随筆集

父は、独学で哲学や短歌を勉強していました。父の短歌を作る情熱は、内部からの要求(内部急迫)に従って起っていたようです。

なぜ短歌を作るのか「 私達は何故作るのであるか、その根底には大なる呼声があるようです。斎藤茂吉は内部急迫と言っています。 短歌も俳句も抒情詩として喜び、悲しみを言葉にします。
喜びは生きる影を宿し、悲しみは死の影を宿すものです。生命は生きるものが死を持つものです。そして生きるということは死を越えようとする努力です。言葉というのはその努力が生み出した形です。私達は言葉によって死んでいった祖先の声を聞き、生れて来る者に声を伝えようとします。そこに私は大なる呼声があると思うのです。見出した形に於いて呼び交すのです。
過去と未来を一つとする呼び交しを持つのです。私はそこに私達を呼ぶ声があると思います。そしてそれはそれによってのみ私達が真の自己となる道だと思います。歌が出来ないとよく言われます。しかしそれはこの大 なるものに生れようとする努力であると思います。明日からも頑張りたいと思います。」

【 「満七十才記念 随想・小論集」「初めと終わりを結ぶもの」「自覚的形成」「自己の中に」】

随筆

時局と短歌

三十年程も前になるであろうか。松本章さんがみかしほに居られた時のことである。私が「あそびと短歌」というテーマで文章を書いて出した。昔は上流社会に於いて、「遊ばせ」と言う言葉が普通であった。「お帰り遊ばせ」、「お帰り遊ばせ」と言ったものである。労働が物を作るのに対して、遊びは神の内容を創ることであったのである。それを松本章さんが「働くものの歌でないと駄目だ」と言って返された。

当時は丁度、終戦の混乱が漸く秩序を取り戻そうとしてゐる時であり、マルクス主義が新しい社会の担い手として、世界を席捲している時であった。資本主義社会をブルジョアジーとし、帝国主義として資本家と労働者、搾取者と被搾取者の階級に分ち、労働者専制の呼称の下に世界革命を実現せんとするときであった。「蟹工船」や「女工哀史」が読まれ、街には赤旗が林立し、知識人は競って「帝国主義打倒」を叫んだ時代であった。歌人の多くも自分で如何に過酷な労働に生き、搾取されるものとして、如何に悲惨な生活を送っているかを表現しようとした。貧乏・失恋・病気が短歌の三種の神器であると聞いたのもその頃である。その悲惨を新たな社会建設の起爆力にさせようとしたのである。そこに働くものの歌の時代的要請があったのであると思う。

共産主義の大本山ソ連は崩壊した。倒れてみると真にお粗末なものであった。労働者専制として無限の富を生み、地上の楽園を樹立する筈であったが見るも無残なものであった。

生産は労働ではなく、創意と工夫だったのである。筋肉と汗ではなく頭脳だったのである。ノルマではなくして競争だったのである。機械の発展は人間を労働より解放した。農業すらも園芸化したと言われる。歌会でも働く苦痛を歌うものは少ない。短歌は「神あそび」に帰っているように思われる。

杳、顕、響、著

先日の歌会で松尾鹿次氏が『丹生の田中義昭氏は国語学者であり、

杳の字をはるかと読み、亦とうしと読ませるものがあるがあれは間違っている。また顕つと書いてたつと言うのもいけないといはれた』と述べられた。私は斯る言葉の使用を肯定するものである。肯定するものとしていけないと言われただけで、はいそうですかと言う訳にはいかない。勿論言葉には論理がある。論理があるとは何かの根底に何故にがあるということである。私が何故に肯定するかを述べ、田中氏が何故にいけないかと述べられて、氏の論理の方が透徹していると思った時は潔く私の主張を撤回するつもりである。私はまだ氏の何故にを聞いていないので私の理由だけを申し述べることにする。

よく人間は手をもつことによって人間になったと言われる。手を持ったことは人類の祖先が敵より逃げて樹上生活を持つようになり、樹を握る行動によって指が伸びたことによると言われる。もちろん猿が何時迄も猿であるのはそれのみではないということである。人間は手の出現と同時に言語中枢の出現によって人間となったのである。掴むことによって得た屈身自在な指の操作性が言葉と結びつくことによって物を作る生命となったのである。人間が物を作る姓名となったとき、樹上は最早真に機能を発揮できる所ではなくなり、且つ又多くの敵に対峙して優位を保ち得る確信が沸き来ったのであろう。即ち地上の生活者となったのである。

言葉の発展は物の発展と共にあったと言われる。物とは製作物である。物を作ることによって人間は言葉をもったのである。物が言葉を生み、言葉が物を生んでゆくのである。人間を定義するときによく手でも動物であるとか言葉をもつ動物であると言われる。手と言葉を持つ動物として人間は社会を作り、生命を他の動物と異なった軌道に於いて発展させて来たのである。斯く物の出現を担い、社会の発展を担うものとして言葉は無限に動的なるものでなければならない。人間の生命を表現するものとして、物や社会と共に生きるものでなければならない。新しい物、新しい社会と共に新しい言葉が生まれ、古い言葉は死んでゆくものでなければならない。

私達は短歌を作る。短歌を作るとは日本が形成し来った社会の内的表象としての心象を表現するものであるとおもう。心象を表すものとしてそれはイメージの創出である。言葉によって絶えず日本のイメージを創出することが歌を作るということであると思う。言葉は斯るイメージを創出することによってわれわれの言葉なのである。ここに私はわれわれ歌を作るものの言葉であると思う。よい言葉とはより瞭らかなイメージを作り出すことが出来る言葉である。私の経験で言べ、杳をはるかともくらしとも書く。このはるかは時間的、空間的な距離であると共に、それを越えた混沌の意味を含む場合に用いるのである。原初である。くらしは物未だ分かれざるくらしである。はるかはわれわれがそこから現れ来った距離である。響(な)るは単に聴覚のみではなく、水の落つる音のような重量感を伴った、筋肉覚を混ぜた聴覚の内容である。顕(た)つは単にあきらかになったのではなく、心に大きな比重を占めた場合に用いるのである。

感性の豊かさとは、現代の世界を感覚に表す力である。感覚は様々の表象を複合することによって複雑な現在を表象しようとするのである。そこにイメージがある。われわれがもつイメージは無限の複合表象より現れ来った世界像である。私は上記の言葉は近代的な複合表象の記号として、豊かなイメージ創出力を胚胎するものであると思う。私達は捜索するものとして何よりも生命に忠実でなければならない。固定された既成観念に執するものは言葉の木乃伊を抱くものである。思いを同じくされる方は大いに使っていただきたいと思う。

桜花と作歌

正月なので美しいことを書いてみたいとおもう。岩波書店の戦後五十年の『世界主要論文選』を読んでいると、大岡信の『言葉の力』の中に面白い文章があった。少々長くなるが引用したいとおもう。

 

『京都の嵯峨に住む染色家、志村ふくみさんの仕事場で話していた折、志村さんがなんとも美しい桜色に染まった糸で織った着物を見せてくれた。そのピンクは淡いようでいて、しかも燃えるような強さを内に秘め、はなやかでしかも深く落ち着いている色だった。その美しさは目と心を吸い込むように感じられた。「この色は何から取り出したのですか」。「桜からです」と志村さんは答えた。素人の気安さで、私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだろうと思った。実際はこれは桜の皮から取り出した色なのだった。あの黒っぽいゴツゴツした桜の皮からこの美しいピンク色がとれるのだという。志村さんは続けてこう教えてくれた。この桜色は一年中どの季節でもとれるわけではない。桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮を貰ってきて染めると、こんな上気したような、えもいわれぬ色が取り出せるのだ、と。』

私はこれを読み乍ら、思いを短歌の創作に結び付けて行った。桜の花は雄花だけで営みではなく、木の全体生命の営みによって現はれるのである。木の全てがあの美しい花の色を創出してゆくのである。私達はよく歌の出来ない悩みを聞く。この悩みとは何なのであろうか。私は言葉が現はれんとして、言葉が全生命たらんとする内奥の努力ではないかとおもう。歌を作るものにとって出来た歌は花である。そこに私は皮膚の下から血の中迄、言葉を循らさなければならないのだとおもう。目も手も言葉と化すのである。斯くして出来るのは歌だけではなくして、その人の匂ひとか気品といったものが同時に備はってくるのであるとおもう。禅宗の坊さんは座禅を組むことによって一つの境地に達した時に、体にアルファ線とかいうものが生まれてくると言はれる。私は私達が全身を言葉とする時、表現としての言葉を持つ時、身体は新しいものを加えているのであるとおもう。身体は常に内が外に現れ、外が内を作るのである。そこから自己への信が生まれるのである。

生命は全て自己の形を実現しようとする。それが止まったとき、それは死である。私達は人間である。人間とは言語中枢を持つ動物である。言葉による新しい形を生んでゆくのが生命形成である。新しい形を生まない言葉は駄辯である。新しい形を生むためには苦悩と努力が必要である。美しい自分を作るために今年もお互いに頑張りたいとおもう。

年末も迫ってから村の役員が「来年のお頭を勤めて欲しい」と言って来た。聞くと当番の家の血縁に死者が出来たので、再来年に受ける私の家に廻って来たらしい。当日の一月四日はみかしほの新年宴会なので嫌であったが、仕来りの順序を変へることは難しいらしいので受けることにした。

その神は神殿は既に無くなり、その跡に地名だけが残っている、世間に疎い私はその神の祭祀がまだ遣って続いているのを知らなかった。「何うして祀るか」と聞くと、「私がご神体を作るのだ」と言う。一月四日になって初参の場所である公会堂に来てみると、成程正面に机が置かれて、中央に小さな木が立てられ、紙で作った幣が下げられ、その前に酒を入れた銚子が置かれている、そしてその横に、幾百年も経たであろう黒くなって、今にもこわれそうな箱が二つ重ねて置いてある。これが伝えられて当番が護持するものらしい。中には恐らくお札の如きが入っているのであろう。この前で氏子は一年の行事を謀るのである。恐らくは昔の様々の神意を問ふきびしい行事があったのであろう。そして五穀豊穣を祈ったのであろう。私はここで不意に一つの疑問が浮かんだ。栽培は私達人間がする、収穫は人間の努力に関わるのである、神の観念は何処より来たのであろうかということである。そして私はそこに人間の自覚の深い形相があるよう思ったのである。

自覚は全生命的である、生命は対象に自己を見ると共に主体が形成してゆくのである。対象を作ることが主体を作ることであり、対象とは身体の外化としての物である。身体は主体の実現としての物である。そこに稲を作るということには、単に稲作以上のもののはたらきが無ければならない所以があるとおもう。物を作るには先ず身体の製作的身体の出現がなければならなかったのである。斯かる身体として人間の前肢は手となり、脳に言語中枢が出現したのである。稲を作るには様々の経験の蓄積としての技術が生まれなければならない。斯かる技術は体に自己を見る根源的主体の自己実現であることによって働くものたることが出来るのである、栽培するときに人は先ず、生育に太陽と水が関わることを知るのである、そしてそれが人間を超えた深大な力であることを知るのである、その力を制御せんとして血から及ばぬ知り、その大なる力によって生育したものを食物として事故があるのを知るとき、自己も亦その大いなる力の内容として生きるのを知るのである。そしてその大なる力に順(したが)うことに万物の生育があると知る時に、天文地理が生まれてくるのである。天の運行を知り、気性の変化を知るのである、それはわれわれを超越すると共に、われわれがそれによってあるものである。その大なるものがわれわれの言語中枢に写されるとき、その量るべからざるものは驚異と畏怖である。斯かる驚異と畏怖は単に感情としてあるのではない、そこにわれわれが生死を見るものとしてあるのである。そこに日輪が天の表象となり、竜が光の表象となるのである。われわれがそれらを表象とすることは、表象は生死をもってわれらに対するものとして表わされたのである。生死をもって対するとは、われわれは生死に於いてあるものとして、天そのものであり、水そのものとしてあることである。私はそこに神の出現があったとおもう。背くものは死に、順うものは生きるのである。祀るとは順う意志の表示である。順うとはそれによって生き、それに従うと共に、それが自己であることである。それが自己であるが故に、それによってあり、それによって生きるのである。知るとは意識の内容となるものとして、この我の内にあるものとなることである。

自覚とは過去を包むより大いなる統一の立場に立つことである。過去を包むことによってより大なる自己を見出してゆく生命となることである。より大なる事故を見出すものとして、生命は形作る働きである。生命は形作るものとして外に食物を求める、即ち内外相互転換として生命形成をもつのである。それが過去を包んでより大なる統一の立場に立つとは、物を製作する生命になったということである。意識の内容となるとは製作することである。そして製作とは天が開け、地が拓けゆくより大なる生の地盤に立つことである。言語中枢をもち、手をもつとは斯かる生命の具現である。この生命の深大なる生成をこの我の立場より見るときに製作があるのである。斯かるものとしてこの我は、この深大なる生命のゆらぎの影である。ここにそれによってあるものとして、より深大なるもの回帰への強い要請が生まれる。そこに私は神を祀ると言うことがあったとおもう。

それなれば何故に最初に記した如き祭祀の衰退ということがあったのであろうか。私はこの現象は発展的解消として捉えるべきであるとおもう。神は無限なるはたらきである。私達に写された影とははたらくものの形として、この我の実現として写されるのである。はたらく形とはこの我に環境を写し、環境にこの我を写す内面的発展である。そこに神が現れるのである。現われたものは形として、無限のはたらきとしての神の本質が失われることである。生まれた形に即してはたらくものとなることである。時間的、空間的に現われたものとして、有限的存在となることによってはたらくものとなることである。生あるものは死に、形あるものはこわれるものとなってはたらくのである。而してそこに眞の無限のはたらきは生まれるのである。死することによって新しきものが生まれ、こわれることによって新しきものが作られるのである。新しいものの出現をもたないものははたらきではない。はたらくとはより大なる形の実現をもつことであり、もとうとすることである。より大なる形とは、今ある形を否定することであり、新たな形を構築することである。それは有限なるものの上に構築されるのである。而してそれがはたらくものとして構築されるとき、有言なるものの自己構築として、内面的発展として構築されるのである。そこに有限なるもののはたらくもの、自覚的として自己構築をもち、人間が神を想うものとなるのである。物として有限なるものであり、内面的発展として無限なるものとして、神を実現するものとなるのである。有限なるものとは自己の中に変化を含んだ無限なるものである。はたらくもののじつげんとして有限なるものである、神の実現として形をもったものである。変化するものとして、否定として実現するものとして、神を現わすのである。有限なるものは実現された神の姿である。斯く有限なるものが自己実現としてはたらくものが人間の営為である。私はそこに幣や神殿を神とすることを捨てた所以があるとおもう。人間の営為が紙を想うことは、作りとげた社会の形象が神の姿であるということである。そこに特別の表象をもつことは無意味となるのである。

われわれが製作するということは超越が内在となり、内在が超越となったことである。併しそのことは内が直に外となり、外が直に内となったことではない。内が煎と内となり、外がいよいよ外となることによって、絶対矛盾を媒介することによって一なるものとなるものとなったのである。人間がはたらくことによって、外の方向と、内の方向に形がいよいよ明らかになるものとして、一になったのである。私はそこに神は死んだのではなくして、いよいよ深大なるものとして背後よりはたらくものとなったのであるとおもう。はたらくことによって外の方向と、内に方向にいよいよ明らかになることは、このわれを超えたものとなることである。外は何処迄も内ならざるものである。物は何処迄も我ならざるものである。それが物が明らかになることによって我が明らかになり、我が明らかになることによって物が明らかになるとは世界を形成することであり、世界は我と物のはたらきによる統一として、我と物を形に明らかにしてゆくことである。否定的に実現されたものとして、人は死ぬものであり、物はこわれるものである。それを形成的に維持発展させてゆくものがはたらきである。われわれはそこに神を見るのである。世界現前を神とするのである

短歌や俳句の背景

短歌や俳句は日本語特有のものとして他に類を見ない詩型であると言われる。詩は民族の生命形成の表現である。各民族はそれそれ特有の詩をもつ。生れたところを環境としてそこに働き死に、環境に作られ、環境を作った限りない過去からの情緒的結晶が詩である。その意味に於いて詩は他の民族の理解を拒むものをもっていると思う。それが短歌や俳句に於いて特に言われるのは何によるのであろうか。

私は短歌や俳句が生れたのは日本の自然にあると思う。日本程四季の移り変りの鮮やかなところはないと言われる。移り変りとは何か、生命は生死に於いて生命である。私は今ある生命が滅んで新たな生命が生れてくることであると思う。死にかなしみ、生によろこぶのである。鮮やかであるとは敏くなることである。一陽来復と共に野に緑が溢れ、花が咲き満ちる。人はそこに花と歌い、花と踊って命のよろこびを分ち合う。併しそれも束の間に花は散り春草は枯れる。そこに共に生きたが故の悲しみが生れ、それに自己の生死の影を宿し見るのである。年年歳歳のよろこびかなしみの反覆は生に死を宿し、死に生を宿しゆくのである。咲き盛る花に命のはかなきを思い、散りゆく花に爛漫たりし日を偲ぶのである。そこに感覚の無限の分化が生れる。僅かな色の変化、形の変化の中に生の影を見、死の影を見るのである。形とはよろこびかなしみに映された生の影、死の影を対象がもつことである。斯くして対象は生の影、死の影を映して無限の分化をもつものとなる。それが感覚が鋭くなり繊細となることである。斯かる無限の対象の分化を生死をもつものとして統一し、分化と統一を自己の働きとするものが心である。人格としてのこわれである。

私は短詩型としての短歌や俳句は斯かる生命形成の分化・統一の洗練の中から生れたのであると思う。鮮やかな四季は一瞬一瞬の移ろいの中に生死を宿すのである。一瞬の生の影に一つの形を見、一瞬の死の影に一つの形を見るのである。そのときどきに自己を対象に映し、対象を自己に映すのである。そこに如何に短い言葉によって対象と自己が形を生み、自己と対象が形の中より生れるかということが問われると思う。斯くして短歌や俳句は日本的形成の必然であったと思う。

私は抒情詩はその本質に於いて短詩であり、長詩は叙事詩か亦は思想詩であると思う。日本にも昔長歌があった。私は読んだことがないので語る資格がないが叙事的亦は思想的でなかったかと思う。今はそれを歌う人はいない。いないということは日本の心の形成を指向していないということであろう。私は日本的形成が叙事的ではないということは日本民族が他民族との激しい対立を持たなかったことに因ると思う。亦自然も対立的ではなかった。そこに見られるものは対立の根底に大きな一があるということである。営みの根底にこの一が働くということである。それが共感である。聖書などでは斯かる一が契約として現われる。併し日本では直接の事実として現われるのである。そこに刹那としての現在に形を見ていくのであると思う。