リズムについての概要

 生命は形をもつ。形をもつものが自ら動くのは飛躍的である。飛躍的とは静と動の相反するものをもつということである。例えば私達が歩くのは一方の足を出し、止まって亦一方の足を出す、この反復が私はリズムの原型であると思う。尺取虫もぼうふらもリズムをもつということが出来る。

 生命の機能が複雑となるに随って動きは多様となる。即ちリズムは変化をもつ。尺 取り虫より蛙、蛙より犬は複雑多様となる。

 これ等の動物に対して人は働くものである。驚きは目的をもつ。働くとは内に技術をもち、外に物となることである。斯る技術は石器、青銅器、鉄器の時代と、生死するこの我々の生命をはるか超えた長い時間によって創り出されたものである。私達が働くとはこのながい時間を自己の内にもつということである。はかり知れない祖先の働きを伝承しているということである。私達は永遠なるものによってあり、私達が働くとは永遠なるものが働くのであると知るのが我々の自覚である。言葉は長い歴史の中に生まれたものである。その言葉によって自己を知るとは、永遠なるものに映して自己があるということである。

 芸術のリズムはこの永遠なるものが働くということであると思う。物は我々の生活の用に立つものであると同時に、永遠なるものが作ったものとして形は永遠の相を表す。永遠の相を表すとは、長い歴史としての時代の変化発展が、現代のこの所のこの我によって凝縮し表れているということである。

 我々を超え、我々がそれによってあるものを我々の祖先は神として捉えた。芸術の発端は神の姿を現すということにあった。踊も音楽も詩も、神に祈り、神を現して、神の恵みを求めんとするところより生まれたということが出来る。而し神の前にひれ伏している間は生命は真の己れを現わす事は出来なかった。

 近代的自覚は超越的なるものが内在的であるとして打樹てられた。物の創造は人間 の創造として、我々とは自由意志として神を放逐した。神の慈愛、威厳のみでなく、隣人の哀しげな目も永遠の相をもつものであることを見いだした。人間が、そして裸体が宇宙生命の到達として、出発点とし捉えられた。内が外として、生命がそれ自体として芸術は其処に本当のリズムを持ったということが出来る。

 私は最初にリズムは飛躍として静と動の反復であると言った。私はこの相反する二つの方向に様々な芸術を見る事が出来ると思う。最も動的なるものとして音楽、そして舞踊、声楽など動的リズムを持つと思う。実用としての建築などは静的なるリズムを持つと言い得ると思う。陶器はその素材の可塑性に於いて建築より自由なるも静的 なるものと思う。絵画、彫刻は対象を写すものとして、民族性、時代性、作者の個性 によるところ大と思う。ともあれリズムは生命の本質、自己そのものの現われである と思う。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

外に見ると言う事

 「死について」に於いて私は、死を外に投げ出す事によって原始の人は霊を見たと言った。そして原始人はこの霊に怖れ、この霊に仕えたのである。一体この外に見ると言う事は如何なる事であるのであろうか。

 数の最初に把握されたのは2であると言われる。それは男女であり、男女が人間存 在の根源的形態であり、根源的形態の自覚より先ず目覚めはあったが故と言われている。現在でも原始生活を営む土人の中には10迄しか数を持たない者がいると言う。10と言うのは人の手の指の数である。この事は先ず人間が知ったのは存在形態としての自己自身であったと言う事が出来ると思う。知るとは自己を知る事であったのである。而しこの2とか10とか言うのは、身体の直接態であって真に外と言う事は出来ないと思う。

 私は数が真に対象として外となるには、数自身の内面的発展がなければならなかったと思う。幾何学はナイルの洪水に対する土地の確定の為に見出されたと言う。而して一つの定理の発見が更に他の定理を呼んで一つの群れをなすのである。一つの形の数との結合が、更に他の形の数との結合を導き出すのである。

 物理学は関節覚、筋肉覚の無限の発展の内容であると言われている。 恐らく墳墓の構築の如きが其の発端をなしたのだろうと思われる。腕や脚の延長として挺子や滑車が見出され、見出されたものが更に次のより大なる力を見出し、一つ群れをなした処より、学として体系をもつに至ったものであると思う。

 即ち直接態より離れて、直接態に見出されたものが、直接態に対立するものの内容 となった時、それ自身の発展をもち初めるのである。我として把握されたものが。我 に対立するものの内容となる事によって、我を超えたものとなるのである。否直接態すらすでに見出されたものとなる時、我を超えたもの、我に対立するものの意味を有 するのである。

 知ると言う事は自己が自己を超え、自己に対立するものとして初めて成立するものである。自己が自己の対象となる事によって自己を知るのである。唯直接態としての身体を超えたものとして、身体を否定して来るものとして、対立する意味を有するものの内容となった時、物は内面的必然をもち、学的体系として逆に我々を限定して来るものとなるのである。

 此の事は勿論超越的なるものとして我より離れて仕舞ったと言うのではない。物理 学が関節覚、筋肉覚の無限の発展であると言われる如く。我々はこれに於いてより高い自覚に達するのである。絵画が視覚の発展であり、生理学が器官病理の発展である如く、世界はコンパスの軸を身体に於いて描かれた巨大な像とも言い得るであろう。巨大なる我の実現であると言い得るであろう。其の巨大に於いて世界は我を包み、我を限定して来るのである。外とは逆に我を限定して来るものとして外なのである。単に我に非ざるものとして外なのではなくして、我を外に見出す事によって我に非ざるものとなる事によって外なのである。

 私は例を科学や芸術にとった。而しそれ等は尚感覚的部分的なるものの内容として 真に我を限定して来るものではないと思う。唯それだけに外に見ると言う事は、それ 自身の内面的必然をもつものとして、我を超えて我に対する意味が鮮明になると思っ たのである。生命は死をもつ事によって生命である。生死の外化に於いて我々は最も 具体的な外をもつと思う。「神について」に於いて言った如く、霊は絶対的な力として我々に迫るものである。モーゼの十戒に見られる如く、霊の発展としての神は我々に命令するものである。キリストに於ける如く、唯恩寵によってのみ我々はあり、啓示によってのみ世界はありとするものである。

 私は斯る具体的生命の外化の現化的尖端として国家があるのではないかと思う。国 家のみ戦争を宣言し、死刑を宣告し得る、それはかつての神霊の力を承るものである。唯国家もあらゆるものを内包しつつ発展するものとして、世界国家の方向に動いているように思われる。唯私は現代史について余りにも知らなさ過ぎるので語る事が出来ない。

 我々の自覚は斯く自己を外に見るものとしてあるのである。対象構成的に我々はより大る生へと歩みを進めてゆくのである。私達は最早歴史の流れをはかり知る事は出来ない。唯その波間にほんろうされるのみである。而して其の巨大こそ真個の我なのである。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

短歌と俳句

 先日或る人から、「短歌と俳句はどう違うのですか」と尋ねられた。私は「そうですね、勿論字数の違いはありますが、根本的な違いは俳句は季がなければならないことでしょうね」と答えた。私は答え乍ら季がなければならない詩は世界でも外にないのではないかと思った。そして帰ってから季とは何かと考えた。

 季とは一年を周期とする気象の変化であり、変化に対する生体の対応である。それ は四季に分かちて日本に於いて最も鮮明であると言われる。よく日本人の繊細なる感性は斯る変化の微妙の上に培われたと言われる。

 私は季がなけれならないとは自然を感性の根元として、自然の中に没入することであると思う。我をも自然として、何処迄も自然の中に我があるのである。自然の中に没入するとは我の情念を否定して自然のあるがままが情念となることである。

 菜の花や月は東に日は西に

 春の海ひねもすのたりのたりかな

 秋深し隣は何をする人ぞ

 そこに個人の喜怒哀楽はない。自然との深き一体として、自然は我のなりたるもの、我は自然のなりたるものの唯一生命があるのみである。私は其処に日本的なるものの深い自覚を見ると共に、日本的生命の完結を見ることが出来ると思う。私はわびとは斯る自覚の空間的方向であり、さびとは時間的方向であると思う。

 それに対して歌垣より発し、相聞えと発展した短歌は、何処迄も我と汝の世界である。相対の世界である。生者必滅、会者定離、生々流転の世界である。短歌とは「嘆 「き」であると言った人がいる。

 月見れば千々にものこそ悲しけれ我が身一つの秋にはあらねど

 さびしさに宿を立ち出でて眺むれば何処も同じ秋の夕暮れ

 それは悲傷の世界である。そしてこの悲傷はこの我がこの我としてある限り避くべからざるものである。哀歓を消してゆくのではない、哀歓の方向に展きゆくのである。勿論俳句も斯る哀歓を内包する。内包しつつこれを超えた自覚として否定するのである。私はその意味に於いて俳句の高次性を肯うものである。江戸時代に幾多俳句の俊秀が生まれたのも宜なるかなと思う。

 而し時代は移る。私は俳句はその高次なるフォームの完成の故に現代の表白に耐え 得ないものと思う。近代的自覚は個性の発見であり、自由意志の確立であった。個性 の発見とは世界の中のこの我が逆に世界を内にもつことである。創造的世界の創造的要素となることである。近代的技術発展によって季感がうすれたということではない。没入としての基本理念が覆されたことである。

 個は個に対することに個である。それは矛盾として闘争としてあるものである。その点に於いて我と汝と相面し、情念の多面へと展開していった短歌の方が現代の表白に適しているようにと思う。言いかえれば短歌の方が近代的自覚の表白により近縁的であると思う。

 現代歌人は修羅なき所にも修羅を見ようとする。其処に対立するものの深淵はあり、それによる人間精神の拡大が調和である。アンドレ・ジイドは悪魔の囁きなくして芸術はあり得ないと言った。俳句も亦近代詩となるためには悪魔の声を聞かねばならな いであろう。

(後記) 本文は子午線に寄稿したものである。歌を作る者として俳人の反論を得たいと 思って後半敢えて暴論を草した。読み返して大いに恥じる次第である。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

写生について

 正岡子規が写生と言って以来、作歌理念は写生論が主導したようである。而し写生 とは如何なるものかとなると千差万別、その帰する処を知らないようである。以下私 は一切の写生論を捨てて、見るということから写生を考えて見たいと思う。

 見るということで思い出すのは和辻哲郎氏の『風土』の中の一文である。氏は「自分は曽って津田青風画伯が初心者に素描を教える言葉を聞いた事がある。画伯は石膏の首を指し乍ら言った。諸君はあれを描くのだなどと思うのは大間違いだぞ。観るのだ、見つめるのだ。見つめている内にいろんなものが見えて来る。こんな微妙な影があったのかと自分で驚く程、いくらでも新しいものが見えて来る。それをあくまで見入ってゆく内に手が動き出して来るのだ。」 歌人ならば言葉が出て来るのであろう。 この見るとは何という事であろうか。例えば枝が二本出て花びらが五枚あるといった如きから私達の言葉は出て来ない。痩せた土に生えた草が小さな葉を出し、小さな 花を咲かせて生命を完成させんとする時に自ら言葉は出て来るのである。私達は其処に自分と同じ生命の姿を見るのである。

 コスモスの花も、さえずる雀も、宇宙の生命が生み出したものである。そして私達も亦宇宙の生命の現れである。そこに深い同一がある。咲き出ずる花の妙は我の妙であり、我の妙は花の妙である。そこに見る事によって顕われて来る限り無い陰翳があるのである。この同一が愛である。

 見るとは我と対象が相対立するのではなくして、見るものと見られるものの根底の一に還ってゆく事である。歌人は言葉によって見る。目が言葉を持つ。この言葉は根底の一に還ってゆく愛より生まれるのである。其処に作歌が写生である所以があると思う。そこより我が生まれ、対象が生まれるのである。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

歌の価値について

 大分以前に拾い読みした一挿話であるが、織田信長が足利幕府を倒した時に、将軍 の料理人を呼んで食事を作らせた。そして丹精をこめて差し出した料理を一口入れるなり吐き出して「こんな水くさいものが食えるか」と言った。二回目も「まずい」と 言った。三回目に「さすが海内無双である。生まれて初めてである」と言って褒美の品を賜った。その時に料理人が「一回目は私の腕の限りをつくした高等な料理でございます。将軍は最も好まれました。三回目は下品な田舎料理でございます。」と言ったそうである。

 何故こんな事を書いたかと言うと、最近自分の好きと思った歌がよい歌である、という幼稚な論理を持つものがいると聞いたので、下位感覚である味覚ですら内面的発展をもち、好き嫌いを越えて、味わう力が出来なければ解らないものがあると言いたいためである。もし好きな歌がよいならば一つの歌の鑑賞に於いて一人が好きだからよいと言い、一人が嫌いだから悪いと言ったら評価はあり得ないことになる。そこに作歌は無意味である。何故ならば意味は個的なるものが普遍的なるものを担うところに成立するが故である。

 芸術の起源は好き嫌いによるのではなくして、神の相を露わとするところにあった。短歌の如きもその祖型と言われる歌垣は、神の喜びの具現にあったのである。即ちかくれた超越者をこの我に於いて形あらしめることにあったのである。超越者とは世界として集団を一つならしめる力である。共感をあらしめるものである。私はよい歌とは、生きているこの我が動いている世界を如何に言表するかにあると思う。

 好き嫌いは個体に関わる。而し価値は世界に関わる。粗野な人間は粗野を好む。しかし芸術は人類が永い歴史に於いて洗練して来たものである。私は斯る見地から「美とは時代の様式的正である」という言葉に共鳴を覚えざるを得ない。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

創作としての感動について

 短歌は感動であると言われる。そして感動とは何かとよく問われる。普通感動は感激と同じ様な意味に使われているように思う。而し私は日常としての感動は創作としての感動と其の質を異にしているように思う。例えば「失敗し金に困りている我に友は要るだけ貸してくれたり」という歌を作ったとしよう。作者にとってその事柄は大なる感動すべきものであったであろう。而し作品として優れていると言うことは出来ない。此処に一人の老婆を仮定して、その老婆がコンクリートの上に根を出した草を見たとしよう。老婆にとって草は唯抜き捨てる対象であろう。その老婆が孫に何かをもらったとすれば、それは大なる感動であろう。而しその二つを短歌にしたとしよう。何方が優れているか、私は前者と思わざるを得ない。何故であるか、其処に創作の感動があるからである。

 私は創作に於ける感動は自己発見であると思う。自己発見とは何か。無意識、亦は 意識下に埋没しているものを言葉の光に照らし出すことである。孫への感動は日常言葉によってすでに表わされている。根を出した草は言葉を見出さなければならない。其処に自己の拡大がある。以下例を引いて私の考えを進めたいと思う。

 鬼子母のごとやはらかき肉を食うなれば僅かな塩を吾は乞ひけり 葛原妙子

 評釈は記念号に出しているので見て戴く事にして、この歌にある現実の事柄は唯やわらかき肉を食ったというだけである。作者はその時の心の動きをこれ等の言葉に発掘したのである。

 私より私は去り見知らざる女不機嫌をかくすことなし 北原郁子

 これも不機嫌な自分があるだけである。嫌だなあという心の動きを、この言葉に照ら し出す事によって新しい自分を拓いているのである。私達の今は無限の過去、未来につながっている。それを言葉に捉える事が感動であると思う。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

共感の世界

 先日ちょっと所用があって、内藤幸雄先生が指導しておられる読書グループに列席させて頂いた。それから四・五日経てからお出会いした時にそのグループのことをお話しされ、「あれで仲々熱心でして、あの中に遠くへ移転された方もおられるのですが、其の日になると電車に乗って出席されるのです」とのことであった。あの時お目にかかった記憶によれば、まだ余暇をもてあますという程のお歳でもないように思われた。 おそらく寸暇を割いての御出席であろう。この足を運ばさしめたものは如何なるもの であったのだろうか。

 我々は人間の生命は自覚的であり、行為は全て自覚的なるものに根源を有すると思うものである。自覚とは自己が自己を見、自己が自己を知ることである。自覚的生命 に於いては、自己をより明らかにし、一歩一歩自己を実現してゆくのが喜びである。衝動的要求というのは自己自身を見ようとする努力である。遠距離もいとわず斯く足を運ばしめたものは斯る内的生命の要求でなければならないと思う。

 古来より「出師表」を読んで泣かざるものはないといわれる。ウェルテルを読んではおのずから胸迫り、ヘルマンとドロテアを読んでは思わずほほえみが湧き来る。それは嬉しかったであろうとか、悲しかったであろうということではない。ウェルテルの涙は直に我の涙である。ヘルマンのほほえみは直に我のほほえみである。私達はアレキサンダー大王を見る事も出来なければ、静御前に会うべきもない。しかし其の壮志は我々を動かして止まない。

 私は我々の根底には斯くの如き全人類直に一なるものがあると思う。理解の根底に共感の世界があると思う。知識の根底に深大なる感情の世界があると思う。読んでお られた本は源氏物語であった。それは解説書によらずしては言葉すら解らない古代の小説である。而し其の喜び悲しみはすでに埋葬されたものではなくして読む者に呼びかけ、読む者をより深化せしめ、より豊潤ならしめるものであると思う。読む者はそれを自己の過去として、自己の深部を見出すが故に読むのであると思う。無限の過去が自己の過去である。そこに生命の自覚があるのである。聖オーグスチヌスの偉大なる過去は斯る過去でなければならない。

 私達の生命は有限である。せいぜい生きて百才位である。斯る有限なる生命が如何 にして千年前を知り、其の人等と対話し得るのであろうか。それはこの生死する有限 なる生命からは考える事が出来ないものである。生命は自己実現的である。有限なる生命の実現し得るものは、有限なるものでなければならない。私達の身体は尚深き底をもつのでなければならない。昔語部によって歴史が伝承されたと言われる如く、私達は言葉によって過去と未来を持つ。而して私達は言葉によって自己を明らかにする。私は人間が自覚的生命であるとは言葉をもつ生命であることであると思う。

 言葉を作った人はいないといわれる。言葉は限り無い多くの人の関わり合いの中より生まれたものである。而して無限の過去より伝承し、無限の未来へ伝達するものである。それによって全ての人が関わり合い、全ての人が自己を見るものとして、それは全人類の内容である。全人類は言葉によって其の一体性を実現するのである。全て を内に含み、全てを其処より実現するものとして言葉は永遠の形相である。

 生死するものも私達の身体である。而し斯る永遠なるものをもつのも私達の身体である。私達は身体の脳髄の中に言語中枢をもつ。身体は有限なるものと無限なるもの、 生死するものと永遠なるものの統一として身体である。この相反するものが一つなる 身体として生死するものに永遠なるものを実現せんとするのが努力である。永遠の実 現が自覚である。そこに自己を見る喜びがある。価値とは有限なるものに映された永 遠なるものである。

 私は断る言葉の永遠性は感情の自己形象化によると思う。共感が言葉の世界性を基礎づけると思う。身体が言葉をもつということは言葉は情動的なるものの上に成り立つことである。共感の自覚が永遠である。

 芸術は永遠であると言われる。而し如何なる作品も永久に存在することは出来ない。 私は芸術の永遠性とは作品にあるのではなくして、斯る永遠なるものの自己表現にあると思う。芸術の内容は共感であると言われる。千年を隔てたものが直接なるものとして、内的なるものの表白として永遠であると思う。

 永遠なるもの働くことによって自覚があるとは、自覚的生命は永遠なるものを求めて止まないことである。底深き女神の手の招きに誘われて彼女は第二木曜日に寸暇を割いて電車に乗ることであろう。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

ディモンの声

 北播短歌会の帰途、内藤先生の宅で皆と別れて藤木千恵子さんと、松尾さんの車に乗せてもらい小野に向かった。途中何ういう事からであったか忘れたが、話が浮気に移った。藤木さんは「浮気なんかする人の心が分からない。私は浮気をしようとも思わなければ、絶対にしない。」と例の強い調子で言われた。私は「そう思う事は大変良い事だ。而し果してそう言い切れるのであろうか。言い切るには人間は余りにも弱いもののように思う。絶えずそう自分に言い聞かす事によって、辛うじて支えているような危ういものを持っているように思う。」と言った。藤木さんは更に「言い切れる。」 と語気を強めて言われた。私は話乍ら淫乱と言われた高橋お伝を考え、ソクラテスのディモンの声に思いを致していた。

 畏友石井さんに聞いた話であるが、東京大学の医学室に、高橋お伝の陰部のホルマリン漬があるそうである。そしてそれは普通の日本人の標準より少し大きいそうである。私はそういう方面に対する知識がなく、言うべき資格がないが、若しもその大きさと淫乱と関係があるのであれば、お伝は先天的に与えられた何うしようもない生命に動かされたと言う事が出来る。ディモンの声を聞くと言うのは高く深いものであろう。お伝は勿論ディモンの声を聞く事は出来なかった。而し彼女は自己のディモンに動かされたと言う事が出来ると思う。私達の底には限りなく深いものがあるように思う。私達は自己を知る。而し何故に自己を知るかを知らない。何故に住吉町に生まれたかも、何故に男に生まれたかも知らない。唯生まれた如く生きるのみである。それは私達が凝固して生まれて来る混沌とでも言うべきものである。中勘助の詩に、掏摸(すり)の習癖のある少女が何とかその習癖を直そうと、お宮さんに願をかけて毎日詣でた。その満願の日に家に帰って着物を脱ぐと、中から掏り盗ったものが出て来た。その日に彼女は首を吊って死んだと言うのがあった。或はこれは事実ではなかったかも知れない。中勘助の内に生まれた生命の形象であったかも知れない。而し私達は自己の意志を超えるものの存在を否む事が出来ないように思う。芥川竜之介の地獄変の、殺されている自分の娘を見ている画家の苦痛の目から、恍惚の目への変化もこの混沌より衝き上げて来る力であると思わざるを得ない。我々が生まれ来った如く、天才も生まれて来るのである。天才は努力であるとよく言われる。天才は努力すべく生まれるのである。全てが混沌の中から生まれるのであると思う。

 それは宇宙的意志とでも言うべきものであり、斯る宇宙的意志の動転として我々は あると思う。

 私は親鸞の悪人正機を悪人の自我性から考えて来た。而し自我からは何うしても悪 人救済は出て来ない。親鸞の根底には深く斯る混沌への目があったのではないかと思う。宿命とでも言うべきものを背負って生きていく人間があったのではないかと思う。此処に於いて人間は絶対の零である。絶対の無力である。全ての人間が己の何うしようも無い世界から生まれ乍ら、或る者だけがこの世界から背き、世界からはみ出す時、最も涙すべきは悪人でなければならない。救われるとは何か、自己の存在の根元に至る事によって自己を完結する事である。何うしようもないものが、何うしようもないと知る時、我々は自己を完結するのである。何うしようもないものとしてある時、宇宙的意志の内容として、神の御旨のままとなるのである。この何うしようもない自己への知は、悪を媒介として生まれるのである。善は何うしようもないものではない。悪のみが何うしようもないものである。其処に悪人正機があったと思う。歎異抄は名の如く異を歎くものであろう。異とは正に対する異であろう。善に対する悪であり、真に対する謬であり、美に対する醜であろう。それは自己によって転じ得るものではなくして、唯歎き得るのみのものであろう。そしてこの歎く事が弥陀本願へ転入する門となるのである。時空を絶したものの中に摂取されるのである。其処は全き自己放棄である。永遠の声に随うのみである。地獄かも知れない。唯自己のはからいを捨てて、救済を信じていくのみの道である。

 私達が知らざるいのちに衝き動かされて、この世界を展開する時、世界はこの宇宙的意志とも言うべきものの実現としてあるのでなければならない。それは我々の自覚を超えてあり、我々の自覚が何処迄も深くなってゆくのは、斯る超越的生命が自己自身を見るものとして我々は其の内容としてあるが故に外ならないと思う。全人類一として我々の自覚はある。人間は自覚的に働きつつ、宇宙的生命の内容として、自己の底に重々無限の不可知者をもつのである。見る者として、見る事の出来ない深淵をもつのである。我々は自己の目のとどき得ない暗黒の混沌をもつ。而してこの混沌は無限に自己を見てゆくものであり、働くものである。これが我々のディモンである。而して見るもの、働くものとしてそれは絶対の明白でなければならない。怖るべき暗黒の混沌が、形として見られる時それは最も大なる光明となるのである。光明とは自己の姿を最も明らかに見せてくれるものである。自己を最も明らかに見せてくれるものは、この混沌の自己実現としての形相である。大なる意志が実現する時、衝動として我々を動かして来た暗きディモンは、この我を超えた根元なるものの相として善に転ずるのである。我々が働くとは、それぞれ自己を超えた、自己の知らざる生命として働く。ディモンはそれぞれがもつ。而しディモンの声は超えたる者が唯一者として、それぞれを自己の内容とするものとして聞こえて来るのである。ソクラテスはディモ ンの声を聞く事によって善なる意志に至り、霊魂の指導者なる事を確信した。キリストの神も、佛陀の大悟も己の根元的存在への逢着であった。キリストの権威ある声も、ソクラテスの静かなる死も、この根元的存在者につながる事によってあり得たと思う。それは超越者の言葉による現われであり、光明である。ともあれ矛盾撞着のこの世は、翻って見れば宇宙的意志としての神の自己実現の世界である。この我が絶対の無である時全てのものは一つである。絶対の無に於いて絶対の有に転ずるのである。弥陀の本願は歎きの中に住むのである。

 すべて生あるものは己のディモンをもつ。而しディモンの声を聞き得るものは人間のみである

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

短歌の客観性について

 先日みかしほの短歌会が南坊の神呪寺で行われた時のことである。誰かが「短歌の 作品の価値は読む者の好き嫌いによって決定すべきではない」と言われた。何うして このような当然のことが言われたのか私には解らなかったが、何か言われるべき機縁があったのであろう。

 作品の価値が読者の好き嫌いにあるとすれば、その矛盾に於いて価値を失わなければならないのは理の当然であろう。例えば一つの作品に対して一人が私はこの歌が好きだから良いと言ったとする。それに対して他の一人がいや嫌いだから悪いと言ったとする。その場合何によって価値決定をするのであろうか。価値はそれ自身の内容をもち、それ自身の内容に於いて万人を動かすものである。即ち普遍妥当性を要求するものである。貴方は嫌いだから悪いと思っている。私は好きだから良いと思っている、それでよいではないかでは無価値に等しいということである。其処には短歌会に於ける批評なども全く無意義と言わざるを得ないと思う。

 それを脱却するためには、何故に私はこの作品が好きであるか、貴方は何故にこの 作品が嫌いであるかという問いかけが必要であろう。そして共通の地盤を確立することが必要であろう。私は其の時はすでに好き嫌いが価値決定の基準としての位置を 失っていると思う。好き嫌いは個人に属し、共通ということは私性を超えているが故 である。

 勿論好き嫌いが価値に関与しないというのではない。好きでなかったら読むということもなし得ないであろう。唯だんだん深くなってゆくに随って、今迄解らなかった歌や、よいと思わなかった歌が好きになったということをよく聞く。亦好きだった歌がつまらなくなったということもよく聞く。好きに無限の奥底があるということである。好きということが価値ではなくしてその深さが価値であるということである。

 芸術の世界は共感の世界であると言われる。共感の世界とは如何なるものであろう か。よく価値を真、善、美として、それに対応する内的なるものに知、情、意がいわれる。そして芸術は美の実現として、感動の表現であると言われる。而して知、意と異なって感情は個人に属するものである。私の感情は何処迄も私の感情である。斯る個々の感情が個々を超えて直に一つであるのが共感である。

 静御前の話を聞くとき涙がおのずから出て来、ラファエルの絵を見るとき思わずほほえみが湧いて来る。千年を隔てて静御前を見る由もなければラファエルに会うことも出来ない。而し静御前の涙は直に我の涙であり、ラファエルのほほえみは直に我のほほえみである。私はこの現在の一点に於いて、古今東西を超えた永遠の相を実現するのが芸術であり、美的価値であると思う。永遠とは無限の過去、未来より働きかけられ、無限の過去、未来へ働きかけてゆくこの我の生命である。この我の生命は千年を直に一つとする全人類的なるものに基礎づけられているのである。表現とはこの有限なる個としての我に全人類的なる永遠が自己を露わとしてゆくことである。

 無限の過去より働きかけられ、無限の未来へ働きかけてゆく生命は歴史的でなければならない。私は短歌の客観性とはこの歴史的世界にあると思う。歴史的世界とは私達が生まれ、働き、死んでゆくところである。而して我々はこの歴史的世界に於いて永遠なるものに接するのである。芸術としての短歌の客観性は認識論的な普遍妥当性にあるのではなくして、個々の生命が其の中に於いて個性となるより大なる世界にあると思う。そしてその基礎となるのが共感であると思う。

 作品の良否を決定するものはこの歴史的現在の一点に捉えた生命の深さである。初歩的な好嫌の判断基準は己の愚を露呈するのみであると思う

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

現代短歌について

 正岡子規の「歌人に与ふる手紙」の中の一節「紀貫之は下手な歌詠みにて候」より近代短歌は初まったと言われる。果して紀貫之は下手だったのであろうか。私はそう思うことは出来ない。貫之死して千年、その間誰も正当な評価をなし得ず唯々諾々していた私は我々の祖先が馬鹿だったと思うことは出来ない。それでは子規の意図は那辺にあったのであろうか。私は彼の短歌革新の情熱にあったと思う。滔々たる維新開化の西洋文物の流入は彼の目に無限の世界を開顯して行ったであろう。即物的なる 西洋芸術は、宮廷歌人の幽玄体、艶麗体なぞという呪文の繰り返しを唾棄すべきものと思はしめたであろう。古き偶像の破壊なくして新しい権威の確立はない。新しい世 界は自己の表現を求めるのである。

 それから幾十年、万葉に還れの声に全歌人は唱和し、写生の理念は見事大輪の花を咲かせたと言い得る。斉藤茂吉を頂点とする幾多歌人の成果は仰ぐべく高い。而しそれと同時に写生の理念に基づく作品は最早完成された感じがする。新聞に雑誌に同人誌に日々発表される夥しい作品は殆どが同工異曲である。発想の基盤を等しくし、事象に於いて異なるのみのものが多いように思う。類型の中に埋没することは作品を創造とするものにとって耐え難いことである。私は現代短歌とは幾多新鋭歌人の、写生理念よりの脱却乃至は脱却的努力の一群を指すと思う。創造とは何か、私は創造とは歴史の運であると思う。世界は物と人、我と汝の対立を含みつつ一つである。対立は対立を生み、常に新たなる一つが実現する。それが歴史である。無限に動転してゆく矛盾の統一が創造であると思う。芸術が創造であるとは斯く常に新たなる歴史の自己表白であると思う。我々の作品が創造であるとは、我々は世界の中の一人として 世界の動きを聞きとり、対立を一ならしめる歴史的生命の内的なるものを露わにすることであると思う。私達は若し生まれた時に無人島に捨てられていたらこの我というものはない。歴史的創造の創造的個としてのこの我である。この創造個としてのこの我が世界を自己の内なる深き奥底として自己の行履に世界の内奥を見るのが創作であると思う。

 歴史は常に矛盾的に自己を限定してゆく。その軌りが我々の哀歡である。矛盾とし動くものは常に新たなるものである。新たとは過去を否定したことである。歴史は常にこの否定の苦悶によって動きゆくのである。私は耳を澄ましてこの声を聞き、目を凝らしてこの相を見るのが芸術的創造であると思う。創造は自己の恣意にあるのではなくして我々は歴史の自己創造の中に自己を消してゆくのである。この死灰の中より羽搏く不死の白馬が作品である。

 若いものの思考、行動の変化はよく日々の新聞、テレビの報ずるところである。それは我々大正生まれの者から見れば異質とも見えるものである。私は若者とは現代の 体現であると思う。生まれるものは歴史的現在に生まれるのである。異質と見えるの は世界が質的変化しようとしているのである。若者の身体がもつリズムは歴史的現在 の律動である。私は歴史は正岡子規が宮廷短歌につきつけた如き変革を要求していると思う。 コペルニクス的転回を要求していると思う。

 写生の理念は生の真実にあると言われる。実相観入をその究極とする。この生の真 実は如何なるものであったのであろうか。私は自然の中に生まれ働く生命、自然の暴 威と闘い、恵みに感謝する生命、即ち受容の生命であったと思う。農耕的基盤の上に 立つ自然と人間の交叉であったと思う。中世も農耕社会であった。その意味に於いて 中世も近代も同じ基盤の上に立つ。子規が否定したのは対象と遊離した位置より見る宮廷的観照であったと思う。そして否定へと働かしめたものは西洋的生産の概念で あったと思う。農耕社会より、工業社会へ、更に情報化社会へと歴史は移る。其処に表現のスタイルを変革すべき要請がある。而し子規の時代には西洋という衝撃があった。今はそれに比すべきものがない。其処に現代歌人の苦悩があると思う。

 最近よく古今、新古今の見直しということが言われている。古今とは何か、私は仏教、道教等のもつ内面的なるものの目をもって対象を見ようとした努力の表白であると思う。幽玄は斯る内面の目による対象の創造であったと思う。中世日本文学の研究家谷山茂氏は其の自序に於いて言う、「定家、家隆達いわゆる新古今時代の歌人達の 血みどろな苦悩の山にぶつかってしまった。こういう人達の一見絢爛たる色彩の蔭に は、沈痛を極め真摯に徹する悲願が深く潜められている。」 そしてそれが幽玄の道で あったという。

 生命は内外相互転換的である。表現に於いても内的なるものが形の飽和に於いて行き詰まり、外的なるものが台頭して新しい形を造り、その形が飽和して内的なるものがこれを打ち砕き、更に新しい形を見出してゆくのが自覚としての人間生命であると思う。私は受容としての写生の道はものの中に自己を消し、ものそのものとなって見ることにあったと思う。ものそのものとなって見ることはものが働くことである。外を内とすることである。斯るものの否定とは内を外とすることでなければならない。ものの中に消えるのではなくしてものの変革者となるのでなければならない。私は明治以降の近代と現代を分かつ質的なものを斯る立場に求めたいと思う。

 写生に試行錯誤はない。唯鍛練あるのみである。而し現代短歌に試行錯誤はつきものである。正確な内容は忘れたが「私達は対象に接してそれを何う言葉に表はそうか と苦心したものであるが、今の若い人達は言葉が先にあるように思う」と言った意味 のことを対談で述べているのを読んだ事がある。この場合言葉とは日常のお喋りでは なくして、理念としての内的なるものであると思う。対立、死、不安等内的なるものによる造型化であると思う。写生に於いて不完全なる没入が未熟であった如く、内的なるものの不完全なるものは独善となる。独善とは万人の内容であるべき言葉が訴求機能を失ったことである。言葉が独り歩きをして対象構成の働きをもたないことである。

 現代短歌は現在自己の像を模索中である。塚本邦雄も山中智恵子も短歌の主流とは言い得ない。主流ではないということは真に現代の感情ではないということである。 一つの方向であっても、現代を包括する唯一者の理念を提起していないということで ある。或はこの混迷そのものが現在としての世界かも知れないが、混沌が凝固する為には今暫くの時が必要のようである。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

墨絵を見ながら

 古美術商を営む某が、或る家が曽我直庵の鷹の絵の屏風を売りたいといっているが 要るかといってきた。美術年鑑を開いて見ると桃山時代の処に重文作家と載っている。私は二つ返事で承知をした。それから二、三日すると、見るも無惨なぼろぼろの屏風を持って来た。二つ折りの中央の処の木を虫が喰って、裏打の紙がぶら下がり、殆ど二つに分離してしまっているようである。これはひどいものだと思い乍ら開いて見てあっと驚いた。にらみ合っている二匹の鷹の凄まじい気魄に圧倒されたのである。紙魚の蚕食した跡であろう。白い斑点が周辺より中央に向かって時々墨痕に迄至っている。而し九十五パーセントは原型をとどめているように思う。

 私は古美術商が帰ってから暫く絵を見つづけた。そして色彩画とは受ける感じが違 う、この違いは何から来るのであろうかと考えた。私は鷹の目を見ながら雪州の彗可断璧図を思い出していた。両者に感ずるのは共に気魄であり、力である。私は見乍ら これは対象鷹を描こうとしたのではなくして、作者が自己の内に感ずる力を描こうとしたのではなかろうかと思った。鷹を描くのであれば彩色をする方が其の真に迫り得る筈である。而し例えば今この松に止まっている絵を彩色して、松葉を緑に、幹を褐色に描いたとすれば鷹は自然の中の一羽の鷹となるのみであろう。而しこの迫力は違 うように思う。鷹が存在の力、自然の力を内包しているのである。迫力は内包の強さ である。

 大分前になるので正確には覚えていないが、彫刻に彩色するのはナンセンスである と書かれていたように思う。彫刻は三次元的である。三次元の世界は力の世界である。それは視覚と異なった、関節覚、筋肉覚の自覚の世界である。其処に視覚的なるものが極力押さえられなければならない所以があると思う。其処に素材にのみを加えるのみであって、色彩を加えない所以があると思う。彫り込んだ凹凸の陰翳が力感をもつのであり、色彩は単純な程迫力は大である。視覚内容の多様性を拒否した墨一色は、彩色画よりも力の表現の意味をもつと思う。而し彫刻の三次元の世界に対して墨絵は二次元の世界である。墨絵の表わす力は、彫刻の表わす力と自ら異ならなければならないと思う。

 墨絵が力を表すとは、立体を内にもった平面となることである。無辺の平面となることである。無始無終の時間が其の中を流れる空間である。時間の否定としての空間である。時間の否定として、時間を内に包む空間である。力を内にもつ空間である。その力は宇宙創造の初めより否定を内にもつ生命としてありつつ、自己の存在を維持 してゆく力である。自己否定的なる時間を包むものとして永遠なる空間である。私は この鷹に感ずる力は、作者が見たこの力を越えた力であると思う。この鷹の力ではな くして、時を超えて生命が生命を維持してゆく力である。其処に墨絵の表現分野があ と思う。

 墨絵を語る時、よく気韻生動と言われる。それはこの働く力が表れていなければならないことだと思う。亦静即動と言われる。この静とは動く物を超えて、動くものを一の立場より見るものとして静であると思う。この鷹の目には太初よりの創造者の力が感ぜられる。静とは見る者をして思いを太初に至らしめるものであると思う。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

歴史の意味

 歴史の意味とは、我々は何故に歴史を知ろうとするかの一語につきるであろう。堀米教授は其の論文「歴史の意味について」に於いて「われわれが歴史に向かうのは、われわれ自身を知ろうとしてである。われわれ自身を知るためには多くの人文、社会の学問があるように、その方法は種々である。而し歴史的方法はそのすべての基礎にあり、事物をその生成においてとらえようとするものである。

 歴史的にみずからを知ろうとすることは、不断に生成転化する歴史世界の中において、同じく不断の生成転化の過程にあるわれわれがどのような位置を占めるかを明ら かにしようとする事である。ここにみずからへの問いは客観的歴史世界への問いに結び付く。われわれはこの世界のわれわれにとっての意味を問うているのである。」と述べている。

 最近は歴史ブームであると言われている。それには種々の条件があるであろう。而しその最も深い理由は我々の自己は歴史的にあるということに外ならないと思う。知るとは自己を知る事であり、自己は他者と関わる事によって自己である。他者に関わるとは世界に生きる事である。世界に生きる事が自己を知る事である時、自己を知るとは世界を自己の内にもつ事でなければならない。我々は世界の中に生まれ、働き、死んでゆく。この世界の中に生きるこの我が逆に世界を内容とするところに自己はあるのである。世界の中にあるものが逆に世界を内容とするという事は、何処迄も世界の中に入ってゆく事でなければならない。世界の中に入ってゆくという事は、我々が自己を失って世界が世界自身を実現してゆく事である。私達の自己は自己を無とする事によって自己を実現するのである。生命は無限に動いてゆくものである。それ自身に動きをもつものである。動くとは一つの形を否定して次の形を生む事である。生命は自己の中に自己の否定を含む矛盾的存在として生命である。否定の喪失は死に外ならない。自己の否定として世界があり、世界の否定として自己がある。世界となる事によって自己があり、自己となる事によって世界がある。それが人間の働きであり、歴史である。

 時代の変化に勝つ事は出来ないと言われる如く歴史は我々を超えた流れである。無 限の過去と未来、数十億人の汝、彼が交叉する歴史的現在は一つの魔力とでも言うしかない力である。我々を一微塵として翻弄するのみである。歴史的事件はよく意表をついて複雑怪奇であると言われる。世界は世界自身の展開として我々の思量を超えたところに働くのである。而し其の故に世界を内にもつ事によって見出される自己は亦限りない奥行きをもつ事が出来るのであると思う。「自己を知れ」とか「汝自身を知れ」という言葉がある。自己の知るべからざる深さを歎いた言葉である。この言葉は自己が世界を円にもつ事によって自己である世界の深さに淵源をもつと思う。

 しかし翻って考えれば歴史の複雑怪奇は、この我、汝としての個人が世界を超えたものであるが故に起こり得るのであると思う。私が世界を内にもつという事は働く事よって私に世界を実現するという事である。すでにある世界を否定して私による世界を実現する事である。世界は個的生命を超えて個的生命の否定として動く。而し世界が動くのは世界を超えた個的生命の世界の否定として動くのであると思う。それなくして世界が動くという事が出来ないと思う。われわれは世界によってあると共に、世界は我々によってあるのである。この事は世界を知る事は我を知る事であると共に、我を知る事は世界を知る事であるという事が出来ると思う。それならば我を知る事が世界を知る事であるとは如何なる事であろうか。

 教授も言う如く歴史的世界は不断に生成転化する。而し単なる転化は何ものでもない。転化は一の多として転化するのでなければならない。世界史という時、転化は常 に世界に包まれていなければならない。常に転化を超えて世界でありつつ自己自身を転化させてゆく世界がなければならない。時は流れる、而し単に流れるものは時間ではない。時間は過去、現在、未来の統一に於いて成立するのである。初めと終わりが結びつくのである。初めが終わりを孕み、終わりが初めを含むのである。キリスト教 の世界終末の神の審判の如き、佛教の億劫未来の弥陀の救済の如き、近代思惟に照らして荒唐無稽とも言い得るであろう。私もこれを肯うものではない。而し斯るものによって時は成り立ち、歴史は動くのである。私は斯る時の統一は、我を知る事が世界を知る事であるところより考えられると思うのである。

 世界を内にもつとは働く事であり、我々は働く事によってこの我となる。働く事は技術的として物を製作する事であり、技術は無限の過去を負うところに成立する。物は世界の相として作られる。我々は無限の過去を自己の内容とすることによって一瞬、一瞬世界を実現していくのである。一瞬、一瞬世界を実現していくことは、一瞬、一瞬世界を過去として否定していく事である。実現せられた世界は、外的世界として我に対立し、我々に否定として、死として迫って来るのである。形相的個化として、我々の自由なる創造的生命を固化せんとするのである。斯る死として迫って来るものを生に転換するのが働く事である。世界は生死転換として自己を実現するのである。与えられたのは否定すべく与えられている。この否定的転換点が歴史的現在として時を包むのである。

 問の中に答はあると言われる。問の根底に還える事が答である。世界は時の統一として世界であり、統一するものが働く事が世界である。働くものは我々であり、我々が働く事は逆に世界を内にもつ事である。この事は我々の一人、一人が世界と同じ根底に立つということでなければならない。無始無終の世界は、無始無終のこの我でなければならない。私達一人、一人が無限の過去と未来の統一である。一々が時の統一者であって初めて世界の時の統一が成立すると思う。生殺与奪の長い繰り返し、流れたはかり知れない血と涙、我々の感性はその上に成り立っているのであり、それを潜めるのである。而してそれは知る事によってより養われるのである。私は我々の歴史的認識の欲求はここより来るのであると思う。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

一期一会

 私達は言葉を介して自己自身を知る。私の言葉は私が事に触れて自分を見出だしてゆく私の表れである。そして日本語は日本人が見出だした日本の表れであると思う。一つ一つが日本人が作り出した日本の姿であると思う。私は其の中に於いて一期一会は最も深く日本の心を表わす言葉の一つであると思う。儒教の仁、キリスト教の愛にもすべき深い内容を持っていると思う。深いと言うのはそれによって、日本人の心のあり方の全体像が掴まれ、それは人間存在の本質的普遍を露わにすると言う意味である。以下少しこの言葉が内包するものを考えて見たいと思う。

 一期一会と言うのは、この時、この出会いと言う事であろう。流れる時のこの一点としての今の汝との出会いと言う事であろう。この今とは如何なるものであるか。これを明らかにするために時間について立ち入って考えなければならないと思う。

 時間は通常過去、現在、未来として、無限の過去より、無限の未来へ流れるものと考えられている。現在は掴むべからざる唯無限の流れと考えられている。而し私達は単なる流れから時と言うものを見る事も掴む事も出来ない。水の流れは時を映す。而し時の内容を持たない。其処から私達は時を捉える事は出来ない。時は変ずるものでなければならない。而し単に変ずるものも亦時と言う事が出来ない。自然は変ずる。花は咲き、花は散る。而し其処からも時の意識は生まれる事が出来なかった。人間は先ず暦によって時を捉えたと言われる如く、農作業によって世界に面する時、世界は時の形相を持ったのである。即ち時は行為によって対象に投げかけた自己の相である。斯るものとして時間は人間の主体に即して見られるものである。行為とは如何なるものであるか、対象が死として迫って来るものを、働く事によって生に転換する事である。放置すれば雑草、乾燥のために餓死しなければならないのを除草、潅漑の努力によって豊かな生に転換さす事である。変ずるものは全て内在的矛盾によって変ずる。斯る内在的矛盾的なるものが自覚的行為的として外に、物に自己を見てゆく、この物に自己を見てゆく技術的操作の内容が時間である。物が過去として、あるべき相が未来として、行為的現在の内容となり、時の相が成立するのである。物は技術的、表現的に決定された過去として現在の中に死んで行き、行為の中に新たなものが生まれるのでる。行為は事実的として、この現実の中に過去と未来は動転するのである。時は自覚的表現的生命が自己自身を見た相である。よく記憶に於いて過去があり、希望に於いて未来があると言われるのは、この我が自覚的事実として、行為的現在の立場に立つが故に外ならないと思う。我々は働く事によって未来と過去をもつのである。企画し、想起するのである。斯くして現在は事実的として過去と未来をふくむ全時であり、永遠の相をもつのである。而して現在は絶対に否定さるべきものとして現在である。現在が現在自身を否定するものとして現在である。死すべく生まれて来た生命は恒常の相より見る時矛盾である。絶えざる生より死への推移である。斯る生命が自己自身を知るものとして人間がある。移る瞬間は捉える事が出来ない。而しこれを捉える事なくして自覚はあり得ない。この捉える事の出来ないものを捉えるのは、瞬間を捉えるのではなく、瞬間が瞬間自身を見るものとして初めて捉える事が出来ると思う。それが現在であり、瞬間が自己自身を見るものとして行為の根底は直観である。生より死へとして自己を絶対に否定する所に現在がある。而して否定を肯定に転じ、死を生に転ずるものとして現在である。時は現在より現在へ、永遠より永遠へと移るのである。

 技術的発展は歴史的であると共に、歴史は技術的展開的である。ナイル川の氾濫と恵みがエジプトに暦を生んだ如く、時は其の奥底に於いて歴史的時である。歴史は無数の個的生命によって作られる。無数の個的生命が物と我と相対し、我と汝と相対するものでありつつ、それを自己の内包する矛盾としてそれ自身の自己限定をもつのが歴史である。物と我、汝と我とは対立するものとして、絶対の否定をもつのである。死の深淵をもって相距てるのである。これを統一するのが歴史である。 我と汝は技術的表現的物を見る事によって結ぶのである。表現的世界に於いて出会うのである。この事は亦表現的世界の中に於いて我と汝は相対するのでなければならない。自己であるとは世界の中にあるものが逆に世界を中に見る事である。製作者として、歴史的、 技術的なるものを所有する事によって作るものとなるのである。斯く世界を内に見るによって作るものとなるのである。斯く世界を内に見る事によって我は種的連続を超えて絶対の生となるのである。絶対の生として死は絶対の死となるのである。斯るものとして歴史は限り無い暗黒と光輝である。愛と罪である。歴史的世界は一人一人が担うのである。世界が深くなるとは一人一人がいよいよ深くなる事である。より大 なる世界を内容とする事である。意志は世界を所有せん事を欲し、神人たらんとする。それは他者の絶対の否定である。其処は果てしなき闘争の世界である。而し我があるとは我と汝が相対するものとしてあった。汝の否定は我の否定である。技術は死に面しての生への転換として、絶対の死をもつ処に見出されるものであつた。しかもそれは歴史的として多数の人々の間から生まれるものであった。自己として世界に面する時如何なるものも其の深淵に無として消え去るのみである。流れる時の前に英雄も亦槿花一朝の夢に外ならない。

 私は前に我々の自己は世界の中にあるものが逆に世界を内にもつ事によって有ると言った。歴史的技術的世界を内容とする事によって、物としての世界を働く事によって転換する処にあると言った。この事は世界を内容とする事は愈々深く世界の内容となることでなければならない。我々が自己を見出でて出ていく事は世界が自己を見でてゆく事でなければならない。真の自己は物そのものとなって働く処に見られると言うのはその間の消息を語るものであると思う。真に創造的なる時寝食を忘れるのである。斯るものとして世界と自己とは、生命創造の両極に見られる一なるものの影であると思う。真なる生命は個的、世界的として、自己の中に絶対の否定をもつ無の限定と考えられるものであると思う。この絶対否定を以って対するものが無に於いて自己を限定するものの両極として真に一なる時、我々は歴史的形成的となるのである。而して無なる生命は形相的に自己を限定するのである。この限定された形相が限定するものである処に、無の限定はあるのである。そして無の限定の方向に世界が見られ、形相の限定の方向にこの我があるのである。世界はこの我の根底として、我々は其の中に埋没してゆくのである。而しこの我は世界を作るものである。其処にこの我が 世界に蘇る契機がある。世界の手となって働き、世界の目となって見るのである。世界は多くの人が寄って形造るものである。世界は多くの人が多くの人でありつつ、世界として自己自身を創ってゆくのである。世界が一つであるとは多くの人が自己を捨てる事である。多くの人が多くの人であるとは個性に於いて世界に参加する事である。私は前に行為は意志であり、意志は世界を自己の内容とせん事であり、他者の否定として結果は自己を否定する悪であると言った。斯る意志が逆に世界の内容となり、行為は自己を見るのではなくして世界の実現となるのである。悪の否定は善である。世界を内容とする事によって見られる自己は世界そのものとなる事によって完成するのである。其処は自己の絶対の肯定である。其処は愛の世界である。お互いが自己を否定してより大なる世界を実現せんとする関わり合いが愛である。

 私は真に人が出会うのは斯る処に於いてであると思う。意志として物を介して相対する処に尊ぶべき出会いは無い。自己を否定して世界を実現すると言っても単に世界と言うものは無い。我、汝、彼の無数の人の関わり合いである。関わり合いとして、自己を否定するとは汝に否定するのである。我と汝があって出会うのでなく、無として出会いの中から我と汝が見出されるのである。今としての我が生まれるのである。この新たな我が生まれると言う事が世界が世界を作ってゆく事である。新たなる自己が見出されると言う関わり合いの密度が、より大なる世界が実現されると言う事である。よき出会いは言葉、礼節と言った歴史的技術的なるものを介し、その最も適切なものを選ばなければならない。其処に今の生命が生まれるものとして一期は永遠の今の意味をもつのでなければならない。一会は新たな自己が生まれるのでなければならない。斯る意味に於いて同じ人との出会いに於いても刹那刹那が一期一会である。木も石も亦汝として出会いである。生命は生の事実として自己自身を維持する。生の事実はこの我であり、汝である。出会いである。出会いの中から我と汝が生まれる。生まれた我と汝が、我であり、汝であるとして出会う時に対立が生まれ、否定が生まれ我は汝を我の実現の内容たらしめんとし、汝は我を自己の実現の内容たらしめんとする。一期一会は再び初めの出会いに還る事である。もとより一度見出でた自己は単なる無に還る事は出来ない。自覚内容としての時は一瞬の過去にも還る事は出来ない。此処で自己は自己でありつつ自己でないものとなるのである。自己を絶対に否定して世界となり、出会いの中に新たな自己となって生まれるのである。死して生まれるのである。生命が生の事実として自己を維持するとは、この死して生まれるものとして、自己を維持するのである。一瞬一瞬再び同じ事のあり得ない我々の意識はこの死して生まれる処より出でて来るのである。一期一会は斯る生の実相の自覚であり、実現であると思う。無の中に死に、無より生まれるのである。

 私達は知る者として自己であり、知る者として人間である。私達は知る者として生まれ来り、知る事によって自己となる。知る生命はこの我を超えた大なる生命である。この我を超え汝を超えて、この我、汝に生みつぐものとして、人間の本質である。我々が知り、働くのは、この生命が我に於いて働くのである。形なくしてこの我に於いて形を実現するのである。無の中に死に、無より生まれるとはこの大なる生命に於いて働く事であり、大なる生命が働く事である。形なくして、この我に形を実現するものとして真に働くものは大なる本質としての生命である。我と汝を超え、我と汝を関わらしめるものとして、無数の個的生命を超え、無数の個的生命を包んで一つならしめるものである。本質は働くものであり、此処に於いて全ての現象は一つなるものの示現である。此処に於いて我々は自己の生まれる前の過去、死した後の未来を内容とする事が出来るのである。現在が過去を孕み未来をはぐくむとは斯る働きから考えられるのであり、前に現在が永遠の今としてあると言ったのは断るものとしてである。我々は働くものとして、本質的なるものの実現として全存在を宿す事が出来るのである。永遠を未来の面目とする永遠の影としてあるのである。ゲーテの言える如く我々は働く事によって救われるのである。

 この一なる生命の中に無数の個的生命が生まれ死に、対立し統一してゆくのが歴史 である。一即多、多即一として、時に多の原理が働き、時に一の原理が働く。而してこの無限の過程が一つになる時歴史がある。一期一会は今、此処として最深なる一者 の表れとしてあるものである。全てが自己を否定し、そして表れる形としてある。生と生の対面の中に時は包まれるのである。この我、汝として歴史の中に際会しつつ、絶対の自己を否定として、汝に生き、他者に生きるものとして永遠に面するのである。

 勿論私は斯る自覚の下に一期一会の言葉が生まれたと言うのではない。否言われる如く日本人は君の臣、親の子、夫の妻として生を見出したと言う事が出来る。昔の日本語に人格と言う言葉がなかったと言われる如く、其処に真の自己はあり得なかったと言い得る。前にも書いた如く自己は世界の中にあるものが逆に世界を内容として見られるのである。而し私は其の故に一期一会があり得たと思う。日本の文化は情的方向に見出でたと言われる。情に於いて自他は直に一つである。古代ギリシャの悲劇を読む時、私達の胸は暗澹たる雲に閉ざされざるを得ない。もらい泣きと言う言葉がある如く、他者の涙が己れの目に溢れて来る。吾がほほえみは他者のほほえみとなる。あるものが一つのものとしてある。斯るものとして日本の形は調和の形であったと思う。全体の中の一である。自然の中の家であり、家の中の一室であり、一室の中の器具である。家は自然を写し、一室は家を写し、器具は一室を写すのである。人は一人一人が宇宙を写すものとして、出会いの相手にいたるのである。主は客を写し、客は主を写すのである。其処に宇宙的生命を見るのである。調和は存在を大円と見、個々は大円を写すものとして大円を実現する事であると思う。そしてこの大円の基礎をなすものは自他直に一つなる情の波動であると思う。

 その故に私は一期一会は日本的特殊の意味をもつと思う。個的なるものが極小化さ れ、全体の中に没してゆくのみである。形は宗に還るのみである。働くものはこの我であり、汝である。この我が見えてゆくとは常に新たな我となってゆく事である。瞬に自己を破ってゆく処に自己がある。それは世界が自己自身を破って新たな世界を見てゆく事である。生命は否定が肯定として内外相互転換的に自己を維持し、形成してゆく、其処に時があり生命は時である。大円に没し、宗に還る処に時はない。あるものは時なき無辺の平面である。生命は常に自己限定的に動く。それが形をもつ時、今、此処として特殊化する。特殊の背後には常に普遍的なるものがあるのである。日本的特殊も亦風土と民族性を負える人間の自覚的限定である。而して特殊は普遍に還 る事によって真の形象をもつ事が出来ると思う。全は個を含む、而しそれは没するものではない。否定契機として含むのである。其処に自覚がある。其処に真の調和が生まれる。出会いはこの我と汝の出会いである。この我と汝は世界を内に含み、世界実現的に働くものとして、人格としてこの我であり汝である。其処に私が前に書いた一期一会があり、一期一会の普遍があると思う。一期一会は真の形、形象をもつ事が出来ると思う。西洋的近代自我の洗礼を受けた我々にとって、宗に還ると言うのは浮遊の如き感なきを得ない。よく茶道に於いて一期一会が言われる。而しそれは最早我々の自己限定より離れた遊戯の感なきを得ない。出会いは現実のこの我の自己限定として出会うのである。織豊、江戸の時代にはよく現実限定の意味を茶道は持っていたのだと思う。古い皮袋に新しい酒を入れる事は出来ない。時代と共に形は亡びる。而しそれが日本的真理である時、日本人の中に新たな装いを持って生まれるのでなければならない。人間的真理である時、人間と共にあり続けるのでなければならない。その為に私は私の考えた如き論理的基盤がなければならないと思う。

 私は冒頭に、それは人間存在の本質的普遍を露わにすると言う意味であると書いた。それは論理の普遍的構築をもつ事であると共に、よく他の特殊との対面に耐え得るものでなければならないと思う。以下これについて少し考えて見たいと思う。現代は多様の時代であると言われている。人間は自覚的として物に自己を見てゆく。外に限定してゆく、この見出してゆくものとしての主体の性格と、見出されるものとして客体の性格によって一つの形式が生まれる。性格が異なる時異なった形式が生まれるのである。それが現実に於いては民族性と風土として形式を決定するのである。多くの民族が各々特有の形式をもち、それを持続するのが多様である。而し世界は世界として一つたらんと意志を有する。歴史的意志として現在を決定せんと欲する。斯るも のとして世界の現在の矛盾を最も救済するものが主流となる。最も深い世界史的自覚を持った特殊が世界史的普遍として他の特殊を指導し、一つの時代を形作るのである。他の特殊はそれに追随してのみ特殊となるのである。近代に於いて世界史的普遍となったのはヨーロッパであった。而し栄えたものは衰える。私はヨーロッパは自己自身の内在的矛盾によって衰えるのであると思う。世界を知的、意志的方向に見た泰西文化は、分割、対立として、形相的に展開して行ったと思う。我思う故に我ありは近代ヨーロッパを象徴する金字塔である。而し分別、対立は何処迄も分割、対立である。西洋哲学は全て克服されるべき課題を持っていると言われる所以であると思う。生成期に於いて個は世界の個であった。自我は世界の創造的尖端として自我であった。創造的尖端であるとは常に世界を破る事によって創造的尖端である。自我が自我である時、世界が失われる所以が其処にある。英国病と言われる生産を無視した賃金の要求。山猫スト等肥大した自我の末期症状であると思われる。多様とは斯る指導原理の崩壊と、新たな指導原理の模索の過程に見られるものと思う。新たな指導原理は突如として生まれるのではない。それは過去を受け継ぎつつ、過去の矛盾の救済として生まれるのであると思う。それは亦過去の自覚に匹敵する大なる論理を潜めるものであると思う。私はヨーロッパの崩壊は分別、対立が初めと終わりを結ぶものを持たない。直に一つなるものを持たない事に原因すると思う。それに対して日本的自覚は直ちに一つとして対立するものが極小化されている事はすでに述べた。宗に還るものとして、初めが終わりであり、円還的であると言った。私はこの相反するものの統一が次の世界の形象を生んでゆくように思われる。勿論歴史は歴史自身が決定する。個の意志を超えてより大なる自己の相を選擇する。それは我々の思惟を絶するものである。而し歴史は我々の作るものである。多くの人の構想の綜合である。ともあれこの頃よく 新聞紙上に欧米の学者により、二十一世紀は日本の世紀であると言われている。そして日本の人々の間に一期一会、出会い、ふれあいと言った言葉が多く語られている。私にはそれが何かを暗示しているように思われる。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

花有情

 よく飲みに寄るグリル文福の正面に、花竹有情と書いた額が掲っている。明るさと 温かみを持ったよい言葉だなあと思って何時も眺める。書体も優美、清楚でよい。此処にはたまゑ君と言って評判の才媛がいる。ドストエフスキーに傾倒していると言うので、話すのを楽しみに行くのであるが、何分私は一番安物の客である。利潤追求の必然として、私の前に来るのは客の空いた時となる。豪勢な客に彼女が営業用の微笑をもつ時、手持無沙汰な私は花竹有情とは何ういう事なのだろうかなどと考える。今日は一寸閑なので以下感じた事を書いて見たいと思う。花も竹もとはいかないので花 に主題をとりたいと思う。

 花有情と言っても花が情念をもつのではないと思う。遺伝因子と環境の関連の必然 としてある花に、感情や意志のあり得ないのは当然である。而し私達がこの言葉にうなづかざるを得ない時、花は私達に語りかけ、誘いかけるものをもつのでなければな らないと思う。呼び応えるものがなければならないと思う。それが花自身から考えられない時、花有情の花は花自身より更に深い意味をもつものでなければならないと思う。勿論それは花以外のものであってはいけない。あく迄も花でなければならない。果してそうであるならば、この語らさるものが語るとは如何なることであろうか。私はこの謎を解くためには人類が経て来た、限り無い時間の秘密の中に入りゆかねばならないと思う。

 私達は目で花を見る。そして見えた花を美しいと思う。そして花を見る目は直ちに美と結び付くように思う。而し花を見る目は直ちに美に結び付くものであろうか。或る人の短歌に、畦の草刈をしていると美しい花の一株があったので其処だけを刈り残したと言うのがあった。若しこれが牛であったら食べ残しはしないであろう。若し食べ残すとすれば食えないからであろう。視覚神経は同じ構造をもつはずである。生命としての生体を維持せんとする動物に於いてあるのは食物のみである。其処に花の美しさはあり得ない。若し花園の中に羊をつないだとしても、羊の知るのは何れが食えるかであり、見るのは食えるもののみであろう。今でもオーストラリアの山中に真に原始生活を営む人がいるそうである。雨期になって川に水が溢れ、植物が茂り、動物が繁殖すると、何処からかともなくその種族の人が集まって来、乾燥期になって食物がなくなると亦何処かへ散ってゆくそうである。その人達は死の恐怖も生の歓喜ももたないそうである。そして汚れた泥のような肢体に生きているそうである。私は其処にはやはり花を美しいとする目はないように思う。それならば人間が花を美しいと見る目を開いた発端は何であったのであろうか。私はそれは人間が神を見た時に始まると思う。我々の祖先は先ず死の恐怖に於いて神を見た。死として無に帰した霊魂を形に露わにする事によって鎮めんとした。生死を超え、生死を支配するものを造形する事によって死よりの救済を求めんとした。私はそれは人間の自覚の最初のものであると共に、最も本質的なものであると思うのである。(それについての考察は亦別 の機会に譲りたいと思う。) 古代遺跡として今に残る造形物は全て斯る意味をもつと思う。全て怪異であり、巨大である。而しそれはまだ美ではない。此処に美ではないと言うのはまだ美意識を生まなかったと言う意味である。私はそれが美となったのは製作者が自己の力の自覚を持った時からであると思う。形の中から次の形が生まれた時からであると思う。形の中から次の形が生まれる為には、作者は自己の内面的なものに入ってゆかなければならない。無なるものが形となるのは全て内面的なるものの表出である。原初に於いては人間一般的であったものが、この我としての真の内面的なるものとなるのであろう。人間一般と言うのはあり得ない。あるのはこの我だけであり汝である。この我が自とは如何なるものであるかを求めた時、自己の奥底に人間一般が見られるのである。人間一般は内面となる。表現はこの個と一般の相剋と統一の苦悩と歓喜である。この我の確立によって生死は愈々深くなる。無限の形は此処より生まれるのである。この自己の底から一つの形より、次の形が生まれる時、私達は美しいものの意識をもつのであると思う。自己の形を見るとは世界のイデアを見るのである。

 花を見て美しいと思うのは、このような人類の内面的発展をひそめもつが故に外ならないと思う。私達の目を牛や鳥の目と分かつものはこの限りない苦悩と歓喜の努力の上にあるが故に外ならないと思う。或は私はそのような苦悩と歓喜、内面的発展を持たないと言われるかも知れない。而し前に書いた如く、個としてのこの我が見てゆく自己の奥底は世界である。世界の自己実現としてこの我はある。世界の自己実現として真の創造は歴史的創造であり、歴史的現在としてこの世界は無限の過去を孕み、未来をはぐくむのである。我々はこの世界を映すものとしてこの我である。我々は一つの生物としてではなく、歴史的創造の創造点として、過去、現在、未来を統一するものである。

 日本人は花を自然の花としてではなく、活花として存在の相を表そうとした。自分の一番深い相を見ようとした。種の花に無常な己の生命の姿を見、散りゆく桜の花に己の死すべき姿を見ようとした。やはり野におけれんげ草と言う句は、亦己が野生への郷愁でもあったであろう。白い花に清潔を、赤い花に情熱を、全て花は情念に於いて捉えられ、見られたと言う事が出来る。そして私達が今花を見る目はこの生花の形が働き、和歌、俳句の心が働き、物語りが働き、絵画が働くのである。私は花有情と言うのは、花が情念をもつのではなくして、過去より数限りなき情念の目を以って見られ、私達の目はそれをひそめるものとして、花を介しての過去との目の対話であると思う。目がひそめもつと言う事は花がひそめもつと言う事であり、花がひそめもつと言う事は目がひそめもつと言う事である。目は歴史的現在の目であり、我々の目は歴史的現在の目として全人類となる。内容をもつのである。この事は花が情念の影となる事ではない。斯る目に於いて花は愈々赤く、愈々白いのである。花の色愈々鮮やかにして情念の愈々大なるものがあるのである。園芸を培うのは亦自己の情念を培うのである。そしてその情念の背後に深き歴史的創造の世界があるのである。バラを見る時リルケの詩があり、ダリヤを見る時ゴッホの画がある。菜の花を見る時蕪村の句があり、垣根の小さな花を見る時芭蕉がある。世界に入る事深くして花は多くを語ってくれるようである。花に我と過去と出会う時花に情のすまうのである。花も目も我も重畳無限の歴史的自覚の内容であり、限りなき生命の荘厳である。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

血の記憶

 透明な初冬の空をふるわせて銃声が響く。目を向けると木の間がくれに、二、三人猟銃を担いだ人が山を登っていくのが見える。ああ今日から狩猟解禁になったのだなあと思う。

 今は亡くなったが私の家に鎌を作って持って来る出井肇という男がいた。其の男が無類の狩猟好きであった。私達もよくついて行ったものである。そして行く度にその無精髭を生やした男達の敏速な行動に感心したものである。誰かが「兎だ」と叫ぶと、声と同時に担いだ銃を手に執り直しグループの者は走り出していた。その背後より出井さんは、「誰は向こうの山の峯、誰は彼処の谷の入口、誰は何処」と指示を与えていた。慣れというのはえらいもので地形を見ると兎の逃走経路が判るらしい。やがて犬が追い出した姿を見つけると轟然たる音が響き、暫くすると鉄砲の先に縄で括った人が現われたものである。

 けものの棲む山路は険しい。夕方になると犬は長い舌を垂らして激しい息遣いに歩き、人は谷間の水を見つけると鼻先を浸し乍ら水を呑んだものである。四、五人のグループの人がそれ程苦労をし乍ら其の日の獲物は私達ついて行った者に呉れたものであった。私はもらい乍ら何で獲りに来たのであろうと思ったものであった。聞くといつも「面白いから」という答えが帰ってきた。

 何時であったか私は、我々が狩猟に興ずるのは獲物を追って山野を駆け回った縄文時代の血の記憶が騒ぐのだという記事を読んだことがある。勿論血は記憶を持たない。記憶をもつのは頭脳である。而し頭脳が記憶を持とうにも、我々は縄文時代の山野も知らなければけものも知らない。大正に生まれた者が縄文時代の野を走れる筈もない。私はこの言葉の中に深い真実が潜んでいると思わざるを得ない。

 私達の生命は無限の過去を背負っている。私達が今この人間の姿をもつ迄に生命は 幾つもの過程を持って来たのである。私達が胎児となった最初には、横に幾つかの点模様がついており、それは人間が曽って水中に棲んでいた頃鰓で呼吸した痕跡であるというのを読んだ事がある。それから両性類、哺乳類の形態をとり、生まれた時は猿に似てやがて人間の姿を完成すると書いてあったと記憶する。恐らく私達は生命創生以来の姿をこの身に具現するのであろう。私達の身体は斯るものの統一としてあり、斯るものの統一としてある事は斯る無限なるものが働く事であると思う。働くとは動かす事である。我々の行為をあらしめる事である。

 私達は水を浴びたい欲求をもつ。若し水に馴染めない皮膚であれば何うしてこのような欲求をもつのであろうか。そしてこのような皮膚は原初の水の中に生きた時に作られたものであると思う。尚その時の生命が働いているのであると思う。濡れたままでいる事を嫌う。それは水の生活を超え、水中の生命を否定して現在の形態を獲得した生命の働きではないかと思う。

 自覚的生命としての我々の行為は意志的である。合目的的である。而し我々の日常の全てが合目的的な有意動作ではなくして、意識下としての無意識的なものが働いている事は多くの人の言うとおりである。私は意識下とは身体自身としての無限の過去が働いている事であると思う。我々がそれを超克し来ったものとして、我々が其の上に成り立つものとして掴む事の出来ない大なる生命の力であると思う。超克するとは我々の目的的行為はその上に成り立つ事である。全存在は我々を一点の微塵とするものである。

 超克するとは一微塵が逆に全存在を内にもつ事である。現在の一点に於いて過去を 未来に転ずることである。有意的動作は無意識的としての意識の縁暈の上に成り立つのである。意識下の世界は我々を一微塵とする延展を有すのである。我々は混沌の中にある。自覚は混沌の自覚である。

 自覚的生命は表現的生命である。自覚とは外に物を作る事に自己を見てゆく事である。物を介しての人間の連結が社会である。斯るものとしての我々の身体の無限の過去は社会としての習慣の中に保持すると言う事が出来ると思う。血の記憶とは、親の興奮する声が我の興奮を呼んだものであり、親はその親より、その親より連綿として継続せる血の騒ぎであると思う。水浴は太古の皮膚の記憶とも言い得ると思う。縄文の血の記憶とは社会的習性を通じて我と縄文人が直に一なるものがあるということであると思う。

 ギリシャ悲劇に流した人の涙は直に私の涙として私の目より溢れ出て来る。幼児の 微笑みは直に我々のほほえみとなる。血に於いて、涙に於いて、ほほえみに於いて、 古今東西を超えて我々は直に一つなるものをもつ。私は世界は異なるものによって作られ乍ら一つであるというのは斯るものに根差すと思う。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

慈悲

 鬼子母のごとくやはらかき肉を食うなれば僅かな塩を吾は乞ひけり 葛原妙子

 短歌雑誌を読み流しているうちにふとこの作品が目にとまった。作者の感性が深く私の心にふれるものがあったのである。以下少し評釈めいたものを書いて見たいと思う。鬼子母は周知のごとく、幼児を奪って其の肉を食ったという鬼神である。奪われた親達の嘆きを見かねた釈迦が、鬼子母の留守中にその子をかくし、子のいなくなった鬼子母が狂った如くさがすのを見て、釈迦が奪われた子の親達は皆そのように悲しいのだと諭し、それより幼児の守護神になるという説話中の人である。作者は勿論幼児の肉を食ったのではない。何の肉か知らないが、やわらかい肉を食ったのである。私達ならば歯に合っておいしいなあという肉を食ったのである。而し作者は鬼子母のごとと思った。食うという行為の中にかくされた罪を感じたのである。この罪の思いは何処から来たのであろうか。

 人間は知る動物であると言われる。私達は物の尊さを知ると共に、それにも増して生命の尊さを知る。自己の生命の尊さを知ると共に他者の生命の尊さを知る。限り無い自己の生命の奥底を知ることは、一本の草、一匹の虫の中に秘められた限りない時間の重さを知ることである。而して私達は生きていく為に他者の生命を食わなければならないことを知る生命である。

 聖書は知恵の果実を食った時より人間は罪を背負って生きていかなければならない と説く。原罪である。原罪とは生命の尊厳を知った者がその生命を食わなければなら ない悲しみであると思う。作者はこれを知るが故に負わなければならない、何うする ことも出来ない悲しみ、努力によって離れることの出来ない宿命を、一切れの肉を食 うことの中に感じたのであろう。下旬の僅かな塩を吾は乞いけりはこれを訴えて痛切 である。

 「愚人の喜びよりは、賢人の悲しみを我は求めん」という言葉がある。愚人ならばやわらかき肉に舌づつみを打って、もう一皿と思うであろう。而し作者がもったものは美味の楽しさではなかった。僅かな塩を乞いけりの中にあるものは、沈潜した静かな悲しみのひびきである。

 知るとは生命の矛盾の底に入ってゆくことである。深く知るとは悲しみの深くなっていくことである。而し偉大なるものはこの矛盾の中、悲しみの中より生まれるのである。仏教の中に慈悲という言葉がある。私は慈愛という如きものも斯る中より生まれて来るのであると思う。否この内なる悲しみが、外に人と会う時おのずから慈愛であると思う。母親が子を慈しむのはもとよりその純なるものであろう。而し自分の子を慈しみ、他人の子を疎むというが如きは真の慈愛ということが出来ない。生物的、本能的と言われても仕方がないと思う。人間に於いて真にあるとは斯くの如き知性、感性をくぐって来たものでなければならないと思う。同根なるものが否み合わなければならない。この否み合わなければないのが悲しみであり、同根に還ろうとするのが慈しみである。斯くして慈しみは、生物的、本能的なるものを超えて全人類へと亘るのである。冒頭の短歌に読者は静かな悲しみと共に、限りない悲しみの心を感ぜられると思う。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

地神さん

 昨日松本貢さんよりさつきが咲いたので見に来ないかと言われて行った。庭の花を見終わって目をあげると石の祠が祀ってある。「貴方とこ地神さん祀っとってんかいな」と聞くと、「いやそれ他所のやつでなあ、神さんの横に椿の木があるやろ、その枝を切ってえろう叱られてなあ」「それ亦何でやいなあ」 「いや其の家の亡くなったったおばあさんがこの椿の木を触るときまって腹が痛うなっりょったったらしい。それで椿の木に触るなと言う遺言があったらしいねん。それを知らなんだもんやはかいなあ」との事であった。触るなとは勿論傷をつけるなと言う意味であろう。私はこの腹痛くなると言う事にふと興味をもった。それはオーストラリアの山奥の未開社会での記録を思いだしたからである。

 原住民と一緒に暮らしていた其の人の記録によると、原住民の一人がトーテムしている樹が枯れ出した。そうすると其の住民は何処も身体が悪くないのに食事が喉を通らなくなってしまった。そしてその樹が枯れてゆくに随って衰弱して行った。何とか食事をさせようと医者が手をつくしたが無駄だったと言う。そして彼は樹の枯れおえるのと同時に死んだのである。

 トーテム社会は我々の論理的思考をもってしては到底理解し難い。而し私は恋の如 きはトーテムに近いのではないかと思う。恋に於いては恋する人の喜び悲しみは直に 自己の喜び悲しみである。真に恋する者にとって対象の死は自己の死である。恋は 思案の外と言われる如くそれは何故であるか己も亦知らないものである。私は其処に 情念の論理、生命の自覚の原型があるのではないかと思う。

 自覚とは外に自己を表す事である。外を物とし物に即して自己を見出していく。而してそれは生命の自己限定として内即外、外即内の意味をもったものでなければならない。その事は最初に外を見出した時、外も亦生命として内外末分の状態であったと思う。近代的自覚の底流にも斯るものがあると言う事が出来る。真に創造するものにとって、学者は学問に、技術者は技術に死んでゆくのである。外に即すると言う事は外の無は内の無でなければならない。

 勿論おばあさんのはトーテムではない。超越者との関わりである。対象と自己が同一の霊ではなくして、我の運命を決定する大なる力としての霊である。唯祈り祭る事によってのみ宥和を乞うものである。そのおばあさんは本当に腹が痛くなったのであろう。身体があって情念があるのではなく、身体は情念の影である。生命は身体的であるより深く情念的である。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

想起について

 ソクラテスは我々が物が互いに等しいのを知るには、等しい事自体、即ち等しさの本質を知っていなければならないという。無から有は生まれて来ない。我々が知るというには何等かの意味で既に有るものが働かなければならない。而し相起も亦知る事ではない。知るという事は何処迄も現在を限定するということでなければならない。新たなものがなければならない。新たなるものによる新たな体系の創造が知る事であると思う。而し新たなるものといっても突出的にある事は出来ない。既にあったものが働く、其処に新たなるものがあるのでなければならない。知るということは過去と未来が現在に於いて唯一形相を実現する事であると思う。過去と未来は何処迄も相反するものである。過去は未来でない事によって過去であり、未来は過去でない事によって未来である。過去は未来を否定する事によって過去であり、未来は過去を否定する 事によって未来である。相反するものが一つであるとは如何なることであろうか。

 物理学は筋肉覚、関節覚の無限の発展であると言われる。無限の発展とは身体とし ての筋肉覚、関節覚を超えて力の表出がそれ自身の内面的発展をもつ事である。私は其処に知る事が成立するのであると思う。身体が身体を超えて外に身体の形相を打樹てる、それが私達の知るという事であると思う。身体が身体を超えて外に身体を見るということが世界を作るという事である。知るとはこの世界に映して知るのであると思う。

 大彫刻家ロダンは道を行く一少女を指さし乍ら「あそこに全フランスがある。」と言ったという。全フランスとは、フランスの自然と人間が作り上げた生命の姿であると思う。我々の身体は無限の過去をもつのである。単細胞動物より人間へ、はかり知る事の出来ない時間の上にあるのである。環境との相克の中に形より形へとして今の我々はあるのである。それは単に過ぎ去ったものでない。我々が今あるとはこの全時間が働いているという事である。我々が歩くのも、見るのも、この全過去が働いている事によって初めて可能なのである。天地創造以来の宇宙的生命の、自己創造の一凝縮点としてあるのである。一凝縮点として全存在を内にもつのである。

 人間が自覚的生命であるとは、斯る生命が自覚的である事であると思う。自覚的と は外に見る事である。外に見るとは身体を超えて見る事である。力の表出がそれ自身の内面的発展をもつという事は、単細胞動物より人間へと、無限の形相の展開を持った生命が自覚的である処に成立すると思う。我々の身体的生命がすでに形より形へと無限の変遷を内とするものであり、それが自覚的として外に自己を見る時、物理学の内面的発展として原理が原理を呼んでゆくのであると思う。創作として美が美を生み、思惟として真理が真理を呼ぶのも斯る処より考えられるのでなければならないと思う。動くものは矛盾的にある。矛盾するものは相対立するものである。人間は自覚的として、相対立してあるものから斯くあるべきものを見る。自然的生命を裁断する。裁断するとは逆に全存在を自己の内容として、自己を世界創造の出発点とする事である。斯くあるべきものによって世界を作ることである。而し生命の大なる流れの一点としてあるものが大なる流れ自身であろうとしても徒に混迷の中を彷徨するのみである。ソクラテスの無知とは世界に我が運ばれる事であり、知とは我が世界を運ぶ事であったと思う

 自覚的自己が深くなるとは、世界を運ぶ我が、その根底の世界に還ってゆく事である。無知を知る事は更に大なる自覚である。其処に想起があったと思う。想起とは過 去と未来が現在に於いて現前する事である。其処は時が生まれ、時が消えてゆく永遠の所在である。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

墓道の巨石

 私の町内で去年墓場の拡張工事を行った。丁度隣保長をしていたので分配の為に現地を見に行った時の事である。新しく造成され、整然と区劃された土地を見終わって、古い墓場の石塔群を見ていると横の空いた所に、長さ約一米八十位、横約一米五十位の上がすぼんで人間が安座したような格好の巨石が転がっている。皆の方へ振り返って「こんな石があるが亦記念碑でも建てるのかい。」と聞いた。すると「いやそんな 話聞いた事がないねんけんど、此の間から此処にあんねん。」と一番若い男の返事がかえって来た。その声を聞いたからであろうか、年の寄ったのが「そらあお前負うて くれ抱いてくれやがい。」と言った。私はははんこれが負うてれ抱いてくれやったのかと思った。

 私達の小さい頃墓場に至る道はもっと細くて急な坂であった。大きな松の木が生えてかん木の茂っている所が一ところ道の墓寄りの方にあった。その中に大きな石の上の方だけが木の間より見えていた。今から思えば石は大分埋まっていたようである。私達はよく「もしこの坂道を通っていて声を出すとあの石が近寄って来て、負うて抱いてくれと言って離れないのだ。」と聞かされたものである。そしてさも恐ろしそうな古老達の話し振りに言い知れぬ恐怖心を抱いたものである。この坂道は唯墓参するだけではなく、坂の上の新開田、亦其の上の村山への通路として利用者が多かった。それでも心なしか通る人の言葉が少なかったように思う。

 私達の小さかった頃は、教育も普及して合理的な考え方も進み、迷信打破が積極的に叫ばれていたものである。而し祖母達は伝えられた心を持った切りであった。私の 小さい時に地神さんに小便したと言って、地神の祭主の家に連れられ祈祷してもらっ たのを覚えている。闇の中を小さいローソクを灯して入って行くのを見ていると、あの小さな竹群が大変奥深く見えたものである。亦山の神に出逢った人の話もよくしてくれた。何でも大変な熱を出して寝込んで仕舞った話を幾件もしてくれた。この石の傍に来ると急に黙って仕舞う祖母達の姿は知識を超えて迫って来るものがあった。私達は理性で軽視し、心情で恐怖していたように思う。この石も亦古代神霊思想の一つの姿であったのであろう。

 霊は其の本来に於いて悪霊であったようである。死と災難を持って我々に迫って来た存在のように思う。よく山池の堤を通る時はものを言ってはならぬ。池の霊が声を聞きつけたら誘い込みに来ると言われた。亦谺は木霊が声を聞きつけて呼び返しているのだ。そして其方に行くと死んでしまうのだ。だから山で声を出してはならぬと言われた。天地に偏ねく棲む霊は我々に死をもって迫って来る霊であったのである。そして死をもって迫って来る霊は死者の霊だったのである。犠牲の思想は此処から生ま れたと言い得るであろう。恐らくこの巨石もこの悪霊思想の所産であったのだと思う。 墓所は死霊の満ちている所である。此処で声を出して生者のいる事を死霊に知らしめてはならないのだとして、多大の労力を厭わずこれを墓所の入口の前に設置したのであろう。その昔此処を通った人は恐らく息をつめていたのではあるまいか。

 与えられたるものは全て否定すべく与えられていると言われる。過去とは否定されたるものの相である。知らない歳月を人を怖れしめた巨石は今白日の下に曝されて捨 てられている。歴史は如何なる流れによって、人の心を斯く変えしめたのであるか。 否定は矛盾より起こるとすれば、歴史は限りなき自己矛盾の内包者である。変わりなき石の形の唯ありようの変化に、人は人間の生命の秘密を深く問う事が出来るであろう。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」

風土としての霧と表現

 この頃朝々を霧がこめる日が多い。私はこの霧の中をゆるやかに歩むのが好きであ る。霧が動き始めると、ものの象が一つ一つと現われる。家の近くに芋を植えた畑がある。その大きな葉の一つが現われると私は暫く立ち止まってものの形の前に立つ。 私の前にあるのは食物としての芋の葉ではないのだ。育ち枯れてゆく葉でもないのだ。生命が限りない時間によって造って来た形なのだ。無限の時間を含んだ動かすべからざる形なのだ。

 時と共に霧は動きを速めていく。日輪は霧を払うが如く光を増して来、稲田、裏山 へと相を現わしていき、やがてはるかな高い山々が現われてくる。霧は多くを隠しつつ流れて峯が現われ或は山腹が現われる。私はそのとき霧と日本的表現の深い関わり合いを思わずにいられないのである。

 和辻哲郎はギリシャの真昼の明るい光がギリシャ的表現を作ったとして次のように書いている。「希臘彫刻の最も著しい特徴は、その表面が内に何者かを包める面としてでなく、内なるものを悉く露わせるものとして、作られていることである。従って面は横に拡がったものではなくして看者の方へ縦に凹凸をなすものと言うことが出来る。面のどの部分どの点も内なる生命の露出の尖端として活発に看者に向かって来る。だから我々は、ただ表面を見るだけであるに抱らず単に表面だけを見たとは感じない。我々は外面に於いて内面を見つくすのである。」

 私はものの形とは生命の、風土としての環境の総合であると思う。ロダンは道を行く少女を指差し乍ら「そこにフランスがある」と言ったという。我々の団子鼻は日本の湿度に適応した身体の形であると読んだことがある。フランスの少女はフランスの風土の総合であり、我々は日本の風土の総合として身体の形をもつのであると思う。表現とは外が内となったものを再び外を見ることによって内を露わにすることであると思う。ギリシャ彫刻とはギリシャ的生命形成を外に露わにしたものと思う。

 私は短歌を作るものであるが、短歌は余情の文学であると言われる。余情とは本当 に言い度いことをかくして読者に感ぜしめることである。短歌はその本質に於いて抒 情史である。生の哀歓を表白するものである。それを嬉しい悲しいと言わないで感ぜ しめるのである。例えば孫が初月給の贈物をしてくれて嬉しいとする。その場合言い たいのは「私は嬉しい」である。而し短歌で表現すべきは孫が初月給で贈物をしてくれただけでよいのである。嬉しいのは言ってはいけないのである。読者は作品を読んだ時にああ貰って嬉しかったのであろうと感じるのである。嬉しいと書くと感じるのではなく「そうか」となってしまうのである。共感の世界である。かくすことによってより露わとするのである。

 私は霧によって半ばかくれた山を見乍ら、このかくすことによってより露わとする発想は斯る中より生まれたのではないかと思ったのである。霧が山腹を流れ、嶺が空を描く時、私達は崇高な感じを抱く。その感じは地よりそびえているものと異質のものである。霧が地との接続を断つが故に我々にはそこに超越者に参見するのである。霧がだんだんはれて来て近くのものが明らかとなり、遠くのものが模糊としてやがて視界が消える時、私達はそこに無限なるものに接する思いがする。私は霧に対する時自分の深い内なるものに対するように思う。かくされたが故に我々の目は内に向き、内を露はとするのである。勿論斯るものが短歌や俳句の余情文学を生んだとするのは余りにも短絡的である。而し私は日本人の抑制する事によって読者の感覚を掘り起こし、訴求力を大きくしようとする表現は底深く斯る体験が働いていると思われて仕方がない。

 私は前に霧の中より先ず一枚の芋の葉が現れたといった。そこに無限の時間の象があると言った。私は霧の中の大きな一枚の芋葉を見ると文人画を思わずにいられない。私はここで一つのものの形というものを考えて見たいと思う。

 個物は個物に対する事によって個物であると言われる。全てのものは相対的にあるのである。芋の葉は多くの芋の葉の一つとして萌し成長し枯れてゆくのである。それ が一つであるとは芋或は多くの植物の葉が捨象されたという事である。私はそこに形 あるものから、ものの形へと意味の転換があると思う。形あるものは壊れる。ものの 形は栄枯を超えて、長い時間の中に作り上げたものである。芋の葉は枯れる、而し芋 の葉の形は芋が長い時間をかけて作り上げたものである。前者は時間の中にあり、後者は時間を中にもつのである。一つというのは相対するものが相対するものを捨てた処に成立すると思う。私は文人画は斯るものを本来とするのではないかと思う。そして私はそれを霧の中より現れたものに見るのである。

 生命は永遠なるものが瞬間的なるもの、瞬間的なるものが永遠なるものとしてある。永遠なるものを瞬間的なるものに見る処に生滅としての物の形があり、瞬間的なるも のを永遠に見る処に芸術としての形がある。而してそれは生命の動転の表裏として一つのものである。それは自然の自覚として、生命と風土の総合として形成するのである。

 私は霧によって動かされた心を、日本人の長い間の風土的形成の現われではないか と思って一文を草して見た。これ丈多い霧の月日が私達の視覚を形成しなかった筈はないと思う。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」