文化とは何か

文化祭ですので文化とは何かを申上げたいと思います。この頃よく食文化とかグルメとか言われておりますし、女の人が多く見えておられますので、食事につきものの漬物を例に申上げます。漬物は野菜の塩による保存食です。私はそれが塩と野菜の間は文化とは言えないと思います。それが文化となるためには とか とかが加わらなければならないと思います。それはどういうことかと申しますと、舌が喜びを求めて色々の形を生み出したということなのです。そしてその形が次の形を生むということが文化の創造ということなのです。それは一つの漬物に昆布の味が加えられているとします。亦一つのものに柿の皮の味が加えられているとします。それを合わせて次の漬物を作るということなのです。多くの味の組合せから無限の形が生れて来ます。それが漬物の世界であり、食文化の中の漬物の文化なのです。

見ることは目の喜びであり、聞くことは耳の喜びです。目の喜びが形を生むところに絵画があり、耳の喜びです。目の喜びが形を生むところに絵画があり、耳の喜びが形を生むところに音楽があるのです。そしてこの見出された形が世界の形なのです。私達は世界の中に生れたものとして、生れた身体によって物を作っていきます。その作った物の形が世界の形であり、文化なのです。

私達は音楽や絵画が食物よりは高い内容をもっていると感じます。私はそこに感覚の発展ということがあると思います。よく言われるように私達の感覚には、繰り返すことによって鈍くなっていくものと鋭くなっていくものがあります。いくら美味しい天婦羅でも十日も続けて食えば見るのも嫌になります。嫌な臭いでもしばらくすると感じなくなります。それに対して絵描きは何ヶ月も向い合って完成すると言います。繰り返すことによって鋭くなるとはより深くより明らかに世界の形を表わすということです。そこに私達はより高い文化をもつのです。

日本文化の最も深い一つと言われる能狂言は猿楽から生れたと言われております。猿楽は農作物を猿に荒されるのを防ぐために、祭りなどで猿を追う真似をした呪術に始まると言われております。私はこの真似だけでは文化と言えないと思います。それが文化となるためには身振り手振りが身体の喜びとして、様々の形が生れて来なければならないと思います。形が形を生み、恋の喜び、死の悲しみへと展いていかなければならないと思います。能は幽玄の世界を現わすと言われております。それは何処かに幽玄の世界があるのではなく、私達日本人が身体の動きを何処迄も洗練して行った処に現われた身体の深奥であると思います。私達の深奥である故に私達は共感をもつのであると思います。

人間だけにあって他の動物にないものは言語中枢であると言われております。言葉をもつことによって人間になったとは、世界の深く明らかなものは言葉によって生れるということです。言葉が形をもつことによって文化の全体が現われるということです。

短歌や俳句は言葉が見出した形として、その形の中に言葉が言葉を見出していくのです。私達の一首一句は世界の創造に参加することなのです。それが今日作って明日捨てるとも世界の創造面に自分を映したということであり世界を作ったということなのです。私達がもつ作品の出来た喜びはこの世界の深さより来るのです。私達はそこに自分を見るのです。明日からも共に頑張りたいと思います。それではこれで閉会します。

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