「関心領域」The Zone of Interestという、ナチスドイツが使った強制収容所の周辺地域を指す言葉ですが、ナチスに関わった人々の真の残虐さを描いたものです。映画の内容としてはアウシュビッツ収容所の所長が収容所のすぐ隣で暮らしているのですが、ごくありふれた幸福な家族の日常が淡々とつづられ、、塀を隔てた収容所での残虐さは具体的には何も出てきません。しかし、収容所の焼却炉からあがる煙、銃声、叫び声、家族が交わす何気ない会話、収容者たちから奪った毛皮のコートを自慢げに着てみせる所長夫人、川で水浴びをしていた時に流れてきた灰のためにすかさず家に帰ってシャワーを浴びる家族、貨物車で運び込まれた「積み荷」を効率よく焼却する新型「リング式焼却炉」の開発を熱心に討論する技術者たち、欲しいものは何でも手に入るアウシュビッツの自宅を離れたくない夫人に、この上ない恐怖を感じるのです。ハンナ・アーレントによる「悪の凡庸さ」つまり「命令に従っただけの凡庸な人間たち」ではなく、本映画に登場するのは積極的に「劣等人種」を殺戮し自分のより良い生活を確保するために搾取を意識的或いは無意識に行う普通の一般人から成り立つ「支配民族」であることが強調されます。
似たような経験をお話しますが、私が1990年代にアメリカに留学していた頃はバブル経済が弾けたとは言え日本の力がまだまだ強く、アメリカ自動車産業の半分くらいは日本車が占めるという時期でした。あるアメリカ人の看護師さんから「日本人は外国の模倣ばかりして自国の独特の発明は何もない」と言われたのに対し、この時だけは根っからの「愛国者」になり、ソニー社の「ウオークマン」は画期的なもので市場を席巻していると反論しました。しかしながら、考えてみると当時のテープレコーダーを携帯用に小型化しただけのもので磁気を使って音声録音するテープレコーダーを発明したデンマークのポールセンやフロイメルとは大きな違いがあります。2023年の雑誌Nature誌に「Japanese research is no longer world class — here’s why」という衝撃的なニュースが載っていましたが、日本のシステムの問題だけではないのですが、「破壊的イノベーション」を生み出すような発想の転換や努力などが必要でしょう。