった。

 人間は物を作ることによって人間になったと言われる。社会とは物の生産と配分の機構であるということが出来る。物を作るに技術が必要である。技術は歴史的に形成されてきたものである。歴史的に形成されたとは伝統的であるということである。伝統とは未来へ伝えるべきものである。新しい生命が受け継いでくれ、より合理的な新しい形が生れるのが歴史的形成ということである。伝統は未来をはぐくむものをもつことによって伝統である。技術は自覚的生命の内容として無限の発展を内にもつものである。発展とは否定が肯定であることである。今の形が否定されて、より大なる能力をもつ新しい形が生れるのが発展である。物の製作に於て過去が未来を呼び、未来が過去を呼ぶのである。技術は未来に過去を映し、過去に未来を映すことによって進歩してゆくのである。

 天照大神と豊受大神を床に祀り、飯篠長威斎を剣聖とし、芭蕉を俳聖とし、柿本人麿を歌聖とした日本人は、何処迄も技術を過去への深化に求めたとおもう。過去に未来を映すのである。それに対して神の創造を終末観に捉えた西洋的生命は、未来に過去を映す方向に歩んだとおもう。日本的社会が因習に停滞したのに対して、進歩と発展の方向である。私はそれは歴史的形成の大なる流れの撰択であって、何方が善いとか悪いとかは言うことが出来ないとおもう。進歩には時の分断がある。そこに永遠の相は失われなければならない。現在問題となっている抽象的個人の、刹那的退廃の因子をそこに含んでいるとおもう。過去に映す方向は停滞の反対給付として、即天去私とか、わびさび、平常底、自然法爾に自己を見出して行った。

 今や世界は一つである。そして一つの世界は進歩と発展の方向を撰択している。歴史の流れは生命の大なる自己形成の流れである。流れを決定するものは流れ自身である。個人の恣意によって流れを変えることが出来るものでない。唯われわれも意志を有する歴史形成の個として、形成の課題を洞察し、より大なる世界への誘導をもたんとするのみである。斯る意味に於て歴史的現在が持つ課題は、私はよく言われる人間喪失と人間回復にあるとおもう。喪失とは進歩による分断である。回復とは全生命への共感である。

 前にも書いた如く自覚的生命の表現としての具体的なはたらきは、過去に未来を映し、未来に過去すことである。併しこの二つは相反する概念である。相反するものは同時に現れ得ないものである。歴史は何れかを優勢として動かなければならないのである。併し一方の行き過ぎは、一方の反撥として均衡をとってゆくものである。私は現在人間喪失を最も感じているのは日本人ではないかと思う。そして新しい世界観を確立するものも日本人ではないかと思う。勿論因習や停滞は許されない、進歩の分断を包むものとしてある。包むことによって真に進歩と個があるものとしてである。

 私は今少し紙面を借りて私の時間についての考えを暦によって検証したいとおもう。人間は暦を作ることによって初めて時間をもったと言われる。暦とは過去を参考として一年間の予定を作るものである。暦は経験の集積であると共に、来年の必要によって作られたのである。暦は過去と未来と統一としてあるのである。去年の中に来年があるのであり、来年の中に去年があるのである。私が過去に未来を映し、未来に過去を映すというのはそうゆうことなのである。そして過去と未来が出合うということが作るということである。私達が行為する今というのは、何時も過去と未来が出合うところである。われわれは記憶と願望が結びつくことによって物を作るのである。そのことは物を作るということは、過去と未来の延長をもつということである。時間の初まるところは過去でも未来でもなくして現在であると言われる所以はここにあるのである。

 訳の解らぬことを思ったり、考えたりしている内にお練りの時間が迫ったようである。 散らばっていた人々が橋のめぐりに集り、緊張に動きが止まって来たようである。四五人しかいなかった観覧席は人で溢れ、井上秀雄さんは「撮してくる」と言って出てゆかれた。「来た、来た」という声に目を凝して見ると、葉蔭の間に何か面のようなものが見える。やがて面を被った二人が現れ、其の後にやぐらのようなものを担いだ四人が過ぎ、稚児行列がすんで、仏面を被り、異様な衣裳を着けた十数人重々しい足取りで歩み去った。その後二人の仏面を被った男二人が、手を差し出し、足を踏みしめる勇壮な舞を踊って過ぎ去った。唯その一々が何を象徴しているのか知らない浅学な私は充分な鑑賞の出来ないのが残念であった。それでも日本の古代に触れ、古代の心を考え、我々の内奥に流れるものに思いを致し、思想を豊潤になし得た有意義な一日であったとおもう。

 小野に着いたときは大分暗くなっていた。 どうして帰ろうかと思っていたら内藤会長さんが送って下さった。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

東大寺サミット‘92参加と見学の記

 帰りの汽車の中で井上秀雄さんより、今回参加の記事を書いてくれと言われた。少々酔っていた私は即座に肯いた。そして一夜明けた今日、今度は少々後悔している。実はこの旅行は学究心といった大それたものではなかったのである。商売の出張で散々旅に出た私は、廃業してから三年半宿泊する旅行をしたことがなかった。それで一度外に泊った旅行がしたかったのである。

 併し全然興味がなかった訳ではない。私は私なりに東大寺建立に対して解くべき一つの課題をもっている。それは大なる失費による国力の疲弊と、人民の困苦である。その反対給付としての、飛躍的な技術の発展であり、偉大なる理念の表現である。曽って流浪者巷に溢れ、弱きは餓死し、強きは盗賊となって掠奪を事としたというのを読んだことがある。死者道辺に累ったと書いてあったようにおもう。而して斯る悲惨に顔を覆わない強靭な意志があって初めて、斯る大事業の完遂は可能であろう。それは個的感情を超えた世界意志といったものがはたらくのであろうか。例えば乃木大将が悲傷を胸にかくして、「進め、進め」と号令した如きである。そして斯る世界実現の意志を、如何に個的感情に感応させ個的意志に結びつけるかが統卒者の素質であろう。強靭な意志は世界意志の権化となるところより生れるのであろう。個と全の矛盾対立は流血流汗の残酷がつなぐのである。而してこの大事業のもたらしたものは実に大である。第一に用材の伐採、搬出の技術、河川、道路の整備、輸送用具の工夫、航路の開拓、石刻、鋳造の技術、更には大なる建築、装飾の技術、それ等は未来に限り無い可能性の展望を与えるものである。仏心の形相化は民衆の心の拠り処として心を一ならしめるものである。併し私にはまだこれ等を統一する論理体系をもっていないのである。

 電車の中で配られたパンフレットには、参加都市の名が載っていた。それは宮城県より山口県迄、日本本土を縦断するものであった。披いた私は当時既に強大な統一国家の実現していたことを感じた。勿論その中には第一次創建に関るものと、第二次創建に関るものがある。併し最北の宮城県の涌谷金山と、最南の山口県の長登銅山は第一次に関ることは、この憶測を否定するものでないとおもった。聖武天皇の夢を開いたのはこの強大な国家の成立であったのであろう。

 防府駅に降りた私達に近寄って丁寧に頭を下げた方がおられた。市の観光課の方が待って下さっていたのである。会長や飯尾さんと暫く話をされて、準備されたバスに案内して下さった。実に周到であり、其の態度は誠心を感じさせるものであって、私達を愉しくさせるものであった。そしてそれは町が変り、人が変っても、二日間を通じて変ることのないものであった。

 その日は防府の名所廻りとして、阿弥陀寺、防府天満宮、毛利公邸等を観光した。その内阿弥陀寺は重源上人の創建として、天満宮は日本三大天神の一つとしてという外は特に記すべきものが無かったようにおもう。唯阿弥陀寺は僧侶が、天満宮は神官が石段の下迄迎えに来ておられた。それは初めての経験であり、貴賓に接するものの如くであった。私はそれがサミットの重大によるものか、この辺りの恒例とするのか知らない。

 毛利公邸は明治の元勲井上馨が、建築技術の粋をあつめて造営しただけあって、その宏壮目を瞠るばかりであった。門に至る迄、及び門に入ってから玄関迄の道には両側に、剪栽の手の行届いた松が並んでいる。玄関の前は広くなり、右手に庭園に入る門が開かれている。靴を脱いで上ってゆくと、天皇宿泊の間というのが続いてあり、数奇を極めた格子天井は、今日の職人の日当を以って算えれば量り知れないものであるとおもわれた。一番奥の室に竹で囲いがしてあって大名火鉢が置かれていた。精緻を極めた金蒔絵は、千回もうるしを塗り重ねたであろう厚さをもっていた。恐らく豪家一軒に価する値打ちをもつものであろう。出ると女の人が居て二階へ上るように言われた。そこは庭園が一望に見下せるところであった。上る途中この階段の板は何とか言う木であると教えてくれたが忘れた。床に法眼栄川の落款の絵が掛っていた。眺めていると、横の人が「いい画ですか」と尋ねられた。私は栄川の名に記憶がなかったので「法眼は技芸の最高の者に与えられたものですから、幕府の絵所預りかはそれに準ずるもので悪くはないのでしょう。私はよく知らないのです」と答えた。その後その人は助役の山本さんではなかったかという気がしている。若しそうであればもっと礼をつくすべきであった。私はどうも粗忽でいけない。降りると博物館と記した板が立ててあった。入ると流石毛利家の宝物は凄い。入口から栄川のものがずらりと並んでいるのを見ると、恐らく毛利藩お抱え絵師であったのであろう。見てゆく内に梅花を描いた青緑山水があった。古木特有の枝の曲線が田能村竹田に似ている。唯竹田よりも稍繁雑である、近寄って見ると直入と書いてあった。名前を言うと二、三の 人が「わしも持っとる」「わしも持っとる」と言った。加西に二年程滞在していたと聞い たことがあるので、小野近在には所有者が多いようである。克明な父竹田の画風の継承は氏の誠実を思わせる。時間の制約があるので何うしても見るのは私も所有する作者のものになり勝ちである。そうゆう意味で記憶に残っているのは長沢芦雪の虎の対幅と、丸山応挙の鯉の三幅対である。芦雪の虎は他の絵に較べて略された線で書かれていた。一見粗雑なように見えたがその目はらんらんとしていた。私は日本画程眼睛を尊んだ絵はないとおもう。そこには感覚の快よりは、生命の気韻を尊んだのではないかとおもう。芦雪はこの眼が描きたかったのではないだろうかとおもう。応挙の鯉は彼の最も得意とするところであると幾度も聞いた。併し私の今迄見て来たのは残念乍ら複製ばかりであった。それだけに念入りに眺めた。精緻を極めた写生はさながら泳いでいるようであった。併しそれ以上は私には解らなかった。内藤さんが「一幅壱千万円なら買う」と言われた。私は内心「私なら二百万だ」とおもった。出口に雪舟等揚の水墨山水があった。読むと模写と書いてあった。恐らく蔵の奥深く秘されているのであろう。それにしても雪舟はこの近くに住んでいた筈である。それにしては作品が少ないように思われた。博物館を出てから玄関迄行く途中、建物の間に十数坪程の空間があった。そしてそこにもちゃんと石と木の配置があった。流石に違ったものである。玄関を出てから庭園を少時逍遥した。一万五千坪の庭は広大である。石木池水の配置は目を飽きさせないものであった。唯庭園の知識の乏しい私はそれを表わすべき言葉を知らない。

 夕飯のたのしみは今回の旅行の目的の一つである。日本料理双鶴と書かれた室内の一隅に腰を下した一行は、膳の来るや遅しとビールで乾杯をした。私はその後日本酒二本を註文した。歓談と昼の観光の疲れに、酒は快く体内を廻り、千金とも言うべき陶然とした気分になる。広瀬さんが女性二人と宗教論義を初められ、真言宗から空海へと移っていた。そこへ私が「空海の根本的な誤りは即身成仏をしたことにある」と口を挟んだ。そこで広瀬さんの猛反撃を受けた。論争を記述することは本文の目的より外れるので、一寸紙面を 借りて私の論旨の要点だけ書かせていただきたいとおもう。

 私達の身体は生死する身体である。しかし身体の内にある言語中枢は生死を超えたものである。昔語り部によって祖先の事歴を語り継いだと言われる如く、言葉は人間の始めと終りを結ぶものである。単細胞として発生した生命は、人間に於て六十兆の細胞と、百四十億の脳細胞の構造を形成したのである。我々の身体は三十八億年の生命形成の統一としてあるのである。われわれの一瞬一瞬の行為は斯かる統一をもつものとしてはたらくのである。而して斯る統一は一瞬一瞬の営みが形成してきたものである。瞬間が永遠であり永遠が瞬間である。われわれの身体は永遠と瞬間の相として生の相を実現してゆくのである。死と不死の矛盾の統一として生きているのである。

 般若心経の色即是空というのは、瞬間的なものが永遠の相としての形相を見出すことであり、空即是色というのは、時の統一として永遠なるものが瞬間の行為に表われることである。瞬間的なるものが永遠の相を見るとは、死して生きるということである。消えて現われるということである。死して生れないところに生命の動きはない。単細胞動物から大日如来の世界の実現を説明することが出来ない。空海が岩蔭に今以って食事をし、衣更えするというとき、曼陀羅は唯凝固した形骸として、現実を動かす力を失なったと言わざるを得ない。人類は空海の残飯に生きるのではない、はたらいて食うのである。

 サミットは三日の朝九時から初まった。主題は重源上人を語るであった。小野からは坂田大爾氏が発表者として高座の席に並ばれた。ライトに照し出された坂田氏は、その白哲の美貌に於て群を抜いていた。背すじを伸ばした姿勢は自信に溢れているようであった。三重県の大山田其の他の方が各地域に於ける上人の事蹟について語られた。その一々の詳細は書き切れるものでもないし、亦知っても仕方のないことと思うので心に残って、感慨を湧かせられたことだけ書きたいとおもう。その一つは上人が東大寺の僧ではないのに、多くの僧を置いて大勧進に後白河法皇によって推挙されたということであった。私はこれ程上人の力量、人間的魅力を語るものはないとおもう。該博なる知識、高潔なる人格、強固なる意志は勿論として、何よりも出会ったときにその人との一体感を覚えさせるものがなければならない。昔坂上田村麿は、怒れば髭が針金の如く逆立ち虎も恐れたが、笑えば幼児も寄ってきたというのを読んだことがある。命の次に大切であるといわれる金を出させるのである。暴力的強請によるのでなければ、その人に包まれるような力を感じなければならないとおもう。後白河法皇は上人に、世界意志と個人感情を結びつける力のあることを直観されたのではあるまいか。白皙の美丈夫坂田氏の発表も勝れていた。それは他の発表者が個々の事柄に着いたのに対して、上人の一々の事業を瀬戸内航路重視に結びつけたことである。一般論として重源上人を語るサミットとしては、事業家上人を語ること多くして、人間上人を語ることが少なかったことが不満であった。司会の女子大教授はそれに気付かれたのであろうか、時間を延長してエピソードを尋ねられたが不発に終った。

 その後で小学生の男女十四、五人による重源太鼓の披露があった。それは会の緊張をほぐしてくれて、まことにたのしいものであった。余程練習しているのであろう、幕が開いてライトに照し出された有様は、見事に並べられた人形館を見るようであった。大太鼓が一つ、後は酒用に使う四斗樽である。重源は酒呑みであったのであろうか、その一つ一つに小さな少年少女が微動はおろか、またたきもせずに立っている。やがて小さな口から切口上で、交る交るに由来を語り、琴が弾かれて、太鼓が打鳴らされた。

 この町の町おこしのキャッチフレーズは重源上人の町である。曽っては町おこしといえば殖産興業であった。重源と殖産興業は私には何うも繋りを見ることが出来ないようにおもう。或は日本は物質的なものよりは、時間の深さ、心の豊かさを求める時代となったのであり、その表れとしてこのような言葉が見出されたのであろうか。

 慌しく昼食を摂り、バスは佐波川の上流へと向った。上人が東大寺用材を調達したというところである。川幅はいよいよ狭くなってゆく。私は東大寺のあの太い柱となる材木を何うしてこの川から運んだのであろうかとおもった。聞くところによると、この流れのままではとても運べるものではないのだそうである。それで海迄の短い間に百八十もの堰を作ったのだそうである。そして水を貯めて流したのだそうである。私は技術の生れるところを教えられるように聞いた。

 バスの駐車した処に案内板があった。それによると伐り出した用材の巨きなのは、直径一、八米長さ三十米にも及んだらしい。伐採道具、搬出用具、搬出方法、人員の調達等は何したのだろうかと思った。書物によると上人は現在の山口県の支配を委されていたらしい。それにしてもこの峻険な山からの伐採、搬出は、現在の我々でさえ途方に暮れさせ るものである。

 聞くところによると上人は協力を拒む人々を詢々と説いて廻ったらしい。さもあろうと おもう、今次大戦に於けるわれわれの協力とは状況が違う。二次大戦は帝国主義的国権拡張の最後の時であり、世界中の書棚に愛国の文字が並んだ時期である。唯さえ貧しかった無知なる人々が何うして協力し得ようか、恐らく上人の魅力と、不退転の意志が成就せしめたのであろう、今でも協力した村落と協力しなかった村落に草がどうとかの言い伝えが残っているそうである。

 月輪寺の前に立ったとき、私は目が拭われたように思った。実にいい、厚い藁葺きの屋 根がやや白さびて、最も単純な三角の線をひいている。その下に柱と扉が簡素に並んでいる。今迄複雑な組木や、反り返った屋根の作りが棟を重ねているのを見て来ただけに、心の故郷といった思いを懐かざるを得なかった。それは他の寺院が目に荘麗なのに対して、住いを移してしずかに生を養いたいとおもわせるものであった。

 岸見の石風呂というのは、月輪寺を出たバスが、いくつかの山間を縫った山裾にあった。説明によると、佐波川上流から用材を運んだとき、非常な難事業で病人やけが人が続出、こうした人々を救うために石風呂を方々に造らせたそうである。それは小舎の中に炭焼かまどのようなものが築いてあった。中を覗くと両側に席のようなものが敷いてある。使用法は薪を燃して内部を熱した後、焚殻を掻出してから室内に入り、内部の熱気に浴したものとおもわれる。と書いてある。現在のサウナ風呂と軌を一にするものである。

 サウナ風呂といえばソ聯が米国と対立し、世界史のヘゲモニーを握っていた頃、中央アジアの世界の長寿地、飯尾さんによればウクライナとのことであるが、其処を調査研究したところ、健康の原因はサウナ風呂と乳酸菌であると発表してたちまち世界中に普及したものである。上人は斯る知識を何処から得て来たのであろうか。それとも炭焼きや、陶器作りから創出されたものがあったのであろうか、ともあれ重源は風呂作りが好きである。浄土寺にも湯屋跡があるそうであるが、到る処に作っている。それは恐らく愛情より出たものであると同時に、人心収攬術の一つであったのであろう。光明皇后の湯屋施療の逸話が残っている如く、それは広く行われたものであり、民心に大なるものを与えたのかも知れない。

 長登銅山跡は深い山中にあった。説明によれば本邦銅精練に画期的な変革があった証拠が学術的に発見されているらしい。併しそれは専門家の問題であって、われわれは唯鉱滓の埋った丘と暗い坑道を見るだけである。それよりも感心したのは、この深い山中迄観光課の方が来て、パンフレットを持って待っていて下さっていたことである。何の寺でも茶と菓子の接待を受け、心温るおもいに二日間を過せたのはこの誠意によるとおもう。

 それにしても歴史を知る会の旅行は、何時も内容が充実していて有難い。単に見るだけでなく掘り下げて考えられるものがある。会長、副会長、井上秀雄さん、原田さんに御礼を申し上げる。

 尚短歌百首作る予定であったが目まぐるしい行程で半分も出来なかった。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

具象と心象について

 短歌雑誌を読んでいるとよく具象・心象とか、写実・象徴とかリアリズム・ロマンチズ ムという字に出合う。そしてそれは相反し、相否定する概念であるらしい。何れが詩的表現の立脚的として根源的であるか、丁々発止とした論戦の見られるのも度々である。併しその論戦は何時も空転の感が免れ難いように思う。それは何れの側も自己主張のみがあって、相手の論点を自己の論点の中に包摂することが出来ないことに起因するとおもう。そこには不毛の平行があるのみである。そしてそれは写実なら写実、象徴なら象徴の出で来った本来への省察の欠除によるとおもう。相反するものがその根源性を争うということは相反するものは根源的一より出で来ったということである。斯るものに対して少し立入った考察を加えて見たいとおもう。その為に私は見るということは何かということから入ってゆきたいとおもう。

 鯛は深海にあっては人間の五千倍の明らかでものを見ることが出来るといわれる。併し見るのは敵と餌だけだそうである。禿鷹は三千米の上空より地上をありありと見ることが出来るそうである。これも見るのは餌となる野ねずみだけだそうである。物があって目が見るのではない。内外相互転換的にある生命が、内外相互転換的に生きるところに見るということがあるのである。動物にとって外は食物的である。食物を摂って身体と化せんとするところに見るはたらきがあるのである。動物は行動的である。行動には力の表出が伴う、そこに外は対立するものとなる。行動的として外に対立をもつとは、空間的な生命圏を形作ることである。見るとは内と外とが生命圏に於て一としてはたらくことである。外を摂取する行動圏が生命圏である。生命圏とは餌を獲る行動範囲であり、そこは生命の形相を実現してゆく世界である。摂取の行動を起すのは欲求であり、欲求は身体の飢渇より来るのである。見るというのは外に物があって目が見るのではない。生命としての身体の欠乏の充実として見るのである。生きんとする意志が見るのである。目とは身体が行動体として、生命圏の形成に身体を切り開いて流れ出る生命の機構である。視覚の発展は生命圏の創造的発展である。

 人間とは斯る生命が自覚的であるのである。人間のみにあって他の動物にないものは言語中枢であると言われる。人間は言葉をもつ動物であり、人間の身体は言葉によって動く身体である。欲求は言葉をとおした欲求であり、我々が見るとは言葉をとおした欲求に於て見るのである。言葉をとおした欲求とは、一瞬一瞬の内外相互転換を統一する、大なる生命の欲求となることである。言葉は昨日の我と明日の我を今に於て把持せしめるのである。昔語り部が個の生死を超えた歴史を語り継いだと言われる如く、過去をあらしめ、未来をあらしめるものとして、無限の生死の断絶を一つならしめるものである。無限の時が一であるとは、生命の一瞬一瞬の内外相互転換は技術的であり、経験は技術的形成として蓄積されるということである。斯る蓄積としての技術的形成が記憶である。蓄積が記憶であるとは蓄積をあらしめるものは言葉であり、言葉は蓄積として生命の初めが働くことであり、終りがはたらくことである。

 人間のみにあると考えられる文化はここより来るのである。初めと終りを結ぶ生命が蓄積として今内外相互転換的に行為していることが文化的営為である。経験を蓄積するとは昨日の経験が今日働く力となるということである。昨日の失敗が今日生かされるということである。過去として消え去ったものが現在を動かしているということである。斯る意味に於て蓄積は亦創造である。私はよく用があって書道塾に行くのであるが、古代中国の手本を傍に置いて熱心に筆を動かしている。古代中国の手本で習字するということは、習うものの中に古代書家がはたらくということである。

 経験の蓄積が技術的であるとは、内外相互転換が物の製作となることである。経験として過去がはたらくとは外を変革することであり、外を変革するとは、形作られた身体を内として、その秩序に外を構成することである。技術的形成として内が外となり、外が内となる内ははたらくものであり、外は物である。生命は何処迄も内外相互転換として、自覚的生命としての人間は物を作ることによって生活してゆくのである。

 経験を蓄積し、物を作るということは生得的な生命圏を超えて、生命圏を拡大し多様化することである。私は其処に人間の視覚があるとおもう。鯛や禿鷹より遥に劣る視覚をもつ人間は、望遠鏡や顕微鏡をもつことによって驚異的に視野を拡大することが出来た。私達の少年の頃は肉眼で見える星は南北半球合せて六千、それが望遠鏡では十万もあると言われたものである。それが今では百億とか言われる。単に望遠鏡のみではない、見えない黒い星とか、百数十億光年とか、宇宙の塵の存在の如きは、思惟として数理の如きが視覚の内容として働いているようである。微に入っては最小単位と見られていた分子が原子の構成よりなるものであり、原子は素粒子によって構成されているという。そこも亦理論が発見よりも先行しているようである。宇宙や原子の世界は、自覚的生命の欲求の形相であり、視覚の内容である。物を作る生命が拓いて行った生命圏である。

 以上いくらか私達の目というものを明かにすることが出来たとおもう。勿論短歌を作る 目は器械を介して見るのではない。直接この目で見るのである、持って生れた目で見るのである。併し単に生得的な目で見るのではない、言葉を介して見るのである。そこに私は物を介して物を見る目と同じはたらきがあるとおもう。

 生命が内外相互転換的であるとは、外が内となり、内が外となることである。外の拡大は内の拡大である。外に物を知ることは内に自己を知ることである。外としての物の形相に対するものは、転換としての一瞬一瞬の喜び悲しみである。言葉を介して見るとは、言葉が物の翳を背負うことによって一瞬一瞬を凝固させ、喜び悲しみに多様なる陰翳をもたすことである。言葉に凝固したものが一瞬一瞬に溶解し、更に凝固する。そこに喜び悲しみの展開があるのである。私は斯る展開の把握が詩であり、日本的形成の把握が短歌であるとおもうものである。それは喜び悲しみとしての言葉による蓄積である。蓄積は前にも言った如く初めと終りを結ぶもの、永遠なるものの具現である。蓄積が永遠であるとは世界を作るということである。ホメロスが、ダンテが、ゲーテが、人磨が我々に呼びかけ我々に応ふるものとなることである。過去、現在、未来の一々の人々が喜び悲しみに於て応答するものとなるのである。無数の人々の心の襞が自己の心の中に陰翳を作り、当面するよろこび悲しみに形を与えてくれるのが表現である。

 勿論我々の喜び悲しみの依って来るところはゲーテや人麿ではない、人と物、人と人との生きてゆく対立の矛盾である。人と物、人と人との対立そのことが世界形成であり、歴史的事件である。通常よろこび悲しみは私の中より起ると思われている。勿論私の中より起るのには違いない。併しその私は歴史的軋轢によってある私なのである。世界が自己自身を形作ってゆく一要素としての私である。そこに我々の表現衝動があるのである。我々の一挙手一投足は世界の自己具現である。世界の具現なるが故に一挙手一投足に世界を見ようとするのが表現である。

 世界として物と我とが相対し、それがはたらく現在の熔鉱炉の中に投げ入れられることによって製作があるとは、それが言葉によって把握されるとき、二つの立場があるということが出来る。一つは物からの方向であり、一つは人からの方向である。一つは作られたものからであり、一つは作るものからである。製作に於て人と物、過去と未来がそこに消えるとは無にして成ることである。無にして成るとは単になくなることではない。人と物とが相互否定的に格闘することである。人と物が愈々鮮明となりつゝ転換的に一ということである。無とか消えるというのは斯る転換が世界の自己実現であり、人も物も世界の内容として対立するということである。二つの方向よりの立場が成立するとは、否定的対立として、格闘することによってあるものとして、相互転換的に対手を帯びることによって全体を把持するものとなるが故である。物よりの立場も全体の相貌を帯び、人よりの立場も全体の相貌を帯びるのである。二つの立場は相反するものとして、全体の相貌に於て激突するのである。

 斯る立場から先ず具象について考えて見たいとおもう。具象とは字の如く象を具えたものであり、対象となるものである。対象とは見られたものであり、見られたものとは前に言った如く、欲求が外に象となって現われたものである。それは自覚的生命に於て物として我に対立するものである。具象とはその本質に於て物である。物は人間が製作すること によって実現するものである。人間が作るとは、内として形のなかったものが露わとなる ことである。無限に動的として形のなかった生命が、自覚的として自己自身を見たのが象であり、物である。無限に動的なる生命が自己自身を見たものとして、物は単に形として静止としてあるのではない。物は自己自身を超えて、呼声をもつものとして物である。勿論物はそれ自身に声を持たない、対象として主体としての人間に対するとき、その宿した時の深さ、技術の高さに於て見る人々に製作を呼びかけるのである。見る人々は其処に生命の大なる創造的発展を見、これも亦その創造線に参与せんと欲するのである。私はそこに写生とか、写実というのが主唱せられる論拠があるとおもう。

 人と物、過去と未来が相互否定的に一であるところは、物の生れるところであり、物の生れるところが事実の世界である。自覚的形成的世界は、事実より事実へと転じてゆくのである。物の無いことは死を意味し、物を作ることは力の表出を要する。物と人が相対するとは、物は死をもって我々に迫ってくることである。我々の喜び悲しみが生死の翳を帯びるものであるとき、喜び悲しみは物が担い、物によって見られるものである。アララギの観照としての写生が、生活詠に至り着かなければならなかった所以がここにあるとおもう。

 心象は具象が物に即したのに対して、言葉に即する方向である。物の象に対して、言葉は象なきものである。而して物の象は言葉によってあるのである。物は名付けられることによって自他相分ち、自他相分つことによって存在するものとなるのである。名の無き物の世界は渾沌に過ぎない。名付けられることによって自他相分ち、自他相分つことによって物があるとは、物の製作は言葉がはたらかなければならないということである。名付けられるとは一瞬一瞬の内外相互転換を超えるということである。時を超えて時を包む普遍者となるということである。時を超えて時を包むとは蓄積の内容となったということである。経験の蓄積は言葉に於て蓄積されるのである。そこに物は作られるのである。

 言葉によって経験が蓄積され、経験の蓄積が物の製作であるとは、物は言葉を宿すことによって物であり、物が言葉を宿すことによって物であるとは、言葉は物を宿すことによって言葉であることである。言葉と物は互がそれによってあるものとして対立するのである。自覚的生命は斯る対立を媒介として自己自身を形成するのである。対立を媒介とするということは、自覚が深くなることは対立が鮮明となることである。物が物自身の方に内面的発展をもち、言葉が言葉自身の内面的発展をもつということである。そこに物の方向に現実の意識が生れ、言葉の方向に想像の意識が生れるのである。

 想像は言葉が、内外相互転換としての情緒に結びついたものである。外としての物ではなく、内としての生命の方向に内面的発展をもったものである。私は心象をここに求めたいとおもう。よろこびかなしみは何処より来り、何処に去りゆくかを知らない。それは物の如く象をもたない、其処に言葉の自由なる飛翔がある。勿論それは物と断絶したものでない。言葉も情緒も形成作用の一面として反極に物を宿すのである。それは幻覚に過ぎない、否幻覚といえどもそれが身体より出ずるものとして物に関るのである。

 情緒や言葉に宿された物は質量をもたない、或は質量をもつとしても極少にされたものである。質量をもたないということはその可塑性に於て抵抗をもたないということである。言葉はその宿す物の形象の構成に於て、空中に楼閣を築くことも可能である。言葉が情緒と結合するという意味に於て、情緒の高揚と共に拡大してゆくのである。否想像が情緒を高揚させ、情緒の高揚が想像を拡大させるのである。

 自覚的生命が形成的であるとは、相反するものが何処迄も相反する方向に自己を限定してゆくことである。反極をもつことである。内外相互転換的である生命は自覚的となることによって、何処迄も内が内の方向に発展し、外は外の方向に発展するのである。そこに内外相互転換的に一であった生命は、絶対否定を媒介する一となるのである。一方向への展開は具体的な生命を失うものとして死への道を歩むのである。物はその象の固定化に於て、想像は根なき草として果てに滅亡をもつものである。死を救済し、生に転ずるのが否定的一である。想像は固定する物の象に流動を与え、生の流れに復帰を与えるものであり、物はその形の対立に於て、想像を誘発して止まざるものである。物の対立矛盾なくして想像はあり得ず、想像なくして物の新たな象はあり得ないのである。矛盾の果ての想像に理想があり、理想より見て現実があるのである。理想が大となることは、現実が愈々はたらくものとなることであり、現実が愈々はたらくことは、理想が愈々大となることである。而してこのことは理想と現実が愈々乖離することである。

 勿論芸術としての、短歌表現の具象と心象は現実と理想と同一ではない。併し私は多くの点で相似をもつとおもう。現実の方向に具象があり、理想の方向に心象があるのである。具象の方向は物であり、心象の方向は想像である。異なるところは現実と理想は生活そのものにつながるのに対し、心象と具象は生活の表象の意味を有することである。現実と理想が身体の存亡に関るのに対して、具象と心象は、生命形成の真実を何れがより深く言葉に捉え得るかである。

 前にも言った如く、自覚的生命の生命形成は否定を媒介する。否定を媒介するとは相互否定的に形成することである。具象が心象を否定し、心象が具象を否定するのである。象が心象を否定するとは、物が想像を実現することである。物に実現するときそこに想像はなくなる。心象が具象が否定するとは、物を想像の内容として、想像の展開をもつことである。言葉に於て形が形を生んでゆくことである。具象と心象は相互補完的である。相互補完的とは前述した如く、一方向のみでは自己の死をもつことである。他者によってあるのである。而してそれはあく迄他者によって否定され、他者を否定するものとして相互補完的である。リアリズムとロマンチズムは何処迄も闘わなけれればならないのである。対手が泣く迄言い争って相互形成をもつのである。

 闘うものは勝敗がなければならない。勝敗は時が背負ったようである。本来相互補完的なるものに勝敗のあるべき筈がない。併しそれが何処迄も対立する以上、何れかが主導することによって表現があるのである。そしてその否定として次の形が生れるのである。短歌に於て万葉の具象に対して、幽玄的なものを表そうとした古今は、仏老的観念を基底にもって物を見、言葉に表そうとしたということが出来る。斯る姿勢に対して痛烈な反撃をもったのが子規以下の写生であった。そして現在短歌は写生を如何に克服しようとしているかにあると思われる。全ての形は身体を媒介するものとして、生成・成熟・老化をもつのである。形は行き詰らざるを得ないのである。行き詰るとは無限に動的な生命形成の現在を担い得ないものとなることである。そこで相反するものが世界の動的形成の底より反撥してくるのである。斯る世界形成の呼び声が、歌人をして自己の使命を感ぜしめるのである。

 万葉に還れの大合唱に初まった近代短歌運動は、万葉的表現の模倣を目指すものでは決してなかった。古今集以来の作歌の根底にはたらく観念への挑戦であった。生命形成は更にその奥に直截なるものをもつことの直観であった。それは単に観念を否定するものではなくして、観念を包むものとしての現実の把握を目指すものであった。多くの人の写生論には浪漫主義を意識しての、写生の根源性の主張が読みとれる。写生の根源性とは浪漫主義を包摂するということである。現在短歌は斯る写生のより深奥に観念を見ようとするのである。そのことは近代写生のもつ理念が表現しつくされたということである。出口のない袋小路に追い込まれたということである。類型の枠より出ることが出来なくなったとい うことである。

 相互否定的なるものが、相互依存的であるとは何れも根源的ではないということである。根源的なるものは、両者が争うことによって形が生れてくるということである。争うことによって生れる形は、対立するものを含むより根源的な形であるということである。万葉に対して古今は一層根源的なものを見たのである。それによって万葉的立脚点から見ることの出来ないさまざまのものを見ることが出来たのである。近代短歌は万葉に還る精神として、更に万葉にも古今にも見ることの出来ない世界を切り拓いて行った。現代短歌は写生論によって見ることの出来ない世界を創出しようとしているのである。写生論者は或はこれを否むかも知れない。併し生れ来ったものは死すべく生れ来ったのであり、現われたものは否定さるべく現れ来ったのである。表現の世界は否定されるところにこそ意義をもつのである。

 具象の根源性が更に大なる心象の根源性を生み、心象の根源性がより大な具象の根源性を生むのである。そしてそれは歴史的時に映されるのである。一頃反戦を詠い、安保を詠う時局詠の如きが、新たなる短歌創造の内容の如く言われたことがある。併し対象を変えるだけで、新たな創造が出来る程安易である筈がない。それは翼讃短歌の如く言葉のみ壮にして、状況を離れれば戯画の如きが残る丈である。私達は現在の歴史的状況を詠うのではない。写生によって見ることの出来ない世界を観念より拓いてゆかなければならないのである。斯くして創り出された目が、歴史的現在の目となるのである。われわれは歴史の追尾者ではなくして、歴史を創るものである。歴史を内にもつのである。

 創造的形成は無限の発展であり、多様化である。併しその一々は奪うべからざるよろこびかなしみをもつ、赤人のよろこびかなしみは、茂吉のよろこびかなしみに換えることは出来ないものである。その意味に於て一々は完結をもつのである。前のものが後のものに否定さるべくあるとは、前のものは後のものの為にあるということではない、一々は自己の奥底を見てきたのである。斯る意味に於て否定とは対話である。そこに次のものが包摂してゆく所以がある。死するもの否定さるものは呼びかける永遠の声となるのである。若し写生が否定されたとしても、その生きて見出たよろこびかなしみに於て、作歌するものに呼びかけて止まないのである。そこに歴史を超え、具象・心象を超えた短歌的表現の世界がある。具象・心象はその中に成立するのである。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

抒情詩としての短歌の表現について

 動物の生命は行動的である。人間も動物として行動に於て生命を維持してゆくもので ある。斯る行動は何処からくるのであろうか、私はそこに生命の内外相互転換を見ることが出来るとおもう。内外相互転換とは内を外とし、外を内とすることである。それによって生命を維持するとは外を食物とし、内を身体とすることである。食物は身体ならざるものである。それを捕捉するために身体を動かすのが行動である。

 私は感覚と感情はここに生れるとおもう。我ならざるものを捕捉するために識別がはたらかなければならない。食物として適当なものと不適当なものの撰別がなければならない。感覚は識別作用であると言われる。感覚はそこに萌芽をもつのであるとおもう。食物を捕捉したときそこに身体は充足をもつ、その反対は空虚であり、奪われたときには反撃して取り返さんとする、そこによろこびかなしみ怒りの湧き来る根源があるとおもう。そこに感情があるのである。

 感覚と感情は行動の両端として行動に於て一である。行動に於て一であるとはこの両端を見ることが行動であるということである。感情は主体に即するものとして、感覚は対象に即するものとして相反するものである、相反するものが一つとして行動はあるということである。生命が行動に於て自己自身を維持するとき、行動は生命の具体でなければならない。行動に於て自己を実現してゆくのである。斯る行動がその一極に感覚をもち、反極に感情をもつということは、生命は感覚と感情に自己を見てゆくということである。感覚と感情が一なるところに生命の具体があるということである。

 行動に於て生命が自己を実現してゆくことは、行動は生命形成としての行動である。感覚と感情は生命形成としての両極となるのである。私はそこに感覚と感情の相即的な展開を見ることが出来るとおもう。相即的な展開とは、感覚は感情によって自己の展開をもち感情は感覚によって自己の展開をもつということである。内に感情がはたらくことが、外に多彩な感覚が生れることであり、外に多彩な感覚が生れることが、内に豊潤な感情が生れることである。それが行動に於て一なることが相即ということである。事実として感覚の識別作用は単に物に対するより起るのではない。例えば愛児が風邪に罹ったとき、わずかな力の衰えや、かすかな顔色の変化を識別するのである。われわれが畑を見ても種々な野菜があるなあと思うくらいである。併し栽培者は水や肥料の過不足、日照りや病害等をその葉や茎に見るのである。識別を動かすものは愛であり、愛はよろこびかなしみに現われるのである。よろこびかなしみが識別するのである。

 亦感情は感覚の識別の多様を内にもつことによってより深い自己の陰翳をもつことが出来るのである。画家は色彩の中に色彩を見ると言われる。画家はそれを描くことによって見てゆくのである。識別作用とは創造作用である。画家がチューリップを描こうとして新たな赤い色を見出したということは、視覚的生命をより大ならしめたことである。画家はそこにより大なるよろこびをもつのである。私達はその顕著なる例を陶工柿右衛門にもつ、椽側の板迄焚いたと言われる彼が、目差した色彩を実現したときそのよろこびは如何に大であったであろうか。そして私はその後の彼はこれ迄の感情生活を一変せしめる程の豊かなものをもったとおもうものである。それは勿論視覚に関るもののみではない、味覚に於てもより微妙な味わいを見出した料理人は、そこに言い知れない充足感をもつとおもう。私は豊かな人間とは、裡に何処迄も識別としての感覚を潜めた感情の持主であるとおもう。偉大なる人間とは大なる創作力をもった人間であり、大なる創作とは、大なる識別と統一であるとおもう。

 私は短歌を作るものであるが、短歌ではよく観念と具象が言われる。私はこの観念と具象に、感情と感覚の具体的な姿があるとおもう。観念とは主体の方に成立するものである。私はそこに感情に映された感覚を見ることが出来るとおもう。感情が感覚の陰翳を宿したところに成立するとおもう。識別の多に自己を見出してゆく主体的一の成立が観念であるとおもう。

 それに対して具象とは感覚の識別的多が感情的一を含んだところに成立するとおもう。具象とは一つの全体像である。例えば色彩がいくらあっても具象ではない。そこには意味による統一がなければならない。多の一々が全体の構成者として、全体を帯びるところに多があるのである。識別とは分けてゆくことである。一者が自己の中に自己を見てゆくことである。一者が自己の中に自己を見てゆくことは、見られた一々、識別された一々は全体的一者の姿であるということである。私は識別された一々が全体が孕むところに具象があるとおもう。そこに識別としての感覚的多が感情的一を含むのである。斯るものとしての短歌表現は如何にあるべきであろうか。

 私は短歌は抒情詩として生命形成の主体的方向に成立するものであり、識別されたものの方向ではなくして、識別するものとしての観念の表現であるべきであるとおもう。観念が自己自身を見るところに抒情詩があるとおもう。而して観念の表現なるが故にその内容は何処迄も具象でなければならないとおもう。前にも書いた如く、感情的一は感覚的多をもつことによって感情的一である。そこに感情は陰翳の深さを増すのである。嬉しいという言葉は嬉しい事ではない、嬉しいことを内容として出る言葉である。嬉しいという事は病気の孫の頬に赤さが戻って来たといった事である。それ故にこの場合抒情的表現としては、臥せている孫の頰に赤さが戻って来ただけでよいのである、それで嬉しいということは表現されているのである。生命営むと言ってもそれは何も表わすものではない。春の若芽のかすかな緑の移りを言うとき、そこに生命の営みは語られているのである。

 それは感覚的な識別の方向に見出される物が、物理学的な法則としての一般概念に捉えられるのと対をなすとおもう。自然科学が一般が個を包むのに対して、芸術に於ては個が一般を包むのである。若芽の緑のかすかな移りを見る目は、人類が限りない哀歓の上に養なって来た目である。具象で捉える根底には時間の普遍があるとおもう。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

自覚について

自覚とは自己が自己を見ることである。自己が自己を見るとは、見られたものものも亦見るものでなければならない。見られたものものも亦自己が自己を見るものであることによって自己が自己を見ると言い得るのであるとおもう。私達の自覚とは斯る無限の創造的形成の上に成立するのであるとおもう。

見られたものとは何か、それは森羅万象としてのわれわれを取り巻く環境である。草木瓦礫であり、虫類鳥獣であり、人類社会である。見られたものも亦自己が自己を見るものであるとは、斯るものの全てが自己が自己を見るものでなければならない。われわれ人間の自覚は斯るものの上に成立するのでなければならない。併し私達は瓦礫が自己を見るものであるとおもうことは出来ない。草木も亦意識をもつとおもうことは出来ない、意識なき処に自己が自己を見ることが出来るとおもうことは出来ない。而してそこには見られたものが見るものであるわれわれの自覚は成立することが出来ないと言わなければならない。見られたものが見るものであるとは如何にして成立するのであるか、草木瓦礫が自己を見るとは如何なることであるか。私はその為に深く自己の根源に還ってみなければならないとおもう。

生命は幾つかの元素の結合によって出来たと言われる。斯る元素は宇宙の爆発により、 最初素粒子が出来、素粒子から原子、原子から分子が出来たと言われるその分子であり、 その分子が集合して宇宙を構成すると言われるものである。 それによって宇宙が出来たとすれば、われわれの淵源も亦遠く此処に存すると言わなければならない。われわれも亦宇宙の一塵として、宇宙生成の一要素として、その内容としてあるのでなければない。即ち宇宙生成の中に人間生命の出現の胚種があったと言わなければならない。最初に全てが素粒子であったときに、素粒子は生命を胚胎すべきものをもっていたと言わなければならない。斯る素粒子が分子化の過程に於て気体となり液体となり、固体となり、岩石とな り、金属となり、空気となり、水となったのである。 それで生命も斯る中に生れたのである。斯る中に生れたとは宇宙生成の力動的関係の中に生れたということである。力動的関係の中に生れたとは、力として他者と相対立することである。他者と相対立するということは、他者によって否定されると共に、他者を否定せんとすることである。他者によっ て否定されるとは自己の消滅を意味すると共に、他者を否定するとは、自己が宇宙の全存在たらんとすることである。而して他者の否定として自己の肯定があるとき、全ての他者の消滅は否定すべきものの消滅として自己の消滅でなければならない。他者の消滅が自己の消滅であるとは、他者も亦消滅と全存在を両極としてもつものでなければならない。対立するとは消滅と全存在を両極にもつことによって対立し、そこに力動的関係が生れる のである。そして宇宙は自己の形を見出でてゆくのである。力動的関係とは宇宙の自己形成なるが故に、宇宙の一要素としてあるものは、否定の対象を失なうことは亦自己を失なうこととなるのである。力動的関係とは宇宙の生成運動である。生命は斯る宇宙生成の中より生れたものとして、常に対立が統一であり、統一が対立である。対立の方向に個の形成があり、統一の方向に宇宙の形成があるのである。

三菱化成生命化学研究所の柳川弘志氏は「生命は入れ物をもち、自己複製、自己増殖が出来、自己維持機能をもち、進化する能力をもつものである。すなわち細胞膜をもち、外界から自己を維持するのに必要な素材やエネルギーを取り込み、DNAの遺伝情報にしたがってタンパク質を合成し、その触媒作用によって種々の構成成分を合成、分解することの出来る進化する分子機械であるといえる」と言っておられる。入れ物をもつとは個体として成立するということであろう。細胞膜は必要とするものはどんどん取り入れ、いらなくなったものを外に排出するといわれる。それは外としての他者と対立するということであろう。取り入れるとは自己ならざるものでなければならない。他者を否定して自己となすことでなければならない。そしてそれは亦他者によって作られるものとして、他者によって作られるものである。自己複製が出来、自己増殖が出来るとは生命は形相実現的であるということであろう。形を高密度化することによって自己を見出してゆくということであろう。自己維持機能をもつとは生命が何等かの意味で不滅なるものを持つことであろう。維持機能をもつと言われるには、生命は滅するものであり、滅することを克服して生を保つものでなければならない。その根底には全体者が時間を超えて自己自身を見てゆくものがなければならないとおもう。進化するとは機能のより高い実現を目指しているということであろう。

生命の単位は細胞であるといわれる。無数にある細胞の一々が斯る生命の条件を具備するのである。細胞が無数にあってその各々が生存せんとすることは一々の細胞が他の無数の細胞に対するということである。恰も素粒子が他の素粒子に対する如きものである。それが細胞に於てはその特性に於て持続的形成的となり、はたらくものとその対象として主体と環境となるのである。生命の否定とは死である。対するとは相互否定的なることであり、相互否定的とは死をもって相対することである。環境とは生命にとって死をもって囲繞するものとして環境である。それは単に細胞が細胞に対するのみではない。細胞は細胞が出来った生命以前をも背負うのである。宇宙の力動的関係をも背負うのである。否細胞も亦力動的関係の宇宙の生成運動の中より出で来ったものとして、宇宙の生成の内容としてあるのである。斯るものとして私は環境の二重構造を見ることが出来るとおもう。一つは素粒子より生命出現迄の根元的な力である。一つは其の中より出で来った生命として生命が他の生命に対するものである。そして私は後者が環境としてより深大なるものをもつのであるとおもう。われわれは生命創造の尖端に立つのであり、単細胞動物より多細胞動物へ、水棲動物より両棲動物、更に爬虫類、哺乳類、霊長類、人類へと進化して来たものである。高度化したものは高度化したものに対するのである。 そして私は最も高度化したものとして人が人に対すところに最も高度なものがあるとおもう。環境として最も深大なるものは人間環境であり、社会環境であるとおもう。

生命が生命の環境となるとは、生命が食物連鎖としてあることであるとおもう。植物は 光合成に於て自己の必要とする物質やエネルギーを獲得する。併し動物に於ては植物が形成した細胞を獲得し、更にその動物を獲得することによって必要な物質やエネルギーを補給するのである。その世界は殺し合いの世界であり、弱肉強食の世界であり、自然陶汰の世界である。併し対立は形成であるところに世界形成はあるのである。対手を食べようとし、或は逃れようとするところより生命は様々の機能を創出するのである。桑原万寿太郎氏はその著「動物の本能」に於て驚異とも言うべき動物の本能の生態を紹介し、「本能行動の先生は自然陶汰であったようである」と言っておられる。以前にも書いたことがあるが、我々人間の祖先がまだ無顎類動物であった頃、同じ無顎類の巨大で獰猛なウミサソリに食われ続け、遂に背中に甲羅が出来てウミサソリが食うことが出来なくなって絶滅し、やがてその甲羅が身体の中に入って骨格となり、現在のわれわれの形体の基礎となってアメリカの著名な生物学者が「われわれはウミサソリに感謝しなければならない」と言ったというのを読んだことがある。同書には亦一億五千万年程前から六千五百万年程前の恐竜の時代に住んでいたわれわれの祖先が恐竜に食われ続け、それより逃れんが為に夜行性動物となり、脳量が他の動物と体積比四、五倍となり、同学者は「われわれは恐竜に感謝しなければならない」と言ったと書かれていた。食われることによって新たな機能と身体をもったのである。万の生命は食物連鎖であることによってより大なる能力を獲得したのである。生命はそこに自己創造をもつのである。人間は斯る自然陶の克服の上にあるのである。祖先の限りない闘争と死の上に今日のわれわれの生命をもつのである。

自然陶汰の世界は適者生存の世界である。適者生存とは環境を映し、環境に映されることである。環境を作り、環境に作られるのである。蟹は甲羅に似せて穴を掘ると言われる。併しその甲羅は生棲の条件によって作られたのである。映し映されるものとして生命の形は常に環境の総和の意味をもつのである。水中に棲む魚が鱗をもち、泥中に棲む魚がぬめりをもつ如く、棲むために気温、地形に適応した身体とならなければならない。斯る形態に於て他者との生存競争をもつのである。生死に於て新たな形態を獲得するとは、より大きく環境を映し、環境に映されるものとして、身体の環境の総和の意をより明めるものである。生命は死をもつことによってより大なる自己を見出でてゆくのである。内に否定をもち否定を媒介することによってより明らかな自己を見出でてゆくのである。それは全生命としての宇宙的生命とでも言うべきものである。生命と生命が生死をもって対立するものを内にもつものとして自己を見てゆくものは生死するものではない。それはより大なる生命でなければならない。それは形に見てゆく形なき生命として全生命というより他なき生命である。

数万年前ネアンデルタール人が墳墓を作り、花を供えた時より人間は人間になったというのを何かで読んだことがある。私はその事に深い共感をもつものである。墳墓を作ったとは死者と我とをつなぐのをもったということである。過去によって現在があるということである。生命の営みは一瞬一瞬の内外相互転換である。外を内とし、内を外とする止まることなき流れである。死者とわれをつなぐものをもったということは一瞬一瞬を超えるものをもったということである。内外相互転換を内に包むものとなったということである。花を供えたということは、過去と現在をつなぐいのちが死者によって喪われということであり、喪われたものを死者とわれが共に愛したものによってつなぐということである。

人間のみにあって他の動物にないものは言語中枢であると言われる。人間は言葉をもつことによって人間になったと言われる。言葉とは何か、言葉を作った人はないと言われる。作った人がないとは、誰のものでもなくて誰のものでもあることである。呼び交すところにあり、応答の内容であることである。限りない人々が呼び交すところより生れ来たったのである。誰のものでもなくて誰のものでもあるとは全ての人を包むということである。昔わが国に語部というのが有って民族の伝承を語り継いだと言われる。語り継ぐとは過去を未来へ伝達することである。それは過去と未来が呼び交すことであると同時に、言葉が過去と未来を包むということである。また人間は手をもつことによって人間になったと言われる。手とは物を製作的にはものである、製作するとは技術をもつことである。かかる技術は天より来たのでもなければ地から湧いたのでもない。環境と身体の闘いから出で来たったものである。而して単なる闘いから技術は出て来ない。そこに経験の蓄積がなければならない、無数の人々の無限の経験が行為的現在の一点に結合する時、新たな環境と身体の形が現われるのである。それが外の方向に物の製作であり、内の方向に技術である。技術の発展と言葉の発展は軌を一にすると言われる。私はそこに共に瞬間的な生命限定を超えてそれを包んだより大なる生命の自己限定が見られなければならないとおもう。私は人間が人間になったとはこの超越としてのより大なる生命の現れをもったことにあるとおもう。墳墓を作ることも、言葉をもつことも、技術をもつことも共に対立するものを超えたところに見られるものである。それは逆に言えばより大なる生命がそこに自己を露わにしたということである。より大なる生命とは何か、それは素粒子の対立を内容として宇宙が自己形成をもつ如き一者の成立である。勿論それは突然現われたのではない、初めからあったのである。それが対立の底に露わとなったのである。形成作用としての生命の底に翻ったのである。底から対立を写すもの、見るものとなったのである。私はそこにわれわれの自覚を見ることが出来るとおもう。自覚とは自己が自己を見ることである。この我が我を知るのが自覚である。併しての我から自己が何処より来たったかを知ることは出来ない。唯斯る自己があるというだけである。それは真に我の知的要求を満たす自己ではない、われわれの自己は自己を全人類に写し、全生命に写し、宇宙に写すことによってあるのである。無限の時間の中に高々百年未満で生死する生命はうたかた以外の何ものでもない。自分を馬鹿だと思っているものはないと言われる。斯る確信は自己を永遠に映すところよりくるのである。勿論永遠の自覚をもつというのではない。言葉をもち、技術的にはたらくとき、言葉や技術のもつ超時間性が意識下に生れるのである。真の自覚はこの意識下に現われたものが言葉に現われることである。旧約聖書の創世紀のはじめに神の霊水があったというのがある。太初に胚胎していた生命と物質に分れるべきものが、素粒子の中に分子を生み、分子の中に生命を生み、単細胞動物より多細胞動物、そして遂に言葉をもつ生命に達した時の深さがわれわれの確信を生むのである。道元は「此生、他生の最善最勝の生なり」という。宇宙形成の中核の感情より確信は生れるのである。

宇宙一なる生命がはたらくといっても、宇宙一なる生命があるのではない。あるのはこの我であり汝である。我と汝は個体として対い合うものである。それは動物の自然陶汰の流れを汲むものである。対立は相互否定であり、闘争である。われわれも亦相互否定と対立を失うものではない。動物の中より出で来ったものとして何処迄も闘争をもつのである。唯その闘争の意味が変質するのである。それは個体保存にのみ生きるのではない、われわれの身体が宇宙を写したものとして、写し返すものとなるのである。身体は宇宙が形成し 来った最後のものとして、身体より逆に宇宙を作るものとなるのである。そこに真に宇宙が宇宙を見るものとなろうとするのである、身体は創造的身体となるのである。技術をもっと斯る生命となることである。外に世界を作るということは、身体が内に世界をもつということである。身は外に物を作ることによって内に世界をもつものとなるのである。ここに生命は世界形成的となり、自己保存、種族保存本能は郷土愛となり、愛国心となり、人類愛となるのである。闘争は世界形成的自己の闘争となるのである。個体は世界を内にもつものとして個性となり、世界を内にもつものとして、己れの内なる世界を外に実現せんとするのである。人々はこれが世界の中心たらんとして争うのである。而して世界形成的に争うことは、世界が益々自己の形を露わにすることである。

かかる形成は何処迄も否定的形成である。世界を内にもつとは自己が世界になるということである。世界の中に消えてゆくことである。世界の中に死することによって世界を実現してゆくことである。そして斯る実現が世界を作ることである。而して世界を作ることは世界が我の中に消えることである。自己が世界を否定して自己が世界となることである。我が世界となることは世界が我となることであり、世界が我となることが我が世界となることである。この我が自己の中に見る世界を他にして世界があるのではない。併しての我は世界ではない。世界の中の一個物である。個物として個物と対立するものである。ということは無数の個物が自己の中に世界をもつものとして対立するということでなければならない。この我は無数の汝と対立するのである。斯る世界と世界が対立するところより言葉は生れるのである。而して対立は関り合うものとして一である。斯るより高次なる一が生れるのも我や汝の中である。我と汝が対立と統一の中から生れた新たな言葉をもち、対話するというのがより高い世界が出現したということである。われわれは人類として 無数の汝に対するのである。対するとは対話するのである。それは言葉に生きるものとし無限の過去と未来を結ぶものである。われわれが死ぬとは斯る中に死ぬのである。われは無数の中の一として、無数の人々の言葉の中に言葉をもつものとして、その言葉によってあらしめられるものとして、無数の他者によってあるものとして自己を殺すのである。自己を殺すとは無数の他者の言葉を自己の内容とすることである。自己によってあるのではなく、無数の他者によってあらしめられることである。而して無数の人々によってあり、その言葉を内にもつものとして、われわれは生死を超えて確固たる自己となるのである。

生死の問題は複雑である。それは我々が死を知るところより来るのである。死を知るとは死を自己の中にもつことである。死ぬ自己としてわれわれは死をもつと共に、死ぬ自己を知るものとして死を超えたものである。而して死ぬとは生死する自己が死んで死を知る自己が残るというものではない。死を知る自己が死ぬから死である。死を知る者にとって、死を知らないものの死は真の死ではない、死を知るものの死は絶対の死である。死を知るものはそれを生れたときよりもつ避くべからざる運命として知るのである、そこに不安と恐怖、死の限りなき悲しみがある。而してこの絶対の死こそが絶対の生へ転ぜしむるものなのである。限りない悲しみが己が存在の根源へと回帰せしめるのである。不安、恐怖、限りない悲しみは死を知るものの現在である。そこに言葉をもついのちに転ずるのである。転ずるとは言葉によってあらわれ、言葉によって生かされるわれとなるのである。無限の他者との対話が一なる中にあらわれ、そしてそれは無限の他者を自己の中にもつわれとして生きるものとなるのである。それは以前の生命が死して新たに生れることである。併しそれは生死がなくなったのではない、新たに生れたものとは以前の中より生れつつ以前のものを包むものとして新たなのである。死は依然として深いかなしみである。これを包むとは死へのかなしみをより大なる生へ転ずる契機と見ることである。生死のよろこび、かなしみを底深く湛えたものとなるのである。言葉は生死の中より生れたのである、それが逆に生死を包むものとなったのである。ここに宇宙的生命の開顕があるのである。宇宙的生命という特別のものがあるのではなくして、この我に即して開顕してゆくのである。対立が一として開顕してゆくのである。われわれの自己はそれによってあり、それによって生きるものとなるのである。自己がそれによってあり、それによって生きるのが客観的事実の世界である。われわれの自覚は客観的事実の形成としての自覚である。客観的事実とは宇宙の自己開顕である。

客観的世界は歴史的形成的である、その中に於てわれわれは対象を作り、対象に作られるものとなるのである。対象を作るとは、世界の中に作られたものが作るものとして世界に対し、世界を再構築せんとすることである。対象に作られるとは、われがあるとはどこも世界を写すことによってあるのであり、作った世界はわれの影を宿すものであり乍ら、世界としてわれわれはその中に生きるのであり、他者として外として対立し、否定し来るものとしてそれを自己の内容としてのみ生存をもち得るものとなることである。自己の内容とすることが写すことであり、作られることである。何処迄も写し写されるものとして形造ってゆくのである。作られた世界は写されて写すものとして更に密度の高い世界となるのである。作るものとしてのこの我は密度の高い世界を写すものとしてより大なる能力をもつものとなるのである。化学者ノーベルは対象の中から火薬という大なる力を人類の為にとり出した。併しその力はより大なる殺傷をもつものとして外として対立するものとなった。ものを作るとは自己の生存を対象に映すのであり、対象はより密度高い外としてより大なる危機として迫ってくるのである。縄文時代に入って大なる戦乱が多発したと言われるのも道具の発明に関るものとおもう。更に写し映され、作り作られるものとして、われわれは原子力機器を作り、化学製品を作り、電子機器を作った。それは飛躍的な生活の向上と共に、戦争として、環境破壊として人類滅亡の危機を孕むものである。私は歴史は常に危機と危機の救済としてあるとおもう。歴史的発展とは斯る危機の増大とその救済としての克服の無限の過程であるとおもう。生命は危機と救済として自己を形成してゆくのである。歴史とは斯る生命形成である。

作られたものが作るものになるとは、世界の中にあるものが世界に対立するものとなることである。対立するとは逆に世界を内にもつことによって、内の世界と外の世界が対立するのである。生命がその自己保存としての営為の経験を蓄積することである。自然の生命の流れを堰き止めて時の統一者として、自然の営為を自己の目的に構築することである。斯る蓄積を言葉によってもつのである。言葉とは語り合うものであり、それは無数の人々の間より出で来ったものである、即ち経験の蓄積は無数の人々によってあり、無数の人々によって担われるものである。実言葉は生産の発展、道具の増大と共に複雑化したと言われる。そのことは言葉によって道具の発展、生産の増大があったということである。経験の蓄積として歴史があり、無数の人々が対話するものとして蓄積を担うとは、対話をもつ無数の人々が歴史的主体となるということである。斯る歴史的主体が対象を作り、対象に作られるものとして危機を担うものである。危機は物と生命、主体と客体、我と汝の対立の中に必然的に潜むものであり、斯る対立を通じて世界が自己を形成するとは、世界は危機を媒介として自己を形成するものであり、危機は救済をもつということでなければ ならない。

世界が形成的世界として、対象がより大なる力を見出したということは物がより大なる言葉を孕んだということである。内と外に言葉の均衡が破れようとすることである。この救済は歴史的主体が新たな言葉を孕むことでなければならない。そしてそれはより大なる物の力の中より聞えてくるのである。われわれは危機としての呼び交しの中からその言葉 を聞き出すのである。それに従うものは生き、それに背くものは死ぬのである。そこに神の声がある。その声を聞くときわれわれは真個の自己となるのである。それは危機の世界よりの声を聞いたものとして大なる力であると共に、世界によってあるものとして絶対に無力である。世界が世界を運ぶ影として無なると共に、運ぶ世界を担うものとして絶対の有である。善も美もここより生れるのである。われわれは力の究極に神を置く、併し神とは外より大なる力がはたらくのではない、単に外にはたらく力は知りようがない。それはわれわれの根底としての我ならざるのである。無数の声の一が神の声であった如く、無数の力の一として、力の究極はあるのである。われも亦声をもつもの、力をもつものとして、われと汝の関りは深く神の大いなるものにつながるのである。神の中にあるわれは逆に自己の深奥に神をもつのである。超越的なるものは内在的なるものとなるのである。われわれはそこに大いなる言葉、大いなる力を得ると共に世界に運ばれるものとして、言葉が言葉を運び、力が力を運ぶものとして、それによってあるものとして絶対の無知無力となるのである。宇宙は言葉に満ち、力に満ちたものとなるのであり、われわれはそれによってあるものとして、それを返照するものとなるのである。

知るということもここからくるのである。田辺元博士はその著哲学通論に於て「肯定的 判断主観は自己に対立する否定者を予想し、自己の内に否定者としての汝を含む社会的な我としてのみ成立する。即ち直接なる肯定者としての個人的我に対し否定者としての汝を媒介として超個人的なる我に高められたる社会我が判断の主観となり、其内に於て個人的なる我と汝が相対立すると言っていい。而して我は汝に対してのみ我があるから、直接なる概念の統一に対応する主観は我として具体化せられた主観ということは出来ない。判断に至って始めて我というものが現れる。」と言っておられる。個人的我に対して否定者としての汝を媒介として超個人的なる我に高められるとは如何なることであろうか。低次なるものから高次に至る道はない、われわれは自己によって対立するものをもつことは出来ない、我と汝が対立するとは我と汝を包んだものの内容として対立するのでなければならない。即ち超個人的なるものに高められるとは、我と汝が対立することが我と汝を包んだ超個人的なるものが自己を露わにすることでなければならない。超個人的なるものに照されてわれわれは高められるのである。判断は超個人的なるものが自己を露わにしてゆく内容であり、判断に至って始めて我というものが現れるとは、超個人的なるものに照されて我は真の我となるのでなければならない。その我は判断の中より生れたものとして判断する我でなければならない。超個人的なるものが自己を露わにするとは、我と汝の対立が超個人的なるものに照らされたものとして照り返すことである。我をあらしめるものによって出で来る言葉に、我をあらしめるものを映し出すことである。そこに思惟があるのである。自覚として自己が自己を知るということもここより来るのである。」と書いておられる。博士も推論によって社会我が自覚せられると言っておられる。われわれが考えるとは世界が世界を運ぶ形としてわれわれにはたらくのである。われわれは考えることによって常にわれより出でて世界の中に入ってゆくのである。それは世界が世界を見る内容として世界が実現してゆくことである。

世界が自己の中に自己を見るとき見られたものは世界が実現したということでなければならない。そして実現した世界が更に自己の中に自己を見るところに世界がはたらくということがあるのでなければならない。私は歴史的形成というものも斯るはたらきとしてあるのであるとおもう。われわれの自己も亦歴史的世界に於て真にはたらく自己となるのである。以下私は歴史の様相を見ることによって自己を尋ねてみたいとおもう。前にも書いた如く歴史を成立せしめるものは主体と環境の相互転換を構成的ならしめる主体の技術の獲得であり、技術の具現としての道具の使用である。道具の使用によって内に転換すべき外としての物を飛躍的に増大せしめたのである。而してそのことは環境と主体の対立、我と汝の対立を解消せしめたのではない、否逆に飛躍的に増大せしめたのである。食糧の増産は人口の増大を招いた、人口の増大は生産の増大をもたらすと共に、凶作に於ける飢餓の増大をもたらすものである。生産が大となるに随って自然の暴威は大となるのである。治山治水に大なる労力を要求するのである。我と汝は生産物、生産手段の争奪をなすものとなるのである。伝えられる卑弥呼の項の天下大乱は斯る現れの第一段階であるとおもう。そこに強大なる力が要求される、その力は人間の結束であり、集団である。そしてその統率者は矛盾対立の増大につれて力を増してくるものとなるのであり、大王が出現するのである。大王の出現は亦奴隷の出現である。戦に敗れたものは単なる生産力として勝者に隷属 し、勝者の生活に奉仕するものとなるのである。戦乱は曽って経験しなかった酸鼻をもたらし、奴隷は勝者のあらゆる苦痛を押し付けられる悲惨の生涯をもつものとなったのである。集団のより大なる力への進展は組織が要求され、組織の進展はその頂点に立つ統率者を益々大ならしめて、遂には全ての力を統率者の所有とするのである。勿論統率者は個人として所有するのではない、全体表象として、集団の威厳として所有するのである。組織は組織の論理の要請をもつ、それは多数のものを一ならしめるものである。そこから新しい行為の基準が求められ倫理としての道徳が生れる。その内容は全体表象の状況によって決定されるのである。大王の統率の下に於ては統率者の仁慈と服従者の忠誠が要求されるのである。多数が一としての大なる力はその力の表象をもとうとする、それが表われるのは先ず衣食住である。衣は位階を表わすものとなるのであり、食は典礼の基礎となるのである。住は統率者の生涯を托するものなるが故に威厳を表わすものとなるのである。そこからは自己保存、種族保存を超えた形が要求せられる。斯る要求の中から生れた様々の形が芸術へと発展してゆくものである。併し衣食住は尚全体を表象するものではない、全体を表象するものは個々の生滅を超えたものでなければならない。先祖と現存する者と未来に生きるものを一ならしめるものでなければならない。それは例えば農耕生活に於て田や道具が祖先を負い、子孫を予測するものとしての必然である。そこに全てがそれによってあるものとしての超越者が要請される。それは最早感覚の対象としての形に於て見る べきものではない。言葉によって見るべきものである。併しそれには言葉を宣べる所が必要である。そこに神殿、仏閣、教堂の作られる所以があったとおもう。而してそれが形として現われた以上権威の表象とならなければならない必然をもつ、それは過去現在未来 を包む表象を要求するものとなるのである。そこに人類の栄光は打ち樹てられる。併し私がここで言いたいのは大なる栄光は常に大なる悲惨をまとうことによってあったということである。エヂプトのピラミッドは十万の奴隷が何十年かかかって作ったと言われる。私はその作業の間に牛馬以上に加えられた箸の数を思うものである。恐らく骨と皮に細った背に血を噴き乍ら石を運ぶ綱を引いたのであろう。我国の大仏殿も仏教に国家理念を見出した天皇が象徴として建立したと言われる。而してその失費は巨額を要し、ために苛斂誅求に苦しんだ民衆の路上に餓死するもの数知れず、強盗がはびこり、怨嗟の声国中に満ちたというのを読んだことがある。

歴史が対立が統一として矛盾的に動いてゆくとは対立が統一の中に解消することではない。対立即統一として矛盾が顕在化してゆくことである。対立が愈々対立することが統一がより大なる統一をもつことである。技術による生産の拡大と蓄積は人類の力の増大であると同時に、消費と安逸をもたらすものとして力を削減するものである。人は物の争奪に於て対立を尖鋭化し、消費に於て頽廃の淵に沈んでゆくのである。大なる文化の輝く都市はその裏面に悪徳の渦巻く都市である。われわれはホモ・サンピエスとして六十兆の細胞と百四十億の脳細胞をもつ有機体と言われる。この生命が生れては死に生れては死に乍ら環境を写し環境を形成してゆくのが歴史である。 生れてくるものは環境を映すものとして白紙として生れてくるのである。環境を映したものが生きてゆく事が環境を作るということである。争ひに生れたものは争ひを 育て、和に生れたものは和を育てるのである。光明に生れたものは光明を育て、闇に生れたものは闇を育てるのである。生れ来ったものは善を求め、或は悪を求めて生きるのではない、自己の生存を求めて生きるのである。生存は外を内とし、内を外とするものとして環境の中に生れ、環境を作るものとして生を営むのである。環境と生の相互限定として、悪にまれ、善にまれ一度生れた形は自己を肥大化させてゆくのである。斯くして世界は無数の個の対立としてある限り栄光と悲惨、善と悪の紋様を織りなして動転してゆくのである。われわれの自覚が歴史的形成的であるとは斯る構図の上に自己を見出してゆくことに外ならない。否定と肯定、対立の緊張の上に自覚はあるのである。

われわれは歴史を知るものである。歴史を知るとは、歴史の中にあるものが逆に歴史を内にもつことである。時の中にあるものが時を内にもつことである。無限の時間はこの我の中を流れるものとなるのである。而して時の中にあるものが時を内にもつとは矛盾である、そこに於て歴史を知るものとは生死に自己を露わにする永遠なるものでなければならない、ここに於て歴史を知るとは単に無限の経過去の知識をもつことではない。絶対の矛盾を絶対の同一として生死を永遠に包摂することである。併しそれは風呂敷が物を包む如 く包摂するのではない。生死するもの、対立するものが飜るのでなければならない。一々が世界の内容でありつつ、世界を構成するものとして対立するものが一なるものへと飜転するのである。私は断るものとして全ての人間が自覚の可能性を孕みつつ真の自覚をもつものは世界の底に宇宙的生命の声を聞いたもののみのであるとおもう。生死するものと永遠なるものの矛盾の葛藤に生きたわれわれはここに真の在処に参見するのである。歴史は常に危機と救済として動転する、而して救済は常にここより来るのである。

自覚者は宇宙的生命の実現者として、生死の淵に苦しむものの救済者として自覚者である。故にそれは善悪の審判者の世界ではない、全ては宇宙的生命の実現として「誰か罪なきものこの者を石もて打て」の世界である。「善人尚もて救わる、況んや悪人をや」の世界である、それ等の人の為にこそ涙を流すべき世界である。そこに善悪の価値判断が入るとき対立の世界へ堕するのである。それは我と汝の対立世界の判断であって真に自己の中に世界を見る所以であることは出来ない。

われわれは宇宙的生命の内容として、宇宙的生命の如何なるものかを知ることは出来ない、唯現れとしてあるのみである。それが対立の苦としてあり、一者の救済としてあるとき神の恩寵の世界、仏の大慈大悲の世界となるのである。われわれはその前に絶対の無となるのである。併しそれは世界がなくなることではない、否世界はそこより生れるのである。対立が統一として自己自身を見ゆく神は力の神であり、無限に創造する神である。われわれは無となることによって世界に現われるのである。無に生きるとは自己を捨てて世界に生きんとする無限の努力である。

長谷川利春「自覚的形成」

 

 

 

宇宙

 先日の新聞にローマ法皇がガリレオ・ガリレイの罪を赦免して、彼の肖像入りの切手を発行するという記事が載っていた。何を今更とおもう。多くの人は宗教のもつ体質に幻滅を感じたのではなかろうか、併し考えて見ればそれ迄の人類は天動説を不抜の真理と信じていたのである。斯る信は何処から来たのであろうか、亦最近の天体物理学によれば、宇宙は約二百億年前に爆発し、そのエネルギーは無限大であり、そのエネルギーによって膨張を続けていると言われる。それは果して誤りなき真実なのであろうか、仮説によって構成されたものとして、次の仮説によって修正されてゆくものなのであろうか、そうとすれば信ずべき宇宙というのはないのであろうか、信ずべき宇宙がないとすればわれわれは何故に宇宙への探求に駆り立てられるのであろうか、宇宙とは一体如何なるものであり、われわれは何を尋ねるのであろうか。広辞苑によれば「宇宙、(淮南子の斉俗訓によれば、「宇」は天地四方、「宙」は古往今来の意。一説に「宇」は天の覆ふ所、「宙」は地の由る所。すなわち天地の意) ①世界または天地間。万物を包容する空間。 風流志道軒伝「論語は第一の書②〔哲〕時間・空間内に存在する事物の全体。また、それら全体を包む ひろがり。 ③〔理〕すべての時間と空間およびそこに含まれている物質とエネルギー。〔天〕すべての天体を含む空間。特に、地球の気圏の外。以下略」と記されている。通常私達が言う宇宙とは天文学的宇宙であり、宇宙とはそれ等を一分野として包む全存在であるということらしい。それでは宇宙とは如何なるものであろうか。

 宇宙が時間・空間内に存在する事物の全体というとき、事物は時間・空間の内容であると共に、時間・空間は事物の形式であるということでなければならない。すなわち時間・空間としての全存在は事物の存在の様相でなければならない。空間とは形をもつものであり、時間とは形が変じてゆくものである。時間は過去、現在、未来をもつ、過去は現在ならざるものであり、未来は現在ならざるものである。時は一瞬の過去にも還り得ないと言われる如く、無限に変じてゆくものでなければならない。併し変じてゆくとは過去、現在、未来として変じてゆくのである。過去なくして現在はなく、現在なくして未来はない、そこに於て変化するものは一なるものでなければならない。変化を超えて不変なるものがなければならない。空間が形をもつとは形と形が対するということである。一つの形というのは何ものでもない、形というのは他と区別することによってあるのである。他と区別するものは対立するものである。対立するものとは否定し合うものである。否定し合うとは対立するものを変ぜんとすることである。相互否定の中から新しい形が生れる。前の形は否定された形として、新しい形は現在の形として形より形へ空間は自己を維持してゆくのである。時間が変化を超えた不変なるものがなければならないとは、時間は空間の中に消えてゆくのであり、空間の形が対立するものとして変化によって自己を維持してゆくとは 空間は時間の中に消えてゆくことである。そのことは時間・空間を超えて時間・空間的に 自己を限定してゆく一者があるということでなければならない。宇宙が時間・空間内に存在する事物の全体というとき、宇宙は時間的・空間的に自己を限定してゆくということでなければならない。変ずるものが不変なるものであり、不変なるものが変ずものであるとは宇宙は時間・空間的に自己を形成してゆくということでなければならない。宇宙とは自己形成的であり、時間・空間は形成の両極としてあるのである。全てあるものは時間・空間的にあるのであり、あるものとは宇宙が自己の中に見出でた自己である、そこに宇宙とは時間・空間的に存在する事物の全体ということが出来るのである。われわれ人間も亦時空間的にある、即ち宇宙の内容として、宇宙が自己の中に自己を見たものとしてあるということである。私はそこに宇宙の現われとして、この我の中に深く入ることが宇宙と は何かを明らかにする所以であるとおもう。

 宇宙は無限大のエネルギーの爆発に初まり、初めは素粒子のみがあったと言われる。一斯かる素粒子がヘリウムと水素を作り、更にヘリウムと水素から種々の分子が出来、分子から生命が生れたと言われる。最初素粒子のみがあったとき、素粒子と宇宙の関りは如何なるものであったであろうか、私はそこに一々の素粒子が宇宙の本質を担うものであったということが出来るとおもう。本質を担うとは、一つの素粒子を知ることは全宇宙を知ることが出来ることである。素粒子が原子を作り、原子が分子を作ったということは、原子・分子の一々が宇宙を宿し宇宙を構成するものであるとおもう。一々が宇宙の構成要素であることが自己の中に世界を持つことである。生命はその中に生れた新しい形として更にそれを鮮明たらしめたものであるとおもう。生命は宇宙の更に鮮明な形としてあるのである。宇宙は生命として自己を明らかにするのである。

 生命は内外相互転換的である。外を内とし、内を外とすることによって形作ってゆくものである。摂取と排出によって形相を転換してゆくのである。斯る転換が形成作用である。植物の光合成作用を基幹として、それが動物に於て食物連鎖となるのである。食物連鎖の世界は動物に於て自然陶汰の世界である。動物にとってそれは死との対面の世界である。食われるものは勿論死である、食うものもそれが獲得出来ないときは死である。そこに 生死をかけた闘争がある、而して動物はそこによりすぐれた新しい機能をもつ生命となるのである。如何にして遁れとし、如何にして捉えんとする所より、より大なる能力が生れるのである。生存として獲得したより大なる能力は遺伝にまれ、学習にまれ個体を超えて種族の内容として維持してゆくのである。より大なる能力を獲得するとは、より大なる時間と空間を自己の内容とすることである。より広く、より永く行動し得る身体となることである。宇宙が生命に於て自己を明らかにするとは身体に於て明らかにするのである。一々の身体はその内包に於て宇宙に対応するのである。この我の身体を除いてこの我の宇宙があるのではない、この我の宇宙なくして宇宙一般があるのではない。若しみみずに意識があると仮定してその宇宙像は如何なるものであろうか、みみずはそのもつ行動能力に従って宇宙像を描く以外にないであろう、それはわれわれと著しく異ったものと思わざるを得ない。ふくろうは目が殆んど見えず、遠近をわれわれよりはるかに優れた聴覚に於てもつと言われる、斯る感覚によって構成される宇宙像もわれわれより異っていると思わざるを得ない。併し私達は、宇宙が自己の身体に即するといっても私達の恣意によって宇宙があるとおもうことは出来ない。任意に作れるものは宇宙ではない、普遍妥当性として万人が肯わなければ宇宙ではない、われわれは宇宙の中に存在するものである。斯る宇宙は 如何にして考えられるのであろうか。

 私はそこに人間生命の自覚があるとおもう。生命は身体的形成として摂取と消耗の絶えざる転換である、一瞬一瞬の絶えざる動きである、自覚とは斯る転換が蓄積的となることである。動物として行動によって食物を求め、獲得することは技術的である。蓄積的であるとは斯る技術に於て以前と現在が結合することである。例えば昨日獲物が穴に落ちて動けなくなっているのを捉えたとする。すると今回は穴を作ってそこに追い込み動けなくして捕えるというごときである、昨日と今日が捕獲に於て結びつくのである。内外相互転換としての技術はここに製作的技術となるのである。前肢は手として外を変革するものとなるのである。作られたものとし生れ来った身体は作るものとなるのである。われわれは記憶によって過去をもつ、言葉によって蓄積し、手によって製作するのである。製作とは新しい形を生み出すことである。新しい形とは与えられた本能的なものによってはあり得ない形である。経験の蓄積によって死を生に転ずところより生れる形である、勿論本能的なものが無くなったのではない、それが構成的となったのである。無限の時点が現在の生死に於て新たな形として結びつくものとなったのである。

 製作はわれわれの身体の延長である。身体は宇宙の自己形成の内容として作られたものであった。宇宙の内容として作られたものが宇宙の形相として、逆に宇宙の形相を実現するのが製作である、そこに形を内にもつものとなるのである。斯る製作によって見出される形に空間はあるのであり、製作の力の表出に時間はあるのである。われわれは宇宙の一微塵として生れた、併し製作するものとして宇宙を内にもつものとなるのである。ここにわれわれは自己の自覚をもつのである。製作によって時間・空間があることは、時間・空間の中に存在する事物の全体とは、技術によって製作された事物でなければならない。作ることによって見られたものの外延と内包が宇宙でなければならない。内外相互転換の蓄積によって描かれてゆく世界が宇宙でなければならない。

 技術的・製作的世界は歴史的形成の世界である。人間が技術保持者として、歴史は何処迄も人間の生命形成である、手と言葉を有する製作的身体の表現として製作はあるのであり、人間は製作的身体として歴史的に自己を形成してゆくのである。併しその製作的身体は何処から来たか、如何なるものであることによって言葉をもち、手をもつことが出来たか、私達はここに私達を超えた生命を見ざるを得ない、知るべからざる深さの底に、われわれがそれによってあるものに触れざるを得ない。この我の現前を直証としてこの我に表われるものによらざるを得ない、私は製作もその根源をここに有するとおもうのである。経験の蓄積ということも断るものによってあることが出来るのである。蓄積が過去・現在・未来をもつということは無限の時をもつということである、存在の初めと終りを結ぶものをもつということである。初まる時を知らず終る時を知らないものが現在に現われているということである。私達は作ることによって見、見ることによって作るのである。その底には大なる生命の自己実現のはたらきがあるのである。人類が感覚に捉え得るものは全て斯る生命の表れである。私達が時間・空間の内に存在する事物の全体というとき、存在する事物は斯る生命の表れであるとおもう、私達はここに宇宙を見るのである。人間が歴史的形成的に自己を見でてゆくすがたは、宇宙が自己を見出てゆくすがたである。

 宇宙というとき私達は直に天体を含む無辺の空間に想到する、私は斯る空間とは上記の宇宙より空間的方向に抽象されたものであるとおもう。斯る空間も歴史的形成の内容としてあるのであるとおもう。先日の新聞にローマ法王廟ではガリレオ・ガリレイの罪を赦免した記念として切手を発行するということが報ぜられていた。これを読んだ多くの人は 恐らく失笑したことであろう、何を今更とおもう、併し古代に於て多くの人は太陽が地球をめぐると信じて疑わなかったのである。私も学ばなければ天動説を信じているであろう、そこに観測技術の進歩があったのである。内に数理論の発達があり、外に観測器具の発達があったのである。更に思いを及ぼせば人間が未だ猿の如く樹上生活を行っていた頃には、天体とは一体如何なるものであったであろうか。星座は放牧の民によって見出されたという、彼等はそこに自分の位置を知り、時刻を知り、行くべき方向を知ると同時に美しく統一された天の運行を知ったのである。 天体も、人間の生存の自覚的行為としての牧畜の中に見出されたのである。恐らく生存の自覚的行為としての技術をもたなかった樹上生活当時にとって天体は如何なるものでもなかったのであろう。天体としての宇宙の像は日進月歩とでも言うべき激しさで変化しているようである。私達の幼少時、天には十万個の恒性があると教えられた、それが今では一兆個の一兆倍と書かれている。宇宙は数多くの星が規則正しく運行する所と教えられた、それが今では発生と死滅を繰り返す、爆発に初まり、膨脹を続ける体系と書かれている。それらは全て観測器具と統一理論の技術発展のもつ展開である、斯る技術の発展は単に天体物理学の単独の発展にもつものではない、 歴史的形成の発展を分有するのである。望遠鏡の精度の向上には素材の発展から始まるのである。更に科学は仮説と実証によって成立すると言われる。私は仮説には人間の夢とでも言うべきものがなければならないとおもう。この我の内に、与えられた空間・時間より更に大なる時間・空間を構成する可能性と、意志をもつのでなければならないとおもう。この我が見ることが宇宙が宇宙を見ることであり、この我が見ることは宇宙が宇宙を超えて更に深大なるものを露わにしてゆくということである。私がわれわれが通常もつ宇宙の概念は宇宙の空間的方向に抽象されたものであるというのは斯る立場からであり、その根底に歴史的形成があり、宇宙の真の相をその根底に見んと欲するのである。

 私は宇宙的生命というのは何処迄も見るべからざる深さであるとおもう。自己の中に対立を含み、自己の中に自己を見るということは何処迄も見るべからざるものをもつということである。自己の中に自己を見るということは根底に還ってゆくことである、現在われわれに現前する世界の事物は人類が無限に自己の根底に還った表れである。斯る事物が見られたものとして、更に自己の根底に還ってゆくのが自覚的生命がはたらくということである。見るものが見られたものとして、見られたものが見るものとして、自己の中に自己を見てゆくのである。それは無限の形の現前である。私はそれを宇宙の現前とするのである。天体物理学に於ける仮説の如きも、それが仮説として真と言うべきものに非ざるものながら、宇宙が自己の中に見出でた自己として、現在の自己現前として真なるものでなければならない、自己の底に見出でた自覚的生命の実現としての実在性をもつのである。自己の中に自己を見てゆく無限の線の一点として、歴史的現在を構築するものとしての真である。天動説も、宇宙が宇宙を形成してゆく時の一点としての真実をもつのである。一点は自覚的形成の一点として無限の過去を担い、無限の未来を孕む一点である。太古牧童が天を仰いだ時より、未来に見出されるであろう天体像を内蔵する一点である。宇宙はわれわれの内にあるのでもなければ外にあるのでもない、宇宙が宇宙を見てゆくところにあるのである。自己の中に自己を見てゆくとき如何なる時点も抽象された時点としては誤謬である、移りゆく一点として否定さるべき一点である、現在は否まれるべくあるのである。自己の中に自己を見るということが既に否むべく見るということである。併しそれは形成的全体を蔵するものとして真である。形成的全体は初めと終りを結ぶものである。一々の点は自己の中に自己を見るものとして初めと終りを蔵するのである。そこに於ては立 所皆真である、嘘言も真である。

 ホモ・ サピエンスとして現代の人類は全て六十兆の細胞と、百二十億の脳細胞をもつと言われる。私は全ての人が等しい構造をもつということは、一人一人の人が社会構成の特殊点を担うということではなくして、一人一人が世界を映すということであるとおもう。機械の部品の如きではなくして、必要に応じて部署に着くのである。一人一人が形成的に世界を映すものとして特殊点に立つのである。鍛冶工も、清掃婦も世界を形成するものとして工場の隅、病院の廊下にはたらくのである。それははたらく世界の一員であることを知るものである。世界を映すものとして一事に従事するのである。一に従事することは世界を形成することである。証上に万法をあらしめて出路に一如を行ずるのである。斯かる世界形成が、宇宙が自己の中に自己を見ることなのである。宇宙が自己の中に自己を見ることによってある人間が、自己形成的に自己の中に自己を見てゆくことがはたらくことである。われわれのはたらきの一々は宇宙的生命のはたらきとして宇宙に即するのである。形成作用として初めと終りを結ぶものに対応するのである。対応するとは映し合うことである。そこにわれわれは小宇宙となるのである。小宇宙となるとは形成的に参加することによって、われが宇宙を映し宇宙が我を映すことである。内としてもつ表象と外としても表象は常に等しいのである。そこに形成作用はあるのである、外として見る世界は脳細胞の中に宿されているのである、それは宇宙の自己形成として宿されているのである。対応するとは、対面する全宇宙を小宇宙として内的表象としてもつということである。形成ということは絶えず形を生み出してゆくことである、形を生み出すとは現在の形を破ってゆくことである。現在の形を破るということが新しい形が生れることである。現在の形を破ってゆくものはこの我であり、汝である。それは全宇宙を内にもつ小宇宙がはたらくことに よってあり得るのである。一々の小宇宙が、内が外を映し、外が内を映すというは内が外を破り、外が内を破る形成作用ということである。斯る形成作用を除いて宇宙というものがあるのではない、而して小宇宙として宇宙の形を破ってゆくとは宇宙の形成要素として破ってゆくことである。宇宙は自己の内容の一々が自己を超え、自己を包む要素として自己を形成してゆくということである。十億の人が居れば十億の内的宇宙像があるのである。宇宙像に於て人々は宇宙に即し、宇宙に対応するのである、人々は斯る宇宙像が過去の無数の人々の作り上げた宇宙像を受け、それを映し、それを破ると知るのである、即ち 無数の人々が作り破って行った宇宙像が現在として一の像をもち、斯る像を映し破ることがわれわれが宇宙に対応することと知るのである。われわれが内的表象として宇宙像をもつのも、斯る無限の時間の上に構築された宇宙像に依ると知るのである。人類はその人間的同一を以って同一像を見、個人的差異をもって差異像をもつのである、そして個人の生死に於て人類の同一像に牧斂されてゆくのである。

 私は歴史的形成と宇宙的形成を分つものはその時間的差異にあるとおもう。歴史とは人間が人間として物の製作を始めたときからであり、所有の葛藤の限りない変遷にあるようにおもう。それに対し宇宙的形成をいうとき、宇宙創世よりの問いであり、人類が出で来ったものを包まなければならないとおもう。歴史は対立するものの否定と肯定である。果てしない治乱興亡である。併し歴史が成立するには治乱興亡を俯瞰するものがなければならない。古代と現代を一つに於て見るものがなければならない。併しそれは既に歴史を逸脱するものである。私はそこに歴史的形成は宇宙的形成を背景にもたなければならないとおもう。時の統一が成立するには自己の中に自己を見るということがなければならない。存在が自己自身を見るということがなければならない。それは相対的軋轢としての歴史より見ることの出来ないものである。勿論歴史もそれが形成である限り自己の中に自己を見ることによって成立するものである。一つに於て見るものがなければならないとは、斯かるものによって成立するということである。そこに私は歴史は宇宙的形成の上に成り立つとおもうのである。歴史的身体として製作するわれわれは製作に於て絶対に触れる、この触れる絶対は初めと終りを結ぶものとしての宇宙的形成にあるのである。宇宙的生命を根底として、歴史的形成はそれ自身の完結をもつのである。

 禅家に「父母末生以前の己を問え」というのがあるそうである。この我の来所が問われているのである。われわれは父母によって生れた。併し考えて見ればこの我が生れたというも実に偶然である。父と母が結婚したというのも偶然である。若し母が妊娠の日に父が旅にでも出ておればこの我はなく、他日異った者が出生したとおもう。まして父母未生以前といえば無というの他なき我の所在である。斯く問うときこの我の所在は濃霧の中の如きものである。併しての我は出現したのである。六十兆の細胞と百四十億の脳細胞の見事な統一として、世界を映し、世界を形成するものとして現前したのである。更に世界形成的に無限の過去と未来を結ぶものを内にもつものとして、小宇宙として宇宙と映し合うものとして、はたらくものとして現前したのである。私は私の来所をここに求めたいとおもう。この我は宇宙が宇宙の形相を更に深く実現すべく、宇宙的意志とでも言うべきものによって生れたのである。われわれは自覚的として自己自身を知る生命である。併し斯る自己を知るということも生得である。言語中枢はこの我が作ったのではない、もって生れたのである。もって生れたということはこのわれを作ったものが自覚的であるということである。私は宇宙が自覚的であり、われわれは宇宙の自覚の体現として自覚的であるとおもう。宇宙は物質でも精神でもないのである、無限に自己の中に自己を見てゆくものなのである。自己の中に自己を見てゆくものとして生命があり、自覚があるのである。言語中枢は斯る限定の果に宇宙が見出した自己のすがたである。そうゆうことは宇宙は自己を知ることによって自己を形成してゆくものであるということである。言語中枢に自己を見出したものとして、われわれの意識に現われたものが宇宙の相である。知らざる我の来所は宇宙の形成はこの我の出現の如く形成するということである。於世出現としてわれわれの一々は宇 宙と対応するのである。われわれは宇宙の形成的要素として、其の中に生死するものとして宇宙は量り得ざるものである。併しそれに対応するものとしてわれわれの自己は量り知るべからざるものをもつのである。

長谷川利春 

宇宙論と現代短歌

 最近の宇宙論は面白い。宇宙は創生直後は千分の一ミリ径程であったという。現在の宇宙には百億以上の太陽系のようなものがあるらしい。中には角砂糖位の大きさで十屯車十万台で運ばなければならないような重さをもつ径十キロ米位な星が無数にあるらしい。涯がないと思われる宇宙の総質量が千分の一ミリ径の中にあったとは想像を絶する。想像も出来ないものがあったとは楽しい。併し今ここで私が結びつけようとする短歌との関連はそのような内容に関してではない。宇宙理論の発展と対比しようとするのである。

 結論から言えば物質や光りの正体や、新しい物質は理論から見出されているということである。普通は物があって、物の動きを秩序づけ、法則として捉える。併し天体には見えるものによって捉えることの出来ない様々の動きがあるらしい。それには見える物が従来の計測値によって捉えることの出来ない動きをもつものとして現われる。それを捕捉するために或る質量をもった見えない物質を仮定する。それが後に発見されるのである。理論は勿論物質ではない、宇宙の一塵とでも言うべき地球の、その又一塵とでも言うべき机上の理論が億光年向うの物質であるべき筈がない。併し億光年向うの物質は机上の理論値の如くあるのである。それによって我々は宇宙の真実に迫るのである。

 私はこの物質と理論は短歌の具体と観念にその質を等しくするようにおもう。私達は物を見るのに注意作用をもつ、その注意作用は生命の形成としての欲求より起るのである。私達歌人は斯る形成的欲求を言葉の構成に於てもつ。言葉の形成は私達の祖先が長い生活の中に築いてきたものである。物を見て言葉を発し、言葉を出すことによって物を見出て来たことである。私達は小さいときから親や先輩に、美しい花だ、優しい小父さんだと言って教えられて情感を養ってきた。言葉をもって見るということは単に今言葉を出しているということではない。無限の祖先等の経験の目をもって見ているということである。私達が感じるということは常に限り無い時間がはたらいているのである。美しい、優しいというのは、花や小父さんから受取った私達のこころの動きの言表である。観念とはこのようなこころの動きの言表であり、具体とは花や小父さんに即した言表である。

 表現とは今の自己の相を明らかにすることである。私達は自己を明らかにするためにこの観念と具体が必要である。花も小父さんも今私達が目の前にし、或は触れているものである。具体とは何等かの意味で今此処にあるものである。それに対して美しいも優しいも限り無い時間に於て人類が見出してきたものである。観念は価値として永遠の相をもつものである。

 歓び悲しみは来るところを知らず、去るところを知らないものである。今泣いていた子 が笑っとると言われる如く、それは一瞬より一瞬へと移ってゆくものである。短歌は抒情詩として斯る感情が言葉に形をもつものである。一瞬一瞬にあるものは個物としての具体である。ここに短歌表現の具体に即さなければならない所以がある。それでは個物を見るものは何か、それは注意作用に見た如く観念である。永遠に映すことによって、我々は無限の過去、無限の未来を孕む自己に接するのである。

 一瞬一瞬を永遠に映すとは、形として現れるものは一瞬より一瞬へと移りゆく個物である。併しはたらくものは映されたものではなくして映すものである。永遠がはたらくものとして自己自身を見てゆくところにはたらきがあるのである。具体は観念の表出としてのみわれわれは創作をもつのである。注意作用の根底にあるものが観念であり、観念が映すということは、具体は観念の翳を帯びることによって表現があるということである。例を上げれば

 月見れば千々にものこそかなしけれ我が身一つの秋にあらねど

 この世をばわが世とおもふ望月の欠けたることもなしとおもへば

 同じく月に面しながら、ここに表わされた月は異なった相をもっている。前者は冷たく冴えて光量というものを感じさせないのに対して、後者は光り輝く月を感じさせる。ここには未だ明確な固定観念というものはない。併し作者が抱いている観念は主観の内容として観念である。私達がこの歌を読んで本当にそうだと共感するとき、この歌の内容が月を見る時に私達の目となってはたらくのである。そして作歌者の目と自己の目を結ぶものを知性は哀愁とか充実として捉える。そこに固定観念が生れるのである。

 私達は唯漫然と月を見るより、哀愁の思いや充実の思いを投げかけて見る方がよりよく月を見ることが出来るのである。強い注意作用が凝視を生み、中の微細な陰翳を見ることが出来るのである。月の兎の話や、かぐや姫の物語も、暗黒を照らする光りへの長い間の憧憬の中より生れたということが出来る。そして斯る物語りをもつことによって、月はますます光り輝く存在となるのである。ますます光り輝くとは、新しい光りをもつものとなることである。

 明治は、新しい時代精神が写生の観念を生むことによって作歌としての対象の世界を一変した。自然の受用より、物の生産の世界へ目が移ったのである。その時代精神に於て、実相観入は生活詠への転移を必然的に内在せしめていたということが出来る。そこからさまざまな新しい物が生れた。新しい物が生れたとは、意識が新しい陰翳に於て捉えたということである。同じもの同じ行為に時代精神の陰翳を加えたということである。

 前にもいった如く作歌は何処迄も具体としての表現である。而してその具体は観念に於て具体となるのである。密度高い作品構成は観念の深まりに於て成り立つのである。そのことは亦具象がより具象として精緻な姿で捉えられることである。私は創造するものは常により大なる観念を持たなければならないとおもう。

 宇宙理論に於ては、理論値に合わない物質の動きから新しい物質が発見され、新しい物質の発見から新しい理論が生み出されているようである。表現も亦生産手段と生産物の発展は、従来の観念によって捕捉することの出来ないものとなってくるのである。そこから新しい観念が生れる。明治維新より戦前迄は西洋的生産手段の招来と共に、人格・自由・個性・平等等の観念を尊重した、それは生産手段と腹背をなして日本の歴史的発展の基礎となった。個性の自由なる発想より新しい物は生れたのである。短歌も亦個性的であることが要請されたのは耳新しい。

 短歌表現は具体的でなければならないものであり、具体は観念によってより明らかになるとは、観念は具体の中に消化されることによって自己を露わとするということである。 瞬間的なるものは永遠なるものに自己を映すことによって自己を見ると共に、永遠なるものは瞬間的なるものに自己を映すことによって自己を露わとするということである。来るところを知らず、去りゆくところを知らない一瞬一瞬のよろこびかなしみに永遠なるものが形を成してくるのが抒情詩である。物の真に迫ることが、永遠なるものが自己を明らかにすることであり、永遠なるものを明らかにすることが具体をいよいよ具体ならしめるのである。具象に捉えられる短歌の本質は観念の深化である。併しその現われるのはどこ迄も具体である。

 詩人は地球の自転の音を聞かなければならないと言った人がいる。観念の生れるのは歴史的時の動きである。私達は深く時代の動きに耳を澄まさなければならないとおもう。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

子午線より

 舌うちしてポケットベルを止めたりし男いっきに珂琲を飲む 野瀬昭二

 子午線を流し読みしていた私の目はこの一首に止まった。行動的な男性像が不意に浮んだのである。私は歌を読み返し乍ら映像を鮮明にして行った。ポケットベルが鳴ったということは何か急用が出来たのであろう。舌うちは束の間の偸安を奪われたことに対するものであろう。併しここで狼狽することなく、舌うちしたというのは一つ余裕である。余裕とは向後に対する確信である。即ち事態に対応出来る練達者であることである。いっきに珈琲を飲むとは行動を開始したということである。その間断なき動作には、如何にもきびきびとした動きが感ぜられる。前に行動的な男性像と言ったのは、壮年に差しかからんとする筋肉質な男の姿である。眼前の一つの動きを捉えて鮮かな人間像を表現し得た手腕は高く評価したい。

 この一首に触発されて短歌欄を最初から読み返してみた。嬉しかったのは竹内ひさゑさんの健詠であった。あの年老いた細い軀で自転車を漕ぎ、歌会にいつも遅れて、いつも出席していた氏を見なくなってから久しい。病気と聞いたことがあるので、床に呻吟しておられるのかと思っていたら驚いた。出詠されている三首共皆巧い。簡潔でありつつ、ふくらみがありみずみずしい。殊に末首

 土少し双葉に残し傾きて大豆みどりに皆揃ひ立つ

 は克明な写生に作る者の喜びが溢れている。末句、きそひ立つとか、こぞり立つとかの言葉を入れたいような気持がするが、作品の方が落ち着きがあって味わい深い。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

生命は本能的であり、本能は衝動的である。生命が衝動的であるとは如何なることであろうか、広辞苑によれば衝動とは人の心や感覚をつき動かすこと。反省や抑制なしに行動すること。また、その際の心の動き。と書いてある。生命は無限に動的である。私は生命が動的であるとは断るつき動かすものを内にもつことであるとおもう。つき動かすものはつき動かされるものを超えたものでなければならない。超えたものとは動かされるものは動かすものによってあるということである。生命は形作るものである、形作るとは生長としての変化をもつことである。変化をもつとは自己の中に否定を含んだものである、否定するものはより大なるものでなければならない。変化を超えて変化を自己の現れとするものでなければならない。即ちつき動かすものは、つき動かされるものを自己の現れとして生長と死滅に於て形作るものでなければならない。つき動かすものは生命を生長と死滅に於て形作るものとしてつきうごかすのである。

私達は個体として人類の如きが断るものを担うのではないかとおもう。併し人類も生命形成の中より現われたものである。生命形成の三十八億年の中の近々数百万年以前に現はれたものである。変化の中に現われたものであって変化を現わすものではない。私は更に深く根底に還らなければならないとおもう。宇宙は爆発によって初まったと言われ、最初は素粒子のみであったと言われる。それからヘリウムと水素が生じ、やがて分子が出来、分子から生命が発生したと言われる。斯る新たな形が次々と生れたということは宇宙は形成作用としてあるということであるとおもう。形成作用とは、素粒子は分子となるべきものをもち、それを実現していったということである。更に生命となるべきものを胚胎していたということである。それらは全て可能性としてあったものが実現したということである。内に見出したということである。自己の中に自己を見出したということである。

斯る自己の中に自己を見るということが新たな形が生れるとは如何なることであろうか、私はそこに対立と統一の矛盾関係を見ることが出来るとおもう。先に言った如くわれわれは個体としてある。個体としてあるとは個体と個体が対立するものとしてあるということ である。対立するとは相互否定的としてあるということである、相互否定的とは対立するものを変革するものである、そこは常に新たな形の生れるところである。併し個体は対立するものとして、対者によって変革されるものとして自己の中に自己を見るものではない、自己の中に自己を見るものは対立を包んで対立を自己とするものでなければならない。私は斯るものを宇宙的生命に求めたいとおもう。創成のときより自己の中に自己を見ることによって今日のこの我をあらしめたものに求めたいとおもう。私は衝動というものも斯る所にあるとおもう、宇宙の始めより宇宙の動き来った力がつき動かすのである。本能は斯る形成力としてわれの知らざるところよりわれを動かすのである。

私は人間生命を自覚的生命として捉えんとするものである。自覚的生命とは突然異質なる生命が出現することではない、衝動的、本能的に生を営む生命が自己を見、自己を知る生命となることである。自己が自己を見るとは見る自己と見られる自己に自己が分れることである。そこに私は経験の蓄積があるとおもう。生命は生死としてある、生死とは内外相互転換的に形成することである、外を食物としてこれを身体に転換することである。生命は食物的環境と身体の綜合としてあるのである。綜合として生れるとは、食物的環境の中に生れるのである。食物的環境を外としてこれを内に転換するとは労することである。斯かる労力を少なくせんとするのが経験の蓄積である、少くするとは同じ労力をもって多くのものを獲得することである。獲得は時空を異にするものとして一回一回手段を異にする。蓄積するとはそれを前回獲った手段を今回に応用することである。例えば川があった為に獲物が逃げられず捕えたとする、すると次回は川の方へ獲物を追い立てる如きである。木の枝で打ったら獲物が仆れたので次は棒をもって行く如きである。

それは時間を超えて時間を包むものとなることである、衝動は一瞬一瞬の内外相互転換としてはたらくのである。本能は現在の身体の欠乏と充足に於てはたらくのである。時間は一瞬より一瞬へと転じてゆく、時間を超えて時間を包むとは斯る一瞬を内容として統一するものとなることである。一瞬一瞬は衝動として、本能として生命形成的である。斯かる生命形成を外にして単なる時間があるのではない。統一するとは外を内によって変革し、内外によって変革することによってより密度高い内と外とすることである。棒をもつとは棒を手の延長とすることである、延長とすることによって身体の機能をより大ならしめることである。それと同時に木を身体の内容とすることは外を変革したことである。それは更に外を身体の延長として利用せんとすることであり、環境を身体化せんとすることである。ここに私は見る我と見られる我の生れるところがあるとおもう。時を統一するものが見るものとなり、一瞬一瞬の形成が見られるものとなるのである。私は人間の身体を斯るものに於て見たいと思う。人間は言語中枢と手をもつことによって人間になったと言われる。言語中枢をもつことによって一瞬一瞬の経過を蓄積し、過去として記憶をもち、未来として理想をもつのである。手によってそれを実現するのである。身体は個体として対立するものである。併しそれは形成するものである。私は言語中枢をもち手をもつということは本能衝動の個体保存的身体より世界形成的身体に転じたものであるとおもう。自他の対立が形成的統一に向う身体となったのである。それは否定が奥底にもっていた統一が自己を現わさんとすることである。否定と闘争を内に見るものとして世界形成的となることである。私はわれわれの自覚はそこより来るとおもう。世界形成的として世界を映し、世界に映されるところより来るとおもう。人間が自覚的生命として、私は愛も亦生命が自己自身を見るところにあるとおもう。対立的に相互否定し合う生より、統一に自己を現わさんとする生命になったということが愛をもつ生命になったのである。言葉をもち、手をもったということが愛する生命となったということである。身体が世界形成的に転じたということは、対立する我と汝が世界を内にもつものとして相対するということである。そして斯る対立が世界であるということである。我と汝は世界の中にあるものとして世界を自己の中にもつのである。それは我と汝が世界を内にもつものとして対立することが世界が世界を形成してゆくということである。世界を内にもつものとして我と汝が対立し、世界実現的に争うことが世界が形成をもつということである。世界が形成されるということは世界を内にもつものとして自己を形成してゆくことである。我と汝が対立し、汝によって我が否定されることが我が生かされるということなのである。その逆も真である、そこは他者の中に自己を見、自己の中に他者を見るところである。そこに愛があるのである。

情緒とは身体が形成的に衝動的であることである。斯る衝動は先にも書いた如く世界の自己形成より来るのである。身体は個体として出現する、そこに於て情緒は世界に対する個体保存的である。斯る身体はその形成に於て世界関連へと成熟してゆくのである。根源的なるものが現われてくるのである。言葉と手をもつ身体となるのである。形成の根源的なるものの内容となるのである。そこに自覚がある。愛とは世界へと転じた身体の根源的情緒である。身体的形成の根源としての世界形成の情緒である。それは根源的情緒として原始的情緒に新たな陰翳を与えるものである。喜怒哀楽の如く特有の表出があるのではなくして、それに世界形成の陰翳を与えるのである。身体の衝動的形成の深化として愛は更に深く衝動的である。愛せんとして愛するのではない、愛せざるを得ないものとして愛するのである。知らざる声に呼ばれるのである。それはわれわれがそれによってあるものの深さより聞こえてくるのである。愛は惜しみなく与えるという言葉がある。それは自己保存の欲求的自己より見れば百八十度の転換をもつものである。喜怒哀楽はそこより来る喜怒哀楽となるのである。喜びは与うる喜びであり、怒りは与えざりし自己への怒りである。哀しみは与うるものなき哀しみであり、楽しさは与え切ったものの楽しさである。そこに世界に生きる姿があるのである。そこに世界が現われるのである。惜しみなく与えるとは自己を滅して対象の中に生きることである。他者を明らかにすることである。他者と我との世界として、他者を明らかにすることは世界を明らかにすることであり、世界を明らかにすることは我を明らかにすることである。 愛は世界実現的である。

私は斯るものとして愛は人格的でなければならないとおもう。人格とは世界の中にあるものが逆に世界を内にもつことである。世界が自己の内容として自己を形成することは逆に内容が世界を現わすことである。われわれは世界形成の内容として世界を表現するのである。斯る人格は個性的でなければならない、全てのものが同一なるところに世界はない。異なったものが世界をもつものとして、自己の世界を実現せんとするところに対立があり、それが対話に於て一なるところに世界形成があるのである。対立が一であるとはわれわれは社会生活を営むものとして、社会の無限の分化によって生きているということである。衣を作るもの、食を作るものを作るものと特化し、それが更に無数に特化し、それによってこのわれは生を保っているということである。無数の人々との関連によって一人一人が生きているということである。個性とは斯る世界連関の中に自己の最も良く生き得る所をもつことである。われわれは職業をもつことによって人格となるのである。世界を内にもつとは製作物が流通連鎖によって世界に関ることである。製作するものとしてわれわれは世界を内にもつのである。前にも言った如く世界を内にもつとは世界がこのわれによって実現しているということである。われわれが職をもち、物を作るということは無限の過去と未来が現在に於て実現したということである。素粒子よりはじまり、無限の未来へ転じてゆく宇宙的生命の現在点としてわれわれは物を作るのである。永遠の実現として、無限の時間を内にもつものとして人格はあり、人格の尊厳はあるのである。禅家に平常底という言葉がある。平常とは日日の営みである、服を着け、飯を食うことである。伝票に記入することであり、野菜に肥料を与えることである。底とは、その根底に至ることである。日日のはたらきをあらしめるものを把握することである。言葉によって表現し、体現に於て行動することである。

世界とは人類の表現的空間である。世界を作るものは無数の我と汝である、斯るものとして私は愛が最も深く表われるは我と汝に於てであるとおもう。我と汝というのがそもそも一つの世界に於て見られるのである。形成的世界に於て対立が一として我と汝があるのである。斯る世界の自己実現として互に相対するものの個性を認め、互の世界を育て合うのが愛の実現である。私達は自己の生れ来った所以を知らない。斯く生れんとして生れたのでもなければ、親は斯の産まんとして産んだのでもない、言われる如く神の授りものと して生れたのである。それが斯る個性を以って生れたのである。そのことは神が自己の姿を顕わすものとして生れたのである。個性をもつとはその性格的方向に世界を表すべく行動するものということである。世界は個性に於て自己を露わにしてゆくのである。個性的に世界は自己を実現してゆくのである。

対立が統一の内容となるといっても対立が無くなるのではない、否統一を内にもつ対立 として、愈々大なる対立となるのである。 受験競争、開発競争、企業間競争は世界を内にもつもの、言葉を内にもつものとしての対立である、対立は質的転換をもつのである。そ れは絶えざる競争である。形成はどこ迄も対立の統一である。世界を内にもつということ は力である。単に本能に生きるより、自己を世界の中に消して新たな形を見出すことはよ 大なる力を必要とするのである。私はそこに祖母の孫に対する愛、亦は肉親愛と言わる るものの真の愛でない所以があるとおもう。男女、母子、祖母と孫の愛は完結的であり、閉鎖的である、それは外へ出でることを拒否するものである。独占を要求するものであるそれは言葉のもつ世界性と相反するものである。それは本能の残滓を濃くもつものである。勿論本能も宇宙的生命の自己形成の内容として出現したものである。併し自覚的生命はその上に自己を見出したものである。自己完結的なるものは欲求と充足としてある、そこにあるのは繰り返しである。言葉は創造的形成である。自覚的として言葉をもつ生命はその成長に伴って自己完結的世界に耐えられるものではない、ここに私は転換が要請されるとおもう。対抗と緊張によって形成する世界へと転ぜなければならないのである。世界形成は力であり、個性を打ち樹てるとは力の所有者となることである、世界を内にもつとは努力である。私はここよりわれわれの愛の形は来るとおもう。世界の自己形成の内容としての我と汝として、我は汝に、汝は我に何処迄も深く自己の中に世界を見ることを要請しなければならないのである。本能的欲求的残滓を捨てて内に獲得した世界を以って対話することを求めるのである。既成の安易を捨てて新たな展望への努力を求めるのである。「可愛い子には旅をさせ」という言葉があった。昔旅をさすということは他者の中に放り出 ことであった。庇護なき所に生きてゆくことであった、そこに生きることは世の中の体得であった。そしてそれを子を愛する真の道と教えたのである。私はここに自覚的生命の自己形成があるとおもう。旅に出すとは豺狼の中に入れるようなものであった。それは肉親の情として忍び難いものである。併しそれを超えて出すべく世界が要求するのである。一個の人間が世界の形成要素として、世界がより大なる自己の形相を見ようとするところより要求するのである、そしてそれに応えるのがその人の成長である。そこに愛は自己の深層を具現するのである。

私は前に愛せんとして愛するのではない、愛せざるを得ないものとして愛するのであると言った。そのことは愛せんとすることが空虚であるということではない、愛せんとするものの根底に愛せざるを得ないものがあるということである。世界を内にもつものとなるとは意志をもつものとなることである。意志をもつものとなるとは内にもつ世界を実現せんとするものとなることである、そこに自己がある、われわれは行為するものとなり意志決定者となるのである。そこに於て愛せざるを得ないものは愛するものとなるのである。宇宙的自覚がこの我に於て実現するとき、愛せざるを得ない衝動は愛することによって実現するのである。世界形成としての我と汝は何迄も対立するものである、対立するものは否定し合うものである。それは何処迄も憎しみである。愛は生命の自覚的出現として純一である、併しそれを実現する身体は形成的として過去を背負うものである。われわれが母の胎内に於て最初に現れるのは水棲動物の形態の残痕であると言われる。それから両棲類の形をもち、哺乳類の形となり、生れたときは類人猿に似ると言われる。生命発生より人類が辿ってきた発展の系譜を全部体現すると言われる。身体が斯る系譜を内蔵するとき、情動は無限の過去の熔炉としてあると言わなければならない。愛が自覚的形成の情緒であるとは、斯る混沌の光被として出現したということである。それは過去を内容として形相を転換することである。本能は理性に照して混沌である。本能を新たな光りに照し出すことなくして愛の内容はない、内容のないものは何ものでもない、実現する愛とは対立するもの、憎しみ合うものの形を転ずるものである。

生命は一々が完結的である、完結とは外と内とが対立しつつであるということであ る。蛙の形は内外相互転換的に見出して来た時空を包む形である。道元は魚を以水為命と言い、鳥を以空為命という。そこは生きるものの自らなし来ったものである、内外相互転換の生命の表出が情緒である、情緒は身体の営みの表れである、犬の情緒は犬の生の表れである。その表れをなくしたとき、犬は死せるものとして犬ではなくなっているのである。乳幼児が類人猿に似た形をもつということは乳幼児は尚類人猿に似た情緒に生きるということである、本能的ということである。乳幼児の生命の完結は肉親との関りということである、肉親の情緒に生きるのである人間のみがもつと言われる言語中枢は遺伝であろう、併し言語は遺伝ではない、学習である。成長するとは学ぶことである、学ぶとは個として生死するこの我を超えた形相を我の内容とすることである、理性的となることである、秩序を学ぶのである、技術的構成的となるのである。ここに自覚的形成が本能に対して光被となる所以があるのである、自覚的となるとは本能的なるものが秩序的構成的となることである、本能的行動をより大なる生命形相に組織するのが自覚的形成である。

学ぶことが技術的構成的であることは最早遺伝的伝達を超えたということである。学ぶ者に対して教えるものがあるということである。本能の本に築かれたものとして、言葉そのものが生の形態として最初それは肉親が担う、併しそれはやがて生産体系としての技術に長じた者が師とし教えるものとなるのである。そこに肉親を超えた社会人としての我の確立を見るのである。そこに師弟愛が生れる、それは技術に生きるものとして世界を内にもつものとしての意志実現であり、世界を介して結ぶ愛である。技術は世界の自己形成として無限に深い、それを学ぶことは努力であり、苦痛である。師の愛は習得せしめんが為に叱る愛となり、鞭打つ愛となるのである。学ぶものの愛は師の中に潜められた世界の深さへの尊敬の情となるのである。世界を内にもつものとして、人格として、意志として愛するものとなるのである。私はここにより大なる生命としての愛の発現があるとおもう、愛するものとしての愛の深化があるとおもう。人格愛に於て愛は本来の相を現わすのであ る。肉親の愛も人格愛となることによって愛を完成するのである。それは親の子、子の親 でありつつ世界を内にもつものとして世界形成的な対話をもつものとなるのである。

神は万物を愛によって創ったと言われる。愛によって創ったとは如何なることであろう か、私はそこに万物の一々が宇宙を映すことによってあるということが言えるとおもう。全てあるものは対立するものとしてあるのであり、対立するものは否定し合うものとしてあるのである、否定し合うとは対手の形を変革するものである。変革するとは新たな形が生れることである。新たな形が生れることが宇宙の形成作用である、対立するものが変革し合うことは、対立するものが互に相手を映し合うことである。互に他を自己の内容とすることによって密度高い形が生れるのである。密度高いとは秩序をもつということである。生命の世界に於ては生存競争による新たな機能の獲得をもつ、新たな機能をもつとはより大なる行動力をもつことである、そこにより大なる時間・空間が生れる。それが宇宙が自己の中に自己を見ることであり、宇宙の創造である。われわれは機能をもつもの、行動するものとして常に内と外はこの我に消え、この我より出ずるのである。そこに我は宇宙を映し、宇宙は我を映すのである。一瞬一瞬は我をあらしめるものと一体である。斯る生命がわれわれに於て自覚的である。それは宇宙的生命の自覚が我の自覚であり、我の自覚が宇宙的生命の自覚である、われわれはそこに宇宙の無限の時間に生きる自己を知るのである、そこに大きなる愛に抱かれた感情をもつのである。斯る感情は何処迄も我と汝の対立として作られたものとして、我は汝に感じ、汝は我に感じるのである。更に我と汝をあらしめたものとして全人類に感じ、人類をあらしめたものとして全生命に感じ、生命をあらしめたものとして全宇宙に感じるのである。

みみずの宇宙はその行動の及ぶところの、感覚の受容する範囲である。その感覚の受け取ったものが宇宙の様相である、それはわれわれ人間の多様より言えば言うに足りないも のである。併しそれによって他を変じ、自己を変じてゆくのは宇宙の自己形成としてあるのである。みみずの形態は宇宙の自己形成の一つの完結としてあるのである。それはわれわれの身体が宇宙の一つの完結であるのと同じである。みみずは勿論その解剖的結果から 押して愛の感情を持たないであろう、併しわれわれ人間は自己の中に大なる時間・空間の 完結に感じる神の愛より押して、みみずの持つ宇宙の完結に神の愛を見るのである。西洋の人は天なる星と、内なる道徳律という、天の整正と、我の整正、そこに万物を作った神の愛を知るのである。

我と汝の対立が一として宇宙的生命の自覚的形成があるとは、この我、汝の一々が宇宙に対応するということでなければならない。対応するとは全宇宙が自己に現れるということである。宇宙の自覚はこの我の自覚にあるということである、ここに自愛が生れる、われわれは宇宙的生命の表れとして自己を尊敬するのである。断る表れは対立するものとして、汝を我に映し、我を汝に映すことによってあるものとして、同時に汝を我の成立の根底として愛するということでなければならない。それは何処迄も宇宙が宇宙自身を見るものとして同時である、併し対立するものとしてこの我より見るとき、汝によって我を見るものとして汝への愛がより根底となるのでなければならない。道元は利他を先とすべしという。この我の生命の成立は宇宙が自己を見るところにあり、この我は宇宙的生命の内容として他者を根底にもつところに利他を先とすべしという命題は現れるのであるとおもう。利他を先にすべしとはこの我の利益が失われることではない。汝はこの我の利益を先とするのである、愛に於て相互が自己を捨てて自己の根底に還るのである、そこに世界が実現するのである、世界が世界を見るのである。宇宙的生命は人類に於て世界として実現するのである。われわれはそこに神の愛を知るのである。

長谷川利春 「自覚的形成」

想像

 私は自分を省るとき絶えず何かを想像しているのに気が付く。併し想像とは何かと問うとき、自明のものと思っていたのが意外に茫漠としているようである。広辞苑を開くと、そうぞう〔想像〕①〔韓非子解老編〕 実際に経験していないことを、こうではないかとおしはかること、「ーを逞しくする」②現実の知覚に与えられていない物事の心像(イメージ)を心に浮べること。と書いてある。これだけでは説明として不十分な気がする。経験していないことをどうしてこうではないかとおしはかることが出来るのか、現実の知覚に与えられていない物事の心像(イメージ)を如何にして心に浮べることが出来るか、更に岩波哲学辞典を開くと種々の学説を列記した上、ビントの考えが比較的正確に心理的事実を捉えているようであるからとして以下の如く説いている。想像は「心像に於てする思考」で、想像活動は統覚の綜合及び分析作用の一の場合であり、本質に於て悟性活動と同じ。想像活動の動機は現実の経験或は現実に近い複合経験を作り出すにある。初め種々の表象要素及び感情要素から成立し、過去の経験の一般内容を含んでいる多少包括的な全体表象が時間・空間的に結合している多数の一定の複合体に継続的に分析せられ、最後に亦全体表象として全体が漠然意識に浮ぶ。想像活動には発達上、所動的及び能動的の二段階がある。前者は比較的動的注意状態の下に受動的の予想を主とし原印象のままに想像作用を活動せしめる場合、後者は、一定の目的、表象に従い能動的注意状態の下に表象結合に対して意志的の禁止及び撰択が著しく現われる場合である。と書かれている。これに於て私達はいささか鮮明な像をもち得るようである。以下両辞典を参考にしながら私の考究を加えてゆきたいとおもう。

 初め種々の表象要素及び感情要素より成立するとは如何なることであろうか、私はそこに人間の自覚ということがあるとおもう、生命は内外相互転換的に形成的である。環境を外として、食物を摂ることによって身体を形作り、老廃物を排出することによって自己を維持してゆくのである、自覚的とは斯る内外の転換が技術的となったことである。自然も技術的である。併し自然の技術は食物としての外を捕獲し、身体に化せしめる技術であった。それが自覚的であるとは身体の機構に擬えて外を変革することである、手の延長として外を道具と化し、脚の延長として車を作り、目の延長として望遠鏡を作ることである、斯る技術は経験の蓄積より来るのである。われわれの行為はその根源を生死にもつ、蓄積とはより大なる生を形成することである。それは一々の瞬間の行為を超えて瞬間を包むものをもったということである。内外相互転換は一瞬一瞬である、身体は斯る一瞬一瞬を内に包み統一するものとして形作って来た、瞬間を包むものをもつとは身体の斯る深奥が形をもったということである。形成作用として形は一瞬一瞬の内外相互転換としての営為を自己実現の手段としてもつのである。手段としてもつとはより高次なる生命が自己実現的にはたらくところに内外相互があるということである。蓄積は斯る高次なる生命が自己を実現してゆく形相としてあるのである。斯る高次なる生命の内容として、一瞬一瞬は外の方向に表象要素となり、内の方向に感情要素となるのである。一瞬一瞬は生死の転換として独自の表象と感情をもつのである。斯る表象・感情要素に対して高次なる生命は全体表象となるのである。それは要素がそれに於てあるものとして世界表象・宇宙表象の意味をもつものである。

 私は想像はそこより生れるとおもう、前にも述べた如くわれわれの行為の根源には生死がある。そして表象・感情はその根源を行為にもつのである。根源に生死があるとは、高次なる生命は生死に於て自己を形成し、実現してゆく生命であることである。内外相互転換とは内の方向に生を見、外の方向に死を見る生死の転換である。形成作用とは内を外に映し、外を内に映す無限のはたらきである、それは死を生に転ずるはたらきである、外としての食物の欠乏は死を意味する、それを道具をもって獲得し、栽培は飼養することによって充足するのが内外相互転換である。表象は外を内によって変革し形象化したということである。一瞬一瞬の無限の内外相互転換とは作られたものが作るものとなり、作るものが作られたものとなることである。挺子がその力の感覚に於てころと結合し、車の使用が畜力と結合するのも作られたものが作るものとしての内面的発展をもったということである。車と牛馬は別々の表象である、それが運搬という目的によって結合するのである、それは或は偶然であったかも知れない。併し一度それが結合するとき、生命は自己形成として新たな力を求めそれと結合せんとするのである。作られたものとしての車と牛馬の結合表象が作るものとして新たな力の結合を求めるのである。水の力が、火の力が新しい力として世界形成へ参加を求められるのである。私はそこにわれわれの想像が生れるのであるとおもう。ゲーテはバラの花を見ている内に花びらの中より花びらが湧き出て部屋が花びらで埋まったという。内が外を映し、外が内を映す無限の過程に於て内に蓄積された表象が一つの目的に向って結集するのである。記憶の表象が湧き出て参加するのである。そ の中から目的に合うものが撰択され、構成されて一つの形象が作り出されるのである。

 生命は内外相互転換である、それに対して想像は内的表象の展開である、そこに外としての具体性はかくされて極小の意味をもつ、内外相互転換は対立否定としての転換である。それに対して想像は対立否定の意味が極小となるのである。それだけに抵抗をもたない想像の形象は自由であり、飛躍的である。私はそこに世界形成の発展の一因由があるとおもう。物への検証が極小にされているといっても表象はもと経験の内容である。それが映し映されることによって主体的表象として凝結したものである、それは形成的世界を離れるものではない、物の残影を宿すものである。物に実現されることを予期するものである。自由とか飛躍とかいうのは世界形成を内的表象に於て拡大することである、私はここに想像の世界形成に於ける先導性があるとおもう、内と外とが相互否定的緊張であるとは内は内の世界を構成し、外は外の世界を構成するということである、身体と物は各々独自の体系をもつということである。それが否定的に一として世界は自己を露わにしてゆくということである。生命は世界を生命の形相たらしめんとし、物は世界を物の形相たらしめんとする、併しその何れに於ても内外相互転換としての世界形成はあり得ない、そこに否定的一としての世界形成はあるのである。想像は内的方向の極限として私は想像なくして世界形成はあり得ないとおもう。物質はその固定性に於て物質である、想像が物質性を極小にするとはその固定性を極小にすることである、自由とか飛躍とは変革である、新しい形はそ こから生れるのである。而して内外相互転換的に形成的であるとは常に新しい形が生れることである、そこに想像があるのである。

 斯るものとして想像は世界が世界を見るところより生れるとおもう。想像はこのわれがする、併し想像としての表象の結合は世界の形成的操作にあるのである。表象そのものが世界の具現としてあるのである、表象が生れるには表現的行為がなければ ない、表現的行為があるためには技術がなければならない、技術は一人の力より生れることは出来ない、多くの人の力の組織より生れたのである。このわれは斯る世界の中に於て汝に対するものとしてこのわれである。斯るものとしてこの我より生れる形象は世界は如何にあるべきかであり、世界を作るものとして我と汝は如何にあるべきかであり、世界に於ける我の地位は如何にあるべきかである。ビントは想像に能動と所動があるという、私はそこに上記の如く積極的な世界形成の肯定的方向に対して否定的な方向を見ることが出来るとおもう。肯定的な方向が生に向うに対して否定的な方向は死に向うのである。環境汚染、原子力破壊、更に死後の在り方などに向うのである。言う如く死には展開がない、そこには原印象の活動あるのみである。併しての想像は両方向であって離れたものではない。生命は生死に於て生命である、所動的想像あって能動的想像はあるのであり、能動的想像あって所動的想像はあるのである。希望をもつが故に悲観をもつのである。更に私は原印象の活動の中に唯一者への思索に至る萌芽があるのではないかとおもう。死への想像は生への希求を背後にもつのである、絶対の死を見ることは絶対の生を見んとすることである。そこに生死を超えて、生死を自己の影とする絶対者への回心が生れるのである。生あって死が 死があって生がある全体者に帰一するのである。私は所動的想像はその入口に立つものであり、その延長線上に斯る信の世界があるのではないかとおもう。

 想像はこの我がする、併しての我がもつ表象の結集は一々のこの我を超えたものである、表象の蓄積は限りない人類の蓄積である。われわれは斯る蓄積を歴史的形成としてもつ、表象は歴史的世界に於て蓄積され、われわれは歴史的世界の形成要素として表象をもつのである、そこに想像は世界が世界を見る所以があるのである。われわれが想像するとは歴史的世界の形成要素として想像するのである。形成要素として想像するとは、想像は歴史的世界の自己形成としてあるということである。われわれが形成要素となるとは一つの核となることである。世界の中心としてこのわれが映した外としての表象が現在の目的に結集して世界表象を構成することである。この現在の目的は世界と我との接点に於て世界がもつ現在の歴史的課題よりわれに要請してくるのである、能動的にまれ所動的にまれ想像も亦ここより来るのである。歴史は常に危機としてある、内外相互転換は生死相接するところであり、歴史はその深奥に危機をもち、危機によって動いてゆくのである。想像の最も激しくはたらくところはこの歴史的危機に面するところである。

 この我が世界の核となるとはこの我が全存在としての世界の初めと終りを結ぶものを映すということである、この我が見ることによって世界があることである。而してこの我は汝に対すことによってあるのである、対話によってあるのである。対話とは斯る世界と世界が己れの実現を目指して対することである。故に対話は内に世界をもつものによってあり得るのである、われわれが言う世界とは斯る世界と世界の無数の対話の場所である。世界は無数の小世界を内包することによって、その対話に於て動転してゆくのである。想像はこの対話に於て他者を自己とし、自己を他者とし、他者より歪められ或は他者に展開するより来るのである。世界と世界が無限に対することによって世界がある故にわれわれは希望と挫折をもつのである。世界は一々が世界を内包するものをもつことによって世界である単一なる形象は世界でも何でもない、百化斉放、百鳥争鳴が世界の形象である。一々の小世界が世界を実現せんとするところに全世界があるのである、その小世界の世界形成的意志に於てわれわれの想像があるのであり、世界が世界を見る所以があるのである。

長谷川利春

名歌評釈

 先日「みかしほ」の二、三の女人と歌を語る機会があった。そのとき近代の女人短歌の異色作とでもいうべきものを、継続して紹介してゆくことを約束した。勿論私の評釈であり、私が感銘を受けた作品であるので、一面的であるの譏りを免れ難いと思うが御了恕ありたい。そのときに葛原妙子を最初にと言ったが、今手許に取上げたいと思っている歌の載っている本が見当らないのと、先に出したい歌があったので紹介したい。

 行きて負ふかなしみぞここ鳥髪に雪降るさらば明日も降りなむ 山中智恵子

 一読その声調の美しさに心を奪われる。鳥髪というのは地名であろうか、作者は今負うべきかなしみを抱いて立つのである。そこには霏々として雪が降っている。作者はそこで明日も降りなむと言う。その結句にはかなしみを閉じこめ、かなしみを永遠に凝固させるような力がある。結像した永遠のかなしみに、作者は「マッチ売りの少女」のような陶酔を味わっているのである。そこには対象化された透明な自己像がある。私はこの声調の美しさは、このような心情の投影であるとおもう。それにしても魔術とでも言うべき言葉の構成である。

 額に汗流して坂を登るとき無数の過去世の人と行き交ふ

 私の作である。山本礼子さんが十首抄に取上げたいと思ったと言った。私は取上げられなくてほっとした。実はこの一首の核とでも言うべき四句の「無数の過去世」は、五十年代にその鬼才をもって歌壇を震撼させた、高野公彦の代表作を剽窃したのである。出すべきではないと思ったが、この頃歌を作っていないので七首にすべく入れた。私は「みかしほ」の人々の鑑賞眼を軽視していたのである。この言葉が拓いた祖霊への新しい視点を捉える人はいないと思ったのである。目にもとめないと思っていたのである。それにしても山本礼子さんが発表される作品の勝れた感覚は偶然ではないと思った。次回は葛原妙子に したい。

名歌評釈(2)

 とり落さば火とならむてのひらのひとつ柘榴の重みに耐ふ 葛原妙子

 私はこの一首を読み乍らゲーテの幼時の体験というのを思い出していた。それはバラの花を見ているうちに、はなびらの中よりはなびらが溢れ出て、室がはなびらで満たされるというものであった。

 作者は今紅く熟した柘榴を手にもつのである。そしてそれを見ているうちに、自然の成した微妙な赤が、作者の心に無限の紅を生んでゆくのである。作者の目は微妙を見究めようとする。見究めようとすることで紅は拡がりを持ち全視覚を領ずるのである。次々と現われ来る紅は、紅が紅が煽るごとく成長してくるのである。作者はそこで「とり落さば火焔とならむ」という。私は以上を捉えてまことに巧な表現であるとおもう。斯る想念の展開は非常に力の表出を伴うものである。そこに結句の「重みに耐ふ」がある。

 私は氏の作品には形が形を生んでゆく、生命の創造に深く目を据えたものがあるとおもう。人間は望遠鏡を作り、顕微鏡を作って自己の視覚を拡大深化してきた。作者は言葉の操作によって、内的自己としての情感の目を深化拡大するのである。人類は色の中に色を見、音の中に音を聞くことによって、感覚と感情を養ってきたのである。

 書き乍ら私は何だか詰らないことをしているような気がしてきた。一寸も自分の勉強になっていないように思う。それで今月で止めたいとおもう。唯これを書くために女流歌集という一人三十首ばかり歌集を読んだ、以下少しその総括とでもいうべきものを書いておきたい。

 一人三十首位では読んだと言えるであろう、併し私は多くを読んだからといって必ずしも知ったということは出来ないとおもう。各作家には特色がある。特色があるとは個性的であるということである。個性的であるとは独自の核を持つということである。知るということはその核を掴むことであるとおもう。以下そういう面から私の感じたものである。

 前月号の山中智恵子は言った如く情感の結晶作用をもつとおもう。言葉による結晶作用は透明感をもたらせる。宝石箱を開けたような氏の歌は楽しい。生方たつゑは、女の情念を業として、女がある限りの宿縁として追求しているように思う。その激しさは読んでいて疲れが出る位である。重苦しいものが胸底に溜る。併しそれも一つの真実なのであろうか。斎藤史は死の鏡に生を写すことによって、生の幾多の面を私達に見せてくれるようである。初井しづ枝も透明な情感の結晶作用をもつ、併しそれは山中智恵子のそれではない、一瞬に触れ合う物と自己の交叉を映像化するのである。一つの情感の構成をもつのである。北沢郁子の健康な自我追求は好もしい。風土としての環境と自己を真面目に凝視しているようにおもう。上田三四二賞の講演に来た馬場あき子は生と死の葛藤、連続と断絶を、呪の熔鉱に近代知性を投げ入れることによって見ようとするように思われる。俵万智は上記の人々が身体に直接するものに於て、言わば血みどろになって闘っているのに対して、銀幕に自分を映し出してそれを詠っているようである。それだけに読む者も切迫感がない。それでいて余情にひたれるものをもっているようにおもう。

 以上読みとおして感じたことである。一回読んだだけだからひとりよがりであり、読み の浅さを免れ得ないであろう。唯核を摑むという読み方があるとだけ知っていただいたらとおもう。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」

初めと終わりを結ぶもの

 私は七十才になって商売を廃めた。漸く思索に全身を打ち込むことが出来た二年半の跡である。書き乍ら大きなまとまりをもつ力を失なった、老いのかなしさをつくづくと味わわざるを得なかった。不生不滅を出発点としたものである。勿論不生不滅というのが有るのではない。生命は形作るものであり、生死は形作る生命のはたらきの姿であるということである。生死を超えて始めと終りを結ぶ生命が自己自身を見てゆくところに生死があるということである。不生不滅とは、目を初めと終りを結ぶ生命に置くということである。私達の生命は私達もその中に働く歴史的形成の内容である。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

ごきぶりを見乍ら

 本を読んでいると後の方で、かさかさというかすかなものの動く音が聞える。ふり返る とごきぶりが、背を光らせ乍らすべるように走っている。ごきぶりは妻にとって不倶戴天の仇にも等しいものであるらしい。見つけると大声を挙げて、行動は敏速果敢となり、たちまち打ち据えてしまう。私もその影響を受けてか、見ると殺さねばならぬような衝動が走る。私は傍にあったスリッパを掴んで電光石火の如き早業で打ち下した。実は一回失敗したのであるが、兎に角ごきぶりは動かなくなった。私は念の為にもう一度打ち下した。すると白い液のようなものを出して、脚が一本歪んだようであった。死骸は今度立った時に捨てようと思って再び本に向った。しばらくして散歩に出ようと思って振り向いて私は自分の眼を疑った。死んだ筈のごきぶりが影も形もなくなっている。見廻すと離れた壁に沿うたたみのへりを、白い液をひき、脚を一本引き摺ったごきぶりがすべるように走っている。私はその生命力というか、復原力の強さに驚嘆した。

 曽って何かの本で、ごきぶりは数千万年か数億年の生命陶汰の波を乗り越えて、生き残った生きた化石であるというのを読んだことがある。私はそれを思い出し乍ら一つの疑問をもった。それは生物が若し種族保存とか、個体保存を目的とするならば、何うして全てがごきぶりのような生体構造をもたなかったのであろうかということである。億年を維持したということは、適応力の優秀さを示すものである。生命が環境適応的にあったとすれば、そこに最もすぐれたものがあった筈である。

 併し生命は両棲類、哺乳類、人類へと進化して行った。而してそれらは時間としての年数に於て決してごきぶりにまさるものではなかった。それでも変化して行ったのは、生命の形成作用は、単に保存とか適応とかにつきるものではないのではなかろうか。

 生命の進化は機能の複雑化である。機能が複雑化するとは、生命は内外相互転換的として、外としての世界の多様に対し、外を内とする機構を創出することであるとおもう。機能ははたらくものである。はたらくものとして我々が外としての世界を見るとき、外は限りなき多様としての世界である。環境としての自然は周期的に回帰しつつ、我々は一瞬先の生命を知らないものである。機能とは斯る計ることの出来ない外界を、生命の機構の中に取入れようとする、生命の努力である。私は五感が何のようにして出来たか知らない。併し目が見、耳が聞き、鼻が嗅ぐのは、生命が外を開くと共に、未来を拓いていったのだとおもわざるを得ない。生命は空間的、時間的として、空間的なるものは時間的なるものとして見出されてゆくのである。

 複雑化が世界の多様に対する、生命の自己創出であるとすれば、私は複雑化は、より多様なる世界を自己の中に織りなすものとして、生命は保存や適応を超えて、自己の風光を創造するものではないかとおもう。風光とは豊潤なる情緒であり、情緒に対応する世界である。喜び悲しみとしての内外相互転換の関りである。既に哺乳動物は喜びや怒りをもつ、それだけに環境よりの摂受は多様であり、密度高いものをもつとおもう。私は短歌を作るものであるが、人間に於ては見られたものが見るものとして無限に創造的である。私は 界と自己とのより高い密度を目指して、生命は自己を形成しているのではないかとおもう。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

かすかなるもの

 この間ホーキングを内容とした歌を作って歌会に出した。誰もホーキングを知らないと いうので概括を話した。私は話し乍らいつかの歌会での事を考えていた。それは彼の偉大なる宇宙論は、相対性理論と量子理論の結合より見出されたということである。極微の世界の電子の運動を知ることなくして、大宇宙の運動を説くことが出来なかったということである。

 いつかの歌会で、このような小さなものに目をつけたのはつまらんという批評があった。私は意識の発展は分化と統一にあるとおもうものである。分化が愈々細かくなることによって統一は愈々大となるのである。顕微鏡と望遠鏡の極限が結びつくことによって大宇宙の秘密、然も二百億年前の秘密が解明されたのである。

 画家は私達の見ていない美しい色を見ていると言われる。勿論私達に見えていないのではない、見ていないのである。画家はそれを描くことによって見出して来たのである。私達も初夏の山に萌え出る若葉を見るとき、実に多くの浅みどりのあることを知る。私は画を描いたことがない。併し若し絵筆を持って画布の前に立ったとすれば、その微妙の前に絵の具を溶くことすら出来ないであろう。それは無限の多様に面しているのである。和辻哲郎はその著風土の中で『自分は曽って津田青風画伯が初心者に素描を教える言葉を聞いたことがある。画伯は石膏の首を指し乍ら言った。「諸君はあれを描くのだなどと思うのは大間違いだぞ。観るのだ、見つめるのだ。見つめている内にいろんなものが見えてくる。こんな微妙な影があったのかと自分で驚く程、いくらでも新しいものが見えてくる。それをあく迄見入ってゆく内に手が動き出してくるのだ。」』。見入るとは如何なることであるか、それは宿されいる陰翳の今迄見ていなかったものを見ようとする努力である。その努力によって線が線を分ち、色が色を分つのである。微妙とは無限の多様である。画家の私達の見ていない美しい色とは、見つめている中に現われてくる驚きの色である。何百号の作品の前に立って私達の覚える感動は、この無限の細分化された視覚の努力への共感であるとおもう。この無限に分つ目に於てのみ、何百号の大作を力感あらしむるものとなるのである。一輪の花の、一片のはなびらを描きつくす力があって、何百号の大作をよく仕上げ得るのである。

 泰西の詩人が「詩人たるものは地球の自転の音を聞かなければならない」と書いているのを読んだことがある。地球は大である。併し地球の自転の音は小である、と言うより筆者はあるのか無いのかを知らない。恐らく生命が誕生して以来自転の音を聞いた者はないのではなかろうか。それを詩人は聞かなければならないというのである。私は創造とはそのようなものとおもうものである。与えられた目の上に目をもつのである。耳の中に耳をもつのである。物の世界に於て望遠鏡と顕微鏡をもち、それによって物の世界を展いて行った如きものを、音に色彩に言葉に於てもたなければならないとおもう。石の独語を聞き細菌の歓声を聞くのである。

 生命は時の姿に自己を露わにしてゆく、時に於ては最も大なるものが最も小なるものである。一細肪が逆に全存在を包むところに時はある。表現とは時の中に深く入ってゆく事である。微塵に全存在が自己を見ての表現である。

 私は以上言ったことを更に明らかにするために葛原妙子の短歌の世界に入って見たいと おもう。

生みし子の胎盤を食ひし飼猫がけさ白毛となりてそよげる

 何も今朝白毛となったのではなかろう。生みし子の胎盤を食ったという異常事態が、翌朝の作者の目に白毛を意識せしめたのであろう。何が白毛を意識せしめたのであるか、私はそこに同族を食ったとゆう作者のもつ罪の意識と、何ものをも食って生きてゆくという生の原質を見たのであるとおもう。上旬の暗黒と下旬の光輝、この矛盾と相克に作者は生命の真実を見たのであろう。恐らくは変っていなかったであろう白毛への意識から、生の深淵を開いて行った力は流石であり、下旬は誰でも言えるものではない。

鬼子母の如くやはらかき肉を食ふなればわずかな塩をわれは乞ひけり

 これは前に私なりの解釈をしたのでここでの歌意の追尻は止める。唯やわらかい肉を食ったというだけのことに、生きてゆくために他の生命の肉を食わなければならない。原罪ともいうべきものへ掘り下げている。

夕雲に燃え移りたるわがマッチすなはち遠き街炎上す

 夕映えの情景に接した作者は、わがマッチを介在さすことによって、恐怖としての実存する自己に結びつける。そこにこの歌の写生ではない異質性がある。内と外とが一なるものとしてものごとがある。作者はそこに立つのである。内と外を結びつけるものは行為である。作者はわがマッチを見出すことによってそれを成立せしめている。そしてそれは作者の卓絶した才能を示すものである。作者はマッチで火を付けたのではない。或はマッチを持っていなかったのではないか。作は想念に於てマッチを擦り、表象を拡大していったのである。表象を拡大せしめたものは実存としての生の不安である。

畳まれし鯉のぼりの眼球の巨いなる扁平をふと雨夜におもひて

 球型ではなくして扁平なる眼球、その巨いなるものは拡大された死である。それを雨の音が閉す夜に思い出している。そこに巨いなる目が作者を不安ならしめ、不安が目を更に巨いならしめている。生命の一面を私達に突きつけてくれる。

ふとおもへば性なき胎児胎内にすずしきまなこみひらきにけり

 ここにも見えない胎児が出てくる。作者は無よりの創造をもとうとするのである。性なき胎児とは如何なるものであろうか。全て胎性動物は性をもつ、それを敢て性なき胎児と言ったのは何故であるか。私はそこに作者が聖なるものに向けた目があるとおもう。仏陀やキリストは性の超克者であった。妻帯を禁じ、姦する勿れというのは、存在を一者に於て捉えんとするものの必然的帰結であった。作者はそれをすゞしき眼に於て表わさんとしたのである。

 私は葛原妙子は、日常のかすかなものを顕微鏡的に拡大することによって、人間の深部を露わにする稀有の才能をもっていたとおもう。物理学も短歌も共に世界の自己創造の内容である。極微と極大が結びつく、其処に世界は自己を創造してゆくのである。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」

一即多

 生命は無限に動的である、動的とは内に否定をもつことである、矛盾として対立するものをもつことである。対立するものが何処迄も相互否定的なることによって動いてゆくのである。私は斯く内に対立を孕んで無限に動いてゆく生命は一即多、多即一とし自己を限定してゆくのであるとおもう。一は多ならざるものであり、多は一ならざるものである。 それは絶対に相反するものである。斯る相反するものに於て生命形成はあるのであるとおもう。生命は身体的に自己を形成する、私は一即多、多即一の直証を身体に見ることが出来るとおもう。

身体は内外相互転換的に形成的である、内外相互転換的とは外を内に換えることである、外を食物としてそれを摂ることによって身体と化せしめることである、転換による摂取と排泄に於て形作ってゆくのである。

生命は物質より出来たと言われる。そして地球上に存在する物質の量に比例する組成をもつと言われる、われわれの内外相互転換とは、身体は自己を組成するものを外として内外相互転換をするのである、私は生命は斯るものとしてその形成を求めるには先ず物質を 探らなければならないとおもう。

 物理学者によればわが天体とする光り輝く無数の恒星は宇宙の物質の十分の一を占めるのみであり、十分の九は目に見えない微粒子であると言われる。その微粒子が何かの契機で集合を初め、そのエネルギーで灼熱し、光明を放つのが恒星であると言われる。宇宙に遍満し構成する微粒子とは如何なるものであろうか、遍満し構成するものは一々が他者と関り合うものでなければならない、関り合うとは他を限定すると共に、他によって限定されるものでなければならない。関係するものとは相互限定的に一なるものでなければならない、相互限定的に一であるとは、関り合うものは個物として相互限定的に自己を実現するものでなければならない。関係することによって実現するものとして、個物の限定は世界の実現であり、世界を実現するものとして個物の一々は世界の中心の意味をもつのである。遍満する微粒子は一々が宇宙の中心として宇宙を映すところに全宇宙はあるのである、そのことは一々の微粒子はその関り合いに於て全宇宙の内容となることである。一々の微粒子が宇宙を映すということが宇宙が自己を形成してゆくことである。

 生命は斯る物質の発展として、相互否定の自己実現を代謝作用にもったものである。絶えざる食物の身体への変換に於て自己を維持してゆくものである。斯る食物は身体への変換可能なものとして組成を等しくするものであり、その最も直接なものとしての他の生命である。即ち生命の食物連鎖として生命は内外相互転換を行うのである。而して前にも書いた如く、生命はその発生に於て地表の物質の組成を模するのである、その地域の生命は地域の組成を模するのである。摂食によって生命形成をもつとは食物によって形作られることである、食物によって作られるとはわれわれの生命形成は外を映すということである。食物としての他の生命は我ならざるもの、他者として我に対立するものである。他の個的生命としてそれに遭遇することは偶然であり、その獲得は努力である。山野を駆けめぐり、水中に潜らなければならないのである。そこから身体の形は生れてくるのである。宇宙の一つとして地表はあり、生命は地表を映し、食物連鎖として生命が生命を映すところに身 体があるとは、身体は宇宙の凝縮としてあるということである。宇宙の凝縮としてあると は、宇宙が自己の形として身体に見出したということである。身体は行動することによっ て宇宙を実現してゆくということである。斯る形成に於て外は無限の多となるのである。 而して転換に於て無限の多は身体として一なるのである。併しそれはまだ真に一即多、多 即一と言うことは出来ないとおもう、食物連鎖の食物獲得だけでは宇宙の内容ではあって も、宇宙を内にもつということが出来ないからである。

 私は真に一即多、多即一となるためには人間の自覚に俟たなければならないとおもう。自覚とは自己の中に自己を見ゆくことである、自己の中に自己を見るとは内外相互転換としての生命の営為を更に映すことである、それが経験の蓄積である。経験の蓄積とは一瞬一瞬の内外相互転換を統一し構成することである、それが製作である、製作に於て外が物となり内が主体となるのである。一瞬一瞬の統一に於て時間が成立し、製作としての形の出現に於て空間が成立するのである。時間の成立は空間の拡大であり、空間の拡大は時間の成立である。時間・空間の成立は世界の成立である。私達が原始生物の世界という場合 にも断る意識を投影しているのである。

 製作として物に形を見てゆく世界は最早食物的環境として、この我が身体の欲求充足に生きる世界ではない、表現に生きる世界である。表現に生きるとは、この我がそれによってあるものを表わすことである、この我は宇宙が無限に宇宙の中に映すことによって出現 したものであった、その自己の身体中にある宇宙を映し出すことである。物はわれわれに有用なものである。その限りに於て欲求充足的である。併しそれは与えられたものが、与えられたものを超えて見出したものである。もともと欲求的生命自身が、宇宙が内外相互転換的として宇宙の中に宇宙を見るものであった。それが外に形をもったということは、更にそれを超えて自己の中に自己を映したということである。食物的環境に於ての内外相互転換の転換のはたらき自身が自己を見るのである、自己の中に自己を見るとは見るものを見ることである。そこに製作としての物の形は宇宙の表現の意味をもつのである。最も深くはたらくものが形にあらわれたということである。

 製作とは宇宙が宇宙を映すところより生れ来ったのである、人類はそれを担うのである、人類が物を作るということは宇宙が宇宙の中に宇宙を見ることである。経験の蓄積として製作があり、そこから物の形が生れるということは宇宙が自己を実現したということである。そして宇宙はそれを人間が手や言葉をもつものとして実現したのである。表現としての製作は人類が内なるものを表わすのであり、人類は宇宙が内なるものを現わしたものである、断るものとして表現は何処迄も宇宙の内に入ってゆくものであると共に、製作するものとして人間は我と汝が映し合うものとなるのである、我と汝が映し合うとは、人類は最も深い宇宙の姿として、宇宙が宇宙の中に宇宙を見るということである。宇宙の実現者としてわれわれは全存在の一を自己に見るのである。

 映し合うことによってあるとはその一々が全存在であるということである。それは相互補足的なのではない、相互補足的なるところに映し合うということはない、全体の部分なのではない、全体の部分であるところに映し合うということはない、而してそれは同一と いうことではない、同一なるところにも映し合うということはない。一々の個が宇宙としての自己を表現したものとして形相を異にしつつ、宇宙がそこに自己を見たものとして全一である。製作するものも、製作されたものもそこに一々が完結をもつのである。完結をもつとは全一者の実現であるということである。最初に微塵の一々が宇宙の中心であると書いた、中心として個は一々が宇宙を映すのである、個の一々が宇宙を映すところに宇宙はあるのである。我と汝も個として宇宙を映し合うのである。映し合うところに宇宙は現前するのである。

 我と汝が映し合うところは言葉である、言葉を作った人はないと言われる、言葉は我と汝が世界形成的に出会うところより生れるのである。而して誰の言葉でもない言葉はない、私の言葉を他者は語ることが出来ない、常に語る人その人の言葉である。ということは我も汝も言葉も形成的世界に於て出会うというところにあるのでなければならない。宇宙が自己の中に自己を見てゆくというところにあるのでなければならない、そこに自分の言葉は他者が語ることが出来ないということは、宇宙はこの我に映されるのであり、この我に映すことなくして宇宙はないということでなければならない、而してそれは対話に於て映し映されるところに現前するのである。対話のないところに我の言葉も汝の言葉もない、対話に於て宇宙が現前し、我と汝が現前するということは宇宙が全一者として自己の中に自己を見るということである。

 我の言葉を他者が語ることが出来ないということは、我と汝は対立するものであるということである、言葉を作った人がないとは、言葉は生命発生以来の無限の形成の結果としてあるということである。無数の人が呼び応えることによって作ったということである。釈迦もソクラテスもその中に現われた一人ということである、われわれもその中の一人として言葉をもつのである。その中の一人として言葉をもつことによって世界を内にもつものとなるのである。世界を超えて世界を包むものとなるのである、そこに対話として映し映されるのである。映し映されるものは全てが世界の中にありつつ、世界を超えて世界を包むものとして世界は自己を形成してゆくのである。この我に現れた以外に世界はない、そこに独我論の出で来る所以があると共に、この世界は対話によってあるのである。斯かるものとして自己が世界を包み、世界を内に見るというところに唯一者があり、自己が世界の中の一人というに多を見るのであるとおもう、このわれがあるということは一即多、多即一としてあるということなのである、そしてそれが映し映されるものとして世界の存在の形なのである。そこにわれわれは自己を転ずるのである。一々の行履は宇宙が創世以来自己の中に自己を見て来たものとして確固不抜の自己を見ると共に、宇宙の動転の一塵として一朝の露命のはかなさを嘆くものとなるのである。そして一瞬一瞬の営為の織りなす生命の風光に神の姿を見、その充足に生きるものとなるのである。

長谷川利春「自覚的形成」

盗作

 露踏みて畑に通ひ来し女育つキャベツに屈みゆきたり

 先日出した未知の己の中の一首である。併し私は表題に入ってゆくために斉藤茂吉から語らなければならない。私は茂吉が好きである、一番偉大なる歌人はと問われたら、私躊躇なく氏の名を挙げるであろう。幾度も書く通り

 赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり

に、それ迄技巧的な表現の歌を上手いと思っていた私は魂の根より動かされたのである。下句の何れ程も離れてゐないという把握に、単に赤茄子の腐れではなく、全生命が負うている腐れに思いを運ばす力がある。私は目を開かれた思いがしたものである。

 私は氏がものを見るのは単に目で見るのではなく、全身の生死に於て見ているようにおもう。河豚を殺した歌、蚕の歌にも苦行僧の心の裡を見るような粛然としたひびきをもっているようにおもう。対象を見ると同時に自己を見ているようにおもう。

 冬原に絵をかく男ひとり来て動く煙をかきはじめたり

の歌も好きである。四句の動く煙は凡庸の出る言葉ではない、動的な生命をもつものの目によってのみ見られるものである。動的とは背後より何ものかに衝き動かされいるということである。

 ここ迄書けば賢明なる読者は既に了解されているであろう如く、初掲の私の四句育つキャベツの育つは、本首の四句動く煙の動くを発想に於て盗んだものである。

 盗作というのはどこからを言うのであろうか、余りにも言い古された言葉であるが、「学ぶ」は「真似ぶ」から来たと言われる。私達は短歌を学ぶとき先蹤を真似ぶのである。言わば盗むのである。併しそのことは先蹤を受け継ぐことである。そこに伝統が生れるのである。私はわれわれの感性は先人を受けることによって陶冶されるのであり、創造は先人の上に立つことであるとおもう。

 私は今回の「未知の己」に於て「照り出でて」を多用している。これは初井しずゑが使 っていたのを盗用しているのである。私はこの言葉に研ぎ澄まされ感覚を感じた。そしてその言葉を使うことによって、表現の野とでも言うべきものが拡大されるようにおもうのである。これからも使いたいとおもっている。併し盗作ということを意識すると心中じくじたらざるを得ない。非難さるべき盗作の範囲は何のあたりからと編集当局の松尾さんや藤木さんの御教示を賜われば有難いとおもう。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」