無題

私達は何故作るのであるか、その根底には大なる呼声があるようです。斎藤茂吉は内部急迫と言っています。短歌も俳句も抒情詩として喜び、悲しみを言葉にします。喜びは生きる影を宿し、悲しみは死の影を宿すものです。生命は生きるものが死を持つものです。そして生きるということは死を越えようとする努力です。言葉というのはその努力が生み出した形です。私達は言葉によって死んでいった祖先の声を聞き、生れて来る者に声を伝えようとします。そこに私は大なる呼声があると思うのです。見出した形に於いて呼び交すのです。過去と未来を一つとする呼び交しを持つのです。私はそこに私達を呼ぶ声があると思います。そしてそれはそれによってのみ私達が真の自己となる道だと思います。歌が出来ないとよく言われます。しかしそれはこの大なるものに生れようとする努力であると思います。明日からも頑張りたいと思います。

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