随筆集

父は、独学で哲学や短歌を勉強していました。父の短歌を作る情熱は、内部からの要求(内部急迫)に従って起っていたようです。

なぜ短歌を作るのか「 私達は何故作るのであるか、その根底には大なる呼声があるようです。斎藤茂吉は内部急迫と言っています。 短歌も俳句も抒情詩として喜び、悲しみを言葉にします。
喜びは生きる影を宿し、悲しみは死の影を宿すものです。生命は生きるものが死を持つものです。そして生きるということは死を越えようとする努力です。言葉というのはその努力が生み出した形です。私達は言葉によって死んでいった祖先の声を聞き、生れて来る者に声を伝えようとします。そこに私は大なる呼声があると思うのです。見出した形に於いて呼び交すのです。
過去と未来を一つとする呼び交しを持つのです。私はそこに私達を呼ぶ声があると思います。そしてそれはそれによってのみ私達が真の自己となる道だと思います。歌が出来ないとよく言われます。しかしそれはこの大 なるものに生れようとする努力であると思います。明日からも頑張りたいと思います。」

【 「満七十才記念 随想・小論集」「初めと終わりを結ぶもの」「自覚的形成」「自己の中に」】

随筆

作品の独立

みかしほ八月号の『ひとこと』と題した中で山本年子さんは「歌は発表された時点で作者を離れ、読者にどう解釈されても致し方のないことと思います」と書いている。発表された時点で作者を離れるということは表現の本質の問題である。表現ということは個としてのこの我を人類普遍の中に見ることである。一瞬一瞬の現われては消えるこの我の行履に、人類が人類が時間を超えて見出した形を宿せしめることである。それを担うものが言葉である。

私は作品が作者を離れることは作者を超えることであり、それは亦読者を超えることであると思う。それは作者が独善的な作品が許されないと共に、読者の独善的な解釈は許されないものであると思う。即ち読者にどう解釈されても致し方がないということはあり得ないとことであると思う。言葉とか文字とかいうのは一語一句が特有の意味を担うのである。独自の内容をもつのである。創作とは斯かるものによるイメージの構築である。意味をもつものを素材として構築することによって更に大なる意味の実現をもつものである。一語一句が意味をもつということは、それを離れては理解することが出来ないということでなければならない。山本さんはどのように解釈されても致し方ないと言う。しかし私は一語一句が特有の意味をもつ時、作品はこのように解釈されなければならないという要求をもつと思う。そのことは亦読者が字句の意味、亦それによって構築された意味を取り違えた時に作者は訂正を要求し得るものでなければならないと思う。作品の独立とか、作者を離れるということは、字句が固有の意味をもち、作品を鑑賞評価するのはその意味に随わなければならないことであると思う。斯く随わなければならない意味が創造の内容であり、人類普遍の形象であると思う。私達は永遠の生命をそこに見出していくのである。

私は一語一句が特有の意味をもちつつ一つの文章が構成されるということは人間の身体に似ていると思う。人間は六十兆の細胞により成るという。その細胞は一々が生命の完結体である。一々の細胞が完結体であることによって多細胞動物はより高い機能をもつことが出来るのである。そしてより高い機能をもつ統一体より一々の細胞の特質が決定されるのである。或いは肝細胞となり、或いは脳細胞となるのである。そして身体は世界を知り、世界を作るものとなるのである。文章もそのように思う。一語一句が特有の意味をもつということは、文章の成立の中から決定されるのである。文章の成立は統一体である。それは世界の実現である。そして斯かる世界は一語一句によって構成されるのである。私は私達の身体は無限の陰影を宿すと思う。そして世界は斯かる陰影の実現であると思う。短歌の表現も亦そこよりであると思う。

表現としての私について

私達は他者の言葉を語ることは出来ない。私の言うのは何処迄も自分の言葉である。私達は自分の言葉で自己を見、自己を創って行くのである。藤木さんは「私は私、人は人、歌いたいものを歌い残すしかない」と書いている。それは誰も同じであって、言葉のもつ必然としてそれしかあり得ないものである。しかし私とは何か、言葉とは何かと問う時、私も言葉も抽象的な個としてのこの我を超えたものであり、私はこの大なるものとの関連に於いて捉えられなければならないと思う。

言葉を作った人はないと言われる。言葉は我と汝の呼び交しの中からおのずと生れて来たものである。四万五千年前人類が初めて死者に花を供えたと言われるクロマニョン人の時代は言葉がまだ明白でなかったと言われる。人類は永い時間の中に、無数の人々の対話によって現在の言葉を作り上げて来たのである。私達にしてもそうである。生れた時から自分の言葉をもっていたものはない。父母を真似、友を映し、学舎に学んで今の言葉をもったのである。私達は言葉を無限の時間、無限の人々が見出した形としてもつのである。世界が世界を見るのである。私達はそれを写して自分の言葉をもつのである。世界に作られて世界を作るものとなるのである。

斯かるものとして私は我々は何処迄も世界の中に消えていく意味がなければならないと思う。学ぶとか写すというのは自分を無にして世界の中に入っていくことである。それと同時に私は世界が自分の中に流れ入り、自分の中より流れ出る意味がなければならないと思う。私達が学ぶとはより大なる生命とならんとして学ぶのである。生命は外を食物として内に身体を作る。より大なる生命となるとは、身体の目的に適合させるために環境を変革することである。それがものを製作するということである。私達はこの我の身体を除いて環境を変革し、適合させるべき身体はない。そこに私達は自分の言葉しかもち得ない所以があるのである。環境を変革することは世界を作っていくことである。而して世界は無数の人の変革としてあるのである。私達はより大なるものとならんが為に絶えず自己を消さなければならないのである。それがより大なる生命実現の方法である。

私は「私の歌」というのも絶えず世界の中に消え、世界の中に現われるという意味がなければならないと思う。私達は作るものとして世界の基底に立つのである。一首の創作は世界の実現として、歌の世界が一つの事物を介し自分の中に流れ入り、自分の中より流れ出た意味がなければならないと思う。創作に於いては世界は絶対の個に自己を表わし、絶対の個に直接世界の自己創造に参画するのである。

風流

今ではあまり言わないが、私達の小さい頃は短歌や俳句を風流の道と言い、作る人を風流人と言ったものである。風流とは如何なるものであろうか。私はそこに日本の生命形成の特質の一つがあるように思う。短歌や俳句は外国語に翻訳することが出来ないと言われる。それは日本人が日本の風土に於いて形成し来った独特の美ということである。そこに我々は生命の形をもったということである。それを要約し、言表したのが風流であると思う。

日本人の繊細な感覚は四季の鮮かな推移によって養われたと言われる。短歌や俳句は移りゆく微妙を人に映すときおのずから言葉に凝固したものであると思う。私は斯かる四季の推移を祖先は風に見たのであると思う。風は形無きところより現われて来る形である。そしてそれは四季を超えたものである。風は四季ではない。しかし最も鋭く、最も繊細に四季を伝えるものである。寒風が漸く頬に和み出してくると、野に浅緑の毛 となり春風が花を運んで来る。それも束の間に吹雪となって散る花は過ぎ行く季と共に春愁の思いを呼ぶものである。春が過ぎると陽の透く若葉をそよがせて吹き来る風が半袖となった腕を洗ってくれる。私達は身を吹き抜けて地平に走る風に初夏の爽快を満喫するのである。それが過ぎると地を灼く熱風に猛々しい夏を知るのである。猛暑に悩まされた皮膚は秋風の僅かな冷えに敏感である。冷えがもたらした透明な風が青空を何処迄も高く押上げて行く時、私達は秋を感じ救済を見るのである。そして野分に草が枯色となり、木枯しに一年の滅びを見る時我々は悲傷の思いに言葉を失うのである。

私達は四季の現われとして春の花、秋の月、冬の雪を語る。しかしそれは四季の特殊な内容として、四季を網羅するものではない。私は風に日本の生命形成の心を見たのではないかと思う。四季を映し、映すことによって感覚を養い、生命の形を見出したものとして、形なくして形に出で、四季をあらしめるものとしての風は形の根元の意味をもったと思う。私達は四季の鮮やかな色彩を愛すると共に移るものを風に見立てた飄然たるものを愛するのである。四季を見る目の我の飄然たるを愛するのである。そこにそこより対象と我が生れる世界がある。私は風流という言葉はここより生れたのではないかと思う。

平常底としての短歌

私は十二月号の一首抄で禅家の平常底と短歌を言った。今朝正法眼蔵を読んでいるとそれに適切な例があったので書いてみる。原文は慣れないと読み辛いので私なりの解釈とする。

雪峰の直覚大師の近くに一人の僧が草庵を作って住んでいた。年月が過ぎても髪を剃らず、どのようにして生活しているのか誰も知らなかった。自分で一柄の木杓を作って、渓ほとりに行って水を飲んでいた。

だんだんと日が経つにつれてその人のことが人の口にのぼるようになってきた。ある日僧が来て、庵を結んでいる僧に「いかにあらんかこれ祖師西来意」と尋ねた。祖師西来意とは、達磨大師が苦難を侵して印度から来た志は何であったかということである。庵主はそれに「渓深くして杓柄長し」と答えた。尋ねた僧は意味が解らなくて礼もせずに帰って行った。そして山に登って雪峰に尋ねた。雪峰は「大変に良い。言葉に言い難い迄に良い。それであれば自分が行ってみよう」と言った。それから雪峰が行って道得の深奥を開演するのであるが、本論に関わりがないのでここで打切る。

水を汲むものにとって渓が深ければ柄杓の長いのは当然である。何故に雪峰はそれを激賞したのであろうか。私はそこに生命の大用の現前とでも言うべきものを見ることが出来ると思う。砂地に生えた草木は根を長く伸ばすと言われる。水の保有力の少ない砂地の水のある所に届かんが為である。柄杓の長いのはそれと同じ原理である。日蔭の草は太陽を求めて長く伸びる。私達の働きは斯かる大用の無限の内面的発展の上にあるのである。日日の働きは斯かる大用の現前にあるのである。私達が当然とするのは大用の現前なるが故である。

私は短歌とは斯かる日常の底に流れる代用を言葉に捉えることにあると思う。言葉に捉えることはそれを発展せしめ、豊潤ならしめることである。流した涙を言葉に捉えることは心をより深くあらしめ、交した微笑みを言葉に表わすことは内面をより豊かならしめることである。白菜を漬けた、畑の土に鍬を打ち下ろした等、全て言葉に捉えることは喜び・悲しみをより大きく開いていくことである。呼び交すことによって根底に入っていくのである。

庵主は唯「渓深くして柄杓長し」と言った。私はそこに東洋的把握がると思う。僧は解らず、雪峰は讃えた。境地に至ることによって感応道交するのである。全生命に於いて会得するのである。感応道交は短歌に所謂共感である。私は短歌とは斯かる東洋的把握に於いて日本語がその調べに於いて形をもった表現形式であると思う。判断によって会得するのではなくして体得する世界である。勿論知識を軽視するのではない。知識も亦そこから来るのである。体得の世界は冷暖自知の世界であるつねって痛さを知る世界である。私は短歌も亦そこに系譜をもつと思う。感情とは湧く涙であり、出でくる微笑みであり、躍る血潮である。嬉しいとか悲しいとかはそれを記号で捉えたものである。抒情とは斯かる感情の出で来ったものを生命の営みの中より放り出してより豊かな感情を見出そうとすることである。それは事実として具体である。短歌の表現が何処迄も具体に即さなければならない所以である。嬉しいとか悲しいという言葉は結んでしまう言葉である。観念は感動の生動をそこに断ち切るのである。「渓深うして柄杓長し」である。

付記 本文は正法眼蔵三十三、動得を読んで書いたものである。深大な宗教的体験をもたない私が果して正しい理解をなし得たか疑わしい。唯私は上述の如く解釈し短歌に結びつけたのである。知見の方の御叱正を賜らば幸甚である。

定型と自由

コップの中に水を入れて塩を加えていき、一定の濃度を越えてくると結晶を作り始めるそうである。そしてそれは塩の形以外の何物でもないそうである。私は現れ来ったものは全て斯かる結晶作用によると思う。人間の創作の如きも斯かる形の自覚として、斯かるものの上に築かれたものであると思う。

私は短歌の五七五七七の三十一文字による定型も斯かる結晶作用に於いて捉えたいと思うものである。それは叫びと言葉の境も定かでなかった太古より環境と対峙し、恐怖と安堵、喜びと悲しみの中に熟成・発展して行った声であると思う。戦争やら耕作、集団と個の分化による感情の飛躍の中からおのずから構成され、調ってきた言葉であると思う。結晶作用とは斯かる経緯を介して一つの形を成就していくことである。環境と対峙するものとしてそれは風土的形成である。私達を取り巻く山河風水の中に生きるものとして、最も緊密なる姿を作り上げていくことである。私達の身体は日本の風土を衣食住の環境として、最も緊密なる身体を作り上げているのである。外遊したら日本の食事を恋うと言われる所以である。私は前に生命の静的なるものが身体であり、動的なるものが情緒であると言った。私は日本の生命の無限なる活動を短歌の定型に捉えたいと思う。私はそこに日本の感情を飛翔し、沈澱するのであると思う。

昔小野十三郎という詩人がいて「定型は奴隷の韻律である」と言っていた。しかし私はそう思うことは出来ないと思う。私達はホモサピエンスとして同一の身体を共有する。私は人類の普遍の根 をそこに求めるものである。人類的普遍を有するものとして、自由とは自己の内面を最もよく表現することが出来るところにあると思う。私は国際化の進むところ、特殊なるものの深奥が照らし合うところに世界詩が成立すると思う。日本も、アメリカも、中国も、ドイツも特殊である。

 

短歌や俳句を作るとはどういうことか、私の考えを申し上げたいと思います。私達は生れてきたものです。生れてきたとは生きるべく現れたということです。生きるとは死をもったものが死と戦って自分を現わすことです。営みとは死に打克つ努力です。私達はそこに死の方向に悲しみをもち、生きる方向に喜びをもちます。この喜び悲しみを言葉に表わすのが短歌や俳句であり詩であると思います。それではこの言葉に表わすとはどういうことであるのか。例をとって申し上げますと「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」という短歌があります。私達はこの歌を読みますと故郷を眺めて流した仲麻呂の涙が私達の目に湧いて来ます。千年の時間を越えて涙が直につながるのです。私は人類が一つのものであり、その現われであると思います。そしてこの人類の一つの命に於いて私達があることだと思います。仲麻呂の涙が私達の目に湧いたように、私の涙が私でない人の目に湧くのです。流れ合う涙があり、交し合う微笑みがあるのです。そこに私達はあるのです。ゲーテは「永遠に女性的なるものわれを導きてあらしむ」と言っています。私はこのわれをあらしむものを人類一つの命に見たいと思います。流れ合う涙、交し合う微笑みに見たいと思います。そしてそれは言葉に表わすことによってあるのです。お互いに明日からも作りたいと思います。