随筆集

父は、独学で哲学や短歌を勉強していました。父の短歌を作る情熱は、内部からの要求(内部急迫)に従って起っていたようです。

なぜ短歌を作るのか「 私達は何故作るのであるか、その根底には大なる呼声があるようです。斎藤茂吉は内部急迫と言っています。 短歌も俳句も抒情詩として喜び、悲しみを言葉にします。
喜びは生きる影を宿し、悲しみは死の影を宿すものです。生命は生きるものが死を持つものです。そして生きるということは死を越えようとする努力です。言葉というのはその努力が生み出した形です。私達は言葉によって死んでいった祖先の声を聞き、生れて来る者に声を伝えようとします。そこに私は大なる呼声があると思うのです。見出した形に於いて呼び交すのです。
過去と未来を一つとする呼び交しを持つのです。私はそこに私達を呼ぶ声があると思います。そしてそれはそれによってのみ私達が真の自己となる道だと思います。歌が出来ないとよく言われます。しかしそれはこの大 なるものに生れようとする努力であると思います。明日からも頑張りたいと思います。」

【 「満七十才記念 随想・小論集」「初めと終わりを結ぶもの」「自覚的形成」「自己の中に」】

随筆

湖内さんの思い出

初めて湖内さんに出会ったとき、私の脳裏に寒山寺の五百羅漢のイメージが重なった、そしてその印象は後々迄も変わることのないものであった。私はよく天神に氏を訪ねた。共に酒を好み、その量の匹敵していたことも原因であるが、何よりも話していて楽しかったのである。氏はよく勉強をしておられた。その常識の徹底に於いて、私の知る限りみかしほの人々に其の比を見ないものであったと思う。氏の知識には曖昧さがなかった。私が最初に驚いたのは草木に対する深い知識である。しかしそれは植物学者のそれではなく、私達の身辺に関るものであった。一緒に歩いていて、目に留った草を「これは何か」と聞くと大概的確な答が返って来た。しかしその知識をひけらかすような事はなかった。唯聞かれた時に答えられるだけであった。中国や日本の古典もよく読んでおられた。仏典なんかも目を通しておられたようである。

訪ねると表具の糊付けをされているのが多かったように思う。大きな刷毛をもっておられた指の太かったのを思い出す。私が来たからと言って慌てる風もなく「一寸これだけ片付けまはな」と言って同じ姿勢で刷毛を動かしておられた。私はそれを見ながら道元が船中に出会ったという典店を思い出したものである。それは表具を自分の天職とするゆるぎない姿であった。そこに生きるものの姿であった。奥さんの言われるには「表具の仕事の他は何もしやしまへんねん」とのことであった。それだけに出来た作品には自信をもっておられたようであった。

呑みながらの話は大概短歌の事であった。氏は佐藤佐太郎に傾倒しておられるようであった。氏の根底にあるのは日本の伝統的形成としての「わび」「さび」であり、それをアララギ的な写生に於いて実現しようとされているようであった。それに対して私の持論は私の思索の中より生れて来た「歴史的現在」を根幹に置くものであった。それは我々人間は社会を作って生きてゆくものであり、社会の変化に応じて我々の姿勢は変るものである。喜び悲しみも亦そこにあるとするものである。そこから私は短歌表現の根源は発想にあると主張した。それに対して氏は言葉が調うということを重視された。「言葉がちゃんとしとったらよろしやおまへんかいな」と常に言われたものである。事実氏の作品は言葉が調うという意味に於いてよく彫琢の行き届いたものであった。氏の作品は多く人に高く評価されていたのはそこに原因があったと思う。私は氏の作品の完成度の高さを認め乍らも一様の乖離を持ち続けたものである。しかし今にして思えば一つ立場の完結はそれはそれとして評価すべきで、自分の立場からの尺度をもって否むことは自分の未熟さであったと思う。自分を捨てて作者の中に入って味到すべきが鑑賞の王道であると思う。

汝であったか飲んでいる最中に私が「二人で歌集を出してやおまへんか」と言った。すると「本にするような歌なんかなんぼもおまへんがいな」と言って渋られた。それを「出したい歌だけ出したらよろしいがいな」といって説き続けた。それからしばらく経って訪れると「わしも貴方と同じ数だけ出しまはな」と言われた。撰んでいるうちに思ったより多く自信作があったのであろう。後記に私の姿に偽りはないと書いておられる。出版してから数ヶ月目に記念歌会をしてやろうとの事であった。席上湖内さんの歌を藤原つよし氏が激賞された。私の作品は担当の芝田すみれさんより「前の歌集『蝸牛吼ゆ』より悪い、どうして下手になったのか」と言われて返事に窮したのを思い出す。思えばこの歌集が唯一の遺歌集となったようである。

往時天神は歌のメッカとでも言うべく多士済々であった。しかし才逸氏・藤治氏・すみれさんが逝かれ、今亦氏を失った。俄かに距離を増したような寂寥感を抱かざるを得ない。

永嘆

私は八月号で岸田さんより指摘されたしんしんの釈明をした。そのときに感じたのであるが、重ね詞というのは永嘆ではないかと思う。ますますとか、いよいよとかいうのは心情に関わる主観的なものであるが、あかあかとか、あをあをというのも単なる字生ではないように思う。重ね言葉は非常に強い言葉であるといはれる。例えば青いと青青は何の違うのであろうか。強いとは何うゆうんとなのであろうか。私は青いは単に対象の視覚的映像であるに対して、青青は映像の青が青自身を深めてゆくものがあるように思う。ゲーテがバラの花を見ていると花びらの中から花びらが生まれたというように、青の中に青を生んで視野を青で溢れさすような力があると思う。私は永嘆というのはそのようなものではないかと思う。ソレは例えば青い草の命の力であると共に、作者の言葉として作者の命の表れである。そこに対象のより明らかなるものを見ると共に作者はより深い自分に至るのである。私は短歌が永嘆であると言はれるとき、永嘆とはそのようなものでなければ鳴らないと思う。製作に於いて対象と作者は唯一生命を見出してゆくのである。対象を見ることが自己を見ることであり、自己を見ることが対象を見ることである。対象をより明らかに、より深く見ることである。対象をより明らかに、より深く見ることが、作者がより明らかに、より深くなってゆくことである。それは無限のはたらきである。それは対象を見ることが自己を見ることであり、自己を見ることが対象を見るものとして自己の想意によるのではない。世界が世界を見るのである。はたらくとは世界がはたらくのである。そこからの永遠の呼び声が永嘆であると思う。永嘆というものがあるのではない。創作の底に現れてくるのである。そして底に現れたるものとして底より我を呼ぶ声となるのである。

勿論、重ね詞が永嘆を表すといっても、重ね詞を使えば直ちに永嘆としての短歌が出来るものではない。強い言葉を使うにはそれだけ対象への目の透徹が必要であるかと思う。見るということは視覚の構成である。私達は同じものを見ても表現を異にする。一つのリンゴを描く十人の画は異なり、作る歌は異なる。それは一人一人が視覚を構成するかこの丁吏を異にするからである。重ね詞が永嘆であるとき、目は個個のものを超えた個個のものを見るものとならなっければならないと思う。人類の目として、全生命の目として見るものでなければならないと思う。全生命のよろこびかなしみの目とならなければないと思う。一匹の蟻の生命もそこより見るのである。流るる水もそこより見るのである。私は重ね詞は強い詩的表現の手段であると思う。唯それが適切なる場合に於いてである。そのとき重ね詞は内より口を衝いて出てくるであろう。

言葉が整うということ

短歌を始めた頃、私はよく天神へ行ったものである。当時東条には藤原優、藤原彊、湖内隆次、松本才逸、西中藤冶、芝田すみれ等の諸氏が居られ、歌会に研究会に動きが活発であった。それぞれ一家としての識見を持っておられ、語り合って飽きないものであった。殊に湖内さんは行き勝手がよく、酒量も同じ程であったので一升瓶を携げて行っては夜の一時、二時迄語り且飲んだものである。その時私は作歌の第一条件として変遷の激しい時代に生きるものとして、現在を如何に表現するかに置かなければならないと言った。それに対して湖内さんは言葉が整うと言うことを第一義とされた。よく「言葉がちゃんとしておればよろしいやないか」と言われた。それだけに氏の作品は言葉の構成に隙がなく、何を歌っても高い抒情の質を示すものであった。氏が病まれてから久しい。自分の思索にみ急な私は訪ねることも稀となってしまった。今氏を思い出すに連れて言葉が整うとは如何なることであるかを考えてみたいと思う。

言語中枢は人間のみが持つといわれる。そして人間は万物の霊長であるといわれる。言葉を持つことによって霊長になったとは、言葉は現在の生命の最も深大なるものであるということである。生命は時間に於いて複雑なる機能とその統一をもつきたのである。生死を介してより大なる生命を形成してきたのである。言語中枢が出来たということは今までの生命が言葉を持ったということではない。言葉がはたらき、言葉によって成る新しい生命が出現したということである。私たちは言葉によって記憶を持つ。記憶は時間の統一として経験の蓄積である。経験の蓄積とは過去によって現在があるということである。それは言葉がはたらくことであると同時に、言葉は経験の蓄積の表出であるということである。経験の蓄積が言葉であるということである。

経験の蓄積は過去に現在にはたらくことであることは、それによって生命の新しい形成が生まれることである。過去の形が現在を創るものとして、現在の形に転じてゆくものである。それは新しい経験の獲得として新しい形が生まれることである。蓄積された経験が新しい経験を獲得によって新しい形が生まれるとは、形が形の中に形を見てゆくことである。そこに生命形成があり。その内的方向に言葉が生まれ、その外的方向に物が出現するのである。私たちはその内外対立の内的方向として言葉を捉えるが故に、言葉によって見るとか、言葉によって作ると言えば奇異に感ずるのであるが、言葉と物は生命形成の内と外として、内が外を映し、外が映すところにその具体を持つのである。色彩が色彩の中に色彩を見、力が力の中に力を見る、それが言葉としての生命がはたらくということである。そこに絵画が生まれ、物理学が生まれるのである。新しい色彩と新しい言葉が生まれ、新しい力と、新しい言葉が生まれるのである。生命が言葉を持つとは、生命が自己の中に自己を見る生命となったということである。私たちが力を知るのは天地の運行によってで身なければ、物体の落下によってでもない。大地を掘り、木を伐り倒すことによってである。更に列車を操り、クレーンを使うことによってである。それは言葉と物が映し合うことによって新たな物と新たな言葉が出現したのである。色彩にしてもそうである。飾ることによって、描くことによって、新しい色彩と言葉が生まれてくるのである。

私は言葉が整うこともここにあると思う。新しい形の出現によって生まれた言葉を明らかにすることであると思う。新しい物が現れ、新しい言葉が生まれたということは、新しい世界が出現したということである。そこにわれわれは自己を見るのである。形成的生命として世界出現的に自己を見るのである。ものが現れることは言葉が現れることであり、言葉が現れることは物が現れることでありそこに自己がある。斯る自己を言葉の方向に於いて捉えるのが言葉が整うことであると思う。それは言葉が現れることは者が現れることであるとしてどこまでも物に即してゆくのである。言葉は単なる既成の観念である。それをどこまでも新たに現れた物に即せしめるのである。物は亦、言葉によって見出されたものとして、既成の観念を新たなものの秩序に組換えるのである。それが言葉が新しいということである。

万物は流れると言われる。一つとして同じものの出現はないと言われる。日々の生活の一々は新たな言葉の出現を要求するのである。私は表現と斯かる要求を現実のものとするところにあると思う。それは世界史の動向であるかも知れない。自然であるかも知れない。汝としての愛憎の対象であるかも知れない。私たちは斯かるものを既成の観念の中より生まれ来たったものとして、既成の言葉を組換えることによって新しい形象を出現せしめんとするのである。対象尾を言葉において捉えんとする時、対象は無限の緑暈をもつ繁雑である。そこから現在の我と物の形成体を把握するのが言葉が整うということであると思う。例えは春の野に咲き満ちた花に生命の躍動を覚えたとする。躍動は原全体にあると共にそれを担うものは一木一草である。原全体というのは捉えきれるものではないと共に、真に自己の生命感に対するものではない。一草のもつ息吹に原全体を表されるのである。生命は一木一草が持つのである。一草は全ての春を担うものである。そしてそれは生命の躍動に於いて我と繋がるのである。私はそこに言葉が整うということがあるのであると思う。整わないとは他の草が入ったり必要で無い陽光が入って来て、そこにこの我の把握を散漫ならしめ、或いは拒否するところにあると思う。内と外が相即し、内が明らかになることが、外が明らかになるとは、生命が自己の世界を出現させたことである。言葉が整うとは生命がそこに自己を実現させたことであると思う。外に空間を拓き、内に時間を包むものとして現在に宇宙の完結を持つものとなったのである。言葉が整うとは、表現的に自己を見てゆく生命が、表現するのもと表現されるものの一を見出したものであると思う。

しんしんについて

みかしほ七月号で岸田玲子さんより私の作品、「しんしんと降りいる日差し萌え出て直ぐき緑にアスパラガスは」 のしんしんを指摘された。この問題に対しては辞書と同行二人と言うべき松尾さんに依頼する方が適当かも知れないと思う。併し犯人として先ず私が出頭するのが本筋と思うので釈明した。

筆を起こす必要から私は何ヶ月かぶりに重い広辞苑を棚から下ろした。津津、振振、深深、森森、蓁蓁、駸駸、私は字を知らない自分に驚いた。知っているのは津津、深深、森森、の三つだけである。この内、私の作品に当てはまるのは深深である。読むと夜の静かにふけてゆくさま。寒気の身にしみる様と書いてある。そう言うと昔夜はしんしんと更けてゆきという映画の名台詞があったように思う。それでは何故夜が静かに更けてゆくのを深々と書くのであろうか。私はそこに静けさの深まりというのがあると思う。深深は静けさの深まりゆくことであり、夜はその代表例なのであるとおもう。岸田さんが言われている次に来る名詞は雪ではないかの雪も、音無く

として降る雪が万物を一ならしめ、静けさを増幅するが故に氏のイメージとして浮かんで来たのではないかと思う。私は夜にも雪にも増して万象動かず音無き昼に静けさを感じるのである。それは私だけではないようで、俳人なんかも昼無音といった言葉で昼の深い静けさを表はしているようである。この作品は音無き昼が育ちいるアスパラカスの直ぐき緑に目を遣らしめ、アスパラガスの直ぐき緑が昼の静けさをあらしめる。そこにアスパラガスは愈愈緑の直ぐく、天地愈愈静かならしめんとしたのである。そこからしんしんと降りいる日差しという言葉が生まれてきたのである。唯下手糞のために共感を得ることが出来なかったが意とするところは諒を得たいとおもう。

私は本分を書きながらおもったのであるが、静けさの深まりゆくということは動くものを包んでゆくのがあるように思う。昼無音というとき昼は万象が明らかである。形象は対立するものである。万の音を蔵するのである。万の音を蔵してひそまり返っている、そこに限りない深まりがあると思う。雪は雪自身が動いている。故に降り始めはしんしんと言わないようである。万象を白一色に覆うて降るときにしんしんと言うのであると思う。万象を覆うとは対立を失はしめることである。対立なきことは争ひなきことである。人は

と降る姿に安らぎと清らかさを見るのである。そこにしんしんとがあると思う。それに対して夜のしんしんは違っているように思う。昔は夜は魔の棲む世界であった。台詞の夜はしんしんとふけてゆきに続いて軒下三寸下るとは、丑満時は狂宴のために全ての悪魔が屋根に集る時であり、その重さで軒が三寸まで下るというのである。私たちの小さい時に裏の八女で与平鳥というのが夜になると鳴いていた。湖内さんによればふくろうかみみずくかであった。それが「よへーもうってねんころせ」と鳴くのである。すると祖母は「与平鳥が鳴いたら皆早う寝よ」と言って寝床に入るのであった。与平鳥は悪魔の使いであり呼び集める声だったのである。夜のしんしんは息を潜めて自己を無とするしんしんであったし、その残像を引くものであると思う。夜を歓楽の時間とする現代に於いては夜はしんしん、の言葉は私語となったのではあるまいか。

 大却運

本箱を見ていると「現代日本文学全集」の中に斎藤茂吉の名が見えたので取出した。私は茂吉を尊敬している。他の人の歌は私でも作れそうな気がする。しかし読んで氏の歌はとても出来ないと思う。そういう割に私は茂吉を知らない。歌集も読んだことがあるが忘れてしまった。覚えているのは十首程である。文章も凄く精力的だなあと思った位である。だからと言って私は氏の著書を全部読み、全部の歌を暗記している人より理解が足りないと思っていない。理解とは知識より来るのではなくして心気契合より来るのである。

その中に「予が歌を作るのは作りたくなるからである。・・・・この内部急迫から予の歌が出る。如是内部急迫の状態を古人は『歌ごころ』と称えた。『このせずには居られぬ』とは大きな力である。同時に悲しき事実である。方便でなく職業でない。かの大却運の中に有情往来し死去するが如き不可抗力である」と書いている。この大却運とは何なのであろうか。広辞苑を調べてみたが無い。しかし大体解るような気がする。曾って何かの本で印度にしゅみ山という仙人の棲む世界一の高い岩山があり、天女が年に一回降りて来て羽衣でその岩に触れ、山が磨滅するのを一却というというのを読んだことがある。大却とは天地の始まった時よりの時間ということであろう。運とはその生命の運びであると思う。茂吉は作歌へと動かすものは此処より来ると言うのである。亦「予は予等の祖先の命を尊び味わい常に感謝しているものである。予が創造という語を用いて予の信念を表わすに当って常にこの深大深遠なる因縁の上に立脚しての論である。この点は貴君とは違うのである。」と書いている。即ち歌を作るのは却初よりの生命の働きであり、それが日本民族としての我々の祖先に働き、祖先の見出したものを承けることによって自分の創作があるというのである。勿論それは歌体を模倣するのではない。精神を承け継ぐのである。彼は「私の歌は出鱈目の歌である」と言っている。出鱈目とは如何なることであろうか。私はそこに作歌に当って如何なる構えも持っていない氏を見ることが出来ると思う。対象に対面して純一であることである。純一とは対象と自己が其処より出で来ったものを掴もうとすることである。却初より働く力が形作っていくものをさながらに表現せんとすることである。したこと見たものをどのように表現しようとするかにあるのではない。行為を起さしめ、見ることを要求せしめる生命を表そうとしたのであると思う。逆白波の歌、冬原の歌、一本の道の歌等々限りない力の働きを見ることが出来ると思う。形象が時間の深さに於いてあるのである。そこに「この点は君と違うのである」と言った所以があると思う。時間に於いて全て形あるものは移っていく。移っていくとは形が現在に消え現在に生れるということである。この我に消えてこの我に生れるのである。全宇宙は現在として実現し、この我に具現するのである。彼の歌は自己の行動、亦は人間の行動に於いて捉えたものが多い。それは今のこの我が大却運によってあり、今のこの我を把握することが生命普遍の実相を明らかにすることであったのであろう。私達が捉えれば一私事になるところを全生命の韻きをもつのは天 とより言い方がないと思う。

昨日の新聞に全て金属は純粋になるという性質を一変し、鉄も純度九九点九九九%となると が出なくなり貴金属の如き輝きをもつと書いてあった。氏の脳細胞は天によって純化されていたのかも知れない。松尾鹿次さんが氏は北上川の畔に平日頭を抱えて歌一首を作ったと言われていた。我々の到底なし得るところではない。その差が氏との歌の差であると思う。